日本の一人当たりGDPはウィキ List of regions by past GDP (PPP) per capita によれば中印欧に比べて歴史的にずっと低く、日本人自身には明治維新とか日露戦争で一気に先進国入りしたイメージ持たれてそうだけど、実際に先進国に並んだのはその二次産業から三次産業にシフトしつつあった1970年代でした。GDP割合が 一次に集中してる国 貧国 二次に集中してる国 途上国 三次に集中してる国 先進国 で、これはブルシットジョブでもこのチャンネルでも言い続けている、必要性の高い産業に携わっている人は貧しい事が国規模でも言える訳です。1950~70年代の日本で二次割合が高かったのは先進国では無い事の特権でもありました。そして当時の国民に現状維持とこの少子化した2020年代とどっちが良いかを訊いたらまずみんな20年代の方が良いと答えたでしょう。隣の芝は青いし皆自分だけは厳しい競争に勝ち残れるとも思っているし、変化しない事自体が「動」物として耐えられないんです。堅強は死の徒、他のコメ者が俺と違って理系的視点から素晴らしい分析をしていますが(名前失念、あなたより先にコメ書いた人です)日本は硬直しがちな国民性。動物としての本能とは矛盾するけど、皆失われた30年状態を変える事よりもその状態を崩す事によって治安の良さを失う事を嫌っている。 二次社会から三次社会に進化する代償としてメリトクラシーなり少子化するのは分かるけど、東欧は共産独裁全体主義によって二次シフトが日本より早く始まったのに今も続いている上に、GraphToChartで東欧各国の人口推移を眺めると少子化や人口減少も日本より10年は早かった。共産下では三次への進化が許されず、ソ連崩壊後は南欧と共に事実上EU盟主であるドイツの植民地になっている。労働力も人材も貿易収入も吸い上げられて奪われているのです。バブル直前、1985年プラザ合意直前でジャパンバッシングされてた日本が以後も二次に拘っていたら世界中の他の国の二次産業が育たなくてどのみちアメリカの代わりに日本に圧力をかけるなり孤立させたり、或いはバブル期みたいに景気が良すぎて労働力が足りなくなって移民受け入れてそこに日本の民族主義的排性が加わってレイシストで溢れて移民は蜂起して、というようにこれまたどのみち社会分断したでしょう。二次である程度儲かった国は世界の経済バランスからもこのチャンネルで言うブレーキを掛ける、三次産業にシフトして貿易赤字を受け入れる、そこに抗い続けるという不自然な事をした方が一層大きな代償を払う事になります。少子化は先進国でいるための自然な代償の一形態です。少子化を辞めたいなら他の代償を払う必要があるけど日本の国民性はそのリスクの全てを拒む。 他でも書いたけど人生で成功する要素は 運>金>遺伝 です。優性思想も強まるけどそれ以上に親の金が子の人生を決める。皆漠然とメリトクラシーという言葉を主さんに釣られて使っているようだけどその定義だけは主さんにして欲しかった、直訳的な解釈なら能力功績主義、もう少し具体的には学歴経歴(キャリア)主義ですね。金持ちの子ほど高学歴になる、遺伝要素はふんだんに教育資金を注ぎ込んだ環境で概ね覆せる。コロンビアの取り違え二組双子でも一方は大卒銀行員、一方は肉屋と、遺伝子が事実上無効化されている事の良い例です。また他の問題として近代優性思想を持ち出したヨーロッパは倫理面でそこを乗り越え始めている、今は胎児になった時点で発達障害の有無が確認できる、医療業界でその技術を無かったことにしないのは国民に先天的障害をタブー視しない倫理観がそれなりにあるから。日本の社会倫理はその壁を超えられない。 相模原事件は犯人に会った事もないから良く知らんけど、俺には犯人自身の主張を真に受けるつもりはありません。サイコパスは自身の思考や感情を素直に吐露する事なんかないし、してもそれを理解できるのは似たような歪み方をした人だけです。無差別殺人は組織テロでない限りはだいたい犯人自身が強者から虐められて来たから自分も弱者を虐める事で心の帳尻合わせをする目的で起こる。今年だったか関東で母親が子供と電車に飛び込んで心中した、世間は「死ぬなら勝手に死ね! 子供が可哀想だろ!」と非難した。でも母親は世間に自分の悲しさを知って欲しいから目立つ死に方をしてるんです。他人に心中したいなら海に飛び込んでも良いし山で生き埋めになっても良い。都市部でやる事に意味がある。母親は「自分は幼少期から家でも学校でも虐められて来た」「夫にも逃げられた」「行政もろくな保障をしてくれない」「世間も自己責任論で批判してくる」「私はこんな社会もう大嫌いだ」「子供をこんな社会に生かしておいたら可哀想」あるいは「子供に満足な環境を与えられなかった」「その罪を償いたい」「それには正攻法で金を手にして解決するか、自分が精神的に苦しむかの二択」「自虐的に自分をもっと苦しめよう、子供をもっと不幸にする事で自分の罪悪感をもっと大きくしよう」という心理が働いてる筈なんです。麻薬や博打などの中毒者も同じ。浪費が辞められない罪悪感を中途半端に持っていると自分を裁きたくなる、自分を精神的に追い込んで苦しむ事で償った気になる、その追い込み方として選べるのは中毒度を一層高める事。万引きでも次々と高額な万引きをしていく事で自己肯定感と自己否定感を満たすんです。無差別殺人犯はだいたい社会から孤立してる、表面上は分からなくても輪の中に加われないような、心の居場所が社会に無い状態。そういう人は家とか学校とかで親やクラスメートから拒絶されたから自身も他人や社会を拒むんです。拒んでて信用してない相手に素直な会話なんてしないし、本当は理解されたいけど理解されたらそれまで孤立して苦しんで来た自分を裏切る事にもなってしまう、自分が敵視してきた社会と和解し同列になる事は自己否定にもなる、だから心を閉ざす。相模原の犯人に限ってはそうじゃないかもしれないけど大概の犯人の心理ってそんなもんなので、そいつにも自身を優性だと思っている点と劣勢だと思っている点の両方があったんじゃないかと思います。自身が劣っている意識が強いから社会弱者に対して同族嫌悪もあったかもしれない、主さんの言う「俺こそが最弱!」意識です。自尊心を保つ上で強いか弱いかよりも大事なのはオンリーワンやナンバーワンである事。でもあなたのそのコメからはそういう理解をまるで感じない、なんとなく悲劇的な雰囲気に浸っているだけ。それはあなた自身はそこまでの疎外感を得た事が無いからかもしれずそれはめでたい事だけど、痛みを知らない人は無意識に他人を傷つけてしまいます。痛みを知りすぎる人は意図的にも他人を傷つけやすい。あなたが犯人に会った事があって会話もしてただの差別主義者だと確信したんなら話は変わります。俺はマスコミの犯人の見せ方をろくに信用しません。宮崎勤も分かりやすい犯人像を演出されていたし、俺自身テレビや雑誌のヤラセに関わった事があって業界の汚らわしさを肌で知っているからです。