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【背景】変更点
1938年12月成立のマル4計画において、対米作戦計画として【東進論】を採用することに決意した日本海軍は、建造期間の長い伊号潜水艦25隻に代わって20隻の知床型給油艦、1隻の弾薬給兵艦、2隻の工作艦を建造し、長距離継戦能力を重視。また次期主力護衛艦となる秋月型には10,000浬の航続力と雷装の廃止による10門の両用砲火力を求めた。排水量、建造費用ともに10%増加したが、1番艦秋月の就役は1942年6月11日であり、開戦には間に合わなかった。戦艦大和が就役するのは、史実通り開戦から1週間が経過した12月16日のことであった。
伊十五型15隻、伊百七十六型10隻
→
大型給油艦20隻、給兵艦1隻、工作艦2隻
【あらすじ】
真珠湾攻撃に自身の軍人生命の全てを捧げた山本長官は、対米開戦にあたって機動部隊の司令官を南雲忠一ではなく小沢治三郎を任命。赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴からなる399機の航空隊を擁する世界最強の機動部隊が、択捉島、単冠湾をハワイ真珠湾へ向けて出港した。
南雲忠一
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小沢治三郎
【Q&A】
Q
第3波の間違いでは?
A
機動部隊はハワイ海域より退避する前に3回つの戦場で戦うべし。という意味を込めて三次としております。
【東進論とは?】
アメリカはどうせ自分からは参戦できないのだから、フィリピンを避けて蘭印だけ攻め取る、南に下りて西へ行くという王道な勝ち筋は有名です。
しかし当時の大日本帝国の武備であれば、もっと愚直にアメリカと一騎討ちしても勝てたのでは?という真面目な歴史検証もの思考実験です。本シリーズは「歴史はifを認めない」という思考停止に疑問を投げかけます。
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/ @battleofif