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安土城は織田信長の居城としてあまりにも有名。
安土山の山頂に建てられた「天主」は一度見たら絶対忘れられない不思議な形。外観五重六階地下一階(といわれている)の巨大な建物の内部は、1階から4階までが吹き抜けで御殿のような造り。その上に八角形のお堂のような建物と上に四角の望楼が乗っていました。外観は黒・朱・蒼・金などの派手なカラー。そして信長は実際にこの建物に住んでいたようです。
また安土城は、それまでにない「たくさんの石垣を使った城」でもあります。この石垣は現在も残っているのですが、すごいのはこの上に「建物をのせることができる」ように造られていること。これによって石垣の端ギリギリに櫓や塀を建てることができるようになるんですね。これは当時の最先端技術。それまでの城の石垣とはちょっと違うのです。
織田信長が安土城を築いたのはライバル大名たちを次々と滅ぼし天下統一(畿内統一)が見えてきた頃のこと。巨大な権力を手に入れた信長だから、一流の石工や大工や絵師を好きなだけ呼び寄せ、理想の城を築くことができたんですね。
ところで信長はどうして安土山を選んだのでしょうか。安土城があるのは現在の滋賀県近江八幡市。近くには東西だけでなく北陸や伊勢につながる街道が走っており、また琵琶湖の水運も使える交通の要衝です。ですが地図を見ながら考えていると、不思議だなと思うことが浮かんでくるんですね。
信長の安土城は、「繖(きぬがさ)山」の隣にあるオマケみたいな山(丘?)に築かれていたんですね。敵の攻撃を防ぐにはより高い位置にいたほうが有利。だから「繖(きぬがさ)山」に城を築いた方が立派なものができそうですよね。実は「繖(きぬがさ)山」には前の領主六角氏の「観音寺城」がありました。この城も石垣で囲まれたたくさんの曲輪が並ぶというかなり立派な造りだったようです。しかし信長はこれを使わず、隣の小さな山に安土城を築くのです。いったいどうしてなのでしょうか。