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平生昌は、配流地から密入京した藤原伊周のことを道長に密告した人物とされ、定子を迎える際も道長に密かに通じ、自邸の門を貴人用の四足門ではなく質素な板門屋のまま迎えて定子に恥辱を与えたとされてきました。
ですが、実際の生昌は、伊周 定子のために働こうとしており、定子出産時も貴人用の四足門で迎えたばかりか、1年半に渡って定子を数少ない味方として支えています。
さらには、定子の死後も残された敦康親王や脩子内親王に仕え、自邸を脩子内親王に献上するなど、定子が出家した后として貴族社会で嫌われる中、権力者道長の圧力を気にせず尽くしたというのが本当の姿です。
今回は、不器用な性格ゆえに裏切り者と誤解され、清少納言ら女房衆からも嫌われてしまったものの、実際は一途に定子に忠義を尽くし続けていた平生昌の生涯について紹介します!
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参考文献
法蔵館『角田文衛著作集 第4巻 (王朝文化の諸相)』
amzn.to/4cSFv12
安藤重和『枕草子「大進生昌が家に」の段をめぐる史的考察』
(愛知教育大学国語国文学研究室『国語国文学報』39,1982)
cir.nii.ac.jp/...
河北騰『枕草子「大進生昌が家に」の一考察』
(立正大学國語國文学会『立正大学國語國文』33 1996)
dl.ndl.go.jp/p...
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【画像引用】
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【目次】
01:33 長徳の変での平生昌
08:52 定子出産時の平生昌
14:55 平生昌のその後
#光る君へ #平生昌 #定子 #大河ドラマ