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八丈島底土に残された、戦争遺跡。
第2次世界大戦の時、八丈島には述べ2万人を超える兵隊が駐留していました。前線として重要な位置を占めていた離島を守るため、#人間魚雷 #回天 が配置されました。人間魚雷は出番がないまま終戦となり、島内には至る所に防空壕をはじめ、戦いのための数々の横穴式の壕が残されています。遺された壕たちは、今も私たちに、戦争とはどういうものだったのかを、語ってくれているようです。
以下は、八丈町教育委員会による、壕跡の説明文です。
人間魚雷「回天」2号壕跡(底土基地)
昭和20年の春、本土決戦に備え特攻兵器の人間魚雷「回天」が、沖縄・九州・四国・近畿の各地方と、関東では唯一、この八丈島に第2回天隊の「回天」8基が配備された。
その内の4基がこの底土基地で、後の4基は末吉地域の石積基地にあり、回天隊員はそれぞれ格納壕の中で進発時期が来るのを待ち続けていた。
回天隊員の任務は、八丈島へ侵攻するとき先ず艦砲射撃を加えてくる敵戦艦の撃滅であった。
「回天」は、直径1m、長さ14.75m、最高速力30ノット、重量8.3トンで、車輪付きの架台に載って格納壕の中で待機し、進発するときはレールの上を動いて斜路から海に入り、機械を発動して敵艦に向かう。
しかしながら、その進発の機会は遂に訪れず、終戦となってのち、武装解除のため来島した米国艦隊が「回天」全部の爆破を指示したので、回天隊員は自らの手により、各「回天」の爆薬1.55トンを装填した頭部を切り離して海中に投棄したうえ、胴体を格納壕に納めて爆破した。
底土の「回天」格納壕は長さ37m、幅3m、高さ3.5mの大きさで、2箇所の壕に「回天」を2基ずつ収納した。
陸側の1号壕はのちに崩落したが、海側の2号壕はこのように現在もその姿をとどめている。
平成17年10月1日
(元八丈島回天隊長海軍大尉 小灘 利春文)
八丈町教育委員会