ら抜き言葉は「乱れ」ではない。整っている!

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Күн бұрын

Пікірлер: 95
@juuniya1283
@juuniya1283 Жыл бұрын
例外的に、「離れる」といった語幹の最後の子音がrである下一段活用ではら抜きである「離れれない」よりも「離れられない」が口語では好まれる気がします。直感的なコメントで恐縮ですが。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
すごい、ちょうど今朝布団の中でぬくぬくしながら考えていたことです!
@Bluegreenred3975
@Bluegreenred3975 3 күн бұрын
​@@Gengo_No_Heya 「れ」「れ」と同じ言葉が続くからですね。たしかに、美しくないと感じてしまいます。「慣れ」かもしれません。現代仮名遣いで、和歌や俳句を作ることは、否定しませんけど、「「れ」「れ」」は、流石にイヤですね。「ラ抜き言葉」なら良いと思いますけど。 古いオジサン、古いオバサンかもしれません。現代詩なら、私はオーケーです。
@Bluegreenred3975
@Bluegreenred3975 3 күн бұрын
「れ」「れ」などの同じ音が続くのは、日本語では、もともと嫌うのではないか、と思いましたが、どうでしようか。連濁音にして、誤魔化すことも、できません。 しかし、魚を「おとと」、鰹節を「おかか」、そして、「ちちおや」、「ははおや」、「ととさま」、「かかさま」「ばばさま」、は日本語として問題ないですね。「個々に」も「此処に」も、紛らわしいですけど、普通に使われます。「せせら笑い」も「女々しい」も「凛々しい」も「縷々説明する」も問題ないですね。「れれ」だけ嫌われてます。
@nekodesu.4649
@nekodesu.4649 Жыл бұрын
ら抜きじゃなくてar抜きだとすると「話せる」とも整合するの好き
@豆苗逃亡
@豆苗逃亡 2 жыл бұрын
可能と受身は他の方の動画でなるほどと思っていたのですが、 母音語幹と子音語幹の説明で更にわかりました。ありがとうございます😊 次の動画も楽しみです!
@akki4436
@akki4436 Жыл бұрын
ご解説ありがとうございます。最後に述べられている所感にも、バランス感覚が表れていて素晴らしいと思います。既にいくつかコメントあるように、「離れる」「忘れる」等の動詞では、まだ「ら抜き」は使われない(×「離れれない」「忘れれない」)ということや、「こんなもの、私にはとうてい食べれない」のような場合はまだ違和感ある人が多いということなど、まだ完全に覆い尽くせていないところに、いわゆる規範文法化に踏み切れない理由があるように思われます。
@スサノヲ-v9u
@スサノヲ-v9u Жыл бұрын
私は「ら抜き言葉」を積極的に使っていると言うか「ら抜き言葉」しか使いません。 理由は、この動画の2番目の理由に依るものです。 1番目の理由はもちろん気づいていましたが、しかし3番目の理由には全く気づきませんでした。 「言葉というのは少しずつ変わるものである」 「ら抜き言葉を使ったほうが『可能』と『受け身』の区別ができて便利だから、便利なほうを使えばいい」 と私も考えています。
@7878-l2q
@7878-l2q 2 жыл бұрын
金田一先生も、ら抜き言葉に肯定的でしたね。
@Bluegreenred3975
@Bluegreenred3975 3 күн бұрын
金田一京助先生ですか? 金田一春彦先生ですか? 多分、金田一春彦先生かなと思いました。 金田一春彦先生の美意識から見て、『ラ抜き言葉』は問題なかったのですね。安心しました。先生は、当時流行っていた「ネアカ(根明)」という言葉について、ネガティブでした。「根暗(ネクラ)」の反対という意味でしょうけど、湯垢みたいで汚い印象とおっしゃてました。 そもそも、「ネクラ」とは、どこから来たのかなと、今になって思いました。そういえば、今のネット時代、アカウントというのを略して、例えば、『裏アカ』とか、考えてみると、汚いですね。日本人の感性も変化していますね。
@7878-l2q
@7878-l2q 3 күн бұрын
@Bluegreenred3975 金田一春彦先生です!私はかじった程度の浅ーい知識なのですが、凄くお詳しいですね!
@mokuzenteruji7947
@mokuzenteruji7947 Жыл бұрын
いやぁ、スッキリしました!前から「ら抜き」の方が、間違いがなくていいのにと思っていたのが、明確に説明していただいて、納得できました!
@miaocatvideos605
@miaocatvideos605 Жыл бұрын
主の意見に100%賛同します! 「い抜き」と「さ抜き」についても動画にしてほしいですw
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
て抜きって何ですか?
@miaocatvideos605
@miaocatvideos605 Жыл бұрын
@@Gengo_No_Heya 「している/ある」→「してる」の類です
@miaocatvideos605
@miaocatvideos605 Жыл бұрын
「い抜き」でした。失礼w
@TIshida360
@TIshida360 2 жыл бұрын
何十年か前に、国語審議会で「ら抜き言葉を認めよう」としたときがあったんだよね。でも、その時に言語に関するアンケート結果があって、まだ違和感を感じている人が過半数を超えていたために、それは流れてしまった。時代は流れ、去年かな?同様のアンケートが行われた。その時は「ら抜き言葉」を許容する人が過半数を超えていたと記憶している。
@Coa2009
@Coa2009 11 күн бұрын
「ら抜き言葉」ではなく「ar抜き言葉」だという話は聞いた事あるけど、「連続した子音を避けた(「られる」を付けて子音が1つ脱落した)」という説明は初めてで、とても理にかなっていてわかりやすい。 それを「可能動詞」というカテゴリをでっち上げて説明する方が不自然に思える。 ただ、「よく使う言葉は短くなる」「あまり使わない言葉は長くなる」という最初の説明を考えてみると、長い単語には「ar抜き」が当てはまりにくいとも言える。 「かんがえられる」「あきらめられる」は「考えれる」「あきらめれる」にしづらい。
@小泉美樹-n7x
@小泉美樹-n7x Жыл бұрын
宮沢賢治なんか読んでると、ら抜き言葉はのべつに出てくる。昔の人は案外こだわってなかったのかもしれない。
@tomlla_9282
@tomlla_9282 Жыл бұрын
すばらしい動画です。
@kagilinn
@kagilinn Жыл бұрын
自分は三河地方出身ですが、可能の場合「ら抜き」に加えて「れ足し」を行うことがあります。 流石に社会人になってから三河弁の使用頻度が落ちてるので自信ないですが、確か「行けれる」「書けれる」「読めれる」みたいな感じだったかと。 これも可能にのみ使うので同じく 'reru' を足した形に統一したと見なせれますかね…? 何と言うか「可能は全部『れる』で言ってたかも知れない」くらいのイメージがあります。 流石に例外はあったと思うですが、他の方のコメントにある「離れれる」も何か使ったことある気がするのですよね…
@かわのたて-v5x
@かわのたて-v5x 8 ай бұрын
いい動画
@Bluegreenred3975
@Bluegreenred3975 4 күн бұрын
『ら抜き』言葉は、標準語の日本語に於いて生じているのですよね。『標準語』ですので、「規範文法」というもので、仕切られるのですね。 言葉の変化は、ある集団(ある地域→方言。ある業界→業界用語。ある年代層。ある階層。)で起きてくるわけですけど、標準語ですと、「規範文法」で、マナーだとな、社会人の常識だとかの圧力で、日々チェックされるわけで、その中で、ここまで、「市民権」を得たのはすごいですね。 標準語が制定されたとき=明治政府ですか=、どんな状況だつたのでしよう。可能と受動と尊敬と自発の区別の必要姓は考慮されなかつたのでしようか。軍隊など、方言を追放し、かつ、効率化と正確化を追求したい組織の要望も政府全体で共通の合意を得やすかったと思いますが。 最近は、外国人への日本語教育とか、気にする人いますけど、この点からも有用ですね。少なくとも、漢字廃止論者や漢字制限論者、歴史的仮名遣い廃止論者や平仮名廃止/片仮名廃止論者よりも、一般には受け入れやすく、合理性は高いと思います。
@slowhand7777
@slowhand7777 Жыл бұрын
この動画、よく考えると、作るの大変そう!凄いな
@小泉美樹-n7x
@小泉美樹-n7x Жыл бұрын
きっとそのうち腱鞘炎だな。
@Vamikonekoneko
@Vamikonekoneko Жыл бұрын
自分の身内と地元の友達くらいしかわからないけど、京都と大阪の人はら抜き言葉をどの年代のひとでも積極的に使ってるような印象です。 逆にけしからんと言われたことがリアルではないので、近畿では比較的言語の変化に寛容なのかもしれませんね。今はテレビやSNSとの普及や、進学就職で他府県に行くのが当たり前にできる時代なので大きい都市ほどそうかもしれませんが😮
@xitebau140
@xitebau140 2 жыл бұрын
ら抜き言葉は普通になんかもう受け入れちゃってます インターネットの時代になって「機能性」で言語が進化する速度も速まった気がしますねぇ
@jinkuu
@jinkuu Жыл бұрын
ここにもいるのか
@thelemasa.y
@thelemasa.y Жыл бұрын
スッキリ腹落ちしました。
@福村勇揮
@福村勇揮 Жыл бұрын
受け身の形を(られる)、可能の形を(れる)にしたほうがいいというのは どっかで聞いたことがありますね…、。 一言一句は覚えてなくて イメージだけで覚えてるけど、イメージだけで十分だね!
@dq-music
@dq-music Жыл бұрын
これ以上無くしっくりくる説明!もう「ら抜き言葉」廃止でいいんちゃうん、と思わせておいて、最後のdisclaimerも完璧!
@魚マンの釣り日記
@魚マンの釣り日記 Жыл бұрын
「語幹がイ段で終わるラ下一動詞」と同じ形になる上一動詞のら抜き、だけは気に食わないよね いる いれる あきる あきれる さびる さびれる まあ、能動的に飽きようとする機会がないから飽きられる(可能)→飽きれる、はまあ使わんw また、能動的に錆びようとする主体は想像すらできないから、錆びられる(可能)→錆びれる、もいつどこで誰が使うねんって感じではあるけどw
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
五段動詞の可能動詞でも、 貼る→貼れる=腫れる 刈る/狩る→かれる=枯れる 知る→知れる=痴れる(これは話し言葉「酔いしれる」以外の形で使うことは無いと思うが) みたいなのがありますね
@やき-t2p
@やき-t2p Жыл бұрын
「自発動詞から意味が転じて独立」だったりして? 居る…入れる は怪しいけど 飽きる→呆れる 錆びる→寂れる
@ふなんこ
@ふなんこ 2 жыл бұрын
分かりやすかったです。 さ入れ言葉についても解説があればお聞かせいただきたいです。
@shadowartemis7851
@shadowartemis7851 Жыл бұрын
五段活用として体系化への潮流と考えられるのならばサピアのドリフト論としても 説明可能な気がしますね。
@Sugiura_Kenji
@Sugiura_Kenji Жыл бұрын
このような「『ら抜き言葉』は間違いではない」という合理的で丁寧な説明は、昔から色々あるのに、それでも、未だに、「『ら抜き言葉』は間違いだ」と思っている人が居るのは、子どもの時「『ら抜き言葉』は間違いではない」と教えられ、『ら抜き言葉』を使うと叱られたという人が、TVでアナウンサーなどが『ら抜き言葉』を使うとTV局にクレームを入れるので、面倒を嫌うTV局では、アナウンサーは『ら抜き言葉』を使わないように注意しているから、「『ら抜き言葉』は間違いだ」という印象を与えているのではないだろうか。 クレーマーが言語を作る、という嫌な現象。
@LawrenceAaronLuther
@LawrenceAaronLuther 25 күн бұрын
面白いですね。少数派なのに影響が大きい。社会問題は大体そうでしょう。
@あやめ-p3c
@あやめ-p3c 22 күн бұрын
​@@LawrenceAaronLuther令和2年に文化庁が実施した「国語に関する世論調査」によれば、一番少ない「食べられる/食べれる」で"られる"が46%。「来られる/来れる」に至っては"られる"が93%なので、まだ別に少数派ではないと思われる。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 22 күн бұрын
@あやめ-p3c 令和2年の『国語に関する世論調査』では、ラレル派率は 「食べられる」で65.2% 「来られる」で46.4% 「考えられる」で93.8% 「見られる」で46.2% 「出られる」で50.5% なので、数字と語の対応が違うと思います
@あやめ-p3c
@あやめ-p3c 22 күн бұрын
​@@Gengo_No_Heya確認しましたがそうでした、ありがとうございます。
@LawrenceAaronLuther
@LawrenceAaronLuther 22 күн бұрын
@@あやめ-p3c ありがとうございます。
@自家用タイガージェット
@自家用タイガージェット 14 күн бұрын
寺田虎彦の随筆では「言われる」「思われる」など、「れ抜き」じゃない五段活用の動詞が主に使われていますが、これが「自発」なのか「可能」なのかはけっこう判断に迷います。これら2つの境界って意外に不明確だったりするのでしょうかね。
@red-nakazawa
@red-nakazawa Жыл бұрын
しゃべられるたべられる、ミニストップ 誰も行かない
@viamedia
@viamedia 21 күн бұрын
私見では、「食べれる」は「食べ得る」の二重母音eeにrが補われた物だと考えています。
@雨車ダークネスピアノ
@雨車ダークネスピアノ 6 ай бұрын
ここで話されていることを基本的に肯定する立場だとおもいますが、言語学者の小松英雄は、ら抜き言葉を、「書ける」等の可能動詞を、五段活用以外の一段活用においても作るという役割を持ったものとする説を唱えていたと思います。本当はもっと精緻な論理を展開していたはずですが、私のうろ覚えの記憶のかぎり、そういうことだったと思います。 この動画でも説明されていると思いますが、例えば「書く」には「書ける」という可能動詞が対応しますが、一段活用の「流れる」においては、そのまま対応する可能動詞が存在しません。しかし、「流れられる」のような可能の助動詞の付く形から、らを削除することによって「流れれる」という可能動詞のようなものを生み出すことができます。「られる」には、そもそも可能と受け身や尊敬の意味とありますが、ら抜き言葉においては、そのうちの「可能」の意味にのみ使える形となっており、そういう意味で、このら抜き現象は、極めて体系的に起こった言語的変化だと言うことができる、というような論だったと思います。「流れれる」とか「落ちれる」とかで、可能を意味することはあっても、受け身を意味することはないですよね。 私はこの考え方にすごく納得しました。 理由三の後半については、読んだことも考えたこともなかったので、そしてよく理解できなかったので、新鮮でした。 小松氏の考えに従うと、一段動詞について、「仮設」の未然形「ら」を前提として考えることになります。これによって、「れる・られる」は、一つの「れる」という語として成り立つことになります。つぎに、「食べられる」「話される」から、この未然形のaの音を引く。そうすれば、taberreruと、hanasreruという、子音連続を含んだ不自然な音の並びとなりますが、次に、エイヤとrも抜けば、tabereruとhanaseruが成り立つということになるんだな、と理解しました。 つまり、「れる」の成分を「える」にまで削ったものとして発想できるわけです。仮設の未然形という考えを採用するなら、一段動詞の語幹というのも、例えばtaberというrの入った形として捉えることができます。もちろんこの場合特殊に用意された限定的な語幹であり、本当の意味で語幹と言えるわけではないのですが。そしてこの語幹(もどき)に、eruをくっつけることで、可能動詞が形成されるというわけです。この擬似語幹は、潜在的に、五段動詞化への野望をほのかに含んでいるように感じられます。もちろんそれは必要のある場合にしか起こらない現象だとは思いますが。食べりて、なんて今後もきっと生まれ得ない語形でしょうし。 仮設の未然形という概念を導入することで、例えば、書かれるが、kak-a-reruであるに対し、流れられるが、nagarer-a-reruと発想することができます。他の助動詞はわからないですが、「れる」に関しては、この活用語尾のaが欲しかったのでしょう、日本語は。 eruの背後にreruを見るという視点も必要なものですね。同様にareruの背後にrareruを見るということが必要になるのでしょうが、個人的には、reruそのものが本体であって、rareruのraは仮設の未然形として捉えられると思っています。kakrareruと仮に言うとして、rareruの方が原形かと言うと、そうでもなく、つまりrareruからrを省いたものと見ずに、はじめからreruのほうが原形であると考えた方が良いのではないかと思います。 とは考えてみたものの、せる、と、させる、のようにs音で両形がそろっているような例がまたありますので、この場合seruを原形と考えずにsaseruを原形に考えた方がいいのではないかという考えが発想されます。だから、これと同様に、れる、も、られるに原形を持つものと考えた方がよいのではないかと思えてきました。 しかし、書かれる、といった語について、書く、の語幹がいくらkakであるとされても、rareruの形に未然形語尾を含ませるという考えは腑に落ちないものです。られる、の中に未然形語尾が含まれるなら、なぜほかの未然形接続の助動詞などが全て語幹にくっついたaを前提にしているのかが説明できないと思われるからです。aは、kakの側にあり、助動詞の側にはないはずです。rによってaが遠隔されるようなことは考えにくいです。他の未然形接続の助動詞がそれぞれ自分のうちにaを持つ、という考え方は腑に落ちません。たまたまそうなのだと言われればそれまでですが。つまり、書く、なら、kakaまでを一塊と捉えて、reruが付く、と考えれば、またここで仮設の未然形という概念が登場することで、流れられる、のreruが説明できると思います。 以上、曖昧な思考で間違いを含んでいると思いますが、私なりの感想でした。
@やき-t2p
@やき-t2p Жыл бұрын
ゔぃゔぁヤナシ方言‼️👍
@潤也藤原
@潤也藤原 Жыл бұрын
整っているのはサウナーだけとは限りません。
@user-gm2tm2gf7e
@user-gm2tm2gf7e Жыл бұрын
食べようTabe yoo 呼ぼうYob (y)oo 食べれる Tabe reru 呼べる Yob (r)eru
@DTM-early-music
@DTM-early-music Жыл бұрын
6:39以降の語幹の切り分け方や子音重複をさけるという考え方をすれば、韓国語の文法(語幹末尾のパッチムの有無による区別)と共通の姿が見えてきますね。
@nanaki1006
@nanaki1006 Жыл бұрын
標準語を決めるときのミスだと思いますね。 西日本は「ら」抜きが多い
@aaheavenly4934
@aaheavenly4934 Күн бұрын
おっしゃる通り「ら抜き言葉」は合理的で、将来はスタンダードになると思います。 でも今は子どもたちに誤りだと指摘して、直させなくてはならないのは残念です。 それはそうと、話し言葉で嫌いな言葉がいくつかあります。中でも「ちげー(違う)」「~してもらってもいいですか(~していただけませんか)」はよく耳にします。言葉は変化するものと分かっていても不快に感じるのはなぜでしょうか。
@wadasora4062
@wadasora4062 17 сағат бұрын
私の地元ではai→eになって「ちがいない」を「ちげーねー」などと言います。方言を嫌いと言われると不快です…
@aaheavenly4934
@aaheavenly4934 17 сағат бұрын
@@wadasora4062 「方言を嫌い」とは言っていません。私の嫌いな言葉が、たまたまあなたの地元の方言を同じだっただけです。ご理解ください。
@SORA20734
@SORA20734 Жыл бұрын
とても分かりやすい説明でした。 質問なのですが、 ら抜き言葉ではなく、-ar-抜き言葉だと聞いたことがあるのですが、いかがでしょうか? 食べられるtaber-ar-eru 叩かれるtatak-ar-eru
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
「ら抜き言葉」の現象を説明するだけでしたら、それでも可能だと思います。しかし、それだと「美しくない」「嬉しくない」ポイントがあるのです。 taber- 、 tatak- のように語幹を設定すると、 使役   a) taber- + -saseru → tabe-saseru   ↑語幹の尾子音 (r) を落としている  b) tatak- + -saseru → tatak-aseru   ↑助動詞の頭子音 (s) を落としている というふうに、子音が連続したときの操作が不統一になってしまいます。パターン a になるのは、この動画でいう母音語幹動詞、学校文法でいう五段動詞で、b になるのは子音語幹動詞(一段動詞)ですね。 このような語幹の設定方法では、常に語幹が子音で終わってしまうので、語幹だけを見てどちらのパターンなのかを判断できないというのが問題になります。語幹の最後が ir, er 以外の場合は必ずパターン b になるので語幹の形で見分けがつきます(例:わかる [ar]、死ぬ [in]、殴る [ur]、稼ぐ [eg]、残る [or] )。しかし、語幹が ir, er で終わっているからといって、パターン a になるとは限りません(反例:切る、走る、要る、蹴る、焦る、減る)。 なので、この動画で説明した方法で 「居る」は i-ru 「要る」は ir-u 「経る」は he-ru 「減る」は her-u であるというふうに考えた方が、合理的に説明できると思います。
@SORA20734
@SORA20734 Жыл бұрын
@@Gengo_No_Heya 素晴らしいです。ありがとうございます!!
@RWING1971
@RWING1971 6 ай бұрын
2:19 お腹を空かせた熊がいて、と聞いて、見つけたのは人で、熊目線では食べられた(食べることができた)、人目線では食べられた(食べられてしまった)になるのかと思った
@MachiFukuKaze
@MachiFukuKaze 10 ай бұрын
「熊が鮭を食べられた(taberareta)」は 「熊が鮭を食べれた (tabereta)」の他に 「熊が鮭を食べ得た (tabeeta)」と言うことはできないでしょうか
@Bluegreenred3975
@Bluegreenred3975 3 күн бұрын
お腹を空かせたクマの例は面白いです。お腹を空かせたクマではなく、お腹を空かせた殿様が鮭をそのまま食べたのなら、どうでしよう。私は普通の漁師です。 殿様が鮭を食べたので、私からの目線なら「尊敬」です。生のママで食べた事に、注目すると、「可能」です。 私が釣ったのに、無理やりに、鮭を殿様に奪われたなら、これは漁師目線で、「受動」です。鮭にとっても勿論「受動」です。「受動」には2つのタイプがあるのかなと思いました。 殿様が、家来が勧めないのに、毒見もしないのに、食べたら「自発」とも言えますね。
@kasumiamemiya7747
@kasumiamemiya7747 Жыл бұрын
「れる」が可能を表す、と解釈していると思われるナウなヤングを見た事がある。 つまり「遊べれる」とか、「楽しめれる」とか。 これもあり?
@lulu-dp6vo
@lulu-dp6vo 3 ай бұрын
れる=可能は理解できる。 「遊べれる」「楽しめれる」は耳触りに違和感を覚えますね。「れ」を足さなくても伝わる意味の言葉にわざわざ一文字増えることが違和感。
@p_suke-Do-Yah
@p_suke-Do-Yah Жыл бұрын
江戸時代にはり抜き言葉が生まれま たり が た になった 正しい日本語、乱れた日本語、という言い方をしだしたら正しい日本語とはどこまで遡るのか? 今更乱れる前の日本語だからと縄文語を話すか?
@carroarmatom15
@carroarmatom15 Жыл бұрын
鹿児島では方言と言うか 昔からら抜き言葉 鼻濁音も使わないねそういえば
@paseri9697
@paseri9697 Жыл бұрын
youとyou guysみたいなノリを感じる
@Inunaki_Doraemon
@Inunaki_Doraemon Жыл бұрын
最近受け身でら抜きを使っている例をよく見かけます そのうち「られる」が完全消滅するんじゃなかろうかと思いました
@miaocatvideos605
@miaocatvideos605 Жыл бұрын
そんな人います?w つべのコメ欄なんかで「さ抜き」はよく目にしますがw
@Inunaki_Doraemon
@Inunaki_Doraemon Жыл бұрын
@@miaocatvideos605 いやいるんですよ 体系化した文法を習っても口語となると一切考えてないんだなと思いました
@miaocatvideos605
@miaocatvideos605 Жыл бұрын
@@Inunaki_Doraemon 世の中、バカばっかですからね 悲しいかな、それが現実なのです。。。w
@taki_huuko
@taki_huuko Жыл бұрын
​@@miaocatvideos605 自分のことを見られた(受け身)ときに、見れた?て言ったシチュエーションを考えてみました。 (相手が)(自分のことを)見れた?という使い方をしていて、相手が可能なってるような気がします。俺の感覚では二人称ならギリギリ使うかな。わからん。
@Inunaki_Doraemon
@Inunaki_Doraemon Жыл бұрын
@@taki_huuko なるほど疑問文なら確かにそうなりますね ただ私の聞いた誤用だと「彼に殴れた」みたいな感じだったので、主語の逆転ではなかったですね
@centaurusjp
@centaurusjp Жыл бұрын
津軽弁では「られる」と「れる」は意味が違うので、「られる」の代わりに「れる」を使うことには強い抵抗感があります。 ある場面では合理的かも知れませんが、一方では混同が起きてしまう訳です。津軽弁の感覚がない人には関係ない話ですが。
@ジャッキー-l6u
@ジャッキー-l6u Жыл бұрын
テレビや動画などで、昨今よく使われている、「ごらん頂き」と言う言葉、私は凄く違和感を感じるのですが、いかがでしょうか? ご覧は尊敬語で視聴者様に対する言葉で、いただくは自分がへりくだった謙譲語、だと認識していました。 つまりご覧頂きと言う言葉の主は、相手であり、自分であってどちらが主になっているのかわからない。 本当は相手が主の場合は「ご覧くださり」か、自分の場合は「みていただき」かを使うのが本当ではないのでしょうか? もしよろしければ、教えていただければありがたいです。よろしくお願いいたします。。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
「みていただき」の「見る」も「教えていただければ」の「教える」も動作主は尊敬の対象ですよね。
@user-cv8tu5lj8y
@user-cv8tu5lj8y 8 ай бұрын
アンチら抜き言葉の方を多数見てきましたが、そこまで批判するなら音便を使うなと思ってしまいます。 私のこの考え方は過激でしょうか? また、ら抜き言葉が音便の一種として肩を並べることはできるのでしょうか?
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 8 ай бұрын
「アンチ」というのが「私にとっては気持ち悪い」という感覚の話ならそれは批判されるべきではないと思いますし、「日本語として誤りだから皆使ってはいけない」みたいな話ならそれは批判されるべきだと思います。 なお、下記AとBの2つのパターンのうち、音便はBのことですが、ら抜き言葉はこの動画で説明したようにAに当たりますので、ら抜き言葉は音便の一種とは言えないと思います。 A:「〜します」「〜させる」は「語幹+(i)mas-u」「語幹+(s)ase-ru」と捉えれば十分である 母音語幹  借りる→kari-mas-u / kari-sase-ru 子音語幹  走る→hasir-imasu/ hasir-ase-ru B:「〜した」「〜して」は、子音語幹に付く場合、面倒なことになる  走る hasir-u →走った hasiQ-ta  歩く aruk-u →歩いた arui-ta  休む yasum-u →休んだ yasuN-da
@user-cv8tu5lj8y
@user-cv8tu5lj8y 8 ай бұрын
私がら抜き言葉肯定派の人間なので少し偏っているかもしれませんが、後者の方が多いように感じます。 動画視聴前は理由①、理由②のことしか知らなかったのですが、たしかに理由③後半を考えれば音便の1種であるとは言えないですね。 大変理解が深まりました。ご回答ありがとうございます。
@freetgunner
@freetgunner 8 күн бұрын
だけど、抵抗があります。
@りんご-t6q
@りんご-t6q 12 күн бұрын
受身形と可能形は、できれば違っていた方がいい。
@NobuakiKamejima
@NobuakiKamejima 2 жыл бұрын
理由③後半が独自なのだが、サ変動詞も統一的に説明することはできないか・・。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 2 жыл бұрын
サ変動詞は、 可能以外→デキル 可能→デキル というふうに、補充法を使った役割分担が既にできちゃってますねえ。
@NobuakiKamejima
@NobuakiKamejima 2 жыл бұрын
@@Gengo_No_Heya 「せられる」から「される」への音節縮約と、五段(四段)動詞に、いわゆる可能動詞が派生した現象とを統一的に処理できないかと考えたが(時期はどちらも近世)、前段は現代では可能の意味でないですね。もう少し整理します。
@やき-t2p
@やき-t2p Жыл бұрын
誰の説だったか忘れましたが、上下一段活用(古文なら二段活用)の語幹を…rまで、とするという考え方もあったかも? で、子音の重複を避けるために未然形や連用形ではrが脱落している、と。 見る: 語幹=mir- 未然: mir-nai →r脱落→mi-nai 連用: mir-tari → 〃 →mi-tari そうすれば、可能動詞は五段活用動詞と同じで-eruを追加しただけ、となります。 同様に、受身などは-areruを追加した形、と。 但し、今ぱっと思いつくだけでも「未然形と連用形の語尾やそれらに接続する助動詞は全て子音から始まるか?」↔︎「それ以外の活用形では?」の検証ができていませんが… …もしかしたら「活用語尾」と「接続する助詞・助動詞」を混同しているのかも?
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
rで語幹が終わるとすると、子音語幹動詞(ラ行五段活用動詞)と区別がつかなくなっちゃうんですよね。やっぱり いる(居る)はi-ru いる(要る)はir-u というふうに見てあげた方が上手くいくと思います。
@stomachache_
@stomachache_ Жыл бұрын
とても分かりやすい動画でした! 私はこの分野について明るくないので恐縮なのですが、「理由③ 後半」において説明されている「子音連続の回避」には違和感を感じました。私は日本語の受身の助動詞については、恐らく非過去形に "areru" がついた形だと推測しています(一段: taberu→tabereru, 五段: hanasu→hanasareru)。何か動画内の説明に用いられた参考文献等をお教えいただければ幸いです。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
1年前の動画ですし、フォルダを見てみても論文PDFがあるわけもなかったので、具体的にこれを読んだとは申し上げられないのですが、母音/子音幹動詞の考え方で助動詞の接続を説明する方法を、何かしらのオープンアクセスの文献で読んだ記憶があります。 taberu→tabereru は、その前の文から察するに taberu→taberareru の間違いでしょうか。 仰るような説明をすると、どのような点で合理的(都合が良い)のでしょうか。areru をつけてtaberareru になるのであれば、taberuはtaber-uというふうに分析されるということなのでしょうが、他の方のコメントへの返信でも書いたように、それはちょっと綺麗ではないと思うのです。
@stomachache_
@stomachache_ Жыл бұрын
@@Gengo_No_Heya  ご返信ありがとうございます!  taberu→tabereruに関しては私のミスなのでこのコメントを書いたあとに訂正しておきます。ご指摘ありがとうございます!  また、私は当該コメントでは特に合理性の主張をした訳ではなく、あくまで「rareru」の起源に私の持論との違和感を感じたまでです。私も特に参考文献があってご意見させていただいた訳ではないのでお許しください!  ら抜き言葉の合理性の高さについては全くその通りだと思います。これからもご投稿頑張って下さい! 追記: コメントの編集機能が使えず訂正はできませんでした。
@steroidbody
@steroidbody Жыл бұрын
外国の日本語学習者ってよくこんなの勉強してるなあ。 気が狂うわ。
@虹色マストドン
@虹色マストドン Ай бұрын
文法違反に刑事罰がないのが乱れを生む原因 まあ教員や公務員が使えば厳しく叱責されて「口頭注意」の懲戒処分に相当するな 一般人は易きに流れるのが常だから堕落するのも早い 困ったもんだわ という極論は流石にないわな 言葉は時代とともに変化するからね
@utnapishtim0000
@utnapishtim0000 Жыл бұрын
言語変化を全般に肯定する人がいるけれど、最近は「~です」のことを「~になります」と言うのも「整ってきている」のですか?「娘は10歳になります」は「近く10歳になる」のですか「すでに10歳である」のですか? もともと曖昧さが多い日本語に殴、さらに区別がつかなくなるような、意味や表現の変化は、情報論的に言えばせっかくできた秩序(約束事)に基づく情報伝達を乱す以外の何物でもないでしょう。プログラム言語なら、勝手に表現を曖昧にしたら、まともに動きません。
@utnapishtim0000
@utnapishtim0000 Жыл бұрын
@@somethingyoulike9153 「続きを読む」をクリックすると全文が読めます。まあ、私は国語学の知識と問題意識がある教養人とやり取りしたいですが。例えば、「僕はウナギだ」は日本語としておかしいでしょ、と思う人とは対話が成立しません。
@rumich
@rumich 6 ай бұрын
プログラムって意外と曖昧にしても動くけどな。 そもそも会話言語はプログラミング言語じゃないので
@jurong5444
@jurong5444 2 жыл бұрын
助動詞「れる」「られる」とは関係ない。 それでは可能の時にだけ「ら」を抜く理由が説明できない。 「得る」をつけて可能動詞を作り、 母音の連続を避けるため、 前の母音を消すか、または子音を挿入したもの (荒磯:arAIso→arIso、春雨:harUAme→harUSAmeと同じ)。 話し得る hanasIEru→hanasEru 話せる しゃべり得る syaberIEru→syaberEru しゃべれる 飲み得る nomIEru→nomEru 飲める 食べ得る tabEEru→tabEREru 食べれる 行き得る ikIEru→ikEru 行ける 来得る kOEru→kOREru 来れる 聞き得る kikIEru→kikEru 聞ける 見得る mIEru→mIREru 見れる 起き得る okIEru→okIREru 起きれる 寝得る nEEru→nEREru 寝れる 思い得る omoIEru→omoEru 思える 考え得る kangaEEru→kangaEREru 考えれる 疑い得る utagaIEru→utagaEru 疑える 信じ得る sinjIEru→sinjIREru 信じれる 「ら抜き言葉」ではなく「r入り言葉」。 「ら抜き」は若者が横着して「ら」の発音をサボっているという印象操作のために どっかの学者が意図的に起源を捏造したプロパガンダ。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます。 ・「ら抜き言葉」という表現には何ら問題はない ・可能の時にだけ「ら」を抜く理由も説明できている ・可能動詞やいわゆる「ら抜き言葉」の起源については、仰る説が正しいとは限らない という3点から反論いたします。 ーーーーーーーーーーー 本動画で述べている内容や世間の「ら抜き言葉」という表現は、可能動詞の起源が何であるかに関わらず成立します。 まず、「食べれる」形を持たなかった変種がここ数十年の間でそれを認めるようになった、ということ自体は紛れもない事実です。 一部の方言に存在していた「食べれる」形の起源が何であれ、 これを持たなかった変種において「食べられる」が「食べれる」に変化しつつあるという事実を鑑みて、 この形態を「ら抜き言葉」と呼称することには何ら問題はないでしょう。 ーーーーーーーーーーー また、 >それでは可能の時にだけ「ら」を抜く理由が説明できない とのことですが、 本動画でも述べている通り、その点は「可能動詞をもつ五段動詞からの類推」の一言で説明ができます。 どうして五段動詞にのみ可能動詞が存在するのか、という点まで踏み込めば、仰るような「得る」起源説を持ち出すこともできます(次節参照)。 しかし、現代に起きている「ら抜き」現象を説明するには、「五段動詞からの類推」で十分です。 ーーーーーーーーーーー そのうえ、可能動詞の起源については、 ①文法化した「得る」が縮約した という説以外にも、 ②「四段未然+レル」が変化した という説や、 ③下二動詞「切るる>知るる」からの類推 という説が挙げられており、 貴殿の仰る①節のみが正しいとは断言できません。 また、「エル」の後接とそれに伴う子音の挿入によって「五段動詞の可能形」と「ら抜き言葉」の両方を説明しよう、という方法は、 そこまでたくさん例を挙げていただかずとも、 共時的な理論として私がこの動画の中で示しているものなのですが、ご覧になりましたか? 語幹の考え方は異なりますし、私の説明は共時的なものであって、動詞「得る」に由来するとする貴殿の説のような通時的なものではないという点も重要な差異ですが。 ーーーーーーーーーーー さらに、「食べれる」形は、遅くとも100年前には一部の方言に存在しています。 首都圏方言における「ら抜き言葉」は、五段動詞からの類推ばかりでなく、 こういった方言形の影響も受けながら近年成立しつつあるものだと考えられます。 したがって、「ら抜き言葉」の究極的な起源は A: 五段動詞(古くは四段動詞)のみがもつ可能形の起源 と B: 一部の方言に存在していた「食べれる」形の起源 の両方を突き止めることによって得られるわけです。 しかし、前節で述べたようにAについても諸説あるうえ、 Aについての説明がBにも当てはめられるという確証もありません。 Aについて、①説が正しく、それがBにも当てはまるのだという論拠・出典があれば、ご教示いただければと存じます。
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