「馬から落馬する」は本当に間違いなのか

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Күн бұрын

Пікірлер: 93
@chikusin2010
@chikusin2010 11 ай бұрын
冗長性って面白い言葉ですよね 冗長だと馬鹿にするのに 冗長性だと信頼性に近い
@satocha1238
@satocha1238 Жыл бұрын
「いにしえの昔の武士の侍が、馬から落ちて落馬して」のような書き方の表現を目にして読むと、頭の頭痛が 痛くなるような居心地の悪い違和感を感じますよね。わかりやすく平易でシンプルで単純な重複のダブリを避ける日本語の国語表現を心掛けたいと肝に銘じます。
@vincesatow1332
@vincesatow1332 Жыл бұрын
「いにしえの昔の武士の侍が・・・」は、“重複”の上に七五調でとても気が利いています!😊これは何か語り伝えられた決まり文句なのでしょうか。ご存じでしたらお教えください。
@booboo-ov3tj
@booboo-ov3tj Жыл бұрын
うまい!!
@renk1310
@renk1310 8 ай бұрын
ちなみに武士と侍は平安時代では区別されていたので、平安時代の人がこの文を見たら一個理解できないですね(?)
@ペンギンクミマヌ
@ペンギンクミマヌ Жыл бұрын
単語の切り離しやすさに感じました。違和感という単語を違和+感と分解できるかを調べたところ違和という単語が国語辞典にありました。となると違和を感じるという表現をするかというと聞いたことがないです。やっぱり慣習のようです。
@kinori220
@kinori220 10 ай бұрын
中国語•現代漢語では以下の言い方が慣用されております。 「感到違和」?? 違和を感じます/感じ付けます ?? 「有一種違和感」ある違和感が 有ります/します。 同じように、「感到違和感」(違和感を感じる)は間違っているのも言えませんが、やはり漢語ではかなりおかしいと感じられますよ。 語感的には、なぜ日本語が「違和を感じる」という言い方が欠けながら、中国語はあるという話しについて言うと、言語の仕組みが違うことから出た細やかなニュアンスの違いのせいだと思います。そもそも違和っていうのは、漢語の視点にすると単なる名詞ではなく、その意味は「和を違する(こと)」から取られているのです。つまり、和諧を違うことですね。 その故、「感到違和」というのを日本語の視点から精確にすると、「違和を感じる」ではなく、「和を違うことを感じる」或いは「違和することを感じる」というものです。違和の動詞性を強調すればその違和感も淡くなっていくのですね。 となると、違和感も和を違う感じだと認識されても良いです。「和を違う感じを感じる」というのはどうでしょうか?
@bui8903
@bui8903 Жыл бұрын
「今から授業を始める」は先生が生徒に注意喚起の意図があるため、あえて重複させ強調している口語表現。 なので慣例として馴染みがあると思いました。動画おもしろいです。
@unfriedrice7865
@unfriedrice7865 Жыл бұрын
英語の修辞を述べた所では全く納得ができました!自分は英語母語話者なので、それはすごくよく当たる要点だよなと思いました。英語ではずっともっと難しくもっとなんか感情の含めた言葉を選び繕い、少し複雑すぎて哲学的でもすぎる文を編む事が一般だとも思います。慣用句や抽象的な話は私がやたらと聞きます、ユーチューブの動画などでも。それに政治の場合はそんな言い方も尚増えますね。 動画うpありがとうございました!
@keytur3
@keytur3 10 ай бұрын
個人的には、「感」が2回続くのでややこしい、「馬」と「落馬」も馬を続けて思い描いてしまうのでツッコみたくなってしまうのかなと。(連想) 一方、「無知の知」は「不知の自覚」とも言われますが(解釈や翻訳はさておき)、「知」が続いているとはいえそれぞれの意味は異なり、いわば格言のようなもので、連続していることがむしろかっこいいというポジティブな印象を与えます。 あと、「犯罪を犯す」は(文脈にもよりますが)「犯罪」を「する」「やる」だと日常感というか、気楽さを感じてしまうので、敢えて「犯す」という強い表現を使うことがあるのかなと。(強調) 結局のところ「主観」に過ぎないと言えますが、個々の主観や認識がそのコミュニティにおいて多数かつ継続すれば「慣習」と言えますし、「文化」とも「歴史」とも言えるのかもしれません。 余談ですが、勘違いや略語、専門用語、2ちゃんなどのネタ、ネット用語などから言葉の変容を辿るのも面白いかなとふと思いました。
@user-tak666
@user-tak666 11 ай бұрын
こないだ手術入院したとき看護師さんが同室の人たち含めて「お通じ出ましたか?」って聞いてたのに違和感あったなぁ(汚い話ですみません) 「お通じ」ってブツが出てくることを指す言葉で「お通じがある」が正しいのでは…?しかし「お通じ出ましたか?」に対して「ありました」と答えるのも正しくはないのでは?というジレンマ
@Henry_Norman
@Henry_Norman Жыл бұрын
漢語には、非常に多くの重複がありますね。 例:重複、学習、言語、生活、家屋、土地、山岳、海洋、・・・・・
@user-tak666
@user-tak666 11 ай бұрын
樹木…
@renk1310
@renk1310 11 ай бұрын
12:22 これはQRコードでも使われてる考え方ですね。同じ情報を繰り返すことで3割くらい汚れなどでノイズが載っても冗長性のおかげで読み取れるんよねー
@Henry_Norman
@Henry_Norman 11 ай бұрын
DNAもそうですね。
@Browniejp
@Browniejp Жыл бұрын
私は「馬から落馬する」も特に違和感を感じないです。「落馬」はそれ自体が熟語ですし、「うま」と「ば」で発音も異なりますから。 例えば「あの馬から落馬した」「この馬から落馬した」のように、「馬」についてより詳細に述べている場合は、多くの人が許容するのではないかとも思います。
@GTA-wl4qo
@GTA-wl4qo 4 ай бұрын
「馬から落ちた」か「落馬した」のほうが綺麗な日本語です。 馬から落馬は「麺入りラーメン」みたいな感じで間抜けに聞こえます。
@ri1944
@ri1944 3 ай бұрын
​@@GTA-wl4qo テトリスか?
@いろはす-f2s
@いろはす-f2s Жыл бұрын
ウィトゲンシュタインの議論と似たような感じですかね。最初から言葉に意味があるのではなくて、特定のシチュエーションで特定の言葉を使用すること自体が言葉の意味である、みたいな。 こういう恣意性を持っているのにコミュニケーションが成立してるのって結構すごいことなのかもしれん…
@wajura.anna.
@wajura.anna. 7 ай бұрын
興味深く拝見しました。 おっしゃる通り、慣習なんですよね。 私は、書籍の校正をやっていますが、 プロであればあるほど、例に出されたような表現に対して、赤字で直す指示を出すことはないと思います。 ただ、鉛筆での確認は入れるはずです。 しかし、その際にも、主観で書き入れることは少ないような。 語感辞典や、てにをは辞典、字通、などのコピーなどをつけて、 現在の慣用としては〇ですが、どうしますか?というやり方かと思います。 以上、若い頃、さんざん失敗して、周りの先輩のやり方を盗め、と言われてきた年寄りの、たわごとでした。
@acernec80
@acernec80 Жыл бұрын
自然言語らしい結論でスッキリしました笑
@6号-l8r
@6号-l8r 10 ай бұрын
「残酷で残酷な(cruel cruel?)」表現、日本語でいうと「男の中の男」みたいな感じでしょうか 同じ字を繰り返す英語表現として「literally literally」を思い出しました literallyは「ガチで」の意味で用いられすぎて本来の意味(文字通りに)が食われてしまい 「文字通りに」と言うためには「literally literally(ガチで文字通りに)」と二重に言わなければならないとか
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 10 ай бұрын
全く同じ語を繰り返すという話ではなく、意味が同じ(と言って差し支えないような)2つの語を並べるという話です。
@seimeiabeno
@seimeiabeno Жыл бұрын
一昔前の英文の契約書には、やたらとact and deed とか、同じ意味のラテン語起源のことばと中世英語起源の言葉を重ねる習慣がありましたね。誰もが間違えずに理解しなければいけない契約書だから、そのようになったと言われています。最近はむしろシンプルにしてわかりやすくという方向に変わりつつあります。ユネスコの公文書では、やたらinter aliaなどと言うラテン語の言い回しを英文にまぜたりしていますが、あれは権威主義ですかね?
@unfriedrice7865
@unfriedrice7865 Жыл бұрын
英語は実はラテン語が殆どだけあって、毎日ラテン表現を使う人も少なくないかもしれません。弁護士たちの仕事では常に使いますし、英語圏の法律体系だとラテン語はさらに一般でよね。ですからユネスコなどの場合はラテン語を使っても不自然ではないような気がしますが、果たしてどうでしょうかな…一般人がわからない場合もありますね。
@seimeiabeno
@seimeiabeno Жыл бұрын
@@unfriedrice7865 ユネスコは国連公用語のすべてで文書を作成します。フランス語やスペイン語の場合はもっとラテン語的表現が多いかもしれません。中国語やアラビア語では無理ですね。私がパリのユネスコで働いていた時に読んだ文書では、inter aliaという表現だけで、それ以外のラテン語表現を英文の中に見たことはありません。ちなみに、フランスの高校では、我々が漢文や古文を習うようにラテン語を習うようです。だから当然私よりフランス人はラテン語をよく理解していると思い込んでいました。グランゼコールとの英文覚書書を作成したことがあるのですが、その中にex officio という表現をいれたら、フランス人の工学系の教授は理解できなかったようで、質問されてしまいました。説明したところ、「公文書をつくるときはラテン語もわからないといけないのですね」と苦笑いしておりました。
@ao375
@ao375 Жыл бұрын
ボード形式もライブ感(?)があっていいですね。 重複は間違いとは言えないとはいえ、英語で長文を書くときも、同じ単語を何度も使うような場合には表現の言い換えを推奨されることがあります。繰り返しを避ける心理のようなものがあるのかなという気もしますが、これはまた別の話なのかな。
@TM-rq8id
@TM-rq8id Жыл бұрын
「授業」でちょっと思いついたことですが、 「授業を受ける」も経済性からだけ考えれば、「受業をする」でよさそうですね。 でも、実際そんな言い方/書き方はしない以上、 やはり言語には経済性のみでは評価できない側面があるのでしょうね。
@術中hack
@術中hack 9 ай бұрын
18:18 同じ語を2回重ねる、は漢語に見られる、というコメントがありましたが、四字熟語にも具体的がありました。無色透明、木端微塵、不撓不屈…
@せーぎ-x5r
@せーぎ-x5r 9 ай бұрын
いや〜、面白かった! やっぱり声がステキですね。長く聴いていられます。 動画の趣旨とはズレるとは思いますが、大学の頃、教授が板書をしている時に「国」という字を「口」と書いていて、「この『口』は『国』のことだからな!」とゴリ押しをしていたんですけど、これも「経済性」でしょうか?
@阿蛭栄一
@阿蛭栄一 Жыл бұрын
「今から授業を始める」は「明日から授業を始める」みたいな言い方もできるので「今から」を強調するために重複していたとしても許容されるけど「落馬」は「馬」以外には使用できないので重複が許容されないのでしょうねえ。だから、私は単なる主観だけでは無いのではないかと思いました。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
「今」にせよ「明日」にせよ、重複があるのは「から」と「始める」との間なので、仰ったご説明はちょっと違うんじゃないかと思います。「今から授業を始める」が重複なら、「明日から授業を始める」も重複です。 その部分についてのご説明が妥当だとしても、「だから単なる主観だけではない」のではなくて、「だから云々という主観的な判断が生まれる」というものだと思います。 なお、「こういうパターンは許容されやすい」みたいな傾向が客観的に認められることは否定しておらず、この動画で言いたかったのは、「言葉の正しさは客観的な基準で断定できるものではない」ということです。
@阿蛭栄一
@阿蛭栄一 Жыл бұрын
@@Gengo_No_Heya 返信ありがとうございます。もう一度動画を見返してみます。
@aoki_ch
@aoki_ch Жыл бұрын
犯罪を犯すとかも違和感がないですね。主観ですけど犯罪っていう言葉を発する時に漢字までいちいち想像しないので、問題ないのかなあと思います。文字で見るから人によっては違和感があるんだと考えます
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
そうですね、私も違和感ないです
@3t.13
@3t.13 2 ай бұрын
それこそ完全に主観の話なのですが、「①今から授業を始める」と「②今授業を始める」、「③今から授業をする」はわたしの場合それぞれニュアンスが違って聞こえます(①は単なる挨拶、②は先生の都合で遅れたとき、③は生徒達の都合で遅れたとき)。   でも、文法的に意味は同じなのですからこの感覚的な違いに合理的な説明はできないし、この感覚を共有できる人が他にいるのかどうかも自信がありません。だから、幸いこの感覚が「正しい」と主張しようとは思えません。   きっと、言葉っていうのはこんな風に感覚的に使い分けている部分がほとんどで、それを変だと思ったり思われたりするだけのことであって、「正しい」とか「誤ってる」とか争うためにあるわけではないんだろうと思います。 とくに、うまく理屈で説明できそうなときなんかは、本当にその理屈に合致してるのか、たまたま理屈に合致しただけじゃないか、そもそもその理屈自体が正しいのかと疑って、安易に「正しさ」を主張してしまわないようにしようと改めて思いました。
@SWORD_219
@SWORD_219 Жыл бұрын
言語とは主観的な事が主体であり、間違いではなく違和感を覚えるかどうか…勉強になります。まあ客観を語る"主観者"が蔓延る昨今なので、"主観者"への投げ掛けとして意識します
@SWORD_219
@SWORD_219 Жыл бұрын
この話題で考えてる事として、動画の内容以外に情報量や日本語のリズム感の観点からこの問いを議論する事はできますかね? まず情報量について、成句内で限定すべき上位概念をそのまま代入しているから起きる齟齬だと感じました。ここで言う馬とはウマ科に該当する1頭を指す語であり、サラブレッドやポニーなど品種を絞る情報がありません。「馬から落馬する」「車に乗車する」などより「ポニーから落馬する」「ベンツに乗車する」など伝える内容が絞られて重複部分が無くなれば誰も違和感を抱かなそうですし、伝える情報も鮮明化できると考えます。 また日本語のリズム感について、四倍数のモーラ(1拍休符を含む)を心地良く感じる音声言語だからだという仮説を提案します。「今から授業を始める」(4,4,4)と「今授業を始める」(2,4,4)•「今から授業をする」(4,4,2)だと、四倍数のモーラを好む仮定から「今から授業を始める」が常用されやすいのではないでしょうか。また敬体でも「今から授業を始めます」(4,4,5)と「今授業を始めます」(2,4,5)•「今から授業をします」(4,4,3)ならば「今から授業を始めます」か「今から授業をします」が使われると思います。勿論助詞や長音を用いて「今から授業をしますよ」(4,4,4)•「今から授業をしまーす」(4,4,4)で調節されますし一考して頂きたく思います。 以上2項目が動画で述べられている要素に加えられて、総合的に判断された使いやすい文が選択されてると考えています。 長文失礼しました。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
そうですね、「彼はあの馬から落馬した」と、指示詞を付けるだけでも意味の限定ができ、「彼は馬から落馬した」の場合よりも許容度が高くなりそうです(これは既に私の頭の中にあったことなので、話せばよかったですね)。 4倍数モーラの話も、確かに一つの側面としてありそうですね。ここで登場するとは、その発想はありませんでした。ありがとうございます。
@qqq-te4do
@qqq-te4do Жыл бұрын
慣習になる表現と、そうでない表現にはどうして分岐するのかを考えると、冗長性になんらかの機能なり、話者同士で共有できる動機なりがあるかどうかなんでしょうね。強調したいとかいろいろ。画数の多い漢字にも、このほうが美しいとかカッコイイという使用の動機がありえるでしょう。私自身は知識として「馬から落馬する」はダメとされる表現と知っていますが、最初に「これはダメだよ」と聞くまで、たいして変だとも思っていませんでした。このほうがリズムがあるような気さえしていました(もともとは大して変と思わないから、間違う人がいるのでしょうし)。今となっては気持ち悪いですけど。間違いかどうかやたら気にするのは、「人様に間違いだと言われたくない」「人前で変なことを言うと恥ずかしい」「変なことを言ってる人を直してあげないといけない」からというのが大きいように思います。言葉そのものより結構社会的な感情や行動で、そうだとすると、冗長性を正当化できるかどうかを考える上で、ある表現の冗長性に人と共有できる機能性や妥当性、説得力などがあるかどうかは重要かなと思いました。
@ichikino8590
@ichikino8590 9 ай бұрын
例としてお挙げになられた、違和感を感じる、日本食を食べる、このようなケースで、もし「重複表現か?」を迷った方は、簡単に判断できる方法がある。それは【「○○を△△」の「○○」が「△△」に限定された言葉か?】を考えると宜しい。違和感には「感じる」だけではなく「生み出す」なども付けられる。「日本食」も「食べる」だけでなく「作る」などが付けられる。だから、重複表現ではない。一方「落馬」は「馬から、落ちる」以外の意味を持たない(その意味に限定されている)から「馬から落馬する」は重複。 「今から授業を始める」は大変面白い例で、たしかに重複とも思えるが、『なぜ、そう言いたくなるのか?』から紐解ける。これは、話し手が、授業をすることに自信や確信がないからなんです。話し手にすると「授業を行う」と「授業を始める」は別の目標で、例えば、ベルが鳴ってもいつも煩いクラスの場合、授業をすること以前に、それを(速やかに)始められるかも問題で、そのため、話し手(先生)は「まずは、生徒を授業を始める態勢にさせて、その後、授業を行う」という心理なんで、「始める」という意味の「(今)から」は、「授業を始める(態勢にさせる)」と「授業を行う」両方に掛けてるんです。
@katsudonnogame
@katsudonnogame 2 ай бұрын
ごめんなさい、最初のチャプター見てすぐ③の結論チャプターまで飛ばしたんですが、結局「スキーマ」の話ってことでいいんでしょうか
@sdgrebjt8598
@sdgrebjt8598 8 ай бұрын
奇を衒うの「衒う」の目的語って基本的に奇しかなく、 なんの衒いもなく、みたいに、衒う単独で奇を衒うみたいな意味があるから 落馬するも、馬っていう目的語?しかとらない動詞でしかないって思うかな
@ヴィル-c1o
@ヴィル-c1o 4 ай бұрын
今から授業を始める の今が 8時に変わった場合、 8時から授業を始める 8時から授業をする は同じ意味として使えるけど、 今、授業を始める の代わりに8時を入れようとすると、例えば 8時“に”授業を始める と何らかの助詞が必要となる。 この条件文が必要となる分岐をなくすために、“から”の冗長性を許容している、と言う解釈はあり得ますでしょうか。
@kenjih1408
@kenjih1408 6 ай бұрын
違和感を辞書で引いてみると「しっくりしない感じ」  言葉の意味に「感じる」は含まれてませんが、「感じ」までは入ってますね。 かなりグレー? 「違和感を感じる」⇒「違和感がある」としても同じ意味(しっくりしない感じがする)です。 重複の定義がないと結論は出ませんが、個人的には重複って気がするかな。 (ただし仮に「違和感を覚える」と規範的?な表現に直しても、重複であることに変わりはない)
@KiyoshiHiHiHi
@KiyoshiHiHiHi 2 ай бұрын
何年か前に「ファーブル昆虫記」の新訳が出て、とても期待を持って購入したのですが「私達の人数は4人か5人だった」とあって「馬から落馬する」に近い気持ち悪さを感じました。変だとは感じないものですかね?昔の訳では「私達は4人か5人だった」。他にもまどろっこしい表現がつづいて結局読み進めることは出来ませんでした。
@LocoMocoDoon
@LocoMocoDoon 11 ай бұрын
『違和感を感じる』が重複ではない理由に納得しました でも、やっぱり変な感じがするので『違和感を覚える・違和感がある』と表現しますね 関連して、『全然美味しい』という表現をたまにする人がいますが、間違いじゃないんだろうけど気持ち悪い感じがします。『全然大丈夫』はそんなことはないのに
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 11 ай бұрын
「全然美味しい」は気持ち悪いが「全然大丈夫」は気持ち悪くないというの、「全然」を「完全に」に置き換えられるかどうか、で説明がつきそうな気がします。
@Sugiura_Kenji
@Sugiura_Kenji 11 ай бұрын
経済性と冗長性の話。日付を表現するのに、「◯月▢日△曜日」と曜日まで書くのは冗長ですが、「次回の会合は…」なら、曜日付きの冗長な表現を使い、過去のことを書くときは曜日は書かないような。つまり、これからのことだと、間違う可能性を減らすために曜日付きの冗長な表現を使い、もう済んだことの日付はもう重要ではないので冗長性は要らない、そういう使い分けが在るのかな。
@Sugiura_Kenji
@Sugiura_Kenji 11 ай бұрын
冗長性、電気通信用語で云う parity bit かな 枕詞は preamble かな (冗長性 イコール 無駄、ではなく、冗長性にもちゃんとした意味がある という話)
@早川眠人
@早川眠人 10 ай бұрын
​​​​@@Sugiura_Kenji parity bitと言うよりも包含する概念としてのredundancy checkですね。check-sumを用いることもCRCを用いることもありますからね。 interframe gapを何と訳そうか。
@atticus4649
@atticus4649 Жыл бұрын
「頭痛が痛い」なんかは大多数が不自然と感じる例の最たるものでしょうね。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
「頭痛が痛い」、重複以前のところに気持ち悪さを感じるんですけど、うまく説明できないんですよね。 でも、「朝から頭痛がするんだけど、その頭痛がめっちゃ痛くてさ」のような文は(少なくとも私の想定する口語では)可能なわけで、適切な文脈を与えさえすれば「頭痛が痛い」が言える場合もあると思うんですよね。
@SWORD_219
@SWORD_219 Жыл бұрын
「頭痛で痛い」なら違和感が無いんですがね… 助詞「が」を伴って恰も主語のように振る舞っていることが違和感の元なのでしょうか。「頭痛が痛ませる」だと訳語調だし「私を」を入れないと不自然に思える
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
でも「口内炎が痛い」って言えません?(私はよく言います) それと同じ感じで言えるような気がするんですよねー(類例がパッと出てこない)
@aoki_ch
@aoki_ch Жыл бұрын
@@Gengo_No_Heya横から失礼いたします。確かに「口内炎が痛い」はよく言いますね。意味的には「口内炎が原因で痛い」とか「口内炎になっている個所が痛い」とかになるのかなと思います
@Cオロナイン
@Cオロナイン Жыл бұрын
昔、よく冗談で「骨折が折れた」とか言ってたな
@Yev-x7u
@Yev-x7u Ай бұрын
レミゼ:I dreamed a dream🎵 ???:重複はダメですよ😅
@renk1310
@renk1310 11 ай бұрын
よく「違和感を感じる」じゃなくて「違和感を覚える」が正しいって学校の先生とかアナウンサーとか言うけど、この時の「覚える」は「感じる」って意味で辞書にも載ってるからね。自分から言葉について深く考えてませんって言ってるようなものなんよなぁ
@堀坂文雄
@堀坂文雄 11 ай бұрын
私も 違和感を覚える と云う表現をします。
@denhide4626
@denhide4626 8 ай бұрын
native German は、Was ist dein Name? とは言わずに、Wie heißt du? と問う。中国語も同じ発想だったと記憶しています。日本式の指名確認法は世界的に見て少数派なのでしょうか?
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 8 ай бұрын
フランス語も、直接的に「名前は何ですか」とは問わない(名前に関する動詞を使う)方式が主流ですね。 日本語的に「名前は何ですか」と聞くやり方は、私が知ってる言語だと英語、韓国語、アラビア語、アイルランド語でできるので、少数派ということはないと思います。どちらが多数派かは分かりませんが。
@denhide4626
@denhide4626 8 ай бұрын
ご返答ありがとうございます。 日本語でも「〜と申します」という言い方もありますから、何が主流かは分かりづらいですね。
@柏村達哉
@柏村達哉 9 ай бұрын
「今から授業を始める」と言う場合、「~から」と「始める」が同じことを表しているにしても、別の表現を使っているので一見すると重複しているように感じられないのだと思います。一方、「馬から落馬する」と言う場合、「落馬する」という表現だけで「馬」という要素が含まれているのにわざわざもう一度「馬」と言うのか、と感じる人が多いのかもしれません。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 9 ай бұрын
そういう話をしています
@黒ワカメ
@黒ワカメ 9 ай бұрын
残酷で残酷。。。の話 妬み 嫉み も 同じような意味の重複でしょうか?
@Cオロナイン
@Cオロナイン Жыл бұрын
同じ意味の形容詞を重ねることはないですが、延伸、停止、収納、柔軟、創造、創作、表現、変換、返還、など似た意味の漢字を繋げた熟語がありますが、この辺は中国語由来によるところもあるかも知れませんが、これらも冗長の感覚から出来た単語なのでしょうか?若干この「冗長」も近い気がしますけど。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
そう言えると思います
@ugffcllt5173
@ugffcllt5173 Жыл бұрын
日常では気にしないけど、文章にする時は「違和感を覚える」にするかな。
@tier1flyer680
@tier1flyer680 11 ай бұрын
フランスに渡米する に比べたら大したことない
@dean5595
@dean5595 3 ай бұрын
23:11
@Tom.-H
@Tom.-H 11 ай бұрын
この動画の本筋からは逸れるかもしれませんが、「防〇対策」って言葉も私は違和感を覚えますね。 例えば「少子化対策」は少子化への対策、なのに対して「防寒対策」は防寒の対策、みたいに熟語の修飾が異なるので、一貫性が無いと感じます。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 11 ай бұрын
分かります。防犯対策はむしろ犯罪者がすることだろう、と思います。
@komentosenyouakaunt-e5b
@komentosenyouakaunt-e5b 11 ай бұрын
へぇ〜……。 え、一番最初という言葉も 重複表現であり、間違いとの事です。 その理屈自体は、ン分かります。 んが! 言い換えとして。 一番初め、という言葉がありますが。 これは、重複表現ではないのでしょうか。 え、初めの意味を調べますと。 最初のころ、順序のいちばん先、序列の第一。 これらの意味が、書かれておりました。 これらは、最初という言葉にも 当てはまるのではないのでしょうか。 一番〇〇に於ける"初め"と"最初"は、 どちらも同じ意味合いで、使われてそうですが。 もしそうなら、どちらも重複表現なのでは。 さいしょから・はじめから。 この二つにも、言える事ですが。 (同じ意味合いという事です) 一番でない最初は、ありますか? 二番最初や三番最初は、どう思いますか? そして。 一番でない初めは、ありますか? 二番初めや三番初めは、どう思いますか? 私は、疑問と蟠りを覚えました。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 11 ай бұрын
「重複表現であり、間違いとのこと」←重複であっても間違いとは言えない、というのがこの動画の趣旨です。「一番はじめ」も重複表現だと思いますが間違いだとは思いません。
@komentosenyouakaunt-e5b
@komentosenyouakaunt-e5b 10 ай бұрын
​@@Gengo_No_Heya そうでした。 趣旨から外れ、申し訳ありません。 ネットにて、"一番最初"は間違いで、 言い換えとして"いちばんはじめ(一番初め)"が お勧めされておりましたので。 なぜ?と思いつつ。 つい、趣旨の外れたコメを。 どうぞ、お許し下さい。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 10 ай бұрын
いえいえ。最初の最は「一番」の意味である、ということに基づく判断なのだろうと思います。代替案に含まれる「はじめ」にも「一番」の意味は内包されているように思いますが、「この単語(あるいは文字)とこの単語(あるいは文字)は同じ意味です」という関係にあるわけではないので、重複だと認識しづらいのでしょう。 実際には明確に重複とそうでないものの境界線が存在するわけではなく、重複だと認識しやすいものとのそうでないもののグラデーションがあるところに、その人はそこ(一番最初は重複だが一番はじめは重複ではない)にラインを引いた、ということですね。
@偽アンミカ
@偽アンミカ Жыл бұрын
日本食を食するはおもろいかもwww食べるで良くねっておもっちゃう 今からのほうは、〜からが名詞とか動詞じゃないから、違和感無いんやと思いますよ まず最初に、ってまずと最初で被るけど副詞?やから重複でいいと思います。 席に着席するとかも音がっていうより品詞じゃないですか
@平林修二-s3f
@平林修二-s3f 9 ай бұрын
ナーンか誑かされたような気がする〜😅
@満広藤井
@満広藤井 Жыл бұрын
『今から授業を始める』は重複して強調しているのでしょう。『馬から落馬する』は『馬から落下する』『馬から落ちる』で置き換えが可能である。『違和感を感じる』は『違和感がする』では微意が伝わらない。『違和を感じる』も落ち着きがない。違和感の名詞と感じるの動詞が共に代替が不可能な例である。故に重複というのは言えないのではないか。
@sabak7390
@sabak7390 Жыл бұрын
係り結びの表現は冗長性の例になると思いますが、全然~ない、のように、全然~ある、が後から許容されてしまうと冗長性を失いますね。 ◯◯感を感じる、に対しては◯◯感を覚える、という汎用的な句を敢えて用いないことに国語力の低さを感じるような気がします。 また、達成感を得る、罪悪感を抱く、のように更に相応しい表現がある場合は、そちらを用いるほうが良いと思いますが。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
その「相応しい」も、慣習と主観に基づくものですね。
@sabak7390
@sabak7390 Жыл бұрын
@@Gengo_No_Heya この場合は慣習というより、もっと鋭くピンポイントに表現できているのだと思います。 覚える、は汎用性はあっても思考や感情を正確に言い表せていない場合があるので。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
ちなみに1つ目のコメントにもう一つ反応をしておくと 「全然〜ない、のように、全然〜ある、が後から許容されてしまうと」とありますが、「全然」は、かつてから「完全に」と同様の用法で使われていたもので、「全然〜ある」は、少なくとも、最近になって現れたものではありません。 なお、「これ美味しくない」と「これ全然美味しくない」では「美味しくない」の程度が異なるため、(「今から始める」と同様の意味で)冗長性を持っているとは言えないと思います。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya Жыл бұрын
仰りたいことから察するに、「覚える」ではなく「感じる」ですか?
@alcor_and_mizar
@alcor_and_mizar 3 ай бұрын
別に誤用だと論うことはしませんが、「違和感を感じる」を使う人をスマートとは思いません。逆にこれでしか表現できないことがあったら感動するでしょう。 「馬から落馬する」も意味の取り違えはないため、誤用だとは思いません。しかしながら、この表現が使われる大多数で過度な冗長になるため、嫌われているのだと思われます。私も使いたくはありせん。 「その文章を構成する表現として適切ではない」ことと「誤用」が異なることに重きを置いて説明すれば、コメ欄の誤解は防げたのかなと思います。 言うならば今回の動画は、「誤用」という言葉の使い方を誤っているという話ではないでしょうか?
@LandMark291
@LandMark291 11 ай бұрын
昔は「違和感を覚える 」と、言うのが普通だったよな。
@GTA-wl4qo
@GTA-wl4qo 4 ай бұрын
「馬から落馬」は誤りだと思います。 「麺入りラーメン」「米入りチャーハン」みたいなのと同じで間抜けな日本語。
@Gengo_No_Heya
@Gengo_No_Heya 4 ай бұрын
間抜けなのと誤りなのは話が違います
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