【八甲田山 雪中行軍 遭難事故】 地形図から解説

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日曜アカデミー

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Күн бұрын

210名中199名が死亡するという、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故。
動画では紹介しきれなかった情報をホームページ、X(Twitter)で上げています。
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Пікірлер: 889
@tekutekuy1571
@tekutekuy1571 9 ай бұрын
弘前隊が、八甲田山を含む11泊12日行軍成功してんのがすごすぎ、、と思ったら地元民見捨てててあまりにひどいな
@sfwebinfo
@sfwebinfo 3 ай бұрын
全て伝聞! 真実はわかりません
@タクラマカン砂漠の謎
@タクラマカン砂漠の謎 2 ай бұрын
悪評立った時点でアカンよ… そもそもこの時代、根拠なく地元民が軍を悪く言う道理が無い
@apskank2082
@apskank2082 Ай бұрын
軍に対して案内者の治療費を請求する文書が残っているそうなので事実だと思います。 治療費は支払っていないようです。
@kyky766
@kyky766 Жыл бұрын
八甲田山は標高1,500mを超える山だけど、遭難した地点は標高700m。田茂木野の村から距離6km、たった標高300m登っただけのところ。荒れた冬山がいかに厳しいか感じる。
@近藤ゴマシオ
@近藤ゴマシオ 9 ай бұрын
ほんと、行くたび、通るたびになんで?と思います😊こんな心休まる所で、…しかし冬には地獄…興味ある方は冬以外の季節にどうぞおたずねください。
@ランランレイマチュピチュン
@ランランレイマチュピチュン 4 ай бұрын
荒れた山よりも怖いのは、私の経験ではホワイトアウト😢自分をコントロールするのが困難、パニックになるのだ‼️1㍍先が見えない。
@石井顕勇
@石井顕勇 Жыл бұрын
この事件が起きた明治34年(1902年)当時、八甲田山周辺の5万分の1地形図はまだ作られていませんでした。青森第5連隊が持っていた地図は簡易測量で作られた25万分の1地図だったとも、もっと簡易な案内図だったともいわれます。つまり、日本史上最低気温を記録した日でなくても、大吹雪でなくても進路や地形を見失い遭難した可能性が大です。また、この数年前に新潟県新発田の連隊が新発田〜会津の数日間にわたる雪中行軍を成功させていますが、その時の成果(食料を凍らせない方法など)を参考にした形跡もありません。幹部たちの準備不足が招いた人災です。
@kkkdd-yh4kp
@kkkdd-yh4kp Жыл бұрын
これも旧日本軍の強い精神があれば難局を乗り越えられるかな?
@ゆっ-f5v
@ゆっ-f5v Жыл бұрын
​@@kkkdd-yh4kp 気合いがあれば遭難しません(洗脳済み)
@明るい人生
@明るい人生 Жыл бұрын
あの辺って豪雪のイメージだし地図があっても地形変りそうだし、素人に毛が生えた程度の知識じゃ地図があっても迷いそう。 なお、素人から毛が抜け落ちた自分は雪降ってなくても迷います
@AmI-s2w
@AmI-s2w Жыл бұрын
人体実験じゃないのかね 八甲田山の犠牲者の検死やら研究の成果がロシアとの戦争の際かなり役立ったみたいだし
@糖質退治ボランティア
@糖質退治ボランティア Жыл бұрын
なにせ、誰も田代新湯に行ったことがなかったというのだからあきれるばかり。
@73moto
@73moto Жыл бұрын
八甲田山行軍で生き残りの10名の内五体満足は倉石大尉等の将校のみで下士官兵の生き残りは凍傷により手足切断だった。将校が凍傷を防いだのは将校の被服は自費購入で下士官兵の官給品に比べたら品質が良く、倉石大尉は当時は珍しいゴム長靴を着用していた。
@武井希-x5y
@武井希-x5y Ай бұрын
倉石氏だけでなく他数名も五体満足です。だから彼らは日露に出兵出来ました。
@mecom3450
@mecom3450 Жыл бұрын
1902年の事件を大きくした責任者は山口少佐ではなく動画に出てこない津川謙光中佐である。 映画では津山中佐として小林桂樹が演じた。 事件の責任が隠蔽されたことも起因し、この事故で生き残った隊員も三年後の1905年日露戦争、黒溝台会戦で全滅した。 以下の書籍に詳しい。 伊藤 薫著『八甲田山 消された真実 』『生かされなかった八甲田山の悲劇』 youtubeにそれぞれ出版記念トークショーがある。
@mc-zs5uk
@mc-zs5uk 22 сағат бұрын
あれ、たしか五聯隊の伊藤中尉は対露戦役を生きて還ったと思いましたが?
@ウスイはな
@ウスイはな Жыл бұрын
結局自分のプライドが現地の方の案内も断り 大勢の部下を死なせてしまったということですよね。 酷すぎる。
@ブス-d8i
@ブス-d8i Жыл бұрын
これに付き合わされた地元住民が可哀想過ぎる。。
@チンチコ
@チンチコ Жыл бұрын
映画では健さんの隊をかなり美化してたんですね。
@tabikumo
@tabikumo Жыл бұрын
上空から見渡すと大したことないように見えるけど実際に雪山歩くと100mが途方もなく遠いんだよな
@tur7321
@tur7321 Жыл бұрын
雪中行軍😠無能
@liveandletdie5026
@liveandletdie5026 Жыл бұрын
事実に基づき作成されてますね。 弘前隊の事実等、
@まっこる
@まっこる Жыл бұрын
地形図で説明してくださったのは判り易くて有難い。 鳴沢付近で迷って絶望した神成大尉が「天は我々は軍隊の資料のために死ねというのが天の命令である!」というようなことを言って「みんなもう死のう」と声かけたというのは生き残りの小原伍長の証言で、それでみんな士気阻喪してバタバタと倒れて死んだということ。 その証言の録音テープが残っています。 ただそれでも定かではないという説が多数派なのは何でだろうと思いますが。 この動画で足りないのは当時の八甲田山には草木がほとんど無いはげ山で、目印が馬立場とか大まかにしか無かった。 それで吹雪が治まった時にそこを目指すのだが、直ぐに吹雪いて見えなくなり迷うの繰り返し。 賽の河原とか吹きっ放しだったそうで、この行軍の前にここで慣れた住民が大量死している。 弘前隊が住民を酷使して酷い扱いをした話は知らなかったので、時代が時代とはいえこれは酷すぎると思いました。
@admiraltoel
@admiraltoel Жыл бұрын
本当によくできた動画だ。すばらしい。
@mkd3535
@mkd3535 Жыл бұрын
本当にわかりやすい! ありがとうございます。 m(_ _)m
@高橋玲-m5v
@高橋玲-m5v Жыл бұрын
「中止しようとしたが部下たちの反対にあった」みたいなこと書いてあって闇を感じざるを得ない
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke Жыл бұрын
地元の方の助言、言い伝えがいかに重要か。。。
@specialconcorde
@specialconcorde Жыл бұрын
良いようにこき使われて置き去りは無いな。
@隼膺飛膺
@隼膺飛膺 Жыл бұрын
凍傷で、頬に穴が開いたり足が曲がったりして、その後の生活に支障をきたしたが、福島大尉に脅されたことにより誰にも話せず、聞かれても話せず。 ほとんどの案内人は死亡。 後年生き残りがそろそろいいだろうと話した内容が今に伝わる。
@jsgdoo69
@jsgdoo69 Жыл бұрын
映画では描かれなかった真実がこの動画にはあったね。 酷えもんだわ
@満喜藤川
@満喜藤川 Жыл бұрын
言葉の使い方に納得出来無い!こき使われたの表現は何を参考に言って居るのか?八甲田山死の彷徨でも其の様な表現はして無いけど其の時代の軍隊だから命令調な言葉はあってるが案内人に対して頭中の捧げ銃で!
@20110521a
@20110521a Жыл бұрын
東北の津波の時も言い伝え無視していたもんな
@AmI-s2w
@AmI-s2w Жыл бұрын
八甲田山動画でこれが一番無駄がなくわかりやすくて好きです 弘前隊が貧しい村民にもてなしさせ、案内人を酷使し廃人にしたこと、その後国からの補償もなかったことを知った時は時代が時代とはいえ「雪中行軍大成功!」と喜ぶ気持ちにはなれなかった。 とはいえ隊員が犠牲にならなかったことを考えるとその時その時で正義の形はこうも違うのかと胸が痛む。
@hirokage9427
@hirokage9427 Жыл бұрын
映画で良いイメージのある弘前隊のマイナス点もちゃんと報告してるのに好意が持てます
@菅野智之-b8d
@菅野智之-b8d 9 ай бұрын
こんな場所ならロシアに取られてもいいよね。
@90r82
@90r82 Жыл бұрын
天災ではなく人災なんだよなあ
@mc-zs5uk
@mc-zs5uk 22 сағат бұрын
いや、両方だと個人的には思ってます。 五聯隊が遭難したのは、旭川で日本の最低気温が記録された、一番酷かった時期。 三十一聯隊が八甲田を通過したのはその後で、厳しいには違いないが最悪の時期は過ぎていたと思われます。 装備経験を積んだ三十一聯隊でも最悪期に八甲田に入っていたら分からなかった、と思いますよ。 五聯隊の装備準備が稚拙だったのは確かですが、それでも生存者が居たことを考えると、です。
@ori6903
@ori6903 Жыл бұрын
山の神の日というのは、日本の地形や気候の特徴から生活している人々が定めた日。 明治からの西洋崇拝による、日本の文化軽視なので、当然の結果ですね。 根性とかで乗り越えられるほど人は無敵ではなないてすよ。
@dana6645
@dana6645 Жыл бұрын
救助隊の案内人たちがかわいそうすぎる…
@Pino-w2f
@Pino-w2f 7 ай бұрын
映画ではそこの所は 描いて無かったです。 都合が悪いと消してしまう映画、だから良く解らなかった。
@武井希-x5y
@武井希-x5y Ай бұрын
救助隊の案内人ではなく 弘前隊を導いたにも関わらず福島大尉に置き去りにされた案内人の村人。
@LaLaJun
@LaLaJun Жыл бұрын
3:48 ドキュメンタリーなどでは兵が行軍続行を強く希望したことが戻らなかった理由になっているけど、これは責任を兵に押し付けてるだけだろ。重要な判断は上官が行う事であって、兵が口を挟む事ではないから。
@小島雄志-i6d
@小島雄志-i6d Жыл бұрын
那須岳の雪崩遭難も生徒がもっと上に行きたいと言ったとか。 おそらくその生徒は亡くなっています。死人に口なしです。
@レスター-d6t
@レスター-d6t Жыл бұрын
弘前隊の隊長は映画では敬礼して案内人と別れて行ったけど実際には案内人がうごけなかったため見捨てたんだね
@a6m21zo
@a6m21zo Жыл бұрын
遭難した日に北海道旭川で観測された気温が国内における最低気温記録として未だに破られていない。
@閃光のヤスウェイ
@閃光のヤスウェイ Жыл бұрын
壊れとったんやろ
@zadkmb
@zadkmb Жыл бұрын
幌加内やな。 -41.2℃は幌加内のカントリーサインにも描かれているね。
@ペニージョニー
@ペニージョニー Жыл бұрын
@@zadkmb そっちは公式じゃ無い方だね。 1902年のは旭川で-41.0℃。
@ペニージョニー
@ペニージョニー Жыл бұрын
@@閃光のヤスウェイ その日周辺は他地点でも記録的な寒さだから壊れてた訳ではない、ただ古いから観測方法や機器自体が今と差を生んでる可能性はある。
@minamibluejam1756
@minamibluejam1756 Жыл бұрын
今一番寒いのは北海道の陸別町だよ。しっかり覚えておいてね☺️
@とんがり-s2y
@とんがり-s2y Жыл бұрын
誰かが言ってた 日本軍は世界一あたまが悪いと
@kickrson
@kickrson Жыл бұрын
凍傷にかかるとだんだんヤケドにかかったような熱さを感じてくるため最終的に水に飛び込んでしまうと聞いたことがある。
@akibanokitune
@akibanokitune Жыл бұрын
体温を神経の集中する身体の中心部に保とうという作用が起きて身体の表面の温度は下がっても中心部はどんどん体温を上げて神経だけが熱いと感じる様になって矛盾脱衣が起きるそうでが、矛盾脱衣になって生き残った人がいない為、現代医学を以っても不明だそうです。
@FomHau
@FomHau Жыл бұрын
この話は小説、映画が脚色した内容で有名になってしまったので、誤解されていることが多いです。 特に随行の少佐はべつに悪い人ではないのですが、話を面白くするために悪役にされています。 愚かな青森隊、優秀な弘前隊という対比を作るために、本当は外道だった隊を立派にしちゃったし。 あとこの動画でも腑に落ちない点はいつくかありますが、 八甲田周辺は植林で今は森林ですが、当時はあまり木は無い地帯だったようです何も無いからこそ迷う。 あと道案内の話は脚色の可能性が高いです。当時の新聞に現地の人の話として記事があったようですが、 山の神の日は絶対に山に入ってはいけないと言った人が、行くなら道案内しますよ? なんて普通言わないです。
@apskank2082
@apskank2082 Ай бұрын
小説は判断ミスを全て少佐の独断とするような構成でしたね。 判断ミスの原因とされている指揮系統の乱れについても諸説あるようですし。 面白く読みましたが、創作だということははっきり記載した方がいいと思いました。
@武井希-x5y
@武井希-x5y Ай бұрын
生還者らも山口少佐の判断ミスや軽率さを証言。何もない地帯?いえ、ちゃんと木々があり目印もありました。山口少佐は己な面子を優先し部下を皆殺しにした戦犯。おまけに夜間歩行を強行させ、部下を殺し自分まで三度も気絶し部下がその度に担ぎ、火を起こし蘇生させた。最後には谷底への移動まで拒否して駄々をこね、彼を温め囲んでた数名の部下も全員凍死。発見時には山口だけ毛布と部下の着せた服に包まり胡座をかいていた。道案内人の話も創作ではありませんし、しっかり証言も証拠もあり、軍部政府も認めてる。
@しき-k6w
@しき-k6w Жыл бұрын
「田代温泉と言っても何もありません」を聞いた瞬間の絶望感凄い
@TOBUEXPRESSch
@TOBUEXPRESSch Жыл бұрын
救助隊かと思いきやただの木だったのが一番最悪
@reikoamano102
@reikoamano102 11 ай бұрын
湯治のための小さな民家が一軒だったそうです。目的地に着いてても悲惨。
@おやっさん-j5p
@おやっさん-j5p 8 ай бұрын
え?ないのか
@さきもりくん
@さきもりくん Жыл бұрын
整備されている慰霊碑があったので、階段登って行って慰霊した。秋で小雨が降っていたが、こんなところで遭難したら秋でも生存が難しいと感じた。八甲田山の裾野は広いな。
@rohikimyao6832
@rohikimyao6832 Жыл бұрын
直接原因は事前のリサーチ不足による人災。2、3日目に迷走して体力を失ったためその後の道はほぼ正しいのに力尽きてしまった感じがする。計画通り田代温泉にたどり着けたとしても部隊の多くが凍傷は避けられなかったかも。 弘前隊の民間人軽視のことは知ってた。青森隊が全滅した現場をまさにその時に通過していたが結果的には成功したとはいえほめられない。
@Ryuuzu0
@Ryuuzu0 Жыл бұрын
田代温泉が近くダムに沈むので現地見たい人は早めにいったほうがよいかと 当時は植林されてなく木はまばらで晴れならば視界は良かった、馬立場付近が植林されてないので当時の雰囲気が体感できます アイヌの捜索隊が超人的な働きをしたのはあまり知られてないのかな 今年現地で色々調べてきたのですが、最新の研究ではちょっとこれまでの本とは違うみたいですね 地形からの解説はとても良かったです
@reikoamano102
@reikoamano102 11 ай бұрын
確か、遭難したイギリス?の北極探検隊も投げ出された氷山の上で半年生き延びたのは、同行していた案内のイヌイットのお陰とか。
@ケンアカバ-z1q
@ケンアカバ-z1q 9 ай бұрын
いや、確か映画では三國連太郎演じる山口少佐が案内人を申し出た地元の人に、 軍には地図とコンパスがあるんだ。と言って断ったシーンがありました。 それを見た神田大尉は固まってましたね。
@フクザク
@フクザク Жыл бұрын
上官の判断が如何に甘いことか。 亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
@糖質退治ボランティア
@糖質退治ボランティア Жыл бұрын
論外なのが、誰も田代新湯に行ったことがなく、夏道すら知らず、もちろん冬道なんて知る由もなかったこと。 そして、田代新湯には210名の兵が休む場所なんてなかったこと。 なんでこんな杜撰な計画が建てられたのか不思議でならない。
@ytchopper
@ytchopper Жыл бұрын
映画、八甲田山、弘前隊、福島中尉、高倉健、案内人に敬礼、あれウソだったの?かなりショック
@noritadanishio8813
@noritadanishio8813 Жыл бұрын
わずか1.5kmの距離でも辿り着けない。冬の山は本当に恐ろしいです。負けを認め、諦める勇気も必要だと痛感します
@jackal7123
@jackal7123 Жыл бұрын
八甲田には高校生の頃には幾度となく冬山登山スキーに行きましたが、チョッと吹雪くと所謂『ホワイトアウト』状態になります。吹雪の中に立って腕を前に伸ばすと掌が見えなくなる程度の視界しかありません。重力のお蔭で上下方向は判りますが、東西南北の感覚は無くなります。前後不覚左右不明なので、慌てず騒がず雪洞を掘って、湯を沸かしコーヒーでも飲みながら吹雪が止むを待つしかないです。 日が暮れてしまっても、半月より大きな月が出ていれば雪山は充分に明るいのでスキーで降りられます。
@specialconcorde
@specialconcorde Жыл бұрын
精神的に弱い現代人なら直ぐに引き返しただろうな。
@0954ups
@0954ups Жыл бұрын
@@jackal7123 まぁ、当時の装備だと雪洞は掘れても焚き火しかできないし防寒具の性能も低いからね
@jackal7123
@jackal7123 Жыл бұрын
@@0954ups 確かに防寒具の性能差はあるだろうけど、最大の誤りは「現地の事情を知る案内人」を小馬鹿にし軽視した事でしょうね。 八甲田付近は真冬になると積雪6m超が普通なので景色が様変わりしてしまいますから地図は当になりません。当然ながら、あの当時はGPSなんてものもありませんからね。春夏秋冬を現地で過ごし景色の変遷を我が身に沁み込ませている人でないと「ここは何所」状態に陥って当然なんですよ。
@73moto
@73moto Жыл бұрын
陸上自衛隊青森第五普通科連隊は陸上自衛隊で唯一、旧陸軍と同じ駐屯地の場所と連隊番号が一緒で有り、現在でも慰霊の為に第五普通科連隊では八甲田山の雪中行軍を行うが絶対に無理をしない事を鉄則しており雪中行軍を始めてから遭難事故は起きて居ない。
@kazumasanakada8241
@kazumasanakada8241 Жыл бұрын
学生の時、映画を見、小説も読んで5月の連休に旧青森連隊から田茂木野、馬立場、慰霊碑跡まで歩きました。道中15㎞位、なだらかな丘でなぜこんなところで遭難するのかと不思議に思うようなところでした。厳冬の雪の怖さを思い知りました。この丁寧なグーグル地図の説明で非常によく理解できました。本当にありがとうございます。
@中川圭子-j3l
@中川圭子-j3l Жыл бұрын
毛クク価値悲し簡単悲し価値ですコカ黒鬼悲し。簡単描く車の各個聞いたが化区画各九九和食処!化気を各九九からから閣議から化コカです聞いた2、贈与かくかく九聞いてみる化から閣議聞いてみる閣議閣議から化閣議化聞いたカコ名額田駅気を黒鬼中な?~~ですからカヌレ。そんなに、あかな!菜について、確かめません?、?、名です個!、服個化聞いた化化閣議から聞いてみるが閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議閣議からからからからから気を化から聞いたががから閣議閣議閣議から化からからからからからからからからからからからからからからからからからから閣議か
@満喜藤川
@満喜藤川 Жыл бұрын
ふゆ山は人を騙すの歳寄りの言葉を子供の時に聞いたが正にその通りに視界が効かずに感覚を無くすのでしよう?上官の過ちですね!案内人に御願いすれば免れたかも?当時の日本軍隊は不可能の言葉が無くて精神力で乗り切る軍隊だから!
@kintaroneo
@kintaroneo Жыл бұрын
なだらかな丘だからこそ迷うんだよ 目印が無いから
@judo40jiujitsu
@judo40jiujitsu Жыл бұрын
稜線が分からなければ遭難する可能性はかなり高まりますね。 ましてや冬山。 八甲田山のCGを見る限り稜線を捉えるのが難しそうなのと雪の影響で正直わからない。 地元民ですら迷う程ですからね。 貴重な部隊の損失に残念でならないと私は書籍を読みながら感じました。
@takm359
@takm359 10 ай бұрын
ロシアの侵略に備えるどころか 自滅しとるやん
@bangkok1391
@bangkok1391 Жыл бұрын
日本軍らしい、あまりにも雑で無謀な行軍。国は誰も責任を取らず補償もしなかった…
@MsYasube
@MsYasube Жыл бұрын
KZbinのおかげで弘前隊の鬼畜生ぶりを知りました。 水戸黄門や韓流時代劇みたいなフィックションに騙されないようにしないといけませんな。
@shinoduka21
@shinoduka21 Жыл бұрын
えぇっ!こんな短い距離だったのか!?40数年前高校生の時友達と劇場に観に行ったが、記憶があいまいなのかもっと長い行軍なのかと思っていた。それも、初日からほとんど遭難モード。引き返せばよいのに。まあ、それが出来れば苦労はしないが・・・
@mozuyahurry
@mozuyahurry Жыл бұрын
神成大尉が指揮を執る予定だったのが、急遽上官の山口小佐が参加することになり、この人が無知無能だったためメチャクチャになってしまった。早く帰れば良かったのに、彷徨った挙げ句現地解散を命じたそうです真夜中に
@iwashi0
@iwashi0 Жыл бұрын
バカな指揮官のせいで大勢の軍人さんが犠牲になったんですね。 どんな組織でもトップ次第で結果は良くも悪くもなるというという良い例ですね。
@MickCorgi
@MickCorgi Жыл бұрын
夏の八甲田山に登りましたが、箱庭のような本当に百名山でも大いに登る価値のある美しい山でした。
@女性にアジャストするサイズです
@女性にアジャストするサイズです Жыл бұрын
夏の山を見るとそんな恐ろしいものと想像できないのよね。
@jsgdoo69
@jsgdoo69 Жыл бұрын
まぁ冬は別世界なんだろうね。 ましてや120年前じゃあ動画でも言ってた通り道や標識なんかないし装備も軽装じゃあこれは死にに行くようなもんだな。 100%ナメてた指導者が悪いよ。
@ブブブのナカヤン
@ブブブのナカヤン Жыл бұрын
しかも、日本の一番寒い日に福島弘前第31連隊が弘前を出発したと言う(旭川で−41℃を叩き出した日)ですからねぇ。 青森第5連隊が軽装で出発したのも、判ってたらもっと重装備をしたと生き残った兵士が語ってたと小説に書いてましたね。弘前第31連隊もかなり危なかったとの事でしたから、(実際ガイドした案内人は凍傷で死にかけてる方も居た)青森第5連隊は山口少佐と神成大尉他の幹部クラスしか分かってなかったからあんまり分らずに行軍してたみたいですね。しかも案内人のガイドを断って結局10名余りしか生き残らなかったといういわば人災ですわな。しかし、日露戦争では第8師団は凍傷患者は一人も出さなかったとの事。立見尚文師団長は“八甲田山の経験が生きた”と言っていたみたいですね。今でも自衛隊は青森の部隊は八甲田山に雪中行軍を毎年してるくらい冬山登山の経験を積ませてるくらい冬の山の危険な状態を経験させているのは流石だなと思いますね。 120年余り前に雪中行軍をさせるのは無謀と思いますが、日本の一番寒い日にさせてしまったのも軍隊だからこそというのもあったのかな?と思いましたね。
@ふぐ工房-p5s
@ふぐ工房-p5s Жыл бұрын
これを待ってました。 弘前隊の所業については初めて知りました。酷い話。でも、この後実際の戦地でほとんど亡くなったんですよね。
@clubeyxander5132
@clubeyxander5132 Жыл бұрын
もしも、地元案内人たちに対する所業のことを云っているなら、本当にひどいですね。青森第五連隊を救助しなかったことに関してならば、1) 本当に遭遇していたかは不明、2) 遭遇していたとしても、その時点での救助作業は致命的な結果を呼んだだろうから、見殺しにしたのは残念ながら正解と言わざるを得ないのでしょう。ちなみに前者については、本人たちの証言しかないことも一応、念頭に置いておくべきなのでしょうね。大部分は真実だとは思うけれど...。
@武井希-x5y
@武井希-x5y Ай бұрын
実際は日露から5名が生還してます。残念ながら弘前隊の英傑、倉石氏は奉天で散華。時の人になった福島大尉は黒溝台で突撃中に狙撃され戦死。八甲田生還者の小原元伍長が治療養所にまで伊藤氏、長谷川氏らが来たと証言。他も昭和まで生存確認
@tomosato0127
@tomosato0127 Жыл бұрын
これはすごい。原作何度も読み、映画も見ましたがこの動画で初めて行程がよくわかりました。感謝感激です。
@隼膺飛膺
@隼膺飛膺 Жыл бұрын
機会があれば、ドキュメンタリー八甲田山(DVD)を見た方がわかりますよ。
@薔薇バラばら-Rose
@薔薇バラばら-Rose Жыл бұрын
「八甲田山から還ってきた男」高木勉著は、ご存じですか? 福島大尉の甥御さんですが、資料をもとに、3年後に福島大尉が日露戦争で亡くなるまでの生涯が書かれています。 新田次郎の原作と共に読むと、人物像と時代背景がさらに分かり、訓練の結果は悲しいものでしたが、訓練事態は必要と考えられたのだろうと察せられます。
@てて-m8i
@てて-m8i Жыл бұрын
トップが馬鹿だと、兵士は死亡者になる
@halenm
@halenm Жыл бұрын
愚かですね。一国の軍ともあろう組織がこの様な無謀な計画を精神論だけで遂行可能と判断していたとは・・・。 こんな事だから太平洋戦争でも無駄に多くの犠牲者を出すことになったのだ。全く呆れる。
@TN-ju3px
@TN-ju3px Жыл бұрын
馬鹿な大将 敵より怖い! よく言ったものです。
@空母瑞穂
@空母瑞穂 Жыл бұрын
これ八甲田山には立ち寄ってもいない。容易な里山行進だったはず。 爺さんの話では子供の頃に、悪天で視界が利かないときは、大人でも遭難するので、田の中を徒歩2,3分の隣家にも行っては行けないと親に言われていた。 これ福島市郊外の話です。
@kuroblacknoir
@kuroblacknoir Жыл бұрын
福島大尉が案内人を見捨てるような人間だったとは…!
@中西基之-k7w
@中西基之-k7w Жыл бұрын
映画「八甲田山」が真実とは限らないということです。
@ku-bn3ox
@ku-bn3ox Жыл бұрын
素人でも雪山登山で-20度悪天候の中、深夜出発はイカれてるとしか思えないけど、寒さが辛すぎてその場で止まる事ができずに、1秒でも早く下山したくなるんやろなぁ
@user-lu7zy2tw1f
@user-lu7zy2tw1f Жыл бұрын
地元の人の言う事は聞くものだな
@kenjiosumi6471
@kenjiosumi6471 Жыл бұрын
120年前の事件当時の気象予報の精度はどの程度だったんでしょうか。軍事の中でどれほど重要視されていたのでしょうか。「天は我らを見放した」ではなく天の声を聴く技術が未熟だったんですね。未熟であることを自覚しないと「起きて欲しくないことは起きない」と都合よく考えてしまうんでしょう。
@shikayose
@shikayose Жыл бұрын
小説、映画も見ました。史上最大規模の山岳遭難ですね。生存した弘前隊も日露戦争で全員戦死というのが怖いですね
@戸田賢司
@戸田賢司 Жыл бұрын
小説の嘘を信じてる弱者がまだいるとはな。犠牲者が多数出たのは事実だが、かなり生き残った人はいるぞ。
@葛西毅-d7t
@葛西毅-d7t Жыл бұрын
青森歩兵第5連隊が在ったのは今の陸自青森駐屯地ではなく、今の青森市筒井の青森高校です。つまり田茂木野までは夏道で徒歩でも1時間半程度とすぐそこです。 一方で駒込川はとても深い谷で今でもダム工事の道くらいしか無く、当時の(いや今でも)田代温泉に200名も収容できるとは思えないので、初めから目標設定自体が夏道前提の杜撰なものだったのでは?と言わざるを得ません。
@001takeunicorn9
@001takeunicorn9 Жыл бұрын
薩長閥が軍警を掌握していた弊害なのでしょう。 異議申し立てした軍人も居たでしょうが元幕府派 なので却下されたと聞いてます
@キズナナイ
@キズナナイ Жыл бұрын
弘前隊、映画に出てくる悪役みたいなムーブだな
@accelerator856
@accelerator856 Жыл бұрын
大隊長の山口少佐が人事不省になるのが早すぎるんだよね。 兵卒よりも装備はマシ(冬軍服着用、歩兵銃より軽い軍刀)。 第一露営地では火はおこせたし食料もあった、ソリ放棄後の荷物運搬は無し、斥候に出ることも無い、第二露営地では人の壁に守られて吹きさらしになることもない。 なのにも関わらず3日目に自立不能とは情けない。 戦争で最前線指揮官たる大隊長がこんなのでは勝てる戦も勝てない。 帝国陸軍の恥さらしだよ。
@kan3camera123
@kan3camera123 Жыл бұрын
2022年10月31日に八甲田山をリンゴ買い出しの帰りにドライブしました。 標高が1000m近くの原野に近い山で、何もない美しい山野です。 こんなに素晴らしい自然の中で、こんなに悲しい物語のある事が残念でならない。 日本にはこんなに美しい自然があるが、多くの日本人は知らない。 日本各地・世界各地を旅行したが、八甲田山は10本の指に入るほど美しく、 観光地化していない自然です。 箱根や伊豆やそこらの人が溢れる観光地ではない。 本当は内緒にしたいが、美し過ぎます。
@ebjimihendrix
@ebjimihendrix Жыл бұрын
「死の彷徨」状況がよくわかりました。小説を読んでましたので遭難概略は知ってますが、立体図でその行動を示されると、「死の彷徨」の意味がさらに深く感じ取れます。上官の意思決定とその命令で動く兵士達。それぞれが最善を尽くしたが、結果的に彷徨い歩き死へと進んだ。ご冥福を祈るしかない。
@reikoamano102
@reikoamano102 11 ай бұрын
自己判断で温泉に辿り着いた人は酷い凍傷で指を失ったりしましたが、辛うじて生還したそうです。
@shundiver1048
@shundiver1048 Жыл бұрын
倉石大尉は東京土産のゴム長靴をたまたま履いていたので生存かつ、たしか足も切らなくてよかったはず 逆に言えばゴム長靴程度でそれほど結果が変わってくるということは、わらじなのか軍靴なのか分からないけどいかにひどい装備で山に入ったかということになる
@Jose-mc8rf
@Jose-mc8rf Жыл бұрын
わらの雪沓(ゆきぐつ)を履いていた人はむしろ助かった傾向にあるようです。(青森に行った時に資料館で見ました)。一番ダメだったのは革のブーツを履いていた人のようでした。
@shundiver1048
@shundiver1048 Жыл бұрын
@@Jose-mc8rf なるほど、わらにしてもブーツみたいな雪沓というのがあるんですね 濡れたら即凍ってその後の行程はすべて氷を肌に押し付け続けるみたいなことになるから、耐水が鍵なのかもしれませんね 橇隊や放棄後の大釜担当など初日に汗だくになった人からだめになったとも読みましたし 資料館、自分もいつか行ってみたいです
@hikaru0530
@hikaru0530 Жыл бұрын
なんだろうこの教訓が太平洋戦争だのインパールで全く活かされなかったな
@モグ太郎-m7m
@モグ太郎-m7m Жыл бұрын
ノモンハン!
@jsgdoo69
@jsgdoo69 Жыл бұрын
戦前の昭和の指導者は八甲田の教訓なんか1mmも考えてなかったということだね。 欲とプライドと出世しか考えてない奴らが日本を牛耳ってればそりゃボロ負けするわな。
@xmr4257
@xmr4257 Жыл бұрын
教訓は冷静な内には理屈ででも分かっても、極限の状態になってからはそれが中々活かされる事は無いんだろうね 気付いた時には大抵遅い
@蒼井サ
@蒼井サ Жыл бұрын
日露戦争の予行演習で 日露戦争、第一次世界大戦と勝ったわけだろ まして兵站の問題のインパールにどう活かすの?
@xxjuikl
@xxjuikl Жыл бұрын
@@蒼井サ 第一次世界大戦は勝ったというか火事場泥棒というか... まあ海軍は頑張ったけど
@al-bireo
@al-bireo Жыл бұрын
すごくわかりやすいです。 大袈裟な音楽や画像・演出のない淡々とした動画だからこそ、逆に純粋に胸に迫るものがありますね…。
@tosa1990
@tosa1990 Жыл бұрын
立体地図も使って一番分かりやすい解説
@naomin4317
@naomin4317 Жыл бұрын
沢深く、森深く、ホワイトアウト。
@tamuraatushi
@tamuraatushi Жыл бұрын
@@naomin4317 黙ってろお前は
@実藤忠彦
@実藤忠彦 Жыл бұрын
これが実際の戦争だったのならともかく、単なる訓練だったというのが悲惨の一言。亡くなった兵士の方々が哀れですよね。
@ugaugago
@ugaugago Жыл бұрын
とても分かりやすい解説、素晴らしいです。ありがとうございます。 当時の歩兵第五聯隊駐屯地は現在の陸上自衛隊青森駐屯地とは異なっており、現在は青森高校となっています。
@居合あん
@居合あん Жыл бұрын
補足 青森駐屯地の防衛館は五聯隊の隊舎をそのまま移築したもので五聯隊がどんな隊舎にいたのか知りたければ青森駐屯地をおすすめ。(わいは冬の時期一時期青森駐屯地にいて防衛館の前をランニングしてたら雪が降り始めて遭難しかけた馬鹿です。)
@izumondreams
@izumondreams Жыл бұрын
凄い動画でした!映画などで知ってはいましたが、現地の感じがこんなだとは思いませんでした。相当危険だったんですね、ありがとうございます。
@chuancun
@chuancun Жыл бұрын
すごくよく解った。良いねを10個くらいあげたい。戦争絡む映画って地図が必須なのにこの映画も他の映画も地図をほとんど示さず話を進めようとする。不思議だ。
@mamoruwatanabe8056
@mamoruwatanabe8056 Жыл бұрын
映画だと、高倉健率いる弘前隊は案内人(秋吉久美子)に対して最後は栄誉ある敬礼をもって感謝の辞を示してましたが…やっぱり映画の中だけなんだ… 実際は粗雑に扱われてたんですね😢
@たんたん-o2b
@たんたん-o2b Жыл бұрын
高倉健のパブリックイメージというものがあって・・・ 史実や原作小説での案内人への対し方は さすがにイメージに合わないということで 映画はああなったそうです。 難行苦行の雪中行軍の中で 観る側もホッと一息つけるシーン。
@elemoiy2319
@elemoiy2319 Жыл бұрын
当時の帝国陸軍としたら秘密裏の演習ですから案内人への扱いも「口外禁止命令」も当然だったのかもしれませんね。
@bow3954
@bow3954 5 ай бұрын
地元案内人は酷い扱いされたけどロシアに占領されたらもっと酷いことになってかなと思うと仕方がないのかな。
@次郎キャベツ-t3i
@次郎キャベツ-t3i Жыл бұрын
これぞ人災といったところかな。 指示する立場の者は、 大勢の命を預かっていることを自覚しなければならない。
@zatugaku-syougeki
@zatugaku-syougeki Жыл бұрын
判断力が乏しい上官(上司)を持つと、部下は苦労するなあ
@eiledelsol666
@eiledelsol666 Жыл бұрын
無能が上に立つと辛いねぇ。 巻き添えを食った兵さんたちのご冥福を祈ります。
@髙橋顕二
@髙橋顕二 Жыл бұрын
今の政治も一緒⁉️
@guys643
@guys643 Жыл бұрын
上も上でこの頃なんてもろに根性論だろうから、できませんとは言えなかったんだと思うよ。中間管理職の悩み
@TheTenfoureight
@TheTenfoureight Жыл бұрын
兵隊さんよりこき使われた挙句見捨てられた地元民の方がよっぽど不憫だ
@MioMARU_17
@MioMARU_17 Жыл бұрын
過去の失敗を現代の尺度で無能だったと考えるのはどこか違うと思います。
@昌樹ニニ三
@昌樹ニニ三 Жыл бұрын
@@MioMARU_17 ちゃんと準備をして行軍を成功させた弘前の部隊がいる以上、青森の部隊の判断は当時の尺度でも無能でしょう。
@CHOCOBOLIA
@CHOCOBOLIA Жыл бұрын
兵卒は従順なのは分かる 指揮官クラスがゴミなのは もうこの頃には確定なのか 陸士陸大のエリート意識って マイナス作用しか働かんのな
@yoshiyoshi8995
@yoshiyoshi8995 Жыл бұрын
ろくでもない話だな
@kintaroneo
@kintaroneo Жыл бұрын
一つだけ。ずっと地形図から解説と他の動画でも言ってるが、地形図ではなく、航空写真。 地形図は等高線や川が描かれているものだから全然違う
@iindadousureba
@iindadousureba Жыл бұрын
上司が無能であることは本当に恐ろしいことなんだけど、もっと恐ろしいのは「こんな馬鹿な計画を建てないでください」と誰も言い出せないところ。この事件から100年経っても日本人のこの部分は変わっていない。
@佐藤一夫-b1c
@佐藤一夫-b1c Жыл бұрын
無計画で無鉄砲。 暴走してアメリかに戦争しかけてボロクソにやられるのも納得
@決め付けの刃
@決め付けの刃 Жыл бұрын
@@佐藤一夫-b1c 「アメリか」なんて書いてるやつに言われてもねぇ😂
@つぶやき垢カルネ
@つぶやき垢カルネ Жыл бұрын
​@@佐藤一夫-b1c 今はロシア軍かな(´ω`)
@ohkago4144
@ohkago4144 Жыл бұрын
インパール作戦と同じ構図
@tsunderep5026
@tsunderep5026 Жыл бұрын
上司に歯向かったら、クビ切られそう…
@もっちー-j9j
@もっちー-j9j Жыл бұрын
実際に青森の資料館に行きましたが、当時の装備でとんでもない無謀な訓練ですね。雪に不慣れな隊員が多かったとか…
@TIshida360
@TIshida360 Жыл бұрын
30年ぐらい前に第一露営地あたりから徒歩で田代温泉まで入湯しに行ったことがあります。今は下流にダムが作られるためか廃湯になっていて残念ですが。
@mi-tx5pv
@mi-tx5pv Жыл бұрын
弘前隊のクソさもちゃんと紹介してくれてよかった 最後の遺体発見場所の地図は何とも言えない気持ちになりました
@user-taaaaaakesan
@user-taaaaaakesan Жыл бұрын
弘前隊の真実。。。初めて知りました。 映画ではかなり脚本が美化されているんですね。(まぁ健さんだからね。)
@moto5721
@moto5721 Жыл бұрын
第一露営地と第二露営地の距離の近さが数百メートル 1日かけてどれだけ迷ったのか…怖い……
@珈琲ゼリー-z1n
@珈琲ゼリー-z1n Жыл бұрын
寒さと疲労、更に睡眠不足と餓えに加え雪地獄を延々と彷徨う・・。 私には到底耐えられる自信はありません。
@jsgdoo69
@jsgdoo69 Жыл бұрын
これで生存者11人って生き残った人どんだけバケモンなんだよ。
@近藤ゴマシオ
@近藤ゴマシオ 9 ай бұрын
今第一と第二の看板立ってますけどあまりの近さにかえつて驚きですね
@お水-l5j
@お水-l5j Жыл бұрын
案内人の人が可哀想すぎる…
@run9169
@run9169 Жыл бұрын
近年の遭難事故でも足が濡れてしまうと地獄の始まりみたいなエピソードをよく聞きます。
@西村和夫-p3c
@西村和夫-p3c Жыл бұрын
八甲田雪中行軍隊、31聯隊の隊員、5聯隊に行軍隊の生存者は、この事件の2年後の日露戦争、黒溝台の戦いで殆どの方が戦死されているんですよね!行軍が成功した31連隊の指揮官の福島大尉も、黒溝台で戦死されています。
@yukunkonnta260
@yukunkonnta260 4 ай бұрын
それ最初に知った時、当事者に生きてられたら都合が悪いので最前線に送り込まれたのかと思っていた。
@akibanokitune
@akibanokitune Жыл бұрын
ロシアより「無知」「無能」「無責任」と三拍子揃った指揮官が最大の敵だった。 後の太平洋戦争も然り連合国兵に殺されるより無茶な作戦指揮によって味方に殺された方が多かった。
@ほうじ茶-j4r
@ほうじ茶-j4r Жыл бұрын
地元の案内人が本当にかわいそう。 ずっと危ないから止めろって言ってたのに……
@最強の負け犬-u8h
@最強の負け犬-u8h Жыл бұрын
この動画は素晴らしいですね。 昔映画「八甲田山」が上映された時にテレビで実際の八甲田山の行軍をドキュメンタリーで放送してましたが、ここまで分かり易くなかったです。 実際は福島隊は1名が怪我で現隊復帰させられた以外は無事生還したと聞いてましたが、映画の様に案内人を先頭にして村に入り別れる時も感謝の敬礼等は無く、実際上映された「八甲田山」を観た当時を知ってる人からは「こんな美談な事は無かった、陸軍は鬼畜生の様に村人を使い捨てた」と言っていたのを思いだしました。
@houraikosince1986
@houraikosince1986 Жыл бұрын
この事件に関しては、福島の縁者が著したドキュメントが正確ですね。福島は、雪山に対しては慎重に行動したものの、民間人に対してはかなり酷い事をしています。新田作品や映画は、「冬山を甘く見て失敗した側と、謙虚に対応して成功した側」という分かりやすい図式を描きたくてああいう表現になったようです。
@隼膺飛膺
@隼膺飛膺 Жыл бұрын
原作だと映画と違って冷たい人物として描かれていますね。 まぁ映画は高倉健だから暖かい人物になったとおもいますが。
@たんたん-o2b
@たんたん-o2b Жыл бұрын
史実や原作小説の通りでは 高倉健のパブリックイメージに合わない ですからね。 高倉健主演映画としては あれで正解かと。
@糖質退治ボランティア
@糖質退治ボランティア Жыл бұрын
本の無許可丸写しの業者youtubeをほめる奴笑い
@reikoamano102
@reikoamano102 11 ай бұрын
青森連隊は目的地までの地図もなかったという証言もあり、誰もそこまで行ったことがなかった。弘前隊で生き残った兵は日露戦争で全員死にました。勝った勝ったと大騒ぎだった日露戦争もよくて相子だったというのが真相です。
@199019901990ism
@199019901990ism Жыл бұрын
凍傷対策も足に唐辛子をまぶして油紙で巻く、みたいなレベルだからなぁ
@侑-b1p
@侑-b1p Жыл бұрын
人ってまっすぐ歩いてるつもりでも目印なしではわずかに傾いて歩いてしまう、つまり暗闇等の目印のない状態で歩き続けてしまうと円を描いて元の場所に戻ってしまうのです。非常に恐ろしいことです。
@KatB_Mametank
@KatB_Mametank Жыл бұрын
映画見返しました。現地も通ったことありますが、改めて動画拝見して、更に理解が深まりました。大感謝です!
@yf-ushi
@yf-ushi Жыл бұрын
車で行けば市内からそう遠くないところで遭難してるんですよね。 いまは除雪も入って、酸ヶ湯温泉まで車で行けるけど、当時は本当に無謀な行軍だったんだと思う。
@makotoyamazaki7287
@makotoyamazaki7287 Жыл бұрын
新田次郎の八甲田山死の彷徨を高校生の頃(42年前)読みました。いまほど、事実関係の報道がなく、高校生だった私にとって衝撃の一書でした。地形図と時系列を追うことでこの惨事がどうして起きたか、少しわかりました。冒頭で開設されていた当時の国際情勢もよくわかります。大変参考になりました。
@愛国者-f2u
@愛国者-f2u Жыл бұрын
私も20年くらい前に(社会人なってから)読みまして→映画高倉健 北大路欣也の八甲田山見まして 日露戦争のための訓練を知りました 亡くなられた兵士に黙祷
@雲雨-h2y
@雲雨-h2y Жыл бұрын
@@愛国者-f2u こんにちはありがとうありがとうしかありません
@k-touchsabu8882
@k-touchsabu8882 Жыл бұрын
まさに死の彷徨… 私の友人のお母さんは青森の方で、この映画が公開されてる事も知らない 明治生まれの方で、八甲田山の話をしたら、烈火のごとく、その話はしては成らないと…軍の箝口令を頑なに守ってきた、友人の母親に対して泣きそうに成った事を思い出しました…
@ローラローラ-j3b
@ローラローラ-j3b Жыл бұрын
これが本当なら高倉健さんが演じていた福島大尉もかなりの糞やろうって事になるな。 映画では案内人にお礼と敬礼で感謝の意を表していたが……。
@あぴよん-i5h
@あぴよん-i5h Жыл бұрын
敵より 無能とかサディスティックな上官の方がよっぽど憎いとはよく言ったもんだ。
@JapanNagoya
@JapanNagoya Жыл бұрын
自然舐めたらこうなりますわね。 人間は寒さに弱い。手足の感覚無くなるのは早い(経験あり
@shunedel
@shunedel Жыл бұрын
田代温泉(田代新湯)へ行こうとして駒込川に出て戻っていますが、その地形図でも分かる通り田代温泉へは駒込川添いをトラバースして進むので間違っていなかったのではと思うんですよね。参考)kzbin.info/www/bejne/jaOriHWtr7iJqNU ただ冬にそういう道を進めるわけもなく、さらに田代新湯に行ったことある人は中隊に誰もいなかったのというのもあり得ないんですよね。
@yutty-dz5ki
@yutty-dz5ki Жыл бұрын
なぜかおすすめに出てきて観ました。 すごく分かりやすかったです。 私が感じたことはただ一つ。 つまらぬ意地は張らないことですね。 諦めることも大切かと。
@ten-may0404
@ten-may0404 11 ай бұрын
冬山を舐めてた。 そして弘前隊はクソだった。
@eurocka1211
@eurocka1211 Жыл бұрын
若い頃、戦史の時間に弘前連隊と青森連隊にそれぞれ学生が別れて、幕僚役をしながら研修したのを思い出します。
@kashiyukaprfm9753
@kashiyukaprfm9753 Жыл бұрын
小説では、弘前隊を美化してましたね。
@Imgoingtogetsomefood
@Imgoingtogetsomefood Жыл бұрын
新田次郎のやつですか?
@napo4913
@napo4913 Жыл бұрын
真実はいつも最悪と相場は決まってますよ。
@あたる-x1q
@あたる-x1q Жыл бұрын
知合いの親父さんが八甲田で泊まり込みの仕事してて夜中に兵隊の歩く音がたまに聞こえると言ってた。
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