Рет қаралды 18,265
さあ 共産党も連合しようぜ
原曲様(神): • Neru & z’5 - SNOBBISM ...
作詞: フォスフォ連邦
編集をしてくれた方(神): youtube.com/@lacia8666?si=AQ1...
題材:戦後イタリア史
参考資料: イタリア現代史 - 第二次世界大戦からベルルスコーニ後まで (中公新書)・現代イタリアを知るための44章 エリア・スタディーズ (村上 義和)・先進国革命と歴史的妥協(エンリコ・ベルリングェル)
原曲様編集をして頂いたレイシア様に深い感謝を。
建国神話を誇らないと寝られやしない【注1】
聞きたくない歴史をタンス ぶちこまないと前を向けない 【注2】
一体どうして 戦前を捨て去って せせら笑うのか
この国が捨てたモラリティーに泣いた
中道こそが全てなのと言う首相に
穏健な共産だとかネオファシストが着弾する【注3】
生憎の訃報ですが
本日、半島一体の市民を
戦争級の陰謀が襲う様です【注4】
白昼堂々
国の要所では沢山もの
報復感が皆の身体を憎悪乗せ吹き飛ばしてる
人一人の命が宣伝のように さもかつてのドゥーチェみたいに
消しカスとなって政治アピールの犠牲となる
【注5】
さあ、共産党も 連合しようぜ
非−不信任内閣 成立を手伝って【注6】
さあ、誘拐しようぜ 誘拐しようぜ
真犯人なんて陰謀論で見つけろ【注7】
明日、カダフィが終わるだなんて語る米に
そうなったら嫌だと 奴にバラしてる
社会党の時代 【注8】
何不自由ない これ以上もないくらいの
経済の奇跡
南部は癒えない 痛み覚えていた【注9】
何千回何万回 馬鹿の一つ覚えのように 交代をすんのが
この国が脆すぎる理由なんだ
依然として 警察って国家基盤には
贈収賄を防ぐ導線設計がなされてないんだよ
だからマフィア野蛮な凶器を振るうし そして司法も欲の犠牲に【注10】
欲塗れの政権に裁きはいつ下る?
さあ、研磨しようぜ マーニ・プリーテ
前任の首相に閣僚まで裁判へ【注11】
さあ、扇動しようぜ 先導しようぜ
旧来の政党 かなぐり捨てて行こうぜ【注12】
市民の信頼 もう無いさ 頼られる議員も居ないな
政界は愚鈍で致し方ないこの政権【注13】
オリーブとかいう連合とただあくまで争うフォルツァ【注14】
絶賛を博した方法なんか
滑稽なショー同然だ
最長政権を残すがいいさ
死ぬまでフォルツァの代表 やったらいいさ
異教徒の集団へ被害者面して 馬鹿騒ぎしようぜ
フランスと対岸で仲違いしようぜ 仲違いしようぜ【注15】
【注1】イタリアはパルチザンによって、ドイツに占領されていた北部を自力で解放した。イタリア人はその出来事をイタリア共和国の建国神話とする一方、パルチザンによる戦争犯罪には目を背けていると指摘されている。
【注2】デ・ガスペリ政権はドイツの再軍備を妨げないように、ナチスによる戦争犯罪を記した資料を『恥辱のタンス』と呼ばれるタンスに封印した。
【注3】キリスト民主党のデ・ガスペリは冷戦を中道政権で乗り切ろうとしたが、共産党やファシスト党の流れを汲むイタリア社会運動などからの圧力を受けた。
【注4】1968年頃から1988年頃にかけて、イタリアは極右、極左、マフィア、アメリカ、秘密結社などが暗躍する鉛の時代を迎えた。
【注5】鉛の時代のイタリアでは、極右と極左は多くの一般市民を巻き込むテロを各地で起こした。
【注6】鉛の時代を乗り切るため、当時の中道政権は共産党との大連合政権を模索した。共産党は議会の信任投票で棄権をし、キリスト民主党政権の成立を助けた。この政権を非−不信任政権と言う。
【注7】右派と共産党の仲介をしていたモーロ元首相は極左テロ組織赤い旅団に誘拐され、殺害された。しかし、モーロの死にはアメリカや当時のアンドレオッティ首相も関わっていたとする説が根強く存在する。
【注8】社会党のクラクシ政権はアメリカのリビア爆撃をカダフィに事前に知らせることで、彼の命を助けた。
【注9】イタリア北部は『奇跡の経済』と呼ばれる驚異的な経済発展を遂げる一方、南北問題は深刻さを増した
【注10】1990年代には、ミラノなどがタンジェントポリ(汚職都市)と呼ばれるほど構造的な汚職が深刻化し、同時にマフィアの摘発への報復として司法関係者がマフィアに殺される事件も多発した。
【注11】1992年、大規模な汚職捜査 マーニ・プリーテが行われ、数多の実業家や多数の国会議員、前任の閣僚や首相が起訴され、クラクシ元首相は亡命した
【注12】タンジェントポリによって、旧来の政党の大半は自然消滅。共産党も左翼民主党へと党名を変えた。また、右派のフォルツァ・イタリアが台頭した。
【注13】フォルツァ・イタリアによる政権も崩壊し、最早、政治家による政権運営が絶望的になった結果、非政治家のディーニによる技術官僚政権が成立した。
【注14】その後のイタリア政治は左翼民主党を中心とした左派連合であるオリーブ連合とフォルツァ・イタリアの対立を軸に展開した。
【注15】フランスとイタリアはリビアにおいて、異なる政府を支援しており、そのことを巡って伊仏関係は悪化した。