桃山-江戸時代に異国人を描いた絵ー黒い肌は「黒人」をあらわしているのかー*弥助を描いた(?)屏風も検証【春木晶子の日本美術史講義】

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春木で呉座います。

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Күн бұрын

Пікірлер: 36
@hiroyukisatoh5406
@hiroyukisatoh5406 2 ай бұрын
1:00:00 信長公記11巻(原文 334/717) 現代語訳11巻の10 では相撲大会が開かれて優秀賞を取ったのが中間衆を含めて14人 5人抜きや3人抜きすら記述する中、載ってないので10人力はごろごろいたんだろうな と 褒美は太刀、屋敷、100石と羽振りが良く、本能寺で散った村田吉五はココにも載っています
@takatobi-sasuke
@takatobi-sasuke 2 ай бұрын
乃至政彦さんのJBpressでの記事だと >牛一は、「十人之」に「ツヽノ」とルビを付している。 ~略~ >こうして現代ではあまり使われない「十人之」は、「常の」と同義に解釈できる言葉で、今でいう「十人並みの」という意味であるとわかってくる ~略~ >つまり太田牛一は、ここで「(弥助は)26〜7歳ぐらいで、牛のように全身が黒く、健康的であった。しかも力強さは、普通の人に勝る様子であった」と書いているのである。 としてますね 追記) 抜粋で分かりにくくなってしまった、信長公記での該当部分は >十之(ツヽノ)人 らしい
@morino_kaeru
@morino_kaeru Ай бұрын
動画もコメント欄の書き込みも勉強になりました、ありがとうございました🙂
@uchinopc2620
@uchinopc2620 2 ай бұрын
なるほど〜お相撲は勝ち負けを白星、黒星とか言いますよね?勝った方が白い色で描かれて負けた方が黒い色で描かれてたとか…🤔絵巻をパッとみて勝ち負けがすぐ解るようになってたらいいなぁ😊
@nasunasu9794
@nasunasu9794 2 ай бұрын
雷電為右衛門は他の絵を見た時に、例えば小野川や音滝と一緒に並んでる所でも若干肌が濃く描かれてますね。 単純に、この人の場合は史実で色黒だったと認識されてるのかも。
@toribird-2024
@toribird-2024 2 ай бұрын
相撲の起源らしき野見宿禰と當麻蹶速の肌色や服色が対照的だったことを見立てた 儀礼のようなもので、ボクシングの赤青コーナーのようなルールの一環であり、 黒人を描いたものではない気がします 現代では西と東に置換されて廃止されています が土俵が無い時代は力士を見分ける方法が無かったので代々踏襲されていたのでは?
@corporatex6494
@corporatex6494 2 ай бұрын
この時期の絵図は、中世ヨーロッパの聖画像なんかに似ていますね。 誰が何をしている場面なのかを、着ている衣装、集団の中の人物の位置、 とくに持っているアイテムなどで表現している。そういう共通点があるような気がします。 また中世の西洋絵画もそうですが、絵そのものの表現力でそれらを表そうとはしていない。 つまり偉そうにしているとか、楽しそうとか、誰かにへつらっているとか、 そういうものをポーズとか表情とかだけで描き切ろうとしていない。 その分、絵画としては淡白で図式的な表現になっているんですが、その点でも日欧で共通していますね。 こうした特質を鑑みず、現代的に絵の表現からのみ読み取ろうとすると、本来の意図とは違うものになってしまうと思いますね。 相撲に黒い肌を思わせる力士が描かれるのも、 囲碁でいう白番と黒番のような意味がある記号表現かもしれません。 信長と森蘭丸・・これも絵の印象でしかなく、記号としては読み方が違う気がします。
@池田裕-e9h
@池田裕-e9h 2 ай бұрын
好奇心がつよいのは日本人の最大の長所ってどうですか
@雅楽長井
@雅楽長井 2 ай бұрын
江戸時代から日本の性癖の多様性は変わらないということがよくわかった
@Natsuki-maboroshi
@Natsuki-maboroshi 2 ай бұрын
南蛮屛風の情報を始め、色々と御勉強になりました。どうもありがとうございます。 チャットのコメントにも言及した方がいましたが、今回ご紹介された内容の中に、いくつか中国由来と思われるものがあったので、共有しておこうと思います。 1. 「崑崙奴」 中国語の言葉で、黒人奴隷を意味しています。「黒奴」とも言います(「鬼奴」はもしかすると中国語の文献を写した時に見間違ったかも?)。 中国の唐の時代では、インドシナ半島や南洋諸島を「崑崙」と呼んでいたそうです。(中国語の資料なので、日本の記述とは多少違いがあります) 推測ですが、そちらの人々は黒い肌をしているので、崑崙と言う言葉も「黒い」と言う意味を持ち、黒い人を全員崑崙と呼ぶようになったのかも知れません。 唐の時代では、崑崙奴は貴族の間で権力や富の象徴として取り合いになっていた話もありました。 2. 「穿胸」や「長臂」など この辺りの絵が添えられている名前は中国の「山海経」なる書物に記載されている(大昔の中国から見て)遠い異国の名前です。 添えられている絵も見た感じ山海経から写してきたものだと思われます。 あとに出てきた虎の首を持つ「黒人」もこの中のひとつになります。 3. 「崑崙層斯」 中国の清の時代の百科事典「欽定古今図書集成」にも国の名前として記録されています。 以上のように、江戸時代のこれらの文献は中国から来ていると思われるものが多いので、そこら辺を検分するのであれば、中国の文献に強い方の協力を仰いでみてもいいのかも知れません。
@nasunasu9794
@nasunasu9794 2 ай бұрын
山海経からの引き写しというのはめっちゃ腑に落ちました。 一部のデザインの認識が江戸時代の日本人の総意の感覚というわけではなく、単にその人が参考にした資料がたまたまそうだったのですね。 他の話でも、調べてみたら確かに山海経にはろくろっ首っぽいイラストがありました。
@daisuke7199
@daisuke7199 2 ай бұрын
「相撲遊楽図屏風」については『堺市博物館優品図録 第二集』32図解説に、吉田瑛二氏の「1605年頃の制作と推定」(金子孚水監修『肉筆浮世絵集成』2,毎日新聞社、1977年。なお金子氏は本屏風の旧蔵者)の見解を紹介しつつ、「武家感状記」(「武将感状記」の誤りか?)に記された豊臣秀次一行か、黒人力士から『信長公記』の信長一行の可能性が高いとしており、この辺から弥助説が出たのでしょうね。ただ最近出た、『堺市博物館所蔵品図録 屏風編』24図解説では、「湯女図」(MOA美術館蔵)や「遊女柳橋扇面流図屏風」(島根県立石見美術館蔵)など寛永から明暦頃の風俗画と共通点が多く、両作よりも表情が固く、人体描写不自然な点が多いため、両作品より下る時期の制作と見解を改めており、こちらのほうが妥当だと思います。あと同じ解説で、「取り組む二人の体色を違えるのは相撲図の常套的絵画表現」としつつ、「異国人のようにも見える」と一定の留保をしていますね。
@haru-goza
@haru-goza 2 ай бұрын
ご教示いただきありがとうございます。お恥ずかしながらご指摘の図録まで確認が及びませんでした。『堺市博物館優品図録 第二集』『堺市博物館所蔵品図録 屏風編』『肉筆浮世絵集成』チェックいたします。
@池田裕-e9h
@池田裕-e9h 2 ай бұрын
インターネットは日本人の特性にすごく親和的
@hal_x
@hal_x 2 ай бұрын
見分けやすいように片方の肌色を黒くしたのでは
@user-cj8ut4zl8k
@user-cj8ut4zl8k 2 ай бұрын
お相撲さんって、ぽっちゃぽちゃに白い肌の人も地黒の人もいるから、雷電の絵はそういう差を描いたように見える。 それとは別に、相撲の片方を黒くするのは、神話の相撲の表現をふまえた、おきまりの作法的なものかな?
@user-5h9p
@user-5h9p Ай бұрын
動画良かったです。 色々な仮説を立てて可能性を考察して頂いたものを、みんなが勝手に想像するのが歴史の楽しみのひとつ。 アサクリ問題で問題発言した人のひとりが、文化財修復を手掛ける会社の社長というのはどうなんでしょうか。文化財の信用が下がると思ってしまいました。
@KazzShiva
@KazzShiva 2 ай бұрын
1:31:10 南米大陸の南、おそらく南極大陸であろう場所に 「長人」と「ワルニヤ」と思しき文字 さらに現フィンランド・スウェーデン・ノルウェーと思しきところに 「小人」 口伝にてどのような情報を得て、あの姿を描いたのか それこそ絵空事なのか、実際に交流があっての情報なのか そちらに興味がそそられますね
@nekosuket7080
@nekosuket7080 2 ай бұрын
狩野内膳の「南蛮屏風」右隻は日本に到着時の描写ですが、左隻は外地からの出発時の描写らしいので想像で描いたのではとのことです。 右隻ではターバンのようなものをかぶっている人物達、左隻では象の横にインドの象使いが用いる鈎棒を手に持ち随伴する肌の黒い人物、そして狩野内膳「南蛮屏風」(リスボン博物館)のよく似た別の描写では白いドーティー(インドのズボンのようなもの)らしきものを着用している肌の黒い人物が描かれているのが気になります。
@こし餡-i3j
@こし餡-i3j 2 ай бұрын
江戸時代版SFみたいで面白かったです
@namo8736
@namo8736 2 ай бұрын
国性爺合戦の国性爺(鄭成功)って日台ハーフですよね。 1600年代の人ですから年代合わないかもしれませんが、中国渡りで台湾の人が日本に来てたんだなと思いました。 台湾の先住民族には、パッと見、アフリカの方々より肌が黒い方々がおります。 黒澤明の「用心棒」に羅生門綱五郎さんという身長203cmもある台湾人の力士が登場しますよね。仮に日本に肌の黒い人たちがいたとしても、アフリカ系ではないんじゃないの?アフリカ、普通に遠すぎでしょ。と思うのですが。 また、日本の浮世絵によく描かれる「黒坊嶌」はセイロン(スリランカ)のクロンボー島では?とかの話も聞きます。 アフリカ系の方々が日本に来る可能性より、こちらの方が可能性としては強い気がします。
@地獄の湯豆腐
@地獄の湯豆腐 2 ай бұрын
異国人の説明は山海経の世界観が混じってる感じがしますね。
@inagy
@inagy 2 ай бұрын
日焼けした人の表現に関して、誰も言及しないのはなんでなんでしょうか?
@ひつけあらためかた
@ひつけあらためかた 2 ай бұрын
ロック・リーの中途半端な知識と妄想が国際問題にまで発展していますが肌が黒く描かれている異国人は東南アジアやインドルーツだと思います インドの神、大黒天も肌真っ黒ですし 当時の日本人の伝聞からのファンタジー、へんてこりんな海外知識、荒唐無稽な異国情報、本当にそうだと納得しました。
@beru625
@beru625 2 ай бұрын
装飾や髪型、相撲の土俵が~等、歴史的な見方っておもしろいですね。 肌の色で思い出したけど、風神雷神みたいな神や妖怪 そうした肌の色ってどこから来たんでしょうね? 色黒=農民等の身分の低さ、みたいな考えもあったと思うけど 宗教的・文化的なもので黒く描かれるのもあるのかな?(天狗やお歯黒みたいな)
@Hetano-Yokozuki-JiG
@Hetano-Yokozuki-JiG 2 ай бұрын
肌の白黒の描き分けが必ずしも人種を指すものではない、ということでしょうか。
@fuyunatsu1580
@fuyunatsu1580 2 ай бұрын
日焼けした人という表現を黒く塗る、ことのあるんですかね。
@takeocello
@takeocello 2 ай бұрын
ここは英語字幕付けなきゃダメなんじゃ無い?
@yakuto4
@yakuto4 2 ай бұрын
青い屋根は セミナリオや安土城 でとNHKが やってたな
@カンフーマスター-u1i
@カンフーマスター-u1i 2 ай бұрын
右下の食人種族が気になる
@masahiroizawa4283
@masahiroizawa4283 2 ай бұрын
ゾウを江戸まで歩かせたのは江戸時代だからね。
@takeocello
@takeocello 2 ай бұрын
学校で教えて欲しい歴史的資料がモリモリじゃないですか。素晴らしい。 もう、弥助が何者かを問い始めたロックリーが偉いやつレベルの一般への訴求力。こっちが本物やー!!
@池田裕-e9h
@池田裕-e9h 2 ай бұрын
徳川家は日本人の好奇心を生かせなかったと思う
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