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【ついに猪木が馬場に負けを認めた】猪木・新日本vs馬場・全日本 15年にも及ぶリング外でのガチンコ抗争。猪木が馬場に「負け」を認めた瞬間とは? 

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オレたちのプロレスと格闘技の考察

オレたちのプロレスと格闘技の考察

3 ай бұрын

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1972年。猪木は3月6日に大田区体育館で新日本プロレス、馬場はその7ヶ月後の10月22日に日大講堂で、それぞれ旗揚げ戦を行なった。そして日本プロレスを離れてそれぞれが自分の団体を設立したこの1972年から、馬場と猪木のリング外での抗争が始まったのである。
全日本が旗揚げした直後は、圧倒的に全日本のほうが優勢だった。全日本がはじめから日本テレビをバックにつけて設立されたのに対し、設立直後の新日本にはテレビ放送がなかった。そして、外国人招聘ルートについても、ザ・ファンクスをはじめとするNWA、ブルーノ・サンマルチノとの個人的な関係でWWWFなど、馬場がアメリカの主要団体との強いつながりを持っていたのに対し、猪木にはアメリカで成功したとはいえないカール・ゴッチしかおらず、自前で外国人を育てていくしかなかった。
しかし新日本には、旗揚げ1年後の73年3月に救世主があらわれた。坂口征二である。のちに猪木が作った借金を返すべく新日本の社長として力を振るうことになる坂口だが、この時点で救世主といったのは、坂口が日本プロレスから新日本へ移籍することをきっかけとしてNETテレビが新日本の中継開始を決定したからである。
新日本のテレビ中継が始まったことで、徐々に形勢は逆転しはじめた。30代に入ったばかりで、レスラーとして全盛期を迎えていた猪木は、NWFヘビー級王座を軸としてタイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンらと数々の激闘を展開することで熱狂的な猪木信者を増やしていった。そしてこの時期の猪木は、雑誌や新聞を通じて、馬場に対して執拗に対戦を迫った。
だが、馬場はこの猪木の挑発を無視し続けた。そしてそれによって馬場には「猪木が怖くて逃げている」という負のイメージがつくことになった。両団体の看板レスラー同士が戦って、どちらが勝つにせよ決着がついてしまえば、負けた方は大きなダメージを受けてしまう。それがわかっていたから馬場は沈黙を続け、猪木もそれを承知の上で挑発を続けていたのだ。そして、仮に万一、馬場が対戦要求を本当に受けるようなことがあれば、シュートを仕掛けるつもりだったのかもしれない。
74年3月、猪木は、国際プロレスのエースだったストロング小林との大物日本人対決を制した。これを受けて猪木こそ「実力日本一」という声がファンやマスコミからあがり始めると、ついに猪木は馬場に対して内容証明付き公開挑戦状を送りつけた。
「テレビ、興行権、日時、場所、すべて任せる。立ちたまえ馬場君!男らしく勝負を決しようではないか」
だが、それでも馬場は動かなかった。猪木がすべての条件を譲歩しているにも関わらず闘おうとしない馬場には「猪木から逃げている」というイメージが完全に定着し、猪木の策略は成功したかに思われた。
#プロレス #猪木  #長州力

Пікірлер: 138
@user-qo8nv5wy3k
@user-qo8nv5wy3k 3 ай бұрын
アントニオ猪木がジャイアント馬場の全日本プロレス・岡山大会前の会場にいる写真はとてもいいな。
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke 3 ай бұрын
それでも馬場と猪木はたまに会ってたらしいし、不思議な関係でもある。 でもいい時代だったなと思ってます。
@masamako1
@masamako1 3 ай бұрын
スーツ姿の猪木が開場前の馬場を訪ねたの、和田京平が「金を借りにきた」とユーチューブでしゃべってましたね。 S59年4月の岡山武道館ですね。 いい写真です!!
@user-lb6up8wh2q
@user-lb6up8wh2q 3 ай бұрын
今頃天国で馬場も猪木も笑い合っていることでしょう。いやそうであって欲しいです。
@user-zg5bo1db7q
@user-zg5bo1db7q 3 ай бұрын
本当にそうなんですよね。馬場さん猪木さんお二人の日本プロレス界を盛り上げるため、お互いの団体の繁栄のためのアングルだったのかもしれませんね。
@user-cv6xw9bd9d
@user-cv6xw9bd9d 3 ай бұрын
タイガージェットシン氏 旭日双光章 受賞おめでとうございます
@user-pf6ry8dt8d
@user-pf6ry8dt8d 3 ай бұрын
極めて妥当な結果。猪木さんや上田馬之助さんも天国で祝福していますね。
@user-kz6yf7ni1e
@user-kz6yf7ni1e 2 ай бұрын
天国の猪木さんとハルクホーガンさんもタイガージェットシンさんの受賞を喜んでます。
@user-in9eg5rq9b
@user-in9eg5rq9b 3 ай бұрын
地上波で放映していた当時が懐かしいですね。 私の住んでいた地域では新日本は金曜8時、全日は確か土曜夕方のでしたからね。
@user-yv6jj4bx3b
@user-yv6jj4bx3b 2 ай бұрын
全国放送の時は土曜夜8時だったんですよ。 裏番組はドリフの全員集合でしたけど。 それから土曜トップスペシャルなんて1時間半番組になって 全日本は土曜夕方に移行したんですよね。 私の住んでいる北海道は夜中0時50分なんて真夜中放送でした。野球中継延長したらさらに…もうテレビつけたまま何度寝てしまった事か… 中学生の時の思い出。
@user-yk5zk2gm5b
@user-yk5zk2gm5b 3 ай бұрын
馬場・猪木闘争こそ、日本プロレス界一のアングルですよ。身内やテレビ局や世間を巻き込んだ二人だけの秘密。勘違いした新間がやらかすとガチの揉め事になるという。
@Mashizoyu
@Mashizoyu 3 ай бұрын
全ての話しが語られ尽くされてます。
@user-vx8ki1pr3p
@user-vx8ki1pr3p 3 ай бұрын
この2大プロレスを体感できたことに感謝です。 全日ファンクスに始まりマスカラス ブロディー ハンセン ブッチャー アンドレザジャイアント ハルクホーガン・・・・・昭和プロレス最高ですね。
@user-bx1od6oq6r
@user-bx1od6oq6r 3 ай бұрын
入門時から馬場はスター扱いだったか、実は猪木も馬場とセットで「期待の大型新人」としてスポーツ紙を飾っていた。よくエリートの馬場、雑草の猪木と言われるが、実際は「どちらもエリート」。年上の馬場の方がよりエリート待遇だったというに過ぎないのです
@mycallsign
@mycallsign 3 ай бұрын
馬場さんも大人だから。寛ちゃんもしょうがないなというくらいにしか思ってなかったかも知れない。
@yu7461
@yu7461 3 ай бұрын
馬場と猪木の関係が1番のアングルだったんだろうなw
@user-zi1kn6ze3b
@user-zi1kn6ze3b 3 ай бұрын
他のスポーツは大きい人が増えたけど、プロレス界だけ小さくなっている!今は素人でも180センチ台がゴロゴロ居ます!大谷君も193センチ有ります!
@user-iw4hu6hb8p
@user-iw4hu6hb8p 3 ай бұрын
残念ながらプロレスは野球やサッカー、大相撲などと違い、エリートアスリートの集まる世界ではありません。 鶴田や坂口のような人材を獲得できたのは半世紀以上前の話です。
@zeroboy-ix6xv
@zeroboy-ix6xv 3 ай бұрын
最後の一言がグッとくるね。その通りだと思う。
@user-yakusai8931
@user-yakusai8931 3 ай бұрын
これがまさか時の流れで新日本と全日本の強弱関係が大逆転するなんて誰が思ったのだろうか?
@Loliko-occultic
@Loliko-occultic Ай бұрын
このチャンネルを見てるとプロレス界の人達は、仲が良いんだか悪いんだか、度量が広いんだか狭いんだか、よく分からない そういうのが入り混じるから面白いんだろうけどw
@NA-nw7gs
@NA-nw7gs 3 ай бұрын
15:20しれっと写り込みドン荒川ww
@user-et8jf1ob4q
@user-et8jf1ob4q 3 ай бұрын
猪木さんが 漫画の監修で語っていた情報によると、猪木さんの0勝26敗と言ってました。
@user-qg1fz6uy9w
@user-qg1fz6uy9w 2 ай бұрын
それはスーパースター列伝でしたっけ?あれは結構フィクションが入ってますが
@user-ns4wg8jh5e
@user-ns4wg8jh5e 3 ай бұрын
こういう猪木を貶めたいようなのが多いけど、ベストタッグパートナーは誰ですか?と聞かれた馬場は「そりゃ猪木ですよ」と答えている。猪木とのタッグがやりにくいなんてことはない。
@user-yq5ol2kj3n
@user-yq5ol2kj3n 2 ай бұрын
猪木は、自らの死に際にも「馬場さん、三途の川でお会いしましょう。」とか引き合いに出していました。馬場は、もうとっくに三途の川を渡ってしまっているにも関わらずです。
@shigetotaira1450
@shigetotaira1450 3 ай бұрын
昔、プロレスを初めて見出した時は、新日本プロレスです!自分が小学校2年生か3年生だったかな? 初めて知ったのがアントニオ猪木と藤波辰爾です。 やがてタイガーマスクが現れて、プロレスが凄いブームになりましたね❗その後に全日本プロレスを知って、ジャイアント馬場とジャンボ鶴田ですね❗見出してから、ハマりました❗頭の中から離れなくなりました!今、現在では、おあいにく、残念ながら、プロレスはスポーツ化としては、認められない事が判明しました。格闘技に近いエンターテイメントとされるのも残念に思います❗
@Aurcus0816
@Aurcus0816 3 ай бұрын
そういう常にヒリヒリするような殺伐とした空気感こそが昭和のプロレス最大の魅力だったな~と思う。
@user-ud8lo4dz5f
@user-ud8lo4dz5f 3 ай бұрын
馬場と猪木って兄弟喧嘩みたいな感じだったのかなぁ。。
@user-rn7zc3xy3r
@user-rn7zc3xy3r 3 ай бұрын
今の新日本があるのは、坂口さんのおかげ。当時の猪木・新間体制が、馬場さんに屈服したのも、要である坂口さんを引き抜かれたら立ち行かなかったからだ。そうなれば、新日本は間違いなく崩壊していた。 『パフォーマンスだけの猪木・おべんちゃら屋の新間じゃ話にならん、大将の坂口を出せ!』というのが、駆け引き上手の馬場さん。現にその通りになったから…今でも坂口さんがリスペクトされてるのはその証。
@user-uc1ve7lw1z
@user-uc1ve7lw1z 3 ай бұрын
うわ
@maruhiroya417
@maruhiroya417 3 ай бұрын
馬場さんが就く事がなかったNWA会長の最後が坂口さんだったのが皮肉。
@kokusijun5793
@kokusijun5793 3 ай бұрын
全日本🆚新日本の大戦争の時代が一番面白かった。
@user-ne1ix4rc1m
@user-ne1ix4rc1m Ай бұрын
営業と企画の面で新日本が上回っていたと思います。 外国人トップレスラーの参戦が難しいなら、日本人同士での対戦にしたり、テレビとコラボした企画を行ったり、異種格闘技戦等斬新なことを猪木さんと新間氏でやって来たからかと思います。 違う色をお互いに出して来たことで新日本も全日本も今日があると思います。 その営業と企画が、猪木氏の私的なビジネスで利用されて選手らの離脱もあった。
@tigera17
@tigera17 3 ай бұрын
今だったら迷惑系KZbinrみたいなもんだよな、猪木の手法
@lowcomp9638
@lowcomp9638 3 ай бұрын
ダーと言えばポー
@user-zq5or3ot4p
@user-zq5or3ot4p 2 ай бұрын
アイネバーギブアップにはオー!
@user-bi2eq1vk1q
@user-bi2eq1vk1q 7 күн бұрын
僕は子供の頃から人の悪口ばかり言ってる猪木が嫌い、大アンチだったので、彼の試合は会場で沢山観たけど、猪木ファンに睨まれながらも、ハンセン、シン、バックランド、ホーガン、ブロディ、ローデス、ブッチャー、長州、藤波、ベイダーら、対戦相手にいつも声援を送っていました😊。今となっては懐かしい思い出です😊。
@user-mx5ro7uz3v
@user-mx5ro7uz3v 3 ай бұрын
二番手団体でドラゲーが挙がらないのは、みんななんとなくドラゲーってメジャーでもインディーでもない独自の立ち位置だって思ってるからのような気がする
@user-oo8gk5wo8w
@user-oo8gk5wo8w 3 ай бұрын
数年前からドラゴンゲートは観客動員数をがどんどん落ちてきている。 そしてスターダムが2位となった。 ドラゴンゲートは選手の引き抜き等もあり、今や相当苦しくなってきている。
@Kado.
@Kado. 3 ай бұрын
もう二度とプロレスがゴールデンで放送することはないのだろうか。。。
@user-bb5eh4ms7f
@user-bb5eh4ms7f 3 ай бұрын
そもそもテレビのゴールデンタイム自体がさほどバリューがある訳でもなくなってきたからね。
@user-iw4hu6hb8p
@user-iw4hu6hb8p 3 ай бұрын
ボクシング、キック(沢村忠時代)もかつてゴールデンのレギュラー番組でした。 K-1、PRIDEも大人気で大晦日などの定番だったのは記憶に新しいですね。 今はプロ野球、Jリーグですら地上波ゴールデンタイムからほぼ消えました。 時代の流れは分からないものです。 そもそも民放は営利事業なので、売れる商品しか前面に出しません。 過去にどんなに高視聴率を取ったものでも、「現在」どうであるかで判断して番組編成を決めます。 国民的人気スポーツで、その座は未来永劫不変と思われた野球でさえこのありさまですから、プロレスは・・・推して知るべしでしょう😢
@user-lt5hw1zn3f
@user-lt5hw1zn3f 3 ай бұрын
プロ野球がテレビ放送から消えたのは視聴率に関係なく一律の放映権料金をプロ野球連盟側が主張した為です。 視聴率連動料金を続けていたらまだ放送は続いていました。
@dupura
@dupura 3 ай бұрын
この二人の対決は実現しないで良かったと思う。 たぶん凡戦になると思うし、後年令和になっても語られることはなかったと思う いまの40代、50代が生存している限り、夢は夢で語り続けることになるであろう
@t2y45
@t2y45 3 ай бұрын
40代で語れるのは馬場’’さん’’であってジャイアント馬場を語るには60代じゃなきゃ無理だと思いますよ。日プロ60年代からもう60年程経過しているのですからね。
@user-bb5eh4ms7f
@user-bb5eh4ms7f 3 ай бұрын
この先の、2000年のノア設立くらいまでの全日本と新日本の比較が見てみたい。 馬場鶴龍時代から四天王時代、猪木長州藤波時代から闘魂三銃士時代、に移り変わる両団体の考察をお願いします。
@user-zq9qr7dg4m
@user-zq9qr7dg4m 3 ай бұрын
猪木新日本と馬場全日本の「熱き闘い」は、両団体が旗揚げした1972年から始まり、15年も続いたと言うワケですねぇ。 その間、猪木が馬場さんに挑戦状を叩きつけても馬場さんはヘタに動かずに反撃の手を打ったのは、馬場さんの狡猾さが猪木より上手だったと言う事だなぁ。😀✊
@user-ne7in2ly1p
@user-ne7in2ly1p 3 ай бұрын
猪木さんは馬場さんと戦いたかったと思う。猪木さんは勝つ自信有ったと思うし、リスク怖れない。馬場さんはリスク嫌い、体力の衰えを政治力で補っていたと思う。オータニでの休戦会談は、腰の重い馬場さんに仕掛け過ぎてしまったと思った猪木さんが詫びを入れたと思うし、歳の差有れど同期で団体トップ。互いに解り合える間柄だったと思う。
@user-yv6jj4bx3b
@user-yv6jj4bx3b 3 ай бұрын
ホントは実は仲はよかった二人。プロレス界の為にお互い芝居してたと思う。 どちらかといえば馬場対新間の企業戦争。
@SmilingOno
@SmilingOno 2 ай бұрын
馬場の方が強いと思う。新日本とノアとはレベルが違います。
@user-by2sf6dl8r
@user-by2sf6dl8r Ай бұрын
この手の発言て、勝手に結論づけるだけで、きちんと説明してるものなんて見たことないんだよね。 ただ一方的に吐き捨てるだけ。根本原理は性加害者と何ら変わり無い。 それとも、平成期のネット意識のままなのかな。もうステルス利用して悪態つける場では無くなってきてるのに、まだ気づいてないんだね。
@shinbillyneo1726
@shinbillyneo1726 3 ай бұрын
80年代なかば、猪木に溺れてイキった小学生の頃、ライバルと言われる馬場を知った。見た瞬間、「・・・・・。何かが猪木とは全く違う。体型も顔もヘアスタイルも雰囲気も」と直感したなあ。やっぱ猪木はこの動画で分かるとおり、絵になるし、色気がハンパない。人気商売だからねえ。日々鍛錬してる人がスーツを着た時のカッコよさを重要視したのは猪木によります。いい格闘家は絶対スーツ姿がカッコイイ。根拠ない感覚的な猪木推しですみません。でもこの動画内の最後の向かい合った2人の写真、ん-。初めて見てグッときました。何でか鳥肌・・・。やっぱ馬場さん、何かあるのかも。と初めて思いました。この写真に関しては馬場の不気味な迫力が凄い印象的。良い動画、いろいろ思いをはせることができました。
@user-sz8lc6uf3b
@user-sz8lc6uf3b 3 ай бұрын
馬場さんはハワイで悠々と、猪木さんは他事業や政界やら、総合格闘系と未来図があって、諸々の事情により長く団体の長、看板としてリングに立ち続けなければならなかったのだが、猪木さんは馬場さんとの対戦後(おそらく馬場さんを立てて敗戦)に、プロレス界を純プロ系と格闘系に二分して、それぞれの長として収まることを計画していたのではと。 鶴田さんを新日に引き抜こうとしたとか、前田さんを後継指名とか、その布石なんじゃないかと。 水面下でどれほど計画の進捗があったかわからないけど、馬場さんとしては猪木・新間ラインが信用できず、ビジネス面で坂口さんとのパイプ構築へ。猪木さんが第一線を退かれて総合系に進出しても。頑なに純プロイズムを主張していたのは、そういう経緯があったからなのかと。
@user-sx6mg2sp7l
@user-sx6mg2sp7l 3 ай бұрын
馬場は猪木より先にボクシングの元世界チャンピオンと異種格闘技戦やってるでしょ
@maruhiroya417
@maruhiroya417 3 ай бұрын
ソースが不確実故嘘扱い
@user-iw4hu6hb8p
@user-iw4hu6hb8p 3 ай бұрын
アーチ・ムーア? 伝説・・・
@user-ds3zr7nf9u
@user-ds3zr7nf9u 3 ай бұрын
はいはい、馬場はタイソンと地下プロレスで戦ってるしね
@user-sx6mg2sp7l
@user-sx6mg2sp7l 3 ай бұрын
​@@user-iw4hu6hb8p ムーアは現役引退から一年くらいしてテッドデビアスの親父とも異種格闘技戦してますね
@user-iw4hu6hb8p
@user-iw4hu6hb8p 3 ай бұрын
@@user-sx6mg2sp7l マイク・デビアスですか。 ムーアは劇画「プロレススーパースター列伝」では若き日の猪木と海外で対戦したことになっていますが、実際は馬場だったようですね。 これは当時、梶原一騎が新日本寄りだったので、史実を知りながら、あえて変えたのでしょう。
@user-do4it4fs5t
@user-do4it4fs5t 3 ай бұрын
2人は闘わないことで、ファンをたたかわせた
@user-zq5or3ot4p
@user-zq5or3ot4p 2 ай бұрын
妄想 たらvsれば
@syu1958
@syu1958 2 ай бұрын
当時どう考えても、2つの団体が目立ち寡占状態でしたからね。少しずつ2人の力が衰えてきてから、Uだの邪道だのみちのくだのがポツポツ出てきた印象。
@user-qg4xn4nc3p
@user-qg4xn4nc3p 3 ай бұрын
新日本 外国人レスラー全部自前で二流外国人を 一流に 育ったレスラー タイガー・ジェット・シン スタン・ハンセン ハルク・ホーガン 位かな?アンドレ・ザ・ジャイアントも そうかな!?
@user-fp4ib9ox7d
@user-fp4ib9ox7d 3 ай бұрын
アンドレの初来日は国際
@cubbi106
@cubbi106 3 ай бұрын
アンドレとハンセンは新日参加時には既にメインエベンターでしたよ。 ハンセンは発展途上でしたので、ジョージアマットで大化けして久々に来日した’79年にはアンドレと唯一パワーファイトで応酬できて、日本選手には手に負えないレスラーになってました。 リアルタイムで観てきたファンからすれば新日マットで徐々に育ったというのには少し疑問が残ります。
@user-cg1oi3jq5h
@user-cg1oi3jq5h 3 ай бұрын
新日参戦時には既に サンマルチノとの抗争をNYで繰り広げていたからね。 でも、日本での知名度は全くであり 猪木との対戦の中でハンセン一流のファイトスタイルが出来上がっていったんじゃないかな!?
@maruhiroya417
@maruhiroya417 3 ай бұрын
​@@user-cg1oi3jq5h 来日空白の1978年に全日中継(ジャンボvsフレアー@UN戦)でハンセンの名が出て慌てた新日関係者がマサさんに連絡をしてハンセンを抑えたらしいですね。
@Alfav6t
@Alfav6t 2 ай бұрын
タイガー・ジェット・シンだけでしょ ハンセンは危険なためアメリカじゃそうそうブレイク出来なかったけど実力はメインイベンター ハルク・ホーガンも来日前既にいくつものタイトル取ってるしね 日本で無名だったのがWWFのトップになっちゃったから「日本帰りは出世する!」とか言われたけど事実はそうじゃない アンドレってあなた.....w
@user-sx2sy8nb9p
@user-sx2sy8nb9p 3 ай бұрын
アントニオ猪木さんはモハメド・アリをプロレスリングにあげて勝負。当時は茶番劇だ、凡戦とボロクソだったがモハメド・アリと闘った男の称号は世界に響き渡ったことは凄いことです。😊
@t2y45
@t2y45 3 ай бұрын
ああ、書き忘れました(笑)オープン選手権はファン投票で対戦が決まるといういい加減なシステムで、参加要請された猪木は、一度断ったその後に、馬場-猪木戦の実現を約束するのならば参戦しますとまでは譲歩したような記憶があります。それに対し馬場側は「よしやってやる」とは返答せずに無言を貫いたのですよ。だから当時のプロレスファンは、猪木を擁護してオープン選手権に白けてしまったんですね。私の記憶の書き違いならどなたか御訂正してください♪案の定、猪木の参加しないオープン選手権は、ファンが望む対戦が組まれないのが多く、多数レスラーが途中帰国で不戦勝とかで不評を買ったんですよ。20人参加しているのに馬場さん自身だって8試合しか戦っていなかったのです。
@maruhiroya417
@maruhiroya417 3 ай бұрын
元子さんも裏で色々暗躍したようですね、万が一新日勢が参加したら不穏試合がおきた時点で「興行妨害」で訴える腹積もりだったらしいです。
@user-cg1oi3jq5h
@user-cg1oi3jq5h 3 ай бұрын
確かゴング誌で猪木が 「オープン選手権に参加できないこれだけの理由 」 といった記事が掲載されてた記憶があります。 コメ主さんのおっしゃられる様に、まず馬場猪木戦ありきでないなら おいそれとは話に乗らないぞ、といった猪木のコメントが印象的でしたね。 そして、こんな曖昧な状態で参加したって馬場はあらゆる手を使って逃げ回るだろうとも言ってましたね。
@RA-ll8es
@RA-ll8es 3 ай бұрын
猫なで声ましになっていて良いです。この感じで。
@user-arashi-yama1
@user-arashi-yama1 3 ай бұрын
『二番手の団体はスターダム』 と言ったら怒られるだろうか?いや、割と真面目にそう思う。 団体抗争ってのは、お互いのトップ同士が死力を尽くすから観ている方もヒリヒリするのであって、清宮がオカダと試合しても“若手のチャレンジマッチ”にしか見えなかった、つまり差がありすぎた。 スターダムは新日と同じと言えなくもないけど、新日リングでのPR、メディアへの露出などノアの選手より一般人への目に触れる機会が多い。 全日は『選手のサイズは変わらないがスケールが小さくなった』と一番言われたくない事を内藤に言われた。 何だか政治と同じで 『自民党以外はみんな同じに見える』 状態。
@sanman-g
@sanman-g 3 ай бұрын
いつ何時、誰の朝鮮でも受ける
@madrydeensolid4492
@madrydeensolid4492 3 ай бұрын
競馬のサイア―ラインのような見方をすると 猪木の系統は多種多様に広がってるけど馬場はそうでもないって感じだけどなあ
@joemax6916
@joemax6916 3 ай бұрын
元新日本国粋主義者である自分にとって「猪木新日本が馬場全日本に敗れた」と言う言説は許さない。笑 今は新日本が日本最大メジャーだからそう目くじらを立てることもないか。
@maruhiroya417
@maruhiroya417 3 ай бұрын
貴方がこよなく愛した猪木新日は最早存在しません、今はネーミングライツみたいなもん。 自分的にはスタダと合併して「ブシロードプロレス」に社名変更してほしいぐらい。
@joemax6916
@joemax6916 3 ай бұрын
@@maruhiroya417 道場がある限りは新日本は永遠です。
@maruhiroya417
@maruhiroya417 3 ай бұрын
@@joemax6916 あっても教えてるのはアメプロ被れのあの男でしょ?猪木イズムを否定するような言動をしといて何様のつもりだか、まさに外道だわ🤣🤣🤣(誰旨)
@mathenglab144
@mathenglab144 3 ай бұрын
@@maruhiroya417 なら、一から作れよ
@user-ni7sd8jv9y
@user-ni7sd8jv9y 3 ай бұрын
猪木が逃げた🎶逃げた🎶 やーい😛やーい😛
@maruhiroya417
@maruhiroya417 3 ай бұрын
ヲメー他の馬場さんファンからも嫌われるぞ😅😅😅
@user-jz9mg6bz8y
@user-jz9mg6bz8y 3 ай бұрын
若しも引き抜きがなければ シンは国際軍と ハンセンは維新軍と 各々ユニットになっていたのだろうか 「シンよ~ ナンも美味いけどな~ やっぱり、カレーには銀シャリが合うんだよ~♪」
@maruhiroya417
@maruhiroya417 3 ай бұрын
オーケン😂😂😂 #日本印度化計画
@user-ev9gp5pv9x
@user-ev9gp5pv9x 3 ай бұрын
プロレスの対戦成績は筋書き通り。1980年台の視聴率、観客動員数は新日本の圧勝であった事は周知の事実。猪木さんと馬場さんは純粋なプロレスラー。両者の挑発合戦は所謂ブックだったのでは?敢えて両者の勝敗を決めたいのであれば闘魂と王道を比較したら良いのでは?闘魂は継承されてるけど王道はされていない。これが全てかな。最後に、猪木さんと馬場さんの真の関係性は両者にしか分からない。
@yonehisasix128
@yonehisasix128 3 ай бұрын
いいよな。当時の新日オタ全日オタ爺同士の今でも譲らない感じ。 オレは90年代からのオタだから割とどっちも等しく好きだったからその感覚はちょっと羨ましい。
@t2y45
@t2y45 3 ай бұрын
私は馬場も猪木もレジェンドとして間違いなくリスペクトしているおっさんです。近年になり馬場や全日が優勢だったとか、どうだったこうだったという情報操作がされているように感じます。少なくとも70年代~80年代初期の全日本プロレスは最悪な低迷期であり、会社も不渡りを出したような記憶があります。猪木がオープン選手権に参加しないことを、猪木が逃げたなどと思ったプロレスファンは皆無だったようにも思います。それどころか全日・国際・豪華外人が束になっても、猪木ーロビンソンの1戦に吹き飛ばされたのが実情であります。むしろプロレスファンは馬場の姑息な手段と嘲笑したような感じでした。ハンセンが移籍して復調基調となりましたが、新日本はハンセンがいなくなった後に最盛期を迎えるほどの勢いでしたのが70年代から80年代中盤の天龍革命までの日本プロレス界でした。この時期、猪木の1強なんですよ。対抗馬も存在しない時代です。って書いたら猪木信者に認定しないでくださいね。馬場さんの時代は日プロの60年代であり、それは私の知る由もない時代です。おそらくほどんどのプロレスヲタクだって見てないはずです(笑)60年代/馬場70年代/猪木80年代/タイガー長州天龍UWFその他ミックス90年代/四天王三銃士が日本プロレス界のトレンドです。異論は認めません・・・一応(笑)
@user-iw4hu6hb8p
@user-iw4hu6hb8p 3 ай бұрын
80年代前半にプロレスに大はまりした者として、その感覚はよく分かります。 しかし、私も60~70年代はリアタイでは知らないながら、馬場の全盛時代(インター王者の頃)は明らかに絶対エースであり、猪木は2番手であるという序列ははっきりとしたものだったのだろうと、色々な資料を繙くと感じます。 それは丁度、80年代前半の鶴田と天龍の関係のような、コンビを組んではいても「上下は決まっているよ」と誰もが思うヒエラルキーがあったのではないでしょうか。 馬場と猪木は同期ながら、5歳上で衰えの早かった馬場は一足先に全盛を迎え、レスラーとしてのピークは猪木と時間的に被らなかったのだと思います。 この動画で語っているのは、政治的次元での馬場対猪木です。
@t2y45
@t2y45 3 ай бұрын
@@user-iw4hu6hb8p コメントありがとうございます。馬場猪木の競争ってのはプロレスラーとしてのみではないのですよ。両者は団体経営者として、そしてプロモーターとしても競争しているのです。全日-新日・NWA-WWFの現実を見る限り猪木の慧眼が上ってのが結果であり、そしてアリ戦を実現した時点でプロモーターとしても猪木が上になったと私は見ます。アリ戦は馬場の政治力を打破したハシリだと言えるでしょう。私とあなたの違いは私は70年代を知っているおっさんだってことです(大爆)
@maruhiroya417
@maruhiroya417 3 ай бұрын
情報操作=そもそも、全日は馬場さん時代の大元だった読売からしてそう言う体質ですからね。「発行部数世界一」にNYタイムズからクレーム来たのは有名だしw 馬場さんの「古巣」の巨人はジャンパイアw プロレス中継だって力道山時代に赤坂から強奪したばかりかリベンジを狙った赤坂(初期国際)や猪木さん推しで初めたテレ朝、赤坂撤退後に引継いだテレ東(国際)に対しても嫌がらせ。
@Namatamago-Hanjukuouji
@Namatamago-Hanjukuouji 3 ай бұрын
​@@t2y45 アリ戦て今では歴史的偉業として評価されてるけど、当時は試合内容も批判されて借金も残り興行的にも散々だったのでは? 貴方の言い方だといかにも当時から評価されていたように受け取れてしまいますが、それこそ印象操作情報操作になってしまうと思いますよ
@t2y45
@t2y45 3 ай бұрын
@@Namatamago-Hanjukuouji コメントありがとうございます。評価って何ですか?通知表をもらって5段階評価で5をもらうのも評価だし1と下されるのも評価でしょ?本来プロレス格闘技の評価を記事として扱わないNHKや3大新聞社が報じた時点で評価をされているのです。アリ戦は間違いなく当時から世界中で評価をされて、結果ドイツのボック、ブラジルのグレーシー、パキスタンのペールワンの目に留まったことは事実です。ものごとの評価は賛否両論でいいんです。賛でも否でも評価です。成功もあれば失敗もある。それも現実です。チャレンジが失敗したから評価無しなんていうほど私は若くないのです。
@user-xr9cn3xp1n
@user-xr9cn3xp1n 3 ай бұрын
アントキの猪木はどうしてるいるのか❓😀
@user-qg4xn4nc3p
@user-qg4xn4nc3p 3 ай бұрын
新日本は引き抜いた外人 成功したのは、ディックマードック位で 失敗は アブドーラザブッチャー ブルーザーブロディ位かな?
@user-ni7sd8jv9y
@user-ni7sd8jv9y 3 ай бұрын
失敗じゃない 上手く使えなかっただけ 新日には彼等の相手する人間が猪木しかいなかった
@user-zq5or3ot4p
@user-zq5or3ot4p 2 ай бұрын
引き抜きではないですがジュニア戦線は栄えた グラン浜田のマリポーサ殺法でショルダースルーをアクロバティックに反転して立つのを見たときは驚きました 外国人選手のルチャなどまだ放映ではカード組んでいる時代ではなかったから 藤波のM.S.ガーデンでのチャンピオン誕生⇒佐山のタイガーなど新間の仕掛けは怒涛でワクワクしましたね のちに知った国際、全日・・・マイティ、寺西も優れていました
@user-fg3yj1ki2y
@user-fg3yj1ki2y 3 ай бұрын
馬場が老獪な策士なのは確かだけど、新日には全日は勝てなかったと思う。 70年代は異種格闘技戦、80年代前半はタイガーマスクがいて、 圧倒的に視聴率で負けていた。 唯一全日が勝っていた時期は80年代後半じゃないか? 長州率いるジャパンが参戦して、外国人もロードウォリアーズがいて、輪島がいた。 90年代になると、闘魂三銃士、ベイダー、ビガロ、エルヒガンテ、 全日は当初は鶴田がエースで、病気で第一線を退くと三沢がエースで、川田、田上、小橋など四天王と、外国人はハンセンという絶対エースがいて、テリーゴディ、スティーブウィリアムス、アンドレ、 ほぼ互角だった気がする。
@user-lg8wy5uc4g
@user-lg8wy5uc4g 3 ай бұрын
シングルでの対戦成績? ブックだろがwww
@maruhiroya417
@maruhiroya417 3 ай бұрын
3本勝負で猪木さんが1本取った試合もあるのに猪木さんファンでさえスルー😅😅😅
@user-ni7sd8jv9y
@user-ni7sd8jv9y 3 ай бұрын
ブックという事を証明してみろwww
@user-ds3zr7nf9u
@user-ds3zr7nf9u 3 ай бұрын
馬場猪木戦はガチ。ノワ全試合ガチ
@user-ni7sd8jv9y
@user-ni7sd8jv9y 3 ай бұрын
証明出来ないくせにブックだとwww オマエの空想なんざ聞きたくもねーんだよ😛
@user-ni7sd8jv9y
@user-ni7sd8jv9y 3 ай бұрын
@@maruhiroya417 3本勝負での1本は 50%程度の力加減だから 簡単に1本取らせる事、多々あるの知らない訳じゃないだろう✋ アンタ程のプロレス好きが😬
@user-pf2jn2zz2v
@user-pf2jn2zz2v 2 ай бұрын
BIの関係性を語る時猪木や新間さんはリスペクトがあった。ただ和田京平ら全日関係者って上から目で偉そうなんだけど何様?興行でも視聴率でも圧倒的に負けてたでしょう。猪木は要所要所で馬場を持ち上げていたと思い    ますよ。自分はやっぱり猪木信者だと思います。
@user-gy4tn2sr5m
@user-gy4tn2sr5m 3 ай бұрын
全日本も新日本を潰せなかった。馬場を持ち上げる嘘はやめてもらいたい。
@user-ni7sd8jv9y
@user-ni7sd8jv9y 3 ай бұрын
バカめ😂 潰す気なんてなかった😬 そんくらい読めんのか?
@user-ni7sd8jv9y
@user-ni7sd8jv9y 3 ай бұрын
@@ari_1041 オマエが言うな(笑😆)
@user-ds3zr7nf9u
@user-ds3zr7nf9u 3 ай бұрын
常に、全日本は新日本に苦戦していた。大きく見せてただけ
@user-ni7sd8jv9y
@user-ni7sd8jv9y 3 ай бұрын
@@user-ds3zr7nf9u 苦戦してたかも💬かもしれないが 金はあったから✋
@user-bm6hc8db5o
@user-bm6hc8db5o 3 ай бұрын
20:18 大木戦を含め、短時間で勝ったから俺の方が上との馬場理論。子供心に違うんだよなあと感じた。ファンの記憶に残るのはどちらかな?馬場は最後まで、なぜ新日があれだけの熱狂的なファンを抱えたのか、理解出来なかっただろう。
@mathenglab144
@mathenglab144 3 ай бұрын
馬場は小者。 見たものの気持ちや感動が理解できない人。 そもそもガチじゃないんだから短時間で勝っても意味ないのに。
@cubbi106
@cubbi106 3 ай бұрын
当時私は中学生でしたが、短時間で勝ったから馬場の方が上だなんて、自分含め周りの誰も思いませんでしたね。 ロビンソン戦は「やっぱり猪木の方がより手が合うな」とか大木戦は「やっぱり大木ではなぁw」といった感じでした。 子供だったあなたが、その理論は違うんだよなあなんて考えることができたのには敬服しますよ。
@user-bm6hc8db5o
@user-bm6hc8db5o 3 ай бұрын
@@cubbi106 馬場対大木、馬場対ロビンソンのシレッとした試合後。 猪木対大木の試合後のノーサイド抱擁、猪木対ロビンソンの60分ギリギリまで手に汗握る攻防。
@user-ds3zr7nf9u
@user-ds3zr7nf9u 3 ай бұрын
馬場バカすぎw凡戦ばっかやん
@user-zp1ki6jy9r
@user-zp1ki6jy9r 2 ай бұрын
八百長の茶番だよな。プロレスらしいよ(笑)
ПОМОГЛА НАЗЫВАЕТСЯ😂
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Chapitosiki
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How I Did The SELF BENDING Spoon 😱🥄 #shorts
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Wian
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ПОМОГЛА НАЗЫВАЕТСЯ😂
00:20
Chapitosiki
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