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【ゆっくり解説】昭和の常識 総集編 パート1 何から何まであの頃が懐かしすぎる
1:03:00
【ゆっくり解説】昭和時代の学校にあった、今はなきもの 13選
18:24
Кто круче, как думаешь?
00:44
Don't underestimate anyone
00:47
I thought one thing and the truth is something else 😂
00:34
Turn Off the Vacum And Sit Back and Laugh 🤣
00:34
【ゆっくり解説】昭和生まれの「団地生活」あるある 12選
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ゆっくり昭和ボンバイエイ
Күн бұрын
Пікірлер
@腐儒者
Жыл бұрын
子供の頃、親の仕事の関係で教員住宅(団地)に住んでいたけど、隣の人から「旅行に行く間、植木に水やってくれないかな」と頼まれて鍵を預かったけど、今にして思えば、大らかな時代だったな。
@みんなの幸せが恋人なヤンデレちゃん
4 ай бұрын
隣の留守を預かるとか、ありましたよねー
@user-ty8jy9yt6m
Жыл бұрын
最近になって団地暮らし始めた者です。中はわりと綺麗で、若い人は少ないけどおばあちゃんおじいちゃんが優しくて温かい雰囲気です。毎日外掃除してくれてるから綺麗に保たれているし。何と言っても家賃が1万円台の3DKなのでほんとに助かっています。
@山田聡-x1j
Жыл бұрын
小学生時代、団地住まいだった。父が酒癖悪く、父が寝るまでボコられたのでいつも寝不足…ちょくちょく学校で居眠りして問題になった。あまり小学校の記憶はない…ただ…ちょっと仲良くなれたクラスメイトの子と、父の風呂時間に合わせて合図をするようになった。隣りの棟に住んでた子なんだけど、自分の部屋の窓からその子の家のベランダが見えた。時間になるとその子がベランダに出て懐中電灯を点滅させてくれる。自分は部屋の窓から同じ懐中電灯でそれに答える…それだけ…それだけのことなんだけど救われた。団地というと、個人的にはその点滅を思い出してしまう。
@くろ-v9h
Жыл бұрын
家庭って閉鎖空間だろうから、身近なお友達の存在が大きすぎるし嬉しいだろうね。 コメ主さんが素敵な人生を送れていること願っているよ。
@リトープス-b4u
Жыл бұрын
同じ!昭和は未成年者にもタバコモ酒も売ってくれたし、夜中出歩いてても皆へっちゃだから、叩き起こされて買いに行かされましたわ!
@G-kr3bb
Жыл бұрын
映画にしてほしい😢
@user-kj7bm5vl9m
Жыл бұрын
いきなり飯がまずくなるコメントやめてえええええ
@tintableful
Жыл бұрын
そういうお友達がいてくれるのは、心の支えになりそうですね。
@伊藤潤-m6w
Жыл бұрын
団地暮らし確かに子供会の人数はすごかったな。行事も毎月のように色々あった。 夏は肝試しもあったな。 昭和の古き良き思い出❤
@山口久美子-d1n
Жыл бұрын
懐かしい~ 子供の頃住んでました 学校で大怪我した時には 秒速で団地内に広がり 隣の棟のおっちゃんが学校に迎えに来てくれたりこれまた違う棟のおっちゃんが病院に連れて行ってくれたり おばちゃん達がお見舞いに来てくれたりとても親切にしてもらいました 団地生活は楽しかった思い出しかないです
@ノブコフ-i2p
Жыл бұрын
自分は一軒家住みだだったけど、小学生の頃は団地住みの友達が物凄く羨ましかったな 遊びに行く時もあの階段昇る時のワクワク感や不思議な感覚になった事を中年になった今でも覚えている 6年生位になるともう待ち合わせ場所にチャリンコで集まるようになるから、今思うと二度と体験できない時間だった
@展覧会-r7g
8 ай бұрын
分かります。実家マンションですが、何故かワクワクするんですよね。
@根岸梨沙-p1d
Жыл бұрын
未だにまさにこの型の団地暮らしです。 不便ではあるけどやはり家賃の安さには敵いません
@mix-op2pj
Жыл бұрын
小学生から社会人まで団地で過ごしました。子供の頃は調味料の貸し借りなど普通だったし、隣家への届け物なんかもよく預かってました。 入居初期の風呂がバランス釜でシャワーも無く、入浴前に浴槽上部と底部で温度差がある湯をかき混ぜてから入っていたのも懐かしい思い出です。
@剛田武-h3s
Жыл бұрын
自分が子供の頃は確かに団地は古臭いイメージあったけど、それでも中に上げて貰えば外観に反して割と綺麗だし普通に広いし、すぐ近くに友達同士が住んでるしで羨ましかった記憶。
@Wadatsumi777
Жыл бұрын
私は小学校低学年まで団地に住んでましたが隣に住んでる同級生以外は他の住人の事はよく知らなかったのですが学校終わって帰った時に家に誰もいなくて鍵もない時にはよく知らない反対隣や2軒隣とかのおばちゃんが「ウチに上がって待ってなさい」と家に入れてジュースや麦茶をくれたりしてましたね。 昭和ではなく平成初期でしたが団地の子供が困ってたらみんなで面倒見るのは当たり前、みたいな感じでしたね。
@naganagyukiyuki
Жыл бұрын
バランス窯は東日本大震災の時の停電でも使えて結構便利だった
@いぬわん-h7d
Жыл бұрын
子どもの頃団地生活楽しかったですね。近所に似たような年頃の子どもがたくさんいて、みんなで遊ぶのが普通でした。未だに団地の頃の夢を見ます。
@kamimiso9
Жыл бұрын
私もその頃の夢を見ます。 まるでタイムスリップしたかのように…… それほど当時の思い出が強烈だったということでしょうか?
@朝倉哲也-c6h
Жыл бұрын
やはり昭和はいい意味でも悪い意味でもおおらかですね。
@ammmmmu
Жыл бұрын
今20歳、団地で大人になるまで過ごしました。 周りはちょっとずつ取り壊しで住宅地になっていって、最後は寂しかったです。 カビ、エレベーター,シャワーなし雨漏りで本当に地獄のような18年間でした。それでも家の前で遊んだり友達は隣に住んでたりといい思い出です。
@magokoro10
Жыл бұрын
団地の住人はよくショッカーに襲われて人体実験の標的にされてましたね
@加藤淳一-c4g
Жыл бұрын
金町の団地で幼少期を過ごしました。楽しかったです。昭和の団地は江戸時代の長屋だよね。人情がありましたね。
@N--jv3go
Жыл бұрын
団地経験のない内の母は団地の事を西洋長屋と言っていた。
@sakaejumo6757
Жыл бұрын
youtubeでも日経映像チャンネルで「団地への招待 (1960)【高画質・公式完全版】」のタイトルで当時の団地を紹介する映像があがっていました今回の動画と合わせて視聴するとより面白いと思います、団地が当時最先端だったということがよくわかります。
@白黒パピヨン普及協会
Жыл бұрын
ある日突然おすすめに出てきてその存在を知った、関連動画に「し尿のゆくえ」も出てきた 一酸化炭素中毒で死にかけるんですよね😅
@めろんぱん-w9l
Жыл бұрын
小学2年生まで団地っ子だったけど団地内に友達たくさんいたな✨😊 スイカ割りしたり楽しかった! 狭い部屋で家族4人で住んでたけどいつも同じ空間にいて仲良くて幸せだった♡ʾʾ
@MikuMikuCh
Жыл бұрын
親の帰りが遅くて暗くなってから外で遊んでいると友達の親が外にいないで中で待てと家にあげて飯食わせてくれたり おやつ時には割とホットケーキとかポップコーン作ってくれる人が居たりと今になって思えば常に大人の目があった 団地で相互監視的なコミュニティが形成されていると子供には安全な場所になるのかな でもプライバシーはないし放任だと悪評も伝わるから親の立場じゃ住みたくないか
@abbtk14
Жыл бұрын
就職して家賃が格安の古い団地の一室を見に行ったら、騒音禁止やゴミ出しルールに加え自治会や地域活動への強制参加などなど数十項目もの入居条件を突き付けられて断念。どうりで家賃が安いのに長年空き部屋だったわけだと納得…。
@matushita326
Жыл бұрын
団地というのは下町の長屋同様に共同体なのよ だから団地によっては専用の公民館みたいな共有施設を持っててそこで会議に参加したりもあって面倒なんです。
@毛利蘭丸
Жыл бұрын
団地には移動スーパーがよく来ていました。
@lostparadise4611
Жыл бұрын
_夜中にお隣から中年夫婦の夜の営みの声が漏れ伝わって来ると_ _まだ無垢な子供には_ _その声は結構なホラー😱_
@petenshi_2023
5 ай бұрын
令和の今も時々聞こえてくるのです…(老人同士)
@パーンマーン
Жыл бұрын
夕方遊んで帰っていたらカレーのにおいがして今夜はカレーか!とテンション上がっていざ帰ってみたらカレーじゃなくて魚だったときの絶望感!!!!
@tora631
Жыл бұрын
懐かしすぎる!子供の頃、上の階のおっちゃんの小便音が夜中にうるさくて、 自分は下の住人にそう思われないように気を使っていた小学生。 おっちゃんは5階の最上階だから気付けない悲しい状況だったけど、団地の住民って変な人以外はみんな仲良くできて面白かった! 隣と醤油や砂糖を貸し借り出来たり、作り過ぎたおすそ分けなんて日常だったイイ時代♪ 9:03の勝手に人が入ってくるとか今だとコントみたいですが、当時は普通にありましたねぇ
@N--jv3go
Жыл бұрын
近所の屋上がある公団住宅では屋上は洗濯物を干す以外は出入り禁止で遊ぶなんてもってのほかでオッカナイ管理人に見つかると大変で公団の管理体制の厳しさを知ることになった、住んでた人も自室以外に行かない様に非常に気を使っていた、中学生頃の話だが自分だったら少しでもうちにいる時間を減らしたくなるような環境だったが昨年解体されて民間に払い下げられてしまった。
@antawaerai2000
Жыл бұрын
団地には住んでなかったけど近所に団地があり、小学生の頃はいい遊び場になっていた。 毎日紙芝居屋も来ていたので団地の中にある公園は子供の憩いの場になっていた。
@JM-tw3vl
Жыл бұрын
社宅から団地に移って長く住んでました。台所には湯沸し器を付けてました。物干しは竿を下ろす棒がありお風呂場には外に出て釜をたく扉がありました。色々思い出して懐かしかったです。
@MN-dp4di
Жыл бұрын
HONDAのメッッチャクチャ狭い一軒家社宅だったのですが、集合住宅、団地の友達が羨ましかったです。
@m.yamamoto.2129
Жыл бұрын
子供の頃、団地に住んでいました。話に誇張が多いと思います。あの当時、高度成長時代は都市部に人が流れ込んで、都市部は住宅難でした。番組では言ってなかったですが、日当たりと風通しが良いのが、団地のメリットです。広い敷地にゆったりと建ていて、大抵、南向きだったので、冬も室内は暖かった。夏も、あの当時、エアコンなんかありませんでした。北側に通路は無く、南北に窓が開けられたので、当時は、夏、扇風機だけで過ごせていました。極めて、省エネ住宅だったと思います。今でも、リホームすれば穴場です。
@kamimiso9
Жыл бұрын
幼少の頃から20代で故郷を離れるまでずっと団地住まいだったので、めちゃめちゃ共感できるネタがあちこちにありました。 その団地、市内にいくつもある市営住宅の平屋建てで、便所は汲取、ドアチャイムもないので来客者はドアノック、おまけにカマドウマなどの虫の宝庫w というとにかくスゴイところでした。 それでも近所には同じ学校の子たちがたくさんいたので、放課後や休みの日にはいつもその子たちと近くの児童公園で遊んだり、その子の家に行ってゲームをしたりしてました。 やがて高校生になり、老朽化の為に建て替えられると聞いた時はそりゃもう喜んだものでした。 今でも帰省すると、私たち家族がかつて住んでいた、現在築30年のあの団地がまだ綺麗な状態で存在しています。ただ家族は私が離郷した後すぐ引っ越したので、今はそこに住んではいませんが…… だけど私の心の中には、あのボロい市営住宅で暮らした小中学生時代の思い出がぎっしり詰まっています📓✨
@nojyukunin
Жыл бұрын
団地に住んで55年ですが、近所の人が勝手に入って来るなんてのは、 少々誇張し過ぎかと。 ただ、不在時に宅配便を預かって貰ったり位はありましたよ。
@chiudfdnso
Жыл бұрын
団地っ子でした(^^)集団登校の時に、おばさんが傷を治してくれたり、敷地に公園があって、みんなで遊んだり、近所には友達が多くて楽しかったです。スーパーもあったし。ただ、最近の都営と違って、エレベーターがなかったですね。少子高齢化でもなかったし。今にして思えば、あの時代が良かったなと思います。
@aiai5313
Жыл бұрын
団地住まいでしたが、友達と遊ぶのはほんと困らなかったな〜と思います。近所のおばちゃんとかが鍵忘れて家入れないでいたら家に入れておやつ出してくれたり、優しかった☺️4階で階段でしたがとても足腰は鍛えられて良かったです😂 その後結婚して別の団地に住みましたが若いとゴミ出しが厳しく凄いゴミを見られて嫌な思いをして団地によって全然違うんだと思いました😅
@秋月瑞穂
Жыл бұрын
東京で小学生になる頃に団地に引っ越したなあ。あんまりこんな感じじゃなかった(と思う)けど。
@MINAMO.2922
Жыл бұрын
今50歳。小2まで住んでいた埼玉県の団地には団地内に小学校、保育園、プール、スーパー、郵便局、魚屋、寿司屋、ラーメン屋、床屋、美容室、病院、歯科、バス停は数カ所、公民館のような所、そろばん教室、絵画教室、習字教室、学校のグラウンドより広い公園、覚えてるだけでもこれだけありましたね。 お風呂は浴室自体がもっと広くて浴槽も画像より大きかったです。 桜、ツツジ、紫陽花、他にも花壇がそちこちにあって綺麗でした。 大きな木もあちこちあるから真夏でも日陰になって涼しかったです。 Googleで確認するとまだその団地があってやっぱり整備されていて綺麗なんですよね。 同じ部屋にまた住みたいなぁなんて最近特に思いますね。
@越智幹夫
Жыл бұрын
1970年ころ建てられた団地は、とにかく狭かったです。 居室が4畳半2間+6畳というと広そうに思えるでしょうが、畳そのものが6尺×3尺じゃなくて、縦横共に10%ずつくらい小さかったので、6畳間といっても面積は普通の4畳半くらいしかありませんでした。 6畳間を家族4人の寝室にしていましたが、布団を4セット敷くとはみ出していました。 家族連れでキャンプに行ったときに、2.7m角(4畳半相当)のテントを張ったら、女房が「広ーい」と喜んでいました。
@jt521bc7
Жыл бұрын
家から車で15分位のとこに50年近く前の幼い頃住んでた団地のアパートがまだあるので時々通ると懐かしいです。 よく遊んでた近くの学校跡みたいな公園が 実は浜田省吾さんが通ってた小学校だったと最近知ってびっくりしました。
@古澤修-b1m
Жыл бұрын
団地の原型は大正時代に同潤会アパートが1923年(大正12年)の関東大震災復興に合わせて大正末期から昭和初期に かけて青山や代官山など東京各地に建てられましたが、老朽化のため最後まで残った上野下同潤会アパートが2013年に 解体され姿を消しました。(表参道ヒルズの一角に青山アパートの一部が復元) 日本最古の団地は、千葉県にある八千代台団地で1956年竣工。京成八千代台駅前に「住宅団地発祥の地」の碑があります。
@パラdelivery
Жыл бұрын
昔の団地の常識と今の団地の常識は、違いますね。今は、立派になってますよ。😊
@tommyu3984
Жыл бұрын
今、団地に住んでる。外見は古臭くて野暮ったいけど、中はリノベーションされてて、家賃の割には住みやすいから気に入ってます。
@虎猫華
Жыл бұрын
水洗トイレが少ない時に団地はトイレが水洗だった。
@chaco-papeco
Жыл бұрын
羨ましいかったよなあ😅
@埼玉原人
Жыл бұрын
小さいころ、戸田市の団地に住んでました。 真向かいの家に遊びに行くと、いつも一瞬頭がクラっとしたのを覚えています。だって部屋の間取りとか台所の洗面台とか、全部が私の家を鏡に写したように正反対だったんだから。
@inoneko9999
Жыл бұрын
今でも築年数の古い町営、市営、区営、県営住宅は変わりませんね。上の階の人の足音が聞こえたり、風呂は未だに動画のだし、 階段には自転車が置いてあるし、中庭では子供遊んでるし。無くなったのはご近所付き合いとかの繋がりくらいかな。
@あんこ-n4r9j
Жыл бұрын
いつも、コメントを見ています。私も、そうだ棚〜とか、とても、昔が懐かしいです。
@mantamasa
Жыл бұрын
地方の団地に住んでた。風呂はもう少し大きかった。風呂のガスを止めるのを忘れていて、よく沸騰させてた。 広場はあっけど、広場は駐車場だった。 ソ連のフルシチョフカを元に団地が出来た。
@kyorochan888
Жыл бұрын
親の職場の借上げ社宅の団地で育ちました! こないだ久々に立ち寄ったら遊び場だったトコがみんな駐車場になってて寂しさを感じました😢
@ORA291
Жыл бұрын
実家住まいの頃は、確かに玄関に錠前、寝る時以外かけたことないな。LPガス屋が配達来た時、時々うちで寛いでて、ばーちゃんと世間話しながらビッグコミック読んでたな。ちなみに、ねじしまり錠です。
@淳一小車
Жыл бұрын
団塊ジュニア世代で 俺が子供の頃は団地の中でも同じ学年の子供が居て 友達が直ぐに出来たな 一昨年 子供の頃に過ごした団地に行ったけど 全然活気が無くて寂しく悲しかった
@霞太郎-o2y
Жыл бұрын
去年から団地を購入しリフォームして住んでますが、予想以上に日当たり良好で静かで快適ですよ。
@ooutsuke1560
Жыл бұрын
玄関ドアの下の方に宅配の瓶牛乳専用のポストが有る 映画に「団地妻シリーズ」が有る
@けい-i1b
Жыл бұрын
インターホンの『ブー』音。 ドアノブが 掴み式の丸い形。 団地暮らしは、割と普通でしたね。社宅も団地タイプ。公団も団地タイプ。一戸建ても有るけど三角屋根の瓦葺き二階建てがスタンダード。マンションはお洒落だとかハイカラとか言われていましたね😮団地暮らしの友達は結構いたから。懐かしいですね☺️
@behsan41
Жыл бұрын
インターホンではなく ドアベルとかドアチャイムですね ドアブザーとも言います
@真紅の稲妻-b6c
Жыл бұрын
兵庫県明石市です、小2まで公団住宅に住んでました、棟の前に必ず公園や広場、グラウンドがあって、かなり快適でした 10 10:42 適でした当時お風呂が無い家もあったのであのお風呂不便と思ったこと無かったな、年に一回位給湯器が故障してたまに銭湯通うのも楽しかった、因みに五十一歳 10:42
@ogikubo15
Жыл бұрын
3:47 この写真の洗面所はちゃんとお湯の配管が来てますね。シングルレバー混合栓になってる。
@米-j8o
Жыл бұрын
市営・県営:一定以下の所得の人々の為に用意された住宅 公団:都市計画で学校・商店・住宅を丸ごと設計した街にある事が多く、一定以上の収入でなければ入居できない。分譲もある。 官舎:国家公務員や警察官用の住宅。 社宅:全国転勤を伴う大企業が所有する社員用の住宅。 以上見た目が似ているのでマニア以外には同じに見えるが、芝生の有無や敷地の余裕、広さなどに違いがある。 現在は上記すべてが12階建くらいのマンション型に集約されている。なお自前で集合住宅丸ごと社宅として所有する企業は減少し、UR(公団)の賃貸などを社宅代わりにしている会社が多い。
@嶋村らんらん
Жыл бұрын
昭和の団地育ちです。ご近所の繋がりは、調味料の貸し借りは無かったし、村八分ってのは無かったけど、今よりは人との関わりは濃かった感じです。子どもが多く、ご近所の家の子と一緒に遊ぶとか、大人たちもお互いの家を行き来してたから、確かに噂話はやたら広まるかも。
@tsukuneko7
Жыл бұрын
元、町田の山﨑団地住み いまだに古臭い団地見ると近寄ってしまうほど好き 給水塔の無機質さとか良いよね
@鴫原淳一
Жыл бұрын
山崎ね! 俺も山崎団地育ちだよ
@mullt4067
Жыл бұрын
40数年前、ある日母と出掛けてて家に帰ると友達が勝手に私のプラレールで遊んでましたからね。 さすがに母が友達に説教(これも当時ならでは)して一旦帰らせてましたけどね。 私はそのまま一緒に遊びたかったですけど(笑)
@hiro-jj9cc
Жыл бұрын
何から何まで懐かしいです もう私の住んでた団地は取り壊されてしまいました
@nabe9215
Жыл бұрын
団地の中庭と言えば、昨年公開されたシン・ウルトラマンで人間体の外星人メフィラスと、ウルトラマンことレピアの憑依した神永新一がブランコに乗りながら会話しているシーンが印象的ですね。
@momomania1993
Жыл бұрын
小中高と団地住まいだった。 友達と広場の公園で毎日遊んで本当に楽しかった。 団地には思い出がいっぱいある。 コメント欄見てても久しぶりに温かい気持ちになれるよ😌
@mauve_lilac
Жыл бұрын
今は底辺と言われて辛いです。民度表向き悪くない 3DKに1人 障害者なので住めます。 故障したら家の中は自己負担水漏れ コーキングなどは 公社 応急負担ですが。細かいお金や殺虫剤、助走用具雪かき用具、外ホウキチリトリ 脚立自前。気にしない人は、何も気が利かない 、2年毎かわる管理人も気の利かない1人はまわりが大変。 私いつもまきこまれる。ごめんなさい言わない人。 内緒でホウキチリトリ220円ぐらいだし、年1 新しいのに自腹 取り替え 家賃 駐車場プラス用具月々な5000円プラス 団地の、余剰金なくなりおくやみが3軒短い期間につづくと2棟 で 4万円。電気代アップ 階段 外灯 団地の管理費から おくやみはプール金ないので、これからは都度集金。になります。 イタイ。💴🥺
@kenichiota897
Жыл бұрын
静岡の田舎から大阪府に来た時は部屋がめちゃ小さく感じて、都会って苦しく思った。階段を上がって家に入る事が新鮮だった😊
@setsunasamidare
Жыл бұрын
私が住んでいた団地は古かったので、トイレには洋式トイレの使い方が図解付きのプレートがトイレの扉の内側に貼ってありました😸
@matushita326
Жыл бұрын
伊東園ホテルの熱川思い出した。熱川第一ホテル時代の名残で トイレの扉に脱脂綿は備え付けのゴミ箱に捨ててくださいプレートが 脱脂綿って何やねんって数秒考えてみてあーこの時代、生理用品の事を脱脂綿というのかぁってなり、昭和だなぁと。
@白黒パピヨン普及協会
Жыл бұрын
@@matushita326 生理用品が出る前は、実際に脱脂綿使ってた時代があったらしい
@matushita326
Жыл бұрын
@@白黒パピヨン普及協会 そう、 代替品というかまだナプキンが世に出回ってなかったわけです。伊東園ホテルは買収した古い宿の再生がメイン。熱川第一ホテル時代の1970年代のパンフレットがネットにあることから推察するに、坂井泰子 氏の発売した アンネナプキンの発売は1961年 おっしゃるとおり 脱脂綿を使っていた時代があった。
@zenryu5679
Жыл бұрын
昔団地に住んでいましたが、全部当てはまっていました。 ドアは鉄製で重くて、閉めるとバシャンと大きな音が響きました。 家族旅行で飼っていた金魚の餌やりに近所の人に頼んで鍵を預けたりポストに鍵を入れたりしていました。 洗面所が水しか出ないタイプで冬場冷たく、洗濯機置き場もないんでベランダに出していました。 トイレがフラッシュバルブ式で足でレバーを踏んで水を流していました。 便座も上蓋がなく溜まり水が丸見えタイプでした。 エアコンと電子レンジを使うとブレーカーが必ず落ちました。 昭和末期はまだ子供の数が多くて団地内の小学生以下の子供にはクリスマス会があって毎年集会場を借りて開催していました。 平成初期までは移動図書という本を積んだバスが団地にやって来て本を借りれたりしました。 近所付き合いが密でした。 今、当時住んでいた様な団地が次々取り壊されてうちも同級生の親も殆んど引っ越してしまったんで連絡がつかずに同窓会も不可な状態です。 うちの親も今は戸建て住まいですが今の住所は知らせていませんし連絡もきません。 うちは分譲の団地で今もそのまま建っていますが、売らずに内装を全てリフォーム(洗面所にお湯が出せる様お湯の配管を天井裏に這わせたりテレビ付きインターフォンに交換したり、タンク式ウォシュレットに交換したり)して今は他人に貸していますけど、老人ばかりで子供なんて居ませんし空き部屋が多いです。 家賃相場が安くてそんなに取れないけど、かと言ってリフォームしなければ入居が決まらず改装した分赤字です。 おまけに建物の老朽化で管理費も年々値上げされたんでその分うちには入らず損しています。 早くぶっ壊して新築マンションに建て変わってくれりゃあさっさと売り払ってお金に出来るのに...
@楓雅-k3x
Жыл бұрын
小学生の時に、学区の端っこで学校まで遠くて、同じ登校班に同じ年の友達がいなかったので、学校のそばで小学生が沢山いて、遊び場にも困らない団地暮らしの子がめちゃくちゃ羨ましかった…
@seahopper7388
Жыл бұрын
鉄道の京成グループは住都公団の名残が結構あるんよね 北総線に元公団所有車があったり(千葉ニュータウン鉄道9100形)、新京成に高根公団駅があったり
@りのさん-u1p
Жыл бұрын
公団(現UR)育ち、現在再びUR住まいの私が通りますよ。昭和30年代に公団が次々に建てて行った団地は当初家賃が高く、ホワイトカラー層の住まいだった。羨ましがられるのはこの頃のことですね。私が小学生だった1980年代になると庶民にも手の届く価格帯でしたので、すっかりバカにされる感じになってましたけど。 1980年代は調味料借りるとか玄関の鍵をかけてなくてご近所さんが入ってくるのはあり得なかったですけど、昭和30年代の、公団の住民がハイソな方々の時代ならなおさら、そういう雰囲気だったのか疑問に思います。公団以外の団地の話も混在させてるのではないですかね。供給元によって入居条件が違うので、住人の雰囲気が違ってきますよ。
@1ch2ch3ch
Жыл бұрын
いわゆる公団住宅だと、6階以上でエレベーターがある、 といっても、全ての階に停止せず、3、4階おきにしか止まらない =1、4、7、9階とかにしか止まらない、クソ・オブ・クソ物件もいまだに残ってるからな はよ全滅させてほしいくらいだわ
@dazwhisky2145
Жыл бұрын
団地=公団のことだよね。うちの地方は一戸建ての住宅地のことも団地って言ってる。
@kiyumiponto
Жыл бұрын
田畑を戸建て用に造成して分譲された地区ですね。 住所表記も新たに地区名付けられたり「字」が無くなっていたり
@usako825
Жыл бұрын
昭和40年代、団地に住んでました。 子供がたくさんいて賑やかでしたね。 ピアノ弾いても何も言われませんでした。 お互いさまって感じでした。 お風呂にシャワーなかったし 洗面所は水しか出なくて冬は辛かった! 今はボタンひとつでお風呂が沸かせて便利な世の中になったな〜。
@三日月うさぎ-p4m
Жыл бұрын
懐かしい。 昭和40年代の公団に住んでいました。 年収○万以上と決まりがあり、高収入か共働きでなければ住めないと母は話しておりました。 団地内のスーパーマーケットは早い時間にしまってしまうので、たまに調味料の貸し借りはありました。よく手作りお菓子や手作りパンをあげたり貰ったりしました。 隣近所のお付きあいがあり、毎日一緒にいたけど楽しかったです。全然ストレスなかったです。
@晋松林
Жыл бұрын
自分は学生の頃ですが団地ではないけど社宅にすんでいましたよ。
@宇髄天元-o2s
Жыл бұрын
わっちも中1の春休みから団地住まいになったけど風呂はこんな感じだったわ❗懐かしいけど嫌な思い出でもありんすよ~😂🤣
@1ch2ch3ch
Жыл бұрын
10:02 団地にエレベーターがない、ってのは、 厳密には5階建以下の建物にはエレベーターの設置義務がない=任意でごく一部にしか設置されていなかったはず いつからそうなったか知らないけど、6階以上でエレベーターの設置義務ができてたような 長崎の軍艦島にあった日給社宅に至っては、9階建てまであったのにエレベーターがなかったありさまだし、引越し業者の苦労を想像せずにいられない だから、エレベーターの設置義務から逃げようとわざと5階建にしてんだし、エレベーターがないことが、引越しのバイトが嫌がられる一番の原因でもあんだよ 10:28 >エレベーターは全部の階に止まる? 近所の市内にあった団地に、14階建てもありながら1階・4階・8階・12階だけにしか止まらないという、頭の狂った団地もあったなあ まあ、そこも最近解体されたけど
@晴龍-c2s
Жыл бұрын
平成以降は5階でも設置義務が生じた(4階だと無し)だったと思う。 抜け穴として賃貸マンションを傾斜地に建る場合に下層部を地下階扱いにして(地下1階エントランス)にして、名目上地上4階地下1階にすれば高額コストが掛かるエレベーター設置を回避する方法もある。
@sunaneko70
Жыл бұрын
家族ぐるみの付き合いだから週末は3家族くらいで集まって食事してたな。
@kanaha.s8373
Жыл бұрын
子供の頃団地住まいでした 毎年夏に団地祭があって団地内の公園にやぐらを組んで屋台のお店もあって楽しかった思い出
@yu-712
Жыл бұрын
前に住んでたアパートと同じ風呂だわ。 カチカチまわして火つけるタイプの ヤツだった。
@先走魔羅男
Жыл бұрын
懐かしいな、自分も昔は団地住みで家族狭しながらも楽しく過ごしてました バブルの影響で一室増加されて弟の部屋になったのは羨ましくもありましたが、後に自分は地元離れて就職したから結果オーライだったと 今は過ごした団地はどこにもなく全てマンションに代わりそこに住んでいます これも時代なのでしょう マンションなのでエレベーターがあるのは年老いた親がいる身としてはありがたく思っています でも未だに市営として団地が残ってる所もあるので完全に消えるのはまだまだ先じゃないかな
@まりりん-d5l
Жыл бұрын
昔団地に住んでいたから、あるあるすぎて懐かしいなあ。。 お風呂ねー!! カチカチやってつかなくて、毎回格闘してたww 家の鍵忘れた時にはベランダから入ったのもよくやったなあ ポストに鍵無かったな←
@勝太郎-g3p
Жыл бұрын
掘っ建て小屋も多かった昭和3、40年代、団地は憧れの住居だったのだろうなぁ。 平成一桁になっても、団地より狭くてボロいアパートは沢山あったし。
@ファインダー越しの艶やかな豆腐
Жыл бұрын
年収何百万以上の人じゃないと入居出来ない最先端の高級住宅でしたよね
@user-gq6wu3mx1y
Жыл бұрын
昭和30年代だと、メシを食う部屋が和室ではなくて、テーブルにイスってあたりがなんとなく西洋風でお洒落に思われたのかな。自分らの頃には団地の友達の所に行くたびに確か2つ年下の男の子がいつもくっついて来てた。ある日「今日、弟は?」「オレ弟いないもん」「誰?」「知らねぇ」それでもなぜか遊んでました。あの男の子は一体………?
@シャムロックE
Жыл бұрын
団地、懐かしいです💗幼稚園の頃から就職するまで、団地の中の実家に住んでました。高度成長期真っただ中なので子供も多く、いつも団地の中は賑わっていました。調味料の貸し借り、作り過ぎちゃったからと言っておかずのおすそ分けなど、母親たちがいつもしてましたっけ。 私が住んでいた団地は都内で築50年以上ですが、未だに建っています。近々取り壊される予定なのが悲しいです。団地は戦後の古き良き昭和の象徴ですね。
@cruelkappa
Жыл бұрын
会社の近くに団地があって、 なぜか独身社員が多く住むようになって 一時期社員寮みたいになってたなぁ。 自分も立地が便利だったんで社会人になって初めてその団地で生活してたけど、 同じ社員が近くに住んでるのはちょっとイヤだったなw 結婚して今は違う場所に住んでるけど今振り返れば良い思い出。
@user-ij6d
5 ай бұрын
立川の団地に昭和40年代に住んでたけど入居希望者は棟数の4~5倍いて、抽選待ち(世帯月収が5万円が入居条件)だったと思う。ちなみに大卒の初任給が4万円位の頃のお話。当時新築の団地暮らしは大げさに言うと現在のマンション並のステータスがあった気がする。
@ふじかわタクマサ
Жыл бұрын
子供の頃団地にいたので大体当てはまったなぁ。
@ナイトバード-n4m
Жыл бұрын
団地に住んでますけど話しとはかなり違いますね。6階建て以上の高層団地だとエレベータはあります。もちろん全階とまりますよ。ドアノブは丸くありません鍵も2つあり、侵入されません。😮子供の頃は隣人宅からベランダを伝って入れてもらった事はあります。😅建てられたのは50年前だけど団地は消えてないです。それどころかモノレールが開発計画中だし、リニアも近くに通るみたいだから発展するかも
@user-ry7cn4hw8o.fukufukuteru
Жыл бұрын
千里ニュータウンとかエレベーターがないのに各家庭で牛乳とっているから朝っぱらからクソ重い瓶の牛乳をまとめて持って階段上り降りするの大変だったみたいだ
@まほうねこ
9 ай бұрын
昔は階数のある高い建物が少なかったから、団地の高層階(といっても5階ほど)に住んでいる友達の部屋から見る街の景色が好きだった😊
@blastersmaster2094
Жыл бұрын
昔子供の頃に80年代後半に2年半ほど団地に住んでたことがあるけど、さすがにその頃だと玄関ドアに鍵をかけないとかプライバシーが無いとかそういうのはなかったなあ。あと物干しが低い位置にあるというのは下着とか他人に見られたくないものを干す用途ですね。階段の昇降は足を鍛えられるから健康に良いんだと捉えようw
@matushita326
Жыл бұрын
団地というわけじゃないけど夏場に玄関全開にして風通ししてるアパートの住人はよく見る。
@高辻龍也
Жыл бұрын
この頃は汚いことして遊んでたけど、今より心は豊かだったね😂
@sannowa
Жыл бұрын
武里団地は驚異だったマンモス団地で10階建てだったか一部の棟はエレベーターがありスーパーには監視カメラ(昭和40年代だよ)洋式トイレも始めてだった中学になって学区が団地と一緒になり団地の子は垢抜けてた すべてが都会的な驚きに満ちていた 今はどんどん取り壊されてるみたいだな
@ひさしはたの
Жыл бұрын
団地住みだったので、だいたいわかる。うちは平屋の団地だったので、2部屋しかなく、子どもがいる家はだいたい部屋増設してた。あとお風呂も無いので基本増設。 近所の人は、ほとんど顔と名前は把握してた。それと家の鍵はだいたい夜以外かけなかった。 今は新しく(マンション風に)建て替えしてて移住して古い平屋は取り壊されていきました。
@安房千綿
Жыл бұрын
昭和40年代。当時、私の実家は戸建てとはいえ借地の上に立った小さなボロ屋で内風呂もありませんでした。(地主が近所でも有名な変人で建て替えや改築に難癖つけてうるさかった)自分の部屋なんてなかったし、祖父母同居で友達も呼べなかった。だから核家族できれいな団地に住んでいた同級生がうらやましかったです。あの頃は団地住まいが最先端でした。
@月ノ輪熊
Жыл бұрын
地方では「県営」と「市営」でスペックが割と違いましたね 県営団地のほうがなんとなくキレイでスマートにできてました 併設の公園が広くてみんな遊びまくってたな😊
@jm1260
Жыл бұрын
昭和ギリギリ生まれただけど、田舎だからか団地より一軒家が主流だった。 団地って耳をすませばの雫が住んでいたイメージ。
@モグタン3-o2k
Жыл бұрын
初コメント失礼します。 団地妻シリーズ懐かしいです💚
@すぴっちゃ
7 ай бұрын
出生から高校卒業まで団地だった。兄弟20人・叔父10人・叔母10人・祖父母10人みたいな感じ。わかりやすく言うと。運動会に盆踊り、ゴレンジャーやロボコンが来たり、楽しかったな~
@内田昭夫-y6j
6 ай бұрын
東京の赤羽台団地の跡地にUR都市機構(旧日本住宅公団)が運営する「URまちとくらしのミュージアム」があります。(事前予約制のツアー形式) 子供の頃に、となりの桐ヶ丘団地に住んでいたので、懐かしい展示内容でした。
@1019ha
4 ай бұрын
昔勉強が出来る女の子が住んでいた。我が家六畳と4畳半で風呂なしでボットントイレ。憧れでしたね。現在は50坪の自宅です。
@iwaiwaiwaoo0309
Жыл бұрын
昔住んでた団地は平屋型だったから隣の家のベランダから帰るのはデフォ 二階はキュルキュル鍵だったから、鍵いらない。 上の子が下の子をみるのは当たり前。(どこの子か知らん) ご近所で子供育ててたようなもん。 あと、同じ建物ありすぎて幼稚園くらいのときは迷子になってた。 給水塔を目印にって 公園がなんやかんやであったけど、ここはドッヂボールしてるから、とか缶蹴りしてるからとかで毎日遊ぶ友達が違かったからすごい楽しかった。 😊
@てれさ-j4i
Жыл бұрын
田舎の我が家はインターホン、ブザーもないぜ。 ごめんくださーーーい!ってドア開けてくる。
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