演奏家にとっての不都合な真実(月光ソナタを例にピアニストが解説)

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西 能希(Yoshiki Nishi)

西 能希(Yoshiki Nishi)

Күн бұрын

Пікірлер: 30
@kakoou3362
@kakoou3362 Күн бұрын
11:23 あえて強い言葉を使いますが、この理念は「クソ」です。 大まかに3つくらい理由がありますが、文字に起こすのが面倒くさいので一つだけ。 17-19世紀にかけて自身のインスピレーションを他人に伝える手段は楽譜に書き残すことでした。当然作曲者が授かったインスピレーションは当然楽譜のみで完結するはずもなく、細かいルバート、フレージング、ペダル、様々なことを省略します。20世紀になってスクリャービン、ドビュッシーがピアノロールを録音し、プロコフィエフ、ラフマニノフらが78rpm等に自作の録音をし始めました。彼ら作曲家が残したレコーディングは明らかに初版の楽譜には載っていない作曲家の自作に対するイメージをレコーディングに投影し、作曲者の意図を楽譜より正確に後世に伝えることが可能となりました。 戦後のドイツから広まった楽譜原点主義者の一般的な主張として「作曲者の意図がより正確に読み取れるため、Urtextを使うのです!」はよく耳にするでしょう。しかし動画投稿者様の先生のように「この曲が(あくまで作曲家視点)こんなに素晴らしいのを示す以下略」という理論であれば20世紀に作曲家が自作を録音した曲であれば楽譜原点主義者は全員同じように作曲家の録音のみから解釈を勉強し、できるだけ似せるように演奏しないといけないはずですよね?現状としてそれは起きていないわけですので楽譜原点主義者が掲げる(作曲家視点)的な理念はそもそもダブルスタンダード的であり、単に先生の先生に教わった教えを盲目的に掲げているだけにすぎない、と思わざるを得ないのです。 少し論点が逸れ、楽譜原点主義自体への批判となりますが、そもそも形式的な作曲とは形式的な即興から派生したものに過ぎませんので(西洋音楽的には)、当時の演奏者は曲中の音程自体をいくらばかし改変しても作曲上「その曲がその曲であるため」の要素を理解していため、別になんらおかしいことではなかった、という前提が存在していました。であるため、現代人が議論するこの「フレーズはペダルを用いるべきだ」「このトリルはベースノートと合わせるべきだ」等の議論は本質からあまりにもずれている気がします
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 Күн бұрын
まあ演奏家と言うのは実際ダブルスタンダードが当たり前と言うか、自分勝手なところがあるのは事実なのですが。 ただこの部分は私の伝え方がうまくいかなかったということもありまして。つまり私の先生も楽譜通りに弾かないことは結構良くありましたし。 しかしそれは自分で考えて答えをだすことで安易に人の真似をしていれば良いということではないという話ですね。 またコンクールと言う場についてという話ですが、それについては一般的にコンクール受けをする弾き方ってのがあるので。 技術を見せびらかすように下品に弾いてしまう方向性で、作品によってはそれでもいいでしょうがその得点狙いの演奏を目指す中で音楽的美しさを損なうようなことはやめるべきと言う話です。音楽を聴くならyoutubeでコンクール優勝者の演奏ばかり聴くのではなくもっと古い世代の19世紀や20世紀前半生まれの演奏家を聴いていかに音楽的で自由であったかを知るべきとは言われましたね。 中々マンツーマンで長い時間をかけて指導されていることの一部を言葉にしたので誤解を招く部分もあったと思います。 ご意見ありがとうございました。
@kakoou3362
@kakoou3362 Күн бұрын
@@yoshikinishi1713 作曲者の意図を楽譜で読み取ることは手段であり、手段が目的化してしまっていることに気づいていないため葛藤が生まれ矛盾が生じるのではないでしょうか。私の批判は主義主張に対してのみであり、個人や個人の音楽体験等を下に見たりする意図はないことを一応綴っておきます。読んでくださりありがとうございます😊
@erikasono565
@erikasono565 Күн бұрын
自筆譜等から作曲家の意図を読み取ろうとする際には、楽譜に明記されていることだけではなく、当時の演奏習慣や演奏法、楽器の音色、作曲家個人の書き癖などを含む不文律をすべて考慮に入れた上で、作曲家が想定していた音楽を、まるで誰かが演奏しているかのように頭の中ではっきり鳴らす必要があります。 楽譜校訂というのは、資料の状態や伝承などの史料批判 Quellenstudien とともに、そうした楽譜解読の際のデノテーションとコノテーションを考慮した上で、現代の五線譜に表記して、最も作曲家の意図が伝わりやすい形に仕上げるのが、校訂者の腕の見せ所です。 それでも、できるだけ正確に作曲家の意図を読み取るためには、原典資料、その忠実な清書 Nachschrift (推敲の跡などを見やすく整理したもの)、校訂譜の3段階が必要だと言われています。 - 演奏家の皆さんも、現典版、批判校訂版と銘打たれたものでも頭から信用せず、校訂報告を見ながら原典資料を自分で読み解く習慣をつけるとよいと思います。 校訂者には、多かれ少なかれ必ずと言ってよいほど、解釈に悩む箇所があるものです。 それは、資料の状態からある程度作曲家の意図を明確に推定できることもあるけれど、場合によっては、解釈の幅が生じるということを意味しています。 その「作曲家の意図に忠実な解釈」の幅の中で、演奏家が揺れ動く解釈を音にするとき、最も作曲家の意図に忠実で奥深い演奏ができる、と私は感じています。
@耕新71
@耕新71 2 күн бұрын
私は四小節ともペダル無しが良いと感じました。もちろん、コンサートホールで聴いたらまた違う意見になるかもしれないので、それを確認するためにも西さんの月光コンサートをぜひ、開催お願いします‼️😉👍️✨1/10は行きたいけど行けない。次は行きたい❗
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 2 күн бұрын
録音を聴き直すと4小節ともなしというのも楽器や響きによってはありなのかもと思います。 1月10日は直前ですからね。いつかお越し頂けるのを楽しみにしております。 コメントありがとうございました!
@耕新71
@耕新71 2 күн бұрын
@@yoshikinishi1713 西さんの月光が入ったCDが欲しいです。(^^)🎶
@切明政憲
@切明政憲 3 күн бұрын
小倉貴久子さんが楽器も含めて当時の姿に近づけようとしてますね。 私は現代のピアノは少し声が大きい人みたいで19世紀前半までの曲は古いピアノで演奏したほうが好みですし、それを踏まえるとベートーベンの指示も理解できます。
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 2 күн бұрын
現代のピアノだからこそできる表現があるように、当時のピアノのだからこそ出来る表現も必ずありますよね。 19世紀にはピアノの出現以降チェンバロはピアノになる手前の不完全な楽器という意見もあったらしいですがそれは暴論でしょう。 同じように現代人がモダン楽器以外を下に見るのもまた傲慢なんでしょうね。 コメントありがとうございます!
@erikasono565
@erikasono565 Күн бұрын
「ロマン主義」、私が日本で大学院生の頃、東大駒場教養学部ドイツ科主宰で、大学や線香を超えて学生らが夏の野尻湖畔に集ってドイツ語で議論するインター・ウニ・ゼミナールのテーマになったことがありました。 その際、文学を中心とする「ドイツ・ロマン主義」の定義は、「現実が悲惨だからこそ、現実逃避して理想に走った結果の芸術」のような解釈をされていたことを思い出します。 フランス革命後、ナポレオン失脚後のウィーン体制下の欧州は、市民革命の機運が抑圧されて悲惨でしたからね……。
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 Күн бұрын
現実が悲惨だからこそ…と言う部分もあるでしょうね。つまり現実逃避と言うか理想化された世界の話ですから。 形式的で理性的。合理的な古典派に対抗して現実に存在しない物。理想化された田舎。恋愛。また病気や自〇などもテーマになりますし、それをあくまで理性や客観でなく主観で捉えた世界といいましょうか。中々難しいですよね。個人的にはベートーヴェンの月光はシュトゥルム・ウント・ドラング的な哲学を感じるのですがそれとロマン派の違いを説明しろと言われると私も中々うまくできる気がしません。 まあ定義の話なんてどうでもいいのかもしれませんが、そんなことを考えるのも楽しいものです。
@erikasono565
@erikasono565 Күн бұрын
@@yoshikinishi1713 当時のインター・ウニ・ゼミナールの議論の中で私が鮮明に覚えているドイツ・ロマン主義の定義の一つが、ノヴァーリスの詩を例として引いたもので、愛しい少女のことを歌った詩の中で、「私はその少女の頭に、そっと手を載せて幸せを願いたいと思う」だったかな? 動物的な性的衝動とは対極にあるのはむろんのことですが、少女の頭にそっと手を置くという行動すら、この詩人は「願う」だけで、実際には行動に移していない、これがロマン主義だ、という解釈を聴いて、衝撃を受けたことを覚えています。 願望が大きければ大きいほど、そして現実がその願望と乖離していればするほど、フラストレーションは高くなる。 その満たされない衝動が、ロマン主義芸術を突き動かしている原動力だというのです。 - その意味では、シュトゥルム・ウント・ドラングは、既存の形式を打ち破る衝動ではあっても、いわば、実際に行動に移してしまっているわけですよ。 そういうのはロマン主義ではない、というわけですね。 - ただこの違いは、文学ではかなり鮮明だと思うのですが、言葉を伴わない音楽、純粋器楽の場合には、形式からの逸脱という観点からだけでは捉え切れないから難しいですね。
@西尾惇声
@西尾惇声 Күн бұрын
フォルテピアノを弾き慣れる機会(弾いてみる機会ではないことに注意)があれば、その時もう一度試してみていただきたいですね。 私個人としては、モダンピアノであっても自筆譜及び原典版の指示通りが好きでした。落差が魅力的なのです。ハッとさせたり、感情的に振り回したり・・
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 Күн бұрын
ありがとうございます。フォルテピアノ…中々弾く機会ないですからねー。是非試してみたいです。 個人的に驚きだったのは今回は弾いている時はそうでもないのですが動画編集の時に聴き直すと楽譜通りバージョンもありに聴こえてきたことなんですよね。中々奥深いです。コメントありがとうございます。
@yuitiro
@yuitiro Күн бұрын
私の独断と偏見ですが、 1>3>2>おまけ と感じました。
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 Күн бұрын
私もそうなんですが、しかしアンケート結果は違ってて…しかしアンケートが絶対でもないですからね。色々なご意見頂けるの嬉しいです。 ありがとうございます!
@nicochin3
@nicochin3 23 сағат бұрын
当時のピアノは現在のモダンピアノほど余韻がスパッと切れず、ペダル無しでも少し余韻が残っていたのではないかという話もあるようです。モダンピアノで再現する場合、折衷案でハーフペダルという方法もありますね。
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 21 сағат бұрын
色々な方向性がありえますよね。当時の指示を守ること。 当時の響きを想像してハーフペダルのような方法で再現を試みる方法。 試行錯誤も面白いです。
@クロイッチ
@クロイッチ 3 күн бұрын
ああ、ペダルなしがいいと感じたの俺だけじゃなかったんだ
@クロイッチ
@クロイッチ 3 күн бұрын
「正しい」と「美しい」は別物で、「正しい」は作曲家が決めたもので不変だが「美しい」は聴衆の感性が決めるものなので常に変化すると思う。
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 2 күн бұрын
本当におっしゃる通りです。 そんな中正しさを求める人も美しさを求める人もいるからこそ面白さがあると思うんですよね。 ご意見ありがとうございます。
@tomonoriozeki
@tomonoriozeki 2 күн бұрын
これはまず現代の"モダンピアノ"で弾くと、乾ききった音になってしまうと言うことがあるのではないでしょうか? 当時の楽器で試してみたら、また違った響きと味わいになる気もしますね。 (彼は乾いた音を好まなかったらしい) いずれにしても、じゃあなんで彼はそう書いたのかor"書かなかった"のか。 「楽譜通り」のその先にある、作曲家の目指したものに思いを馳せると、また音楽の世界が広がって魅力的ですよね😀
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 2 күн бұрын
確かにこの部分に関して音をイメージするとそうでしょうね。フォルテピアノのあの何とも言えない響きの残る音色ならありなのかも知れないです。 古楽に取り組む人の姿勢と研究は尊敬しますが、とは言え自分が出来ることでもなし。またベートーヴェンの音楽はモダンピアノでも表現出来る普遍性があると信じたい訳で。 そんな中で何でそう書いたのか。本当のところはわからなくても想像したり試行錯誤するのは面白いことなので、願うことならその中で何らかの説得力ある答えを得たいものですね。
@erikasono565
@erikasono565 Күн бұрын
@@yoshikinishi1713 フォルテピアノの場合には、ダンパーペダルを踏んでも、モダンピアノほどの倍音や残響は生まれないので、もともとの響きの独特な余韻と相俟って、ベートーヴェンのあの指示が出てきたのではないかという気がします。 私の場合には、ベートーヴェンやシューベルトの時代のハンマーフリューゲルの録音をいやというほど聴いてきたし、シューベルトの自筆譜を見ながら、当時の音色を想像することに慣れているので、西さんの演奏録音を聴いても、実際に聴こえてくる音そのものを聴くのではなく、「もしこれが当時の楽器で演奏されていたら」と頭の中でイメージ転換して聴くから、「自筆譜の指示どおりがいい」という結論になるのかもしれません。 でもそれを、モダンピアノで再現しなければならない現代のピアニストは大変ですよね。 ***** ところで、知り合いの音楽学者が、2022年のハイドン全集完結を機に、ケルンのハイドン研究所所長を辞して、閉鎖されたケルンのハイドン研究所がボンのベートーヴェン研究所所轄になるのと共に、以前研究員として勤務していたボンのベートーヴェン研究所に戻ってきているということを最近知りました。 その方、以前私に「こちらの研究所にも興味深い研究テーマはたくさんありますよ」と誘って下さったので、久々に連絡をとってみるつもりで、その際にこの月光ソナタの解釈の件を質問しようかと思っています。 でも、西さんの動画は日本語なわけで、いくら自動字幕を自動翻訳できる、音楽を聴けば問題点は分かるはずとはいえ、これらの動画のリンクを張ったところで、問題点が理解されるのかどうか。 新シューベルト全集校訂主幹だった私の指導教授とは、長年の関係からツーカーで通じたのですが、その方とそこまで以心伝心で皆まで言わずとも分かり合える自信は私にもありません。 その方は、ハイドン全集がヘンレから出ていることもあり、学術的ながら、実際の演奏のこともよく理解していらっしゃる方だとは思うのですが、こうした問題はどう解釈されているのか。 ベートーヴェン研究所がこの問題をどう解釈しているのか、私も興味津々です。 何かわかったらご報告します。
@tmyiz8288
@tmyiz8288 Күн бұрын
原典主義も一つの姿勢ですからね。作曲家の意図もかわりますし。
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 Күн бұрын
色々な方向性がありますからね。中々難しいですが違う立場の人も否定せず行きたいものです。 コメントありがとうございます。
@ttwiligh7
@ttwiligh7 11 сағат бұрын
こんな事言うと怒られそうですが、あんま深く考えないでいいんじゃないですかね・笑 つきつめたところで自身の内から湧き上がるものとシンクロしなけりゃ何の意味もない。私の好きなバッハだって、有名な録音でも自筆譜通り弾かれない場合が多々ありますし、それで彼の天才が目減りするとも思えない。当時と今では流行りや聴く方の感性も違っていたでしょうしね。ちなみにベートーヴェンのソナタはこれを聴いてその部分を自分で弾いてみましたけど、ペダルありの方が自然に感じました。音楽は考古学ではなく娯楽なので、「楽しみ方のバリエーションを増やす」ための研究ならいいと思います。 なんでこんな考えに至ったかというと・笑 例えばグールドのモーツァルトなんてありえない、彼のバッハは間違っている、とかうるさい事をいう人が多すぎて、否定ばかりして楽しいの? 好きのバリエーションが増えていいじゃん! と思ったからです・笑 (──でもチェルニーは許さん・笑──) 詩とか小説でも世に出たらもう作者の手を離れるというじゃないですか。楽譜も一旦世に出たらさまざまな意匠が加わっていろんな様相を見せてくれる方が絶対楽しいと思うのです。
@yoshikinishi1713
@yoshikinishi1713 8 сағат бұрын
それは本当におっしゃる通りで、動画の中で言っているように独立した演奏家であれば最終的にはやりたいように弾けば良い。 しかし多くの音楽家は「こうやって弾くのが正しい」と言ったりすることがあります。そしてそのような意見を言う音楽家が正誤については明らかに誤っている方法を取るのは何故なのかと言う疑問が今回の始まりでした。 お話に出てきたグールドのモーツァルトでは彼自身邪道なことをやっているのを自覚しながらも既に色々とやり尽くされた音楽から新たな反応を引き出すと言う目的があり、その結果罵声と言う反応を引き出したと語っているのを見たことがあります。 その様子は確信を持っている感じで明確な目的の上の行為なので(演奏の良し悪しは置いておいて)彼は音楽家として一貫した目的を立てて達成したのだと思います。 結局色々な方向性があるので何が正しいと言うのはないのですが、自分も出来るだけ確信を持って一貫性のある方法てま臨みたいなとそう言うお話でした。コメントありがとうございました。
@ttwiligh7
@ttwiligh7 4 сағат бұрын
@@yoshikinishi1713 なるほど。あくまで聴く側であることがメインの私には、プロとして演奏する方の視点は理解が及ばないところがあるかもしれません。グールドのモーツァルトを例に挙げたのは、実は自分が一番好きだからです。彼の無頓着さが、そこに記された音符の一番純粋な美しさを掘り当ててくれたように感じたのですね。伝統的な解釈をすればモーツァルト自身には近づくが、それを重ねれば重ねるほど音そのものは霞がかかったように遠ざかっていってしまう……もちろんその「霞のかかった状態」の方が当時のモーツァルトが想定していたものに近いと思えるのですが、天才の本質は本人すら自覚しない、その奥にある構造的な部分にまで及んでいるのではないかと……。まあどんな演奏も肌に合わなかったらそれまでなんですが・笑 グールドの音は一気に霧が晴れたようで、これぞ真のモーツァルトだ、と感じたのを覚えています。 同じくグールドのバッハは同じバッハ奏者の中に特に攻撃する人が多くて……。信念と寛容さは相容れないものなのか^^;;; 私もチェルニー許さないとか、ブゾーニのピアノ編曲はどこそこがおかしいとか、声楽曲のピアノ編曲はもはやバッハではない、とかいろいろ思ってるので再び墓穴を掘っているかもしれませんが^^;; 結局は「好み」という領域に帰結する不条理……。 お返事ありがとうございました。
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