【ゆっくり解説】法隆寺が世界最古ではない驚愕の真相!!

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にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】

Күн бұрын

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@hirorinda3918
@hirorinda3918 Жыл бұрын
千年も前の木造建築が、地震、雷、火災、台風などの災害にもかかわらず、今でも残っているなんて奇跡に近い。
@abbtk14
@abbtk14 Жыл бұрын
東寺の五重塔は落雷で何度も焼失しているのに、法隆寺の五重塔は再建された可能性があるにせよ千年以上現存しているんだから奇跡的ですね。しかも老朽化で倒壊なんて事にもなっておらず、間断ない保守が連綿と続けられてきた歴史が素晴らしいですね。
@SHIMEpaseri
@SHIMEpaseri Жыл бұрын
高級皮肉ローストビーフヤメレ
@ジョージアS
@ジョージアS Жыл бұрын
@@SHIMEpaseri止めれ 😅
@特牛-f8u
@特牛-f8u Жыл бұрын
うそはダメ
@マル-e3e
@マル-e3e Жыл бұрын
日本の建築技術は私たち日本人にとっては誇りです。
@Midori-Clover
@Midori-Clover Жыл бұрын
平城京民です。 よく調べて動画を作成されていますが、 9:55 法隆寺心柱が吉野産で、八角形に荒削りして、筏に組んで流して富雄川まで運搬? ちょっと何を言っているか判りません。(笑)😅 吉野といえば、近くの大河は吉野川ですが、途中で紀ノ川と名前を変えて和歌山市から紀伊水道に流れています。 また、富雄川は、大和川水系ですが、古は河内から淀川経由で大阪湾に注いでいたので、奈良(吉野)→和歌山→大阪→奈良(斑鳩)と、ぐるっと大廻りしながら大阪湾を漕いで渡り、更に大和川を遡行したのですかね? (そんなこと、あり得ない!) そして、心柱にする程の大木を筏に組むなんて、聞いたこともありませんね。 心柱が吉野産との確証は無かったと思いますが、古代の運搬の手間を考えると、当時、斑鳩辺りの近辺にあった大木を使ったと考えるのが、まず妥当な所です。 (故西岡常一氏によれば、木の材質について、強いて言えば吉野産に似ているとのことです。) また、伐採した用材を粗削りして加工するのは、生木の状態では無く、樹液を出し尽くして芯まで乾燥させてからであり、それには何年もの年月が必要です。これから、運搬前に八角形に削るのもあり得ません。🍀
@raisondetere1
@raisondetere1 Жыл бұрын
貴殿の情熱は好きです。私は生まれが富雄川近くです。
@平林修二-s3f
@平林修二-s3f Жыл бұрын
中国古代の墓制には、木棺木槨と言うものがありますから、木製の構造物なら法隆寺より古い物は有るでしょうけど、建築物はまた別物ではないのでは?あと、木材の切り出し年代については、時代が古くなるほど、構造が大きくなるほど、切り出し年代が古くなる傾向があるそうです。主に乾燥の為です。戦後でも最低10年は乾燥させると言うそうです。まして古代に於いては。
@SeaBiscuit-k4f
@SeaBiscuit-k4f Жыл бұрын
ミダス王の件り。 何で紀元前8世紀が 9000年前になるの? 紀元前8世紀は 2700年前ですよ
@T茂
@T茂 Жыл бұрын
面白かった!なるほど、自分が賢くなってきた気がする。
@honda10102004
@honda10102004 Жыл бұрын
久原 房之助 は『ひさはら』ではなく『くはら』です 日産や日立の久原財閥総帥です
@kaguyatukikage9094
@kaguyatukikage9094 Жыл бұрын
法隆寺は私の大好きなお寺です😊♫
@kenichifujiwara4382
@kenichifujiwara4382 3 ай бұрын
正倉院の古さの秘密(木材と構造など)を詳細に教えていただき有難うございます。式年遷宮のように立て替えているのではないかと疑ってましたが疑念が吹っ飛びました。
@snack-gon
@snack-gon Жыл бұрын
昔の大工の腕がすごいなと純粋に思った
@may-ky6jl
@may-ky6jl Жыл бұрын
法隆寺を守ってきた世界最古の宮大工金剛組も素晴しい。
@tokumi1975
@tokumi1975 Жыл бұрын
金剛組って倒産してなくなってなかったっけ?
@may-ky6jl
@may-ky6jl Жыл бұрын
@@tokumi1975 西暦578年から大阪・四天王寺のお抱え宮大工として、脈々と続いた金剛組。2005年秋、この1427年続いた企業が倒産の危機を迎えていた。その頃、同じ大阪の髙松建設株式会社(現髙松コンストラクショングループ)の会長、髙松孝育氏は、共通の取引先であった銀行から金剛組の経営危機に関する噂を聞いて、堺市にある金剛組・美原加工センターまで足を伸ばす、、、 四天王寺を守り続けてきた金剛組の技術を、今度は我々が一丸となって守り抜こう」。会長の決断に、大阪中から激励の声が集まった。 現在の金剛組(創業者:聖徳太子)は、髙松コンストラクショングループ傘下で、社寺建築専業に徹している。
@torotorotonarino9652
@torotorotonarino9652 Жыл бұрын
@@tokumi1975 名前を惜しんだ大阪の建設会社の社長が買った。だから、倒産したけど失くなったわけじゃない。
@高-t2p
@高-t2p Жыл бұрын
法隆寺は法隆寺宮大工てあったみたいですよ。まだ最後の弟子生きてるはずですよ。たしか興福寺金堂たててなかったかな?
@torotorotonarino9652
@torotorotonarino9652 Жыл бұрын
@@高-t2p 西岡常一は1995年に亡くなっている。その人が最後の棟梁と言われた人。
@dutro76
@dutro76 8 ай бұрын
若草伽藍跡とかいう処がオリジナルポイント。法隆寺の賛同を南下して行くと起点が在る。法隆寺。参道起点。そして北米最大級のSerpent mound遺跡。これら3箇所で形作る三角形の3辺の合計距離は、金星周長≒アヌンナキのイナンナのシンボル星です。
@ウラノシンジ
@ウラノシンジ Жыл бұрын
四国は徳島県の美馬市に法隆寺より大きく古い寺院跡地がある。郡里廃寺跡です。ここが元で法隆寺を移して造ったらしいです。
@Midori-Clover
@Midori-Clover Жыл бұрын
平城京民です。 徳島県美馬市のHPに、「群里(こおざと)廃寺」の記載があって読むと、「白鳳時代」(=美術史上の時代区分、年号では大化元年(645)から、和銅3年(710))の創建とあります。 法隆寺創建は、それより前の推古15年(607)ですので、創建時には間に合わず、天智9年(670)の火災による法隆寺再建時ならば、時期的に可能性は無くはありませんが、別の記述を見ると「群里廃寺」は、平安時代まで存続したともありますので、やはり違うかも知れません。 しかし、復元想像図を見ると、法隆寺と金堂、塔の位置は逆転していますが、七堂伽藍の大きなお寺だったようで、地元の方々がそう思われるのも無理はありませんね。☺️🍀
@conermattam8324
@conermattam8324 Жыл бұрын
昔の人たちは、使用する建材が大型の建築物に適しているかどうか、どうやって見当付けていたのだろうか 経験則? 五重塔の心柱なんかはこれならなんとかなるやろ、みたいな感じなのか、何か理論でもあるのか
@uybo1
@uybo1 Жыл бұрын
古代の木造建築は耐用年数が数十年。 遷都の理由の一つに同じ場所で立て替えるよりも他の場所へ移った方が合理的というのもあった。 なので当時の大工が特別に高度であったという事もないと思う。 たまたま木材を上手く活用できた物は1000年残り、それ以外の大半は朽ちただけでしょ。
@一竿風月-t4b
@一竿風月-t4b Жыл бұрын
そんな、たまたまで、8世紀以前の木材建築がこれだけ残ってたら怖いですって💧  (もう無くなってしまいましたが)創業500年を超えていた金剛組(宮大工)なら、秘密の伝承があったのかもしれないですねー😊
@uybo1
@uybo1 Жыл бұрын
@@一竿風月-t4b 奈良時代の木造建築なんて天皇の宮殿ですら20~50年で遷都が必要になるレベル。 ごく一部の例外的に残った部材だけで語っても無意味。
@一竿風月-t4b
@一竿風月-t4b Жыл бұрын
@@uybo1 奈良時代の建築でそのまま現存しているのは…、薬師寺東塔、唐招提寺金堂、唐招提寺講堂、東大寺転害門、東大寺正倉院、東大寺法華堂経庫、手向山神社宝庫、同本坊経庫…、書ききれない💧  その『20~50年』というのはおそらく、神道の『式年遷宮』と混同されているのではないかと思います…。  杉で500~600年、松やケヤキでさえ400年程度の耐久性があります。コンクリートで100年なので、実は木材の方が(管理よければ)持ちます。
@uybo1
@uybo1 Жыл бұрын
@@一竿風月-t4b 何度も解体修理されてる物ばかりじゃん
@user-yf6xt4nm9s
@user-yf6xt4nm9s Жыл бұрын
行ってみると、ぱっと見他の寺より圧倒的に古い感じがする
@citydeep2000
@citydeep2000 Жыл бұрын
修学旅行が奈良京都だったのに法隆寺には行かなかった😢
@KeCN
@KeCN Жыл бұрын
法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背銘に書かれている年号「法興」は『襲国偽僣考』にある「九州年号」である。九州王朝が実在したとする歴史家には、奈良の法隆寺は大宰府にある観世音寺を移築したと主張する。その証として金堂の釈迦三尊像の光背銘に書かれている年号「法興」を挙げる。
@heartwave6469
@heartwave6469 Жыл бұрын
武田先生も九州王朝説ですね。懐かしいです。九州[王朝]なるもが実在したかどうかは未知数ですが。私は魏志倭人伝の通信したのは九州の諸国連合だと思っていますが。
@KeCN
@KeCN Жыл бұрын
@@heartwave6469 倭の五王も九州王朝の大王でしょう。歴史学者が当時の天皇へ必死に当てはめようとしますが、同期間の一人の天皇が複数の五王と被るので見ていて滑稽です。武は宋順帝より都督倭の位を受けていますが、大宰府政庁跡の石碑に都督府があるのもその名残かなと思います。
@heartwave6469
@heartwave6469 Жыл бұрын
@@KeCN まったく現状主流と言われる歴史学者先生方は頑なに耶馬台国を大和に持って行こうとしてますが笑止千万、何故それほどの根拠もなしに自説を唱えられるのか甚だ理解に苦しみます。極常識的に考えれば当時の倭国は九州の連合諸国以外に有り得ないと誰でも思いますが。亡き古田武彦氏が和田家文書にまつわる騒動で引退同然になりはしたもこの論を推し進めていればもっと日本の考古学界も進歩したのにと考えると残念です。
@rokurou-saemon
@rokurou-saemon Жыл бұрын
テセウスの船。今まで継続してきたことがすごい!
@国分大輔
@国分大輔 Жыл бұрын
確かに法隆寺の方が建築技術としては素晴らしいのだろうけど、東照宮はその派手さと芸術的な凄さで観光客を呼べてるから、良しとしよう
@ATI_PC
@ATI_PC Жыл бұрын
エンタシスは学術的には懐疑的だったかと。。(近年の観光案内でもそういった言及はあまりされないようになってきているとか。 ) 膨らますのはパースがかかって見えるため、壮大に見えやすいという収斂進化的な相似かなぁとも。
@せと香
@せと香 Жыл бұрын
ミダス王の方は、(木造組み立て家具)です。建築物とは云わないと思う。
@mecom3450
@mecom3450 Жыл бұрын
救世観音像などは明治時代初期に四国の寺から阿闍梨堅雄が盗んだものという説があります。かなり信憑性が高いです。調べてみて下さい。
@小十郎-r1z
@小十郎-r1z Жыл бұрын
材質の問題じゃなくて、形がそのままならそれで良いんじゃないかな。
@杉本忠彦-n6o
@杉本忠彦-n6o Жыл бұрын
まぁ 鉄筋コンクリートでも良いですね😂
@Midori-Clover
@Midori-Clover Жыл бұрын
大阪市天王寺区にある「四天王寺」は、聖徳太子創建の由緒ある寺院ですが、度重なる火災や戦災、そして台風等で焼失、倒壊を繰り返し、現在の中心伽藍(講堂、金堂、五重塔、中門)は、コンクリート造となっていますが、形状は創建当初の姿を模しております。🍀
@みよし三吉
@みよし三吉 Жыл бұрын
日光東照宮の大修理が大失敗なのも 詳しくお願いします。 漆が日本産で賄えなくて大陸産とか使ったけど 数年で剥がれて落ちてる、更に眠り猫と三猿の 塗りが大失敗で変な顔になってる事とか。 仕事がもう末法の時代そのものの酷さなんです。
@風が止む世界
@風が止む世界 Жыл бұрын
未来の職人が見て笑ってしまう様な仕事はしたくないし、させたくないのが日本人なんだけどな。 その工事を給金の為 に安易に施工したおっちゃんはどんな思いなのかな? 今の醜態を見て子孫に俺がした仕事だぞって言えんやろ、東照宮の仕事したこと自体黒歴史になるよね。
@ヨコ-j5x
@ヨコ-j5x Жыл бұрын
法隆寺は昔から、瓦の寄進を募っていますが、今も行っていますか?1枚1枚が改修時に使われる物。40年くらい前に1枚1000円で名前を裏に書いて寄進した記憶があります。
@ttzz-ic9yr
@ttzz-ic9yr 8 ай бұрын
もともと似たお寺が2つあって一方が火災にあったが一方は残ったので、残った方を法隆寺とした。もとは焼けた方を法隆寺と呼んでいたのかもしれない。今の法隆寺に残っている仏像が火災にあってないようで、火災時に持ち出して火災から守ったというのは考えにくい事も理由になっている。
@タケルヤマト-n4d
@タケルヤマト-n4d Жыл бұрын
怨霊封じ説を解き明かして欲しいなぁ
@貫一-e5g
@貫一-e5g Жыл бұрын
「疑惑」と「謎」は使い分けよう。紹介者としては雑把。
@snmr0288
@snmr0288 Жыл бұрын
ここはサムネで煽るタイプなんですよ 前はそうでもなかったんですけど中の業者が変わったのかも
@文彦-t4i
@文彦-t4i 10 ай бұрын
法隆寺の再建の件は、ブラタモリでやってて、それでも最古の木造建築やっていってたけどな
@norice625
@norice625 Жыл бұрын
西岡氏の本を読んだのはかれこれ30年くらい前だったと思う。 もう詳細を覚えて無い。
@もとのゆき-d7n
@もとのゆき-d7n Жыл бұрын
現存する世界最古の〜。 ま、♨でもそうだけど日本だけでもいくつもあるからね。 正直分からんよね。 場所を隣に移し再建とはいえ素晴らしいのは間違いないのだよ行けば分かるよ。本当に美しいよ。
@hellcatcart666
@hellcatcart666 Жыл бұрын
リアルテセウスの船って話も
@4l329l
@4l329l Жыл бұрын
個人的には再建法隆寺は怨霊封じのためなんだがw
@福岡-q8t
@福岡-q8t Жыл бұрын
日本人が故人の怨霊や祟りを気にしだすのは平安時代になるくらいの頃からで、それ以前にはあんまりそういう気配がないんですよね 『日本書紀』にも悪神の話は出てきても、死んだ人が怨霊になったり、祟るという話は出てこない(不幸にも亡くなった人の話は出てくるのに) 長屋王の祟りをやたら気にし出すのも平安時代になってからですし 再建説は7世紀終わりから8世紀ごく初頭と考えられているので、それよりもっと前です 平安期以降の過剰なものではないにしても、それ以前にもシンプルなタタリやノロイの概念はあったんじゃないかと個人的には思うのですが、こんな立派な寺を怨霊封じの建てるというのが大掛かりすぎてちょっと時代と合ってない気がします
@ATI_PC
@ATI_PC Жыл бұрын
怨霊封じなら、蘇我氏の関連古墳もっと違った形になったのかなぁとも。。
@ksleeping4961
@ksleeping4961 8 ай бұрын
『行基菩薩とヘレニズムの復興』って言う本にエンタシスがどこから来たかの新説がありますよ。
@tomohikoo8949
@tomohikoo8949 Жыл бұрын
日本に於いても技術は向上するばかりでなく、下がった事もあったというのが分かるね。 ヨーロッパほどではないのだろうけど。
@光信大塚
@光信大塚 Жыл бұрын
植物と動物のバランス要するに二酸化炭素を酸素にする植物と酸素を二酸化炭素にする動物のバランスです!
@riben_agong
@riben_agong Жыл бұрын
百済経由で高句麗経由じゃないよ
@mandamnippon1
@mandamnippon1 Жыл бұрын
建てた大工さんは1000年持つと考えていたのかなあ?
@田舎のごんたろう
@田舎のごんたろう Жыл бұрын
柱の材木が1000年生きていたら大工は1000年持たすって考え方がある様です…
@仁右衛門エリザベス
@仁右衛門エリザベス Жыл бұрын
あたりまえや
@Midori-Clover
@Midori-Clover Жыл бұрын
平城京民です。 法隆寺を含む、寺社建築の構造材に使用される「檜(ヒノキ)」の性質では、伐採後200年位で、圧縮、曲げ強度が30%増え、それから1000年程掛けて伐採当時の強度に落ち着くとあります。 昔の工人達は、それぞれの木の性質を良く知った上で、適材適所に使っておられたのでしょうね。 そして、1000年建物を持たせるには、適切な時期に適切な解体修理を行って、風雨で傷んだ部材を取り替えるからこそ、姿を保ち続けることが可能です。😌🍀
@青木敏雄-z1j
@青木敏雄-z1j Жыл бұрын
似たお寺が2つあったが一つは火災で消失してしまったようだ。
@takosu4512
@takosu4512 5 ай бұрын
同じような動画が他ても見たけど、どちらが本家❓
@seig-zeon
@seig-zeon Жыл бұрын
建物部分が現存する竪穴式住居なんてあるの?
@osamuedazawa
@osamuedazawa Жыл бұрын
法隆寺の五重塔は吹き抜けになっていて1階建てって本当ですか。
@Midori-Clover
@Midori-Clover Жыл бұрын
平城京民です。 手元にあるイラスト入り「法隆寺-世界最古の木造建築-」(西岡常一、宮上茂隆、穂積和夫著、草思社、1980年初版、2010年3月新装版)を見ると、 五重塔「初重(1階)」の天井には、「格天井(ごうてんじょう)」が張られており、吹き抜けではありませんね。 (塔の中心にある「心柱」は、五重(5階)の屋根を突き抜けて、てっぺんの「相輪」まで達しています。) そして、二重(2階)以降、五重までは、一層下の屋根を支える「垂木」の上に、次の層の柱を建てて、積み重ねた構造なので、天井はおろか床も張られていません。 そのため厳密に言えば、二重から五重までが吹き抜け構造です。🍀
@teacherYouZ
@teacherYouZ Жыл бұрын
テセウスの船
@文彦-t4i
@文彦-t4i 10 ай бұрын
再建の証拠は見つかっているし、聖徳太子像をまつってる時点で、再建されたものが確定してるけどな。 あおるように騒ぐほどの不都合では無いけどな
@mitsuhoshi817
@mitsuhoshi817 Жыл бұрын
西城秀樹「伽藍堂」
@koujiiida8079
@koujiiida8079 Жыл бұрын
信仰の対象として修理保全が続いている事。例えば石の神殿が残っていても残骸ですよ!価値は認めますが!
@ryouichihirakawa5290
@ryouichihirakawa5290 Жыл бұрын
法隆寺は、元々九州に有り解体されて斑鳩に移築したと聞いたことがある。聞き違いかも知れないが。
@dauny08
@dauny08 Жыл бұрын
九州王朝説ってやつじゃないですかね。
@Midori-Clover
@Midori-Clover Жыл бұрын
平城京民です。 それは、ロマンに留めて置いた方が良いお話しですね。☺️ 法隆寺の建築用材となる木の伐り出しと運搬を、人手に頼らざるを得ない古代では、斑鳩の地や奈良近辺にある木を使ったと考えるのが、無難で妥当です。 時代が下がって、奈良近辺に既に大木が無くなっていた、東大寺二度の再建の際には、畿内各地だけで無く、大きな用材を得るため山口県や、宮崎県などの遠方から、年月を掛け、大変苦労して運搬したとのことです。 九州で建物を解体した大量の部材を、当時の手段で遠路運搬する手間、時間を考慮すると、移築説が荒唐無稽なお話しに思えてならないですね。🤔🍀
@dotuboxzr4490
@dotuboxzr4490 Жыл бұрын
「法隆寺は移築された」って本がそんな事書いてた。移築自体は説得力があったけど、元が九州にあったって辺りは根拠が無かった。
@heartwave6469
@heartwave6469 Жыл бұрын
これは法隆寺自体が九州から移築されたもではなく安置された仏像のことを言っているのじゃないか。だから仏背に正体不明の年号が書かれていたと。九州王朝かは別にして。
@Iterry67
@Iterry67 Жыл бұрын
ことさら、これを強調するか。 あなた、日本人ではないね。
@taiyonoboru1192
@taiyonoboru1192 Жыл бұрын
都合悪いところ指摘したら日本人では無いとかwww韓国人と同じマインドだろそれこそがw
@文彦-t4i
@文彦-t4i 10 ай бұрын
世界にとって不都合な真実、世界最古の文明が縄文文明だという事、17500年ほど前の遺跡が発掘されてる事。 これを紹介してほしいわ
@gilbertblythe6245
@gilbertblythe6245 Жыл бұрын
法隆寺はこれまで何度も大修理されていて…直近では昭和大修理で完全解体で修理されている。つまり一部創建時の古材を使い回してはいるものの実態は昭和の再建と考えるのが正しい。金堂や五重塔の基壇を見ればピカピカに近い。上モノを完全解体して撤去したからこそ基壇を再築出来たわけで…その昭和の基壇の上に古材と新材を使って古風な上モノを再築しただけなのである。世界最古の木造建築は…ぶっちゃけ大変な歪曲と言える。
@hummer0anvil
@hummer0anvil Жыл бұрын
テセウスの船でっせ
@Midori-Clover
@Midori-Clover Жыл бұрын
平城京民です。 再建と修理では、少し言葉の意味合いが異なりますね。🤔 法隆寺創建の頃より、時代時代で何度も解体、修理は行われてきたものと推察されますが、当然、使用出来る部材はそのまま使用しますし、風雨によって傷んだ部材は作り替えたり、その部分を切り取って継ぐので、結果として従来と同様の建物に仕上がる訳です。 再建とは、一度無に帰した建物を、再度作り直す事であり、二度の兵火で焼け落ちた東大寺大仏殿や、近年では薬師寺の東塔を除く伽藍などがそれにあたります。🍀
@tokumi1975
@tokumi1975 Жыл бұрын
一度でもばらしたら、それは再建ですよね? いくら材料を流用していても、結局は材料のリユースでしかない訳で。
@Midori-Clover
@Midori-Clover Жыл бұрын
再建では無く、元の姿形に戻す修理と復元ですね。 塔にしても、お堂にしても、木組みを軸に建物が構成されている以上、大規模修理を行う際には、解体→修理(部材取り替えor古材再利用)→復元の手順を踏むのは、この世界の定番プロセスになっていますね。 そして、当事者である寺社関係者や監督官庁等の行政も、修理とは言いますが、再建などと表現することは決してありません。 もう一度繰り返しますが、「再建」という言葉を辞書で引くと、「建築物を建て直すこと。転じて、衰え滅びたものを元のように築き上げること。」(岩波国語辞典) 具体例として、先に述べた、東大寺大仏殿の二度の再建や、薬師寺白鳳伽藍の再建、他にも平城宮跡大極殿、朱雀門などの再建が該当します。 ついでに、「修理」を引くと、「整うように手を加えること。傷んだり、壊れたりした物を繕い直すこと。」 また、「復元」は、「元の位置、姿に戻すこと。戻ること。」とあり、 古材と新材の割合など、些末な問題でしかありません。🍀
@gilbertblythe6245
@gilbertblythe6245 Жыл бұрын
跡かたもなく撤去して更地にしてから、元の場所に再度資材を入れ替えたりしてから組み立た場合…【最古の木造建築】の表現は…都合が良すぎると思います。 使いたいのは分かるけど。エジプトのピラミッドは5000年前のままだから昔からのピラミッドなのであって…一旦更地にしてから同じ石材でクレーンで組み上げたら…もはや復元ピラミッドでしょう?
@dotuboxzr4490
@dotuboxzr4490 Жыл бұрын
梅原猛のは「説」ではなくてただの感想だと思う。個人の感覚以外の根拠がまったく無い。
@torotorotonarino9652
@torotorotonarino9652 Жыл бұрын
「作品」でしょ。作品が妄想ベースなのは普通のこと。
@小林義和絵画ちゃんねる
@小林義和絵画ちゃんねる Жыл бұрын
法隆寺が世界最古なんだ? それすら知らなかった… 出雲大社は??古事記にも出てくるくらいだから古そうだけど…立て直した?とか??
@黒猫-r7z
@黒猫-r7z Жыл бұрын
出雲大社は日本一高い建物だった、と言われている。その図面(昔は偽物とされていた)もあり、敷地内からも柱(三本の木を1つに組んだもの)と思われるものが見つかって、現在では実在したという説も有力になってきた(昔はトンデモ説でしかなかった)。現在の本殿は1744年(江戸時代)に建てられたもの。
@小林義和絵画ちゃんねる
@小林義和絵画ちゃんねる Жыл бұрын
@@黒猫-r7z さん 詳しくありがとうございます。 柱が見つかったのは聞いたことがありました。 地中で腐ってたのが一部分残ってただけだから、現存する建築物とは言えないんですね。まあ見えてる部分は立て直しですしね…
@ジョージアS
@ジョージアS Жыл бұрын
出雲大社で 発見された柱は「心御柱(しんのみはしら)」や「宇豆柱(うずばしら)」で、鎌倉時代のものと推定されます。 それより前の事は 分かっていません。
@小林義和絵画ちゃんねる
@小林義和絵画ちゃんねる Жыл бұрын
@@ジョージアS さん そうなんですね~ 鎌倉かぁ じゃあ、古事記の記載とは関係ないですね…鎌倉のころに立て直した可能性もあるかもですが… お詳しいですね
@user-ponkotsukakumei
@user-ponkotsukakumei Жыл бұрын
あくまで「現存する」世界最古 だからね。
@uybo1
@uybo1 Жыл бұрын
おそらく日本最古の木造建築は縄文時代の竪穴式住居だと思うぞ。
@poissonblanc3106
@poissonblanc3106 Жыл бұрын
石器を使い、材料に木を使い、何か建てれば、それが木造建築なんだし、最古は、縄文よりも遥か昔じゃないかな 人類誕生とほぼ同時期とかね   そこそこの知能と器用さがあれば、人間以外でもできそうだし、人工物に限定しなければ、更に昔・・
@ATI_PC
@ATI_PC Жыл бұрын
現存しているかどうか、、が問題なのであって。。
@saburoutanba581
@saburoutanba581 Жыл бұрын
法隆寺が斑鳩寺と呼ばれていた頃はペルシア系移民だった聖徳太子の一族が信仰していたミトラス教の寺院で、太陽神ミトラスが祀られていた。 AD643年に山背皇子と上宮王家が斑鳩寺で滅亡した際にミトラス神像は搬出され、山城国蜂岡寺(源広隆寺)を経由して信濃(上宮王家の所領)に運ばれ 翌644年に建立された信州善光寺に絶対秘仏として安置された。645年の乙巳の変で蘇我入鹿他蘇我宗家が滅亡後、朝廷は藤原氏が中心になって 斑鳩寺を解体し、仏教系の法隆寺として再建して仏像等内容物を全て入れ替え、西域出身のペルシア系移民としての上宮王家の証拠を全て抹消した。
@ATI_PC
@ATI_PC Жыл бұрын
日ユ同祖論は遺伝子で否定されていますよ。。戦後左派の反動での異説奇説が俗説として残ってしまっただけで。。 西域人が官僚にまで成ったって話なら有るには有るが、、それが王族に近い人間に何処まで影響を与えたかと言うと。。それに聖徳太子なら仏教からの影響のほうが強いから、異郷人を絡めるのは。。 それこそ正倉院に入っている宝物のように、多様な影響が有るのだから、どれか一つをピックアップして、、ってのが、チェリーピッキング。
@tokumi1975
@tokumi1975 Жыл бұрын
法隆寺、何回も解体修理と言う名の再建をしているんだが…。 これで世界最古とか言うのはどうなんだろうか。 日本は他の国のように文化財に手を加えずに保存すると言う考え方が無いのが残念。
@メタトロン-r9d
@メタトロン-r9d Жыл бұрын
まず湿度や災害等で定期的に保全や補修しないようにするのは不可能に近いですし、海外の世界遺産も定期的に保全作業を行ってますよ しかも日本の場合は基本宮大工が伝統的な工法によって補修を行っているので何も問題がないかと
@メタトロン-r9d
@メタトロン-r9d Жыл бұрын
再建の際も使用されていた木材はすべて流用されてますし、傷んだ部材は置き換えて当時の通りに修繕している以上何の問題もないかと
@tokumi1975
@tokumi1975 Жыл бұрын
@@メタトロン-r9d それって、ただ単に伝統的な工法を使って材料を再利用して元通りに再建しただけですよね? そんな建物を築1000年以上とか言うのはどうなのでしょうか? ばらした時点でメンテナンスの域を超えています。 それだと、瓦を一枚や床板一枚だけ残して残りは全て新しい材料で作り直しても修理と言い張る事ができますね。
@Midori-Clover
@Midori-Clover Жыл бұрын
⁠@@tokumi1975さん 「再建」では無く、元の姿形に戻す「修理」と「復元」ですね。 塔にしても、お堂にしても、木組みを軸に建物が構成されている以上、大規模修理を行う際には、 解体→修理(部材取り替えor古材再利用)→復元の手順を踏むのは、木造建築物保全の定番プロセスになっています。 そして、当事者である寺社関係者や監督官庁等の行政も、「修理」とは言いますが、「再建」などと表現することは決してありません。☝️ そして、「再建」という言葉を辞書で引くと、「建築物を建て直すこと。転じて、衰え滅びたものを元のように築き上げること。」(岩波国語辞典) 具体例として、東大寺大仏殿の二度の再建や、薬師寺(東塔を除く)白鳳伽藍の再建、他にも平城宮跡大極殿、朱雀門などの再建が該当します。 ついでに、「修理」を引くと、「整うように手を加えること。傷んだり、壊れたりした物を繕い直すこと。」 また、「復元」は、「元の位置、姿に戻すこと。戻ること。」とあり、 古材の再利用など、これらの字義から見れば些末な問題でしかありません。🍀
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