@@暇-d4u 長生きしたフランツ・ヨーゼフ帝が頑迷な保守派だったうえに、少なくとも3つもの破滅フラグを立ててしまいましたからね。 ① 結婚するための見合いで、見合い相手のヘレーネでなく、見合いについてきていた超美人だがワガママに育てられていた妹のエリザーベートに惚れて皇妃にしたこと、結婚生活は破綻し、自由を愛したその性格は息子のルドルフ皇太子に受け継がれた部分もあるかと。 ② ルドルフ皇太子とも主義主張で対立してました、マイヤーリンク事件自体が無理心中による情死とされていますが、宮廷の保守派による暗殺説もありますし、見殺しにしたのではという疑惑もあります。 ③ 息子亡きあとの後継者になった甥のフランツ大公とも、大公が身分の低いチェコ人の女官ゾフィーを妻に迎えたことで関係が悪化します。冷遇し護衛を減らしたこともサラエボ事件の遠因になったのではないかと思います。ボスニア併合自体もフラグだしね。 ※保守派を自認するなら自分の結婚も律するべきだったし、本人はそれをせずに後継者だけは自分の勝手を押し付けて、帝国滅亡の素地を作った気もします。もしヘレーネと結婚してたらこうはならなかったかも。