【ゆっくり解説】 中華VS夷狄 華夷思想・中華思想とは何か 【周 春秋戦国】

  Рет қаралды 55,777

鳥人間 中国史三昧

鳥人間 中国史三昧

Күн бұрын

Пікірлер: 228
@2ytku723kp
@2ytku723kp 10 ай бұрын
華夷思想編おつ ただ、古代中国に於いても大秦(ローマ)や天竺(インド)は夷狄ではなく、中華とは並行世界に近い別世界の遥か遠き理想郷(アヴァロン)的な存在として認識されてたのかなぁ~と思ったり
@c-history
@c-history 10 ай бұрын
いつもご支援いただき、まっこと有難き幸せ!! 古代中国の人々が遥か遠くの大国をどう見ていたか、非常に興味深いですねェ……
@106タカユ
@106タカユ 10 ай бұрын
こういうのを又聞きじゃなくしっかり理解しておくのは大事なので助かります
@ぷよぷよ-r5j
@ぷよぷよ-r5j 9 ай бұрын
農耕民が壁で集落を囲いはじめた遥か大昔に生まれた、壁の中と外の違いを表す概念が言葉にされ、地域や時代を経て今も残っているって面白いですね。 ギリシャ文化でのヘレネスとバルバロイとかも似たような発想からできたのでしょうね。
@Dust_of_Mount_Taishan
@Dust_of_Mount_Taishan 10 ай бұрын
学術的な知識に富んだ方の解説は助かります。
@monkeylee4818
@monkeylee4818 9 ай бұрын
俺中国人ですが、この動画を見て大変勉強になりました!
@Luckyfirst-d8p
@Luckyfirst-d8p Ай бұрын
笑死,中国人是不会这样回答的。
@monkeylee4818
@monkeylee4818 Ай бұрын
@ 啊?为啥
@chenzheng-g9d
@chenzheng-g9d 29 күн бұрын
一个中国人不知道中华、华夏是什么意思?还需要外国人教你?他们的理解就有很大问题。
@Jガイル-s8m
@Jガイル-s8m 10 ай бұрын
勉強になります!
@c-history
@c-history 10 ай бұрын
ありがたや……ありがたや……!! ご厚意、大ッッ変!励みになりますッ!!
@mukutinausagi
@mukutinausagi 9 ай бұрын
初期に投稿されてた、野人と国人を改めて見直すことにします やっぱり、古代史面白いです
@パオパオ-r2q
@パオパオ-r2q 9 ай бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history 9 ай бұрын
いつもご支援いただき、まっこと有難きことこの上ありませぬ……!! 大変励みになりましてございます……!!!
@Mtrong-Sgang-Mra
@Mtrong-Sgang-Mra 10 ай бұрын
今度、中原の地に侵攻して支配しようと思っていたので勉強になりました。 ありがとうございます!
@辻雄大-d8x
@辻雄大-d8x 9 ай бұрын
日本が漢化して連中が大量に入ってくるのでやめてください
@聡福地
@聡福地 9 ай бұрын
応援してる。頑張れ!
@monkeylee4818
@monkeylee4818 9 ай бұрын
中原の地で、河南省かな?
@辻雄大-d8x
@辻雄大-d8x 9 ай бұрын
日本が漢化するんでやめてくれ
@摩多羅隠岐奈-d7n
@摩多羅隠岐奈-d7n 9 ай бұрын
​@@辻雄大-d8xモンゴル辺りじゃない?それかインドorベトナムorロシア
@natsu495
@natsu495 10 ай бұрын
ありがとうございます! バキバキ傲慢ではなく意外に柔軟。 知るほどに新しい発見があるのが中国史が面白く、沼が深いところですね。
@聡福地
@聡福地 9 ай бұрын
江戸時代の日本では明が滅んだあとの清は正当な後継者ではなく日本こそが中華とする意見も儒学者の一部にあったようだ
@ddrible9350
@ddrible9350 10 ай бұрын
限定動画、シンプルにタメになるのが多い
@和田高明-w7s
@和田高明-w7s 10 ай бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history 10 ай бұрын
いつもご支援いただき、本当にありがとうございます!! ご厚意、まこと五臓六腑に染み渡ります……!!
@user-vv2pk6yw4l
@user-vv2pk6yw4l 9 ай бұрын
まるで大学の講義のようだ… これだから鳥人間チャンネルの視聴はやめられない
@ぐらむ-o4f
@ぐらむ-o4f 10 ай бұрын
陳舜臣の著書に 確か禹王の父が治水に失敗して蛮夷の地に送られた。 とのエピソードも紹介され 中華思想は民族主義的なものではない、とのことでしたね
@好きダンロン
@好きダンロン 9 ай бұрын
初期の方はそうだったんだろうけど、宋代の華夷の別だったり、清末の滅満興漢を見てると、結局、その時々で意味は変わったんだろうね
@cloudnarusegawa4215
@cloudnarusegawa4215 9 ай бұрын
いや、バリバリの民族主義です でもその“民族”の定義が血縁じゃない ムスリムの定義が血縁じゃないみたいな
@ウイスキー大好き-m8k
@ウイスキー大好き-m8k 9 ай бұрын
中華思想は概念的なものでもあり必ずしも地理的な距離に依存するものではないと思います(もちろん実際に中原から離れると技術水準が低下する傾向にあったでしょうが)。 例えば神仙の住む山はしばしば人里遠く離れた僻地にありますし、蓬莱のように海の彼方に神通力のような超常の力があると考えていたわけですから。
@まめ-z4z5u
@まめ-z4z5u 10 ай бұрын
限定、、あかんてことか(笑) 冗談は置いといて、こういう解説はもの凄くためになる。 中途半端な理解こそ、差別的思想に繋がり危険。
@m袖
@m袖 10 ай бұрын
Thanks!
@c-history
@c-history 10 ай бұрын
いつもご支援いただき、感謝感激雨霰ェ!! 励みになりまくりでございます……!!
@hidem648
@hidem648 9 ай бұрын
習王朝の一帯一路構想は「王者は外なし」を継承しているんですね。
@monkeylee4818
@monkeylee4818 9 ай бұрын
単なる中国の過剰のインフラ建設キャパシティを輸出しようとしてると思うが
@カプリチョーソ
@カプリチョーソ 9 ай бұрын
とても面白かったです、特に『転位』。中華思想的な理屈があったとは! しかし王朝ごとの、その時の状況ごとの軍事的・地政学的状況を事後的に理屈付けしたものが『華夷思想』で、とてもとても思想などという立派なものには思えないです。このことをとても分かりやすく解説してくれる鳥人間さんは『ご立派さま❤』には違いない!
@heiho_ita
@heiho_ita 9 ай бұрын
意味をよく理解することは大事
@子牛-d7k
@子牛-d7k 10 ай бұрын
周の王室は自分たちの正当性をみんなに認めてもらうために中華思想の概念を広げたのかもなとちょっと思いました。その後の歴代異民族王朝も漢族を支配するために自ら中華化して逆に中華思想を利用したんだろうし中華化しなかったのはモンゴルぐらいですかね?今回は中国の歴史を考えるのにとても深いテーマだと思いました。
@gc8732
@gc8732 2 ай бұрын
ちょうど匈奴が攻めてきたところなので助かりました!
@MrDeha6450
@MrDeha6450 9 ай бұрын
中華思想。難しくて奥が深いです。単なる差別思想ではない(典型的には元や清のような征服王朝もあり)というところに注意したいところです。
@shinburo8111
@shinburo8111 9 ай бұрын
華夷思想の繁栄から衰退までを解説してほしい
@ごっつぁん菩薩
@ごっつぁん菩薩 9 ай бұрын
繁栄と衰退というか、華夷思想は中国という国の人にとっての共通認識みたいなもので、中華を拡大して夷狄を統一することこそ中華民族にとっての「夢」なんです。 その時代によって華夷の定義と関係性に変化が見られ、その同化のためにさまざまな言論や政策が費やされました。ひとつの例を挙げるなら、北魏で宰相を務めた崔浩という人物の生涯は面白いと思いますよ。彼はまさに同化思想の体現者であり、被害者でもありますからね。 華夷思想は現代中国にも脈々と受け継がれているため、この華夷思想を理解することは、すなわち中国政府の諸外国との外交における基本理念を理解するに等しいんです。
@Yosakoi_akiko
@Yosakoi_akiko 10 ай бұрын
1:00 あかんかったかァ……
@Yosakoi_akiko
@Yosakoi_akiko 10 ай бұрын
とりあえず華夷思想とは「中華」のナショナリズム、民族主義として中国の長い歴史の中で複合的に形成された思想ってことか なるほど ナショナリズムの形成は「国民」という均質な存在、つまり外国、「異」に対する「同」たる存在を必要とする訳だが、華夷思想において前者は「夷」、後者は「華」として規定され、これがまさに「中華/中国」のアイデンティティとして形成されて来たわけか
@みみんかかんか
@みみんかかんか 10 ай бұрын
尊王攘夷の思想と重なる部分があるのも、江戸時代の朱子学から派生したものと考えるとすごい納得ですね。
@monkeylee4818
@monkeylee4818 9 ай бұрын
あれは小中華思想だな
@理系のなかやま微積んにくん
@理系のなかやま微積んにくん 9 ай бұрын
こういう通史を貫くような思想概念たいへん助かる
@Ruri_Novel
@Ruri_Novel 9 ай бұрын
聖徳太子ヤベー相手に手紙送ってたんやな〜
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
@user-Gifu_no_Zoukinya_san 9 ай бұрын
いわゆる中華思想に対する理解をいちだん深くできました。 中華思想とは中華の人々が共有する世界観であり、周辺の異民族(中華の秩序にまつろわぬ民)に対する現実的な外交政策と結びついている、わけですね。 そして、その外交政策は中華世界の国力・軍事力と結びついたものであり、場合によっては異民族による支配も肯定してしまうというリアリズムも含んでいる、と。 イデオロギーが単なる観念ではなく、現実と結びつき相互に作用する柔軟なものである、というのは中国らしいというべきでしょうか。
@gundamTaro1192
@gundamTaro1192 9 ай бұрын
今回も興味深く拝見致しました。 冊封体制というのは一種の「安全保障政策」だったという説もあります。 周辺諸国が「中華を慕って貢物を捧げに来る」のに応える形で、中華は更に豪華な下賜品を与えなくてはなりません。 これは中華にとっては相当の経済負担になるのですが、王者としての面子と夷狄からの略奪予防をGET出来る合理的な外交政策でもあった、という。
@narutoshiokamura9002
@narutoshiokamura9002 9 ай бұрын
お疲れ様です。 要するに当時の王朝の統治能力によってその解釈がいろいろ生まれた、柔軟かつ臨機応変(ビュコックさんに言わせれば行き当たりばったり)な思想なんでしょうね(笑)
@池村潤
@池村潤 10 ай бұрын
リクエストさせていただきます。 春秋時代の動画によく、当時の都市国家群がグチャグチャっと表示された地図が出てきます。のちの戦国七雄につながるような国名(都市名)もありますが、あまり聞いたことが無い「紀」だとか「六」だとか、いろいろあります。秦と晋との間にも、なんだかいくつか国名(都市名)があります。wikipediaとかで調べると、ちょっとは出てきますが、あまり詳しくは分かりません。 このような都市国家について、少なくとも場所や国名は分かっているようですが、何か他にも記録が残っているのか? 都市国家の周辺には狩猟採集民?遊牧民?が跳梁する原野が広がっていて、そのなかにポツンと農耕民の都市国家があったのか? などなど、疑問は膨らむばかりです。 そのうちぜひ、よろしくお願いします!
@山根こうじ
@山根こうじ 9 ай бұрын
柔軟と言えば聞こえは良いが詰まるところ、現実世界は理想どおりにいかないから屁理屈をこねくり回したって印象
@和泉一郎
@和泉一郎 9 ай бұрын
大学の時、京都に学んだんですけど、京都も碁盤の目の外を洛外とか化外の地と呼んでいたな。 京都人も、地方人や域外からきた人を見下す思想が根付いているらしい。
@Michael-fp9zb
@Michael-fp9zb 6 ай бұрын
洛陽之外?唐人じゃない?
@jkzk-uu5lq
@jkzk-uu5lq 9 ай бұрын
差別思想というよりホーム意識なんだよね、中原を中心とする中華大陸は我々の家であり、そこに起源を持つ民族や同調する民族は身内、ただそれだけ。中華民族は自身周辺以外の物事に対しては極めて無関心なので広大な中原大陸に住む民をまとめ上げるにはこういった集団的アイデンティティが必要不可欠だった。施政者側も同じで、攘夷、同化、羈縻の考えは「込み入った付き合いはめんどくさいから互いに形だけの近所付き合いで済ませましょうね」や「従うのなら拒まないよ、ただし歯向かうのなら容赦もしないよ」といったスタンスで夷狄を見下して差別しているというより興味がないから積極的に関わる気がないってだけ。転位に関しても庶民は自分らが家から追い出されたり生活が脅かされるようなことがなければ支配者は誰であろうがぶっちゃけどうでもいい、だから同じように統治してくれる異民族に対しても何の問題もなく受け入れた。(大事なのは中原大陸という家であって王家の血筋ではないので)
@好きダンロン
@好きダンロン 9 ай бұрын
でも民族主義的要素は少なからずあったよね。南宋にいたはずの朱熹は華夷の別を唱えてたし、清が中華統一した以降も、鄭成功をはじめ、華南で明の復興運動が唱えられたし。清末にも滅満興漢が叫ばれてたしさ。(まあ、19世紀のはただのナショナリズムかもだけど)初期の中華思想はマイルドだったのかも知んないけど、時代が進んで、漢民族が劣勢のときには、結局この中華思想が排外主義的に解釈されて、煽動の旗印になってたから、こういう要素抜きにして、単なるホーム意識で片付けるのも不適当な気がする
@jkzk-uu5lq
@jkzk-uu5lq 9 ай бұрын
王朝交代の情勢不安定期を例に持ち出されてもな…清朝初期の反清復明運動に関しては国姓爺が明王朝の忠臣だったから彼なりに忠義を果たしたに過ぎないのだと思います、実際朝廷がいきなり変わって混乱があったものの康熙帝の良政のお陰で割とすぐに沈静化されてるわけだし、むしろ漢民族は多民族の統治に対しても許容的な例だと思います。(北遼や元で慣れたとも解釈できますが)太平天国の乱は仰る通りでただのナショナリズムです。朝廷が腐敗し、庶民が貧しい生活を強いられてる時期だから当然内乱は起こりますし、こうなったのは朝廷のせいと考える連中が怒りの矛先をその出身である満族に向けるのもただの人の性です。中華思想そのものとは何の関係もありません。
@jkzk-uu5lq
@jkzk-uu5lq 9 ай бұрын
中華思想が煽動の旗印になったのは排他的思想として解釈されたというのも誤りだと認識しています。上にも書いてるけど中華人は自分の周り以外の事に対しては無関心で中華思想という明確な集団意識が繋ぎ止めないと纏まりません。これは反対勢力にとっても一緒で中華思想を大義名分として掲げないと同調してくれる人いないんです。なので中華思想という旗印は単に庶民に関心を引く為の物に過ぎません。掲げてる勢力の目的は中華思想そのものと直接の関係性がないんですよ。まぁ中華民族を繋ぎ止める集団意識をホーム意識と呼ぶのは不適当と言われたら正直言葉の明確な定義がそこまで詳しいわけではないので反論出来ないんですけど、少なくとも自分や周辺では中華思想はそういう物だと認識しています
@泰英岡田
@泰英岡田 9 ай бұрын
華夷思想に中華asNo.1概念を強力に注入したのは朱子学だとよく言われます。そんな朱子学の影響を受ける前の中華思想の原点の解説というのは、いうなれば日本における「国学」の解説みたいなものですね。では、まだ取り上げてない大思想家朱熹についてもいずれ解説していただけませんかね?
@cando_miasanmia
@cando_miasanmia 9 ай бұрын
マジで気になってたので助かります
@mechadebu
@mechadebu 9 ай бұрын
つまり倒しても良いし「お前も『チャイナ』だ」って感じで仲間にも出来るポケモン仕様ってことですね
@豊城之宣
@豊城之宣 9 ай бұрын
こう言う思想を鑑みると今の共産党もそれに基づいて動いてるなと改めて感じさせられます。 よろしければその内小中華思想の解説もよろしくお願いします。
@beforeafter3258
@beforeafter3258 8 ай бұрын
舜は東夷、周の文王は西戎、出生が何の問題になろうかと清の雍正帝に喝破されとるがな
@renngekisouhei8303
@renngekisouhei8303 9 ай бұрын
まってた
@shou-sho
@shou-sho 9 ай бұрын
ウェストファリア条約以降ヨーロッパで生まれた、国と国は対等な関係であるという概念とは相容れないということですね
@zackwang9314
@zackwang9314 9 ай бұрын
Does the US treat japan as an equal?
@アドラメルク-o3q
@アドラメルク-o3q 9 ай бұрын
ウェストファリア体制はその体制に入ってるヨーロッパの国同士は「文明国」として主権平等だけどそれ以外の地域は「半文明国」とか「非文明国」とランク付けしてるので別の形で差別思想がありますね
@shou-sho
@shou-sho 9 ай бұрын
簡単にいうと中華思想ではピラミッドは一つ、ヨーロッパではピラミッドが複数あるということになります。 もう一つの特徴は中華思想は中心からグラデーションになっていて周辺がハッキリしないのに対し、ヨーロッパでは国と国の間に明確な線が引かれるということです。 前者は三跪九叩頭、後者は琉球の取扱いにおいて問題となりますね。
@mariacainhurst9034
@mariacainhurst9034 2 ай бұрын
極東の為政者にとって、ものさしみたいな役割を果たしてきた思想ってことですかね
@fdahoidfaofadjfdaifoa2832
@fdahoidfaofadjfdaifoa2832 9 ай бұрын
大変勉強になる動画でした。 確かに中華の歴史を見直してみると、異民族が侵入して中華化してしまうという事例が頻発していますね。 時代に合わせて「転位」のような概念を受け入れないとやっていけない部分があったのでしょうかね。
@義教古賀
@義教古賀 2 ай бұрын
すごく勉強になりました。 名前は同じ華夷思想でも、漢民族と異民族で、統治を正当化する理論が異なるんですねぇ…
@nottie1022
@nottie1022 9 ай бұрын
勉強になりました。 「やれそうだからやった。無理なものは無理。起こっちゃったことはしゃーない。ほら、昔の人もこう言ってるやん。」てなもんだな。
@康天野
@康天野 9 ай бұрын
漢族以外を野蛮人扱いする思想が足を引っ張る形になって宋の時に和議や約束を「野蛮人との約束や取り決めを守る必要はない」と彼我の戦力を無視して破って相手を怒らせてボコボコにされていたな。
@上田剛-z4x
@上田剛-z4x 9 ай бұрын
日本と違って大陸の国は領地の境界線をちゃんとひかないと年貢や税金を集めるのも大変「王者は夷狄を治めず」にしとかないと現実的に国は治られないね、歴史番組で初期の万里の長城は北荻に対する防衛のためじゃなくて国境線のつもりで作っていたと言ってたな
@LOW-KUSHI
@LOW-KUSHI 9 ай бұрын
そう言えば日本も東の夷のはずなのに倭と言われたところを見るとにんべんが入ってる分他の民族と違い多少は人間扱いされてたんだなと思う
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
@user-Gifu_no_Zoukinya_san 9 ай бұрын
後漢書東夷伝→魏志倭人伝→宋書倭国伝、カテゴリー的には「東夷」の章に入れられてるんですが、東夷→倭人(ちっこい人)→倭国、と順調に文明国扱いされてると思うべきでしょうかw
@user-jr8do9zp1s
@user-jr8do9zp1s 9 ай бұрын
@@user-Gifu_no_Zoukinya_san 百済が救援を求めてくるなど国として認知され始めていた
@ネコ-j5b
@ネコ-j5b 9 ай бұрын
認知の基準は「中国の治教や風俗をどれだけ採用しているか」にありました。なので幕府のみか諸藩で漢学が教育され、釋奠さえも行われ、刑法は明律を参考にし、更には中国本土で失われた古典籍(佚書)が日本で発見されて復刻、中国に逆輸入されたりもした江戸時代の日本はある程度評価されています。逆に明治維新直後の日本は、中国から西蕃に感化された国として軽蔑されています。
@yutakikuchi7633
@yutakikuchi7633 10 ай бұрын
非常に微妙なニュアンスを含む話題なので慎重に取り扱おうとする姿勢はよく分かります。 それはそうと、グラデーショナルな思想で面白いですよね。 皇帝はこの世界の全てを統べる存在であるという建前と同時に、それに服属しない外部の勢力の存在を認容せざるを得ない。 「九州」という概念も、もしかしたら古代の人が世界を3*3のマトリックス状に区切り、その9マス以外を中華の外を捉えていたのかなぁなんて想像します。
@qoamb410
@qoamb410 9 ай бұрын
日本は周囲を海に囲まれ、文化は輸入するもの、独自に編み出すものの、イメージが強いですが、大陸の国家間の文化のイメージは、飲み込むもの、飲み込まれるもののイメージが強いのかと感じました。勿論、日本にも国粋的な思想もあるので一概に中華思想はなどと批判するつもりは、ありません。古代から熾烈な領土争いを繰り返して来た歴史から、内と外を認識する為やアイデンティティーを確立する為の文化の意味合いは、私達日本人の認識する「文化」とは少し違うものなのだと感じました。そういった違いを感じながらも、互いを客観的に理性的に理解し合える事が大切なのかなと感じました。お話し面白かったです。長文すみません。
@ネコ-j5b
@ネコ-j5b 9 ай бұрын
転位は必ずしも柔軟な論理として働かなかった。清は転位を認知されんがために康煕字典や四庫全書を編纂し、時に租税を免除して未曾有の徳治を実施したが、一方で些細であれ転位の認知に障るような行為を為すものがあれば徹底して処罰し、徹底した焚書も行った。飽くまでも転位を認知するよう押し付けたのであり、被治者側から認定したものではなかった。
@yuka-youtube
@yuka-youtube 9 ай бұрын
魔理沙さんの動画を5本くらい観ていたら三国志14やりたくなってプレイしてました。許昌で武田信玄を勧誘し、さらに彼が司馬懿を推挙してきました。
@聡福地
@聡福地 9 ай бұрын
華夷思想は確かに高飛車な考え方ではあるが、他国に自国の考え方を強要しない、侵略しない(元、唐の例外はある)という点では帝国主義やアメリカ的民主主義、キリスト教布教よりは歴史的によっぽど立派な気もする。例えば朝貢国の代表である琉球はアメリカ、日本とは歴史的に怨恨があるが歴代中華に対しては特にトラブルがないんだよね
@jodasow
@jodasow 9 ай бұрын
ずいぶんと歴史が書き換えられてるけど、侵略しない中国王朝の方がむしろ例外というか、侵略の前にまず失地回復が先だった宋朝くらいでしょ。中国(明朝)側について利益を得ていた立場のヌルハチまでが「七大恨」なんて掲げてるし、トラブルがないなんてプロパガンダもいいとこ。
@好きダンロン
@好きダンロン 9 ай бұрын
東南アジアの国は怨恨しかないと思うけど、、琉球という特殊すぎる事例を出すのは..
@新党司馬遷
@新党司馬遷 9 ай бұрын
@@好きダンロン インドから中華への仏教の伝来経路や、様々な文化や貿易があり、怨恨しかないわけがなかろうて。それは倭寇の存在も証明している。 西洋における大航海時代とて、帝国主義の転換した19世紀以降はアフリカ全土が植民地になるレベルにまで実力差がついたが、16~17世紀はあくまで対等な貿易相手だったわけで。 さらに言えば、イスラエルとガザのパレスチナ人ですら、双依存の雇用関係などはあり、怨恨だけが全てではない。 怨恨しかないと思う安全圏の人間の思想こそが、紛争を煽り悲惨にすることが多い。
@HS-yb4rf
@HS-yb4rf Ай бұрын
考え方を強要しているけどね。 例えば朝貢しなければ外交関係を樹立しないなんて自分の価値観の押し付けだし。
@nix-oh1tv
@nix-oh1tv 9 ай бұрын
クレメンスが続くと思ったらクレイステネスのオストラシズムで草を生やしてしまう世界史民の自分 ズラし好きです
@aegialina
@aegialina 9 ай бұрын
中国王朝は王国(Kingdom)の集まりで、その皇帝(Emperor)の統治範囲である天下(Realm)である。ちなみに、英語でも小さい国家であるKingdomやStateの集まった大きい領域をRealmやFederationやCommonwealthということが多い
@daoshiWang
@daoshiWang 8 ай бұрын
中国は秦代以降、王国の集合体ではなく、むしろ帝国と言われるべきです。西洋の貴族の封建王国とは異なり、王国の国王は最大の貴族であり、帝国の皇帝はすべてのものの上に立つ天命によって認定された統治者です。
@141yoshito
@141yoshito 9 ай бұрын
中華思想、日本人からすると単に土下座外交的な理解になりがちですが実はフレキシブルですよね。 多民族が入り混じる大陸の混沌の歴史を考えれば、ガチガチな思想で済むわけないとも思う。
@naoki080808
@naoki080808 9 ай бұрын
華夷思想、いずれにせよ王(天子)が中心に必要なのですよね。 考えてみれば「王なき中華」は長い歴史でこの100年しかない。 今後、その空白の中心を、中華がどのように埋めていくのか興味深いです
@もんもん-q4j6e
@もんもん-q4j6e 4 ай бұрын
中華思想は漢族が強い時と弱い時ではその論理が大きく変わるので分けて考えるべき
@漢室復興
@漢室復興 9 ай бұрын
似たような考え方だと、ギリシアのヘレネスとバルバロイとかかな…?
@melpapa_channel1888
@melpapa_channel1888 3 ай бұрын
いてき が 変換で出てこない
@伝説の麻婆豆腐
@伝説の麻婆豆腐 10 ай бұрын
4:26この九州はあかんですよ。夢想封印確定
@mocchi2643
@mocchi2643 9 ай бұрын
西洋で言えば帝政ローマ(ローマ帝国)がこれに近いかもしれない。帝政ローマもユリウス・クライディウス朝から西はテオドシウス朝まで、東はパレオロゴス朝まで何度も王朝交代を繰り返したけど「王朝が変わったからもう別の国」という認識ではない。
@Yayo9203
@Yayo9203 10 ай бұрын
あかん回だったとw
@Richlind-ws7yt
@Richlind-ws7yt 9 ай бұрын
「史記」の「匈奴伝」によると匈奴の先祖は夏后氏というのがあるから、元々は夷狄といわれる人たちも敵という概念はなかったのかな?
@daoshiWang
@daoshiWang 8 ай бұрын
気候の影響で、中原帝国が北方の草原移民になっても、草原に到達すると中原移民は気候に適応するために農耕文明から遊牧文明に変わります。逆に、遊牧部族が南下すると、農耕民族に変わることもあります。これが南下する遊牧民族がすべて中原に吸収される理由です。また、農耕文明の物質生産力がより強力であり、農耕文明が馬の飼育場を制御すると、穀物で多くの騎兵を養うことができます。そのため、中原帝国は通常、北方の遊牧部族よりも強力です。中原帝国が北方に移住すると、敗北した貴族や王族などの農民も北方の遊牧民族の一部を構成することになります。
@ボタスキー-r2h
@ボタスキー-r2h 9 ай бұрын
(また際どいネタを)やりましたね 饕餮=サン(禅院ランタ風 差別(拒絶)と王化(併呑)という大いなる矛盾ですね 普通は差別は世界が広がらない、されど中華は広大な領域に広がっている そちらのイースタンお饅頭に桜餅でも お饅頭たちは関東風(小麦粉)?関西風(米)?
@c-history
@c-history 9 ай бұрын
多大なご支援感謝……感謝感激……!! 恐悦至極に存じます……!!!
@ボタスキー-r2h
@ボタスキー-r2h 9 ай бұрын
ワイの地域(中部、北陸)は割と混在派 でもわい個人は関東風のクレープ的なのが好きです そちらの幻想レディに是非
@のろし-v4s
@のろし-v4s 8 ай бұрын
長江以南の越は多分今のベトナム人(キン族)の先祖のことなのかな
@cloudnarusegawa4215
@cloudnarusegawa4215 9 ай бұрын
中国語は「華夷秩序」の方が使うね ちなみに血縁重視じゃないから、蛮夷でも中華文化に変えれば中華です だから蛮夷でも中国に入れば中国 逆に漢人でも夷狄に入れば夷狄 ふつうの血縁王朝とはわけが違うよ
@ノリ-o4v
@ノリ-o4v 10 ай бұрын
Q.「キリンの首はなんであんな長いんですか?」 中国「俺のためだ」 こういうことだな!
@air5042
@air5042 9 ай бұрын
中国史の一番の大本に今日触れた気がします。まず今日のテーマを良く理解しておかないと、ただ好き勝手に歴代王朝の皇帝が周辺国を侵略しまくってヒャッハーしましたという理解で終わってしまいますね。
@好きダンロン
@好きダンロン 9 ай бұрын
実際その通りでは?定期的に中華に侵入してた北方民族ならともかく、東南アジアや朝鮮は、わけのわからない理由掲げられて、突然侵略されたわけだし。
@八八零零零八三
@八八零零零八三 9 ай бұрын
これ、政体が君主制から共和制/独裁制に代わってもなお効力を発揮してる思想なのが凄いんよ…(まぁそういうモンだから限定動画にする可能性が出てきてるんだが
@Yosakoi_akiko
@Yosakoi_akiko 9 ай бұрын
「最もふさわしいものが中華民族となるのだ」みたいな思想
@宮城和也-q6o
@宮城和也-q6o 9 ай бұрын
中国の領土は攻勢限界点と気分で決まると言う事でOK?
@新党司馬遷
@新党司馬遷 9 ай бұрын
NGでしょうね。貿易の親和性、宗教の親和性、南北と東西の気候分布の違い、作物の違い、“南船北馬”という言葉に代表される広大な国土の統治の難しさ、物流網との距離、いろいろな要素も加味して決まる。 例えば、今の北朝鮮と韓国を、“冊封国”とするのか、郡県制による直接支配にしようと考えるかにしても、ロシアとアメリカという要素を抜きに考える事はありえない。敵対国との関係や、同盟国との関係も重要。特にウラジミール・プーチンなどは、北狄の首魁であると同時に、BRICSの盟友でもある。 インドのマガダ国にハルシャ・ヴァルダナ王があった時代ならば、大唐帝国もバランスを取ってネパールやチベットと修好していたが、バラモン勢力の復権によりベンガルのカーマルーパ王国と敵対するようになると、大唐帝国との関係性が崩れたりすることもある。
@赤毛さん
@赤毛さん 9 ай бұрын
攘夷とか征夷大将軍とかの夷
@みあ-m8g1d
@みあ-m8g1d 9 ай бұрын
舜は東夷の人、文王は西夷の人、禹は羌族の神だ。 中国は舜・禹の時代に一度滅び、殷代に復興したが、周の武王によって滅んだのだ。
@UOTSURI
@UOTSURI 9 ай бұрын
限定動画ということは、アカンかったかあ~!
@japyellowmonkey3736
@japyellowmonkey3736 10 ай бұрын
@正木茂雄
@正木茂雄 9 ай бұрын
倭は東夷だったんですよね。 孟獲は南蛮だし。 金、元、清は北狄。 西戎は何だろう?
@ast260
@ast260 9 ай бұрын
一応、青海・甘粛地域に住んだトルコ族・チベット族
@Nagisa1224-s
@Nagisa1224-s 9 ай бұрын
今の山東も东夷と言った
@武闘派のび太
@武闘派のび太 9 ай бұрын
華夷思想は現在も根強い。特に「同化」において。ウイグル自治区やチベット自治区の問題がそれを何より雄弁に物語っている。
@蒼氓
@蒼氓 9 ай бұрын
琉球?アイヌ?
@monkeylee4818
@monkeylee4818 9 ай бұрын
まあ同化という政策は、たぶん19世紀以来のすべての現代民族国家みんなやってると思います
@好きダンロン
@好きダンロン 9 ай бұрын
@@monkeylee4818周回遅れで今来た感じかな
@monkeylee4818
@monkeylee4818 9 ай бұрын
@@好きダンロン そうですね
@カプリチョーソ
@カプリチョーソ 9 ай бұрын
@@好きダンロン 夏・商以来の伝統を今なお維持しているだけで、「今来た感じ」ということはないのでは??
@Funyasan
@Funyasan 9 ай бұрын
中華の外側で焼酎化が酔っ払って中心だと叫ぶ 兵力を外部に求めたアウト・リーチだったby夏王朝
@奈良岡昭宏
@奈良岡昭宏 9 ай бұрын
今まで「中華思想」というのは動画の冒頭のような考えだったけど・・・ 知れば知るほど「あれ?キリスト教の考えより幾分マシじゃね?」と思えてきます。
@新党司馬遷
@新党司馬遷 9 ай бұрын
イエス様の教えは、素晴らしいものなのよ。 問題は、深淵な思想を政治や金儲けの道具に使う輩が後を絶たないのが世の東西の共通項であること。 この「中華思想」も幼帝と宦官という組み合わせになった日には、ローマ宗教庁の腐ったキリスト教に勝るとも劣らない害悪を撒き散らすわけで。
@saitamaumare83
@saitamaumare83 9 ай бұрын
徳川幕府の日本は朱子学で攘夷が蔓延していたのが、幕末、明治維新を経て大日本帝国になると、今度は中国大陸へ異常な執念で進出していく不自然さも、これらの華夷思想の中での転換と考えれば納得できますね。 特に最後まで中国に執着したのも、大日本帝国が中華になろうとした激しい情熱を感じます。
@monkeylee4818
@monkeylee4818 9 ай бұрын
その大陸進出が成功したら、日本が清王朝を作った満州みたいな立ち位置て、中華に同化されになるかな?
@saitamaumare83
@saitamaumare83 9 ай бұрын
@@monkeylee4818 豊臣秀吉は皇室を大陸に移転しようとしていたらしいので、成功したらやがて飲み込まれたかもしれませんが、帝国日本は欧州タイプの支配をモデルにしてきたので、インドみたいに結局追い出される事になったのかな〜?と
@cloudnarusegawa4215
@cloudnarusegawa4215 9 ай бұрын
まぁ、成功したら和朝が出来上がるんじゃんね?
@daoshiWang
@daoshiWang 8 ай бұрын
中国から来ると、その時期に西洋の近代民族主義が中国に伝わっても、すぐに現代の民族国家が中国に建国され、西洋の民族主義の影響がなければ、日本帝国は中国の平民に対して強制支配を採用しない可能性があります。新しい王朝の樹立は実現可能であると主張されています。中華民国の建国後、基本的に民族主義の影響を受けていない農民にとっては、新たな皇帝が現れたというだけで、税の徴収が変わるだけです。また、野蛮な遊牧民族と見なされるよりも、伝統的な視点から見ると、日本はむしろ中華文化の一部であると考えられます。しかし、当時の現実を考慮すると、これは実現不可能です。民族意識が目覚めた中国のエリートは日本の支配を受け入れないでしょう。実際、日本の強制支配と虐殺は、日本が大陸を支配する可能性を失わせ、1911年に清朝が崩壊した後、民主共和国が建国された。そして、皇帝の支配に戻ることはできません。社会のエリートや先進的な若者は同意しないでしょう。誰もが自分の故郷に虐殺部隊を近づけたり、民主革命の成果を失ったりすることを望んでいません。この戦争は、近代中国で日本帝国に対抗するための国民統一戦線の形成を促し、1860年に康有為が提唱した中華大地で生活する民族が一つの民族を構成する論述、すなわち中華民族が現実のものになり、日本を敵対視することが中華民族の形成の基礎となりました。その影響は今日まで続き、中国の現職指導者が提唱する中華民族の偉大な復興は、客観的には中華民族の共同体意識の中での百年の国の屈辱の存在を強化し、中国社会をより過激にしています。中国社会の高い凝集力は、千年の文明の栄光と百年の国の屈辱によってもたらされた国家の悲劇、民族の恥辱、文明の埃時代の集合的な記憶なしには成り立ちません。
@daoshiWang
@daoshiWang 8 ай бұрын
古代の中国は文化の同一性を持つ国であり、新しい支配者が漢文化を受け入れ、自己を改造すれば、中国の歴史上多くの非漢族皇帝が行ったように、彼は帝国の新しい支配者となることができます。実際、古代の中国には現代西洋のような国家概念はなく、その代わりに天下の概念があります。周代の最初の天子が現れて以来、天子はこの土地の支配者です。そして、天子の称号は漢文化と分離できません。注目すべきは、漢文化や漢人の概念が漢代以降に生まれたことです。漢人は文化的な概念であり、東アジア大陸には人種的な違いがないため、漢帝国の支配下にある人々は漢人です。漢帝国は短命でなく、最初の貴族分封時代を超えて二百年以上も統一された帝国であり、その支配下の人々は文化的な同一性を持ち、この周囲の部族文明よりも進んだ帝国に住むことを誇りに思い、漢人と呼ばれます。漢代では漢人、唐代では唐人、宋代では宋人、明代では明人と呼ばれ、人々の呼称は帝国の正統性を象徴しています。漢人は漢帝国の正統を象徴しています。これは西洋の民族概念とは異なり、古代の中国には民族の区別はなく、文明の区別だけがあります。遊牧文明の匈奴などの草原民族、漁猟文明の満州や森林民族、農耕文明の中原民族が存在します。
@ドラゴンツッチー
@ドラゴンツッチー 9 ай бұрын
中華思想って、思ったより奥が深かったんですね…。中華と夷狄が元々二項対立していたものではないという事も初めて知りました…。中華文化に染まる事を前提としつつも、夷狄も中華になれるというある意味柔軟な論理があるから非漢民族による支配を受ける時期がありながらも、今日にいたるまで漢民族の文化的アイデンティティは失われず、むしろ逆に周辺の非漢民族を漢化させていったという感じですね。(支配者側に回った非漢民族はほぼ全員漢化しちゃったし。例外は中華文化より先にイスラム文化やヨーロッパ文化に触れたモンゴル族くらいか?) ただ、清代後半期に欧米諸国が進出してくるとその柔軟性をフルに活用しても中華思想と現実に大きな齟齬をきたすようになったように思えますね。(欧米諸国は中華文化に染まらず、あくまで自分たちの論理(ルーツは古代ギリシアやローマ帝国の文化)で中華を実質的に支配していった。ちなみに、日本は欧米諸国のやり方を自己流にアレンジしつつもマネしただけ。)現代中国でもそういった事に起因する軋轢が中国の国内外で発生しているように見えるのは気のせいですかね…。
@bloodyvivre
@bloodyvivre 9 ай бұрын
いや、原因はそれ以外にもたくさんある、共産主義とか私有化とか、歴史的な事情とか色々くだらないことかな...
@南田有摩
@南田有摩 9 ай бұрын
どこの国・どこの民族も、だいたいみんな自分達が世界の中心だと思っているもの…… ( =Φ人Φ=)づ🌏🌍🌎
@新党司馬遷
@新党司馬遷 9 ай бұрын
確定的にそう思えないのは、アイスランドやグリーンランドくらいですかね。 戦争で追われでもしない限り、元々農耕民だった者達があの地へ移住することはないでしょうし。
@tyourea
@tyourea 9 ай бұрын
元や清に支配されても漢化したからOK!の精神。
@pomelove9502
@pomelove9502 9 ай бұрын
中国を知りたいなら見ておくべき動画ですね それぞれの王朝 (時代や地域・状況で変わったり併存してたんでしょう) がどのような立場を取っていたのか?現在はどうなのか?興味が尽きないです
@脳幹-l9l
@脳幹-l9l 9 ай бұрын
この動画が見たくて「中華思想」で検索して以来、異常な動画ばかりサジェストされるようになった。
@user-jr8do9zp1s
@user-jr8do9zp1s 9 ай бұрын
天子の権威が及ばない領域
@nkyk1028
@nkyk1028 10 ай бұрын
縄文時代はシャランラいっぱい彫ってたのに中華思想が入ってだんだんあかん様にワールドカップでNZのマオリの人達が楽しみにしてた銭湯が✖️で大ショックって読んで身に染みついた思想と共に申し訳なく思った
@ぴぴぴぷぷぷぺぺぺ
@ぴぴぴぷぷぷぺぺぺ 9 ай бұрын
すまん。入れ墨と「魔女っ子メグちゃん」の関連性を教えてくれ。
@nkyk1028
@nkyk1028 9 ай бұрын
アジアのビーチでスリムで美しいお嬢さん方が繊細なアラベスク模様のモンモンさん彫ってはってもんもんさんは違うという事で急遽むすめとシャランラと命名し月日が経ち世界もそうだと思ってました。ワタシがすまんです。土下座
@2001banekuro
@2001banekuro 9 ай бұрын
「『華夷思想』とはそんなものだったのか。てっきり私は最近の気温上昇で背中が痒くなったきたが、体が固くなって、どう掻いたらよいものか悩んでいる心情の白露だと思っていたが」 「アンタの背中のかゆみの話じゃねぇ…。中国の自己中心的な思想の話や」 「痒みも自己中心的な感覚ではないか。背中にマタタビ塗ってネコに掻かせたら、爪を立てて掻きちちぎられ、感染症で私は地獄に召されるかもしれないリスクがあるのだぞ。やはり他者に頼らず自ら苦痛を脱する自助努力が必要だ」 「…いや、誰かに掻いて欲しいのは解るけど、何でネコが登場するんじゃ…」 「まだモンゴル族や満州族に掻いて貰うよりは危険度が低いではないか。チンギス・ハーンに『背中を掻いて下さい』と言ったら、速攻で弓で射殺される」 「…キサマの思考回路に付いていくのが、大変な苦役じゃ…。そんなに背中が痒いなら、定規でも箸でも自分で使えばいいじゃないか」 「試してみたが納得出来ん。何やら作為的で様にならない」 「…それなら、日本伝統の『孫の手』を使ってみたら?」 「なる程、その手段があったか……、おお…感じる…感じる…!救世主の御霊と伝統文化の力を感じるぞ〜!」 「…アンタの『華夷思想』て、『孫の手』と見極めが出来んのかよ…」
@チャンマンライス
@チャンマンライス Ай бұрын
そういえば中国って"中"(中心・中央)国っていうスゴい名前だな・・・
@蒼氓
@蒼氓 9 ай бұрын
『史記』孟子荀卿列伝「中國名曰赤県神州。」 『古今通論』「崑崙東南方五千里謂之神州,州中有和羹郷方三千里,五嶽之域,帝王之宅, 聖人所生也。」 『文選』孫楚・為石仲容與孫皓書「土則神州中岳。」劉良註「神州,洛陽也。」 『混元聖紀』「昔在神州,以神仙之道教化天下,上自三皇,次及五帝,修之皆得神仙。」 『太清金液神丹經』「但古聖人以中國神州,以九州島配八卦,上當辰極,下正地心,故九州島在此耳。」 『宋史』卷四百二十三・列傳第一百八十二・吳泳「誦往哲之遺言,進謀國之上策,實不過曰內修政事而已。然所謂內修者,非但車馬器械之謂也。袞職之闕,所當修也;官師之曠,所當修也;出令之所弗清,所當修也;本兵之地弗嚴,所當修也;直言敢諫之未得其職,所當修也;折衝禦侮之弗堪其任,所當修也。陛下退修於其上,百官有司交修於其下,朝廷既正,人心既附,然後申警國人,精討軍實,合內修外攘為一事,神州赤縣,皆在吾指顧中矣。」 『宋史』卷四百七十六・列傳第二百三十五・叛臣中・李全上「不誅逆全,恢復不成。但能遣兵扼淮,進據漣、海以蹙之,斷其南路,如此賊者,或生禽,或斬首,惟朝廷所命。賊平之後,收復一京三府,然後義斌戰河北,盱眙諸將、襄陽騎士戰河南,神州可復也。」
@maidminori
@maidminori 9 ай бұрын
大〇〇主義シリーズの一つですね 最後には朕が地球連邦政府!ジオンは滅びろ!になってる
@amidalapadme2004
@amidalapadme2004 9 ай бұрын
あっ・・・・ふーん(察し)
@沙流汰彦
@沙流汰彦 9 ай бұрын
中国、中原で一番気になるのが『主食は何か?』なんだよな。たぶん黄河は麦だから餃子とかなんだろう、長江に広がってから米になっていき中国は両方主食になって行ったんだろう。でも米のおかずに餃子とはならないんだろうし、かなり近い距離で異文化交流があるんだろうな。だからこんな複雑さがあるんだと思って。植生の複雑さがそのまま反映される説。
@cloudnarusegawa4215
@cloudnarusegawa4215 9 ай бұрын
その通り北は粉もので南は米...っと言いたい所が 古代中国の麦と米はかなり地域限定 あるにはあるが 粟(あわ、栗ではない)とかの雑穀類の方が主流です 中世以後はそのまま南が米で北が麦
@自称皇帝
@自称皇帝 8 ай бұрын
俺から言わせりゃ地球は中華、率土は大宇宙。諸国、民仁心ありて礼は違えど大義に違うことはなし!蓋し徳高きかと。
@zawadyee
@zawadyee 9 ай бұрын
あなたが中心ですとおだててぶら下がって、楽して旨味を吸うのも生き方よね😊
@user-hirotaka0123
@user-hirotaka0123 10 ай бұрын
1番😊
@マッチ-x1y
@マッチ-x1y 9 ай бұрын
隋・唐・宋・元・清「「「「「俺が『中華』だ!」」」」」
@sulivenjack6928
@sulivenjack6928 6 ай бұрын
隋唐宋、この三つと元清のような純粋な異民族とを比べるのはあまりにもいい加減です
@akira2794
@akira2794 9 ай бұрын
夷狄もオッケーという柔軟さがあるわけじゃなく、そうしないと「中華は存在自体が正しい」と言う論理が成り立たなくなるから「これはこれで中華思想!」と言うこじつけなだけなんだよなぁ
@好きダンロン
@好きダンロン 9 ай бұрын
それね。「正当な中華国家の系譜」のために元や清を認めただけであって、異民族に寛容なわけではないという
@自称皇帝
@自称皇帝 8 ай бұрын
まぁ王朝も儒教倫理やそう言った思想を持つ多くの人に合わせなならなんだやけど。
How might LLMs store facts | DL7
22:43
3Blue1Brown
Рет қаралды 928 М.
Мясо вегана? 🧐 @Whatthefshow
01:01
История одного вокалиста
Рет қаралды 7 МЛН
История русской культуры за 25 минут
24:51
【ゆっくり解説】フリードリヒ2世
26:57
アルノ
Рет қаралды 73 М.
Мясо вегана? 🧐 @Whatthefshow
01:01
История одного вокалиста
Рет қаралды 7 МЛН