【ゆっくり解説】 荘王 覇者となった楚最高の名君 【春秋戦国 楚】

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鳥人間 中国史三昧

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2 жыл бұрын

楚の国の王の中で最高の名君とされる荘王について紹介します。
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Пікірлер: 150
@user-sd3hm8lj5f
@user-sd3hm8lj5f 2 жыл бұрын
荘王は春秋屈指の名エピソードに溢れた人物。「本腰を入れる」や「鼎の軽重を問う」、「三年鳴かず飛ばず」など百家争鳴の春秋時代を象徴するような君主✨  中原の文化習俗と異なる系統の独自性で春秋時代のみならず戦国時代の終わりまで大国として中華の一角を占めていたのですな😃
@garew100
@garew100 2 жыл бұрын
個人の逸話が事実なら楚荘王は文句なしの春秋戦国時代No.1名君でしょうね。諫言を受け入れる度量の広さ、士卒を愛する慈愛、耐え忍ぶ忍耐力、能力を見抜く眼力、相手を慮れる寛容さ、確かな戦術眼とまぁ独裁君主として必要なスキルがすべて高い。鳥居強右衛門の如く逆さ磔にしなかったところに器量の大きさを感じます。
@user-gt6sz1gf5d
@user-gt6sz1gf5d 2 жыл бұрын
荘王は楚国の王であるが中原諸国の尊皇攘夷思想を理解し、鼎の軽重は徳によって決められることを理解して兵を引いたり宋の面目を潰さないように三十里軍を後退したりなど、仁義に厚い人物だな。 伍挙は伍子胥の先祖だったのか…伍家の一族は忠臣であったのに平王はその伍家を根絶やしにしようとした。仁義に厚い荘王とは対照的なボンクラだ。
@user-wi6pu3lb9i
@user-wi6pu3lb9i 2 жыл бұрын
古代中華史でも有数の故事名言メーカーの荘王。やっぱり英雄覇者は名言を残すんだよなぁ。
@sh2nd
@sh2nd 2 жыл бұрын
日本では鳴かず飛ばずが熟語として使われているのに対比し、中華圏ではその続きの一鳴驚人が日常的に使われてるのが非常に印象的でした。
@air5042
@air5042 2 жыл бұрын
荘王は大好きな人物です。取り上げて頂きありがとうございました。度量の大きさと実行力、判断力等等ほぼ完璧であったと思いますね。だからこそ沢山の能力を持つ人達を引き寄せたのでしょう。それと、これ程偉大な王の跡を継いた共王の生涯も何故か心惹かれますね。
@user-js3vi9bu7e
@user-js3vi9bu7e 2 жыл бұрын
荘王には王として相応の実力があったみたいですね
@user-lj2xm8hg1v
@user-lj2xm8hg1v Жыл бұрын
楚の荘王には王としてそれ相応の実力があったそうですね〜…ドヤッ!!ハアハア💦
@canon1729
@canon1729 10 ай бұрын
は、はは
@MOMO-my1mt
@MOMO-my1mt 2 жыл бұрын
横山三国志で知った『絶纓の会』…今夜も面白かったです。
@rerepopo663
@rerepopo663 2 жыл бұрын
魔理沙と霊夢も触れてた鳥居強右衛門の件、荘王はこの晋の忠義と勇気ある人物を高く評価して命を助けたけど 武田勝頼は部下の助命の嘆願も無視して激怒して、同じ事した鳥居強右衛門を槍で直ぐに処刑したんだよね・・・。 この事聞いて家康が「武士の忠義と覚悟を踏みにじる勝頼に未来はない、いずれ部下に裏切られて 勝頼は滅びる」言ったらしいけど、これが本当なら家康の読みは凄い。
@user-rj5uz3qj2l
@user-rj5uz3qj2l 2 жыл бұрын
それ作り話だぞ。古代中国に同じような話ある時点で疑えよ
@emotomit
@emotomit 2 жыл бұрын
荘王のエピソードが春秋の君主のエピソードの中で一番すこ。
@user-xo3fs4mu3i
@user-xo3fs4mu3i 9 ай бұрын
絶纓の会。横山先生のアニメ三国志で観たのを数十年をぶりに思い出しました。 こんなに感動的な話だったとは。 おもわず落涙
@user-do2xm4oc9n
@user-do2xm4oc9n 2 жыл бұрын
夏姫春秋の巫臣うらやましい・・・
@basilbasilicum
@basilbasilicum 2 жыл бұрын
荘王のレリーフカッコいい! 時代を問わず有能なトップは下の者の声を聞き、そして人材コレクターでもあるのですね。
@yuusuke8687
@yuusuke8687 2 жыл бұрын
晋と楚の間の国はたまったもんじゃないなぁ。
@user-gy5yz5rh2c
@user-gy5yz5rh2c 2 жыл бұрын
数多の英雄達が活躍する、荘王前後の春秋戦国時代は本当に面白い。
@my-eg8ge
@my-eg8ge 2 жыл бұрын
ヒツの戦いのあと、賜死を免ぜられた荀林父も次の宰相(正卿)の士会もよく晋を立て直したんだよなあ。荘王の次の共王の時代に起きたエン陵の戦いの時に士会の子の士燮は「君主が馬鹿な晋が楚に勝つと外敵がいなくなって、晋は内部分裂して取り返しがつかなくなる」という理由で会戦に反対していますし。
@yuki0321google
@yuki0321google 2 жыл бұрын
ちなみに伍挙は、 なんとあの伍奢の父親だとか言って 最初から、伍子胥の祖父だと言わず 遠回しにして虐める所、面白いです
@user-ct1zg6bh8n
@user-ct1zg6bh8n 2 жыл бұрын
動画内でもあった通り、春秋五覇の中でもっとも優秀だった人。魅力あふれる多くのエピソードを残している。早逝していたことは今回初めて知った。 『鼎の軽重を問う』たのは「九鼎を楚に持ち帰る為に必要な人手を計算する」目的だった。王孫満の言葉に荘王は「鼎ぐらい我が国の矛の欠け先で幾らでも作れるぞ」と恫喝したと言う。晋の文公ほど長生きしていたら秦より先に統一王朝を開いていたかも、と思わせるような傑物。ことに解揚の扱いは、荘王と武田勝頼の器量の差を見せつけられる。 余談ながら、邲の戦いでの舟に取り付く者を斬るエピソードは『平家物語』の屋島合戦に応用されている。 邲の戦い繋がりで、晋随一の名将である士会の紹介もお願いします。
@coldexp7189
@coldexp7189 2 жыл бұрын
春秋時代はまだ、戦でも礼儀の心が残っていた時代なんだなぁ
@youyah7440
@youyah7440 Жыл бұрын
呉越の戦いになるともう戦での礼儀はほぼ消えてるよ 荘王の時代が最後なんじゃない
@user-dk4nh6yr6y
@user-dk4nh6yr6y 2 жыл бұрын
荘王、周王朝に取って代わろう(オレこそが真の王(天子)だ)と「鼎の軽重を問」いたのだろうなと思うと、すごい野心の持ち主だ…。しかも、ちゃんと状況に応じて柔軟な対応ができるているから、その野望を果たす力は持っていたかもしれない名君だ…。 まあ、春秋時代の楚はいわゆる新興国的立ち位置だから、まだ当時は頭が柔らかったのかもしれない。
@user-gp4uy4ng7l
@user-gp4uy4ng7l 2 жыл бұрын
泣かず飛ばず、鼎の軽重を問う、無礼講。 名君だから名言が生まれるのか。名君が発するから名言になるんだろうなぁ。
@lovesub1402
@lovesub1402 2 жыл бұрын
周王朝の権威を半分認めて半分認めない楚の「王」である荘王が覇者となったことが中原諸侯に与えた衝撃はどれほどのものだっただろう 「あれが通るのならうちもいつかは」という気になったかも
@宴は終わったが
@宴は終わったが 2 жыл бұрын
壮王に遠回しに話した伍挙、はっきりと批判をした蘇従とどちらも楚のことを憂いてのことですが、両方とも賢明なる臣下であることには違いありませんね。
@dazeeye7313
@dazeeye7313 2 жыл бұрын
宮城谷昌光さんの夏姫の中の荘王はめっちゃかっこいい
@ntatanohu1214
@ntatanohu1214 2 жыл бұрын
沙中の回廊の荘王もめちゃくちゃかっこいいですよ。
@Dust_of_Mount_Taishan
@Dust_of_Mount_Taishan 2 жыл бұрын
楚って面積だけ見たらとっても大きいんだけど、あの一帯は山がちで住める場所が少ないから 意外と人口は少なかったらしいものね。 まぁ、稲作が出来ると云うことは水が豊富であること。山がちでないと厳しいわな。
@user-vd1jw9nf8u
@user-vd1jw9nf8u 2 жыл бұрын
荘王好きやわ^ ^覇者の中で一番付き合いたい人かな。厳ついイメージだけどエピソードに人情味がある。
@pomelove9502
@pomelove9502 2 жыл бұрын
荘王きたー! 荘王の振舞いを見ると、父である穆王を反面教師にしていたエピソードがたくさんある気がします。 三年飛ばず鳴かずだったのも、父の強圧路線を引き継がず楚を運営していくための政略を構想したり人事考課をしてたのかもしれませんね。 しかし官僚制度の未発達なこの時期に、楚はよくこれだけ広い領土を管轄できたものですね。王族が力を持っていたのは当然なのかもしれません。 楚という国は令尹の役職が特徴的で、個性あふれる人材を輩出してきたように思います。令尹列伝も面白いかな?
@seattleslew2332
@seattleslew2332 2 жыл бұрын
鳥居強右衛門の処刑が納得できなかったので 同じことをして助かった人がいて良かった やはり武田は滅びるべくして滅んだのだ
@coldexp7189
@coldexp7189 2 жыл бұрын
人の器の大きさの違いだよな。〈救援が来ると叫んだ人への対応
@jeste1010
@jeste1010 2 жыл бұрын
晋の文公と楚の荘王が同じ時代ってすごすぎる
@user-tt4ww2np8g
@user-tt4ww2np8g 2 жыл бұрын
鳴かず飛ばず。鼎の軽重を問う。観たかった動画がついに来た。
@10413new
@10413new 2 жыл бұрын
メンバーシップでもないの人にに楚を説明してくれる主はいい人
@basilbasilicum
@basilbasilicum 2 жыл бұрын
鳥人間さんの中国史で白起と今回の荘王、わくわくで視聴して満足~!だったその後…私がチャンネル登録している某れーしさんのチャンネルでも、過去の中国史解説のリメイク版をUPされていました。どちらも好きなチャンネルで、動画スタイルは違うしテーマも違うし全く違う動画なのですが、まだ無知でいまいち時代の流れがわからない私には時代の流れがリンクしている部分もあり知識が深まりました!前述動画は今回は晋と楚と晋に言及しています。日こちらで学んだ白起にも言及していて初心者の私には時代を把握するのにとても役立ちました!楽しかったです!up主さまの考え方が反映されいる動画は自分の中で色んな面から考えることができてとても良い経験でした。
@maruhourou1480
@maruhourou1480 2 жыл бұрын
古代中国版アサシンクリード・・・出てほしいですねぇ
@user-mg4fu5wq2o
@user-mg4fu5wq2o 2 жыл бұрын
更新お疲れ様です! 個人的に春秋五覇で一番の名君だと思ってます。それにしても「鳴かず飛ばず」っていつから違う意味で使われるようになったんですかね?
@yuuden1999
@yuuden1999 2 жыл бұрын
これが漫画「キングダム」よりずっと昔のお話という
@TAIKI1942katayose
@TAIKI1942katayose 2 жыл бұрын
地の利、人の和、時の運
@user-nn2bu5ki9n
@user-nn2bu5ki9n 2 жыл бұрын
春秋5覇でも、およそレギュラー入りしている楚の荘王ですか。 最後の鳥居強右衛門の話は武田勝頼は処刑しています。 これに関して徳川家康は「勝頼の武運も尽きたな」と伝えられているとか、荘王の懐の大きさが感じられますね。 あとつい最近まで男の方が尊ばれていたから妾の発言が無視されたのは仕方ないね!!
@user-kunihiro2023
@user-kunihiro2023 2 жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history 2 жыл бұрын
ご支援ありがとうございます!! ご厚意、まことに感謝でございます……!!
@user-zu8ox5jg7t
@user-zu8ox5jg7t 2 жыл бұрын
寒い中の戦いで、荘王自ら陣中を回って凍える兵士を一人ひとり声をかけて励ます…兵士は勇気百倍して懸命に戦い、勝利した…コレだけ見ても荘王の度量が限りなく大きいのだと感じる。
@rerepopo663
@rerepopo663 2 жыл бұрын
江南地方って良い立地なのに、戦国期の中原の強国にどの時代でも押されて 最後に潰されてる印象。
@user-nb4vy2xt5r
@user-nb4vy2xt5r 2 жыл бұрын
楚は何人かの有名な逸材を出しているが、その人材が如何に素晴らしかろうが、某覇王に印象を消されてしまう。軍だけでなく歴史をも蹂躪する覇王項羽恐るべし
@chip1259
@chip1259 2 жыл бұрын
荘王の逸話は春秋時代屈指の名エピですな😘
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w 2 жыл бұрын
鳴かず飛ばずの逸話、何度も聞いても伍挙爺ちゃんの子や孫に負けぬほどの直情さに感銘を受ける それにしても、 鼎の軽重を問う… 周の徳は衰えてない…? 周???王「じゃあどうしてワイは膠の船に乗せられたり洪水で船ごと沈んだりしたん」 楚荘王「それこそ河川に聞けやボケ」
@user-qx1jd3vi2w
@user-qx1jd3vi2w 11 ай бұрын
『周辺の諸国を食べ放題』って表現が好き😂
@omi03watanabe
@omi03watanabe 2 жыл бұрын
たしか楚の荘王の諡(おくりな)のエピソードを何かの小説で読んだことあったんだけど、 荘王が諡を幽にしろと家臣に言い残して没後に楚の家臣の間で論争になった。 幽は最低の諡であって家臣も王自身の言葉とはいえ流石にそれは。。。となった。 有力な家臣が「自身の功績を一切鼻にかけない王は実に謙虚で慎ましく厳かである」といったことから 厳かを意味する諡である荘になったとかなんとか? うろ覚えで済みませんがそのまま放っておくには勿体ないエピソードだったもので ちょっと書かせてもらいました。詳しい人いたらフォローお願いします。
@c-history
@c-history 2 жыл бұрын
荘王の子の共王にそのようなエピソードがありますね!
@2ytku723kp
@2ytku723kp 2 жыл бұрын
確かその逸話は荘王自身ではなく荘王の子で次代の共王だったはず 共王の時に晋との戦い(鄢陵の戦い)に敗れ、父荘王が築いた覇者の座と多くの将兵を失った事を恥じて死する間際に「先君の偉業を汚した愚か者の諡は霊か厲にせよ」と言い残したとか それで、このようなことを言い残す王であったがゆえに多くの家臣に慕われていたので遺命とはいえどそれは忍びないと従わずに恭(謙虚)と同じ読みと意味のある共を諡にしたそうです
@omi03watanabe
@omi03watanabe 2 жыл бұрын
流石です。 鳥人間のコメント欄は博学な方が多い。 勉強になります。
@rerepopo663
@rerepopo663 2 жыл бұрын
長江文明周辺って倭人が稲作してたり、その周辺から今年謎の 新しい文明後が発見されたり、ホントロマンがある歴史と地方だよね。 一応公式の歴史だと黄河文明が武力でねじ伏せて、徐々に長江文明が衰退していったらしいけど この辺の真実も何時か明らかになると嬉しい。
@shiso_tempura
@shiso_tempura 2 жыл бұрын
楚、ひいては長江文明を辿れば、倭や邪馬台国についても何か分かるかもしれませんね
@user-cg3jv5np5o
@user-cg3jv5np5o 2 жыл бұрын
激情家の多い楚人とは思えないぐらい冷静沈着。感情コントロールの塊みたいなお方だな。
@MrXz12
@MrXz12 2 жыл бұрын
春秋が過ごしやすくていいね!暑いのも寒いのも勘弁・・違うかw
@pon3339
@pon3339 2 жыл бұрын
横山三国志に載ってた「愛妾にいたずらしたけど許した逸話」のはこの人だったのか 李儒が董卓に説いた逸話だったと思う
@cdwalfredo
@cdwalfredo 2 жыл бұрын
荘王をあまり知らなかったので面白かったです。 でも動画の印象だと荘王は有能な人物だけど好き嫌いがはっきり別れそうな人物に見受けられた。 それまでの春秋覇者も野心家であるのだけど荘王は野心が前面に出過ぎているのかな?
@user-hj6yn5ji1r
@user-hj6yn5ji1r 2 жыл бұрын
鳥居強右衛門に対する武田勝頼の対応を見ると荘王の器の大きさを感じますね
@user-wb3qi2ew6l
@user-wb3qi2ew6l 2 жыл бұрын
押しも押されもせぬ覇者ですな。でも楚の最盛期がこの荘王から子の共王にかけてと言うのが残念。戦国期は冴えなかったけど、古い体制の他にも人口不足もあったのではなかろうか
@user-lz6cs6ik1x
@user-lz6cs6ik1x 2 жыл бұрын
ついに荘王様登場ですか。 宋の襄公様の扱いが、むごい。 荘王様が三年飛ばず鳴かずだったのは、荘王様が王権を握る前に命を狙われていたからでしょ。 荘王様が鼎の軽重を問うたときに実際に天下統一に動いていれば、楚帝国が築きあげられていたのに。 鄭といえば夏姫ww 士会様も参加ですか。
@bwjbb475
@bwjbb475 2 жыл бұрын
こんばんは。私は春秋五覇で一番の人間だと思っております。 また、それぞれの時代で名君と言われる人は幾人もいるが荘王は勝ることはあれ劣ることはない人物でしょう。 故に大陸の歴史でも屈指の人間、名君の一人と言っても過言ではないかと。でもそれだけに荘王の後の楚はホント残念至極。  まあ子の共王は父には及ばないが父の名に恥じない王だったからまだ良かったが。ホント国の威信を長く保つは難しいことよ。
@takahiroseto4028
@takahiroseto4028 2 жыл бұрын
休日にビール飲みながら中国史を楽しむ時間です!
@shou-sho
@shou-sho 2 жыл бұрын
まあ話ができすぎてるので、逸話の大半が作り話なんだろうけど。 (「鳴かず飛ばず」は実際はクーデターだろうし、「絶纓の会」の無礼者は戦死してないだろうし、邲の戦いは和睦を破ってだまし討ちしたんでしょう。) それだけ荘王が優秀だったという事でもあります。
@yuki0321google
@yuki0321google 2 жыл бұрын
無料版のムービーが豊富すぎて メンバーシップまで手が回りません
@user-yi2tk4du5d
@user-yi2tk4du5d 2 жыл бұрын
け…京観…恐ろしい概念を知ってしまった
@NobuhitoMiyagawa
@NobuhitoMiyagawa 2 жыл бұрын
晋の士会こそ晋歴代の最高の正卿
@t.c.8374
@t.c.8374 2 жыл бұрын
最後の最後に春秋期の戦乱を鎮める事に貢献した華元が!
@user-rk4kf6sl4e
@user-rk4kf6sl4e 2 жыл бұрын
周王室を無視する姿勢をとってきたソが覇権握り始めた頃で春秋時代が終わるのかな?高校じゃ晋が3分された年の説で習ったけど。ここから新興の秦が出て来るのか。春秋戦国時代の全体の流れが分かる動画を作って欲しい!!!
@user-rk4kf6sl4e
@user-rk4kf6sl4e 2 жыл бұрын
@@thessalonikimetro5012 なるほど、ありがとうございます!
@user-re9pu4rg5f
@user-re9pu4rg5f Жыл бұрын
楚の荘王👏カッコよく語ってくださりありがとうございます❤もし彼が秦王政、と同時代人だったら‥いかに対決したか‥カリスマ対決見てみたいです。
@mechadebu
@mechadebu 2 жыл бұрын
ヤンキー漫画の新入生or転校生主人公感ありますね。 最初はダメそうな登場シーン、「俺バカだからよぉ、そういうルールとかわかんねーんだよな」→尊敬する上級生(周)に出会って少し態度が改まる、男気を見せたら今まで卑怯な感じだった仲間キャラが命張ってくれる…… これは春秋爆荘王でマガジン連載が……!?
@user-ks5yd3jy1n
@user-ks5yd3jy1n 2 жыл бұрын
いつも、投稿者さんの動画を閲覧している者です。  最初の【国鳥物語人間】は、プッと笑いました‼️  司馬遼太郎の写真がてんこ盛り、当作者の著作【国盗り物語】が出たところを観て、投稿者さんは司馬遼太郎が好きなのかなと思いました。  自分は【坂の上の雲】しか観てないです。  原作は淡々としてますが、NHKのスペシャルドラマは良かったですよ‼️  話を元に戻りまして、楚と言えば【項羽】しかイメージが湧きませんが、荘王という有名な人物がいたんですね。  最初は遊んで、気を見て、周囲の人達と共に乱世を駆けていったんだなと思いました。  織田信長みたいですね。  部下に優しいところは、グッときました‼️  また周囲の人達にも恵まれている。  天下統一は出来ませんでしたが、【鼎の軽重を問う】【鳴かず飛ばず】の語源は荘王から来てるんだと、今回も勉強になりました。  次回の動画、楽しみになってきました。  これから寒い冬がやってきます。  コロナの第六波が懸念されるので、投稿者さんもメンタルと身体に気を付けて、我々視聴者に面白い動画を提供していただけたらと思います。  話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d 2 жыл бұрын
余談の折り込み方、リスペクトいっぱい。
@user-ks5yd3jy1n
@user-ks5yd3jy1n 2 жыл бұрын
@@user-fb3oq9jq3d コメントを頂きました。  このチャンネルはとても勉強になり、毎回楽しみにしております。所々に、お茶目なところがあり、それも楽しみですね。短いコメントですが、ここで筆を置きます。
@megamyaki
@megamyaki 2 жыл бұрын
絶纓の会に似た話も島津義久のエピソードにもあるし、鳥居強右衛門のエピソードも見ると偶然同じ状況になったのか、それとも知っていたのかあるいは創作だったのかを考えると歴史は面白いですね。
@user-fo3cf9zu9n
@user-fo3cf9zu9n 2 жыл бұрын
荘王「楽しかったなあ。鳴かず飛ばずの三年間(  ̄▽ ̄)。」
@yugureyamanaka2730
@yugureyamanaka2730 2 жыл бұрын
竹馬の友の話も、今後お願いします。竹馬の友の故事に登場する殷浩(いん こう)は、諸葛亮の再来と言われましたが北伐に失敗して失脚しました。三国志の後の東晋時代の竹馬の友の桓温と竹馬の友の殷浩(いん こう)の友情の崩壊も興味深いです
@user-oh9jl1tp5f
@user-oh9jl1tp5f 2 жыл бұрын
26:58 なんか似たような話がありますね...
@alexale4074
@alexale4074 Жыл бұрын
派手に失敗できたから立派な人ですね でも正義のためだという前書きが必要です
@user-md7zg8ye8f
@user-md7zg8ye8f 2 жыл бұрын
なんか美談のかたまりのような話でしたな 原則この時代に「王」となのっていいのは周の君主だけということでしたが そういえばアラブ諸国も王と名乗れるのはヨルダンだけと聞いた 王様はふたりいてはいけないんだな 王と名乗った時点で周りは敵だらけになるのか
@paidemallino6550
@paidemallino6550 3 ай бұрын
中国に旅行に行った時の話。 博物館に鼎が展示してあった。 ガイドさん(中国人)に「この鼎、重さはどれくらいですか?」と聞いたら「あなた、楚の荘王ですか?ナイスチャイニーズジョークだよ👍」って言われて意気投合しました🤣
@tyourea
@tyourea 2 жыл бұрын
素晴らしい名君だ!後の楚王もこの様で在ればな~・・・。 しかし「鳴かず飛ばず。」なんて作ったのは、いやだな~。世の中の大半の人は、鳴かず飛ばずなのに。
@Heidenwa9
@Heidenwa9 2 жыл бұрын
荘王の酒色に耽っていた三年間、彼は何を考えていたのだろうか その後の二十年間ものの闘争の歴史を見ると、荘王は覇者になりたいという願望だけで永遠に酒を呑めてたのだろうな
@coldexp7189
@coldexp7189 2 жыл бұрын
春秋五覇候補の中でも、やらかしの部分が一番無い人か。 まあ、楚の国は早くから王を名乗っていたから、春秋における「覇者」の定義からは離れちゃっているけど。
@shion-akechi
@shion-akechi 2 жыл бұрын
荘王「田因斉(斉の威王)君、著作権料を踏み倒すって? いい度胸だね?」 威王「ヒィーっ! 申し訳ございませんでした!」 淳于髠「まぁ、仕方ない事態ですね」
@user-fy2bo2uf3c
@user-fy2bo2uf3c 2 жыл бұрын
これやっぱりどちらかがフィクションの可能性もあるかも
@PORTABLE1217
@PORTABLE1217 2 жыл бұрын
伍子胥のくだり、最近史記を読んで知ったけど原文の逆の順番で喋ってたんだなぁ
@yorktom5393
@yorktom5393 2 жыл бұрын
東晋の人解説している方がなかなかいらっしゃらないのでリクエストしたいです。陶侃とかやっていただけないでしょうか
@user-fo5pg2id7f
@user-fo5pg2id7f 2 жыл бұрын
魏晉南北朝,英雄多,有趣
@treasure9262
@treasure9262 2 жыл бұрын
楚の説明がメンバーシップのチャンネルにあるんですね。メンバーシップは月額制のサブスクリプションですよね?
@user-tf2dx2rs1o
@user-tf2dx2rs1o 2 жыл бұрын
荘王はまさに中国に現れる人材マニア型君主ですね。このスケールの大きさが中国らしくて好きです。ところで司馬遼太郎といえば先輩が陳舜臣。小説十八史略が特に好きです。
@user-il6zn3xq6e
@user-il6zn3xq6e 2 жыл бұрын
14:14 <「全く以てその通りである」
@user-yw5hr9xo2z
@user-yw5hr9xo2z 2 жыл бұрын
3度のメシより中国史とまではいかないが、夕食のお供に中国史くらいにはなったかな
@user-ly6wt9xm1c
@user-ly6wt9xm1c 2 жыл бұрын
楚荘王の改革は非常に素晴らしいものがある。 確かに家臣の選別では大量の処刑者を出すことになったが、それ故に有能な家臣を用いることができ、楚を蛮族から中華の一員に押し上げることになったのだ。 周代初期に中原に一員として参加しようとしたが、蛮族であると一蹴されてしまったことは、後に楚の存在感を増すことになった。 仮に周が楚の帰属を許していたら、このようなことはなく、歴史は大きく変わっていただろう。 また、楚荘王は周との対立の中で今の楚に足りないものはなんであるかを悟り、その後には覇者として登りつめたことは荘王自身の度量もさることながら、周囲に有能な人物が集まり、使いこなせたからというのが大きいかもしれない。
@user-gw6ps8bp9g
@user-gw6ps8bp9g 2 жыл бұрын
俺の中での春秋五覇は斉の桓公・晋の文公・秦の穆公・楚の荘王・あと誰か その中でも斉の桓公・楚の荘王が特に好き 楚の荘王は就任直後に拉致監禁された話があったと思うのだけど、それは間違い?
@user-kg3tr3ms8c
@user-kg3tr3ms8c 2 жыл бұрын
若敖氏との確執も、何かの折に解説してほしいです。🤩
@yuki0321google
@yuki0321google 2 жыл бұрын
2:35 ここの、はぁの言い方が 感嘆のはぁでなくて はぁ?周王室に許可取らないで 勝手に、王を名乗るとは何様だよの はぁに聞こえて、ビックリしました
@J.and.P_fx98
@J.and.P_fx98 2 жыл бұрын
気になって百度で調べて春秋精美故事100篇の苏从大骂楚庄王を読みました。苏从の命懸けの行動は凄いですね! 泣いて(今から諌言する事による)自分の死と楚国の滅亡を訴えた後に大声で壮王を罵倒。庄王に「諌言して無駄死にするお前は愚かだ」と言われた際に「私は愚かだけどあなたの方が愚かだ。あなたが私を殺せば私はただ忠臣という美名を得、楚国は滅亡しあなたは亡国の君となり、身を置く場所さえ失う。あなたは私より愚かじゃないのですか?話は終わりました。早く殺して下さい」と。 超絶肝が据わっていますね。これぞまさしく忠臣 それで覚醒した庄王も素晴らしいです✨
@skataoka6782
@skataoka6782 2 жыл бұрын
改めて地図を見ると楚は南方の大国という感じがあったけど、香港までめちゃくちゃ遠いんだなぁ。鄱陽湖あたりが下限なのね。
@80spigme40
@80spigme40 2 жыл бұрын
顔真卿おなしゃす
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 2 жыл бұрын
ありゃ、元ネタかこれが。 やはりあるんだな。に。
@user-lw5sd7lb4u
@user-lw5sd7lb4u 2 жыл бұрын
楚の荘王は、東周の都洛邑に赴いた際に周王室の至宝たる九鼎を見たが、その時のやり取りは以下の如しです。 荘王「ほぉ、これが周王室の至宝九鼎でござるか?」 王孫満「如何にも、周の九鼎で有ります。 夏から殷、そして周へと受け継がれし物です」 荘王「さて、この九鼎を持って帰りたいが、どれくらい重いものかな?」 王孫満「滅相も無い、これは王朝の徳を示す物故に軽々しく扱うのは畏れ多いのです」 荘王「ならば、我が国には折れた矛や戈が余るほど有るでな、この九鼎と同じ物を造れるわ!」 王孫満「!!」(何たる傲慢) こうして、周の九鼎が持ち去られる事は無かったものの、後に秦が周を滅ぼした時に九鼎を持ち帰る際の混乱で泗河の川底に沈み、宰相の李斯は藍田の白玉で玉璽を造らせました。
@ravilsan1987
@ravilsan1987 2 жыл бұрын
楚という国がなぜ春秋時代から王号を名乗ったのか。 まず楚は元々外部勢力という特殊な立ち位置であり、王畿(周王直轄領、後代の直隷)に本家を持たないので周王に憚る理由が全くなかった(晋などは周王が本家、斉や秦などの異姓諸侯も王畿内に本家がいた。)
@user-sl8fs5fp1k
@user-sl8fs5fp1k 2 жыл бұрын
本来の楚王族にもスポットライト当たってくれ(楚と言えば項氏のイメージが強くて)
@user-sb8mn9di3b
@user-sb8mn9di3b 2 жыл бұрын
荘王もさることながら、伍子胥やら項羽やら楚の人たちは気性の荒い人が多い気がする
@akanwazibune
@akanwazibune 2 жыл бұрын
信長は楚の荘王と趙の武霊王に影響受けているように思わられるんだがどうでしょう。
@taka4469
@taka4469 2 жыл бұрын
後世、荘王の真似をしようとバカ殿演技中にうっかり死んでしまって 暗君として記録された君主が何人かいるのだろうか?
@深海魚-o1i
@深海魚-o1i 2 жыл бұрын
権勢を握る重臣や宦官に殺されないよう、暗愚を装った君主や皇子はかなり居ましたよね。史書では暗君だが実は……という君主も、確かに居るでしょうね。
@thor0610102
@thor0610102 2 жыл бұрын
唐の宣宗は宦官に目をつけられないように暗愚を装っていましたよね。 当事の唐は穆宗、敬宗と2代続けて皇帝が宦官に殺される世の中。宣宗も暗愚な真似をして遊び歩いていたとか。 唐の武宗が丹薬の中毒で重態になると、後の宣宗となる光王・李忱は宦官勢力によって武宗の「皇太叔」に選ばれて武宗に即位。宦官達は「どうせ処理できないだろう。」と大量の書類を決済に持ち込みますが、わずか1日で決済。それだけでなく重要な書類には見事な見識の意見が書かれていたそうです。 宦官達は騒然としますが、宣宗は宦官勢力の地位はとりあえず安堵させて安心させると共に、跋扈跳梁は抑えて、政治に励み、後に先祖の太宗になぞらえて「小太宗」と渾名されたとか。 実録が散逸していて失われている為、詳細な事績はわからないそうですが、名君が暗愚を装っていた一例として挙げてもいいと思います。
@user-wh6nn3wj9c
@user-wh6nn3wj9c 2 жыл бұрын
「鳴かず飛ばず」のエピソードの伍挙は伍子胥の祖父ではなかったかな?
@c-history
@c-history 2 жыл бұрын
祖父ですよ!伍挙の子が伍奢、伍奢の子が伍子胥と動画内で話していますが分かり難くて申し訳ありませんでした!
@user-vj7vd4pz9p
@user-vj7vd4pz9p 2 жыл бұрын
やっぱり若いうちは遊んだ方が良いんだねฅ•ω•ฅ
@user-in5em1bm5w
@user-in5em1bm5w 2 жыл бұрын
荘王と勝頼の器の差・・・
@roseholland1372
@roseholland1372 2 жыл бұрын
荘王の王位即位後のうつけっぷりは信長の逸話に似てるし、思ってる以上に日本の歴史エピソードは中国に影響を受けて書かれているのかも
@user-dx9st6bd4q
@user-dx9st6bd4q 2 жыл бұрын
楚は長江文明圏の国で、そもそもは黄河文明人の方がむしろ野蛮で戦争が強かったのが、もうこの頃には文明がすっかり混じって、楚の方が中原の諸国よりも戦争が強くなってしまったw、のだと見ています^^
@user-hr5km4wz9h
@user-hr5km4wz9h 2 жыл бұрын
信長公と太閤殿下を足して2で掛けたようなお人ですな~。
39kgのガリガリが踊る絵文字ダンス/39kg boney emoji dance#dance #ダンス #にんげんっていいな
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