【ゆっくり日本史解説】荘園ってなんだ? 必ずと言っていいほど聞いた事ある名前だけど、一体どんなシステムだったのかその歴史を簡単に解説

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ふきのゆっくり歴史館

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Күн бұрын

Пікірлер: 106
@ANDOHSOHON
@ANDOHSOHON Жыл бұрын
院と女院の荘園経営の言及が無いです。天皇が位を譲って上皇となって律令の外に出て、荘園経営に乗り出し、かえって律令制を自ら壊していた。また息子や娘に財産として荘園を持たせていた。後々の上皇のうちこの荘園経営権を持っていたものは政治権力があり、南北朝の争乱を起こせた。八条院の院領や後白河法皇の長講堂領、その後の「大覚寺統」「持明院統」の荘園がまさに典型。よって上皇がその荘園経営権を失った時から、戦争や政治に上皇が顔を出すことが無くなった。
@mykey308
@mykey308 Жыл бұрын
まあ、見やすくするためにあえて情報を削ってるという事かと😃🤝
@京急蒲田-w5h
@京急蒲田-w5h Жыл бұрын
動画でそこまで触れるのは不可能
@ぶらいと-z1t
@ぶらいと-z1t Жыл бұрын
アンタが言及してるからセーフ
@パワーボム-z9e
@パワーボム-z9e Жыл бұрын
動画ではアラスジを解説して、コメントで補足説明するのがベストかと。荘園のような歴史ネタは興味の無い人は見向きもしませんからね、まずは簡単にまとめた解説で興味をもたせるのがベスト。
@mykey308
@mykey308 Жыл бұрын
荘園のことよりさあ!この時代の人がBBQ🍖する時どこで肉買ってたかのほうが気にならない⁉️ イオン?ハナマサ?コストコ?
@おぐら-q9u
@おぐら-q9u Жыл бұрын
加賀や三河の一向一揆で必ず絡んでくる背景。 ようやく納得できました。 ありがとうございます!
@JK-akari
@JK-akari Жыл бұрын
素晴らしい!よくまとまってます。 荘園てまさに歴史嫌いが出るきっかけのひとつなんですよね。 制度の意味がわからないまま授業中が進むので。 これをみんなに見せたい。
@うか-q8g
@うか-q8g Жыл бұрын
分かりやすくて素晴らしい。歴史を覚えるには暗記よりも時代の流れが大事だと思います。 墾田永年私財法なは絶対に覚えておけ。と日本史の先生に言われた覚えがあります。是非学生に見て貰いたい。
@straighttree8201
@straighttree8201 Жыл бұрын
わかりやすかった。国司、地頭、守護と色々出てくるからよくわかんなかったんだよな。
@クレマジ
@クレマジ Жыл бұрын
日本の通史を考えるに土地の所有者、支配者、利用者の面で考えると、荘園やら武士やら幕府やら理解が深まりますね。
@erSeikinTV
@erSeikinTV 12 күн бұрын
受験勉強のサポートとして使ってます、めちゃくちゃわかりやすい
@fuki_rekishi
@fuki_rekishi 11 күн бұрын
そう言っていただけると凄い励みになります!! 受験頑張ってください٩( 'ω' )و
@ホームページ制作と活用の池田
@ホームページ制作と活用の池田 Жыл бұрын
勉強になりました。流れを把握するために、非常に素晴らしいコンテンツです。ありがとうございました。
@user-yf6xt4nm9s
@user-yf6xt4nm9s Жыл бұрын
荘園の成立と変容と崩壊はほんと謎多かったので助かります 地名なんかには今も色濃く残ってますよね
@yasushifukai4212
@yasushifukai4212 Жыл бұрын
貴族寺社武士と移っていったのは土地の所有権というより年貢などの徴税権だったという。
@ほしのき
@ほしのき Жыл бұрын
伊藤俊一著の「荘園」は荘園の成立から太閤検地による解体まで詳しく書かれているのでおすすめです。
@mt.1157
@mt.1157 Жыл бұрын
よく分かりました!ありがとうございます。これからも頑張って下さい
@user-es8qo8bw3s
@user-es8qo8bw3s 10 ай бұрын
5:37 不輸の権が分からなかったのですが、よくわかりました😭わかりやすい、、!!ありがとうございました!
@田中太郎-w7h1n
@田中太郎-w7h1n Жыл бұрын
全国に八幡神社があるのはまさに寄進された荘園の影響だね 武士と八幡宮の繋がりはこうして作られたというわけだ
@yomei_0nichi
@yomei_0nichi Жыл бұрын
分かりやすくまとめてくださっていて助かっています…!テスト頑張ります🥲
@hiropon9
@hiropon9 Жыл бұрын
あとは半済令ですかね。 これによって守護の力が強大化し、国司は名目だけの官位になった
@新党くにもりが日本を救う新
@新党くにもりが日本を救う新 Жыл бұрын
道教は、貴族の力を削ごうとしたから、殺され、怪僧にされたのかぁ・・・
@JK-akari
@JK-akari Ай бұрын
藤原害悪一族のやり方です
@ざこ-n8n
@ざこ-n8n 10 ай бұрын
めっちゃいい動画!!
@ルージュ-o4t
@ルージュ-o4t Жыл бұрын
私も荘園についてよく知らなかったので勉強になりました。動画の内容は授業では教わらないことばかりでした
@jmicpiro8913
@jmicpiro8913 Жыл бұрын
全部教科書と資料集に載ってるんだよなぁ
@kenichitanaka2817
@kenichitanaka2817 Жыл бұрын
面白かった
@tabipero6141
@tabipero6141 Жыл бұрын
荘園が徐々に有名無実化していったのはわかったんですが、そうなると朝廷の収入はどこからえてたのでしょう。
@Alpachi-trte02
@Alpachi-trte02 Жыл бұрын
戦国時代になると有力者に献金の見返りに官位を与える売官で凌いでいたようです もちろん足りないので御所が壊れたままだったり葬儀や即位の儀式が滞ったりしたそうですが…
@でふぉると武雄
@でふぉると武雄 7 ай бұрын
官位推薦の代わりの賄賂
@user-rq7tw4by5s
@user-rq7tw4by5s 2 ай бұрын
朝廷の収入は国衙領(公有地)ということになります。 もともと日本全国が公知公民制で公有地だったのですが、奈良時代以降、墾田永年私財法により荘園(私有地)がどんどん増えていったわけです。しかし、国衙領がなくなったわけではなく、太閤検知までいちおう残ってはいます。
@人暇-d3c
@人暇-d3c 7 күн бұрын
後々制度が変わって、土地からの収入ではなく人からの収入に変わったと聞いたことある その土地を誰が持っていたとしても住んでいたら払わないといけなくなる 今の住民税みたいな感じかね
@仁志飯野
@仁志飯野 Жыл бұрын
唐や奈良・平安の公地公民制と共産主義の農業政策が似ている。 マルクスは『資本論』を書いた時に東洋史を勉強しなかったんだな。 ”コロホース・ソフホース””人民公社”も失敗したし
@7c947
@7c947 Жыл бұрын
醍醐天皇の前の段階で「国司が私腹を肥やすために重税を課した」的な流れになっているけど、このころまでは農民から税を徴収するのは郡司(在地有力者)であって、私腹を肥やしているとしたらこっち。国司(中央から派遣される)は郡司を指揮監督して律令に定められた税を国庫に治める仕事で、平安貴族たちはやりたがらなかった。醍醐天皇による律令政治復活の試み(延喜の治)が挫折すると、次代の朱雀天皇の時代に大規模な税制改革が行われて国司(の中でも守=かみ)の権限が強化され、「儲かる」仕事になる。藤原元命などの悪徳国司が登場するのはこのころ。受領(ずりょう)とも呼ばれる国司になりたい中級貴族たちは人事権のある有力貴族にすり寄ることになる。その有力貴族というのが藤原摂関家。受領を務める中級貴族や郡司から転換した田堵たちから摂関家は寄進を受けて、大荘園主になっていく。これを抑えようとしたのが後三条天皇。ここで摂関政治は終わり。その次代である白河天皇(上皇)から院政で荘園主の主体が院・女院に切り替わっていく。院政期の荘園は必ずしも「墾田」じゃなくて、すでに田畑になっている公田を含めた広大な敷地を荘園化するので爆発的に荘園が拡大。ってのが抜けている。
@濵本竜司
@濵本竜司 Жыл бұрын
受領や田堵・目代の中には後年武士化して守護・地頭から有力な大名や国人になった人も多い。幕藩体制の大名の中にも先祖が荘園と関わりがある所は多い。確か毛利も先祖が国衙と荘園両方関わっていたし。
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke Жыл бұрын
代ゼミで受けた菅野の日本史を思い出した。。。
@rodokinko
@rodokinko Жыл бұрын
優雅なバラ園🌹みたいなイメージ
@ういいかぼっと
@ういいかぼっと Жыл бұрын
わかる 習った当初はそういうイメージが抜けなくて意味わからんかった
@頭お花畑-l7i
@頭お花畑-l7i Жыл бұрын
受験の時に知りたかった動画 荘園とかいう得体のしれない庭みたいな物?って当時は解釈してたけど、そういうのが詳しくわかったらもっと日本史勉強してたかもなぁ
@steroidbody
@steroidbody Жыл бұрын
してない してないw
@天才ゲーマーY-w3z
@天才ゲーマーY-w3z Жыл бұрын
三世一身の法は期限が近づいた農地が手入れされなくなって廃止されたっていう説明があったけど、この法が発布されたのが723年で私財法が743年ならそもそも期限を返す孫の代になってないんじゃない?  教えて詳しい人
@ピコピコピコハンマー
@ピコピコピコハンマー 9 ай бұрын
ヒント:この時代の寿命
@直人伊達-r6t
@直人伊達-r6t 27 күн бұрын
自分の田畑をわざと荒廃させて、それを新規開墾することで収公を免れるという荒業があったからね
@HS-hl1ji
@HS-hl1ji Жыл бұрын
ちょっと前までの道路公団と道路特定財源の関係に似てるよね。
@user-hirotaka0123
@user-hirotaka0123 Жыл бұрын
別荘の庭園略して荘園だから税金はかからないといった脱税は今でもよくあるよね。
@TheHaimani
@TheHaimani Жыл бұрын
これ、中学で教えていい内容だよな。15分で終わるし。 日本の歴史教育が時系列ごとにやる形だから、「荘園」というひとつのテーマが1000年単位でどう変遷したか俯瞰で教えられない。 平安時代・鎌倉時代・室町時代という時代区分事にぶつ切りにされて理解を妨げてる。 同じように貨幣とか物流とか軍事とかの変遷も1000年単位の推移を説明すべきだよなぁ。
@jmicpiro8913
@jmicpiro8913 Жыл бұрын
教えているんだがな、教え方に意見はあるのはわかるが、歴史を勉強する上で制度から始めても理解できないし興味もわかないように思います
@HatenaZ
@HatenaZ Жыл бұрын
公領と口分田制度がいつなくなったのかが知りたい 国司支配の時は 公領口分田 徴税荘園 不輸不入荘園 の3種があったはずだけど、公領口分田制度は鎌倉幕府が地頭置く前に崩壊してそうだけど 公領はどこ行った まあいつの間にか荘園化されてたのだろうけど
@farside20
@farside20 Жыл бұрын
口分田は醍醐天皇の時代に最後の班田が実施されたのち、回収されずに私有地になりました。 室町時代にも公領(国衙領)は存在していました。守護大名は半済によって荘園や公領の年貢を徴収したり、公家と守護請の契約を結んだりしました。ただ、室町幕府が皇室領や寺社領、荘園などを守護不入地として守護の支配を制限していました。 その後、戦国時代になると戦国大名はそれらを無視するようになり、秀吉の太閤検地で戦国大名による一円支配が確立したことで、荘園公領制は解体されました。
@新党くにもりが日本を救う新
@新党くにもりが日本を救う新 Жыл бұрын
荘園に住んでいる人々の生活もやってください。
@hiroshisato7885
@hiroshisato7885 Жыл бұрын
ゆっくりしていってね~♪ (代わりに言っといた)
@菊地真-r9d
@菊地真-r9d Жыл бұрын
西洋史だと農奴制と言うのに日本史だと農奴制と言わないから意味が分かりづらくなる。 荘園制=農奴制であって、そこを明確にしてないからあたかも貴族や寺院が土地だけを開墾し奪いあってるかの印象をあたえる。 実際には、土地とともにそこを耕す農奴をも支配管理するのが荘園システムの本質。 ゆえに、大荘園ほどたくさんの農奴を管理するために地方行政のようなものが必要となり、朝廷からの徴税人とは別のその地域の行政を行う政治権力者が当然台頭してくる。 それがゆくゆくは荘園制の崩壊の原因となる。
@123logtop2
@123logtop2 Жыл бұрын
音感だけで覚えた墾田永年私財の法
@wolverin00012
@wolverin00012 Жыл бұрын
荘園って習ったけどここまで詳しくは知らなかった😅
@Yosakoi_akiko
@Yosakoi_akiko Жыл бұрын
この動画では荘園の概要的な感じだけど 実際のところどう運営されていたのか、とかの話になるとこれは魔境となるらしいね そもそも同じ所有者が管理してる荘園でも升の大きさが違ってたりするし場所によって役職の名前や数、権限がぜーんぜん違うという
@Yosakoi_akiko
@Yosakoi_akiko Жыл бұрын
建前の上では荘園は「財源」的なものらしいわね
@ネルソン-m9f
@ネルソン-m9f Жыл бұрын
西欧の荘園は深い森に囲まれていて、住人の生活の全てが狭い空間で完結しているコンパクトシティというイメージだけど日本のものはどうだったんだろう?あんまり「閉じている」印象はない
@田部浩介
@田部浩介 Жыл бұрын
山と川に囲まれた「閉じているコンパクトシティに印象がある方だな。 江戸時代の大開発までは、洪水の多い平野部より山の縁とか台地に丘陵に荘園を作るので精一杯だったと思う。
@さとしおおさこ
@さとしおおさこ Жыл бұрын
統制経済から自由経済になる感じだな
@notewave3228
@notewave3228 Жыл бұрын
「荘園といっても、唯の農地でしょ」と以前は思っていたが、何年か前に大分の方で、荘園の跡がよく残っているので「重要文化的景観」に選ばれたとのニュースを見て違和感を覚えた。荘園と、それ以外の農地とで何か決定的な違いがあるのだろうか?
@90percent_off
@90percent_off Жыл бұрын
ここら辺から日本史が苦手になっていく感ある
@tomaaa9985
@tomaaa9985 Жыл бұрын
時代早すぎるて
@suzume2010
@suzume2010 Жыл бұрын
「開墾したら私有地」制が始まったから金持ちが土地開発したのが荘園と
@manekineko0912
@manekineko0912 Жыл бұрын
9:51 後三条天皇が実施したというのが重要だったりする。 久しぶりに誕生した藤原氏が外戚ではない天皇なので、大貴族(藤原氏)に遠慮する必要がなかった。 外戚になり損ねた藤原頼通が全盛期を築いた藤原道長の息子だったとか歴史の皮肉もあったりするけどw 長講堂領と八条院領にまで言及するのはさすがに難しかったのかな?
@橘右近-z6o
@橘右近-z6o Жыл бұрын
公家共が国有地を私物化しただけだろ。ほんと藤原氏ろくなことしない。
@東條ミサキ
@東條ミサキ Жыл бұрын
うちの県荘園がいくつか存在しますねぇ…
@tukemononozu3993
@tukemononozu3993 Жыл бұрын
荘園は、現在の大手企業の事だよ。一部上場の企業の広大な敷地は策の外と違う政策がとられます。起業ルールがあり日本国の法律と異なることが平然と行われます。情報も隠蔽されますので、一部上場企業で行われていることは、そこを監督管理する官公庁しか知らない事も多いのです。これに戦力を整えたのが荘園です。
@abcabc2001jp
@abcabc2001jp 6 ай бұрын
10:16~ 寄進地「形」荘園→寄進地「系」荘園
@権三郎平衛
@権三郎平衛 Жыл бұрын
私が子供の頃、荘園とは、果物園や野菜園付きのアパート(長屋)を含むようなところで、「ボンビーな人でも、ある程度、優雅な生活ができますよ。」という、規模もある程度の土地のことかと思っていた。当時、はやっていた「地上の楽園」のことか?なんて思っていたことがある。日本は、福祉、サービスが、むかしからゆきとどいていたんだなあ なんて思っていた。 ちなみに、もっと幼少の頃は、くも膜下出血とは、口や鼻から蜘蛛が出てきてしまう病気のことかと思っていた。
@べに-y4t
@べに-y4t Жыл бұрын
1582年は「本能寺の変」なのです😊
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke Жыл бұрын
太閤検地は1582年に山崎近辺から始まってるはず。
@ゆきひめ-h4f
@ゆきひめ-h4f Жыл бұрын
教科書より100億倍わかりやすい!
@fuki_rekishi
@fuki_rekishi Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!! もっとこうした方が分かりやすいのにって思う事があれば是非教えて頂ければ幸いです!!
@usswhitebird
@usswhitebird Жыл бұрын
北海道で「しょうえん」といえば、焼肉屋なのだが。
@Lets_use_NTkeyBoard
@Lets_use_NTkeyBoard Жыл бұрын
お~、ずっと謎だったヤツだ!
@makkuu62
@makkuu62 Жыл бұрын
流通史や金融史は大学で専門的にやる場合があるのでこれを中学校で教えても赤点だらけになるだけなのでは
@vnaradonn
@vnaradonn 6 ай бұрын
一昔前の荘園の理解かな。
@lupin402
@lupin402 Жыл бұрын
荘園=貴族のための脱税ルートってことか
@JK-akari
@JK-akari Ай бұрын
藤原氏のね 害悪一族ですわ
@さとしおおさこ
@さとしおおさこ Жыл бұрын
結局、社会主義から資本主義になったのね
@rukushi737
@rukushi737 Жыл бұрын
要するに「欲」の歴史。
@Trshjtfhuuh-u6t
@Trshjtfhuuh-u6t 2 ай бұрын
7:05
@kosuzuki01
@kosuzuki01 Жыл бұрын
三世一身の法って今のシニアマンションっぽい
@tomohikoo8949
@tomohikoo8949 Жыл бұрын
名字の由来が荘園の名前。
@ピコピコピコハンマー
@ピコピコピコハンマー 9 ай бұрын
班田収授法では戸籍がウソだらけで脱税されてしまう。→三世一身の法も口分田と同じ様に失敗。 →墾田永年私財法は貴族や寺社に有利な税制で、その上級貴族(荘園)と朝廷の貴族(公領)が土地をおさめる時代になる。→鎌倉幕府が派遣する地頭と朝廷が支配する国司との2重行政となり、さらに武士が誕生し荘園が終焉を迎える
@wanny5036
@wanny5036 Жыл бұрын
制限 → 特権?
@だっちゃ20年周期
@だっちゃ20年周期 Жыл бұрын
脱税システムだよね?
@nmiyata3314
@nmiyata3314 Жыл бұрын
伊藤さんの新書「荘園」くらいは読みましょう
@jmicpiro8913
@jmicpiro8913 Жыл бұрын
当時の気候変動を交えた記述は面白かったですね
@sekiyu-oh
@sekiyu-oh Жыл бұрын
虹ピクミンは 何 が あ っ て も 絶 対 に 納 税 し な い
@tubeyou6469
@tubeyou6469 2 ай бұрын
共産主義の世界に資本主義を導入したらどうなるかといのかといういい例
@goodsun5336
@goodsun5336 Жыл бұрын
荘園と言う言葉しか教えない学校が狂気そのものなんだが。 要は、名前と実態が異なると言う脱税が、その昔もあったと言うこと。5分もあれば教えられるだろう。
@同時代ゲーーム
@同時代ゲーーム Жыл бұрын
高校生以上が相手ならまだしも 小学校の授業で「昔から偉い人たちは脱税をやっていたんですよ」って やる方が狂気だと思う
@idasleftventricle
@idasleftventricle 2 ай бұрын
もっとわかりやすい人はいないの、
@tommy.signature3236
@tommy.signature3236 Жыл бұрын
公地公民制=社会主義経済。
@golillaism
@golillaism Жыл бұрын
かれこれ幾年か前にな、ゼミで「しょうえん」を「そうえん」って読んだばかたれがおってな。キレられてな。大学に来なくなったやつがおったわぁ。その先生な、NHKで解説とかする先生でな。そら怒られるわなぁ。今となっては思い出やけど。みんなちゃんと「しょうえん」って読もうな。
@jmicpiro8913
@jmicpiro8913 Жыл бұрын
​@gorilla_in_IQexperiment そら、ゼミなのに事前に勉強してきていないのが悪い
小学生でもわかる『荘園』
1:04:45
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【日本史】荘園公領制【第8講】
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