【ゆっくり日本史解説】守護と地頭ってなんだ? なぜ設置されてその後どうなったのか?その歴史や役割を簡単に解説

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ふきのゆっくり歴史館

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Күн бұрын

Пікірлер: 52
@Miki_Nanase
@Miki_Nanase 10 ай бұрын
13:23 六角と土岐、いずれも幕府から討伐されてる(笑) 石母田先生が完成させた「守護領国制論」とっても解りやすくて今もそのイメージで室町時代を認識されてる人が多いですが さすがにもう色んな先生がたが領国制論を乗り越える・批判的進化が進んで「守護大名」という概念・言葉自体が使われなくなってきました。
@ビリーザグッド
@ビリーザグッド Жыл бұрын
とてもわかりやすかったです。 地頭っていつの間にか消滅してたんだろう? と長年の謎だった帰趨を知ることが出来ました。 ありがとうございます。
@伝説の麻婆豆腐
@伝説の麻婆豆腐 Жыл бұрын
守護は地域の軍事と刑事、地頭は徴税官。こんなイメージ 時代によって変わって行きますねえ。面白かったです
@tomohikoo8949
@tomohikoo8949 Жыл бұрын
泣く子と共に勝てないのが地頭、勝てるのが守護。
@aaaaaaaaa3606
@aaaaaaaaa3606 Жыл бұрын
学生の頃は荘園周りの変遷はごちゃごちゃしてて覚えにくいうえに地味な部分のように感じてたけど、社会人になると金のなる木をめぐってどろどろの利権争いをしている様が実感を伴って感じられて面白く思うようになったな……。持ってるだけで旨い汁を吸える荘園という資産に群がる男たちの物語。
@queirrelel
@queirrelel Жыл бұрын
荘園の維持は労働ですよ 人の労務管理とか帳簿つけるとか 雇人の世話をするとか 刑事事件を処理するとか 結構な重労働じゃないですか
@見えないクン
@見えないクン Жыл бұрын
​@@queirrelel そりゃあその上前だけ跳ねて、 権威の名義貸しで何もしないで儲けようとする貴族には頭にきますわなw
@金ぴか70
@金ぴか70 Жыл бұрын
笑 昔ただテストのために暗記してスルーしてた。大人になった記憶さえもなくなる単語だけど、こんなテーマ素敵です。 テーマだけでびっくりと微笑ましい感じ。 動画ありがとうございます🙇
@t-nakahiro
@t-nakahiro Жыл бұрын
守護地頭が国司の仕事や報酬を横取りしたと言うより 京から赴かず利権だけを貪る国司の目の届かない所で隙間産業の様に警察や司法を司って、取れない租税をキッチリ取って国政を担ってた印象がある。
@戸田賢司
@戸田賢司 Жыл бұрын
ちゃんと国司も国衙領を管理してたぞ。国衙領が実質的に荘園とたいして変わらないことは秘密だが。
@buraburaburari8196
@buraburaburari8196 Жыл бұрын
信長の家系は、守護代では無く守護代の家臣です
@qzp01467
@qzp01467 Жыл бұрын
尾張守護代は織田本家の織田大和守家で、信長の血統である織田弾正忠家は大和守家の家臣ですね。
@sY-ll9pu
@sY-ll9pu 10 ай бұрын
信長の家系へのご指摘賛同いたします。そして守護の斯波氏を滅ぼしたのは清州織田家です。殺された斯波氏の子をかばい、守護大名を殺した謀反人として清州織田家を滅ぼしたのが織田信長です。
@moyomoto47
@moyomoto47 Жыл бұрын
鎌倉から九州等西国まで支配できた事が凄い。正確な地図、街道の整備も江戸時代より未熟だったと思われるのに。
@戸田賢司
@戸田賢司 Жыл бұрын
別に守護は地頭や他の荘園領主を支配してないからな。むしろ敵の場合すらある。
@nakan_ohito
@nakan_ohito Жыл бұрын
既得権益が如何に強いかわかるいい動画。
@みーハルチャンネル
@みーハルチャンネル Жыл бұрын
守護、地頭…歴史でやりましたがかなり学生時代はかなり昔だし曖昧でした。勉強になりました✨
@影森治-e1h
@影森治-e1h Жыл бұрын
律令制のように中華帝国で運用中のシステムをそれなりに研究してから導入した制度ではなく、 相次ぐ混乱の中でその場しのぎを重ねた結果だからガバガバ感が凄い。
@見えないクン
@見えないクン Жыл бұрын
律令から始まった公家・貴族・寺院のガチガチの既得権益を改変しようとするには、 そうしたなし崩し・既成事実の積み重ねしかない。 ある意味、建武の親政はそうしたなし崩しに対しての反動であり、公家貴族側にしたら当然の心情かもね。
@緒方湊
@緒方湊 Жыл бұрын
地頭って「地面に置いたゆっくり饅頭」の略じゃなかったのか…。
@wawiwuwewo0101
@wawiwuwewo0101 5 ай бұрын
くそわかりやすい
@ANDOHSOHON
@ANDOHSOHON Жыл бұрын
地頭と言う単語が出てきたのは何時かと調べると面白いですよ。なんと、平清盛に付き従った厳島神社社家・佐伯景弘の名前が出てくる。つまり鎌倉時代前、平安時代末期に生まれたんです。
@戸田賢司
@戸田賢司 Жыл бұрын
すいません。それは常識ではないのですか。まさか頼朝が考えた言葉とでも思ってたんですか。
@ANDOHSOHON
@ANDOHSOHON Жыл бұрын
常識ではあるでしょうね。インターネットで一連の研究がpdfで読めますしね。厳島神社は古文書が多く残されているため、それを研究する方が多いのです。例えば、 九州大学学術情報リポジトリ 光成準治「壇ノ浦合戦における佐伯景弘」 弘前大学学術情報リポジトリ 森公章 「雑色人郡司と十世紀以降の郡司制度 (下)」 そこで地頭という単語と佐伯景弘という単語が出てくる。しかしそれ以前と言うと、どうなんでしょうね。
@戸田賢司
@戸田賢司 Жыл бұрын
@@ANDOHSOHON 元々は役職ではなく、現地にいる人全般を表す普通名詞だからな。荘園の管理人を特に表すようになっていったが。
@darknesskingofNation
@darknesskingofNation Жыл бұрын
島津氏の守護からの歴史も知りたかったです
@TY-pf8bd
@TY-pf8bd Жыл бұрын
素朴な疑問。 この動画では触れられていなかったけど荘園はいつごろになくなったのだろう…?
@fuki_rekishi
@fuki_rekishi Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます!! 荘園の解説も行ってるので良かったらみてくださいね(*´꒳`*)
@戸田賢司
@戸田賢司 Жыл бұрын
戦国時代には一部の地域以外はなくなっていたが、正式に無くなったのは太閤検地によると言われるな。
@戸田賢司
@戸田賢司 Жыл бұрын
守護だけやってる奴は皆無で、他の国では地頭をやっていてその国の守護ともめたりする。
@t-nakahiro
@t-nakahiro Жыл бұрын
何となく戦国時代までの変遷で 国単位で管轄するのが守護で 地方単位で管轄するのが地頭っ思ってた。
@中村佳己-t4r
@中村佳己-t4r Жыл бұрын
私的には、現在に置き換えると守護が県知事で地頭が市長って感じですね。 今も昔も変わっていないのは、地方で徴収した税収を一旦中央政府に集めて地方に再分配している。 アメリカ合衆国だと州単位の政府が有って各州が独自の税率を決めて徴収して独自で税を使い道も決めている。 日本でも戦国時代に地方の領主(守護大名や戦国大名)が、独自の検知で農民百姓から年貢(税金)を取り立ていた。 それを百姓出身の成り上がり者が全国一律で統一した検知を強硬に行ったので各地で反乱一揆が起こった。 それで掻き集めた莫大な年貢で贅沢な暮らしをしていた。怒
@schimitch3277
@schimitch3277 Жыл бұрын
次にやってほしいのは、元々東国発祥だった武士がどう西日本にも勢力を及ぼすようになったかですね。 毛利氏や大友氏、伊東氏みたいに元坂東武者が承久の乱やら対元寇の警備強化やらで西遷、後世で大名として勢威を振るったのは本当にメシウマですから。(西国ではありませんが)今川、吉良、斯波と足利氏が一門を東海道に配置したのもこの流れですし。
@sirencesocery
@sirencesocery Жыл бұрын
元々は元々は警察権が守護で徴税権が地頭の役割だったのか。
@two-hoo_man
@two-hoo_man Жыл бұрын
権力・権威というものは軍事力・経済力・情報力によって人から認められることが成立の要。 俺らの世代は頼朝は征夷大将軍になって鎌倉幕府をひらいたって小学校では教えられたんだけど 大雑把すぎるわ。征夷大将軍が幕府を開くための資格ではない。
@いでたかゆき-r8i
@いでたかゆき-r8i Жыл бұрын
ーコメです、守護は後に守護大名になりました
@nanashinogon
@nanashinogon Жыл бұрын
武田氏、今川氏とか
@nanashinogon2011
@nanashinogon2011 Жыл бұрын
好景気でも不景気でも一定の税収がほしいからどんどん増税しようとするZ省と同じだな
@netdm21
@netdm21 Жыл бұрын
信長は斯波氏追放したかなあ?
@新党司馬遷
@新党司馬遷 Жыл бұрын
信長は大和守家の家老の弾正忠家出身だけど、織田家は守護代が2つに割れて、伊勢守家が北四郡、大和守家が南四郡という取り決めになった後、目上の主君であった斯波義統が守護代・織田信友により殺害されると、斯波義銀を奉じて信長が織田信光らと組んで清洲織田氏(大和守家)を滅ぼしてる。 その後しばらくは斯波義銀を保護して建前上の尾張国主として権威を利用していたけど、お馴染みのパターンで斯波義銀が信長の増大する力に恐怖を感じて諸国と通じたところがバレて、追放されてる。ある意味で将軍足利義昭の先駆者。
@netdm21
@netdm21 Жыл бұрын
@@新党司馬遷 なるほど。返信ありがとうございます。その辺りの史実を大河ドラマでやらないからなあ。
@コーティー
@コーティー Жыл бұрын
御家人→守護→守護大名→戦国大名→外様大名→華族→国民
@中村佳己-t4r
@中村佳己-t4r Жыл бұрын
戦国時代辺りから武士では無い身分階級から一気に天下人になった人物が登場しましたね。 身分では無く実力主義、能力主義?
@中村佳己-t4r
@中村佳己-t4r Жыл бұрын
明治新政府によって新たに創設された華族制度ですが、 華族の資格あるのは、旧大名や公家中心でしたね。 特に徳川宗家や島津や前田や伊達など外様大名の武家と摂関家などの公家クラスになれば爵位の最高位である公爵や侯爵や伯爵が与えられた。 それ以外(小さな大名や下級公家)は、子爵とか男爵ですね‼️🤗 イギリスでは平民でも国家や社会に貢献した人々には爵位(サーとかナイトとかバロンとか?) ビートルズやサッカーのベッカム、F1ドライバーのハミルトンに爵位が授与された‼️🤗
@elmosanta
@elmosanta Жыл бұрын
間に平氏を挟んだのが原因なのかも知れんが 滅ぼされずに生き残った公家≒藤原氏のしつこさにびっくりやわ。
@鬼束多胡一
@鬼束多胡一 Жыл бұрын
荘園とかはテストで捨てたな。 日本史では戦と幕末の前後だけで勝負してた。
@THE.Everestlist
@THE.Everestlist Жыл бұрын
地頭所さんと言う名前がある
@onigawaragantetsu3547
@onigawaragantetsu3547 Жыл бұрын
学者さんが守護大名なんて呼ばないって言ってたがな。学会でも論文でも。
@katana5916
@katana5916 Жыл бұрын
守護はよく出るが地頭は全然しらんわ。 かなり興味持って動画とか見てきたが、一度もみなかったぞ。 嘘どうが
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