中嶋悟に関する2つの誤解 ラップタイムが証明したF1レベルのスピード 中嶋悟にF1を夢をみたホンダエンジニア

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フルパワーモータースポーツチャンネル

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Пікірлер: 183
@Masarashu
@Masarashu 2 жыл бұрын
実家が中嶋悟宅の近くですが、引退後も近所の子供達がサインを貰いにチャイム鳴らしてましたね。 ちなみにわたくしの父が中嶋悟邸の工事で何回か行ったことがありましたが、「F-1をやめた理由は何ですか?」と尋ねたところ、「乗ることに恐怖を感じる様になった」と教えていただいたようです。
@Cozy-g9m
@Cozy-g9m 2 жыл бұрын
いや、まぁ、色々あるでしょ。中嶋さんが速いのはみんな知ってる。でも、F1に行った年齢を考えてみてよ。どう考えたってしんどいよ。引退の理由は体力および視力の衰えではないでしょうか? それから、ホンダがなければ中嶋さんはやっぱりF1には行かないでしょ? ホンダがF1に連れて行ったとか、中嶋さんがいなければホンダが成功を収められなかったとかって、そういうことではなくて、どちらにとっても重要な存在だったわけですよね。いまだに、中嶋さんが日本で一番グレイトなF1ドライバーだったって思っています‼️
@gben1968
@gben1968 9 ай бұрын
それに尽きますね F1やモータースポーツに全く興味の無い古舘伊知郎は中嶋を散々腐しましたが、F2時代から中嶋を知っているファンはよく知っていますね
@桜ノ宮京橋
@桜ノ宮京橋 2 жыл бұрын
結果よりも記憶に残る日本人F1レーサー 今でも尊敬してます。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
その通りです。
@出口英典
@出口英典 Жыл бұрын
結果も十分凄いと思います
@007007REX
@007007REX 2 жыл бұрын
リアルで見ていた59歳のオッサンは凄さ偉大さを知っている。 メディアからの情報では無く自分の感じ方を今でも大切にしている。 中嶋さんのコメントは今でも大好きです。😊
@名無権兵衛-w3m
@名無権兵衛-w3m 2 жыл бұрын
当時から中嶋さんは何故言い訳をしないのだろう?と思っていました。 誰のせいにもしない、そういう中嶋さんの人柄に当時惹かれました。 確かに成績は残せなかったかもしれません。しかし、それはセナも「彼は初の日本人ドライバーとしてよく頑張った」と、マシンの格差があっても追い付かれたピケには「まだまだやれるしあいつは必要なんだよ」と認めてもらえた事実があります。 雨のアデレードの伝説は永遠に語り継がれていくべき功績です。 表彰台には届かなかったけど優勝以上の価値があったと思います。
@大内毅-x8j
@大内毅-x8j 2 жыл бұрын
レース中のファステットラップだからね…記録にもちゃんと残るw
@hondajazz1276
@hondajazz1276 2 жыл бұрын
中嶋氏かF1で一年過ごし、ニ年目にチームメイトになったNピケ氏は中嶋氏に関してコメントを求められこのように答えてました。 「私は中嶋が日本人初のワールドチャンピオンになれる、とは思っていないし、彼がその事を聞いたとしても彼は怒りはしないだろう。」 F1ドライバーという夢を叶え、上位ドライバーとの圧倒的な力量差に悩み苦しみながら、自己のF1パイオニアとしての役割に徹し勤め上げた中嶋氏、やはり立派な日本男児です。
@gben1968
@gben1968 6 ай бұрын
@@hondajazz1276 そのピケと1000分の1秒まで同じタイムで予選を走ったこともあるのが中嶋悟です! 1984年、当時のシーズン最多記録となる9度のPPを獲得したネルソン・ピケと同じマシンでです!
@ラスカス-u8m
@ラスカス-u8m Жыл бұрын
当時は成績は残せなかったが記憶に残るドライバーと言われてましたが、今改めて思うことは当時の6位までのポイント制で毎年ポイントを取り続け成績も残し今でも記憶に残り続けている偉大なドライバーでした。
@ogaso-web
@ogaso-web Жыл бұрын
その通りです。コメントありがとうございます!
@章人-p9d
@章人-p9d 2 жыл бұрын
F1参戦に下位に沈むレースも多かった中嶋さんを 何故だか知りませんが、T.ブーツェンが「ナカジマはこんなモンじゃないんだ!」と 周りに言い回っていたそうです。 あとプロストに周回遅れにされて「速いな〜ちょっと着いていってみよう」と走ったら、 プロストがコーナー入り口で、 中嶋さんよりも 全然早いタイミングでブレーキを踏んだので、追突寸前で回避したそうで、 後日プロスト本人に、何故あんな早いブレーキをしたのか聞いた所、 「決勝では1番速く走って満点を取る必要は無いんだ、コーナー毎に一周毎に少しづつタイムを削ってトータルで考える, そうすればゴールする時に良い結果が手に入るんだ」と教えて貰ったそうで、 中嶋さんも感心したそうです。
@yama-d1546
@yama-d1546 2 жыл бұрын
ブーツェンは全日本F2走ってたからね。 当然全盛期の中嶋さんと走ってるわけで・・・ アーバインが星野さんに一目置いてたのと同じじゃないかな。
@aresama5942
@aresama5942 2 жыл бұрын
@@yama-d1546 1999オーストラリアGPのレース後のインタビューにて・・・ アーバイン、シューマッハ、フレンツェン・・・ 日本には俺たち3人が束になってもかなわなかった『ホシノ』って言うバカッ速いオヤジがいたよ。 記者・・・誰だよ『ホシノ』って・・・
@greenrainheart2907
@greenrainheart2907 2 жыл бұрын
@@aresama5942 99年のドイツじゃないですか? アーバイン、サロ、フレンツェンの表彰台のインタビューでの発言だったかと そして、翌戦のハンガリーGPで星野さんがアーバインの激励に駆けつけた
@aresama5942
@aresama5942 2 жыл бұрын
@@greenrainheart2907 Wikipediaより引用 エディ・アーバインやジョニー・ハーバートなど、全日本F3000選手権に参戦経験があるF1ドライバーから一目置かれている[。中でもアーバインは「ホシノさんは外国人ドライバーにとって“日本モータースポーツ界のゴッドファーザー”だと思っているし、“日本のセナ”だとも思っている。それぐらいの大スターなんだ」と敬意を払っており、F1初優勝を飾った1999年オーストラリアGPの記者会見の席上で「日本にはカズヨシ・ホシノという速いドライバーがいて、とてもかなわなかった」「今ここに自分がいられるのはホシノのおかげ」と発言したことがあり、その時同席していたやはり日本での経験が長いハインツ=ハラルド・フレンツェンもそれに同意するという一幕があった。
@greenrainheart2907
@greenrainheart2907 2 жыл бұрын
@@aresama5942 シューマッハが…
@kei-wc3rb
@kei-wc3rb 2 жыл бұрын
今60歳の私が当時リアルタイムに見てた印象と当時のことをネット等の媒体の情報でしか知らない人の印象はあきれるくらい違う
@Mike-pz4sh
@Mike-pz4sh 2 жыл бұрын
1994年サンマリノでの事故の特番に、中嶋さんが出演してました。事故原因の可能性について聞かれた中嶋さんは、「なんとも言えない」旨の言葉のみでした。とても慎重な人なのだと感じたのを覚えてます。今でも時折ラジオなどに出演されても、変わらない様で安心します。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
事故の時にいい加減な推測をしたり、変にセナを持ち上げたりしない、落ち着いたスタンスだったのを覚えています。
@あつしくん-g3s
@あつしくん-g3s 2 жыл бұрын
F1ドライバーとしては平凡な成績だったけど… ホンダと中嶋さんがいなければ、どれだけの日本人が F1まで辿り着けたか?と考えてしまいますね。 令和になっても日本人がF1まで辿り着くには強力な バックアップが必要なわけで…状況は今も昔も 変わってないと思います。 だから…中嶋さんがF1ドライバーになるだけでも… 日本のモータースポーツに多大なる貢献したと 思いますが… チャンネル登録と高評価させていただきました。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
もちろんメーカーやスポンサーのバックアップが必要ですよね。 中嶋選手もバックアップを受けたわけですが、それが我々が考えるよりもフラットな関係なんだろうと、知ってもらいたくて動画にしました。 中嶋さんに敬意を払ったコメント素晴らしいです、ありがとうございます。 チャンネル登録と高評価も感謝いたします。
@bat03
@bat03 2 жыл бұрын
雨の中嶋☔ オーストラリアGPでのファステストは感動ものでしたね。 ミスファイアーさえ無ければ表彰台が悔やまれます
@ogaso-web
@ogaso-web Жыл бұрын
コメントありがとうございます。 せめてあのレースで表彰台に上がっていれば!と思ってしまうレースでした。もし表彰台に上がっていれば、中嶋選手のその後も少し違った未来になったかもしれないですね。
@あおくろ-d5o
@あおくろ-d5o 2 жыл бұрын
どの本かは忘れてしまったんですが中嶋選手が91年頃に日本のメディアにこう質問されたようです、「F1ってなんですか」、「何ヶ国でレースをしているんですか」という質問をされて「事情はあるにせよ、基本的なことくらい調べてから来いよな(中嶋)」と書物には書かれていたので、一部の日本のメディアにはうんざりしていたんだなぁと個人的には感じました。
@六連昴
@六連昴 2 жыл бұрын
ロータスがジャッドエンジンに なっても、ティレルがコスワースで 走っていても、中嶋さんの胸に 縫い付けられたホンダのロゴは 強く印象に残ったなあ。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
あの時ホンダはエンジン供給はできないけど、パーソナルスポンサーという形で中嶋選手をバックアップしていたようです。
@torakichitoraneko
@torakichitoraneko 2 жыл бұрын
当時、F1誌の編集者をやっていて、中嶋さんの引退会見にいました。 高輪プリンスホテルで薄い茶色のジャケットを着て会見に出ていたのを覚えています。 目がついていかなくなったことや体力的なことはその時にも仰っていましたが、プライベート問題……これはご自身のことよりも、当時小さかったお子さんや奥さんの生活が大変だったのかなと推察出来ますね。 中嶋さんご自身はシーズン中は海外に居るから追われることもなかったでしょうし。
@kunitaka7644
@kunitaka7644 2 жыл бұрын
あの当時、中嶋さん以外に、F1に乗れた日本人が、いただろうか。
@yochioy
@yochioy 2 жыл бұрын
中嶋選手は、当時のF1マシンはマシン操作が体力的にきつかったと言ってますよね。雨のレースで速かったのも、操作が楽になるからと。もっと若い時にF1に行けていたら、全然違った評価だったかもしれませんね。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
せめて、あと5歳若ければ体力も少しは楽だったでしょうね。年々増えるダウンフォースで、ステアリングは重くなっていくばかり、小柄な体には無理があったでしょうね。
@ToyotaTeamARaco
@ToyotaTeamARaco 2 жыл бұрын
ステアリングの重さもキツかったそうですね。ホンダのスタッフは中嶋引退後に「当時にそう言ってくれれば中嶋さん用にパワーステアリングを作ったのに…」と言ったとか。
@ハロハロ-y6u
@ハロハロ-y6u 2 жыл бұрын
フランク・ウィリアムズも、もう10歳若ければみたいな事言ってましたよね。
@ダンドレジーラウール
@ダンドレジーラウール 2 жыл бұрын
デビュー時の年齢が他のフル参戦ドライバーに比べて際立って高いのは気の毒でしたね。しかもセナやピケというトップドライバーと組まされ結果を求められていたし気が休まる環境ではなかったでしょう。
@上杉貴志
@上杉貴志 2 жыл бұрын
「2輪みたいに、グランプリが排気量別に2つクラスがあったらよかったのに」という発言は、引退直後に出た本に載ってましたね。
@アイミーブ
@アイミーブ 2 жыл бұрын
当時、6位までにしかポイントがもらえない中で毎年、ポイントを取ってたのは凄いですよ。自分の中では、日本人最強ドライバーだと思っています。タラレバですが、スピリットホンダ時代から乗っているのを観たかったです。
@よしくん-i1z
@よしくん-i1z Жыл бұрын
中嶋さんがF1で一番いい走りしてたのは1989年だと思う。雨のアデレード抜きでも。でもその時がF1キャリア最低の車だったのが悔やまれる。
@blue_dog_channel
@blue_dog_channel 2 жыл бұрын
F3000の倍近いパワーのマシンでレースをするって、当時の日本レベルでは相当厳しかったと言えます。 中嶋さんも分かっていてデビュー当時は他のマシンとクラッシュしないように、尚且つ速く走ろうとしてたように思います。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
中嶋選手は自分がNo.2契約であると自覚したうえで、マシンを壊して余計な作業を増やしたりしないよう、チームの運営を考慮していたと思いますので、その通りだと思います。
@特命主任
@特命主任 Жыл бұрын
中嶋さん90年の鈴鹿でワーウィックを1コーナのラバーの効いたアウトから豪快にオーバーテイクしたシーンが物凄く印象に残ってます。😊
@ogaso-web
@ogaso-web Жыл бұрын
コメントありがとうございます!あのオーバーテイクは力強い走りでしたね!
@kent_echo
@kent_echo 2 жыл бұрын
どう視ても深堀するほどにホンダの連れ子だったことを証明してる気がします。 中嶋がホンダスタッフの夢であった事等はそれ以外の何物でも無いですよね。勘違いして欲しくないのですが中嶋批判じゃありません。 私自身、中島を応援しておりましたしFLやサバンナRX3で走っていた頃から知っていました。 個人的には中嶋は連れ子どころかホンダそのものと言っても良かったんじゃ無いかと思ってます。ホンダの日本企業もしくは日本人としての部分です。4輪レースの黎明期より活躍してF1を目指すも挫折した生沢徹が79年に中嶋と組みますが、ここでホンダとの接点が出来て中嶋が独立後も関係は続きます。一方で当時の日本のレース界はF1レース参加自体が夢のまた夢でして77年の大きな挫折以降は特にそういう風潮でしたね。 80年のホンダのレースシーンの復帰以降はF1待望論が盛り上がる中でバブルの後押しもあって、F1に乗るなら中嶋以外に無いだろうという雰囲気もホンダ自身がそうして来たと言えると思います。 ホンダ失くして中嶋無く、中島無くしてホンダ無し。 少なくとも日本国内におけるF1とは、そういう物でした。 中嶋のヒストリーには日本レース黎明期からの生沢徹や死んでいった風戸裕が立ち上げたノバや当時一番強かったヒーローズの田中拡に星野一義とのライバル関係などの多くのバックグラウンドがあってこそのF1だったと思います。 今はメーカー等の育成システムが、これらを担っていますが当時のF1に日本人が行くことは、それだけ大変でした。
@pompom_joki
@pompom_joki 2 жыл бұрын
ホンダは中嶋さんをウィリアムズに乗せたかったようですね。ウィリアムズに断られ、やむなくロータスに… ウィリアムズに行っていたら、もっと素晴らしい活躍が出来ていたはず。 1987年の鈴鹿でホンダが勝てなかったのは、予選でマンセルがクラッシュして病院送りとなり、その時点でピケのワールドチャンプが決まったため、ピケの集中力が無くなったためと思っていました💦 吉井さんの本は当時読みまして、興味深い内容が多かった反面、中嶋さんの言葉の解釈を間違えてるなあと思ったことも多々ありました。 引退理由は「体力」ですね。明らかにチームメイトから離されていたし、本人もそう書いていたはず。ホンダが「それが判っていたなら、パワステ導入を考えたのに」と言っていたような。 あと、中嶋さんのプライベートは当時、ほぼイギリスだったはず・・・ イギリスの自宅に、日本人ファンが押し掛けたのかな・・・ ただ、マスコミによって、家族が晒せれるのは嫌がっていましたね。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます。 吉井さんも体力や体調についても触れていますが、それと同じくらい重要な理由だったようなので、そのまま取り上げてみました。 ただ、もし中嶋選手を追い回す記者やファンがいなければ、もっと体調も良かったのかなと思いますので、ぜひ皆さんに知ってもらいたいところです。
@奥田功一-b3l
@奥田功一-b3l 7 күн бұрын
中嶋がF1に乗れたのは、ホンダのお陰。 遅いと言う先入観は、古舘が納豆走行と馬鹿にしてたから、遅いと皆さん勘違いしてた。 F1レベルは、星野さんと中嶋さんだけでした。 投稿者は本当の実力をわかってない!
@tagucr
@tagucr 2 жыл бұрын
中嶋は1984年からホンダのテストドライバーだったし、ロータスへのエンジン供給の条件の一つが日本人ドライバーの採用だったので、ホンダの連れ子だったのは確かなのでは。逆に中嶋の実力だけではF1には行けなかったと思う。 引退についても本人が2006年のインタビューで1990年にアレジとの体力差から引退しようと思っていたと答えている。
@あっちゃん-b9s
@あっちゃん-b9s 2 жыл бұрын
同意でございます。 大変恐縮に存じますが、彼の実力を過大評価してる様な気もいたします。 日本人最強のペイドライバーかも
@tagucr
@tagucr 2 жыл бұрын
@@あっちゃん-b9s 日本人最強ペイドライバーは鈴木亜久里ではないかなと。
@高橋陽一-f7z
@高橋陽一-f7z 2 жыл бұрын
@@tagucr 最強のペイドライバーと言えば井上隆智穂
@野口達之
@野口達之 Жыл бұрын
91年鈴鹿、日本GP2日目午前フリー走行のさなか、ティレルピットにフジテレビカメラがはいり、中嶋さんの生インタビューが全国にワイドショーのいち部として流れた。F1はかじりかけのぼくでも、やりすぎではないかと思った。今から真剣勝負を控えているのに、一般視聴者にサービスを求めてどうすると。中嶋さんは5年走ったわけだが、その間に日本のF1を取り巻く状況はあまり変わらなかったということかな。
@dasilva1968
@dasilva1968 2 жыл бұрын
リアルタイム世代としては、中嶋さんをF 1に連れて行ったのはホンダで間違いないですね ただ、動画にあるようにF 1レベルに達していたのは日本では中嶋さんしかいなかったということです。 引退については、F 1ブームによる日本人の過熱と言ってますが 年間ほとんどを海外転戦している中で、鈴鹿の期間だけですよ。 確かにあの時代日本にいる間はプライバシーはなかったかもしれないけど 体力的な問題と参戦直前まで日本で無敵だった中嶋さんはF 1でも慣れれば、ある程度いけると思っていたが セナやプロスト、マンセルなど 自分では追いつかないドライバーを相手に もう無理だなと 悟ったそうです。 後日、ホンダのスタッフが体力的に厳しかったなら、言ってくれれば、パワステもパドルシフトも 中嶋仕様でtyrell020につけることぐらいできたのに。。。と ただ、それをよしとしなかった中嶋さんの美学があり、やっぱり潮時だったんだと思う 欲を言えば、あと数年早く(若い)時から参戦できていれば、もう少し生涯リザルトは違ったのかも しれないですね ただ、タイミングもありあのタイミングだったからF 1に行けたと思うので 成績はどうあれ、日本人初のフルタイムF 1ドライバーという誇りは永遠なので 中嶋さんとホンダの両方がなければ、F 1ブームからの今でも全戦中継で見れることもないだろうし 色々、失礼な長文で。。。お許しください
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
冷静な分析に基づく内容であれば、自由にコメントしていただきたいので、一向に構いません。 ご指摘の内容も完全に否定はしません。昔、中嶋選手を評価してこなかった自分への言い聞かせという意味を含んだ動画かもしれません。 何しろF1をテレビで見て知ることができたのは、中嶋選手がフル参戦してくれたからなので、その点は間違いなく感謝したいです。
@notechch7636
@notechch7636 2 жыл бұрын
中嶋さんが速いドライバーであったのは間違いない。ただ体力的に当時30代後半の中嶋さんには厳しかった。 それを物語っているのが、89年最終戦の雨のオーストラリアGPの走りですよね。 後にパワステの装備されたハイテクマシンならもっと体力的には楽だっただろうし、もう少し若いうちにデビュー出来ていればまた違った結果が見れただろうと思う。 まあ何にせよ日本人F1ドライバーの道筋を作った事と、日本にF1というスポーツを多くに人に認知させることになった(こちらはもちろんセナの存在も大きいとは思うが)功績は素晴らしいと思います。
@きなこ野郎
@きなこ野郎 2 жыл бұрын
当時のF1マシンは重ステでしたから、、とにかく腕力がもたなかったのしょう。中嶋さんは二十代でF1に行けていればきっと輝かしい成績を残せていたでしょうね。ご本人曰く、セナには彼の予選タイムよりも4秒も遅かったから全く相手にしてもらえなかった、、そうですが、乗せてもらえるマシンが見た目は同じでも、中身はセナのものとは全く別物だったそうです。F1は不平等だし、汚い世界。だって1993年の日本GPの翌日に行われたNSXRの鈴鹿デモランでは、セナより中嶋さんの方が速かったのですから🤭 正直、中嶋さんの評価が低すぎると思いますね✨
@MrNori4649
@MrNori4649 2 жыл бұрын
きなこ野郎さん、中嶋さんは当時、プライベートの愛車でも、 ホンダのNSXに乗っておられたので、鈴鹿でのNSX-Rでのデモラン では、案外、セナよりも、NSXの 車の特性やドライブフィーリングを正確につかんでいたのかもしれませんね。その結果、セナよりも いいタイムで走る事が出来たのかもしれませんね。😄
@さいとうさん-w1l
@さいとうさん-w1l 16 күн бұрын
@@MrNori4649 花相撲みたいなタイムアタックで セナに勝とうが意味ないよ。 現代F1はコンマ5秒チームメイトから 遅れたら叩かれる あの時代でも4秒は判断が難しいが 勝てるドライバーでは無いのだけは子供でも解る。 まあ、セナが別格だった プロストでも1秒くらい平気で離されたので セナは特別だった。
@MrNori4649
@MrNori4649 16 күн бұрын
@@さいとうさん-w1l 確かに中嶋悟さん自身もおっしゃられてましたが、現役Fドライバー時代、 もし、自分が当時の最強マシン、マクラーレン・ホンダのマシンを自分がドライブした場合、 ネルソン・ピケやアラン・プロストには、何回に1回くらいは待てるかもしれないが、 アイルトン・セナが相手だった場合、彼にはどうあがいても勝てる気がしない。 ・・・とおっしゃられてましたからね。😄
@greenrainheart2907
@greenrainheart2907 2 жыл бұрын
ホンダの桜井総監督の著書で見ましたが 桜井さんとしては87年の構想はウィリアムズとマクラーレンにエンジン供給するつもりでした 85年セナはロータスルノーでフルブーストで走っていたのにウィリアムズにストレートで簡単にぶち抜かれて… セナは「どうしてもホンダエンジンの車に乗りたい」と何度も桜井さんと話し合いをしに行っていましたね 86年にロン・デニスとプロストはホンダにラブコールをしに栃木の研究所に行った マクラーレンにセナを移籍させて ホンダサイドは86年のチャンピオン争いをしていたプロスト、ピケ、マンセル、セナの4強でのチーム体制を望んでいました けれど…桜井さんは「中嶋さんのウィリアムズのレギュラーシートの交渉が始まり、中嶋さんの嬉しそうな顔を見て…」 ウィリアムズにNOと言われホンダは セナを繋ぎ止めたいロータスと交渉した ホンダと桜井さんがいなければ中嶋さんはロータスに乗れませんでしたよ 91年日本GP前は中嶋さんは取材のために相当忙しかったようですね… 馴染みの記者の前で 中嶋 「もう断れないんだろうな…  (バリバリッ❗️   持っていた紙コップを握り潰す)  これくらいイラついているんだよ…」
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます。 契約を取りまとめていたのは桜井監督なので仰ってることは、その通りです。 私が言いたいのは、ホンダのエンジニア一人一人は中嶋選手にF1という夢を託して、エンジン開発をしてもらっていた、しかもグランプリのドライバーと同じ速さで(鈴鹿)。 桜井監督目線ではご指摘の通りですが、エンジニアの人達は、見方が違うということを伝えたかったんです。 私も桜井氏の著書は参考にさせてもらっています。
@命知らずの恋愛野郎
@命知らずの恋愛野郎 2 жыл бұрын
中嶋はF2時代でもF1デビュー出来る可能性はあった、但しスポンサーマネー持ってきたら乗せてあげるよって話だった、87年デビュー出来たのはホンダの力添えがあったのは間違いないと思う、ただそれがなければフジTVの放送もF1ブームも起きなかったし後に続くF1ドライバーも出てこなかったかもしれない、テストドライバーとしては優秀だったと思います。
@tsuka37ajpapa
@tsuka37ajpapa 2 жыл бұрын
興味深く拝見しました。 中嶋さんへの暖かな眼差しを感じる構成で安心しました。 吉井さんの本は、確か中嶋さんが選手を引退した翌年(92年❓)あたりの出版だったと記憶しています。僕も中嶋さんファンだったので当時速攻買って読みました。 ①については、今思えば、F1を夢見る中嶋選手がその実力を発揮してF1に近づくためにはホンダが最短距離だったと思います。ホンダと中嶋選手が共にF1を闘っていた関係性を思うと、ホンダの『申し子』って表現に問題は感じますが、ホンダあっての中嶋さん、中嶋さんあってのホンダというところはあったのかも知れませんね。 ②については、メディアやファンあってのF1ブームを解っていただけに苦しい当時の中嶋さんの心中をお察ししました。 吉井さんの本にも書かれていましたが、中嶋さんの「日本のメディアはレベルが低い」って一言を、最近痛切に感じます。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
非常に丁寧なコメントありがとうございます。中嶋選手の苦労をきちんと評価したコメントでありがたいです。
@mr2type5
@mr2type5 Жыл бұрын
市街地コースは最後まで中嶋さんには鬼門だったけど、中高速コースは慣れてくると速さを見せてくれてたし、1年目の鈴鹿も勝手知ったコースで予選で初めてセナの1秒以内、決勝も同一周回で終われていたので、コースさえわかっていれば日本で走ってた時のような力を示せていた。 ピケと組んだ時は、時々あの3度のチャンピオンを上回るレースも見せてくれていたしね
@ogaso-web
@ogaso-web Жыл бұрын
素晴らしいコメントありがとうございます!コースの習熟度というハンデも背負ってたのは間違いないです。ヨーロッパでレースをしてた面々はすでにほとんどのコースを知ってますからね。
@0415nightmare
@0415nightmare 2 жыл бұрын
とある、中嶋さんのインタビューが収録されたCDがあり、聞いたんですが、その最後のインタビューで質問内容は詳しくは忘れましたが、「ワールドチャンピオンになりたかったな」と言ってました。 それを聞いて、やっぱり中嶋さんはF1でもっと走りたかったんやなぁ〜と、思いました。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
コメントありがとうございます。中嶋さんのその一言、重いですね!貴重な情報ありがとうございます!
@まえばりすきー
@まえばりすきー 2 жыл бұрын
中嶋悟が80年前半でペイドライバーでもF1に乗ってたらもう少し違ってただろうね。勿体なかった。 日本人F1ドライバーのベストパフォーマは片山右京か小林可夢偉だろうね。
@さいとうさん-w1l
@さいとうさん-w1l 16 күн бұрын
可夢偉? 右京は解るけど それは無いだろ
@t-magic3778
@t-magic3778 27 күн бұрын
苦労して手に入れたものを辞める理由は沢山あるでしょう しかしながらその理由はご本人が向き合って出されたものですので‶いちファン”である私は支持いたします 大きな事故もなく無事にレース人生を終えられた事が嬉しく思います
@macau_live
@macau_live 2 жыл бұрын
当時、中嶋企画だった鈴木利男さんが「鈴鹿は中低速コース」って言ったの。利男さんはモナコやデトロイト知らないから。F1には低・低速がある訳。そこでPGM F1のセットアップを間違えたって言うのはある。引退の頃、中嶋さん、目がダメになった。事務所の人はみんな気が付いてたけど、本人が何も言わないから誰も触れなかった。
@hironigata
@hironigata 2 жыл бұрын
中嶋の運転の上手さの質がF1に合ってなかったかなと思います。 ホンダエンジンを使用してた4ドライバーのうち、搭載燃料が1番少なかったのがセナ。1番多かったのが中嶋と言う証言があります。 エンジン回転を合わせながらきっちり減速し、ギアに合わせてエンジンをきっちり回しながら加速していく丁寧な運転。 一般車で中嶋の隣に同乗した今宮純さんは惚れ惚れしたそうです。しかしF1のサーキットではスピードをなるべく保ったまま若干横着な(最小限の操作)くらいでないと限界領域を使った走りが出来ないのかなと思いました。少しホイールスピンしようが縁石からタイヤが半分落ちようが、速いものが勝つみたいなとこらがありますね。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
仰る通りで、中嶋選手のマシンが燃費悪かったそうですね。 走り方についてもそのとおりだと思います。
@MrNori4649
@MrNori4649 2 жыл бұрын
F1のサーキットでスピードをなるべく保ったまま、最小限の操作で限界領域の走り。まさにそれを レースで実践していたのが、 アイルトン、セナの(セナ足)と 言われたセナ独特のアクセルワークですね。彼はコーナーを曲がる際にアクセルを小刻みにあおって エンジンの回転数を高回転の状態に保ちながら、コーナーからの 立ち上がり加速をチームメイトのドライバーよりもコンマ5秒、速く走ってましたから。😄
@コウダイ-r1v
@コウダイ-r1v 2 жыл бұрын
@@MrNori4649 セナ足は当時のドライバーみんな試して 「私には合わない」 「意味不明」と謎のアクセルワークだと言っていた。
@kar-zyu
@kar-zyu Жыл бұрын
推測ですが セナ足は、むしろ 風吹裕矢がやっていた多角形コーナリングを実現させるための コーナリングワークの一部ではないかと みているのですが・・・(汗)😅
@TAR-09
@TAR-09 2 жыл бұрын
えっと、中嶋さんはやっぱりホンダの連れ子だと思います。 当時ホンダF1の総監督の桜井さんから直接お話をうかがったのですが、「ある朝起きたときにふと、中嶋をF1でフル参戦させてみようか…」と思ったそうで、それを中嶋さんを呼び出して伝えた所、まるで子供のように喜んだと。後になって当時のF1トップドライバーであるプロスト、セナ、ピケ、マンセルにそれぞれウィリアムズとロータスに乗せることも出来たため、中嶋に「あの話は無かった事に」とすることも出来たが、あの時にあまりの喜びようで、それが出来なかったと。桜井さんは自分がとやってきた事に情に流されてしまったのは後にも先にもこれだけだったとおっしゃってました。
@TAR-09
@TAR-09 2 жыл бұрын
それと、中嶋さん以外のドライバーにホンダF1を走らせて云々ですが、当時の日本のドライバーのレベルがF1ドライバーに比べてあまりに遅かったとおもいます。 中嶋さんのテレメーターと他の3人のホンダF1ドライバーのを比べると、やはり中嶋さんのは明らかに遅かったと断言されてました。それでも当時レーシングカーや市販車のテストに置いて日本人ドライバーとしては中嶋さんはダントツにスムースで速かったそうです。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
@@TAR-09 契約うんぬんは仰る通り、桜井監督の采配なので、参戦できるか否かは、あの人次第ですよね。 私が思うのは、彼は組織の上に立っている人間なので、現場で中嶋選手と共にエンジンを鍛えた技術者の人たちは違う見方をしているんだと思います。 それを紹介したいという意味でも、この動画でクローズアップしています。 他のホンダドライバーとの比較という点は、残念ながらその通りのようですね。その辺は、また動画にしたいです。
@pompom_joki
@pompom_joki 2 жыл бұрын
「連れ子」の定義が曖昧ですが💦 ホンダを介してFデビューしました。でもそれは、中嶋さんの努力の結果。 だって、ホンダエンジンを失ったロータスに残留しましたし、'90年にはアロウズへの移籍が決定したも、結果的にはフォードエンジンを積むティレルへ移籍しました。 桜井さんの「あの話は無かった事に」は僕的には考えにくいな。 日本にホンダF1を浸透させるには、日本GPと日本人ドライバーが絶対に必要ですから😆
@オブライエン-v1b
@オブライエン-v1b 2 жыл бұрын
そもそもFー1は純粋なスポーツではないし、そう思っている関係者も殆ど居ないと思うし、直接的な利益が出ないものに、いろんな人や企業の思惑で莫大なお金を投入するのがF1だと思うし、仮にの話ですが、ホンダが中嶋を連れて来ました、と公言しても別に恥じる事も気にする事もないと思います。F1はそういう世界だし純粋なスポーツを楽しみたいのであればワンメイクにすれば良いだけなので
@大内毅-x8j
@大内毅-x8j 2 жыл бұрын
まぁ昔はDFVやグッドイヤーのワンメイクだったからね、そのと時代にリアルで見てみたかった。
@takekun222
@takekun222 2 жыл бұрын
確かにあの頃のF1ブームは異常だったですね、猫も杓子もF1だホンダだ中嶋だ亜久里だと大騒ぎだったし中嶋さんに対する期待は過剰に大きかったかもしれません、でもそのF1ブームを最たるものとしたのは中嶋さんの人当たりの良さだったと思うのでもどかしいです
@大内毅-x8j
@大内毅-x8j 2 жыл бұрын
キヤノンの営業とエレベーターに乗り合わせた時、当時領収書にF-1と書けばどんなモノでも経費清算出来た…と仲間うちに武勇伝語っていたらのを小耳にしたw
@SuperJusie
@SuperJusie 2 жыл бұрын
体力的な事はホンダがパワステも付けれたと後悔してた話あったな。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
はい、そのようですね。
@bluebluewood
@bluebluewood 20 күн бұрын
拝見しました。当時、納豆走法って言われてましたが耐久レーサーに言うにはまだしもF1レーサーに言うのはどうなのか?と思ってました。
@maakyuunnjapaanerr4352
@maakyuunnjapaanerr4352 2 жыл бұрын
どうもお久しぶりです。こちらもいろいろあって、F1関係の動画を見るのは久しぶりなんです😅 まずは前半部分、中嶋さんがフル参戦する前に鈴鹿でF1のテストをしていたことを知っていても、その内容をあまり知らない海外メディアはついそう書いてしまうのでしょうね。ただ僕が聞いた話ではホンダがロータスにエンジン供給を決める時に中嶋さんをドライバーをすることを条件に出しロータス側がそれに了承したけど、ロータスも最後に言い出しっぺであるセナに確認したとか。あと後半部分に関しては中嶋さんだけでなく当時の芸能人や有名人はそういう目に遭っていた人が多かったと聞いています。今みたいにプライバシーの保護の意識やストーカー規制法みたいなのがないので、中嶋さんのみならず当時のそういう人たちは苦労したみたいです。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
いつもコメントありがとうございます。詳しい情報もありがとうございます。プライバシーの保護なんて無視の時代でしたから、さぞかし大変だったと思います。
@TOTO-hx5gv
@TOTO-hx5gv Жыл бұрын
中嶋悟を越える日本人ドライバーはいまだに現れていないと思っている。
@ogaso-web
@ogaso-web Жыл бұрын
コメントありがとうございます。F1というものが認知されていない日本で、そこに挑戦していくというのは、我々にはわからないとてつもない苦労があったと思います。
@HG-C
@HG-C 2 жыл бұрын
中嶋さんは監督時代しか知らないけど、秘密主義というか、インタビュアーが聞いても微笑むばかりで中々本音を語ってくれない笑 一時期ナカジマレーシングがカーナンバー32にした理由も闇の中だなぁ…
@ozaki009ify
@ozaki009ify 2 жыл бұрын
1980年代前半F2、F3000で国内チャンピオンになった中島悟という実力はF1でどのくらいなんだろう。 というよりあれだけ圧倒的な走りをしていたらF1でも当然トップクラスだろう という当時の期待感はありました。 ホンダがスピリッツで参戦すると聞いたとき「中島悟をそのコクピットに」という願いもありました。 我々ファンもF1という未開の地に希望を抱いていました。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
当時の貴重な情報ありがとうございます。
@ろにー-p2w
@ろにー-p2w 2 жыл бұрын
90年だったと思うのですが、当時親交のあった方が中嶋さんにインタビューするとのことで、その際に何か聞いてほしいかと言われました。テストでマンセル、チームメイトとしてセナ、ピケを真近に見てどの様に感じたかを聞いていただいたところ、プロストのやっていることは解るセナのドライビングはよく解らないと答えていただきました。あのレベルの方の理解できるは条件さえそろえば同じ事を再現出来るのだろうと思ったのですが、その条件は引退後の密着本を読むまで分かりませんでした。
@高橋利暢
@高橋利暢 2 жыл бұрын
中嶋氏がF1に相応しい実力を備えていたこととホンダが斡旋したことは関係ないでしょう。ロータスが純粋に実績に目をつけて契約したわけではないはずです。
@Joseph-Henri
@Joseph-Henri 2 жыл бұрын
彼の乗ったF1にパワーステアリングが標準装備だったら違った結果になっただろうな。
@英治大橋
@英治大橋 2 жыл бұрын
中嶋悟さんがいなければF1興味なかったから😓成績よりも記憶に残るレーサーでした!☔のオーストラリアGPと現役最後の日本GPは残念と仕方ないが交差しました
@シャイなオッサン
@シャイなオッサン 2 жыл бұрын
中嶋悟さんはロータスと契約してギャラをちゃんともらっていたよ!
@kar-zyu
@kar-zyu Жыл бұрын
当時のロータスは さすがにトップレベルのチームらしく ちゃんと契約金を支払っていましたね🎵😊 下のクラスのチームは スポンサーマネー持ち込みが条件でしたからね❗😳😮
@yu358
@yu358 2 жыл бұрын
ありがとうございました。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
こちらこそコメントありがとうございます。
@user-m2f-k3q
@user-m2f-k3q 11 ай бұрын
【中嶋はマンセルに近い?】  共通点は、 ◆セッティングは神経質な位ソフト ◆鈴鹿130Rは、6速全開で曲がる ◆クリッピングポイントは手前でなく、奥 ◆高速コーナーなら速い ◆マシン開発能力が高い  マンセルは、プロストやブーツェンの車は合わなかったが、中嶋なら合ってたかもしれません。
@ズイチャン
@ズイチャン Жыл бұрын
中嶋さんのデビュー当時はまだ高校生だったけど、中嶋さんが切っ掛けでF1にハマったなぁ😅中嶋さんもずいぶん年取ったなぁ~
@ogaso-web
@ogaso-web Жыл бұрын
コメントありがとうございます。 流石に中嶋さんも現在の姿を見ると、年齢を感じますね。 私も中嶋選手がF1デビューしたときは小学生でしたが、すっかりおじさんです笑
@ズイチャン
@ズイチャン Жыл бұрын
@@ogaso-web ハハハ☺️中嶋さんデビュー当時ってまだ30代だったもんなぁ~ だものオイラ達もオジさんになっちゃうよね😉
@万城目J
@万城目J 2 жыл бұрын
中嶋の場合。2年目3年目をクルマが駄目で棒に振った印象が有る。
@出口英典
@出口英典 Жыл бұрын
最終年のティレルホンダも駄目でした
@加茂川大作
@加茂川大作 Жыл бұрын
中嶋は言い訳をしなかった。ロータスもティレルもすでに名前倒れのオワコンダメチームだったし差別的な扱いもあったと思う。 ミーハーだったのでもうF1は見てないけど今走ってるアレはいざこざが多く夢がない。中嶋さんは日本人だったんだと痛感します。
@kvkj999
@kvkj999 8 ай бұрын
その通りです。ロータスでは、決まったセッテイングを夜中にいじられたり、シートのねじを緩められたりと、一部の英国人スタッフが明らかに妨害してました。当時はF1の裏側を見せると人気が落ちるからと、テレビも雑誌もそういうことを報じるのは禁じられていたかのようですが、注意深く見ていれば、後からきたドライバーよりも贈答大きなハンディキャップがあった。ホンダエンジンはもらえたけれど、エンジンよりも車とサポート全部が必要だから。マクラーレンは、車はそれほどでもなかったけれど、マネジメントが良くてミスが少なかったですね。ポカミス連発したフェラーリに移籍したプロストが何度もいら立ってました。言い訳というか自分の立場から主張しないのは、向こうの文化では正直言ってマイナスでした。
@フクザク
@フクザク 2 жыл бұрын
でも、あの時引退されて良かったんだと思います。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
たしかに、周りへの影響を配慮した、適切なタイミングだったと思います。
@ddtailhappy3662
@ddtailhappy3662 Жыл бұрын
当時のF1は重ステにMTで片手でステアリングを保持して当時4Gと言われたコーナリングに90分耐えられる体が必要だった。セナも体力的にキツそうなレースが幾つも有った。パワステにパドルシフトの時代以降だったら、セナはもっと勝っていたでしょう。中嶋さんも同じ様にホンダのフルサポートが有ったら何度か表彰台に上がっていたでしょうが、アレジ並にキレた走りが出来たとは思えない。セナの様にモナコでずっと速かったら評価違っていたでしょう。
@ogaso-web
@ogaso-web Жыл бұрын
コメントありがとうございます。その通りですね、的確なご意見だと思います。
@izumi1964
@izumi1964 Жыл бұрын
中嶋に代わって鈴鹿をテストドライブしてたF3000ドライバーはジェフ・リース
@jpntechnostream505
@jpntechnostream505 Жыл бұрын
中嶋はもう少し早くヨーロッパのF2レースにレギュラー参戦していればなあと思う。トップドライバーが赤ランプの時点でズルズル動いても何のペナルティも食わない日本のゆるゆるレースに慣れすぎてしまっていた。海外のレースでは極端に言えば例え1ミリでも動けば即座にタイムペナルティ。
@ogaso-web
@ogaso-web Жыл бұрын
あの時代はヨーロッパで戦うというのが、あまりにもハードルが高かったんですかね、もったいないです。
@bootboot3541
@bootboot3541 6 ай бұрын
ジェームス・ハントの評価が的確だったのではと思います。引退の理由は集中力の低下だったのではと感じました。F1へ行く前の国内では断トツの1番選手だったのも確かです。
@ながせよしき-l9f
@ながせよしき-l9f 2 жыл бұрын
中嶋さんはF-2時代から知ってます。実は高校の大先輩です。
@大内毅-x8j
@大内毅-x8j 2 жыл бұрын
もし中嶋悟が吹奏楽部だったら… 岡崎って吹奏楽が盛んな勝手な印象w
@ながせよしき-l9f
@ながせよしき-l9f 2 жыл бұрын
@@大内毅-x8j その時に聞いたのは、岡崎から名古屋までバイクで来てたらしいです その頃は免許にうるさくなかったみたいです
@MrKkhg
@MrKkhg 2 жыл бұрын
鈴木亜久里や佐藤琢磨、小林可夢緯が、そうしたようにF1で走ってるときはモナコ(英国でもいい)など モータースポーツに理解のある場所に住んでたら良かったのかもしれませんね
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
F1ドライバーとして成功するにはそれも大事なのかもしれませんね。中嶋選手は中嶋企画という会社を背負いすぎたのかもしれません。
@木村武司-o5b
@木村武司-o5b 2 жыл бұрын
F1デビュー前の国際F3000時代に生活拠点はイギリスにして一貴も連れていってたよ
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
@@木村武司-o5b 中嶋企画の社長業があるので、行ったり来たりで、日本にいる時間も長かったようですよ。
@木村武司-o5b
@木村武司-o5b 2 жыл бұрын
そうですね。 84年に家族でロンドン郊外に本格移住する前から中嶋企画はありましたし、スポンサーさんへの挨拶や報告などで飛び回っていらした様ですから
@shaft-d
@shaft-d 2 жыл бұрын
色々含めてF1なんよ
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
そうですね。
@songwriter6289
@songwriter6289 Жыл бұрын
5年F1にのってベストラップ出したんだ。凄いのよ。テストドライバーもあのレベルでないとこうなるのよ。
@ogaso-web
@ogaso-web Жыл бұрын
コメントありがとうございます!
@itohgabriele8149
@itohgabriele8149 9 ай бұрын
89年にティレルに乗ってくれていたらなぁ。傑作マシン018だったらオーストラリア以外のコースでもかなりいい結果が期待できたと今でも思っている。ピケより速い得意のベルギーで雨だった千載一隅のチャンスに走れないなんて・・
@ogaso-web
@ogaso-web 9 ай бұрын
1年早くティレルに来ていれば、018でかなりチャンスあったかもですね。そのとおりだと思います。
@金子肇-h8o
@金子肇-h8o 2 жыл бұрын
フルパワーモータスさんの気持ちよくわかります👍️ あえて言うなら今のF-1 に無いのがこう言う事かも知れないし、もっと言えば中嶋悟さんの存在👍️😃  本気でF 1 を変えたいなら、国際連盟 会長を中嶋悟さんでしょうね😃
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
よく目にする中嶋選手への評価でなく、現場で一緒に戦った技術者と、数年間中嶋選手に密着した人の声もまた真実だろうと考えてクローズアップしました。 いつもコメントありがとうございます。 国際連盟会長も素晴らしい案です。
@zzzxxx7171
@zzzxxx7171 2 жыл бұрын
F1ドライバーでもない我々がどうこう言うことではない。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
その通りです。
@jagdpanther4465
@jagdpanther4465 2 жыл бұрын
無礼なコメする輩の多さに辟易しました。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
見方はひとそれぞれなので、節度守って皆さんで楽しんでいただければと思います。 コメントありがとうございます。
@hosi2007
@hosi2007 7 күн бұрын
クソフジテレビが伝説とか美化するほどの人じゃないけど、ほんと人間臭い人と思う亜久里がポディウム登ったときのあの悔しい顔が忘れられない
@drayctop1
@drayctop1 2 жыл бұрын
もし中嶋さんがホンダの力でF-1に入れてもらったなら、ホンダから離れていないはず。ホンダは中嶋悟を使いつぶしたと思う。中嶋さんは実力で奇数カーナンバーをもぎとってきた。雨のファーステストラップは今も僕の日本人としての生きる力です。僕も中嶋さんのラストランの時中学生でした。持久走の順位がドライバーズポイントで、クラスでのポイントがコンストラクターズポイントってのを友達と点けて楽しい毎日を過ごしてました。今でもこの時代のF-1パイロットになりたいですよ。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
素晴らしいコメントありがとうございます。ホンダエンジンじゃない時は、完全に一人のドライバーとして契約してるので、その通りです!
@stonebridge3709
@stonebridge3709 2 жыл бұрын
国内F2では星野さんより速かってけど、F1のドライブスタイル、体力的には星野さんの方があっていたと私は思いました。もちろん、星野さんの全盛期の話しですが。
@大内毅-x8j
@大内毅-x8j 2 жыл бұрын
ステファワンヨハンソンが男前で好きw
@笠原哲郎
@笠原哲郎 2 жыл бұрын
当時日本では中嶋だけがF1レベルとありますが、星野一義は? 年齢的な問題はあっただろうが、まだ十分力はあったのでは?
@jok3471
@jok3471 2 жыл бұрын
90年の日本GPの時事故にあったベネトンのナニーニの代役として星野さんにオファーしてたけど、契約に至らなかった。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
'87年F1テスト走行に参加した一人のようですが、詳細がどこにもありません。桜井監督も各レーサーの名誉のために名前は伏せています。 星野選手も素晴らしいレーサーであり、人格者であると思いますので、私も大尊敬しています。
@堀越一男-d5z
@堀越一男-d5z 2 жыл бұрын
レーシックオンでの星野中嶋両者対談で星野さんがホンダF1のテストに参加したけどあれは体力がもたなかった、と話していました。星野さんでも身体もたないと話されたのにショックを受けたのを覚えています。ターボF1はどれだけ化物なのかと。
@neokaazu
@neokaazu 2 жыл бұрын
当時は「トヨタがF1に参戦していればドライバーは星野になっていただろう」 って本に書いてあったなぁ
@ダメ人間1号
@ダメ人間1号 11 ай бұрын
星野さん HONDAのF1のテストドライバーしてましたよ。
@ハラ萬福
@ハラ萬福 2 жыл бұрын
中嶋さんはパイオニアとして尊敬していますし、今も応援していますが、プライベートまで削られツラいのも含めてF-1ドライバーだと思うし、他のカテゴリーには足元にも及ばないほどの地位と富を得ることができるんだと思います。 なので残念ながら中嶋さんはF-1ドライバーの資質はなかったということなんだと思いました。 誰でも向き不向きがあるので、それで中嶋さんを低く見るつもりもありませんし、むしろそんな自分に合わない世界で、しかも外国でよくがんばられたんだと益々ファンになりました。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
素晴らしいコメントありがとうございます。
@takenorikawai
@takenorikawai Жыл бұрын
最終年度のあのパフォーマンスじゃ、1992年のオファーはないですよ。 はっきり言って酷いレベルでした。中嶋は好きだったしもっと頑張ってほしかったが、 あれ以上の結果は難しかったですね。
@ogaso-web
@ogaso-web Жыл бұрын
たしかに、結果も最後は出ませんでしたし、あれ以上走れなかったでしょうね、肉体的にも精神的にも。
@ラスカス-u8m
@ラスカス-u8m Жыл бұрын
ケンティレルが引退会見の前にこの契約書に今サインすれば来年も走ることができると発言して契約書を持って来ていたのに何を言っているんでしょうか?
@ikubasa
@ikubasa 2 жыл бұрын
だから88年からホンダのテストドライバーはエマニュエル・ピロとか日本のF3000を走る外国人ドライバーになったんですね。逆にテスト・ドライバーがメインの契約でF3000は付帯契約だったのかもしれません。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
なるほど、NAエンジンの開発からはピロが担当していたのは、それが理由なんですね。
@takayukio9657
@takayukio9657 2 жыл бұрын
いや、いや。ホンダがいなければデビューは出来てなかった。モナコやデトロイトなどのサーキットでの遅さ。同じサーキットで3秒もチームメイトより遅いタイム。F1という場に出る以上、全く言い訳は出来ない。タイム、結果が全てだよ。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
厳しいF1の世界はそうだという見方からすれば、その通りです。ライバルの脅威にはなっていないですからね。
@大内毅-x8j
@大内毅-x8j 2 жыл бұрын
三ヶ根GPだったらなぁ…w
@あたりたけし
@あたりたけし 2 жыл бұрын
体力といってもプロストの方が小さいし、ヨーロッパのレベルに通用しなかったですよね!
@大内毅-x8j
@大内毅-x8j 2 жыл бұрын
やっぱ箱とカートはぜんぜん違うからね…
@あたりたけし
@あたりたけし 2 жыл бұрын
@@大内毅-x8j でも悟さんはマシンを全然壊さなかったですよね。
@ラスカス-u8m
@ラスカス-u8m Жыл бұрын
当時のインタビュー記事で中嶋本人がプロストは僕より背が小さいのにあの体見たら筋肉がすごくて嫌になるよなどと答えてた記憶があります。
@karikai
@karikai 2 жыл бұрын
私は、F1そんなに詳しくありませんが、日本人ドライバーで、唯一、ポールポジションや優勝したマシンと同じマシンに乗ったドライバーだと思います。 ファンの人は、中島選手をすごいドライバーだと言いますが、私は、日本人としては、そうかもしれませんが、あれだけ恵まれた状況で、 1度も表彰台に立てなかったことが悔しいです。そういう意味では、鈴木亜久里選手や右京選手に同じぐらい恵まれた環境で走ってもらいたかったです。
@ogaso-web
@ogaso-web 2 жыл бұрын
F1ドライバー全員の中の一人という見方であれば、ごく普通かもしれません。 仰る通りで、若い時から恵まれた環境でスタートしてれば、名実ともに手ごわいF1ドライバーになっていたのだと思います。
@yochioy
@yochioy 2 жыл бұрын
それって、87年のロータスホンダのことを言ってますよね。ロータスは、出走する2台とも同じレベルのマシンを用意するほどの力がなく、セナの乗るマシンと中嶋のマシンは別物だったと言われていますので、実力以上にマシンの性能差があったかもしれません。また、中嶋のマシンにだけ、オンボードカメラを載せたりして、空力的にもハンデだったのではと思います。ロータスが中嶋に期待していたとは思えないです。 あと、亜久里選手も右京選手もベネトンに乗るチャンスがあったのに、スポンサーの絡みで実現しなかったのですよね。特に右京選手の場合は、シューマッハがワールドチャンピオンになった年のマシンに乗るチャンスがあったのだから、本当にもったいなかったです。1回くらい勝てたかもしれないのので、見たかったです。
@pompom_joki
@pompom_joki 2 жыл бұрын
PPとWINを記録したマシンに乗った日本人選手は、佐藤琢磨がいますね。 それはさておき、当時のロータスは、中嶋さんへの待遇はひどかったのです。 まあ、プロストに乗った中野ほどではなかったかもしれませんが・・・
@堀越一男-d5z
@堀越一男-d5z 2 жыл бұрын
ジョニーダンフリーズの成績を見ればセナ一極集中ロータスのナンバー2がどんなものかわかるだろう?セナと同じ待遇だったら勝てたなんて事は口が裂けても言わないが87年の11号車を勝てる車、ポールがとれる車とひと括りにするの俺は乱暴だと思うね。
@karikai
@karikai 2 жыл бұрын
@@pompom_joki 佐藤琢磨選手が乗ったF1マシンは、ジョーダン、BAR、スーパーアグリの3チームと思いますが、この内優勝経験のあるチームは、 ジョーダンのみと思います。調べてみましたが、佐藤琢磨選手が乗った2002年のジョーダンは、優勝していなかったと思いますが。
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