最強エンジン搭載も低迷 チーム崩壊で3年使い古された悲運のマシン【F1解説】【ティレル020】【ホンダ・ヤマハ】

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モーター天国

モーター天国

Жыл бұрын

◆動画について
今回は1991年から2年半にわたって使用され、ホンダ、ヤマハエンジンの搭載、中嶋悟、片山右京といった日本人ドライバーもドライブしたことでおなじみ、ティレル020のエピソード、歴史を解説します。
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Пікірлер: 223
@user-ce8lb6uc6m
@user-ce8lb6uc6m 9 ай бұрын
中嶋さん引退ホンダが去った後も片山右京×ヤマハのタッグまでスポンサーを勤めたカルビーはえらいな❗
@oku3201
@oku3201 Жыл бұрын
92年は1年落ちにも関わらずエンジンとタイヤが変わったことによってあれだけ活躍出来たのだから、素性は悪くないマシンだったんでしょうね。
@queirrelel
@queirrelel Жыл бұрын
昔は雑な時代だったのだろうと思いました
@user-qm9gv9by7x
@user-qm9gv9by7x Жыл бұрын
それを言っちゃあ、 93年の右京が悲惨過ぎた、
@puu-san
@puu-san Жыл бұрын
パワーだけじゃ駄目なんだと、本当に思い知らされた一年だった。
@ryunosuke9924
@ryunosuke9924 Жыл бұрын
90年の日本GP、亜久里選手の表彰台を見て中嶋悟さんが「来年はオレが有利になる!」と話してましたが、そうはなりませんでしたネ…。当時、ティレルホンダにはワタシも期待していましたし、87年のイギリスGPのホンダ1234の再来を夢見てましたネ…。
@takerushinjo8658
@takerushinjo8658 8 ай бұрын
日本車らしい故障感
@user-kf8ns8qo9w
@user-kf8ns8qo9w 5 ай бұрын
そうでしたね💦でも、020は見た目が最高にかっこよかったです。
@prescott3842
@prescott3842 Жыл бұрын
この年のモナコ予選モデナには痺れたが94年の右京もかっこよかったぜ!
@usamaru.
@usamaru. Жыл бұрын
お疲れ様です アンヘドラルウィング、日本スポンサー、ホンダV10エンジン、そして日本人ドライバーの中嶋悟… F1好きの日本人には馴染み深いマシンなんですけどね~…
@Railton-bb
@Railton-bb Жыл бұрын
個人的には今のF1と昔のF1が全く別物だということを嫌でもわからせてくれたマシンだと思ってる。この頃はかなりのチームがハイパワーエンジンを積んで死ぬか、コスワースのまま資金難で死ぬかの二択を迫られた。軽量安価なDFVキットカーで中堅・弱小チームが夢を見た時代は終わって、メーカー系ワークスの総力戦に変わっていくんだなって。
@wanikenospe
@wanikenospe Жыл бұрын
前年90年の日本GPで亜久里が先に表彰台に上がったとき、中嶋が『でも来年はたぶん俺のほうが可能性上がるから』と悔しさの中に希望を見出だしていたのに、91年は本当に残念でした。 きっと中嶋本人より、ファンのほうが悔しかったですよね。
@eg6ami
@eg6ami Жыл бұрын
せっかくそのチャンス(=ホンダエンジン)をゲットしたのに、それを活かしきれず残念至極でした・・・(結局開幕戦の5位1回だけ) これがもしうまく行ってれば、中嶋さんも表彰台ゲットできたはず・・・!
@pachikup
@pachikup Жыл бұрын
第3戦のサンマリノの途中セナ、ベルガー、モデナ、中嶋のHONDA勢で1~4位独占してた時は中嶋ファンとして夢を見させてもらいました。 ギアボックスさえ…。
@noriakinakayama9894
@noriakinakayama9894 Жыл бұрын
あの亜久里は、たなぼた3位だと今も思ってます。
@maro7129
@maro7129 Жыл бұрын
このレース、鈴鹿サーキットの西デグナー前スタンドで観てました❤️
@maro7129
@maro7129 Жыл бұрын
@@noriakinakayama9894 さん 上位がバタバタ潰れましたから、、、 セナとプロストは一周すらしてない😅 ベルガーも2周目早々に。 マンセルもアレジも前半に、中嶋も中盤に。😿
@takuya0127
@takuya0127 Жыл бұрын
今宮純さんも当時シーズンの途中でこの020を酷評していました。 やはり019は非力なDFRとはいえトータルバランスが優れていたんですね。
@tetsujiitoh4720
@tetsujiitoh4720 Жыл бұрын
前年からの飛躍が期待されたにも関わらず、期待外れに終わった91年のティレル。見ていて思ったのはエンジンが良くても、シャシーが良くても、タイヤが良くても、どれかが悪ければ結果が出ない事を痛感してました。
@user-jm8pz7gi6q
@user-jm8pz7gi6q 7 ай бұрын
その中では、タイヤが良ければ他が悪くても誤魔化せる。予選用タイヤがあった日本のF3000の鈴鹿でのタイムは、予選用タイヤがない時代のF-1なら中団に入れるレベルになってた。
@mannaokyi9191
@mannaokyi9191 Жыл бұрын
キビキビとした走りがウリの019の発展型である020、ハイパワーなHONDAエンジン。この組み合わせに1991年シーズン前はワクワクしたものでした。中嶋悟の初表彰台も見れる期待感もハンパなかった。 しかしこれほどマシンバランスが崩れてしまうものなのか、またマシンバランスの重要性が初めて分かったシーズンでもありました。 よくよく考えたら、軽量V8エンジンで作ったシャシーの020、パワーにモノを言わせてたHONDAエンジン。そのエンジンを搭載していたマクラーレンはノウハウがあったが、ティレルにはなかったってことか。輪をかけてピレリータイヤも足を引っ張っていたのはレースを見て明らかでした。 こう言っては何ですが、マクラーレンとの提携とはいえ、中嶋選手がいなければ、、、、、フォードHBエンジンを搭載してトップ5圏内には入れていた可能性も考えてしまいます。 ちなみに1991年のベストバランスマシンはやっぱりFW14だと思います。HONDAエンジンほどパワーはないけどシャシーとの相性がよくエンジンパフォーマンスを最大に出していたと思います。
@user-mn3wd2up2i
@user-mn3wd2up2i Жыл бұрын
古豪プライベーターである事もさる事ながら、 6輪たいれるに中嶋悟に片山右京、 それに伴い日本信販カルビーホンダにヤマハと 我々に色々馴染み深くて嫌いになれる要素が無いんですよねティレルって。
@tamaesan34
@tamaesan34 Жыл бұрын
開幕戦フェニックス決勝でいきなりモデナ4位、中嶋5位、亜久里6位完走と出だし良かったから おぉっ?これは面白くなりそうだぞ・・てな感じで観てた。ところが・・
@user-qo3vy7un4k
@user-qo3vy7un4k Жыл бұрын
私も祝祭空間のようなあのレースを見てから、「今年はいける❗」と本当に期待しました❗ しかし、翌ブラジルで亜久里がピットでいつまでもエンジンかからずスタート出来なくてや中嶋のマシンの異常を見て「あらら?これはおかしいぞ…」となり、サンマリノ、モナコの中嶋のリタイアでどんどんしぼんでいき、カナダの亜久里の炎上でほとんど諦め、ドイツでの亜久里の体たらくでもう匙を投げた感じでした…。
@pre1974613
@pre1974613 Жыл бұрын
ここから3年間日本人ノーポイントですもんね。 アクティブつけたフットワークとかかなり速かったんだけどあまりに運がなさすぎた。
@user-wk9tm7fj8x
@user-wk9tm7fj8x Жыл бұрын
preさん フットワーク大橋会長は当時チーム監督だったジャッキー・オリバーをクビにして、トム・ウォーキンショーを迎えようとしてました。しかしウォーキンショーの答えはNO!クビになりかけたオリバーは亜久里なんか入賞させてたまるか。最終戦オーストラリアGP、入賞確実だったにも関わらずタイヤ交換を引き伸ばしました。実況アナが亜久里選手のタイヤ交換はまだなんですか?て言ったほどですから。
@user-dh2mr6oc9f
@user-dh2mr6oc9f Жыл бұрын
ヲサーン世代の当方にとっては懐かしい話ですね・・・。 何しろ’89シーズン前半は冠スポンサー無しの状態に追い詰められていた古豪が きちんと持ち直しつつあったさ中でのホンダエンジン搭載でしたから。 しかし期待も大きかった一方で懸念も抱いていました。 '86にルノーV6ターボを使っていた時期を除けばコスワースDFVファミリーしか扱った経験しか無いチームが ホンダのような重くてハイパワーなエンジンを受け止められる駆動系をきちんと開発できるのかと。 (’86も駆動系のトラブル頻発でしたから) 少なくとも前半戦は予感的中で、これがタイヤ開発の停滞をも招いて低迷に至ったのではと。 ちなみに6:14で前年型の019がF1初のEng→ギアBOX→デフ配置と紹介されていますが、’88のベネトンB188が初採用と記憶しています。
@kinokoantonio2516
@kinokoantonio2516 Жыл бұрын
90年の日本Pで、亜久里選手が3位表彰台に立った時、中島選手が「来年は俺の方が良いエンジン来るから」と言ってたことを覚えてます。しかし、エンジンだけ良くてもトータルパッケージが良くなければダメなことを証明してしまいましたね。特にピレリタイヤがひどくて、中島選手が1レースで、何回もタイヤ交換をしていたように記憶しています。
@user-gx5gv1yj9m
@user-gx5gv1yj9m Жыл бұрын
当時はピレリタイヤがやり玉に挙げられていたような記憶があります ボロボロになったリアタイヤの写真や映像をよく見ました。
@user-um1mz2nr9s
@user-um1mz2nr9s 2 ай бұрын
ブリスター😅
@user-dd3bk9hl8k
@user-dd3bk9hl8k 4 күн бұрын
今でもそう思ってる人多い
@user-jz4eu6xv9x
@user-jz4eu6xv9x Жыл бұрын
ブラウンカラーのティレルは当時のF1マシンの中でもかなりカッコいい部類だったと思う。 とにかく年中ピレリタイヤに足を引っ張られてた印象があった。 昔からティレルは金欠状態の時に、もちろん第一線級のマシンではないが何となくそこそこのポテンシャルを発揮するマシンを登場させてるイメージがある。 余談だがブラウンカラーのティレルはホンダエンジン搭載車で戦績こそ悪いがタミヤが1/20のプラモデルを発売した様に「模型映え」するマシンでもあった。
@nwok.7793
@nwok.7793 Жыл бұрын
020の基本設計は018から変わりがないマシンのため、ハーベイ博士がHBエンジン搭載を求める助言をしてもホンダ、ジャパンマネー、久しぶりのメインスポンサーでケンおじさんは聞く耳持たずで予想通りの展開に…
@yosss0930mjk
@yosss0930mjk Жыл бұрын
トータルパッケージよりも当時最強ハイパワーなホンダエンジンに目が眩んだ結果が…って事でしょうか。 中嶋選手やそれに伴う日本企業のスポンサーマネーの事を考えるとホンダエンジンでのメリットの方が大きいとケン・ティレルとしては踏んだのでしょう。 冷静に考えてフォードHBエンジンならタイヤがピレリのままであってもベネトンあたりといい勝負をしてたかもしれませんね。
@user-sj5fi4jz6o
@user-sj5fi4jz6o Жыл бұрын
基本はHBエンジンでのレース用に作られたマシンですからね。ティレルに品質の高いパーツを買える資金があり、フォードゼテックRエンジンが使えたら91年のシーズンは変わったのかもしれません。ベネトンと同じスペックでタイヤも燃料も同じと言うことで。
@user-ih6gh8en6v
@user-ih6gh8en6v Жыл бұрын
チャンピオンエンジンのホンダを搭載できるとなると、いくらマシンがフォードにあったものであっても夢見たくなるよなあ・・・まあそういう所を冷静に判断しないといけなかったんだろうけど・・・
@user-er4uw7pg1o
@user-er4uw7pg1o Жыл бұрын
92年シーズンのイルモアV10搭載時のデ・チェザリスの快走を応援していました。鈴鹿の走りは、ベテランとなり味のある走りを見せてくれるようになった彼の真骨頂だったと思います。
@user-bf8zf6qh6p
@user-bf8zf6qh6p 5 ай бұрын
デ·チェザリスさん決まれば速い)ドライバーでした。鈴鹿4位もあるしお坊ちゃんにしてはなかなか。
@takakin6491
@takakin6491 Ай бұрын
当時ティレルを応援し、鈴鹿での4位入賞を鈴鹿サーキットで見て感動してました。クラッシャーと呼ばれてましたがジョーダン時代も含めなかなか速かった記憶があります。マンセルのFW14Bが目の前でブロロロっと火を吹きながらエンジンブローしたのが一番記憶に残ってます😅
@user-oq3hf5pq6p
@user-oq3hf5pq6p Жыл бұрын
ティレル020ホンダはタラレバでしたね。 タイヤはピレリじゃなくグッドイヤー。 エンジンはホンダV10じゃなく無限V8。 中嶋悟も一度は表彰台に立てたかもしれません。 メインスポンサーのブラウンももう1年残留したかも。 私は深夜観ていました。 懐かしい思い出です。
@telkor-tzm50r
@telkor-tzm50r Жыл бұрын
一説にはマクラーレン(ワークス扱い)仕様のRA100Eは必要最低限の耐久性(当時は1レースで何回もエンジンを交換していたし、常に新品を使用できた。またワークス仕様だから高価な材料も使えたって話も)で良いから軽く出来た(一説にはルノー並の140キロ台って話も…)が、ティレルのは『無限メンテのカスタマー仕様』だからリビルド前提の設計になったが故に重くなったって話もありましたね。 動画にあった『シーズン序盤のマクラーレンのV12(可変吸気システム投入以前はトルク特性上V10の方がコースによって速かった)を追い回したが故に途中からパワーを落とされた』説もありますが、前途のリビルド前提が故にパワーが落ちたって話もありましたよね。 詳細は関係者のみ知る話なんでしょうが…
@yosss0930mjk
@yosss0930mjk Жыл бұрын
同じ90年代のティレルで、1994年に片山右京が乗っていた022も動画で紹介解説して欲しいです。 あの車も素性はかなり良くトップグループを快走する事もありましたが 信頼性不足でイマイチ結果に結び付かなかった歯痒い1台で記憶に残っています。
@user-cm7gd2bi9i
@user-cm7gd2bi9i Жыл бұрын
93年のイギリスで021を投入したものの右京さんの車にトラブルが起きて020Cで決勝を走ることになって、グリッドに着いたら川井一仁氏が「なんだ020Cか。こりゃダメだ」というジェスチャーをして右京さんのテンションがダダ下がりした話ホント好き。
@user-cz6tc5ub3z
@user-cz6tc5ub3z Жыл бұрын
021は、フロントもリヤもモノショック化されていて、ロールに弱かったみたいですよね。
@t130co4
@t130co4 Жыл бұрын
「ホント好き」 流行ってるねこの表現。そんな好きか?笑
@user-jw7ub4xg9e
@user-jw7ub4xg9e Жыл бұрын
91鈴鹿ラストラン、中嶋さんは7位まで来てたが 右のタイロッドエンド折れてクラッシュ。 あの時は残念に思いました。 しかし、94年にセナがあんな形になった事から、 折れたシャフトが中嶋さんを貫通しなくて 幸いだったのかもしれません。
@atm-09_rsc
@atm-09_rsc Жыл бұрын
鈴鹿ラストランで操作不能となり クラッシュ⇒リタイヤした時に ぶつかったのがタイヤバリアで良かった という奥様のコメントがありましたが 後のセナの悲劇を思うと本当にそうですね 未発表となったRothmansカラーの マシンも恰好よかったな
@user-yy6cd8ud7c
@user-yy6cd8ud7c Жыл бұрын
1991年12月18日~19日、鈴鹿サーキットでの無限 ホンダ V10エンジン搭載用に改造された真っ白なティレル・020においては中嶋悟さんや片山右京さんではなく、フットワークへの移籍が決まった鈴木亜久里さんが無限 ホンダ V10エンジンのテスト走行を行っていたとか…。
@user-cm7gd2bi9i
@user-cm7gd2bi9i Жыл бұрын
亜久里さんがF1浪人中の94年にもう一度その車に乗ったとき「古い車だけど安心してコーナーに入って行ける良い車だね」とコメントしていたので素性は良いのかなと思いました。それともその時履いてたブリヂストンタイヤの効果だったのか…。
@butchan45
@butchan45 Жыл бұрын
コスワースDFR用の019はノーズも細くフロントウイングも大きくいいデザインだったし、そこそこの成績。 020はホンダエンジン搭載のため、ずんぐりした太いノーズになり、フロントウイングがレギュレーションで100mm幅が狭くなり見た目的に空気抵抗が大きくなった。 ホンダエンジン搭載により、パワーは上がったが、ギアボックスなどに負担が掛かりよく壊れた。エンジンが大きく重くなったため、マシンバランスが悪化して昨年並みの成績は上げる事が出来なかったのが痛い。
@SYU39PAPA
@SYU39PAPA 3 ай бұрын
ティレルって聞くと、1990年開幕戦でアレジがセナにくらいついた時のインパクトが凄すぎて。
@user-dr5wv9bz2s
@user-dr5wv9bz2s 6 ай бұрын
ティレルのハイノーズがグランプリデビューした時は、そのかっこよさに衝撃を受けました。 おまけにHONDAエンジンで中嶋がドライブ。スポンサーがEPSON、日本信販、PIAA。。。個人的には勝手に日本代表のF-1だと思って応援していました。 懐かしい・・・。
@user-qo3vy7un4k
@user-qo3vy7un4k Жыл бұрын
前年と同じエンジンか、若干改良されたものと思いきや、供給されたホンダエンジンは、前年にマクラーレンに供給されたものとは全く違い、ブロックの材質から大きくランクダウンしたもので、実際はパワーも700馬力すら出ていない30馬力以上ダウンしたものだった。 15:27なぜかフロントのみならずリアサスペンションもモノショック(一本サス)にしたため、まともに接地せずに「いきなりスピンするマシン」となってしまった。 このマシンがデビュー直前に、当時のホリデーオートBGに書いてあった「このマシンは期待できる!」という記事が本当にむなしかった…。
@eijitakeuchi6209
@eijitakeuchi6209 Жыл бұрын
30馬力以上スペックダウンして公称馬力程度しか出てないのなら、強度不足による駆動系のトラブルは発生しないのでは。
@willywonka6468
@willywonka6468 Жыл бұрын
まあフォードエンジンに合うように設計されてたみたいだし、何よりハーベイ博士がシーズン途中で離脱したのが痛かったよね…
@user-qs6bj7bg1g
@user-qs6bj7bg1g Жыл бұрын
ピレリタイヤは高温になるとまるでグッドイヤーには太刀打ちできなかった。タイヤの戦力不足に加えて横置きギアボックスの問題は深刻。マクラーレンも横置きギアボックス採用したら高速コーナーでギア抜けしてセナのマシンコントロールをもってしてもコースアウト&マシン裏返しになったりで熟成にはかなり時間かかってたね。エンジンは悪くなかったけど、ハイパワー化したら足周り系は使いまわしではダメという事でしたね。でもホンダはV10とV12をスタッフ増員してメンテしてたんだから今考えると凄い事だった。スポンサーの数の多さはまさにバブル経済の絶頂期を象徴してますね。
@user-jb2gf4ux1i
@user-jb2gf4ux1i Жыл бұрын
当時F1ファンの集いがあって、ティレルにホンダV10が搭載される話が出ました。 結構期待度が高かったのですが、私は苦戦すると予想していると話しました。 エンジンがV8に比べて重たいから、前後のバランスが崩れてフロントのピッチングが強くなるし、ピレリタイヤが性能悪いから上位は無理だろうと思っていましたね。
@fjkden7951
@fjkden7951 Жыл бұрын
91年は深夜起きて中嶋さんの走りを見てましたが、中嶋さんもマシントラブルや中嶋さんらしく無いミスでリタイヤしたりと可哀想だったなあと思います。 エンジンはホンダになってもマシン全体的バランスが悪くて当時のピレリタイヤでは中嶋さんもきつかったと思います。 逆にジョーダン191はバランスが良かったと思います。シューマッハのデビュー戦とベルギーでのチェザリスの走りが凄かったです。
@masafuru927
@masafuru927 Жыл бұрын
当時中学・高校生でしたが、この020で車のトータルバランスの重要さに気付き始めた頃でしたね。
@hideot
@hideot Жыл бұрын
この車で思い出すのはサンマリノGPです たしか予選二日間雨で、何か噛み合えば中嶋さんがポールポジション取れてたかもしれなかった…残念 初めて鈴鹿でF1見たのもこの年でした。
@user-oy8qw8ot9j
@user-oy8qw8ot9j Жыл бұрын
ティレル020ホンダは個人的に気に入っていました。 シャーシは元々V8用なので改良にも限界あったのだと思います。 後はハーベイ博士の離脱が大きかったと思います。
@user-hb4sf3zd1m
@user-hb4sf3zd1m Жыл бұрын
92年、苦しい中でチームを支えたチェザリスは好きでした。
@kensiba6222
@kensiba6222 Жыл бұрын
イルモアになってマシンバランスも良くなったし、チェザリスの走りも見事でした。
@seitoku55
@seitoku55 Жыл бұрын
このマシーン模型で作ったわ 6輪の「たいれる」 と一緒に本当にかっこいい
@user-mu8tk6jj1g
@user-mu8tk6jj1g Жыл бұрын
今回も面白かったです。次は、この翌年以降、右京の絶頂期でもあったヤマハやティレル022以降についても知りたいです。モーター天国さん、本当によく調べてますね!初耳の情報がいっぱいあって、他の動画も楽しいです!
@user-lz6nz2el5s
@user-lz6nz2el5s Жыл бұрын
フォードV8からホンダV10ではあまりに重量が違いすぎた。パワーはあったがトランスミッションやタイヤが耐えられなかった。
@popokiji8508
@popokiji8508 Жыл бұрын
ホンダエンジンはマクラーレンもマッチングにかなり苦労していた。重量の問題や冷却のため再度に穴を開けなくてはならなかったりと、マシンをかなり犠牲にしていた部分もある。それを補うだけのパワーがあったのだろうけど、ティレルには何とかすることはできなかった。フロントはダウンフォース不足、リアはヘビーで曲がらない、スピンしやすいと辛かったよう。ちなみに020Cは、95年の雑誌のインタビューで右京さんは「走らせていて楽しかった。セッティング通りに動いてくれるから。」と述べている(もっともマシンが古すぎたことも認めている)。
@YY-ut9zm
@YY-ut9zm 10 ай бұрын
021の新車のことですね。 020は使い古しのぐにゃぐにゃモノコックだったようでセッティング変えても何も変わらなかったと言ってましたね。
@user-is2mw5jg1j
@user-is2mw5jg1j Жыл бұрын
今になって解る話しになるけど、結局この時代マクラーレン、フェラーリ、ウィリアムズ、ベネトンの4強チーム以外全チーム資金難に悩まされてたんだよね。30年経つと色んなチームの資金難話しが幾らでも出てきますね
@user-ez1gr1wl5f
@user-ez1gr1wl5f Жыл бұрын
シーズン開幕前は期待感がいっぱいだったんですけどねえ…。 信頼性不足の上にマシンのバランスは悪いし、タイヤ性能は不安定だしで不発に終わりましたね。 鈴鹿のコースを歓声とともに周回する中嶋さんと、ダンロップコーナーで振られるマシンの姿が印象に残っています。 91年はV10のFW14がV12のMP4/6を凌駕するようになって行くのに象徴される、F1がエンジンパワー一辺倒からパッケージング重視に移り変わる時代の変革を感じさせるシーズンでした。 そんな中でこのマシンの苦戦もある程度必然だったのかもしれません。
@tanakatanaka2637
@tanakatanaka2637 Жыл бұрын
重いエンジンを旨く合わせることができなかった開発資金不足。ティレルの独特なデザインのマシーンとホンダパワーが見事に融合した世界戦で善戦するレース展開を見たかった。
@user-cs7pe9oq1t
@user-cs7pe9oq1t 8 ай бұрын
F1は葉巻型のミニカーをもらってから気にしだし、ロータス78で衝撃を受け、赤いペガサスを読み漁り、ホンダターボでPGM-FIのCR-X Siをカタログで契約、フジのF1中継を見た。日本GPの中嶋さんには涙した。
@user-zj3xl4hp9m
@user-zj3xl4hp9m 2 ай бұрын
赤いペガサスファンがここに居た 笑
@mphotoagent0516
@mphotoagent0516 8 ай бұрын
何気にティレルのマシンって 私のツボなデザイン多め
@46shamsham
@46shamsham Жыл бұрын
当時、タミヤ製1/20グランプリコレクションと1/28ミニFのティレル020ホンダ買いました。ガンメタルのカラーリングがとてもかっこ良よかったです。現在は共に絶版となっていて再販もされていないので貴重なキットかなと思います。
@user-us1nd4dn6y
@user-us1nd4dn6y Жыл бұрын
ホンダV10はハイパワーだがフェラーリV12より重かった。フォードコスワースHBだったらティレルは躍進出来たと思う。
@user-cz6tc5ub3z
@user-cz6tc5ub3z Жыл бұрын
カラーリングはティレルにしては、かなりカッコ良かったのですが…。
@NAKAJIMA962C
@NAKAJIMA962C Жыл бұрын
ホンダのパワーを伝えられなくてデフギヤがグシャッと壊れたそうです。 重いホンダV10でマシンの前後バランスが悪くて、本来の軽量でフットワークのいい良さをスポイルしてしまいました。 デザイナーのポスルズウェイトはフォードのHBを欲しがったのはよく分かります。 中嶋さんは自信のスポンサーであるホンダが逆にクビを絞めてしまうことになってしまいました。 カスタマー使用でもいいからHBエンジンだったら中嶋さん、表彰台へ行けたかなあ・・・。
@user-dv6ts1xj7j
@user-dv6ts1xj7j Жыл бұрын
1:58 DFRも元を辿れば67年にロータス49と共にデビューしたDFVがルーツでしたからね。
@jendoh5822
@jendoh5822 Жыл бұрын
1991年はタイヤをグッドイヤーにしていれば少しは違ったと思うが、駆動系の弱さはどうにもならなかったかもね。ミナルディはその年フェラーリ+グッドイヤーにしても4位2回のみだったし。
@user-tn7rm6wi4w
@user-tn7rm6wi4w Жыл бұрын
サンマリノGPでは、前半一時3、4 位を走っていましたが、2台とも リタイアで残念でしたね。 また、重量バランスが悪いのと ピレリタイヤもすぐにたれるので 苦しいシーズンでしたね。 中嶋のラストシーズンでもあり エンジンはSNのイニシャルも入って 期待していましたが、やっぱり ピレリタイヤも大きかったなあ。
@bow3954
@bow3954 Жыл бұрын
今思えば中嶋さんの表彰台に上がる最後のチャンスだったのかな。他のマシンがまだ信頼性が上がってなかっただけに残念です。
@user-tn7rm6wi4w
@user-tn7rm6wi4w Жыл бұрын
@@bow3954 さん 私も最後のチャンスだなあ、と 思っていました。エンジンそのものは ハイパワーでしたが、シャシやタイヤ が足を引っ張りましたね。 ティレルだけではなく、ピレリ ユーザーのチー厶は計算狂った のではないでしょうか。
@user-xf6xz8uf6l
@user-xf6xz8uf6l Жыл бұрын
デザインとカラーリングは歴代マシンで一番好きなんだけどなぁ
@user-wm5yp3pk9k
@user-wm5yp3pk9k Жыл бұрын
HONDAV10のメンテナンスやチューニングを担当したのが無限 しかし、時間がなく期間も短かった為、間に合わず さらに、HONDAとの連携も中々うまくいかなかったようで、そのせいでチューニングが不十分で本来のポテンシャルを引き出せなかったようで 中嶋さんもさぞ悔しかったでしょうね。
@user-sj8dj9ds5d
@user-sj8dj9ds5d Жыл бұрын
マシンのポテンシャルは 無限じゃなかった、、、
@user-hw2ey2lr6q
@user-hw2ey2lr6q Жыл бұрын
020は019と同時に開発されたせいでマクラーレン用に造られたV10に合わせて特別に設計できる部分が少なかったことが失敗の原因でしょうね。 020にとってのベストエンジンは軽量でパワーもそこそこのイルモアでヤマハ搭載時もマシンバランス自体は悪くないけどシャシー自体がへたって駄目でした・・・。 ハイテク搭載は無理でもせめてモノコックぐらい新品だったらヤマハ搭載時ももうちょっと成績が良かったのではないでしょうか?
@t3233226
@t3233226 Жыл бұрын
元々非力なDFRで最大のパフォーマンスを発揮するよう設計されたクルマですから設計に余裕が無かったのでしょう
@bailout68000
@bailout68000 Жыл бұрын
ダメでしたね、020。期待大きかったので落胆も大きかった テストの段階でサスアームよく折れてたなんて中嶋悟も後年言ってたし 後年関係者のインタビューとかって時効?なのかかなり核心というか際どいこと証言してるけど、それらをざっくりとまてめれば、結局ケンティレルをはじめ、チーム所有者が入ってくるスポンサーマネーを懐に入れてたのが不調不振の元凶。個人会社なので株式会社と違い会計報告や株主に説明責任がないから、財務はやりたい放題。
@yosss0930mjk
@yosss0930mjk Жыл бұрын
品質管理がマクラーレンやウイリアムズあたりと比較するとガバガバで杜撰なんですかね。 年は違いますが1994年のドイツGPで3番手を好走してた右京がリタイアした原因がメカニックの初歩的な整備ミスによるものでしたし そういう詰めの甘さや仕事の雑さが金欠だけでなくチームの凋落の一因かもしれませんね。
@bailout68000
@bailout68000 Жыл бұрын
@@yosss0930mjk こんにちは サスアームが折れたのは、ホンダエンジンが重すぎるたことと、それに合わせたシャシーを作らなかったティレルが原因です 要するに、前年の軽いDFRと019の組み合わせが名車だったのにそれ以降キチンと翌年マシンを作らないチーム全体の責任でしょう ドイツ好走のリタイヤは、確か、それまでヒトコ?のブレーキだったが、いきなりカーボンインダストリー製のブレーキに変えたのが原因だったと読みました、すいませこれは記憶違いかも、確認します。 なんにせよ、好調なブレーキを変更するとかフツーは考えられないし、そのあたり安く調達したいだけ、つまり利益に向かったのでは?と推測してます とにかく、潤沢な資金をマシン開発に回さないケンティレルが糞過ぎ。これは他の英国系チーム、例えばアロウズも亜久里に金ばかり要求してマシンはクソ…日本人はカモにされてたんでしょうね
@user-zj3xl4hp9m
@user-zj3xl4hp9m 2 ай бұрын
ハイノーズコンセプトの元祖であるのは間違いない。 とにかくその後出てくるハイノーズよりも一番美しいデザインだった。 残念なのは日本のバブル景気とタバコ広告に結構依存したF-1チームがスポンサー破綻とタバコ広告禁止により撤退して行った事です。 オールドファンとしてはロータスやティレルの老舗チームが消えていくのが寂しかった。
@user-fi3ls4il2g
@user-fi3ls4il2g Жыл бұрын
引退後の中嶋さんにチーム売却の話を持ちかけていたみたいですね。
@user-hi4ls5my2x
@user-hi4ls5my2x Жыл бұрын
020に積まれたV10エンジンですが、 1991年ホンダ→1992年イルモア→1993年ヤマハの3メーカー。 偶然にも同じVバンク角72度なのでモノコックとの接合ドッキングが容易だったのではと想像してしまいました。 もちろんラジエーター熱交換器など補機類の容量配置に変更はあるので簡単ポン付けと言う訳では無かったけれども? V10はルノー以外ほとんどのメーカーがVバンク角72度を採用していたので珍しく無いですが?
@galbo77
@galbo77 Жыл бұрын
93年のヤマハOX10はジャッドと提携して作られたので、エンジンブロックなんかはホンダ製らしいですよ。 シャシーに取り付けるボルトの位置まで同じらしいです。
@user-hi4ls5my2x
@user-hi4ls5my2x Жыл бұрын
@@galbo77 様 なるほど。 ホンダ、イルモア(もジャッド)、ヤマハも先祖を辿るとジャッドに行き着く兄弟エンジンって事になりますね?笑 ヤマハはV8エンジン時代にコスワースのエンジンをベースにシリンダーヘッドだけを独自の5バルブに改良する手法でしたが、 その路線から卒業しましたね。 それにしても約3シーズン(1993年は途中まででしたが)同じモノコックの020を使い続けた例は他に、 マクラーレンMP4/2(1884年~1986年)とロータス107(1992年~1994年)くらいですね。
@user-hi4ls5my2x
@user-hi4ls5my2x Жыл бұрын
@@galbo77 様 ティレル020に積まれた3メーカーの ホンダ、イルモア、ヤマハの各V10エンジン。 ボアとストロークの具体的公称数値までは分からないですが、 同じ数字であれば更に驚きですね? ジャッドの共通ブロックであれば可能性が大。 ボアとストロークも同じで有ればエンジンの全長も同じなので020マシン車体全体のホイールベースも全く同じ数字の可能性も見えてくる? 違うのは3シーズン(1991年、1992年、1993年)で細かく違うレギュレーションによって前後のウイング形状も変化している事くらいで基本的なジオメトリーも大体同じ。
@user-ib1hl3xv4b
@user-ib1hl3xv4b Жыл бұрын
最終戦の豪州GP、雨天で89年の夢再び!と期待したものの 序盤でイの一番にリタイアというあまりに寂しい幕切れでしたね中嶋😵 明るい希望と思ってたものが悉く悪い方向に向かった感じ
@zzzzzz5017
@zzzzzz5017 Жыл бұрын
一時的にとはいえPP取ったから胸圧だったなあ。そのあとセナに塗り替えられてやっぱ天才は雨が降っても関係ないんやなと感じたわ
@user-sx6mm2ge2v
@user-sx6mm2ge2v Жыл бұрын
アンヘドラルウイングの斜め支持をそのままに、その下にもウイング板があれば良かったのではないだろうかと思ってしまう…
@user-jt5tt7qc4p
@user-jt5tt7qc4p Жыл бұрын
確か、コースによってはアンヘドラルウィングの左右を繋ぐパーツがあった筈。
@bow3954
@bow3954 Жыл бұрын
ウイングの下に板を付けたベネトンがコンストラクターとドライバーのWタイトルを取ったんじゃなかったかな
@user-vi8gu2jg8c
@user-vi8gu2jg8c Жыл бұрын
良いエンジン載ったから良くなる訳ではないんだなあと思い知らされたなあ。このティレルチームは日本人と日本企業と縁がありましたね 中嶋悟とHONDAエンジン 片山右京とYAMAHAエンジン 高木虎之介も関係してたしなあ
@user-bl7lm5vw6b
@user-bl7lm5vw6b Жыл бұрын
モーター天国様お疲れ様です!
@mega9390
@mega9390 Жыл бұрын
ミナルディ同様エンジンに目がくらみバランスがおかしくなった典型
@user-ju5wc5kn6t
@user-ju5wc5kn6t Жыл бұрын
私が知る限りこの年のティレルが一番カッコ良かった😉
@tascatasorte787
@tascatasorte787 Жыл бұрын
92年意外と日本のスポンサー残ってたんですね~ Calbee CLUB ANGLE 日本信販
@carl_kun
@carl_kun 7 ай бұрын
鈴木亜久里が日本GPで表彰台にあがり、中嶋悟が所属するティレルに「ホンダV10」を搭載するとなるとわ中嶋悟も表彰台だと期待しましたね…。
@user-to6us5ol7e
@user-to6us5ol7e Жыл бұрын
他所さんの受け売りになるけど Rothmansの スポンサードの破談 K.ティレル 氏が 口を滑らせたのが要因だったとか。 あの カラーリング (゜-゜イイネ
@superhornet
@superhornet 7 ай бұрын
テレビ中継で解説の津川さんが『腐ってもチャンピエンジン。使いこなせないほうが悪い。』と言っていた。 まさにこれが起きていたと、今知った。
@frozen8546
@frozen8546 Жыл бұрын
子供の頃はそんな事情を知らず勝てるかもぐらいに期待していましたが、こんなにも多くの問題があった事をこの動画でようやく理解出来ました。
@asashin-wp5ew
@asashin-wp5ew Жыл бұрын
当時小5、知識も何もかもが今より浅っっっっさいガキでしたが、どれほど期待した事か… 開幕戦フェニックスでダブル入賞し、サンマリノでは序盤ホンダ搭載車1-2-3-4形成、残念ながらティレル勢はリタイアでしたが中嶋さんが表彰台立つのも時間の問題、と信じて疑いませんでした…まぁ結果は動画でも解説されてた通りですからね…。もっと資金があれば解決できた…のかな?
@PanicInJam
@PanicInJam Жыл бұрын
色々なことが噛み合わなかった不運のマシンという印象です。 当時のピレリのタイヤの性能の低さや予選タイヤの使いづらさなども聞いたことがあります。 エンジンも前年のチャンピオンの実績あるエンジンに対して新しいV12エンジンを積んだマクラーレン側が警戒していたので、前年よりもスペックダウンしていたという話も… 特殊燃料を使っていた当時、シェルの最新燃料もチャンピオン争いをしていたマクラーレン優先になるのも仕方がないことだったはず… イルモアのV8並に軽量コンパクトだったV10エンジン(後のメルセデスエンジン)も気になりますので、動画期待しております。
@ae613400
@ae613400 Жыл бұрын
え?マクラーレンの仲介だったんですね。てっきり中嶋悟さんがいるからHondaエンジンをゲットできたと思ってました。BRAUNもCALBEEも中嶋さんのおかげ。日本グランプリでリタイヤした中嶋さんはさわやかに笑いながら観客に手を振って去りましたね。車体とのマッチングが問題で難しいのに不満も一切見せず格好良すぎ。後年Hondaと良い関係が継続できるわけですね。Hondaも引退する中嶋さんのためにスペシャルチューニングしたいのに歯がゆかったでしょう。
@spia7439
@spia7439 Жыл бұрын
91年は期待したものの、全てが悪い方へ出ましたね エンジン、ミッション、シャーシ、タイヤ スポンサーも付いて、資金も潤沢・・・なんて報道はありましたが F1は難しいんだなぁ・・・と思った時代でした
@soundwill17
@soundwill17 Жыл бұрын
91年の資金は翌年の改良に繋がっていたと思います、ら
@MyXM8
@MyXM8 Жыл бұрын
93年のカラーリングが好きで、プラモを探した思い出があります。 93年前半は酷い状態で、右京曰く真っ直ぐ走らない、曲がらない車だったらしいです。 カタルニヤだかドニントンだかでは気が付いたらダートに居たそうです。 好きなマシンに好きなカラーで、当時好きだったヤマハエンジン搭載で日本人ドライブと応援していたチームだっただけに残念でなりません
@user-cl7bm7py4e
@user-cl7bm7py4e Жыл бұрын
そうなんだよなあ。中嶋、亜久里、右京3人とも五体満足で引退できてホント良かった。ハイノーズのダウンフォース不足は現代の多層式(多層カナード式)なら解消できたかも?でもレギュレーションがねどうだったか?
@user-cy1jn2lr3s
@user-cy1jn2lr3s Жыл бұрын
速いマシンを作るって事はとても難しいんだね。
@seijirofto.de2a838
@seijirofto.de2a838 Жыл бұрын
1991年のホンダV10の質量は150kgで、ホンダV12と同程度とか言われていた。んで、あのトラブル。 1992年のイルモアV10の質量が110kgとか言われ、駆動系の負荷は減り、シャシーバランスも改善。 1992年はスポンサーもほとんど無い状況で、あのパフォーマンスは立派。 新谷かおる先生は、F1漫画『ジェントル萬』でホンダのスタッフに 「ティレルには、ティレル用のV10エンジンが必要」 の台詞を用意していた通り、トータルパッケージが重要となる話だった。
@user-hw2ey2lr6q
@user-hw2ey2lr6q Жыл бұрын
「ジェントル萬」の中ではもう一つ「エンジンの設計が始まった段階からシャシー設計も始めないと」とも言っていましたね。 この漫画では幻の「市販無限V10エンジン」にローラのF1シャシーにグッドイヤータイヤという組み合わせのマシンが出ていましたがローラのシャシーでも「低速コーナーで剛性不足」と言われています。
@user-ob7on8rq3q
@user-ob7on8rq3q Жыл бұрын
91年はカナダGPのモデナの2位の他、サンマリノGPでは一時ホンダ勢の1-2-3-4体制を築いたり、モナコGPではモデナが予選2位で 中盤にトラブルでリタイアするまで2位を走行してたりと、序盤で可能性を見せ期待させつつも、結局マシンの信頼性の低さはどうにもならなかったですね。
@user-dp7jh6dl8x
@user-dp7jh6dl8x 6 ай бұрын
92年のイルモアエンジン搭載の020が好き❕ 特にカラーリングの青白ネガポジ反転がたまらなくクール❕
@user-ej4oc5it9s
@user-ej4oc5it9s Жыл бұрын
こう思うと・・・本当に中嶋さんはホンダとともにF1で活躍出来ると思ってたけどずっと不運なマシンで戦ってたと言う事になりますね(;´・ω・)
@yosss0930mjk
@yosss0930mjk Жыл бұрын
エンジンは良くても乗っていたロータスもティレルも老舗とはいえ落ち目でしたからね… ホンダエンジン車ではなかったけど1990年の019は名車だと思います。
@marotyura
@marotyura Жыл бұрын
日本人ドライバーが駆ったマシンではフォルムもカラーリングでも1番カッコいいと思う
@user-ux8zn1qe9z
@user-ux8zn1qe9z Жыл бұрын
悲しき水中翼船。中嶋さんのために、のマシンだったんですが…あっ、スケール違いのミニカー2台、キットも組みました。
@user-jw4on2fy8q
@user-jw4on2fy8q 8 ай бұрын
ブラウンカラーで目立たなくなっているが、前作019に比べてノーズ以外は太ってしまった印象で、シャープさが無くなってしまった。 ピレリタイヤにも苦しめられたけど、グッドイヤータイヤでも結果は変わらなかったと思う。
@stccordwinnintrurer9290
@stccordwinnintrurer9290 Жыл бұрын
100Eの改良というより109Eの改良だよね 改良っていうか無限参戦テストみたいな
@user-ld3oh6si2y
@user-ld3oh6si2y Жыл бұрын
018からの延長で019だったから、まだ良かったかな…??見た目は018が1番良かった感じですね…。020はホンダでなくフォードHBだったら…と思ってしまいますね…。やはり伝統的にハイパワーだけど重いホンダでは…シャシーとのバランスや剛性面が019の発展型では無理ですよね…。なので92年のチェザリスは納得です。トータルバランスが91年より良かった…っていう結果ですね。他のコメントでもありましたがミナルディフェラーリと末路は同じ感じですよ…ハイパワーエンジンに目が眩んだって感じ…。で、痛いしっぺ返しを喰らう…みたいな…。 あの時代のティレルは見た目がどんどんファットになっていった気がしますね…。 018が1番シャープでカッコ良かったですね。しかもミケーレアルボレートがドライバー…っていうのが…………。
@user-oc3bb9uo6p
@user-oc3bb9uo6p Жыл бұрын
ケンおぢさんはレース戦略や新人発掘は見事なものでしたが運営は下手くそでしたね。
@user-jk2eh5wt3t
@user-jk2eh5wt3t Жыл бұрын
ティレルは90年のロスマンズとのスポンサー契約が結べなかったのが誤算だったな
@user-tj8zi7db9u
@user-tj8zi7db9u Жыл бұрын
毎回タイヤがダメになってた印象でしたが他にも色々あったんだ… かっこ良かったのにね。
@venus9933
@venus9933 Ай бұрын
94年のティレルは一転して高パフォーマンスで、カミカゼ右京の爆走がみられましたね
@user-ro6fm3by2b
@user-ro6fm3by2b Жыл бұрын
1991年、名門復活の狼煙をあげようとしたが 蓋を開けると、名門復活どころか 歯車が噛み合わなかった
@t3233226
@t3233226 Жыл бұрын
当時ホンダエンジンに一瞬喜んだんだけどすぐに疑問が浮かんだんだよなあ、 ベネトンと同じスペックのフォードHBのがトータルパッケージは良いんじゃないか?とね、 当時ティレルは資金に余裕の無い中堅チーム、いきなりチャンピオンエンジンに相応しい新車をいちから設計できるのか?とね、 あと、エンジンより先にまずはタイヤをピレリからグッドイヤー戻せと思っていた、 その方が最小限の投資で確実にパフォーマンスアップを狙えたからね、 ピレリからグッドイヤーに変えられない程の資金レベルだったから、 ホンダエンジンに相応しいクルマなんか資金的に作れるわけがないんだよね。
@quakerstatemotoroils
@quakerstatemotoroils Жыл бұрын
中嶋が引退した時、020をホンダからプレゼントされましたね。 その時の中嶋のコメントが「税金が…」って。 その後、札幌の月寒グリーンドームでデモランしてたのを見ました。 あれ、なんだったかな? 輸入車ショー? 私の走るF1初体験はそれです。
@user-ep9bw4et2q
@user-ep9bw4et2q 5 ай бұрын
ティレルヤマハ023だっけな?右京が94年のとあるグランプリで5位入賞したマシン。翌95年は不調で96年は右京がクラッシュしたりで大変だった記憶が…日本のサムライ物語是非取り上げて下さい😊
@350A
@350A 2 ай бұрын
片山右京が5位入賞(1994年ブラジルとサンマリノ)したのはティレル022、マシンが宙を舞ったのが1995年型マシンの023です
@yamanakaworld0612
@yamanakaworld0612 Жыл бұрын
次の動画は、023をお願いします!
@tatsuyatravelingalone
@tatsuyatravelingalone Жыл бұрын
カナダはピレリタイヤの1-2フィニッシュ達成したものの、マンセルのあの一件がなかったら、なかったでしょう
@ko-1165
@ko-1165 Жыл бұрын
ロスマンズティレルが実現していたら91年も違う結果になってたのだろうか?
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