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三国志の魅力をお伝えするチャンネルです。
UP主は「久保カズヤ」のペンネームで小説も書いています。
シナリオも含め、ライターもやってます。
別に自分は研究者ではなく物書きであり、
「三国志って面白い!」を発信しているだけで、
解説内容には至らない点も多々あるかと存じます(笑)
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Пікірлер
@user-uk3kb6bw7l
15 сағат бұрын
孫策の器量はもちろんだけど、同い年の盟友・周瑜が味方になってたというのが大きいよな。江東随一の名門周氏の御曹司が孫策の盟友であるという影響力は無視できないだろう。しかもその周瑜も戦の天才だった。これは大きい。
@-2c629
Күн бұрын
張飛はどうしても脳筋のイメージが付きまとってしまうがコーエーのゲームでの能力、横山三国志のキャラ像で植え付けられた感が強い。しかし逆を言えば人間の素直な部分を体現しているとも言えそれが魅力‼️にも映るのだろう。実際横山三国志内で董卓が洛陽を焼いて撤退した後玉璽を巡る争いが起こった際「玉璽だがなんだが知らんがオレは自分のチカラだけを信じたいぜ!!」って言ってたのは至極真っ当な意見だと思う。
@user-fq5cj6xo9e
Күн бұрын
しかし、何であんなに改元しまくったんだろう?
@satogshock3977
2 күн бұрын
関羽って、あの曹操のラブコールをも結果的に棒に振り、孫権をも犬呼ばわりして相手にすらしない。いかに劉備が魅力的な人物だったか?と思ってしまう。
@mitoman32
3 күн бұрын
陸遜の抜擢はすばらしい、現代でも人間を使うのが一番難しいね。でも 陸遜の抜擢(孫策が亡ぼしてから衰退した陸家)から既に能力ではなく非主流派を用いて主流派の抑えにするという内部政治的要素だったみたい(呂壱事件も非主流派の孫覇推しも) 仁義なき戦いの山守親分みたい
@mechadebu
3 күн бұрын
中々な名家の出身なのに名士抑圧して地域支配に失敗するテンプレムーブかましてるあたり、器としてはまぁ強化版公孫瓚という感じが……
@user-xd4wo8yy1s
4 күн бұрын
龐統、法正の方が劉備と折り合いがよく、諸葛亮と関羽がうまくやっていたようですね。 龐統、法正が居たならと思わせる話でもある。 荊州を任せられるのが関羽のみ…関羽の統治は威信が行き渡っており、弱点の外交も諸葛亮がいれば、ですかな
@KOUMEI_NO_WANADA
4 күн бұрын
関羽を宥められるのって劉備と諸葛亮くらいでしたからね。でも二人とも益州に居ないといけないとなると、やっぱり関羽の欠陥は浮き彫りになってしまったのかなぁと。
@MuraSzgundam
4 күн бұрын
後一歩曹操を討ち取る所まで迫った西涼の錦馬超の戦いぶりと、当代1の謀士賈クにワルツを踊らされた西涼の脳筋馬超としての結末… しかし、積年の反賊韓遂の最期という部分もありますな
@user-ee8wb3nd9p
5 күн бұрын
確か平然に海賊船に乗って周りから見向きもされなくしれっと大将の首をあげたって聞いた
@user-br6md8dh1z
6 күн бұрын
無謀と言われた荊州奪回戦も、簡雍を失っておかしくなってやらかしちゃった、っとのもありそうだよな
@sogak-bf1ys
6 күн бұрын
荊州からガンガン魏をボコっている関羽をだまし討ちにする頭の弱い呉 三つ巴の争いの宿命であるが、、陸遜の空気読めなさはゴミ。 無駄に戦は強いから最悪。
@GINZASAKUSA
6 күн бұрын
キングダムのきょうかいの一族?
@user-vw5sj4dv1o
6 күн бұрын
馬超は劉備の仲間になってからは影が薄いイメージがあるんだよなあ。
@KOUMEI_NO_WANADA
6 күн бұрын
本当にボロボロの体で転がり込んできた状態ですから、まともな私兵も支持勢力も乏しい、でもめちゃくちゃ有名人みたいな立場となると、バリバリ働いてもらうとはならないという(;'∀')
@user-oi9bk3bx9m
6 күн бұрын
負ければ西の都である長安含む関中一帯が賊軍に奪われるだけでなく、赤壁に続いての敗北は曹操の威信の低下に繋がり、各地で反乱が勃発したかもしれない。 勝てて内心ホっとしたんじゃないかなぁ、曹操。
@KOUMEI_NO_WANADA
6 күн бұрын
ですね。この勝利で何とか赤壁による威信低下を防ぎとめられた感じもありますし、非常に重要な一戦であったことは間違いないでしょう。
@2ytku723kp
7 күн бұрын
馬超って正史だとやってる事が演義の呂布を始めとした脳筋で頭が弱く沸点低くてキレると女子供問わず殺しまくる暴将でしかないのがなあ… 何と云うか悪い方だけの意味でのお坊ちゃん気質というか…
@KOUMEI_NO_WANADA
6 күн бұрын
あの地域はほんとにずっと紛争ばかりでした。 戦争を身近に感じる世界で生まれ育った人ですからね。まともな倫理なんてあるだけ邪魔な世界で生きることの過酷さたるや。 これしかないんです、馬超が生きていく道は。そう考えるとほんとに、胸が苦しくなる思いがします。
@shadow0774
7 күн бұрын
真・三国無双シリーズでは美を意識していて音楽や文芸などに秀でている印象だった。
@satra1000
7 күн бұрын
諸葛亮に全権を素早く移譲したという一点で、劉禅が只者でないとわかる。 経験の少ない気のいい坊ちゃんだっただけかも知れないが
@mikkymotto
7 күн бұрын
同じく 西方のオス でワロタw
@user-ly5sk9vk5f
7 күн бұрын
いまthree kingdoms見てて丁度馬超活躍の回を見終えたところです、ドラマ内でも曹操を危うく負かそうとして張飛と一騎打ちで互角に戦ったりして馬超は強いですね
@KOUMEI_NO_WANADA
7 күн бұрын
スリキンの一騎打ちシーンめちゃくちゃ好き
@user-zi5hr1ys8g
8 күн бұрын
潼関の戦いの敗戦より、韋康を殺しちゃって王異を敵にしちゃったことが失敗なのよねぇ
@KOUMEI_NO_WANADA
7 күн бұрын
あそこの戦いの凄惨さたるや
@user-iv5em8lu6h
8 күн бұрын
英雄とは現実世界において持てる力の全てを使い偉業を成す人の事。ヒーローは超能力を持ったスーパーマン。孫策は前者だ。まさに破天荒!前人未到の英雄。最後があれ、とか言われるけど、最後があれ、なほど英雄らしいとも言える。アレキサンダー大王なんてハチに刺されて死んでるからな。
@Ohune248
8 күн бұрын
正史の馬超ムーブがクソすぎてな笑 父ちゃんが曹操の所に居る時に挙兵はアカンやろ笑
@KOUMEI_NO_WANADA
8 күн бұрын
だって曹操が、これだけの人質差し出してなお人質要求やら内紛工作を仕掛けてくるんだもん…🥲
@tomohiro19880307
8 күн бұрын
いつも楽しく拝見しています^ ^ 馬超の活躍が光るこの戦役は、聴いていて、めちゃくちゃワクワクしました!!
@user-is9gx8ij5k
8 күн бұрын
横山三国志では馬超に左腕斬られた時点で韓遂は強制退場させられてたけど……。
@user-oy8ti4tn6b
8 күн бұрын
こうしてみるとだいぶ持ち上げられた感はあるが一時の煌めきはあったとも
@user-mv7zn3yc2c
9 күн бұрын
親の仇の戦いでなく、実は親不孝の戦い。何故捏造したのか意味がわからない。やっぱ玄徳への忖度やな。
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
そりゃ、演義はエンタメ小説なので。ストーリーは分かりやすくて面白くなくちゃ🌞
@user-mv7zn3yc2c
5 күн бұрын
たしかに脚色は仕方ありませんがあまりに間逆なんで(笑)
@KOUMEI_NO_WANADA
5 күн бұрын
それは確かに(笑)
@user-pd5ql5yo6x
9 күн бұрын
動画面白かったです。 『三國志』武帝紀を見ると、馬超たちの軍が到着するたびに曹操は喜んだみたいで、 “關中長遠,若賊各依險阻,征之,不一二年不可定也。今皆來集,其衆雖多,莫相歸服,軍無適主,一舉可滅,為功差易,吾是以喜。” (関中は遠距離にある。もし賊が各自険阻な地に立てこもれば、それを征伐しても一、二年を費さなければ平定できないだろう。今全部が集まってきたのだ。その軍勢は多いけれども、互いに頭を下げることをせず、軍にはふさわしい大将がいないとなると、一挙にうち滅ぼすことができる。仕事がいささかやりやすくなる。わしはそれで喜んだのだ。) と言ったと書いてあり、「曹操の自信満々な態度かっこいいー!」って思いました。その割に結構苦戦してたんですね…
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
敵を前に弱気になったら示しがつかないですしね(笑)
@user-lh8zp4ub2j
9 күн бұрын
馬超「虎侯はどこだ!」 許褚「ここ」
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
牛を引きずり回す怪力将軍
@yasug-nome383
9 күн бұрын
馬超の正史を見れば見る程、何で蜀の五虎将軍になれたのか解らなくなる 目立った戦績がこの潼関の戦い以後、殆どないというのに ただ、後の北伐の際に孔明や姜維が関中方面の反乱を容易に起こしてた事から 馬超は水面下で地道に関中方面の人脈作りをやってたのかも・・・
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
格式って大事
@user-gg3cx3cz7o
8 күн бұрын
領主レベルだったから関羽、張飛と同格にせざるを得なかったというところだろう。 現代風に言えば、買収した会社の社長だから貢献に関係なく役員クラスで処遇せざるを得ない的な。
@user-ld7il6it5w
9 күн бұрын
馬超はともかく演義が馬超の動機を全く逆にしたのは嫌だわ
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
まぁ、ストーリーとして分かりやすいですからね。演義は歴史書じゃなくてエンタメ小説なのでそこは致し方なし
@mocchi2643
9 күн бұрын
予想以上の被害が出たことに加え、「そのまま討伐に乗り出したら再び馬超と韓遂が手を組むかもしれない」と考えて曹操は本隊を一旦引き上げたのかもしれない。
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
一応、河北で反乱が起きて本拠のギョウ城がちょっと危なかったから急いで引き返してるみたいですね。この反乱は曹操本隊が帰還したからなのかはよくわかりませんが、すぐに鎮圧されてます。 だからこの反乱はそれこそ曹仁とかに任せておいて、馬超の討伐に足を伸ばしてもよかったんじゃないかなぁ、という見方もできるという感じですね。
@tk2011
9 күн бұрын
曹操自らが殿やったんですね(戦術的にどうしてやろ?)。 馬超も苦渋の決断・判断の連続やったんでしょうかね。一群雄といえる立場から、その後に臣下の道を選んだり。 賈詡はマジで好き。組織人としての個人的なモデルケース。意図的なわざとらしさに同意。でないと効果を発揮しない。 即断即決タイプは急ぎの案件の際には本当にテンポがいい。しかしこれは各個撃破に向いていて戦略眼や計画性のようなところが弱点。
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
賈クはホントに心理戦やらせたら敵なしですね
@user-oi5dt9tt8d
9 күн бұрын
馬超軍が敗れたのは、賈詡の謀略を看破する謀将がいなかったことも大きな理由の一つだろう。もっとも謀将がいたところで、思慮深いイメージがない馬超が諫言を容れたか甚だ怪しい。結局曹操を唯一討ち取るチャンスを逃した時点で敗れる定めだったのだろう。
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
まさしく千載一遇の好機でしたね
@shou-sho
9 күн бұрын
賈詡がもともと西方の人間だというのが大きいと思います。 つまり馬超軍の弱い部分が全部わかっている。
@user-rw6zx2ej6t
8 күн бұрын
非漢民族である羌族と関わりの深い、涼州特有の文化を理解していたでしょうね… 謀略のイメージが強い賈詡ですが、政務においては非常に儒家的だったのも、涼州という特殊な環境を経験していたから客観的に漢民族を見れたのではないかと思います。
@user-fn8tk1no6l
8 күн бұрын
それはわかりきってるかなあ
@shou-sho
9 күн бұрын
この戦い、一面では烏桓の騎兵が羌の騎兵を打ち破ったともいえますね (しかし曹操が最後尾にいたの、完全に馬超をなめきってましたよね)
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
孫権も渡河のときに殿をつとめて張遼の餌食になってるし、総大将が最後尾で仕事すべきっていう慣例みたいなのがあったんですかね?🤔
@shou-sho
9 күн бұрын
曹操の場合、戦力差は圧倒的なんだから総大将が危険な場所にいる必要なんてないんですね。 最後尾なんて誰かにまかせてとっとと渡ってしまえばよかった。 これまで危険な場所に身を置いても生き残ってきたという過信が生んだ驕りだと思います。 孫権のは本来安全圏にいたのに、徐盛・宋建・陳武と3枚抜かれてメタメタになったんだと思います。
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
なるほど、つまり張遼がやっぱりおかしいと(
@shou-sho
9 күн бұрын
まあそうなんですが(笑) 僕の場合見方が違って、、、 徐盛の部隊が逃げ出したので、宋建の部隊がパニック起こして、陳武が貧乏くじ引かされた、だと思ってます(つまり徐盛が全部悪い
@user-mq5gx3rh6y
3 күн бұрын
恐らく曹操は「一番重要な場所に一番優秀な将軍を置いた」つもりだったんじゃないかなと思います。確か張繡との戦いでも自身が殿を勤めた事があったはず。つまり曹操の主観では奢りどころか合理的な判断だったのでしょう。もちろん弱小群雄時代ならともかく、大勢力のトップとしては完全にアウトですが。曹操・劉備・関羽の晩年の言動を見ると、若いときの行動規範が抜けきれていないと思うことがあります。この3人が挫折して退場していった理由の一つにジェネレーションギャップがあると考えています。
@matukawatositane
9 күн бұрын
馬超が韓遂を説得する時に「某司隷校尉が私に韓遂殿を抹殺するよう言って来ました」と言ったとか 関中諸将から奴はやりかねないって思われてたんやろね…
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
辺境と中央の確執みたいなものがありありと伝わってきますよね
@user-fr8vy2zj1t
9 күн бұрын
馬超らは家族を人質として朝廷に送っていますが、尚曹操は人質を要求し、関中を討伐しようとしたので反乱 入朝し、関中軍閥の指導を離れた父の命惜しさに、関中軍閥全体の生存を脅かすというのは十万もの反乱者が出た当時の関中では難しいでしょうしね
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
全ての業を背負ってしまった男…
@user-mq5gx3rh6y
9 күн бұрын
曹操がその戦術的才覚を発揮できた最後の戦いですね。これ以降は戦役が大規模かつ拠点での攻防で持久戦がメインになり、曹操自身が出向いてもその戦術的能力を発揮できる余地がほとんど無いという。曹操の最後の数年、孫権→劉備→関羽と振り回される姿は見ていて少し悲しい気持ちになります。
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
馬超に勝利しても掃討を途中で諦めたり、漢中郡を得ても益州に攻め込まなかったり、往年の頃と比べれば確かに元気が無い感じがしますよね。
@user-co6pr5hv2b
9 күн бұрын
馬超・韓遂の反乱軍の方が戦場での勢いはあったが、そこは曹操も考えて離間の計で馬超と韓遂の仲を割くという方法で内部崩壊を狙う。 馬超と韓遂の関係性まで知った上での攻撃がまんまと嵌まるが、曹操軍もダメージが大きく追撃できなかったことで馬超は生き残り劉備軍に合流するまでは脅威でもあった。
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
なんかもう、賈クがずっと凄い
@user-co6pr5hv2b
9 күн бұрын
@@KOUMEI_NO_WANADA 賈詡の才覚と先見力は当代随一。 曹操さえも手玉に取っており、馬超・韓遂クラスなら御茶のこさいさいだったか。
@user-kx2bp9dm6k
9 күн бұрын
正史の馬超は騙し討ちや裏切りが多く、その巻き添えで一族の多くが犠牲になっている。劉備の元へ亡命したときも腹心の龐徳も見捨てておりぶっちゃけ呂布以上に節操なし。 劉備からの待遇がよく調子に乗って玄徳呼びしたのにキレた関羽と張飛が馬超を殺そうとした話もあり裴松之は馬超がアレでもそれはないと断言しているが当時の人からしたら馬超ならあれくらいの事をするだろうって認識していた。馬超が悪くいわれないのは先祖の威光と劉備陣営に付いてのが大きく公孫瓚や陶謙のように劉備と仲が良かった人物は善人に描かれがち。
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
でも自分が「馬超」として生を受けた時、はたしてここまで戦えるのかと考えるとすごく胸が苦しくなる… 確かにアレだったとは思うけど、乱世の業を一人で背負ってるような気がしてならないのですよ、僕は😭
@user-gn4iu1np5m
9 күн бұрын
この戦いは蒼天航路 横山三国志共に面白い戦いでしたね 蒼天航路の馬超が一騎で断崖から曹操を追い詰める 西涼軍に押され気味な曹操軍が夢梅老人の助言で氷の城を作るなど 曹操の戦歴では漢中攻防 赤壁 官渡に次ぐ苦しい戦でしたね
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
美しく義憤を貫けぃ!!
@user-ny1sh7mw1r
7 күн бұрын
め…めっかったぁ
@user-rw6zx2ej6t
9 күн бұрын
誰よりも信頼していたが、人柄的には合わなかった感じなんじゃないかと… 遺言に関しては、劉備の人柄的に裏はない気がするんですよね。 魏をほっぽって、夷陵行っちゃう情の人ですから…
@user-xb4qu9ly8h
9 күн бұрын
初めてこのチャンネルを見ました。 詳しい地図が出て三国志動画の中で一番分かりやすかったです。 説明も分かりやすかったです。 チャンネル登録させていただきます。
@KOUMEI_NO_WANADA
9 күн бұрын
ありがとうございます!
@shou-sho
10 күн бұрын
苻堅の理想といっても別にフワフワしたものじゃなくて要は儒教国家なんですね。 苻堅が目指したのは漢武帝と光武帝という儒教を国教にしたとされる2人です。 苻堅の儒教と王猛の法家の両輪というのは、劉備×孔明や曹操×荀彧と同じです。 儒教国家を体現した後漢の光武帝にも厳罰主義の一面がありました。 じゃあなぜ光武帝に可能だったことが苻堅にできなかったのか。そのヒントは三国志にあります。 儒教の影響力が衰えた後漢末期、曹操は法家官僚と文学、そして道教(黄巾賊残党)の力を基に覇者となりました。 新たに誕生した宗教を取り込んだものが次の時代の扉を開けたのです。 苻堅は中国固有の思想である儒教と法家があれば統一できると信じています。 しかし、時代はもう儒教一強を許しません。 西方から伝わった「仏教」がすでに国土のすみずみまで行き渡っています。 石勒も石虎も仏教徒でした。もちろん竜門石窟にみられるように北魏も基本的に仏教国です。蕭梁の武帝は皇帝菩薩と称されました。 中国は次のステージに進んでいたのです。
@nekono_mimikon
10 күн бұрын
陸遜伝には劉備軍が船を捨てて徒歩につくとあり、劉備が水上の警戒を全くしていなかった事が伺えるので、恐らく陸遜は水軍で一気に後方まで進出、退路を断った上で点在する野営地に火を放ち各個撃破して回ったのでしょう。 局地的に数的優位に立てるよう隘路の出口で迎撃した陸遜の戦術眼は堅実で、劉備軍が山と川に挟まれた狭い地形で飢えや疫病と戦いながら細々と野営しているのを後目に、自分たちは広い平地で悠々とした野営地を築き半包囲を維持したのでしょう。
@rytrm.87
10 күн бұрын
本当に魅力的な人ばかり、こんな人達が戦い合う三国志がいかにアツいかよくわかる
@user-uk7vy3cc4d
10 күн бұрын
なおクソ高いプライドから諸葛亮の指示をガン無視して呉との同盟を破棄して単独で樊城攻めした結果呉に荊州を取られたあげく自力で荊州奪還しようとして返り討ちにあってショ刑されたもよう
@KOUMEI_NO_WANADA
10 күн бұрын
横山三国志とかだとそういうイメージが強くなりますよね🥲
@user-rw6zx2ej6t
10 күн бұрын
孔明とは意見の相違はあれ、お互い一定の尊敬はあった気がするんだよな。 楊儀との関係の悪さが、演義で孔明にも当てはめられてしまった感じがする。
@user-eg7yh6qz4v
11 күн бұрын
苻堅がもし統一を成し遂げたとしても、後継者がそのまま上手く統治出来るかはまた別だもんな
@YO-high
11 күн бұрын
ここらあたりの「五胡十六国時代」は本当に面白いですよね。 コーエーに、三国志のシナリオでここあたりを出してほしいくらい。(ただ全員政治力は低めだろうなぁ。) これを統一した隋は流石。まぁ同様に一瞬で滅びるけれど。 符堅は惜しかったなぁ。
@user-kn4pq8ib2c
11 күн бұрын
この後200年隋が南北を再統一するけど。