【ゆっくり解説】 夏王朝 史書に記された最古の王朝 二里頭王朝 【夏】

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鳥人間 中国史三昧

鳥人間 中国史三昧

Күн бұрын

殷よりも古いとされる夏王朝と、それに推定される二里頭文化について語ります。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
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Пікірлер: 254
@satosin2660
@satosin2660 Жыл бұрын
まあ、実際のところ 『殷という名前の王朝が、実際は商という名前であったように、夏という名前の王朝や、禹や啓といった名前の王が実在した可能性は極めて低いが、夏にあたる王朝が存在したのはほぼ間違いない』 というところでしょうね。
@御神誉黎
@御神誉黎 Жыл бұрын
商人という言葉は、もともと商(殷)の人間を示す言葉ですよ。 周に滅ぼされた殷の遺臣たちは中原各地にちりぢりとなった 亡国の民として厳しい身分にあった彼らは、遺臣たちのネットワークを使って交易を行ったのです。 だからそこから物の取引や売り買いで利益をえる人達のことを商人と呼ぶようになったわけであり 殷=商は古くから知られていたと思いますけど
@ヒロねこ-g9y
@ヒロねこ-g9y Жыл бұрын
オープニングすっごい好きです 笑わせてもらいました 夏王朝、まさにロマン溢れるお話ですね 今回も素敵な動画ありがとうございます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ご支援いただき、まことに!まことにありがとうございます!! 歴史ロマンを感じていただけたのなら無上の喜びです!!!
@mitchu2002
@mitchu2002 Жыл бұрын
いつもありがとうございます。 ロマン満載ですね。 「STAP細胞は…ありまぁす」を思い出しましたwあれもロマンでした。
@c-history
@c-history Жыл бұрын
こちらこそいつもご支援いただき、感謝感激でございます……!! 例のロマン細胞も、心の中にはあったのだと思います……
@覇王花-r9u
@覇王花-r9u Жыл бұрын
やはりこのチャンネルの真の支配者は霊夢ちゃんだったか…。
@あいかわさき-k4y
@あいかわさき-k4y Жыл бұрын
最初と最後の魔理沙の壊れっぷりや霊夢の冷静な対処がおもしろくて笑ってしまいました😊
@清水若菜-s5p
@清水若菜-s5p Жыл бұрын
夏王朝についてはやはり文字資料がないんですねー!これから解明されることがまたあるかも知れないと思うとこの動画を見ててあらためてワクワクしました!! 雌の竜が死んでしまって御竜氏が「仕方ないので王に肉を献上した」ドラゴンイーターによる竜もぐもぐ事件にちょっと吹いてしまいましたww どうして仕方なくそこで竜肉料理しちゃうのかワタシにもよくわかりませんがそういう意味不明なところ?も含め古代史は面白いです❤
@宮下弘明
@宮下弘明 Жыл бұрын
とうとう二里頭が夏と同定されたんですかあ…うふふ、神話が歴史になる瞬間、楽しすぎる!!
@武闘派のび太
@武闘派のび太 Жыл бұрын
「せんとくん」が出て来なくて良かった(ファンの人ごめんなさい)。以前このチャンネルで作られた別の夏に関する動画を拝見したが、今回この動画を拝見し、二里頭遺跡は夏のものかもしれないとの思いが深まった。それにしても、青銅器がかくも広範囲で発掘されたとは。夏の国家としての版図はともかく、文化的影響の大きさは驚きだ。
@shuhsak
@shuhsak Жыл бұрын
文字が無かった時代はどうしても遺跡の発掘に頼わざるを得ない 歴史学じゃなく考古学の時代
@madaisama9354
@madaisama9354 Жыл бұрын
夏王朝の解説ありがとうございます。ずっと知りたかったので大変参考になりました。
@zzzklt
@zzzklt Жыл бұрын
まさか諸説紛々した夏王朝の動画をリメイクしてくれるとは思いませんでした。 これは数年後の夏王朝動画の第三弾にも期待ですね!
@山田稜-x5v
@山田稜-x5v Жыл бұрын
NHKの番組で言及しているものがありましたが、鳥人間さんのおかげで内容をようやく理解することができました! ありがとうございました!
@ベテルギウスタウ
@ベテルギウスタウ Жыл бұрын
NHK(民放含めてだけど)はもう劣化しまくりです。 どう見てもあちら政府に協力してもらった番組しか放送してませんね。 「芙蓉鎮」「悲情城市」とか名作放送出来ていたころが懐かしいです。
@金魚ちゃん-x1c
@金魚ちゃん-x1c Жыл бұрын
@@ベテルギウスタウ 昔から共産圏(中ソ)の事絡めた番組ってわりとそういうトコありますよね 現地の人が不自然にいい服(祭りの時の衣装?)着て畑仕事してたり 日本呼んだら通訳の人が不自然に多かったり(共産党の監視人だったらしい笑)
@ベテルギウスタウ
@ベテルギウスタウ Жыл бұрын
「ラストエンペラー」なんてあの時期でしか作れなかったね。 「大閲兵」「古井戸」せいぜい`90年代はじめ頃、胡耀邦 時代までで終わり、 「ナタクの大冒険」放送してくれないかな~。   あとは日本は三国志が巨乳美少女に転生してウヒョヒョって「一騎当千」とかさすがに悪乗りで怒られて。
@shinemighty
@shinemighty Жыл бұрын
李元昊「夏王朝はありまあす
@sonchuzan
@sonchuzan Жыл бұрын
敦煌はありました
@TSUDATOSIYKI
@TSUDATOSIYKI Жыл бұрын
西夏「そうだな」
@scipio99
@scipio99 Жыл бұрын
小保方さんが居るやん。
@ガキの頃からホモりまくった321
@ガキの頃からホモりまくった321 2 ай бұрын
妖精たちが夏を刺激する 生足魅惑のマーメイド
@takahiroseto4028
@takahiroseto4028 Жыл бұрын
夏王朝とかロマンの塊ですね! ビール飲みながら古代に思いを耽るのは至高ですね。
@NATUAM
@NATUAM Жыл бұрын
夏王朝もロマンありますが、古代エジプトもロマンの塊だと思います 有名なクフ王のピラミッドが造られたのはこの夏王朝から更に数百年前なので
@金魚ちゃん-x1c
@金魚ちゃん-x1c Жыл бұрын
日曜の朝まで鳥人間の古代動画とそのコメント見ながら酒飲んであーだこーだ考えるのが一番幸せ
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ご支援いただき、まことにありがとうございます! 最高最高&最高の過ごし方ですね~!!
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
@user-Gifu_no_Zoukinya_san Жыл бұрын
陳舜臣のコラムで読みましたが、「夏」という文字は「建物の前で衣を着て舞う人」を意味する文字で、文明を表す語だったそうですね。 文明の意味が先で、summerの意味が加えられたのは、後になってから、らしいです。 夏王朝では祭祀が行われていたと言うことなので、そこには「夏」があったし、だからこそ後に夏王朝と名付けられたのでしょうね。
@kappanouen
@kappanouen Жыл бұрын
象形文字の成り立ちとしては「大面をつけて舞う人(夏の上部分が面を付けた顔、下部分が胴体。『夏+金文』で検索すると「ああ、なるほど」ってなります笑)」だそうですね ご指摘の様ここからまず『夏』は『舞』の固有名詞として成立し(禹が『大夏の舞』を作った伝説があるそうで、大夏は後に論語なんかでも出てくる『八佾の舞(天子の舞)』とされたそうです) そこから「舞を踊るのは祭りの時。祭りやる季節を『夏』と呼ぼう」で今日の『夏』の意が付け加えられました(※) ここから更に転じて「(季節の)盛り」更に転じて「盛ん、勢力がある、偉大」の意が加えられたそうです また単に『カ』という発音に注目すれば 『夏』は『嘏』にも通じ(るらしい)、その意味では後の人が単に『嘏』つまり「はるか昔」と呼んでいただけなのかもしれません   ※異説として「暑いから人が手足を伸ばしてる様」という象形文字の解釈で暑い季節で『夏』 また、「太陽(象形文字の『夏』の一番上の部分を『日』とする)を見る人」つまり何らかの祭祀、暦を司っていた人の意(そこから季節としての『夏』や祭祀担当者としての『部族の長(偉大な人)』という意味も読み取れるのかな?) などもあるそうですが(ご指摘の陳舜臣氏の解釈は上記「大面をつけて舞を舞う人」と「太陽を観察する人」を足した解釈なのかなと感じました🙃
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
@user-Gifu_no_Zoukinya_san Жыл бұрын
@@kappanouen さん ありがとうございます。 とても勉強になりました。 陳舜臣さんのコラムもうろ覚えだったので、もしかしたらちょっとニュアンスが違ったかもしれません。「へぇ、summerじゃないんだ」って驚いたのがメインだったので。
@yshivu3
@yshivu3 Жыл бұрын
文明・文化の成り立ちと文字・言語が対応しているというのが将に文明の発祥国といった有り様で面白いですね。
@Dust_of_Mount_Taishan
@Dust_of_Mount_Taishan Жыл бұрын
どんどん鳥人間さんが脚本スキルを身につけているのが喜ばしい…なるほど、これが厄介オタクの心境か。
@ゆっくり恐怖レストラン
@ゆっくり恐怖レストラン Жыл бұрын
夏王朝の青銅器文化は傑出していたが、建築技術は他の文明と比べて大幅に遅れていたらしい 当時の宮殿の想像図を見ると、藁ぶき屋根のついた木造建築で二階建ての家はなかったそう
@パオパオ-r2q
@パオパオ-r2q Жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
いつもご支援いただき、まことありがとうございます……!! ご厚意、感謝感激雨霰にございます……!!!
@山田太郎-z3v5d
@山田太郎-z3v5d Жыл бұрын
歴史動画も面白いけど、このチャンネルの考古学の動画はとても整理されていてグッド。文字のない時代だけどモノが見つかっていて、ときには文字以上に雄弁に当時の営みを想像させる考古学はたいへん面白い。中国ではあたかもメソポタミアとエジプトのように、同時期に別の地域で異なる発展を遂げた文化があり、それがのちの歴史にどうつながるのかなど興味はつきない。 ということで夏以前の動画もやってほしいです。
@Kuromasa-ChineseHistory
@Kuromasa-ChineseHistory Жыл бұрын
夏王朝特集だと?!見る前からgoodボタンを押しちゃったじゃないか!!
@souitirouful
@souitirouful Жыл бұрын
これまたロマンある話ですね。 鯀や禹が実在したかはともかく、治水に生涯をかけた無名の人々が沢山いた、 そんな気がいたします。
@月令
@月令 Жыл бұрын
夏王朝が中国最古の王朝だとされるっていうのも正史である史記ではって事なんですよね 韓非子や春秋左氏伝や礼記とか紀元前の色んな書物では夏より更に前に虞やら唐やらあったとされてたようですし、 司馬遷が他の王朝は伝説として記録せず夏王朝まではギリ歴史として扱って良いって判断したのには何らかの根拠はありそうな気がしますが
@shoimamu8217
@shoimamu8217 Жыл бұрын
文字がなかったのに夏王朝についてここまで知れるのはすごい
@石塚大吾-s2g
@石塚大吾-s2g Жыл бұрын
これらは文献の資料からの情報?
@御神誉黎
@御神誉黎 Жыл бұрын
夏王朝に関しては司馬遷の「史記」にも書かれている 夏王朝以前は三帝五皇の時代だが、その時代はさすがに神話ではないかと司馬遷も考えていたようだけど いずれにしても司馬遷の時代には、夏王朝に関する伝承や文献上の資料が残されていたのだろう そうは言っても、それで即、夏王朝の存在が確定できるわけではない 二里頭遺跡が年代的には夏王朝と一致するが、しかし夏王朝そのものではなく 夏王朝はあくまで伝説上の王朝であり、二里頭遺跡はそのモデルになった王朝の一つに過ぎないって事もありえるしね だから、いまのところ、夏王朝が実在したかどうかは未定としか言いようがない 殷王朝のように甲骨文字から史記に記載された殷王朝の歴代王の名前が次々と出てきた。そんな決定的な証拠はなかなか発見されないしね。。
@NATUAM
@NATUAM Жыл бұрын
そんな夏王朝成立より数百年前も前に造られたピラミッド しかも、ピラミッド内部には当時の労働者の落書きも残されている
@御神誉黎
@御神誉黎 Жыл бұрын
@@NATUAM ピラミッドは3600年ほど前から建造が始まったってね 夏王朝は史記の記述を信じるなら紀元前2070年頃 から 紀元前1600年頃だから エジプトは中王朝時代か 確かにピラミッド建造の方が夏王朝より古いけど 黄河で文明が生じたのは紀元前7000年ごろにはあったそうだし 司馬遷の時代にはそうした伝承が失われていただけで、夏王朝どころか三皇五帝の時代より古くから黄河には文明があったようだ 長江流域の文明はさらに古くからあった。 色々と考えますよ
@NATUAM
@NATUAM Жыл бұрын
@@御神誉黎 ピラミッドの建造が始まったのは約4600年前だから古王国時代。 中王国時代や新王国時代初期にもピラミッドは造られていたけど、ギザの大ピラミッド並の巨大ピラミッドは建造されていない。 エジプトもナカダ文化とかまで遡れば6400年前になる。
@aaaaaaaaa3606
@aaaaaaaaa3606 Жыл бұрын
日本で言えば5世紀頃まではわずかに文字資料があり、天皇で言えば雄略天皇までは考古学的に存在が裏付けられているものの、それ以前のことは史書にしか残っておらずどこまでが事実なのかを確定するための証拠がない(というか雄略天皇以降でも個別の事績や事件レベルの裏付けは困難な時代が続く)ということと同じですね。3~4世紀にも古墳はあり、大規模な王朝勢力があったのは間違いないが、だからといって神武天皇や武内宿禰やヤマトタケルが実在して事績も記紀の通りとなるかといえば話は別。 二里頭文化の遺跡から史書における夏王朝の何かを裏付ける史料が出てくる可能性はあるかもしれませんが、証拠が揃わない箇所は伝説の領域であって不明であり、分離して論じるとするほうが誠実な歴史学というように感じます。実際、殷周時代でも史書と出土資料の食い違いはかなりありましたし、そこから更に遡るとなると……。夏殷の革命と殷周の革命には物語的な一致点が多すぎるのも作為的な印象を受けますし。
@くぃう-t8i
@くぃう-t8i Жыл бұрын
ちなみに雄略天皇の時代にすでに天皇という称号になったでしょうか🙇🏿‍♂️
@東雲四月一日
@東雲四月一日 Жыл бұрын
@@くぃう-t8i 天皇という呼称は天武天皇期からでそれ以前は「大王(おおきみ)」あるいは単に「王」ですね。天武以前の天皇は追諡号です。雄略天皇もワカタケル大王として考古学上の記録(鉄剣の銘文など)に出てきます。三国志の曹操が後から武帝って呼ばれているようなものです。 殷でも考古学上確認できるのは武丁まででそれ以前は不明なのですが、途中までは確認できたのでそれ以前もまあいたんだろうっていうことになっています。神話と史実の曖昧な領域という感じです。 夏は完全に神話の領域なので王権の存在は証明できてもそれが=夏とは言えないわけでやはり文字として記録がないと夏王朝としての存在証明には足らないかと・・・ エジプト王朝の王名がかなり古い年代までわかっているのも記録と考古学史料が一致できたから、でもあります(一致しない場合もありましたが)
@クマのプー太郎-f4z
@クマのプー太郎-f4z Жыл бұрын
夏王朝は実在した様ですね。しかし、文字が無かったので伝承だけな事ですね。其れでも伝承である程度伝えられて居るのが凄いですね。
@m袖
@m袖 Жыл бұрын
Thanks!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます!! ご厚意、感謝いたします……!!
@user-yakisoban
@user-yakisoban Жыл бұрын
文化の伝播や人の往来は現代の想像をはるかに超えるモノで出雲の埴輪は香港マカオ付近の古代文明からも出ている
@noakaon
@noakaon Жыл бұрын
時の彼方のロマンを 今宵マロングラッセいただきながら 楽しませていただきます🌰 最高夏?でした❣️
@自称皇帝
@自称皇帝 Жыл бұрын
殷王朝以前に中原には王朝があった。もしかしたら殷以前の王朝の総括が夏王朝だったりして
@ボタスキー-r2h
@ボタスキー-r2h Жыл бұрын
例えていうと 大阪で弥生時代の巨大遺跡があるからと言って無条件で「邪馬台国は近畿にある!」と言うことへの抵抗感でしょうかね 他の国の可能性もありますから
@shou-sho
@shou-sho Жыл бұрын
もはや夏王朝はあったか否かというのは、日本で例えると「仁徳天皇陵」と呼ぶか「大仙古墳」と呼ぶかみたいなものですね。王朝があったのは確実となったので、史書に準じて「夏王朝」と呼ぶか考古学見地から「二里頭王朝」と呼ぶかの問題。 僕は「二里頭王朝」と呼ぶべきと思うけど、「夏王朝」の方がロマンティックなのは確か。
@御神誉黎
@御神誉黎 Жыл бұрын
殷王朝以前に黄河文明に王朝が存在したのは事実だ だから私は殷以前の黄河文明の国や歴史を便宜上、夏王朝と呼ぶが 史記に記録される夏王朝そのものが存在したかどうかと言われたら、疑問だな 二里頭遺跡は、せいぜい夏王朝のモデルとなった王朝の遺跡くらいにしか思えない
@ずるん-z4r
@ずるん-z4r Жыл бұрын
逆に何が見つかれば二里頭=夏になるんだろう 文字はいくら探してもなさそうだよなぁ
@servantofJ
@servantofJ Жыл бұрын
ドキドキ文芸部的オープニングw すべて霊夢が支配していたのか…
@茶聖
@茶聖 Жыл бұрын
古代王朝の惜しいところは文献ではなく遺跡でしか存在を証明することができないところですな… 夏王朝是非とも見つかって欲しいです。
@御神誉黎
@御神誉黎 Жыл бұрын
遺跡があっても、文献上の資料がないとそれを証明する事は難しいよ 古事記・日本書紀の記載にしても、遺跡が幾ら発見されようと 邪馬台国の場所が特定できるわけではないでしょ。 邪馬台国に記された魏志倭人伝の記録が余りにもすくなく はっきりと特定できるだけのものではないからだ。 殷王朝以前に大規模な王権が存在したのは、遺跡が発見されたことで確実になっているが それが史記に記された夏王朝であるかどうかは、それを証明できるだけの文献上の記録が発見されない限り無理だ。 殷王朝の場合は、甲骨文字が発見され。そこから殷の歴代の王の名前など、明らかに史記で記された殷王朝の記録を裏付ける根拠が発見されたから この遺跡が殷の遺跡だとはっきり証明されたのだが、二里頭遺跡が夏王朝とするにはその記録が無い以上は難しい
@kamikazebear6968
@kamikazebear6968 Жыл бұрын
諸説あるんだろうけど王城嵩はまるで伝説が裏付けられたようでめっちゃワクワクしますな
@劉文叔-c4s
@劉文叔-c4s Жыл бұрын
結局「夏王朝」に言及する二里頭or殷の各遺跡からの文字資料が見つからない限り、夏王朝の実在性は永遠に不明なままな気がする
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 3 ай бұрын
遺跡を捏造してでも夏王朝の存在を主張してそうなイメージがありますが・・・・・
@ああ-o7l2y
@ああ-o7l2y 2 ай бұрын
きっしょいイメージやな
@クロシロ-x8n
@クロシロ-x8n Жыл бұрын
夏王朝はありまぁす!(期待)
@七曜幻想大膳寮
@七曜幻想大膳寮 Жыл бұрын
自分は夏王朝は有ったものとして漫画を描いています。
@satoshitanaka7655
@satoshitanaka7655 Жыл бұрын
殷王朝存在は既に確定ですので、確実にその前の王朝はあるはずです。それが夏王朝なんですね。 その当時は夏王朝規模と同等の王朝のような集合体は他にもあったと思います。 掘れば何か出てくる中国はさすがに歴史が古いですね。
@藤田大翔
@藤田大翔 2 ай бұрын
奈良に来てみて!家建てようとしても建てられないどころか余計にお金を取られるから!
@ヨーク公リチャードプランタジネット
@ヨーク公リチャードプランタジネット Жыл бұрын
まさか丹薬がぶ飲みしなくても錯乱できるとは… 魔理沙の夏王朝錯乱耐久シリーズ期待しております
@もっこす次郎-j9i
@もっこす次郎-j9i Жыл бұрын
今、諸子百家の文庫本を読んでおります。その中で夏王朝よりも前の神話の時代の堯や舜の話や夏王朝の禹の話などの伝承もあり、春秋戦国時代に、諸子百家が、どのような価値観や歴史的(存在の有無に関わらず)バックグランドがあるのかを知る意味で良い機会になりました。 ありがとうございます🙏
@邦明鈴木
@邦明鈴木 Жыл бұрын
今回の動画も作り込まれており、大変参考になった。 自分もBSで二里頭王朝が夏王朝ではないかということまでは知ってはいたが、その前に遡れる城郭遺跡の発見がなされていたことは初めて知った。 紀元前2000年頃と言うと気候変動が激しく、エジプトやメソポタミアでは乾燥化により、かなりの影響を受けた。 逆に東アジアでは多雨による洪水被害などが増えたとされ、喇家遺跡のように中国のポンペイと呼ばれるような惨状も見られ、二里頭地域以外の文化が衰退していくことになった。 二里頭が存続できた理由は、殷の動画で述べられていたが、多種の作物を収穫できるという環境があったこと。 また、今回、投稿主が挙げたように王朝としての機能を持つことができたからと考える。 特に、玉璋の広がりが全土にわたっていることは、実効支配域は小さかったものの他地域に先んじた体制と文化により優位に立っていた結果だと思料する。 二里頭王朝は、土地という側面から見れば中国大陸の一部のみを支配していたとなるが、文化という側面から見れば全土を支配していたと言えるだろう。
@やきなす-w7l
@やきなす-w7l Жыл бұрын
文献が豊富な後の時代の王朝を、 史料間の整合性を考察していく中国史もいいけど、 文字史料が少なくて伝説的な記述が多い夏王朝を、考古学の成果物から推定していくのもロマンありますよね。 面白かったです♪
@御神誉黎
@御神誉黎 9 ай бұрын
文献上の資料を中心に歴史を読み解くのは歴史学であり、文献上の資料がない時代の歴史は考古学の分野ですよ
@WSemba
@WSemba Жыл бұрын
10:22 俺も酒池肉林って夏王朝の話だったのか?って思いましたぜ
@YY-lw7fu
@YY-lw7fu Жыл бұрын
子供の頃に夏王朝に触れた本を読んで夏王朝は歴史じゃなくファンタジー物なの?ってなってました! 鳥人間さんの解説で、、やっぱり7~8割くらいはファンタ、、 僕も夏王朝はあったと思いたいです!!
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
夏王室は姒姓とされてますが、その子孫のY-DNAを調べると、O1aで南方系になってしまいます。
@まやらあかさ-x9u
@まやらあかさ-x9u Жыл бұрын
古田武彦さんの論で、出土した穆太子伝という竹簡から伝説とされていた西王母が実在した可能性があり、東王父もかつてはフィクションではなかったのでは?という興味深い話がありました。古田先生は晩年に古史古伝の迷路に入った感はありますが、親鸞や邪馬台国の考察では優れた業績があり、忘れられるのは余りに惜しいものがあります。
@kappanouen
@kappanouen Жыл бұрын
夏初代禹王「後世必ずこれ(酒)で国を滅ぼす者が出るだろう…😑」 夏末代桀王「わっはっは!酒で作った池に船を浮かべよ!皆も飲め飲め!🍶😆🍶」 夏初代禹王「って、酒で国滅ぼす第一号はワシの子孫かーい!🙃
@essauouo5251
@essauouo5251 Жыл бұрын
肉山脯林(生肉の山・干し肉の林)には酒池肉林と違って酒がでてこない訳で、名前だけだと大食い大会なのにねえ(´・ω・`)
@小森恭子-h4b
@小森恭子-h4b Жыл бұрын
治水を制した夏王朝の遺跡で、王の棺には、三本足の烏の刺繍があったとか。 鯉の滝登りは、治水の技術で、難攻不落の城作りでここを攻めとる事ができたら、龍、すなわち王になれるとの故事だと、古代史に詳しい名物和尚さんが、竹取物語の博物館長と話してる、面白くて勉強になる動画ありました。 こういう大陸古代史大好きです❗ 楽しみです❗
@babatakada1391
@babatakada1391 Жыл бұрын
投稿おつかれさまです。 帝王・禹の「生は仮宿 死は故郷」は名言であると思う。 当時の死生観の一つに、このような概念が存ずる可能性があったことは興味深い。
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f Жыл бұрын
物凄く面白かった。ドクター鳥🦉トル人間氏の古代史解説はまた格別な味わい。今の中国での考古学的成果なんてとても追いきれないので紹介して貰えると助かリンゴ。青銅器良いな。結構実物も見てるんだけど数千年前にあれがあったというだけで何度も驚くな。 古代
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん Жыл бұрын
そこに人が住んでいた限り、何らかの集落がある限り、そこには歴史が眠っている。 そうであるから、名称はともかく「所謂夏王朝」はあっても当然だろう。 日本で「神武天皇」や「欠史五代」の実在を論じるのと同じだと思う。 中国の「王朝」をどこまで遡れるか楽しみだ。
@seattleslew2332
@seattleslew2332 Жыл бұрын
既にここまでわかっているんですね ここまで来たら決定的な発見は時間の問題という気がします
@坂東相模
@坂東相模 Жыл бұрын
夏は史書とは違う意味で存在してたと思います。殷の中期まで文字が無かったと仮定して、それまで口伝で伝わったとすればもうその時点で百年以上経過してるわけで名前すら後付けで名づけられてる可能性もあって「夏」という文字そのものは当時の実情を反映したものでは無いと思います。 結論:鳥人間最高!
@御神誉黎
@御神誉黎 Жыл бұрын
殷の王権は黄河流域の上流域から中流域程度までしか影響下に置いてなかった。 その前の夏王朝に至っては、実在したとしても黄河流域の極めて限られた地域しか支配下に置いてなかったでしょう。 現在に至るまで中国史で語られる中原の支配権を得たのは、やはり秦の始皇帝が最初であり これで果たして殷や夏が中華の初の統一王朝と言えるだろうかって議論はありますよ
@torotsuki
@torotsuki 9 ай бұрын
@@御神誉黎「史書と違う形で」存在したかもって話でしょ。少しは文脈を追いなよ…
@公束
@公束 Жыл бұрын
夏王朝の伝承が成立したのが春秋の頃だとすると、少なくともその頃にはまだ二里頭周辺の地域に殷より古い時代の居住地の遺跡がある事が人々に知られていたのかもしれない。 そこから掘り出された物を調査する中で徐々に伝説が形作られていったとか。 黄河流域は洪水の多発地帯で治水が歴代王朝の重要課題だったあたりは遺跡が埋まったり逆に露出したりする為の条件は揃ってる
@伊東助清
@伊東助清 Жыл бұрын
湯王と伊尹がいるならあるって思ってます、元は家臣で放伐して成立しているからと考えてます。
@shu59782shu
@shu59782shu Жыл бұрын
伝説の話ですが殷から戦国にかけて杞という国があってその君主が姒姓で夏の末裔と伝えられてますよね。周が殷を滅ぼした後に殷の末裔を宋の国として存続させたように。まあでも文字がない時代だけに夏と呼べるのかが難しいとこですね。昔は華夏族と呼んでたらしいのでそれと何かしら関係があるのかな?
@ざっぱごう
@ざっぱごう Жыл бұрын
この流れでKの墓の図は、笑わざるを得ない「向上心のない天子はバカ」だとでも言われて、啓もショックを受けたりしたのだろうか。あと、「竜もぐもぐ」事件みたいな、特に寓意も教訓も感じられない伝説大好き
@tateito1589
@tateito1589 Жыл бұрын
二里頭文化が夏王朝かというのは定義の問題が大きい気もする 要は史書の文章が、誰かの作り話だったのが偶然実際の文明に合致したのか、口伝やら逸書やらで伝えられてきた二里頭文化の情報がかろうじて書き留められたのか、どっちなんだという話なんだけどこれは結局何か証明できるというものが出るとも思えない わからないと答えるのが正解、と思っていたけど、最近の発掘状況を見るとあるいは?とも思えてくる
@ntatanohu1214
@ntatanohu1214 Жыл бұрын
「ありとあらゆる角度」から「様々な結論」を導き、ロマンに浸りながら、驚愕したり、戦慄を覚えたり、感動したり、人生の教材にしたりするのが、中国史の楽しみ方。夏王朝が無かったり存在したり、これからも堂々とブレブレで楽しい動画を頼みます。でも、身体が第一。無理しないでね。
@西川旭-j2y
@西川旭-j2y Жыл бұрын
洪水の話、ナショジオでもやってたね。
@かずと-p6n
@かずと-p6n Ай бұрын
めゃんこ楽しい中国の古代史大好きです♥️
@takashi-aoki
@takashi-aoki Жыл бұрын
5:12 中原に住んでたのでヨウスコウアリゲーター(チョウコウワニ)を知らなかったので、泥で汚れてた鰐を龍と間違えた。
@2001banekuro
@2001banekuro Жыл бұрын
史書にある夏王朝のエピソードは、一応記録がある殷のリピートみたいなものなので、創作の可能性が高いですな。 その辺は「古事記」「日本書紀」の記述の仕方と似ていますな(千年以上遅れていますが…)。 民俗学的な読み方をすれば、やはり治水に関わる要素がふんだんにあるので、それが文明成立の前提条件なのが他の古代文明とも共通していますね。 殷の誕生が唐突過ぎますので、先行文明があったのは確実でしょうが、それが王朝として分割出来る性質のものだったのか、案外シームレスに繋がっていたかもしれません。 今後の考古学的成果に期待したいのですが、最近の中国は海外の研究者が入りにくい状態なので、客観的な評価が担保されているのか心配です。 現政権の体質だと、学問的事実をねじ曲げかねない危惧が拭えません。 中国史では権力者が歴史を改変してしまった事例が幾らでもありますし、我が国も皇紀を千年も盛ってしまった前科持ちです。
@濱本貴寛
@濱本貴寛 Жыл бұрын
夏王朝始祖の禹、その子である啓は元々「開」という名でしたが、後漢の河間孝王劉開の諱を避け「啓」となりました。 で「啓」には開くという意味があり、彼の出生時に石が割れて産まれてきた伝説が有ります。 あと因みに劉開は、桓帝劉志の祖父にあたります。
@劉文叔-c4s
@劉文叔-c4s Жыл бұрын
啓は前漢の景帝の諱でもあるが、避けなくてよかったのだろうか...?
@ななしのよっすん
@ななしのよっすん Жыл бұрын
そんな夏王朝は無いはず…ウッアタマガ まだまだ謎が多いですが神話と人間の歴史の間という感じでドキドキします
@ななしのよっすん
@ななしのよっすん Жыл бұрын
あと桀王の紹介もあって嬉しいです 桀王と彼の顛末は何となく殷の紂王のプロトタイプといった雰囲気がありますね
@ikojiku
@ikojiku Жыл бұрын
古代文明という礎がなければ、ほとんどの新技術を生み出すこともできなかった歴代の「現代人」 そう考えると、無から有を生み出した発明者って天才すぎるぜ
@二世桜苑書と篆刻の盤松
@二世桜苑書と篆刻の盤松 Жыл бұрын
殷以前の王朝は確かにあった。だが夏王朝はなかった。殷以前の王朝≠夏王朝。ここが重要なんですよね。中国では政治的な意味や「中華」のプライドもあって、何としても夏王朝にしたいけど。 仮に私が「私の曾祖父は目からビームを出し、空を飛び、口が10個あった」と伝えられていると言ってもそれは正しくないけど、曾祖父が存在しなかったかといえば曾祖父は確かにいた。 夏王朝は春秋戦国~漢までの人がこうあってほしいと願った歴史が産み出した王朝なので、二里頭遺跡≠夏王朝遺跡ですね。
@shaphere939
@shaphere939 Жыл бұрын
自然な導入
@イトウマサミ-m5v
@イトウマサミ-m5v Жыл бұрын
まだまだこれから判明しそうな事実が出てきそうでワクワクする。
@kolhozsmoviestudio
@kolhozsmoviestudio Жыл бұрын
不可知論とか一部可知論とかまである。夏があったかどうかは調べる術がないが前者で、状況次第ではありうるが後者。実際のところ、夏代に相当する時期の小邑規模の都市はいくつもある。まあ夏はあっても不思議はないし、伝承からすれば黄河沿いだよねとは思いますね。
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f Жыл бұрын
いったい、今まで何人の魔理沙が リセットされて来たのか恐ろしくて夜も朝も昼も眠り続けてしまいます。
@nassakamu518
@nassakamu518 Жыл бұрын
20年後の中国史が楽しみですな。
@croixchjn21
@croixchjn21 Жыл бұрын
これらの話を聞き、ふと三星堆文化(長江流域)を思い出したのは、果たして私だけだろうか。
@望月人間-p7n
@望月人間-p7n Жыл бұрын
竜山文化とかいっぱいあるけどほかの文化ってどんなのなんだろう。 文化ごとに民族が違うのかなあ。二里頭とか夏も今の中国の漢民族と全然違う人たちなんだろうか。 4000年前は文字はないけど言葉自体はあったのかなぁ。どんな生活してたのか想像できないな。
@たかしさが
@たかしさが Жыл бұрын
いつも開幕で腹筋がつるんですよw
@東郷十三-s5x
@東郷十三-s5x Жыл бұрын
肉山脯林初めて聞きました。酒池肉林の語源か解りませんが、歴史に残ると言うことは、少なからず事実の部分もあるのですね
@panda688
@panda688 Жыл бұрын
初期のバグは鳥ンキング鳥人間の良心の呵責であると理解しております。
@---nt5tf
@---nt5tf Жыл бұрын
夢ありますな。
@tomihikogotoh9375
@tomihikogotoh9375 Жыл бұрын
殷王朝(商王朝)の前に存在した文明都市という意味での夏王朝なら、二里頭遺跡(王朝)が夏(?)だったとしてもおかしくないかと。 殷が巨大な文明圏を築いたから、夏も立派な文明都市だと思っちゃうんだろうなぁ(笑)
@豊臣亨
@豊臣亨 Жыл бұрын
きっと王に竜の肉を食わせてメスの竜にしようと思ったんだな(イミフ)。
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Жыл бұрын
「夏王朝」のモデルになった文明集団や人物・文化があったのは確実。日本の「神武天皇」や本当に日本にあったかは不明だが、「邪馬台国」のモデルになった人物やエピソードがあったのと同じでしょう。当時の人達が残した直接の記録が無いので、当人達が自分たちを何と称していたのかは、タイムマシンでも発明されない限り永遠の謎ですね。
@uponacat
@uponacat Жыл бұрын
0:17 あっ 夏王朝という王朝が あっ 最も古く あっあっ 伝説的なあっ
@capsule8949
@capsule8949 Жыл бұрын
晏えいを待ってます。
@締太郎
@締太郎 Жыл бұрын
次は虞王朝解説ですね
@黒円卓
@黒円卓 Жыл бұрын
周人は確かにある先史王朝の存在を知っていましたが、その記述の多くは何百年もの伝説の中で歪曲されているかもしれません。 なにしろ、文字すらなかった時期もありました。 夏という名前自体も、周人が勝手につけた解釈なのかもしれません。
@O-mega51
@O-mega51 Жыл бұрын
二里頭文化=夏なら 龍山文化は堯舜の時代。うーん、空想が広がるなァ〜… いつか龍山文化もやって欲しいです😊
@yuka-youtube
@yuka-youtube Жыл бұрын
これが実在するという真実の現実的なあの夏夏夏夏
@harigane4773
@harigane4773 Жыл бұрын
禹の伝説、こういう人物像が聖王とされたことは、いわゆる仕事人間が美徳とされた文化、思想の根強さを感じる。 現代の先進国でこういう人物を目指しましょう!と公言したら大概の地域で叩かれるかな。ここ十、二十年でとてつもなくパラダイムシフトが起きたんだなあ。
@1どらごん
@1どらごん Жыл бұрын
あれだけの大国・殷がいきなりできると思えず、元となる国はあったろうな。 二里頭遺跡は2万人以上いたと思われ、夏かどうかは不明だが新石器時代の洛陽に国家があったことは確実だろう。
@youyah7440
@youyah7440 Жыл бұрын
夏王朝があるかは不明だけど夏王朝があった時代に後世夏王朝と呼ばれる王朝があったこと自体は確実なんだよね ただその夏王朝時代にあったとされる事象は春秋戦国時代に創られた儒教的エピソードだけど
@土屋真一-r1p
@土屋真一-r1p Жыл бұрын
あくまで史書にのみ記された夏王朝。 二里頭遺跡がその王都かもしれないというが果たして・・・
@ケンケン-b3r
@ケンケン-b3r Жыл бұрын
夏王朝と二里頭をイコールにしない方が良いでしょうね〜。 殷でさえ、史書的にはどこまで実証可能な話なのか判らないし、文字記録がない以上、別物と考えるべきなのでしょう。 一致すれば面白いのは確かですが。 しかし、一致しない前提であれば、古代中国の多様性を認められる訳で、そちらの方が逆に夢があるかもしれません✨
@kappanouen
@kappanouen Жыл бұрын
個人的にそういうお話で興味があるのは では三国志に記述はあるけど当地で考古学的にも文字記録的にも未だ根拠が示されていない卑弥呼なんかも学術的には夏王朝と同じ扱いということなのかということなんですよね🙃💦
@ケンケン-b3r
@ケンケン-b3r Жыл бұрын
@@kappanouen 確かに。それが一致すれば幸いですが、別で考えるべきだと思います。
@拓也高瀬
@拓也高瀬 Жыл бұрын
夏王朝の解説有り難うございますヾ(*>∇<*)ノ
@user-yakisoban
@user-yakisoban Жыл бұрын
史書を信じるか信じないかはあなた次第です
@恵口百山
@恵口百山 Жыл бұрын
十六国時代と五代十国時代を、国別にずらりとやってやってください。 内紛と凶王列伝は、エキサイティングでした。
@tsunechi6463
@tsunechi6463 Жыл бұрын
竜山文化や禹の父親の根城が証明できるのならば、夏王朝以前の三皇五帝の時代まで遡れそう。😊
@hiro-c0624
@hiro-c0624 Жыл бұрын
こう見ると、晏弱に滅ぼされた莱夷って凄い長い期間成立していた部族(王朝?)であった訳ですよね。これはこれで興味がある。本当にネタが尽きないですね(まー、調べるのに気が遠くなる手間がありそうですけど)。
@hidekinishikawa6884
@hidekinishikawa6884 Жыл бұрын
夏王朝はありましたよ この間、見ました
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