大公開!憧れのTVサービスマンの鞄の中は何が入っていたのか?

  Рет қаралды 24,202

宮甚商店

宮甚商店

Күн бұрын

Пікірлер: 421
@kenjimiyauchi9844
@kenjimiyauchi9844 Жыл бұрын
サービスマンがテレビの後ろから映像を見ながら修理するために必要なアイテムです
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
はい、かなりの多くのプロのサービスマンからコメントいただきました。
@diyykaz7189
@diyykaz7189 Жыл бұрын
いつも楽しく拝見しています。63年前頃都心で19歳でテレビサービス専門のサービスマンでした。当時は14インチ10万以上していました。チャンネルも5曲しかなくて、しかも、昼間は放映しない局もありました。バイクにアルミのトランク。町の電気屋さんが直せなくてお客から預かってきたテレビをササっと直して「おにいちゃん、すごいね!」なんて褒められて舞い上がっていました。お客さんからお昼はかつ丼かハイライト2箱が定番でした。昔はよかったなあ。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
街の電気屋さんでさえ 庶民は凄いとおもっていたのに メーカーサービスマンはさらにすごかったですよね。まさにプロ かっこよかった
@diyykaz7189
@diyykaz7189 Жыл бұрын
@@miyazin-shoten初任給7000でした。 CHも1,3,4,6,8しかなかったです。 4chだけが麹町で、屋根に登ってアンテナの方向調整が嫌でした。
@saboten1234-v9s
@saboten1234-v9s 8 ай бұрын
泣ける良い話でした。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 8 ай бұрын
ありがとうございます。三丁目の夕日時代 兄弟でチャンネル争いありましたね
@kumadesunen
@kumadesunen 11 ай бұрын
私も20代の頃は、家電系に働いていました。 先輩が真空管時代からやっていた人で、ドライバーの柄で真空管の頭を叩いて駄目な球を探したもんだと言っていましたね。 私の時代はトラブルシュートを参考にテスターで見る時代でしたが。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 11 ай бұрын
あこがれました! TVサービスマン こどものころの憧れはジェットパイロットかTVサービスマン!
@タンコン-z6n
@タンコン-z6n Жыл бұрын
テレビの裏で修理する時、この鏡をテレビの前に置きテレビの画像見ながら修理していたんだよ、
@hikodono-zh4ty
@hikodono-zh4ty Жыл бұрын
電気屋じゃないんですけど、昭和55年頃、広尾の都立図書館に行って、故障したカラーテレビのサービスマニュアルコピーし、テスターで故障個所を特定し(ほぼ、トランジスタ、コンデンサ不良でした)、秋葉原で部品を買い修理してました。楽しかった。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
昭和55年だとまだブラウン管のTV時代ですね。さすがに真空管式はもうなかったでしょうけど まだ画面はブラウン管が幅をきかせていましたね。
@深川良一-b3s
@深川良一-b3s Жыл бұрын
なにしろ、「懐かしい」宮甚さんがいるから昭和は未だに生きています。昭和世代永遠に
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうございます 昭和・・・いい時代でしたね!
@kumakuma534
@kumakuma534 11 ай бұрын
鏡は、テレビに前において、裏側から画面の調整(上下左右)をするのじゃないかと、 思いました。テレビの裏側を掃除するにも、危ない。死ぬといわれていました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 11 ай бұрын
そうですね・・ この動画もうだいぶ古いのですが その間 多くのTVサービスマンの本物の方たちのコメントで 調整用と教えてもらいました
@mangakoji
@mangakoji Жыл бұрын
鏡は多分、画面を見ながら裏から手を入れてドライバーを回して調整するためのもので 画面を写して見たんですよ。 他の方の回答あるかな?
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
はい 多くの方からご指摘いただきました
@幸次安田-e7i
@幸次安田-e7i Жыл бұрын
私、昭和36年生まれなんで、宮甚さんの話し、いちいち、頷いてしまいます、私が小学生低学年のころ、 我が家の1台しかなかった、ブラウン管テレビが、故障したとき、大きい 鞄を持ったサ―ビスマンのお兄さんが来ました、結局故障原因は真空管が1本、切れてたのが原因でした、 お兄さんが素早く真空管を交換すると、すっかり治りまして、凄く感動したのを昨日のように覚えてます、 動画いつも楽しみに見てます、頑張って下さい。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうございます サービスマンとナショナルキッドは 子供のヒーローの時代でしたね
@denkichi9054
@denkichi9054 Жыл бұрын
鏡はテレビの後ろブタを開けて色調整をするとき、テレビの後ろから画面が見られるように、画面の前に角度を調節して置いて使う物です。じじーより・・・。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうございます そのようですね 非常に多くの方からお教えいただきました
@haghag1951
@haghag1951 Жыл бұрын
これはいいですね。私昭和26年3月生まれですけど、宝箱見せていただきました。 工具箱の鏡は、多分画面の調整や、シャシーの裏を点検するためのものだと思います。私の兄が鏡使ってました。 私は未だに真空管アンプなどいじっていますが、今では私の耳は既に朽ち果てています。 高調波ノイズなど聞こえるはずもありません。スピーカーコードなど針金でも変わりません。 だけど、見た目は拘っています。宮甚商店さんの説に「ごもっとも」と思っております。 オーディオが大好きです。ご活躍を願っています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
コメントありがとうございます。 高調波ノイズや針金コード、まったく同感です! これからもよろしくお願いいたします
@レイトンジョン
@レイトンジョン 9 ай бұрын
消磁器は必需品でしたね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 9 ай бұрын
そういえば テープレコーダーもよく使いましたね
@笠原貢-t7j
@笠原貢-t7j Жыл бұрын
壊れたテレビ ロマン溢れるこのカバンで映らないテレビを創る
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
創はすごい腕前ですね
@CATMANcatman77
@CATMANcatman77 Жыл бұрын
懐かし物を見せていただきましてありがとうございました 鏡付きの修理七つ道具箱あぁ~ 回路計が入ってなかったのは取り出したのでしょうね 八神純子はもう笑ってしまいました
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そうそう テスターは聞いたら これは現代でもつかえるので抜いたそうです 笑
@gwater12345
@gwater12345 4 ай бұрын
逆にオシロもなく直せるということは、すべての回路の動作と画面表示(輝線)への影響を理解している、ということです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 4 ай бұрын
昭和30年当時のアマチュア無線1級の試験は 主要真空管のピンアサインを暗記できていないと合格できませんでした。 理論というよりも昔は修理やメンテナンスに主眼が置かれているということです。 最近わたしも真面目に当時の1アマ無線工学試験を解いてみましたが 合格点は取れないほど難しいです。
@teruomorimoto58
@teruomorimoto58 Жыл бұрын
私も昭和41年、某大手メーカーのサービス部門に入社してテレビのサービスマンを10年位しておりました。オール真空管から球石混合になり、IC化されましたが、ブラウン管テレビは重くて大変でした。現在、後期高齢者となり、大変懐かしく拝見いたしました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうございます。まさにわたしが小学校で憧れた年代、憧れのサービスマンだったんですね!
@代ちゃん-n5k
@代ちゃん-n5k Жыл бұрын
昔話とても懐かしいです、50年ほどサービスに回り修理を行いました。 家電すべてです。 松下電器、ナショナル、Panasonicと真空管、ハイブリッド、トランジスタとIC全盛期まで。 いまは定年て毎日日曜です。 関西の販売会社のサービス専門でした
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
まさに このかばんの中身とともに人生をお送りになったんですね。サービスマン憧れでした!
@paisley6660
@paisley6660 Жыл бұрын
私の記憶では、テスターは入ってたと思います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
このかばんにもテスターはさすがに入っていたと思います。おそらく使えるもの(工具類なども)はさすがに抜いたと思います。
@cup77jp
@cup77jp Жыл бұрын
10:50、画面右上に「キャプテン情報」と見えますが、これは往年の、アナログ・インターネットもどきでしょうか。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そういえばキャプテンシステムとかあったような・・・
@6234park
@6234park Жыл бұрын
鏡はCRT(ブラウン管)の画像を確認するためのものです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そのようですね 多くの方からも情報いただきました 昔のTVはでかかったですね
@01tomi76
@01tomi76 Жыл бұрын
昭和50年頃家電サービスマンやってました、アタッシュケース懐かしいです。ケースの蓋側の方にはゴムバンドが付いていて、真空管をびっしり入れていました。 パワートランジスターはメーカーからリコール品でよく取り寄せていましたが、今と違って一般には公表されていなかったように思います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
当時は車もリコール予備軍がいっぱいで ほとんど公表されていませんでしたね。けっこうやばいのもありました。
@suzukimaxx2141
@suzukimaxx2141 Жыл бұрын
サービスバッグの鏡はブラウン管の前において画面を見ながらセットの調整をするためのものだと思います
@BB-bm5ox
@BB-bm5ox Жыл бұрын
工具があまり入っていないのは、鞄を入れ替える時に抜いたんでしょうね。 半田ごてやニッパー、ラジオペンチ、ドライバー、みんなお気に入りの良い工具を 使っていましたから。
@BB-bm5ox
@BB-bm5ox Жыл бұрын
私はトランジスタからICの世代ですが、まだディスクリートで回路を追いかけて修理していました。 家電ではありませんが、修理の仕事は似たようなものですね。 最初の頃は青焼きの図面も使っていました。 新機種が出ると工場に行って修理方法を教わるのですが、工場の作ったフローチャートは ほとんど役に立たなかったですね。 何故ならば、製造時にトラブルシューティングした時の事例程度で、あとは 「こんな故障が起こるだろう」という推測で作ったフローチャートだったからです。 なので、実際に修理して事例をメモして積み上げるのが最も効率の良い方法でした。
@BB-bm5ox
@BB-bm5ox Жыл бұрын
カーボン複写の修理報告書も使っていましたね。 確かに、下敷きするのよく忘れてダメにしました(笑)
@BB-bm5ox
@BB-bm5ox Жыл бұрын
12BY7A、何か聞いた事があると思ったら、アマチュア無線の送信機で 使われてましたね。懐かしいです。 有難う御座いました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
その通りだと思います テスターや工具はまだつかうので抜いたと言っていました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
12BY7Aはヤエスもトリオも当時の真空管無線機のドライブですね。 とてもいい球だと思います 送信機にもアンプにも使えて安い・・・
@jp_yamato5011
@jp_yamato5011 Жыл бұрын
おそらく、CRTの偏向ヨークの傾き、コンバーゼンス、ピューリティ、色合い等調整するために ブラウン管を鏡に写していたものと思います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そのようですね 勉強になります! しりませんでした  というかこれは実際やってみないとわからないですね
@takahirokamada460
@takahirokamada460 Жыл бұрын
ブラウン管の調整懐かしいですね^_^
@大本綾乃-t1i
@大本綾乃-t1i Жыл бұрын
鏡ですね。 他の方もかかれているようにモノクロTVだったら偏向位置・画位置・画寸法の調製に鏡使いましたね。 コンバーゼンスカラー調整には欠かせないアイテム。苦労して調整した事思い出しましたです。 ボクも将来の夢は町の電気屋さんでテレビ修理する事でした。 テレビ修理屋さんにはなれなかったですが、今は電子顕微鏡の修理やっています。 修理って楽しいですよね。壊れた物が直った時の感動は・・・。 当時、勉強したテレビジョン技術はとても役に立っています。。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そうですよね 修理は 電気も自動車も 修理は推理といわれるくらい 面白いですね でも今は自動車メカニックは 診断機にかけて それの指示にたがい 部品アッセンブリー交換するだけです さみしいですね
@大本綾乃-t1i
@大本綾乃-t1i Жыл бұрын
@@miyazin-shoten さま その通りですね。 今の仕事も始めた当時はオシロスコープなどでポイントチェックして半導体やら交換していましたが現在はパーツの交換が現地では難しくなっています。 エンジニアではなくチェンジニアです。 でも、あのナショナルのトランクは良いですね。ボクも我が家にテレビ修理に来た修理屋さんに憧れ作業中にあれこれ質問しましたね。たぶん迷惑だったと思います。魔法の箱です。
@otanoshimi4
@otanoshimi4 Жыл бұрын
東芝の多分テレビ用真空管一式持ってました。捨てられてしまいましたが・・・。フライバックの2極真空管も前、電気屋から取り寄せたこともありましたね。結局テレビは治りませんでしたが・・・。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
もったいなかったですね。これからはTV球活用時代に突入です 笑
@30009040
@30009040 Жыл бұрын
カラーテレビのコンバーゼンス調整懐かしいです。私は68歳ですがメーカーサービスを長年やっていました 本当に懐かしいです 鏡を見ながらR G Bのクロスバーを出して クロスを白に調整するのですが画面の上側調整出来たら下がズレたりでイライラしました この調整が嫌いでした 懐かしい動画有難う御座います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
同じ年代で同じ昭和の空気を吸っていた方ですね。ありがとうございます。 もう電子技術者でTVいじれる人は皆無でしょうね!
@音魂おとだま
@音魂おとだま Жыл бұрын
こんにちは、いつも楽しい動画をありがとうございます。懐かしい鞄ですね、家の家電は30年前までは近所の個人の電器屋さんで購入、修理のお世話になってました。やはり電器屋さんの鞄は憧れでしたね!私の場合は中身を見せてもらっていましたので中身は知ってましたけど、当時世話になっていた電器屋さんの鞄は、ごちゃごちゃ入ってたので、スゲーと思ってました。今となっては汚ねえ、『ゴテゴテと余計な化粧した』婆さんみたい😅なもんかな?!って感じですかね(笑)、ちなみに40才以降は私は同窓会に行ってません!何故なら、怒られるけれど、憧れの初恋の人の『経年劣化』😅を見たくないからね!ただのババアでしたから😂‼️ヤバいヤバい、電器屋さんの話しから横道それてしまいました!すみませんでした。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
同窓会の話 よくわかります! 笑
@knj0410
@knj0410 Жыл бұрын
鏡は裏側をメンテナンスしながら、ブラウン管の画面をモニターするのではないですかね。
@shin2447
@shin2447 Жыл бұрын
そのとうりですね
@harusukeasaoka696
@harusukeasaoka696 Жыл бұрын
はい、大当たりです(^^) TV修理の時に鏡を見ながら、機械部の画面調整を裏からしてましたからね。
@ywatanabe559
@ywatanabe559 Жыл бұрын
コンバーゼンス調整は 調整つまみ基板が手元に移動出来るように 配線が長かったのもありましたが 垂直の直線性や色の調整などは鏡があった方が よかったかも
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
いやー おはずかしい まったく気が付きませんでした たしかに大きな箱うしろからみえないですね
@MORIO1000-1
@MORIO1000-1 Жыл бұрын
後ろのツマミをグリグリするときに反射させて映り具合を確認していたという訳ですか。
@happyturns1830
@happyturns1830 Жыл бұрын
とても懐かしいですね。私も子供の頃、TVサービスマンが年に1回ぐらいTVの修理に来ていました。分解して回路図をみて、ときにはオシロを使ってアッという間に修理することから私にとっても本当に憧れの存在でした。当時TVは高価で修理して使うのが当たり前で、1年に一回の割合で何処かしら壊れていました。しかも現在のように基板交換の修理はせず、当時はディスクリートで回路が組まれていたので回路を追いかけて故障部品を見つけ部品交換をすることで修理していました。だから回路動作をしっかり理解していないと修理が出来ない、ある意味本当の修理エンジニアでした。動画のカバンにテスターがないのが気になりました。。。とても懐かしい楽しい動画をありがとうございました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
テスターは 高かったので当時抜いて使ったといっていました。  たしかに当時は直して使うのがあたりまえで技術力がたかかったんでしょうね。 私は自動車整備士ですが 車もいまは診断機で出た答えに従って 部品替えるだけ・・これば修理とはいえないですね。だから今の若い整備士はほとんど古い車は直せません。
@キムラぎあ
@キムラぎあ 6 ай бұрын
画面ブラウン管のチェック用ですかね!
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 6 ай бұрын
そうですね
@小林通康
@小林通康 Жыл бұрын
その鏡は多分、色温度とコンバーゼンス調整に使っていたと思われる。実際には直接目視が主体で手鏡を併用していた。
@2oh874
@2oh874 Жыл бұрын
TVサービスマン、昭和45年位まで我が家にもよく来てくれていました。カバンの中身は真空管だらけだったように記憶しています。修理といっても真空管の差し替えだけでした。半田ごてを使っているところは見たことはなかったですね。最後に修理に来てくれたとき、サービスマンの方が新しいTVに気が付かれすごく悲しそうな顔をしていたのが印象的で今でもよく覚えています。懐かしい動画をありがとうございます。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
こちらこそありがとうございます。 たしかにはんだごてをつかうよりも 真空管の交換がメインだったんでしょうね
@おっさん222
@おっさん222 Жыл бұрын
白黒テレビ、よく壊れました、当時の、親の月給が数万円の中、修理代4000円以上払っていた記憶があります、中学一年の頃、友達の家のカラーTVがうらやましいかった、巨人の星の画面下のカラーの表示が悲しかったです😢
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
当時は カラーTVは憧れでしたね。金持ちの家にいってカラーでTV見た後 家にかえって白黒みると暗い気持ちになりました 笑
@gbc025026
@gbc025026 Жыл бұрын
昭和時代のテレビには取説と一緒に回路図やサービス資料も付属していましたね。その回路図の隅に修理に来たサービスマンが書いたと思われる計算式のメモが有ったのを覚えています。怪しい箇所の電圧をテスターで確認して手計算を駆使して故障箇所の切り分けを行っていたのかと。当時のTVサービスマンは自分にとってもヒーローでしたね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
すごいですよね。車の整備士もすごかった。 いまじゃコンピューター診断機にかけて それに命令されてアッセンブリー部品の交換しかできないですからね。私の方がクルマの修理レベル上という悲しい状況です 笑
@駒罵良明
@駒罵良明 7 ай бұрын
昔、松下のサービスステーションは23区に一つはあったのにほぼ、壊滅(泣)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 7 ай бұрын
最近街のパナソニックのお店も少ないですね
@tubeHi90ta
@tubeHi90ta Жыл бұрын
本当に懐かしい道具1式をみせていただいた。よくぞ公開してくださいました。鏡は他の方のコメントのように、1人での修理時には必需品でした。テレビ画面が歪んだりした時、水平振幅と垂直振幅を調節する小さなボリュームがテレビの後ろにありました。鏡を見ながら裏側に座り左右に回していました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
プロのサービスマンの方だったんですね。子供の頃のあこがれでした 結局自動車整備士で夢果たせませんでした。
@yultuku
@yultuku Жыл бұрын
青焼きが懐かしい。日に当たると劣化して色が落ちるから上から手書きしてるところが当時の苦労が忍ばれますね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
これも当時の文化ですね カラーコピーなんて夢の時代ですね
@AiRobi
@AiRobi Жыл бұрын
いやいや開けてよかったですよ。とても楽しく拝見させてもらいました。 ほんと、はるか昔サービスマンの修理でテレビが見られるようになったことをいまだ覚えています。 中学生だったけど、確か純正の真空管は高いから双葉の真空管にしときますと。 どうしてこんなくだらないことを鮮明に覚えているのか不思議です。 おかげかどうかわかりませんが、結局電気電子の職業に携われて良かったです。 宮甚商店さん、楽しい映像有難うございました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
こちらこそありがとうございます。わたしも自動車関係で仕事で 数年前千葉の双葉電子という会社に自動車部品の会社へ訪問したとき 昔真空管にも双葉ってありました。と言ったら 会社の人が それうちです!って言われびっくりしました。
@diyykaz7189
@diyykaz7189 10 ай бұрын
失敗談です。国産テレビが、14インチの頃、成城、南平台のお屋敷のお宅のテレビは、GE、RCAビクター、フイリップス等の外国製の21インチ型をトランスで117Vに昇圧して観ていました。修理訪問時、木製の重い裏ブタを開けるとき、手が滑って落としまい、ブラウン管のガラス製ネックを折ってしまいました。会社でブラウン管再生メーカーで再生して事なきを得ました。当時の大型テレビは70度で、後ろがかなり出っ張っていました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 10 ай бұрын
お客さんのところで壊すと ちょっとどっきりしますよね!
@tatsuokawabuchi9176
@tatsuokawabuchi9176 Жыл бұрын
子供の頃、黒い鞄を持って修理に来るおじさんは何でも直せて憧れでした。 ずっと付いて見てて、後ろのパネルを開けるときに、むわっとする熱気と、においが好きでしたよ。 話し方が近くていつも楽しく拝見しております。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
コメントありがとうございます。わたしも TVの回路をいじれるって 当時ゲルマラジオの原理さえ知らない自分にとって 神様のような存在でしたね。
@mikan777
@mikan777 Жыл бұрын
昭和のエンジニアってそんなもんですよ。 部品とはんだごてがあればほとんど直せましたからね。それだけ技術があったという証拠です。 修理に時間はかかるけど本当のエンジニアだと思います。 デジタル化が進んで今は基板やユニット交換のチェンジャーマンばっかりです。 早く復旧させる事が求められる現代、これも時代の流れですね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
まったく車といっしょですね 診断機の結果でアッシー交換。普通の修理はもうできませんね
@2460kiyosi
@2460kiyosi Жыл бұрын
ガキの頃修理に来てくれたテレビマンの仕事ぶりをみて自分も電子技術者に憧れました。鞄の中は紹介してくださった内容に近く、真空管や修理のための資料やハンダゴテがコンパクトに纏められて入っていました。その後自分は努力が足りなくて今は全く分野外の仕事に進み60歳を迎えようとしています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
わたしも サービスマンに憧れましたが 理工系には進めず ずっとあこがれのままジジイになってしまいました
@ちびたちびた-p6r
@ちびたちびた-p6r Жыл бұрын
宮甚さんと私同じぐらいの年齢ですね。すべてが懐かしいです。日立のポンパ列車が街にやってきたり。電化製品にロマンがあった時代ですね~。楽しい話題ありがとうございました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
やっぱり サービスマンに憧れた年代ですね
@谷本潤一郎
@谷本潤一郎 Жыл бұрын
画面調整用です コンバーゼンス V.LNII 工具箱は別にするのが普通せす 保証中 メーカーに出すサービスカード も
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
画面の件ありがとうございます たしかに工具箱は別にあってテスターもそこにあったようですね
@薫松島-k2x
@薫松島-k2x Жыл бұрын
いつも楽しく拝見させていただいております。 この度の鏡の件は、テレビの裏蓋を開けて修理・調整するので、反対側の画面を映し状態を確認するために使っていました。 懐かしくて涙が出ました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうございます 多くの元サービスマンの方から ご指摘いただきました! TVは昔はおおきかったですもんね
@nekojarasii5
@nekojarasii5 Жыл бұрын
鏡は映像を見ながら診断や調整をするために使います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そのようですね 多くの方からコメントいただきました 昔の筐体はでかかったですからね
@masayukihirashima2759
@masayukihirashima2759 Жыл бұрын
いやあ懐かしい😂 昭和40年後半から、そのカバンのメーカーでサービスマンをやってました。同様の書き込みをされてる方がいて余計感激です。 私の場合、その手のカバンを3個車に積んで出張してました。 街の電気屋さんに手に負えない故障とか、今で言うリコールの処置を当時は公表せず、保証書の住所氏名を頼りに訪問して部品交換するのですが、すんなりとは家に入れて貰えないとか有りました。ま〜故障してないテレビを名刺一枚で委ねるのですから怪しまれて当然かも。 当時の機器は重くて、修理時裏返すのが一番シンドかったです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
いやー 貴重なお話ですね。 車も家電も当時はリコール制度がなかったでしょうし あっても隠しリコール対応多かったですね。  なにも悪くないTVを訪問して直すっていうのは たしかにスキルが必要ですね 笑
@tks5138
@tks5138 Жыл бұрын
飲食店のテレビ修理の時、テレビの裏蓋開けたら大量のゴキブリが出てきてビックリした事を思い出しました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そうですね ねずみ ごきぶり あったかいからなおさらですね 笑
@あきあかね-o6o
@あきあかね-o6o 3 ай бұрын
いやあ、出来悪くなんかないですよ! 博物館もののお話でした。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 3 ай бұрын
ありがとうございます
@一松竹
@一松竹 Жыл бұрын
じじい初心者です。懐かしい!私の中学1年生時代は、まだ親が真空管TVをいじくりまわしてました。これが原因で、CB無線にはまるし、上級アマチュア無線技士にも繋がったのですが、当時は2SB56とか2SC372を使いラジオやアンプ作ってました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
やっぱり親の影響おおきいですね  でも私の息子 こんなに親が電気好きなのに まったく興味なし・・ 理工学部なのにオームの法則よく理解していません。がっくりです
@酒井太一-x9x
@酒井太一-x9x Жыл бұрын
電気屋のおっちゃんテレビ修理~クーラー取り付けなんでも出来たね、すごい人やなぁ、あこがれました。テレビ修理来た時必要部品をジュラルミン製の鞄の中をおっちゃんといっしょに探しましたです
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
まさに魔法の鏡 まほうの玉手箱でしたね
@しんべえ-e9e
@しんべえ-e9e Жыл бұрын
自分もこのバックが憧れでした!ただ時代が進んでいてIC化されたモジュールごと交換の事が多かったですけど
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
だんだんアッセンブリー交換ですね 車もいまやアッセンブリーの時代ですね
@かねやん-e1v
@かねやん-e1v Жыл бұрын
修理道具箱のカガミは調整するときカガミで画面を見ながら後ろで調整してました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
いやー勉強不足でした というかやってみないとその理由わかりませんね 笑
@堀江篤-i2e
@堀江篤-i2e Жыл бұрын
テスターはどうしたんだ??!! 絶対使うでしょう。 だれか教えてくれ。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
テスターは金目なので すぐに抜き取られたそうです 笑
@堀江篤-i2e
@堀江篤-i2e Жыл бұрын
@@miyazin-shoten さま 銭ずら、銭さえあれば、なんでもできるずら。 ですかね。 でもテスターがそんなにも金目の物とは・・・・。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
@@堀江篤-i2e まあ金目というよりも 他はぜんぶゴミなので とりあえずテスターはまだ使えるので仕事でつかっているのだと思います
@堀江篤-i2e
@堀江篤-i2e Жыл бұрын
@@miyazin-shoten さま 返信ありがとうございます。
@渡部達也-i9w
@渡部達也-i9w Жыл бұрын
鏡はテレビの裏側で修理をしますので前側に置いて写して調整します。 サービスマンのかばんは出張修理の人しかもらえませんでしたね。 私はナショナルサービスのテクニクスの修理担当でした。37年前ですが。 懐かしいですね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そうでしたか! まさにサービスマンですね あこがれました!
@14hp4a7
@14hp4a7 Жыл бұрын
ハンダ付けのペースト、懐かしいですね。ニオイを思い出します。私は、白いペースト(無酸)というものを使っていました。それでも日時がたつと、端子にロクショウがでることがあり、閉口したものです。1965年位からは、ヤニ入りハンダを使うようになり、ペーストは使わなくなりました。 映像の半田ごては、60ワットくらいでしょうか、私はスライダックで80~90ボルトくらいに落として、焼け過ぎないようにしておりました。プリント基板の時代になってからは、もっぱら30ワットのこてを使っています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そうですね 昔はペーストでじゅっ・・・て白い煙があがりましたね 結構これ体にわるかったかもですね
@駒罵良明
@駒罵良明 7 ай бұрын
鏡はホワイトバランス調整の為では?
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 7 ай бұрын
tVの裏から 前がみえないからだそうです
@釈応統
@釈応統 Жыл бұрын
いや~懐かしい! 昔、NHK教育(3ch)でテレビ修理講座があって、それ見て勉強しました。 テスターと自作したオシロを使って何台か修理したことがあります。 多いのは真空管不良、高電圧に集まった埃が炭化して吸湿してリーク、ケミコン不良、等でした。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そういえばNHKでラジオやTV修理の番組ありましたね 無線やオーディオも いまはもうものつくりや修理は流行らないんでしょうね 残念ですね
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
@ゆびはらじゃねーし そうですね。もう中のいじれない機器は なんかブラックボックスみたいでさみしいですね
@haruki9920
@haruki9920 10 ай бұрын
地上波でテレビやラジオの修理口座やってるとか、考えられない時代です
@mariomuramatsu3091
@mariomuramatsu3091 Жыл бұрын
このミラーは、技術者が修理中のセットの後ろから作業しているときに、テレビ画面から画像を反射するためのものだと思います.
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そのようですね。非常に多くの方からもご指摘いただきました ありがとうございます
@mnet708
@mnet708 Жыл бұрын
昔のテレビは4本脚で修理時にはテレビを横に寝かせ顔をテレビの裏側忍ばせて何やらゴソゴソ調整、当然ブラウン管の写りが見えませんので、 鏡を手前に置いて反射させて調整していた、この真空管がボケていたため交換したなどわかったことを言って、親父を煙に巻いて、当時の昭和40年台で 2000円の請求書を出していた。 なんてことない結局はテレビは2,3日後また故障で、学校から帰ったら新しい白黒テレビに交換されていた。 あの真空管はどうなったのだろうと当時子供ながら使えない電気屋とつくづく思っていました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
昭和40年代 東京オリンピックでモノクロからカラーに替わる すごいじだいでしたね
@sin-0213
@sin-0213 Жыл бұрын
鏡の件で メンテナスする時に、ブラウン管画像を鏡を見ながら、調整していました。 古い機種は本体の後ろ側に、微調整する場所が事が多いので。 また、アナログなので調整が面倒でした。 あと、アナログのテスターが有れば、簡単な修理できました。 懐かしいです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうございます 昔のTVの筐体はおおきですもんね!
@manapuayakkn4646
@manapuayakkn4646 Жыл бұрын
うちの親父の修理カバンは,ジュラルミンだった.蓋の部分に東芝の真空管が並んでいた.交換用の真空管と,ヒューズのセットが交換用部品のメインでした.トランジスタの時代ではなかったなぁ.
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ジュラルミンという方が多いですね たしかにこの黒い鞄 めちゃ重い気がします
@曽根瑞裕
@曽根瑞裕 Жыл бұрын
間違えてラジオにコメントしましたが このカバンは40年代の持ち物で テレビが家具調などの時画面が見えないので 鏡に写して画面の調整をしてました 真空管式TVの時は真空管が入ったカバンでドライバーと60w~100wクラスのハンダゴテを持って行きました 後にトラジスタになって来たらハンダゴテも小さく成り吸い取りや急速冷却剤とテスターになり 部品も抵抗やコンデンサーなども色んな種類が居るようになりました サービスマンは故障した基盤などを積んで疑わしいのはそこから外してテストをしてました 対外家電メーカーの修理が出来る人が多かったですが ソニーだけは少なかったです またソニーはトラジスタなどは売って無く永久保証でしたから
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
鏡の使用方法ありがとうございました テスターがなかったのはたぶん高いので抜いたんでしょうね
@toshicba25
@toshicba25 Жыл бұрын
9割くらいは真空管を交換すれば治ったような、感覚がありましたね
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
たしかに昔は 電球交換する感覚でしたね
@srich6291
@srich6291 Жыл бұрын
テレビの後ろ側から画面を見る鏡です。画像調整。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そうみたいですね やっぱり昔のTVは箱がおおきかったですもんね
@まさき草刈
@まさき草刈 Жыл бұрын
懐かしい。私も低学年の頃で、その場で修理する電気屋さんに憧れました。ケースはジュラルの分厚いやつで、その影響もあり工具箱はアルミです(使いこまれ光沢が無くなったケースがカッコ良かったなー) 中身は真空管の赤箱と修理マニュアルは覚えてます。私にとって、ケースは人生に大きく影響しています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
みんなあこがれたんですね!
@ShimaJiro2205
@ShimaJiro2205 Жыл бұрын
こういうケースを持って電気屋さんが来てくれる時代、教育テレビで「テレビ講座」みたいなのが放送されてて、テレビの修理法が放送されてました。確か週1回で午後6時くらいでした。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
NHKでやってましたね  まったくちんぷんかんぷんですが興味ありました
@chan9418
@chan9418 Жыл бұрын
こりゃたまんないわ(笑)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうざいます なんのことだかわかりませんが
@nazeka-el-ya
@nazeka-el-ya Жыл бұрын
白黒テレビは真空管、紅白歌合戦をカラーで見るために年末に初めて我が家にきたカラーテレビも真空管でした。 夏になるとうちの母親が「暑いからテレビを切りなさい」とよく言っていました。 特に真空管のカラーテレビは、かなりな発熱量だったはずです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
たしかに TVの後ろは熱かったですね まさに真空管アンプですね
@8PMN
@8PMN Жыл бұрын
私は高校生の頃、近所の電気屋でアルバイトをしていて、真空管式のラジオの修理を頼まれ、その報酬として5000円ほどいただいた記憶があります。すでに個々の電気屋さんの技術ではテレビの修理などはできず、市内にあった修理業者にテレビを持ち込んでいました。1975年頃の話です。通信教育で技術を身に着けたわけではありませんが、芸は身を助くですね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そうですか もう1975年というと TVもあまり修理する時代ではなかったかもですね
@ryu0909rk
@ryu0909rk Жыл бұрын
懐かしい、、! 僕も20歳前後、これやってました、、。パブリカトラックに乗って。 フライバックトランスに触って、ドッカーンと遣られたり、、、懐かしいものをありがとうございます!”。 鏡はね、自分がテレビの裏側に居る時に、表側のCRTを映してみるのですよ。(大きなカラーTVの時など)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
鏡の件ありがとうございます さすがに経験者ですね! やはり実践あるのみ
@ひさよさとう
@ひさよさとう Жыл бұрын
こんにちは 当店 テレビ修理は 代わりのテレビ積んでいって 店に持ち帰って直してました 田舎なので 急に無くなったら寂しいだろうとの 思いやりかな 常に店には何代かのテレビ(引き取った)がありました 年季が入ってますね 街の電気屋さん 使い込まれた道具いい感じ出してます イラスト(お絵描き)ホント素敵です デザインやられていたんでしょうか
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうございます。デザインは全然やっていません。 子供の絵描きです
@0909fluorite
@0909fluorite Жыл бұрын
電気屋さんの修理スペースには鏡が置いてあります、テレビの調整ノブは裏側についているので、調整しながら 前の鏡に映ったブラウン管の映像を確認します。 これをへぇーっと感心していたら、仕事場何てこんなもんだよ。って言われました。 はんだの余りはお菓子のブリキの蓋に、ペシッと投げつけてクリーニングは濡れ手ぬぐいじゃ無かったかなぁー。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
鏡は言われてみるとなるほどですね”
@yakushima1
@yakushima1 Жыл бұрын
鏡は、テレビの裏側で調整するサービスマンが、画面を見るためですよ。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そのようですね。みなさんからお教えいただきました 大きな筐体ですもんね
@555senryou3
@555senryou3 Жыл бұрын
二つ持って行ってマッチドペア、思わず吹き出しました(苦笑)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
これ 東芝センスあると思います 絶対ねらっていたと・・・
@user-SagiRipper
@user-SagiRipper 5 ай бұрын
TVサービスマンの鞄に、鞄の蓋の内裏に全面鏡となっていましたが、これは、テレビボックスを開けて裏から調整する時に、画面が見れないので鏡で反射させて見ながら調整することがあったのではと想像します。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 5 ай бұрын
はい 既に多くの方からその情報いただいています
@mr75km
@mr75km Жыл бұрын
マッチドペアは座ぶとん一枚!鏡は調整時にブラウン管を写すためのものですよね?我が家御用達の電気屋さんは真空管式のカラーテレビに苦戦してました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうございます 鏡はたしかにいわれてみるとその通りですね
@makinori2758
@makinori2758 Жыл бұрын
たった2本のドライバー・・・ でもそれは修理前に高圧を放電させるという重要な役目を担っております。 +をシャーシに当てつつーをアノードキャップに差し込む訳です。 本来はゴム手袋等で防護すべき作業なのでしょうが何時もの事なので素手でやります。 惚けてうっかり軸を握ってしまい思い出は美しすぎてどころか走馬灯が見えちゃったりする事があるのも遠い思い出でございます。☄
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
たしかに トランスレスとか 感電しやすい構造もあったんでしょうね
@hal007
@hal007 Жыл бұрын
ミラーは、画面を見ながら調整を行うものです。 視空間時代はまだよく分からなかったのですが、Tr時代には後ろにいて一挙一動が楽しくて見てました。が修理する人もミスをします、壊した瞬間を見てしまったので、修理代は割引、代替機も来ました。修理する人もやりにくかったでしょうね。 その後よく壊れるTrを常備して、自分で修理してました。ある時、持ってはいけない所とシャーシーを持って気絶したのは秘密です。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
鏡の件ありがとうございます やはり経験者は語るですね!
@tetsutakamo
@tetsutakamo Жыл бұрын
相変わらず絵が上手で芸術的なセンスがうちわ以下(ギャグです)の自分から見ると羨ましいです。サービスマンってのがいたなと思い起こしております。宮甚さんより5歳年上の私がガキの頃はサービスマンは販売店が抱えていました。その後メーカーがメンテナンスの事業所を作りそこから派遣されていました。サービスマンは直るとなんとなくどや顔ですごいなと感心していました。宮甚さんをはじめ技術的なことにスキルをお持ちの方はサービスマンに限らず尊敬しています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
先輩のお年だと まさに三丁目の夕日時代、 テレビやラジオの家庭での修理が一般的だった時代ですね。そうそう! あのサービスマンのどや顔・・気持ちわかりますね
@canina663
@canina663 Жыл бұрын
懐かしい資料を拝見しました。 カラーテレビが出始じめた頃、 私は小学生でした。 当時は家電量販店など無い時代ですから、商店街の電気屋さんがカバン👜持って直しに来てくれました。 真空管テレビからトランジスタにかわり、故障は少なくなりましたね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
そうですね トランジスタになってから 家で修理するものではなく もし故障しても メーカーやサービスセンターに送って修理になりましたね
@canina663
@canina663 Жыл бұрын
@@miyazin-shoten まさに、その通りですね。 トランジスタは修理が複雑なんでしようね。 出始めの頃の真空管テレビの音が、 綺麗過ぎて忘れられません。 パナカラーは、ブラウン管の下にスピーカーが居座り良い音をならしていました。トランジスタテレビに変わったら、スピーカーも小さくなり音が悪くなりました。 トランジスタなんか発明しなければ良かったのに、と子供心に思いました(笑)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
@@canina663 でも、トランジスタって結局小さくなったのと 電源投入後すぐ動く以外は あまりメリットないような (まあ現代では小ささが最大のメリットですが)・・・素子はトランジスタのが確実に寿命短いような気がします
@yassima
@yassima Жыл бұрын
当時流行った磁石でロックするタイプの黒い筆箱が懐かしいです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
私の小学校 このふでばこ一時 禁止になりました
@hinohiraja5pel
@hinohiraja5pel Жыл бұрын
いつも楽しく観させていただいています。 特に、TVサービスマンの漫画は笑ってしまいました。 私も、40年前は似たような仕事してました😂
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
漫画お褒め頂きありがとうございます ほんとサービスマンは神様のようにみえました 子供ごごろに
@金多達博
@金多達博 Жыл бұрын
我々昔のことを知っている老人にとっては涙が出るくらい懐かしい景色でした。有難う御座います。高圧周りを間違って触って死ぬ思いをしたことを思い出しました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうございます わたしはまだ若造なので うっすらの記憶だけです
@出張おじさん-w7v
@出張おじさん-w7v Жыл бұрын
@@miyazin-shoten 大学の先生にテレビと電子レンジだけはいじるな‼︎と厳重に注意されました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
@@出張おじさん-w7v あと高出力の違法CBもやばいですね
@ボン太-x4l
@ボン太-x4l Жыл бұрын
家に来たナショナルのサービスマンの方はカバン👜の中はほとんど真空管が入っていた記憶があります。真空管と黒いカバンの中はサービスマニュアルとテスター、半田コテ、テスターが入っていた記憶があります。半田ペーストは懐かしいですね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
テスターは高いのでおそらく抜いて使ったのでしょうね
@ボン太-x4l
@ボン太-x4l Жыл бұрын
@@miyazin-shoten 宮甚さん、ありがとうございます。家に来たナショナルのサービスマンの方は黒いカバンともうひとつ真空管だけ入ったカバンを持って来てました。後に日立の家電屋に変わっていましたね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
@@ボン太-x4l この人も昔はサンヨーだったそうです 当時は各メーカーしのぎを削り 小売店確保もすごかったんでしょうね
@ボン太-x4l
@ボン太-x4l Жыл бұрын
@@miyazin-shoten 宮甚さん、ありがとうございます。三洋電機と松下電気は親戚同士だったと思います。ちなみに私の住んでいる秋田県能代市に松下幸之助の妹さんが住んでいて松下木材(株)がありました。長屋があって関西から移住して来た人達が入っていました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
@@ボン太-x4l そういえばサンヨーと松下って ダイハツとトヨタってかんじでしょうか
@のん-z8n
@のん-z8n Жыл бұрын
明る~い~ ナショナ~ル~ の、 テレビC M 時代ですかね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
あ それ懐かしいフレーズですね わすれていました
@Nageyari3
@Nageyari3 Жыл бұрын
昭和の元サービスマンですが、私の時代は既にトランジスタ全盛期でしたので流石にチューブのスペアを持ち歩くことはなかったですね。ちらっと6JS6か6KD6みたいなのが見えていますね。 鞄に鏡を仕込んであるのはおそらくですがむかしのTVは家具みたいにデカくて筐体の裏蓋を開けて調整する際に画面の様子を確認するためだったのではないかなと推測します。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
鏡は そのようですね 勉強不足でした というかやってみればすぐわかったかもしれませんね 笑
@44home32
@44home32 Жыл бұрын
鏡は自分で見ながら調整に使用します全面に置いて裏で調整する為に、
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
ありがとうございます たしかに箱おおきくてみえないですね
@madkenkyujo
@madkenkyujo Жыл бұрын
シビレました。お宝です。鏡はテレビの裏側から、画面をうつして見ながら調整する時に使うと思います。動画を拝見しながら、子供の頃に、うちに来たサービスマンのカバンを思い出しました。当時、部品なんかどこで売ってるのか知らないから、欲しくてたまらなかったものでした。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
画面確認のようですね ありがとうございます
@no882323
@no882323 Жыл бұрын
うちも真空管白黒テレビは何度も修理した記憶があります。 今でも覚えているのは「古くなったのでそれに合わせた調整しました」という何が何だか分からない修理トークとか、 テレビの中からシューシュー音がするので頼んだ時、ホコリが溜まって高圧が放電していて、 修理後、ドライバを高圧部に当てて10mm位の空中放電を再現して見せてくれたとかです。(^^)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
まるで曲芸師か詐欺師みたいですね 笑 でも昔の技術者は本当に技術があったんですね
@looflirpa6910
@looflirpa6910 Жыл бұрын
鏡は画面確認用です。昔のテレビは大きかったので後ろから調整するとき、前に鏡が無いと結果が分からなかったのです。必需品でしたね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
実際やらないとわかりませんね 勉強になりました
@roo2114
@roo2114 3 ай бұрын
じじいです。しかし、この程度のパーツと工具でTVが修理できていたのなら、知識と技術と工夫と最後は気合で直していたんでしょうね。それも(それで済んだのも)素晴らしい(懐かしい)と思いました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 3 ай бұрын
憧れの魔法使いでしたね ラジオ少年にとって
@satoshikojima4170
@satoshikojima4170 Жыл бұрын
宮甚商店さんにとっては、正に宝箱が天から降って来た感じですね? しかも真空管の当時物がテンコ盛りで。。。これは、そのママで残そうか?使える物はトコトン使おうか? で嬉しい悩みが増えそうですね。真空管の利用動画の新作なども期待しています。 多分に、これプラスでテスター機(複数?)くらいは入れていたと思います。他で使えるから取ったのでしょう。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
その通りですね テスターは使ったそうです。真空管試験機があったらなあ・・溜息です
@subaru_clover4
@subaru_clover4 Жыл бұрын
鏡に画面を映しながら、裏で中味を触ったりして修理したのかも知れませんね?
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
多くの実際のサービスマンの方から そのようにご指摘ありました! むかしのTVはでかかったですね 笑
@やまちゃん-k5m
@やまちゃん-k5m Жыл бұрын
アナログのカラーTVの仕組みをマスターすれば、高周波から低周波まで、変調の種類や音声と映像の多重受信の仕組み、更に色のマトリクス回路による再現、水平や垂直の同期や掃引や輝度の変更の仕方、ブラウン管への高電圧の生成方法等々、電子回路のほとんどが学べる良い材料でした。 今は、ディジタル放送になり、USBメモリの形状の受信器等流通していますし、仕組みを今更勉強する気が萎えてしまいます。 やっぱりアナログ回路が電子回路を理解するのに都合が良いです。 今は、修理して長く使っていく文化がだんだん無くなっていくようで残念です。 そう思うのは私のような年寄りだけでしょうか?
@タラちゃん-n1g
@タラちゃん-n1g Жыл бұрын
ほんとテレビは電子技術の宝庫です。オーディオアンプとかの比じゃないです。NTSC方式を理解できたときは感動しました。
@waterspring9530
@waterspring9530 Жыл бұрын
おっしゃる通りですね。手元に1972年の回路図集があったので眺めたら、各社とも3~4個のDIP-ICが使用されています。ICが使われていてもよいですが、できれば1970年より前くらいのICが使われていないテレビの回路が理解できれば、ひと通りのアナログ回路の基礎が学べます。子供の頃、テレビに付属していた回路図が折り目から割けてバラバラになるくらい眺めていました。
@タラちゃん-n1g
@タラちゃん-n1g Жыл бұрын
@@waterspring9530 私のころは信号処理は殆どIC化されていましたが、それでもICのブロック図が日本語で書いてあり、何をやっているかの概要はつかめました。 会社の入って最初の仕事がアナログICの設計をやったのですが、逆にディスクリートの回路は読めませんでした。同じLやCトランスといった部品でも用途によって全く違った振る舞いをするように見えて難しいですね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
たしかに オーディオプラス画像ですから アナログの王様技術ですね
@今田完
@今田完 Жыл бұрын
いつも懐かしく拝見しています。 さて、サービスかばんの鏡ですが 多分テレビの裏を調整するとき ブラウン管の画面を写すものだと 思います。当時のテレビは奥行き が長かったので裏側にいると画面が 見えませんでした。 80歳のラジオしょうねんより
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
さすが人生の大先輩! むかしのTVは家具のように大きかったですね。PC液晶モニターの薄さを想定していました 反省します 笑
@44home32
@44home32 Жыл бұрын
私も40年以上前にテレビの修理していました東芝の販売店でテレビ修理のテレビジョン修理技能士だかの試験を受けて合格しました。私の頃の修理は真空管は、終わりトランジスタの頃で両面に配線がありプリント基板で上下の接続はスルホールで良く接触不良などがあり基板を捻ると症状が出ました再発しない様にジャンパー線で半田付けします部品の不良もありますし修理向上の為大会ががありました。テレビ修理、洗濯機修理、冷蔵庫修理エアコンの取り付けのスピードの競技があり地区代表で県大会に行きましたよ、後に違う会社ではモニターの修理人生を振り返ると高校卒業してから修理の人生でした、
@aamatsu1402
@aamatsu1402 Жыл бұрын
こんにちわ 私も 東芝テレビで ジャンパー半田付けの修理キットやりましたよ (当時電気屋さんでアルバイトしてました) 規定の長さに切っている色とりどりのジャンパー線が入った 修理キットがありました 使ってたのは 今回のかばんぐらいの アルミ製の下げカバンでした
@44home32
@44home32 Жыл бұрын
@@aamatsu1402 そうです。修理キットです。真空管アルミのケースに一杯入っているのを持って先輩と出かけました。私がする時は真空管は使いませんでした。 当時CRT交換もしました。店に持って来って交換調整です 後は横一の修理が多かったです
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
当時の技術者って非常に技術力が高かったんですね いまでは部品交換屋さん  車整備士も同じですね
@aamatsu1402
@aamatsu1402 Жыл бұрын
@@miyazin-shoten 思い出しました   電気のことよく知らないくせに 裏蓋開けて  .出力の回路にリレー付けて右左画面反転機能のテレビを 作ったこと 面白かったぁ (私が作る前に ソニーが売ってました どんでんがえし KV-14DR3)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
@@aamatsu1402 案外 はちゃめちゃな実験やあそびから アイデアがうまれるもんですね
@QWD03004
@QWD03004 Жыл бұрын
青焼きのにおいが懐かしいです。電気屋のおじさんはよく呼んでいたと思います。真空管の詰まったジュラルミンのでっかいトランクを記憶しています。首を振らなくなった扇風機を直してくれた時にはお金は取られなかったことを覚えています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Жыл бұрын
おそらく真空管の箱と テスターがなくなっているかもしれませんね
アマチュア無線【マウント取り】正しいやりかた
27:07
Their Boat Engine Fell Off
0:13
Newsflare
Рет қаралды 15 МЛН
진짜✅ 아님 가짜❌???
0:21
승비니 Seungbini
Рет қаралды 10 МЛН
6BM8管球アンプTU-870の改造品
23:56
宮甚商店
Рет қаралды 29 М.
2千円で自作する航空無線受信機
22:08
宮甚商店
Рет қаралды 51 М.
Amazonの千円周波数カウンターの信頼性を探る
24:12
宮甚商店
Рет қаралды 56 М.
千円で自作するALTEC 409B
23:48
宮甚商店
Рет қаралды 15 М.
定年後は1万円のアマチュア無線機でカムバック
19:47
Their Boat Engine Fell Off
0:13
Newsflare
Рет қаралды 15 МЛН