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時は安土桃山時代
天正13年(1585)7月に公家の最高位となる「関白」の位を宣下された羽柴秀吉は、織田信長が生前に発していた停戦令とは比べ物にならない権力での「停戦令」を各地域の大名紛争に発していた。後の世では「惣無事令」とも言われることになる関白秀吉の命令は、すなわち朝廷からの命令であり、それを守らぬ者は朝廷に刃向かう逆賊とみなされ、討伐対象とされることとなる。
この権力に屈する形で、中国の毛利輝元、四国の長宗我部元親、東海の徳川家康ら有力大名が次々秀吉に屈する中、九州(西海道)の島津家当主、義久は羽柴軍と戦う道を選んだ。
中国、四国から羽柴軍が大友の援軍に向かってくる事を知った島津義久は、3部隊に分け大友領に侵攻を開始するも、先発して向かった筑前侵攻隊が 大友家臣、高橋紹運、立花宗茂親子の徹底防戦にあい、筑前制圧は失敗に終わる。
残された道は大友本拠地に攻め込み、当主大友義統、その父 宗麟を討つ事。
義久自らも日向に向かい、薩摩隼人の意地の抵抗戦が始まる…
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※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※番組内に登場する忍キャラは、ユキムラが楽しむスマホ版ゲーム『みんゴル』でユキムラが愛用するキャラクターとなります。ぜひ「みんゴル」もやってみてね!
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2020年時点での歴史資料を元に作成しております
#戦国時代 #歴史 #合戦解説