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光源氏23歳~25歳
野の宮での六条御息所との別れ、桐壺院の崩御、藤壺中宮の出家、そして朧月夜との恋の露見、とこれまで順風満帆であった光源氏の人生に翳りがみえはじめる巻である。
<平安豆知識>
除目(じもく):春、秋の、年二回行われる諸官任命の儀式。実力者のもとに詣でて少しでもよい官職を得ようと貴族たちは奔走した。
光源氏のもとへもそういう貴族がおおぜい詰めかけるのが例年の習いであったが、桐壺院崩御後は任官を求める人々もすっかり絶えてしまった。
清少納言は『枕草子』第23段「すさまじきもの(興覚めなもの)」に「除目に司得ぬ人の家」を挙げ、任官を待つ家の様子や任官ならず、がっかりする人の家の様子などを描いている。
<漢学の影響>
『源氏物語』には随所に中国の文化がちりばめられている。「この子が男だったなら」と父親に言わしめた紫式部は、幼少時から漢学に親しんでいた。
「榊」巻にもいくつか中国の古典が登場する。
・藤壺が桐壺院崩御後に、弘徽殿皇太后からの報復を怖れる場面「漢の初期の戚夫人が呂后に苛まれたようなことまではなくても」
漢の高祖・劉邦の皇后であった呂后は、高祖の死後、戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、薬で耳・声を潰し、その後便所に置いて人彘(人豚)と呼ばせ、そのさまを笑い転げながら見ていたと史書にはある。
・頭の弁が源氏に言いかけた皮肉「白虹、日を貫けり。太子怖じたり」
古代、中国では白虹が太陽を貫くことは兵乱の兆しとされた。『史記』に燕の太子・丹が始皇帝暗殺を企てたとき、白い虹が日輪を貫き、暗殺成功を確信したが、それでも丹は計画の失敗を恐れた、という故事がある。ここでは頭の弁は光源氏が帝に叛意ありながら怖気づいていることを暗に示している。
・『史記』「周公伝」の一節、「文王の子武王の弟、成王の叔父」
周公のこと。武王を助けて殷を滅ぼし、武王の死後は幼少の成王を助けて政務を執り、周の支配を確立した。
源氏は自身を周公になぞらえて自信のほどをみせたのだが、「成王の叔父」という部分だけははっきりと口にはできなかった。なぜなら光源氏は「成王」(=東宮)の叔父ではなく、父であるのだから。
与謝野晶子訳『源氏物語』
• 与謝野晶子訳『源氏物語』