「名列車で行こう#20」日本最強の交流電気機関車?悲惨な最後?EF71電気機関車のお話「名車列伝#20」

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ワタガシ

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Күн бұрын

Пікірлер: 44
@勝人佐藤-b3b
@勝人佐藤-b3b Ай бұрын
EF71形とED78形の重連で奥羽本線福島ー山形間の板谷峠を通過するために導入されて寝台特急あけぼの号を牽引していました。
@ベータま
@ベータま 6 ай бұрын
交流電機が基本D型なのは仙山線での試験で列車の引き出し能力が直流F型機並みだった事が影響してます。 交流区間は輸送量が少ないからではありません。
@もりわききくお
@もりわききくお 6 ай бұрын
そのとおりで北陸本線などは貨物列車の需要は多かったです。EF70型が製造されたのは、北陸トンネルの勾配区間を安定走行するためで本来ED74型を北陸トンネル以外の平坦線での旅客専用で使用する予定がEF70型に統一されてED74型はわずか6両の製造に終わり大分機関区へヨンサントウ白紙ダイヤ改正で転属しました。決して輸送量が少なかったわけではありません。板谷峠にしても別にED78型交流電気機関車も製造されて仙山線と共通運用されていました。
@小野爽
@小野爽 6 ай бұрын
以下はEF71にもまつわるエピソードです。 量産交流電機の時代は北陸本線ED70から始まり、交流を直流に変換(整流)して用いる方式の交流電気の心臓部である整流器に着目して進化を見れば、試作機乱立の第1世代から、初の量産機ED70~ED73までの第2世代ともいうべき水銀整流器に進化し、1962年製のED74からは第3世代の保守面を容易化したシリコン整流器に進化してまいりました。この進化は半導体とも呼ばれる一方向のみ電流を流すことが可能な物質を利用し交流から直流を作り出す方法の半導体機器の進化による部分が大きかったのでした。 制御については変圧器とセットになったタップ制御で行い、機械的な動作を正確に行うため普段の整備が必要ですが、ED75でこの形態での量産体制が敷かれると、折からの交流電化幹線拡大により、日本の南北の交流電化区間の基幹線区である東北本線(交流50Hz)、鹿児島本線(交流60Hz)において前者が大量のED75、後者がED75のバリエーション版でもあるED76が投入されていくことになりました。 しかしこれでも国鉄と電機メーカーの技術意欲は休むことなく1965年11月には、第4世代ともいうべき(半導体の商表明でもある)サイリスタ位相制御に挑むことになりました。このサイリスタ位相制御は日立製ED75 1号機、三菱製ED75 2号機で試験実績があり、形式として全サイリスタ位相制御の機関車が登場したのは、亜幹線用の中間付随台車付き機関車の試作機として製造されたED93(のちのED77 901号機)が初でした。 国鉄交流電気機関車技術のは全くゼロ状態からたった10年間で第4世代のED93に至り、この間に登場した形式は交直両用機も含めれば試作機(40番台、90番台形式とED30)を除いてもED70~78、EF30、70、71,80、81の合計14形式となり、毎年少なくとも1形式以上量産新形式が登場していたというすごい勘定になります。 更に1968年のED78、EF71、EF81の3形式登場後(国鉄末期の1986年登場のED79は改造機であるから)国鉄消滅までの20年間はまったく新製の新形式が登場しなかったのが大変興味深いと言えます。 交流電機機関車の形式が1968年までに次々と登場し形式付与に困るくらいになったのは大電流・高圧に耐え得る半導体の急速発展による整流器及び交流制御技術の急速発展によるところが大きく、必ずしも狭義の鉄道技術の発展によるものではないが、国鉄車両技術史において他のジャンルの車両に例を見ない大発展でした。 なお、第4世代にあたるサイリスタ位相制御の国鉄電気機関車は、幹線網を外れ孤立した電化区間(北海道道中)や特殊な勾配線区である奥羽本線板谷峠、軸重の軽い機関車導入が要求された亜幹線(磐越西線や仙山線等)に限られてしまい、当時のサイリスタ制御の最大の欠点であった誘導障害やその最も大きなものである高調波発生の解決が今ひとつ進められなかったことが要因でした。 更に電化の進展で車上切り替え方式の交直セクションが各地に完成すると、交直両用機であり汎用性の高いEF81が重宝されていくのでした。
@埠頭半田
@埠頭半田 6 ай бұрын
なんげぇ話すだっけの
@harrier8131
@harrier8131 6 ай бұрын
福米間改軌決定後の一時期、東北本線の貨物列車牽引のED75重連をEF71単機に改められないか、真剣に検討したらしい。🤔 実現出来なかったのは、サイリスタ制御の欠点(誘導障害)が最大の理由らしい。 黒磯⇔青森で必要な数が現有数で賄えないことも一因とか。 あと、大パワー故の発車時の空転も理由の一つらしい。
@埠頭半田
@埠頭半田 6 ай бұрын
そんなこと言ったら青函転用の話もあったぞ。 ホラだったけど
@akiratan
@akiratan 6 ай бұрын
客車時代末期は71単機+50系2~3両なんてのもありました。旧客時代は4~6両。花形運用は気動車時代の「つばさ」前補機。❤
@おしげ-b6k
@おしげ-b6k 6 ай бұрын
14系臨時つばさの運用もありました。福米間だけでなく、山形までの通し運用でした
@やすおな
@やすおな 6 ай бұрын
懐かしいですね。東北あるあるで電機カマが50系3両を牽引する列車は電車並みの加速度で吊りかけ音を響かせながら走行する様は好きでした。
@埠頭半田
@埠頭半田 6 ай бұрын
JR化した後のほんの数年間は、新庄まで団臨牽いて来てたのがいい思い出。 レインボーを牽いた2、4、とか、サロ東を牽いた3はお気に入りで、12系臨時急行「ざおう81号」新庄行の最終運転の時は3と4の重連で山形盆地を走ってました。 (*´-`)。oO 至福のひと時だったよ。同業も誰もいなくて
@京成3050
@京成3050 6 ай бұрын
ワタガシ さんの鉄道解説は最高です!
@watagasi583
@watagasi583 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます!!今後とも面白いと思ってもらえるような面白い鉄道の動画を企画していきますのでよろしくお願いします!
@やさしい日本語-k9s
@やさしい日本語-k9s 6 ай бұрын
やっぱり貫通型はかっこいい!EF81とか非貫通型推しの人、ごめん!
@toriri-service
@toriri-service 6 ай бұрын
つまりそれだけ『福米間』が 難所だったと言う事ですね。 国鉄時代に単機でここまで高出力だった『坂道用の補機』は 他にはない。
@白銀敏夫
@白銀敏夫 6 ай бұрын
母の実家が山形県東根市だったので…キハ181系への補機、14系客車の つばさ 旧型客車の連続スイッチバック など、思い出がいっぱい‼️ 私にとって最愛の機関車です❤️ アップありがとうございます😆💕✨
@おしげ-b6k
@おしげ-b6k 6 ай бұрын
ナカーマ。うちの母は新庄ですが電気機関車で一番好きなのはEF71です。利府の保存機が解体されたのが残念です
@chibita-32
@chibita-32 6 ай бұрын
キハ181系のつばさに乗った時にEF71の補機が付いてました。山形に行くのに、行きは181系、帰りは14系座席の臨時列車でした。その時は何とも思いませんでしたが?今考えると貴重な体験でした
@もりわききくお
@もりわききくお 6 ай бұрын
キハ181系つばさは最初自力で走行していて10両だったのがやがて12両まで増結されましたが、板谷峠でのオーバーヒートが多発するようになり、予備車も少ないことから11両に減車の上でEF71型の補機を受けることになった。
@jyouban531
@jyouban531 5 ай бұрын
@@もりわききくお 東北本線を120㎞で爆走した後に急勾配登るんだからそら故障するわなw
@miyahiro-qw6jk
@miyahiro-qw6jk 6 ай бұрын
唯一の現存車だった1号機が解体されたのが惜しかった
@jps7155
@jps7155 6 ай бұрын
2回、利府の新幹線センターで見ました。
@tomohikoo8949
@tomohikoo8949 6 ай бұрын
実車は見た事ありませんがED75より伸びやかなスタイルが魅力的で好きでした。でも似たようなED78にはまったくそそられなかった不思議・・・。
@watagasi583
@watagasi583 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます!重厚感がたまりません
@稲岡敬二
@稲岡敬二 6 ай бұрын
12系客車使用の臨時特急[つばさ]が運転された時,特急料金100円引きだった。14系が登場して変則料金は解消したが定期485系[つばさ]に較べ, 所要時間は1時間増加した😭
@電光刑事-u4c
@電光刑事-u4c 6 ай бұрын
EF71と専用補機となるED78は従来の交流電気機関車と異なり、サイリスタ位相制御を本格的に導入しているのが特徴ですな このサイリスタを使用することで電動機から発生する直流電気を交流電気に逆変換することが可能で、交流電気機関車としては初めて本格的な交流回生ブレーキを搭載している しかし、この当時はまだサイリスタをGTOとするしかなかったため、回生電流に高調波ノイズが含まれることが問題だったそうな そこで回生電力にはノイズフィルターを通して高調波ノイズを除去する必要がありました
@kousakuguma
@kousakuguma 6 ай бұрын
私もED78が本務機、EF71が補機だと記憶しています。(たしかな情報をお持ちの方、教えてください)
@IZMIRS57
@IZMIRS57 6 ай бұрын
交流機として異例のEF71とED76-500の大きな車体は、子どものころから今でもカッコいいと思ってます。
@加藤光-z9h
@加藤光-z9h 6 ай бұрын
質問なのですが、設計上730tは重連時の定数で宜しいですよね? こんな強力な機関車が形として残っていないのが悔やまれます・・・
@kousakuguma
@kousakuguma 6 ай бұрын
EF71が1両でED78が3両分?そんなはずないよなあ。…と思ったのですが、そういう事ですか。
@rona1806
@rona1806 6 ай бұрын
国鉄時代の交流電気機関車で最も好きです!交流機では唯一無二?な貫通扉+動輪6軸から。カトーのNゲージとトミーテックのHOゲージを保有してます 2:45 解体されちゃった1号機😢
@SleeperExpressJNR
@SleeperExpressJNR 6 ай бұрын
交流電機がD型主流なのは再粘着特性が良くてD型ながら直流F型に匹敵するから。東北本線の主力だったED75の1900kwは直流機EF58・EF15と同じだがその特性から更にポテンシャルが高く重連総括制御が出来るから重量列車にも対応できる。 EF70が敢えてF型で登場したのは北陸トンネルの12‰勾配と湿潤したトンネル内の環境で1000t級列車牽引時の余裕を持たせるため。実際福井以北ではED74を使うつもりだったが、将来の1200t列車を想定したら結局EF70を増備した方が得策と判断されED74は少数派になり同じ60Hzの九州日豊本線に転用された。 板谷峠も当初はED78で仙山線と共通運用を目したがD型重連では力不足だった為EF71が登場した。 [あけぼの]運転開始時しばしば空転や登坂失敗が起こったのはEF71の性能不足でも、まして乗務員の技量不足でもない。実は20系客車が原因だった。登場当時は確かに電源荷物車カニ以外全て積3.0空2.5の[ナ級]だったがその後の各種追加装備の為重量増加、実は[オ級]だった為想定された編成重量がEF71の定数を超えていた為。ただ、当時約470両あった20系客車を一々形式変更していては一時的にナハネ20とオハネ20が混在して厄介なので▲ナハネ20等と形式名の前に▲付けて[ナハネながらオハネ]を表した。 板谷峠を越える奥羽本線の普通客レは50系時代の末期こそ2~3両編成が多かったが、50系投入以前、在来一般型客車時代はもっと長く現車7~8両程度の列車も珍しくなかった。
@419shokupan
@419shokupan 6 ай бұрын
64みたいに他でも使えればもう少し長生きしたかもしれないですが、東北の交流区間はもう75がありましたし 僚機の78は軸重可変出来たので軸重的に75が無理な仙山線も入れたのでそちらで使ってましたね まあそれも同じく軌道の弱かった磐越西線共々軌道改良して75が入れる様になるまでですが
@塚越-p4z
@塚越-p4z 6 ай бұрын
時代の流れとは言え寂しいですね😢
@okhan
@okhan 6 ай бұрын
客車普通列車が2.3両になったのはJRになってからだよ
@jyouban531
@jyouban531 5 ай бұрын
民営化直前は5・6両あったけどね
@bakayarou4545
@bakayarou4545 6 ай бұрын
20系カッコイイなぁ〜
@特務らいてい部隊司令伊藤
@特務らいてい部隊司令伊藤 6 ай бұрын
私の最推しの電機・ED75を引き伸ばしたような外観が好きです。2推しと言っても過言ではありません。東北本線単機で貨物牽引出来そうなのに板谷峠専用機だったのが惜しまれます。ただ、使おうと思うとギヤ比変えなきゃいけなくて別形式になってしまうだろうね。
@緑地開発コキーナ
@緑地開発コキーナ 6 ай бұрын
交流機でこの当時 回生制動の機能を持っていたハイテク電機
@ぐぅ-i5j
@ぐぅ-i5j 6 ай бұрын
むしろEF71重連、EF71+ED78重連 編成の話をみてみたい
@金澤華
@金澤華 6 ай бұрын
交流電機は重電各社に食い物にされた悪いイメージしかない コスト意識が低い時代であり会計検査院に指摘されても他人事
@watagasi583
@watagasi583 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます!
@山坂沙武朗
@山坂沙武朗 3 ай бұрын
EF71が空転を多発したのはコストを重視して交流機の特性を軽視したからなのだが
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