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機能不全家族について解説します #早稲田メンタルクリニック #精神科医 #益田裕介 / Incomplete family
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IQ、EQ、体力 精神科医目線で語ります
13:00
ЧТО ЖЕ МЫ КУПИЛИ СОБАКЕ ВМЕСТО ТАБАЛАПОК😱#shorts
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Beat Ronaldo, Win $1,000,000
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coco在求救? #小丑 #天使 #shorts
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機能不全家族とは? 精神科医目線で語ります
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精神科医がこころの病気を解説するCh
Күн бұрын
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@m.cafe143
7 ай бұрын
機能不全家族で育ちました。5歳で両親離婚→7歳で母親蒸発→祖父母家庭で育ちましたが祖母は鬱→既に新しい家庭をもっていた母親に中1で私だけ引き取られ→母親また離婚→ヒステリック、アル中、鬱、借金癖があり逃げるに逃げれない中学生時代→高1で中退し母親から逃げる→19歳で結婚し今42歳。典型的な良い家庭で育った夫と義両親の優しさや環境のおかげで息子(21歳)もしっかり育て上げる事が出来て、夫や義両親には感謝しかありません。
@torotamatamago
7 ай бұрын
機能不全家族で育ちました 詳しく書きたいですが手が止まります 昔のことを吐き出そうとすると思考が未だにぐちゃぐちゃになります 苦しかったです離れた今も苦しんでます いつか楽になれる日が来るといいなと思います
@まえだ-n8h
7 ай бұрын
機能不全家族で幼少期を過ごし、養護施設に入所後は18歳までお世話になりました。今では養護施設で過ごせたことは不幸中の幸いだったのだとさえ思うこともあります。
@governmentforthepeaple
7 ай бұрын
親に世話して貰えなかったけど、血のつながらない人に救われて、その力だけで生きてこれたって奇跡だよね。私は松下幸之助の少し後の時代で、その当時は奉公という人身売買を実の親や親戚がしていたぐらい、子供が生き残るのは大変だった。 貴方が無事に生きていて、本当に良かった😊これから何があっても、命を持つという経験が出来たのは素晴らしい事だ。♥️
@きじこむ
7 ай бұрын
機能不全家族育ちです。子供の頃、両親が激しく言い争ったり、夫婦間で暴力がある中で怯えて育ちました。でも、夫と結婚するまで、我が家が普通だと思っていました。今は親を憎んでいるというより、距離を置いて、夫との関係を保ちたいという気持ちです。紹介された本、購入しようと思います。
@ナスナスカル
7 ай бұрын
私は長女ですが、子供の頃、兄弟喧嘩すると親はどんな理由があろうと私が「お姉さんらしくないから」だと言い、全て私が我慢するよう強いられ、反発すると私だけ体罰を受けました。 親も余裕がなく、躾にまで手が回らなかったのは理解していますが、私だけ我慢、我慢で何度も円形脱毛症になり、未だに悔しい気持ちが込み上げてきます。 機能不全家族の事を知り、親が親らしくなかったことに気付き、自分の子供に連鎖させまいと40代で短大に入学し保育の勉強をしました。
@beth_des
7 ай бұрын
「私が産まれたのは間違いだったんだ、なんで産んだんだ、なんであんたらは結婚したんだ。私は家族のよくないものを一手に引き受けるためのサンドバッグなんだ…」小学生の頃から何度そう思ったことか。 でも今はもう、そんな底なし沼からはとうに抜け出している。ただ傷は治らないもよう。 いつも思う例え話。野菜や果物がまだ小さい頃に傷つけられたら、やっぱりどうしても歪んで育ってしまう。何もなかったように真っ直ぐきれいには育てない。人も同じだと感じる。なかったことには決してならない。
@kotochanel
7 ай бұрын
@@beth_des 100回くらいgoodボタン押したい気持ちになりましたが、1回しか押せないのでコメントを。 私も歪んで育った果物です。 見た目は歪んでいたとしても、食べたら以外とおいしいじゃん!という果実であれるようにと、人間として勉強の日々です。 お互い、がんばりましょうね(^^)
@soran_soran
7 ай бұрын
父親が理解できない理由ですぐキレる人だったので、家は安全基地ではなく地雷原のようでした。父親の怒りは全て母に向かうので、娘の私は母を不憫に思い、反抗どころか自分の意見すら言えませんでした。 親を反面教師にして、穏やかな夫と結婚し、絶縁して30を過ぎてからようやく自分の意見が分かるようになってきました。 それまではずっと、心の中の母にお伺いを立てていたので。 やっと、自分の人生を生きています。楽しいです!
@yn84031
7 ай бұрын
動画を見て「情緒的サポート」がなかったことに気づきました。 学校であった辛いことを話しても「あんたが悪いんでしょ」と言われる 林間学校や修学旅行でお土産買っても、使わないからと喜ばれない、など。 一方、保護や教育には熱心でした! なので、自分でも今までは ネグレクトも虐待も受けてないのになぜしんどかったのか ずっと疑問でした。 「家族機能」が何なのか知らなかったら提供できないので、 自分が子どもを持つ前に知れてよかったです。
@ごろさんのまったりメモデフ
7 ай бұрын
母は精神疾患。父は働かずに借金まみれ どうしょもない家庭でしたが恨むことはやめました。 負の連鎖を断ち切ると心に決め自分の子供にはそんな思いはさせまいと生きています
@サムグレコ-m3z
7 ай бұрын
自分の弱みやダメな部分を受け入れてくれなかったり、苦しい時に心の助けになってくれないのは辛いな。
@emi9987
7 ай бұрын
父も母も、機能不全家族育ちだったんだろうなあと思うことがよくあります。そんな両親のもとで育った自分は、子供を欲しいと思ったことが一度もありません。子供を作らないことが、負の連鎖を断ち切る確実な方法だと思っています。
@レギーネ
7 ай бұрын
機能不全家族で育ったからって愛を知らないわけではないんだけれど。幼い頃に満たされなかった爪痕は今でも残っていると思う。父も母も自分の仕事が第一で小さい時から家事をしたり、育児をしたり、ちょっと表現しにくい親のために精神的サポートもしてました。子どもらしく自分の感情を表現できなかった。今でも「何をしなければならないかが」いつも先にたつので、そしてそれが間違うので、皆のしているコミュニケーションがなかなかできない。文字通り「発達」がおいていかれた感じ。でも徐々に学んでいます。端から見て進歩していないように見えるかも知れないけど少しずつ学んでいます。本当に少しずつ。
@はるえ倉田
7 ай бұрын
先生は鋭いです。機能不全家族が精神疾患に関係ありは本当にそう思います。
@kemi4685
7 ай бұрын
社会とのズレから自己表現が上手くいかず自分を抑えて生きていたから 大変でした。 母を立てれば父は立たたず、父を許せば母は立たず。 面倒。お亡くなりになるまで続きます。両親が仲良しの家庭で育ちたかったけど、なかなか昔は特に男尊女卑だったから、建前、本音も受け付けられたりで、自分の感情なんてなかなか後回し。大変な時代に育ってました。(笑)
@あっぷる-l7x
4 ай бұрын
私も似ています。 ルーツとしっかり向き合うのはツライ思いも味わうけど、気付いて腑に落ちる事で、今と今後の自分が少し楽になる気がします。 KZbinから貰える情報に感謝しつつ、依存して自分らしさが分からなくならないように、学びながら生きていきたいです。
@im-yp1sy
7 ай бұрын
斎藤学医師の書籍「家族はこわい」は読み応えがあって、機能不全家族についてよく理解できました。父性の役割から家族を考察した、珍しい本だと思います。文庫版の方が、人類にとっての家族機能についての章が追加されていて、より深く理解できました。私は20歳の時にこの本を読んで、自身と家族について客観的に考えるきっかけになりました。令和の時代でも十分通じる内容で、もっと多くの人に読まれるべき本だと考えています。
@greentea-qj5ol
7 ай бұрын
斎藤学ドクターの機能不全家族へのアプローチは深いですね。時として「毒親」という言葉が一人歩きして、矮小化されることを危惧しています。斎藤ドクターは、「家族は暴力装置」と断言していたので眼から鱗でした。「家族はこわい」もとてもお勧めです。令和になって、益田先生が機能不全家族を取り上げてくれていることに感謝致します。 父は暴力的で母を箪笥にぶつけたり、殴ったりDVオヤジでした。母親も負けず嫌いでよく大喧嘩してましたが、収集がつかなくなると「お父さんがあばれてるから来て!」と何故か私が仲裁役でした。弟には決して言わなかったので今だに不思議です。 中学生の頃から母親の垂れ流す愚痴をカウンセラーのように何時間も聞いていました。 両親共に他界して、正直ほっとしました。しかしその後、原家族の争いなどの悪夢を多く見て、あ〜またかと。潜在意識がやっと顕在化してきたのか、何故なんでしょうね。 一応適応障害ですが、かかりつけ医は「睡眠が改善されないと正確な診断はできない」とのことです。たまに消えたくなることがあらります。還暦を過ぎてトラウマに悩まされるとは思ってもいませんでした。
@NK-dy3rn
7 ай бұрын
母は自分の都合の良いよう話を作る魑魅魍魎の人でした。父は何も言えないただ母に従う人でした。もう何が事実かわからないおどろおどろしい雰囲気で・・何度も身に覚えのないことをやったと言われ精神的に参っていました。やっとこの家族から離れることができ穏やかな生活が送れるようになりました。 まさに機能不全家族だったと思います。
@madmasanori6568
7 ай бұрын
双極性障害と複雑性PTSDを持ってます。抑うつの時に、なんで虐待した加害者は罪の記憶もない故に罪の意識を持たずに生きて、被害者である自分は苦しみを抱えて治療しなければならないのかと終わりたくなります。
@サムグレコ-m3z
7 ай бұрын
自分の父親がキレやすい人間で、精神的な安全をあまり感じる事が出来なかったように思える。
@高島たー
7 ай бұрын
私も同じです。父親の機嫌を損ねないように損ねないようにと顔色伺いながらビクビク生きていた幼少期を思い出します。
@杏美-e1z
7 ай бұрын
益田先生 いつも学びの多い動画配信をありがとうございます。 機能不全家族で育ったことに、親になってから知らしめられました。 益田先生が書かれた本も拝読しました。親を憎んでも憎まなくても、どちらの態度を取るのかは自分で決めて良い、と先生が以前の動画で仰られていた言葉に随分救われました。 生まれて一番最初に出会う社会が家庭なので、特に母子関係を世間一般でいう普通の愛着関係の構築ができない環境であれば、誰を信頼して良いのか分からない、愛情という物自体が理解できない、 そのため、大人になってからも苦しい気持ちを抱えながら生きていかなければならないという事実や、 自分が世間一般でいう親からの普通の愛情をもらえていなかった(愛情不足と感じていた)事実に、 心理療法の中で気づきはしましたが、すぐには受け入れることは正直、困難でした。 幼少期をやり直すことはできないため、実親を反面教師にして、 自分が嫌だと感じていた(親に言えなかったが)ことについては、 絶対に実子にはしない、世間一般でいう普通の親から子への愛情を注いで、 新しい立場や環境下で家族の再構築を目指していくことは、 幼少期からの傷つき体験の傷を癒やしたり手当てになったり、長年我慢や耐えてきた努力について自分を労う意味での行動につながるのかな、と感じています。
@blueskyinblue
7 ай бұрын
いつ機能不全家庭という言葉を知ったのかもう覚えていませんが、愛し方も愛され方も知らないので結婚も失敗。それに気がつき、結婚向きではない人間だと諦めました。お陰で心穏やかに生きることができています。兄は4度目の結婚で何とか生涯のパートナーを見つけたようですが、機能不全家庭は親から子へ子から孫へと影響するので、どこかで立ち直れた人は幸せ。私は子供がいないことで不幸の連鎖を断ち切れたと思っています。
@shirokumatyan
7 ай бұрын
家族の不満を誰かひとりに押し付けるような家庭で育ちました。 その不満を一手に負わされたのが自分です。大人になってから気付きました。 家族内の大人がみな精神的に未熟だったのだと思います。 だから家族そのものについて、いいイメージがありません。悲しいです😢
@かずみん-l5s
7 ай бұрын
機能不全家族育ちです。 母は父の不倫で離婚し、シングルマザー、子供は私1人です。 母は昔から病気がちで私が子供の頃から入退院を繰り返し、寂しくても笑顔でいるのが癖になっています。そして、ものすごく気分屋なので毎日 母の顔色を伺いながら暮らしてきました。私が結婚し子供が産まれて40代になり、母が70目前の現在も、同居はしていませんが近くに住んでいるので、毎日 身体は大丈夫か連絡をしなくてはいけないし、私が母を思ってした事でも文句を言われたり、理不尽だなと思いながら、正直言うと重荷です。私がうつ病なのもあり、動けなくても母の前では元気に振る舞わなければいけない。週に1度 家に来るから、元気を装い 結局もう5年以上うつ病が治りません。辛い。
@anc07
6 ай бұрын
家庭環境が悪かろうが、 もう大人なんだからいつまでも親のせい家庭環境のせいにするのはおかしい、という考えの人が周りに2人います。 (私が直接言われたんじゃなく、そういう他の人の話でそう意見を述べていたのを聞いた感じです) 私は過剰に親のせいにして憤ってるつもりはありませんが(あまり家庭環境悪かった話を積極的にはしたくないので) 会話で家族や小さい頃の話題になるとどうしても「うちの場合はこうだった」って話さざるを得なく、嘘をつく訳にもいかないかなと思って自分の気持ちも正直に添えて話してるんですが(うちの親は普通じゃなかった、とか大人になってから他の普通の家庭を知って違いがわかった、とか) 人から見たら親のせいにして憤ってるように見えるのかなぁ…と思います。 苦しかった話、愛情に飢えてて寂しかった話、自分は嫌だなと思った話、大人になった今も家庭環境がコンプレックスで恥ずかしく感じるという話、 全部「大人なんだからこれからは気持ち切り替えて自己責任」の1言で片付けられてしまうのかな? 負の気持ちを我慢して生きるって難しいです。
@tottocohamu
7 ай бұрын
機能不全家庭育ちです。父は中卒で定職に就いてる事があまり無かったです。今思うと字が書けないのでLDとか境界知能の問題があったのかもしれません。母が働いて家計を支えていました。母は母で幼い頃、離婚により祖母と離されて育っており愛着の問題や曽祖母の介護をさせられたり家事をさせられたりヤングケアラーの問題を抱えていそうです。とにかく家族が喧嘩ばかりで私はよく泣いてました。父の暴力も凄かったです。なんとか生き延び今はおばちゃんになりました。 旦那は自分の会社を持ってるし、子供は私立に通ってます。人から見たら充分幸せなんでしょうが…なんかずっと鬱っぽいです。家族の問題は根が深いですね。見本が無いので私と夫で新しい自分家らしさを模索中です。
@machi05
7 ай бұрын
振り返り、分析してみると、母親、父親ともに不安障害じゃないの?ぐらいの見捨てられ不安が強いです。その不安を私だけが荷負わされてきて、私の希望や不安は何一つ聞いてもらえてきた記憶がなく、ほぼ子供時代から、誰にも話を聞いてもらえずに寂しかったんだ。ということに気づいた時、猛烈に親に腹が立ちました。親子の役割が完全に逆転しています。 今私は40代ですが、友達が一人もいなくて、さみしくても誰にもさみしいと言えず、時々強い孤独感を感じて死を考えるときがあります。親が自分たちがいいように私に親代わりを求め、人の子供時代を奪うなんて絶対しちゃいけないし、子供が一番不幸なことだと思います。 親を許したくて先生の本買いましたが、未だに怖くて読めないです。
@ウメモトサヴァ
7 ай бұрын
親を許したいの?それは神様のお役目ではないかな😊あなたはそのまま楽になればいいんじゃないかな
@miomio-zw4zb
7 ай бұрын
まさに集団の病理といった家族でした。姉妹それぞれ独立し、がらんとした一軒家で両親が家庭内別居状態になって、ようやく全員が安定しました。と言いつつ自分はまだまだ自立できていませんが。この遺伝子をきっちり当代で滅ぼすのが自分の責務だと思って生きています。
@玲子山口-d8p
7 ай бұрын
益田Dr.いつもありがとうございます😊 私は、機能不全家族育ちです 毒親両親ともに 30歳くらいまでは、呪縛に支配されていました。 うつ病歴30年になります 今の主人の家族がとても良い家族でしたので、そこで理想の家族 の形や在り方を学びました しかし、うつ病は、良くなったり悪くなったりを繰り返して今に至ります。 少し、自分は、発達障害傾向があるかもしれません 今は、実の両親を憎む事は無くなりました。 両親共亡くなっておりますし、2人共の葬式にも行きませんでした 今、自分が生きてきたこと、自分が頑張って生きてここまで来れた事に感謝しています これから、何年生きるのかもわかりませんし これから、楽しめる事を出来る範囲でゆっくり歩んで行こうと思っています。 息子が2人おりますが、なんとか健康で仕事も頑張っているので、それだけでありがとうです❤ 今は、生きていて良かったと思う人生を歩んでおります😊
@murasakiskidamarink
7 ай бұрын
子どもの時から薄々うちって変だなとは思っていたけど機能不全家族とか毒になる親とかって言葉を二十歳くらいの時にネット通じて知って(20年前くらい)、それから何年かは辛かったけどどんどん楽になった。知ることって大事だよね
@user-nc2hp5ui5x
7 ай бұрын
『実家および一族全体が異常だった』ということを突きつけられ自覚する度、そこそこ凹みます。 で、あんな異常なところで育ってしまった自分は本当にこの世に存在してていいのか?と恐怖や罪悪感や希死念慮に襲われる →あぁこの感情たぶんヤバイなと思って頓服を飲んでちょっと落ち着く →いやいやダンブルドアだって「どう生まれたかじゃなくて何を選ぶかじゃよハリー」って何回も言ってたじゃん…(※ハリポタファンです)と持ち直す の繰り返し。 もう実家とは物理的に距離とっていて二度と会うこともないので、血縁者が現在進行系の悩みになることはないのですが 上記の繰り返しとは一生の付き合いになってしまうのでしょうね。 死にたいと思ってしまうのは病気なはずだから時間はかかってもいつか『治る』 という期待を高校生〜20代のころは持ってました。 骨折したら時間はかかってもくっついて治るみたいに。 今はもう複雑性PTSDという概念を知れて、治るということはない一生モノなんだと理解しました。 骨折ではなく幼い頃に事故で四肢を切断したようなものなんだなと。 失くした人体のパーツが生えてくることはないのと同じく、仕方がないんだなと諦めてます。
@AJ-tj4ec
7 ай бұрын
全く同じです。 そっかこれは一生ものなんですね。 勉強になりました。ありがとうございます。
@東美奈子-l4q
7 ай бұрын
私も複雑性PTSDです。一生治りません。記憶、感覚、繰り返しの傷は深く記憶され完全に消えないで時々むなしいし、心にぽっかり穴が開いて生気なく何もかも捨てたい気持ちになります。そのやりきれない広場恐怖のような不安。保護されず傷つける親、姉の元に育っています。姉は毎日執拗に私をターゲットにしいじめて楽しんでました。大人になり発達障害グレーゾーンとわかった様です。母も多分発達障害。
@シーホース
7 ай бұрын
希死念慮?死にたいと思う症状は30年ぐらいで考えなくなりました。 30年が早い方か遅い方か分からないけど、9歳の時にいじめから死んだ方が楽だと思っちゃって。 20代の時に精神科に行って、死ぬことを考えなくなる薬と発達障害の検査を求めたけど「薬は必要はい」と言われて。そのままなんの治療もサポートも無かったですが、死にたいと初めて思ったその日に、自分が決めた「40歳前ぐらいに治る(多分)」という自己暗示(の つもり)に従い、30後半からあまり思い出さなくなって、今はただの思い出です。
@hanakaze-xn5vs
7 ай бұрын
まっすぅ先生が解説する機能不全家族、とても楽しみにしています。
@third-girl55
7 ай бұрын
情緒を乱されることはあっても守られることのない家族のもとで育ちました。今は私のせいで子供たちが苦しんでいます。辛いです。
@26kouko
7 ай бұрын
毒親、機能不全家庭育ち。もうそれには慣れたと言うか耐えるしかなかったからもう1番辛かった事がなんだったかすらもうどうでもいいけど。末娘の私が就職で実家を出るのが決まったあたりの時、父親が「やっと家族解散だ!うちは解散です、自分達のことは自分でね」って喜んで言ってきたのほんとに引いたね。ほんとどうしようもない。
@governmentforthepeaple
7 ай бұрын
愛って、大事だよね。お父さん、ちょっと疲れてたかもしれないけど、愛欲しいよね。
@アホちゃん
7 ай бұрын
うちは機能不全家族だと思います😢私だけ除け者にされてます😅元旦那も毒親に飲み込まれました。 母には私だけ嘘をつかれていて私だけ悪者にされてます。疲れました😢
@keyagu.oyagu.meyagu
7 ай бұрын
私も機能不全家庭育ちです。ファンタジーだと思ってました!機能している幸せな家庭なんてないと思ってました。 家ついてっていいですか見て、ほんとに存在するんだってカルチャーショック受けました。
@EKOQ
2 ай бұрын
心のよりどころがほしい
@あまね-q6v
7 ай бұрын
情緒的サポートを受けられない家庭でした そしてそんな同じ家庭を作ってしまいました もっと早くにこのような情報・知識があったらと残念でなりません 気づいたものの変えていくのはとても苦しいです
@ys1384
7 ай бұрын
機能不全家庭育ちですが、原因は両親のアルコール依存症だと思います。両親共に愛情不足の家庭で育ち、お酒に走ったのかなと。とりあえず自分だけ断酒しています。
@あまぎりま
7 ай бұрын
機能不全家族なのかは解らないけど、子供の頃はとにかく両親が苦手だったし、「両親は悪い魔法使いに乗っ取られて中身が入れ替わってしまったんだ」と思って育った。 何をしても自分は駄目だ、とにかく努力しない意味がないと言われているようでしんどくて、どこかでゴールを決めて何歳まで頑張ったら死にたいと思っていたので17歳で自殺を試みた。 大人になってみたら、自分の発達障がいも弱視も親は見逃していて、「ああこの人達は自分じゃなくて、この人達の見たい子供像しか見ていないんだな」と思った。 その中で親友に、「貴方の家族は貴方を愛してるとは思う。ただそれが貴方の求める愛情ではなかっただけで。」と言われて自分の違和感の元が何なのか解った気がした。 自分は、自分のことを理解しようとしてくれる姿が見たかったんだと気が付いた。 自分が親になったら、子供と同じ目線まで下がれる親になりたいと思った。 現実は、「孫のため」と言われて「ああしろ」「こうしろ」「塾は決めてきた」「水泳に入ってきた」と全部勝手に決められている。 お金を出して、時間と労力を割いて、孫の将来を真剣に考えて愛してるからそうしているんだと言われる。 自分の子供なのに川遊びに連れていった、テスト週間は勉強をさせろ、次に連れていったら許さないと言われ、毎日のように家に来られ、「自分達がきて勉強を教えるからいい」「お前には出来ない、孫の事は任せられない」と言われている。 極論、私の子供達だからもう放っておいてくれないかと言っても、仕事から帰ったら両親がもう家にいる。 正直、あんなに必死で守ってきた子供達に愛着を感じなくなってきている自分が怖くて辛い。
@umetoraman-bts
7 ай бұрын
大人になって乗り越えたと思っても子育てをするようになると、トラウマが蘇って精神科のお世話になりました。親や祖父母のようになりたくないと思うけど、自信がなく怖くなります。
@あぴこ-o6l
7 ай бұрын
思春期に両親が離婚、原因は父のアルコール依存と母の不倫です。母は不倫相手と駆け落ちし私と弟を捨てました。その後、母は自分の味方が欲しいがために私に家出させて呼び寄せました。今日からこの人をパパと呼びなさいと言われ、中学生の私は生きていくために仕方なく母の言う通りにしていました。母は自己愛性パーソナリティ障害で他人をコントロールするのが上手く、私は完全に操り人形でした。実父との家庭生活のなかでは私はスケープゴートで、継父との生活のなかでは、母の愚痴のゴミ箱にされていました。結局、継父とも離婚。その離婚も私のせいにされました。家庭の中の登場人物にまともな人がおらず、人が信じられなくて、人生が辛いです。結婚はしましたが、悪いお手本しか知らないので子を持つ事に自信がなく子どもを作りませんでした。両親、継父には恨みしかありません。 悪い種でも土壌が良ければ、良い苗木が育つから、100均の土は買わないでねとお花の先生が言われたことを思い出しました。家庭は土壌です。私の家庭は粗悪な土でした😢
@かすり傷
7 ай бұрын
私の家は、祖母、父の姉妹弟、父母、兄2人の9人で暮らしてました。 ほんと、サザエさんの家は、ありえないと思っていました😅 まわりは、大人ばかりなので、わがままは言えず、言うことを聞くのが当然です。 協調性があると言ってしまえば、聞こえはいいですが、自分の意見を持てませんでした。 おば、おじに、理不尽な事を言われても、父母は助けてくれません。 何かやりたいと母に言うと、ダメだと一蹴されました。 今思うと、母は家のことを全てやっていたので、私の言うことに時間を割けないということもあったのかなと思います。 中高と学校に行きたくなかったのですが、無理やり行かされました。 誰も、寄り添ってはくれませんでした。 愛情を感じたことは、ほぼ無いです。 家が嫌なはずなのに、結局、家から出られないという、何か行動をとる、ということが出来なかったです。 自己を否定されることが多く、自己肯定感がかなり低いです。 兄2人も、同じ家にいましたが、3人とも性格が違いますね。 昔、母が父に、こんな家にいたら、子供が悪くなるから出ようと言ったそうですが、父は、兄弟を置いて家を出るのは、嫌だと言ったそうです。 案の定、長男は、うつ病、次男は統合失調症、私は、うつ病と、子供3人精神疾患になりました。 いま、思うと、ずっと緊張しながら学校や家で過ごしていたなと思います。 私は、自分の部屋が自分の世界だと思っていた時期もあったので、苦しいことがあると、いつも自分の部屋を思い出し、早くそこに帰りたいと、いつも思ってました。 いまは、次男と私の2人暮らしになりました。 経済的に苦しいことがなかったというのは、良かったのかなと思うようになりました。 こうして、病気で働けなくても、家があって暮らしていけるのことが出来るので、よりそれを強く感じています。 このように思えるようになったのは、益田先生の動画のおかげです✨ いつも、ありがとうございます😊
@kisa____3068
7 ай бұрын
母子家庭だったため祖父母と母、私、弟で生活していた時期があったのですが、祖父母は毎日ケンカばかりで、母はフルタイムで家にいる時間が少なかったです。 小学生高学年の時から祖父がアル中になり、夕飯の時間から飲んで家族に怒鳴りちらすという時期がありました。 当時辛かったのですが、自分が家のことを人に話したら家庭が崩壊するのではないかと思い言えませんでした。 その後祖父が受診し、病気は落ち着いたのですが、母がその後うつを繰り返し、学生時代は私が面倒を見ている時期もありました。 今は自分の家族と平和に暮らしているのですが、生まれ育った家族は機能不全だったなと、不運だったなと思います。
@美華-v3o
7 ай бұрын
機能不全家族です。 子供の頃からずっと不定愁訴に悩まされ、今もうつ病で入退院をしている50代です。 恨んでいませんが、もっと近づいてみたかったです…
@AKOH-x6t
7 ай бұрын
母は熱心なエホバの証人で、父は未信者でしたがモラハラ気質で気分変動が酷く、また承認欲求がとても強い人物でした。 幼い頃から、母からは愛の鞭と言う名の暴力と人生の支配があり、父からは事ある毎に、意見や人格を否定されて育ちました。どこにも逃げ道がなかった... 親の愛を得るために自分を差し出してきたので、普通の愛がわからず、結婚を何度か失敗してしまいました。 宗教を脱会してから20年以上かけて自分を育て直していますが、益田先生ならびに他の精神科医KZbinrの方々の動画で勉強させていただき、より深いところの自分を理解出来るようになりました。 認知の歪みに気づけるようになって、少しずつ前進しています! 助けになる動画をいつもありがとうございます😊
@user-xz8yf9hi6v
2 ай бұрын
普通の家庭で育った人と結婚し、機能不全家族の一員から抜けたものの、母のことを見捨てられずなんとかしてあげたいと思い育休期間を活かしてサポートしたら、余計依存されるようになり、結局ほぼ絶縁することに決めました。 機能不全家族から本当に解放されるためには、ただその家庭から抜けるのではなく交流断絶しかないんだと身をもって理解しました。
@あかり-l3g
7 ай бұрын
機能不全家族育ちです。 父親は元々キレやすい性格でうつ病にもなり、母親は子供のように自己中心的な人です。 私はそんな環境に耐えきれずうつ病になりました。 普通の家庭で育ちたかった、、
@ふろーれんすみーこ
7 ай бұрын
益田先生のお話を聞いていたら、私はやっぱり機能不全家族に育てられていたのか?と思えるようになりました。最近、母親と同居を始めましたが、私が育てて貰っていた頃の母のイメージと、今の母はまるで別人で、戸惑いを超え、一緒に暮らすことが苦しく感じます。子供の頃、父と母の言い争いの批判の中で、私は避けるように小さくなって育ちました。 家族ごっこだったのでしょうか。 そして、今もお互いが気を回しているはずが、空回りしつつ、顔色を伺いながら生活をしている、まさに家族ごっこになってしまっています。毎日が疲れます。ほっと出来る時間がなかなかありません。 亡くなった父も、同居中の母も一人一人としては悪くない人達だと思うのですが、益田先生のおっしゃる通り、集まってしまうと争いが起こり、スムーズに事が運ばない事が多かった家族でした。 先生の本、読んでみたいです。 長々と失礼しました、ありがとうございました。
@kounotori0202
7 ай бұрын
親が喧嘩しているところを見たことはなかったけど、仲が悪いのは子供心にわかっていました。 家が安らげる場所ではなかったので、暖かい家庭を作りたかったけど、私は離婚してしまったので子供には申し訳なく思う気持ちがあります。 負の連鎖を断ち切る方法を模索中です😢
@326ziroro5
7 ай бұрын
アニメに出てくるような家族は長年ファンタジーとしてしか見れなかったですが、パートナーの家族がまさに理想の家族という感じで、少し身近に感じられて嬉しかったのですがそれと同時にショックで号泣してしまいました😂(もちろん1人の時です) まともに会話が通じるだけで羨ましいです…
@富久子木村
7 ай бұрын
おつかれさまです😊 しんちゃんの絵かわいいよ
@まりも-g3g
7 ай бұрын
父親(と思いたくない)がいつも怒鳴っている家で育ちました。たぶん発達障害などがあるのかもしれません。 先生がおっしゃる通り、クレヨンしんちゃんやサザエさんのおうちはファンタジーだと思っていました。 同じように感じる方もいるんだなと思いました。 上手く行っている家庭を見たことがないので、自分が家庭を持った今、手探りの感覚がすごいです。
@moto6945
7 ай бұрын
子供の頃サザエさんの家族が憧れでした❤ 舟さんのような専業主婦のお母さんになるのが夢でした。 先生の「親を憎むのを辞める方法」 オーディオで購入しました。 繰り返し聞いて腑に落ちてきました🙏
@pompokotv1120
7 ай бұрын
宿題:メタ認知的に見て、うちは機能不全でした。どこにトラブルの原因があったか、多岐に渡りますが 1.コミュニケーションの欠如(両親が不安神経症、愛着障害、発達グレー傾向のため、情緒的な会話や、共感、尊重された記憶なし。話を聞いてもらえた、わかってもらえた、という体験がほとんどなく心理的安全性のない家庭で家に帰っても安らげなかった。学校からの帰り道はいつも憂鬱で家がむしろ怖かった。) 2.役割の混乱 (精神的に両親の方が未熟で、次男である自身の方が、不安神経症でヒステリックや暴力に急に切り替わる親のケアをしていた。親子の役割逆転。夜な夜な夫婦喧嘩の末泣く母親の愚痴の聞き役。=夫役。世間体を気にしてか、他の福祉や精神科の大人に頼らない通わない両親の代わりにカウンセラー役。子どもの私が愚痴の聞き役。私が辛さを両親や、倫理観やEQの高い大人にたくさん話を聞いてもらいたい側で助けて欲しかった。父親に人は信用するな詐欺師だと教え込まされてたので、大人を信用できず、また親に見捨てられるリスクが怖くて誰にも相談できなかった。社会人になっても鬱で倒れるまでは、誰にも相談できなかった。現在は精神科通院中。読書中やディズニー映画が安らぐ時間でさだった。当時は他の家庭も同じだと思ってたので、何がストレスなのかも、悩んでることの言語化もできずただただ息苦しさだった。自分を助けてくれない恐怖もあったが、幸せそうじゃない親を社会が助けてくれないことに憤りと恨みを感じていた。たぶん益田先生が以前悲しまれてた、"社会から無視されてる感覚がするんだよね"と涙流されてた感情に非常に近い、無理解に対する怒りや寂しさや悲しさ不安や憤り妬み恨み辛みなどぐちゃぐちゃに入り乱れた複雑な感情だと思う。自分が無力なら何も感じなかったんだと思う。自分への情けなさや、自責感もですかね。たぶんトラウマ的に、今もあります。) 3.過度な期待、密着?無理解(いい大学に入り、いい企業につとめ、結婚し、子育てをし、定年する。そのレールに従わないと不機嫌になり、お前は子どもじゃないと縁を切る、と発言をされる。反論すると暴力的になり、どつかれる。) 4.批判、虐待 (3に同じ。小さな頃からヒステリックな母と父が怒鳴り合うのを何度も間近で見聞きする。家族が崩壊するのではないか、両親の機嫌を損ねたり、情緒不安定で両親が倒れたら無力なまだ小さい自分は生きていけないんじゃないかという恐怖と恐れに支配され、怯えていた。決して親を怒らせたり不機嫌にさせないように、親のご機嫌取り、顔色を常に察知し安心させることに全神経を集中させてきた。子供らしくあれ欲しいこれ欲しいとわがままを言ったり、遊びたいと思うまま子供らしく遊んだりすることより、恐怖で親の機嫌を損なわないことを優先してきた。楽しそうにしていると両親が嫉妬で不機嫌になるので、親の前ではうかつにゲームや幸せそうに振る舞うのを警戒して避けてきた。 (自分の認知行動療法のため向き合うのイヤでしたがやってみました。どなたかの整理の参考になれば
@横川美里-o8m
7 ай бұрын
機能不全家族について知りませんでした。いい勉強になりました。
@chocolate8805
7 ай бұрын
振り返れば機能不全家族だったと思うのと同時に、 私以外の家族を見るとなぜ私だけこんなに苦しまなければならないのかと思います。 家族にもここまで深く説明したり理解して貰うことは難しいですし、孤独な人生です。
@tt9317
7 ай бұрын
私の母は自分が注目されることに必死な人です。 子どもよりも友人や仕事を優先します。年老いた今も変わりありません。
@Mio-San_
7 ай бұрын
私の祖父母は早くに亡くなったので私は誰の祖父母の顔も名前も知りません。そのため友人知人がよく御先祖様という存在の日本語を話しているのが、全く付いていけませんでした。(※宗教を変えたら関係なくなりましたので解決済) サザエさんはファンタジーだと思ってたので、今日この動画で、普通の家庭なのを知りました。何歳になっても、学びってあるんだな~とすごく、ホッコリしました。 私のおじいちゃんおばあちゃん、居たのかもしれないですね。少しだけ夢が見れた気がします。ご冥福をお祈りします。 動画ありがとうございました✨
@yui-reoao
7 ай бұрын
私の家も機能不全家族だと思う。 感情をコントロール出来ず、物に当たる父、ヒステリックになり子どもの前で泣く母。 特に母の行動は異常でした。 外食に行くと他所の家族をガン見し会話を盗み聞きしていたり、私が中学生という繊細な時期に勝手に私の部屋に入り気持ちを書いていたノートを覗いていたりとプライベートへの配慮も何もなかった。 母は不都合な事があると人の所為、私がタヒねばいいとすぐ口にする。 私がこうしたいなどやりたいことに対してすべて否定する。 母は自分の考えがすべて正しいと思っています。 また仕事の愚痴を永遠と家で聞かされていました。 私は親とのコミュニケーションをまともに取れなかったこともあり幼稚園から高校卒業までずっと同級生から嫌われていたり仲間外れにされていました。 今思えば親が私にしてきたことを同級生たちにしていたからだと思います。 私には子どもがいます。 自分の親は反面教師と思って子育てしています。 私の子どもたちに自分の様な生き方をしてほしくないという気持ちが一番強いです。
@kailavender3940
7 ай бұрын
私の育った環境もまあまあの機能不全家庭だと思っていたのですが、 機能不全もピンからキリまであるんだなと思う今日この頃です。 今1番の機能不全家族だと思っているのは札幌のあのT一家です。 以前、このチャンネルでも解説なさっていらっしゃいましたが、その後公判が始まり驚愕の事実が次々と明るみになってきました。 また改めて、解説して欲しいのですが、先生にとっては同業の方でもあるし、このチャンネルの視聴者さんへの影響も考えないといけませんからね。。。
@ウルフ姉さん
7 ай бұрын
未診断ですが父親が境界知能・ASD傾向、他界した母はADHD傾向、子供3姉妹のうち2人ADHD診断済み。物心ついた頃父親は職が長続きせず家にいる事が多かったけど会話が成り立たず愚痴や不満ばかりいう人でした。母はパートで家計を支えてくれましたがストレスでいつもイライラ。地雷を踏まないようビクビクする毎日でした。大人になって改めて母に抑えていた感情をぶつけた事がありますが、当の本人は覚えていませんでした。今はあの世、もう恨んでもしょうがないですが、感謝する気持ちも持てません。年老いた父は健在ですが、この先長くないと分かっていても会いたいと思いません。時々自責の念に苛まれていましたが、今は家族とも距離を置き、自分を大事に生きています。
@tanaka3765
7 ай бұрын
機能不全家族とまではいかないまでも両親との不和はありました。 自分が発達障害で過敏性腸症候群、母親が発達障害っぽいとか、家族共に精神医学への無理解もあり、何か問題があって家族で話し合っても、結果的に父親の経済力に逆らえなくて病んでいくこともありました。今は一人暮らし(サテライト型グループホーム)で両親と距離をおくことで程よい関係にやっと慣れたと感じます。
@bitwithfriend
7 ай бұрын
家族の雰囲気が悪くコミュニケーションがなくて学校でのスクールカーストが低いともうコミュニケーション能力伸ばせないよね‥ (自分がそうだったんだよね😿) あと大きな家だとお金で子育てを解決しようとしたりして悪い方向にいったりすることもあるんだよね‥
@skysky-e2k
7 ай бұрын
自分の家は、良い時期と悪い時期がハッキリしていて、兄が中学校で上手くいかなくなり、当時小学5年だった私を束縛、八つ当たりし始めてから全てが変わりました。私の視点からは、それまではそこそこ平和でした。親族間の仲も良かったので。 姉弟や従兄弟たちが思春期に入り始め、受験などにぶち当たってから、親族仲も全て崩壊していきました。 私の父は研究者で、母は元イラストレーター、3人出産した後は画家になりました。親族には医師も多く、恵まれた一族だったと思います。 ただ、家族・親族間でも実力主義で、一人一人がプライドが高く、マウントの取り合いは当たり前。更に、なんの苦も無く東大に入るような人達って、人の痛みが分からないんです。不器用な家族がいても、助けないし、むしろ破壊しにかかるというか。兄がバランスを崩した時に両親が愚直に向き合えば、あんなひどい機能不全を見なくて済んだのではないかと思っています。 私は18歳の頃までいわゆる虐待を受けましたが、その中でも部活で成果を上げ、大学受験で大多数の人が納得する志望校に合格して、家族達を実力でねじ伏せる形で説得し、一度実家を出ました。しかし、無理をしまくったので心身はボロボロでした。また実家に帰るしかありませんでした。 学生時代、今の旦那に出会って、大学卒業前に逃げるように同棲を始め、なんとか結婚し、子どもに恵まれました。 その後、自分が子どもだった頃の平和な家族の思い出が忘れられず、実家の家族仲の修復に奔走しました。 100%あの頃に戻るのは無理だし、やっぱり機能不全を起こす人達って元々おかしい人なので(笑)あ、そもそも人格おかしいから虐待とかするんだな、結局家族みんな共犯じゃん…とか思いつつ、親に介護が必要になった時には連絡を取れる、会えるくらいの温度には修復できたように思います。 20年以上、なんでこんなに無理しなければいけなかったのか。殴り蹴りが始まった11歳の頃の私に、なんの非があったのか。 運命を変えてやった自負はありますが、おかげで身体はボロボロです。長生きできるのかなぁ、と黄昏れてしまいます。 でも、健康を犠牲にしてでも抵抗しなければ、強制的に子供部屋おばさんにされていたような気がします。うちの両親は、自分たちの充実のためには子どもを踏み台にするタイプだったので。 今は、姉弟もわりと平和に過ごしているので、健康がしんどい以外はまぁまぁ落ち着いてます。 血圧下がらないかな〜。
@ハムちゃん-t2k
7 ай бұрын
20時からなんですね!楽しみにしております
@なな-s8x9t
7 ай бұрын
学生時代、長らく摂食障害でした。 原因は機能不全家族でした。 独り立ちして、社会と関わり、「不完全な大人が大半なこと」「親が教えた常識が全てじゃないこと」「正しく生きてもうまくいくとは限らないこと」を理解してから徐々に完治しました。 親の期待に応えようとすることも、恨むことも、親に執着していることと同意義なので、「諦める」ことがキーです。 学生の青春は失ってしまったけど、生まれ変わった気持ちで人生を謳歌しています。
@もちわらび-n5e
7 ай бұрын
小さい頃はふつうの家族でしたが、学生の頃に父親が精神疾患になり、そこから家族の形が歪みました。幼少期の記憶は学生時代に全部飛びました。学生時代の記憶は思い出したくないし、記憶はあっても順番がめちゃくちゃです。
@stadokor
7 ай бұрын
ほとんどの家庭は機能不全じゃないのかな?だからある意味みんな大丈夫ダヨと思いたい。 自分の周りにいいなと思える家族いません。
@marubarchan
7 ай бұрын
「家族はチーム」 全員が大切なメンバー。 助け合って励まし合って、協力しあって…。 うちは違った😢、仲間割れ。
@yuu4266
7 ай бұрын
機能不全家族でした😢 父のDVがあって母は私を連れて実家に帰ったので、私はおじいちゃんおばあちゃんと一緒に育ちました ずっとそれが普通で当たり前の環境だと思ってきましたが、実際は叔父のゴミ屋敷問題、金銭的や言葉の虐待があったし、誰も叔父に逆らえなかったり何だかとにかくおかしな家庭でした。。 父親の愛情を受けていないし兄弟も居なかったので今でも男性との関わり合いが難しいです。距離感を間違えてしまいがちです。。 凄く距離を置いてしまったり、逆に急接近して期待して重たがられてしまったり😢 思春期に育つべきところが未完成なままずっと歳を重ねている気がします。 機能不全のせいなのか、発達障害のせいなのかもわかりません。独特なコミュニケーションも該当します💦 生きづらいです。。。 異性に愛される人生を送ってみたいです。
@澪-o4g
7 ай бұрын
過去の事色々言っても仕方ないし変えられるわけでもないので、受け入れて今出来る事をして生きようと思ってます
@by-ci4gf
7 ай бұрын
父が暴力、数々の浮気、ギャンブル依存で発達障害か人格障害か、何か問題がありました。母もカサンドラ症候群なのか、元から発達障害なのか、妄想と現実の区別がつかず、異常に疑い深くて何事にも人の悪意を見出してしまうタイプです。私自身、20年近くうつ病で、やはり発達障害なのか汚部屋住まい、40代後半ですが3度目の休職のすえ、また無職になりました。一見人懐っこく振る舞いますが、人間不信が強く、男性とお付き合いしたこともありません。30代までは友人もいましたが、長いうつ期間で友人関係も切れました。現在の問題は、親が高齢になり、一人っ子の私が支える役割を社会や親から求められることです。去年は父が他界、母がゴミ屋敷で一人住まい。先日、その母が骨折して入院したので今は帰省していますが、病院とのやりとり、滞納している支払い、、すでに私の肩にのしかかってきていて。ネズミの走っている部屋に一人、本当に消えてしまいたいです。
@たまちゃん-u2k
7 ай бұрын
小さい頃「両親若くていいね。」と言われた事がありますが、残念ながら未熟な親に育てられたという気がしています。家庭崩壊とまではいかなくても、両親とも感情的で客観的に物事を考えるタイプではありませんでした。私は両親と一緒にいると自分が成長できない気がして20代前半に自立しました。両親と長く一緒に暮らしていた妹は、自分の感情をコントロールできない人間になってしまい、勤め先でも仕事の出来ない社員を怒鳴って泣かせていたようです。両親は他界したので本来なら妹と仲良くと思いたいところですが、妹は常に自分が一番と思い込んでいるため、何かあると攻撃的な態度を取るので距離をおいています。環境ってこわいと思います。私は親から離れて正解でした。
@安達元子
7 ай бұрын
子供より自分第一、何人も子を作ってそれぞれで扱いを変えて、私はいいように利用され、いい母親のサンドバッグだったのかなあ、と18歳まで実家で暮らしたのですが、地獄でした。家にいる両親、血の繋がりのない祖母、安心して甘えられる人は一人もいなかったですね。ずっとあの家にいたら殺人事件とか起きてたかも、とまで思います。今は老いた母親が施設にいますが、たまに見舞い行く程度の関係になってやっと楽になりました。宗教絡みもあり、50歳くらいまで苦しかったですが、今はやっと少し楽になりました。体はガタガタですが。
@yu-yu99
7 ай бұрын
大人になってから父親に体罰や怒鳴り声を伴う一生のトラウマのことを責めたのですが、『この世に手を1度も上げない親なんていないだろ!みんなしつけとしてやってる!それがダメなら全員逮捕されてる! 完璧な家族なんているのか!?居ねぇだろ!?』って言われて正当化されたんですけど、私はどう返せば良かったんですかね.... 父は学校教育に携わるものなのですが、この言い分が正しいとすれば 「完璧な家族は存在しない」 ⬇️ 「衣食住を与え学校に行かせるだけで役目は果たしている」 ⬇️ 「だから子供が精神障害を患ってもトラウマを抱えても指摘してはならない」 ということなのでしょうか? 自分が親に対して過剰反応してるだけで親がまともで私が間違っているのでしょうか?何もわからないです。 でも確かに親のひどい理不尽に悩んでいない友達にほとんど出会ったことがありません。私の周りだけなのか分かりませんが。 ならこの世の全ての家が『機能不全家族』なのであれば、何をもってして異常な家庭なのか。。逮捕されなければ良いのか。 割合が分かりません。 客観的に見て自分の家族は「普通」なのか異常なのか。
@to8794
6 ай бұрын
父親から継続的に、身体また精神的に嫌がらせを受けているなら 警察に相談しましょう。 ただし離れて住んでるならですが…。 うちは、虐待親が高齢化してから 私や私の周りへストーカー&私へ言葉の暴力を掛けてきたので、 警察に相談したら、「家に押しかけてきたら110してください。すぐ動けるようにしておきます」と言ってもらえました。 住民票非開示手続きもしました。 子供時代の虐待でも、いまは警察に理解があり、聞いてくれます。証拠があれば良いですが、無くても大丈夫そうでした。 うちの親も、外面が良いんですよ。 こういう親は小心者です。「警察が受理したから‼️💢」と言えば大人しくなります。
@yu-yu99
6 ай бұрын
@@to8794 今は何とか別の理由をつけて、母方の祖母の家に居候して日々を過ごしています...(父もさすがに言いにくい相手のようです) 父が一緒に家に居ないだけでこんなにも生きやすいんだと自覚しました。 将来一人暮らしになったらそういった対策もあるのですね…!ためになります!ありがとうございます🙇♀️
@user-dt2qm9pd6c
7 ай бұрын
先生の本拝読しました 機能不全家族で生まれたときからスケープゴート役を数年前までやらされていました 3代前から虐待の連鎖が続いていて、 家長制度、男尊女卑、戦争、貧困、親という役割の不在、障害者差別…など身内のしたことを肯定するつもりは一切ありませんが、彼らがああなったのも理解できました 今でも当時のことが夢に出てきて泣きながら起きることがあります 配偶者以外の人間が信用できません 普通というものがわからず、苦しいですが、 それでも私は私の人生をより良くしたいので幸せになることを諦めません
@plumeria6653
7 ай бұрын
ここの書き込みを見ると、私は外からは何も問題なく思われそうだけれど・・・ 小学生の時から同級生がうらやましくてそこの家の子になりたいと願ったり、 学校から旅行に行って戻って来て、家に帰りたくないと思ったり、 思えば情緒的サポートがまるでなかった家庭(母)。 家は外での傷や不安を癒すどころか、かえって傷つけられる場所。 社会的統制機能(躾)も、ほったらかしで社会に投げ出された感あります。 母から私への一方的なコミュニケーションしかなかったし。 家庭って何だろう。
@みかみん-j5i
7 ай бұрын
ウチは機能壊滅家庭でしたね 恨まないなんて無理です
@houjitya0608
7 ай бұрын
機能不全家族だと、サザエさんやクレヨンしんちゃんみたいな家族ってファンタジーに感じるらしいですね。 自分もそんな風に感じていて、大人になってしばらくして気付きました。 そのおかげか、その時から落ち着き始めた気がします。
@ericapixel
7 ай бұрын
大人になって夫婦間は勿論親子間にも兄弟間にも『相性』があるんだといった当たり前の事を知りました。 幼少期の環境はどうにも出来ないですが成長していけると思うので親、兄弟との折り合いが良くない場合は血縁にこだわらず自分が人間関係を築く上で父や母の様な大きな存在頼れる、将来の自分のモデルケースの様な存在の人(よくあるケースでは恩師といわれる存在)を代理にしたり、友人間や部活の先輩の様な等身大の自分に1番近い目上の人を兄や姉、自分が教えたり面倒をみたりする後輩を弟、妹の様な存在って仮に代理だったとしても本当の家族間で上手くいかなかったコミュニケーションを取れるなら必ずしも血縁者で無くとも役割は果たせると思っています。
@あお-y5m3n
7 ай бұрын
血縁がマトモとは限らないのに、血縁信仰が無くならないのはなぜなんでしょうね…?
@ericapixel
7 ай бұрын
@@あお-y5m3n 一般的に産まれた時から一緒の血縁者が家族間でのコミュニケーションで失敗したらもう詰みだよ!って、事では無く『血縁者じゃなくとも家族としてのコミュニケーションを取れるんだよ!』『やる直せるんだよ!』って、事がもっと認知されそういった機能不全家族で育ったお子さんのケアや療育プログラムみたいなのに組込んでいって欲しいなって思いますよね!
@ericapixel
7 ай бұрын
@@あお-y5m3n あと、血縁信仰の弊害から産まれた結果は子に対して親権が強すぎるって点で助かる命が救えない事も問題ですよね!
@ruka-f4p
7 ай бұрын
機能不全家族育ちでしたが2年鬱期を経てようやく抜け出しました。仕事はほどほど、楽しいことし心身の健康を保ち幸せになるだけです!
@YYamamoto-gi2im
7 ай бұрын
家にいても、自分が何も感じて、何に興味があるのかといったことに、両親は興味関心を持っていなかったように思います。両親の顔色を伺う日々。感情教育をしてもらってないように思います。寂しい日々を過ごしてきました。本来であれば、両親をしばき倒したい気持ちになるのですが、あんなどうしようもない人間をしばいて犯罪者になるのは嫌なのでしません。私自身未熟な人間だと思うのですが、それと同等にないしはそれ以上に両親も未熟な人達だったのだなと思います。
@ふく-l5m
7 ай бұрын
私は現在うつ病で治療中です。 実家は機能不全家族なので、離れて1人で闘っています。父親が酒乱でDVですが、世間体重視なので離婚はしません。うつ病も秘密にしているので頼れません。本当に辛い日々です。
@だんご-d4i
7 ай бұрын
子供の頃にテレビで見た海外の企画だったかな…家族交換で家から離れられるのがうらやましいなと思っていた。先生がおっしゃる、しんちゃん、サザエさんもまさにその感覚。
@なお-t2g
7 ай бұрын
お話聞いて実家そうだったなーと思いました 本 読み直します 過去を乗り込えたい
@河野好沙
6 ай бұрын
私も、この「親を憎むのをやめる方法」という本、買いました。大変為になる本でした。良かったです。
@cultys.2313
7 ай бұрын
中学卒業までは両親、おば、父方の祖母と暮らしていました。 夕方まではおばや祖母と過ごして夜は共働きの両親とぽつぽつ会話したりしていました。 大人の目があり一見恵まれているように見えますが、忙殺される両親に過剰に気を遣いながら過ごしていたので、歪といえば歪なのかなと感じます。 色々の悩みを両親には打ち明けられることができませんでした。 両親はコミュニケーションが苦手なので、よく喋る祖母とおばとの組み合わせの病理は確実にあったと考えられます。 子どもとして両親側と祖母・おば側の仲を取り持つように動くことも多く、どちらにもいい顔をしているような罪悪感もあり…。 学校でも家でも気疲れしがちな子ども時代でした。
@ごりらばぁちゃん
7 ай бұрын
情緒的つながり 父親とはまったくなかった。まじめなひとだけど やはりなんらかの精神疾患があったのだろう。母は家計をささえた強いひとだけど、父とは彼がなくなるまで 大声上げて喧嘩していた。これは やはり正常じゃない
@gaku3350
6 ай бұрын
みなさんが日々穏やかな心境で過ごせますように。
@lalunaire
7 ай бұрын
先生ありがとうございます。 まさに「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」はファンタジーの世界と信じていました。 社会に出てすぐの頃は 父の日・母の日などのイベントのたびに同僚との会話で家庭環境が異質だったと悟られたくなくて… 普通のフリをするのに必死。。。 母は何らかの疾患があると思いますが、受診をすすめると激怒するので放置です。。。 多分、何か障害?疾患?があると思います。私も鬱で休職中です。 まだ両親を許す気持ちにはなれないので 先生の本はまだ読むことは出来なさそうです。。。 わー、まとまりません。せっかく書いたのでコメント置いてきます。失礼しました💦
@YYamamoto-gi2im
7 ай бұрын
三世代で暮らしていました。祖父母は農家。母は小学校教師。父は大学教授。姉二人の家族でした。母は仕事でいつも忙しく家に帰ると祖父母や子供に当たり散らしていました。些細なことで暴言を吐くので、母の愚痴を聞いたり、期待にそうような行動を取り続けていたように思います。「しんどくてもしんどいというな」が口癖の親でした。誰にもしんどい気持ちをわかってもらえない、苦しい気持ちを汲み取ってもらえないという思いを抱え込んで生きてきました。とても苦しかったです。父も仕事で育児を放棄していたように思います。精神的な余裕がなかったと言ってしまえば、それまでかもしれませんが、誰にもわかってもらえない、寂しい幼少期を過ごしたように思います。
@papaaaaaa
5 ай бұрын
4:32 ◇感情で繋がることで満たされる 前の職場では全くコミュニケーション取れない人ばかりで離職者が相次いでました😢 すべては人です。 街の治安は人が作る 会社の空気は人が作る 家庭の空気は人が作る
@ゆきゆき-q9v
7 ай бұрын
夫婦共々、私の実親から長期間酷く虐められたのが辛すぎて、私はオーバードーズしました。心療内科で複雑性PTSDの診断を受け、実家が私の幼少期から機能不全家族であったと判明しました。夫を巻き込み申し訳ないです。 現代は核家族とかなので、家族制度があった昔よりは家族が壊れやすく逃げやすいという先生のお話はその通りだと思います。でも、諸事情から逃げ出せないこともあります。サイコな家族から事前に罠を仕掛けられていて、気が付いたら逃げ場がなくなってしまうことも時にはあります。 今の時代は、ブラック企業などへは対抗手段がありますが、毒親からの酷いパワハラや不法行為については、法的に救済されることは少ないと感じています。 抽象的で要領を得ない話になってしまいました。...何を言いたいかというと、現代でも人知れず家族に苦しめられている方は、私の他にも沢山いるのでしょう。
@YYamamoto-gi2im
7 ай бұрын
機能不全家族だったと思います。姉二人、父日、祖父母の三世代家族で育ちました。父母は共に教師をしており、仕事ばかり。感情面をケアしてもらうことがなかったです。子供らしい感情を表現することができませんでした。父母は家に帰ると祖父母に当たり散らす。それも嫌で仕方なかった。祖母は孫をペットのように可愛がる。 嫌で仕方なかったです。姉二人もイライラしており、当たり散らされることが多かった。本当に苦しかったです。父母ともに、仕事ばかりで金さえ稼いでいたらいいという人でした。暴言を吐かれたり嫌味を言われたりして寂しい幼少期を過ごしたように思います。
@misumi-d9i
7 ай бұрын
母親から精神的虐待を受けてきました。大学卒業したら距離を置くつもりです。 精神的虐待は気づかれにくいですし、されている方もその環境にネイティブなので気づきにくい。両方の祖父母や親戚がよくしてくれたのが不幸中の幸いだと思ってます。
@megta2688
5 ай бұрын
機能不全家族で育ったのかなと思います。アルコール依存症の父と高学歴で行動力がある母とは全く合わず、毎日夫婦喧嘩でした。父の急にキレる恐怖におびえる生活が続き、私は意思表示が全くできない子になっていました。見かねた母は過剰なまでに私を保護するようになりました。今思えば、私に知的な部分で低いところとASD的なコミュニケーション不全があったのだと分かります。でも、当時は父を諸悪の根源として母と共に虐げつつ、母のように賢く、行動力も伴わない自分を心の中でずっとせめていました。父が早くになくなって、母と一人娘になりましたが、母にもうまく感謝できないままになっています。
@user-px2se4tw7h
7 ай бұрын
ギャンブル依存症の父と共依存の母の機能不全家族のもとで育ちました。パチンコに行く父を私が引き止め、手を振り払って家を出ていく父の姿に何度も心を傷つけられました。ただ、祖父母やペットと暮らしていたので、アニメのような家族あるあるも感じながら育つことができたのは救いでした。 今は子育て中にふと子供の頃の辛かった記憶が蘇ることがあります。
@セプテンバーサファイヤ
7 ай бұрын
母子密着が摂食障害になり易いというドクターありがとうございます。 摂食障害と何か本当の自分の自覚を持つことの大切さが関係あったのですね
@MK-tc6sy
7 ай бұрын
過去の事を言っても仕方ないのですが好き勝手に子供をもうけ、自分の気に入った子だけを大学に行かせる為に、親は受験必要な事(受験会場までの新幹線等の切符の手配等)までする反面、第一子の私には愛情を注が無いし、虐待三昧。親たちは、この後に第一子に何が生じるのか理解して欲しかったです。第三子は愛情を受けて当たり前だと思っているし。
@うさぎみみず
7 ай бұрын
自分が育った家のことはもう本当にどうでもいい。親兄弟は早くいなくなれば良いと思うだけ。恐らく財産の関係で自分にはこの世からなくなったとしても知らされないと思うけれど。 もしも何か一つ願いが叶うのならば、親に愛される人生というものを生きてみたいなぁもちろん違う親で、と思うだけです。 私は過去も乗り越えようとは思わないし親を許そうとも思わない。地獄の底まで冷たい目で見続けるだけです。
@neginegi6876
7 ай бұрын
どうして両親が結婚したんだろう・・・と、なぜ自分が生まれたんだろうと何処かで思っています。生きてていいですか・・・。と訊きたくなります。 家のため、子孫を残すため、世間体。 無理して家族をしなくてもいいのにって、家の中がさみしく思います。 うまくかけません。
@YYamamoto-gi2im
7 ай бұрын
情緒的サポートの不足、役割の逆転があったように思います。農村部出身。父が大学教授、母が小学校教師。祖父母が農家。姉二人の家族で育ちました。両親はいつも忙しく、祖父母に育てられました。両親は仕事で疲弊しており、家に帰ると祖父母や私達に当たり散らしていました。姉の八つ当たりもひどく苦しかったです。母の愚痴を聞かされるのも苦しく、限界でした。相談しても相談にならない。本当に苦しかったです。
@ふうせんねこ
7 ай бұрын
友人が機能不家族育ちで、ヒステリックな母親の精神的DVに疲れていました。 結婚して独立した後も過干渉が凄まじかったようで、疎遠にするために海外に引っ越していきました。 スケープゴートを失ったせいかは分かりませんが、コロナ禍でご両親は離婚したそうです。 実家に残ったのは、ヒステリックな母親とピーナッツ親子になっている妹さん。 妹さんは母親のために婚活中だとか… めちゃくちゃですね…
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