アイヌ民族副読本と歴史認識 上野 昌之 日本大学大学院総合社会情報研究科 において、以下の2点がまちがいである。 1点、 アイヌ民族は存在しない。民族を消してアイヌと表示すべきである。 13世紀以後、モンゴル軍に追放されたオホーツク民、侵略者が北海道の日本縄文人を殺戮、強姦して、アイノ子、アイノが生まれた。アイノはオホーツク漂泊雑種と縄文人子女との混血であり、民族ではない。 2点、 アイヌは北海道先住民ではない。北海道先住民は日本縄文人と表示すべきである。 北海道は13世紀、オホーツク民が北海道を侵略する以前の数万年前から竪穴式住居の日本縄文人の日本自治区であった。北海道の歴史年表も鎌倉時代以前は日本縄文文化遺跡、鎌倉時代以後はアイヌ文化遺跡と表示されている。 以上を証明する資料として、北大のアイヌの遺伝子調査博士論文がある。 資料添付:博士(理学)佐藤丈寛 学位論文題名 Studies on Genetic Features and Histories of Ancient Human Populations in Hokkaido , using Mitochondrial and Autosomal DNA Analyses (ミトコンドリアDNAおよび常染色体DNA分析による北海道古代人類集団の遺伝的特徴と歴史に関する研究) 著者は、断片化した残存DNAの遺伝子増幅および外来DNA混入の防御に細心の注意を払った古代DNA分析法と多様な遺伝子マーカーを用いることにより、オホーック文化人が仲介となり、アムール河下流域を中心とした大陸集団(漂白民であり民族の共通性はない)からアイヌへの遺伝子流動(日本縄文先住民子女を強姦殺戮して間の子=アイノ=アイヌが生まれた)があったことを明確に示した。以上の成果は、これまで不明であった日本列島北部における人類集団間の遺伝子流動に関して時間を追って示された新しい知見であり、人類学および考古学などの自然史研究に対して貢献するところ大なるものがある。よって、著者が北海道大学博士(理学)の学位を授与される資格があるものと認める。・・・・・
北大論文の要旨を資料として添付する。 ***この論文①によると過去のオホーツク人は現在のアムール川流域、サハリン北部のニブフ、ウリチ、ネギダールである。 ***論文②によると遺跡出土オホーツク人はYㇵプロ頻度が非常に高い。Yハプログループの頻度を現代の民族と比較してみると、ニブフでは60% 以上と最も高く、次いでオホーツク人において高く、近い系統関係にあったウリチ、ニブフ、ネギダールでも高頻度である。ハプログループの頻度の違いから集団間の遺伝的な距離(遺伝的分化係数、FST)を算出して系統関係を調べると、オホーツク人はやはりウリチ、ネギダール、コリヤーク、アイヌに近い。北海道縄文人は、オホーツク人と離れている。北海道縄文人はハプログループYをもっていない。北海道縄文人はオホーツク人遺伝子を持たない別の人種である。 ***③によるとオホーツク人は、アムール川周辺域から北海道のオホーツク海沿岸にやって来た。北海道内続縄文文化や、それに続く擦文文化がオホーツク文化と融合して、その後、アイヌ文化が形成された。論文では、上述はミトコンドリアDNAのデータから推定できる。オホーツク人は大陸と北海道を結ぶ仲介者である。オホーツク人が北海道に侵入し、日本縄文人を殺戮、強姦して間の子、間の、アイヌが誕生した。アイヌは民族ではなく混血である。混血が先住民であるはずがない。敗戦後、アメリカ進駐軍が日本少女を強姦して数万人の混血が誕生した。金髪、碧眼の混血が日本人先住民族とは認められないし、アメリカ先住民族でもない。アイヌも日本先住民族ではない。 ***以上の論文①②③をわかりやすく説明すると、オホーツク民がモンゴル軍に追われ、日本縄文人「擦文人」の北海道を侵略し、日本縄文人には無いハプログループY遺伝子を日本縄文人に注入し、間の子アイヌが誕生した。したがって、アイヌは日本縄文人とオホーツク漂泊民との混血であり、日本縄文人ではない。インカ帝国はスペインに滅ぼされ、インカの少女はスペイン兵に強姦され、間の子、間の、アイヌの混血が誕生した。金髪、碧眼のアイノ子はメスチソと呼ばれ、インカの先住民族とは認定されていない。同様に、アイヌも日本先住民に認定できないのである。国連と日本のボケ国会議員はアホなので在日帰化朝鮮人工作員に騙されて、日本先住民に認定した。これを正さねばならない。アイヌに化けた在日帰化朝鮮人が北海道を先住民の土地として返還運動をしている。放置すれば北海道は在日帰化朝鮮人自治区になり、韓国や中共の領土にされる。どうする、家康!・・・*** 論文抜粋:遺伝子の流れから見たオホーツク文化人と北海道への影響 増田, 隆一Hokkaido University C ollection of S cholarly and Academic Papers : HUS C AP ① ミトコンドリアDNAの中の一部の遺伝情報(コントロール領域のHVR I)を解読して比較しましたープから発表されたデータと比較しました(Sato et al., 2007)。その結果、オホーツクの人たちは、現在のアムール川下流域やサハリン北部に生活していますニブフ、ウリチ、ネギダールの人たちに非常に近縁であることが明らかになりました。さらに、コリヤークやエベンなどカムチャツカ半島周辺の少数民族にもある程度近いことがわかりました。**** ② 北海道縄文人や他の民族のハプログループについては、安達先生がすでに発表されたデータや他の研究グループのデータと比較することにしました(Sato et al., 2009a)。その結果、オホーツク人37体から信頼性のあるハプログループの情報が得られました。その中でG1b、それからN9bとYという3つのハプログループが高頻度で見られ、各々、約 24%、11%、40%でした。特に、Yハプログループの頻度が非常に高いというのが、オホーツク人の特徴になります。Yハプログループの頻度を現代の民族と比較してみると、ニブフでは60% 以上と最も高く、次いでオホーツク人において高く、近い系統関係にあったウリチ、ニブフ、ネギダールでも高頻度であることがわかりました。アイヌの人たちのハプログループYの頻度が約20%であることがわかっています。一方、安達先生たちが発表された北海道縄文人にはハプログループYはまったくみられません。現代のウデヘ、コリヤーク、イテリメンというカムチャツカ半島の民族にはわずかにみられます。韓国でもわずかにみられますが、本州ではほとんどみられません。 さらに、ハプログループの頻度の違いから集団間の遺伝的な距離(遺伝的分化係数、FST)を算出して系統関係を調べると、オホーツク人はやはりウリチ、ネギダール、コリヤーク、アイヌに近いことがわかりました(Sato et al., 2009a)。それに対して北海道縄文はどうかというと、オホーツク人とはかなり離れています。さらに、前述したように、北海道縄文はハプログループYをもっていません。 ③ 以上の結果から、オホーツクの人たちは現在のアムール川下流域の人たちと最も近縁であることがわかります。よって、おそらくオホーツク人は、アムール川周辺域から北海道のオホーツク海沿岸にやって来たのだろうと推測されます。もちろん、あくまでも現在のアムール川下流域に生活する人々に近いということですが、ニブフやウリチの祖先がオホーツク文化期にどこにいたかのかはまだわかっておらず、今後の研究課題です。 いずれにしても、アムール川下流域の人々の祖先がオホーツク人と共通祖先をもっているということ、そして、コリヤークとかエベンともある程度交流をもっていた。そして、北海道内で発達していた続縄文文化やそれに続く擦文文化がオホーツク文化と融合して、その後、アイヌ文化が形成されたことが、上述のミトコンドリアDNAのデータから推定される。
北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月 遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学) 以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。 ・ 資料 Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University) ・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。 文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月 遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学) 以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。 ・ 資料 Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University) ・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。 文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
本州、東北にアイヌ遺跡はない。なぜ?アイヌは鎌倉時代以後に北海道に侵入したオホーツク漂白民であるから。鎌倉時代は東北も日本の侍が統治しており、異民族が親友する余地はない。特に、モンゴル軍と戦うために軍事強化していた時代だから、モンゴル人系統の侵入者はすぐに首をはねている。モンゴルの使者がぞっつ国になれとふんぞり返っつてやっつて来たが、即座に首をはねられている。そこで激怒したジンギスカンが九州に大軍を進行させたが日本侍に打ち取られた。そのような時代に北海道以外の本州に大陸系乞食集団が侵入できるはずがない、北海道は日本縄文人であり、言語も日本語が通じ、コメの取れないことから時軸として、放置されていた。そこへ、モンゴル軍に追われたオホーツク乞食が侵入し、日本じょぷ門人を殺戮し、北海道に住み着き、縄文人少女を強姦して、アイノコが生まれ、アイノ、アイヌが誕生した。アイヌという種族、人種は元から存在しない。資料添付。北海道大学総合博物館研究報告 6: 103-108. 2013 年 3 月 遺伝的特徴から見たオホーツク人--大陸と北海道の間の交流 増 田 隆 一 *(北海道大学) 以上は、オホーツク人「民族ではない」に日本縄文人が殺戮され、日本縄文人との間でmtDNA遺伝子交流「強姦」があり、北海道侵略オホーツク人が日本縄文人少女を強姦してアイノコ、アイノ、アイヌが産まれたという遺伝子研究博士論文である。その時期は縄文期以降「鎌倉時代以降」と記述されている。アイヌは鎌倉時代までは地球上には存在しなかった。本州や沖縄のような日本縄文人の末裔ではないアイノコが日本先住民であるはずがない。インカはスペイン兵により滅ぼされインカの少女も強姦されてアイノコを産まされた。これをメスチソと呼ばれている。この金髪碧眼のメスチソがインカの先住民とは認められない。同様に、オホーツク民とのアイノコ、アイノが北海道の日本先住民とは認められない。 ・ 資料 Bulletin of the Hokkaido University Museum. 6: 103-108. March, 2013. Genetic features of the Okhotsk people: Interaction between the continent and Hokkaido Ryuichi Masuda* (Hokkaido University) ・Tajima et al. (2004) は mtDNA 分析の結果に基づき,ニブフからアイヌへの遺伝子流動があったことを推定している。これらのデータを統合すると,ユーラシア大陸北東部に起源をもつオホーツク人により,大陸から縄文期以降の北海道へ遺伝子流動がもたらされたことが示唆される(図 2)。・母系遺伝する mtDNA ハプログループと両性遺伝する耳あか遺伝子の分析結果は,共通して,オホーツク人と北海道の縄文系集団との間で遺伝的交流があり,現代につながっていることを示唆している。 文献:Adachi, N., Shinoda, K., Umetsu, K., and Matsumura, H. (2009) Mitochondrial DNA analysis of Jomon skeletons from the Funadomari site, Hokkaido, and its implication for the origins of Native American. American Journal of Physical Anthropology 138 255-265.
Although I can't understand most of this video, I deeply appreciate the fact that you posted a video on the Ainu language, which today is sadly very near extinction, especially in Japan in 2021.
@lindsaychien64833 жыл бұрын
same here, wish I could though
@ericooooo72 жыл бұрын
It's a difficult topic to understand, even for a Japanese😂
@kiy2347 Жыл бұрын
This video talks about Ainu language spoken in southern area from Hokkaido (northern part of main island of Japan), which completely disappeared today.