三気筒C53再評価!~The Reappraisal of the Three-Cylinder JGR Pacific type C53!

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Күн бұрын

C53は梅小路に展示されていて、その独特な形態でこれまで多くのファンの視線を集めてきたことでしょう。
昭和の極初期に登場した国産三気筒のパシフィックは、鋼体化で重量が重くなった客車をC51以上の余力を持って東海道、山陽を走るために、厳格に保守整備されていました。
それが可能だった時代だからこそ、伝説の超特急燕も長い期間任されていたわけです。
C53の欠点、いや欠陥は後年多くの人々に語り継がれ、分析も多く発表されていますが、今回の動画では、それではどのような力を持っていたのかをテーマに調査した内容となっています。
やはりとどめとなるのは三気筒構造とグレズリー弁装置ですね。C53を知るにはここを知る必要があります。かなり難解なポイントですが、分かりやすく解説を取り入れています。
C53、それは当時の最強機関車であり、C62に比肩するポテンシャルを持っていたことを紹介しています。それは三気筒ゆえに達成されえたことであり、鉄道院がここで三気筒を断念し、一切の改良と次機を計画することなく、C59に逃避したのは今から考えると少々残念なことです。
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#C62
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#鉄道
#d51
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ソース: incompetech.com...
アーティスト: incompetech.com/

Пікірлер: 106
@rafale-mdassault1119
@rafale-mdassault1119 3 ай бұрын
戦時中には保守の煩雑さから半ば放棄、終戦後には鉄不足もあって廃車解体の道を辿ったC53の内、唯一教材として残った45号が交通科学博物館入りに際して自走可能にまでレストアされた時の音源↓。 kzbin.info/www/bejne/iamqf3yAq6p6gtksi=8G5Zp0hYiHeVkONV
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
Rafale-M Dassaultさん、ご視聴ありがとうございました。この動画は何度か視聴しています。冒頭の音を聞いて、3気筒がシンクロしていないなぁと思った次第です。
@梅太郎才谷-p6v
@梅太郎才谷-p6v 3 ай бұрын
あらためて、C53綺麗な姿の機関車ですね~
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
才谷さん、ご視聴頂きありがとうございます。 動輪の繊細さは見事ですね。
@hmshood302
@hmshood302 3 ай бұрын
私は戦前のロマン、先鋭化してゆく技術を意匠、体現した名機と認識しています。 もし、技術が許せば戦後も超特急を牽引していたはず。 羨ましいのは母が戦前の東京神戸間をC53牽引の超特急に乗車、展望車の豪華さを夢のように話す…。  しかし、本機には当時の日本人が幾多の犠牲を払いながらも世界を目指した答えであったと思います。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
HMS HOODさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。 動画では触れませんでしたが、C53の牽引力は当時のEF52を上回っていたようです。 後年のDD51とD52の比較でもそうですが、蒸気機関車は月並みな言葉ですが、力持ちなんですよね。
@DB-eq4hd
@DB-eq4hd 3 ай бұрын
C53はよく知らないので大変ためになりました。ありがとうございました。狭軌、軽軸重という大きなハンデの中、よくぞ三気筒を採用したと思います。不利を押しても高性能化したかったのでしょうね。 ところで蒸気機関車という範疇では、三気筒は二気筒よりも優れるようですね。ドイツでは、二気筒のBR 01は三気筒のBR 01.10へ進化しましたし、同じくBR 03は03.10へ、1920年代後半の大型貨物機の比較において三気筒のBR 44が二気筒のBR 43に勝って、約2,000両もの大量生産が行われました。また戦争のため試作に終わったHWZでは、BR 61 001は二気筒でしたが、単機で185km/hを発揮したにも関わらず、振動がひどいことから続くBR 62 002は三気筒になりました。一方、高速性や重牽引力が要求されない用途では、当然のことながら構造が簡易で量産向き、コストが低い二気筒機が引き続き生産されています。BR 50(3100両)、BR 52(7000+α両)などなど。 反面、構造が全く異なる四気筒機は、性能や特に燃費が良いと言う特徴はあるものの、流石に構造が複雑すぎるので、特殊機を除き、S 3/6(BR 18.4-5)で打ち止めになっていますね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
DB103さん、ご視聴頂きありがとうございます。 四気筒は動画内の△印の遠心力で分かるかもしれませんが、120度位相じゃないので、2気筒のパワーアップ版ですね。トルクの山谷が大きいからどうなんでしょうか。
@bakayarou4545
@bakayarou4545 3 ай бұрын
C53と言えば43号機なんだよね〜、あのカッコ良さは至高だよ
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
0721さん、ご視聴頂きありがとうございます。 今回はC53の良いところだけ取り出してみました。まずいところだと動画2本分以上になっちゃいますね。
@bakayarou4545
@bakayarou4545 3 ай бұрын
良さも悪さも含めてカッコイイし大好きだから全くもって無問題なんだよね〜、そして2本になっても無問題だし
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
またやりますね。
@小樽築港機関区
@小樽築港機関区 3 ай бұрын
6:03の写真は多分、製版工の手によって背景を消しカタログ写真になるじゃないかな? C52は、3シリンダーでは有るけど、動輪直径の関係で瀬野八に、推進補機の為「6」は、前照灯が装備が撤去されてました。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。ALCOの社史にある写真のようです。C52はD50のテンダーをそのまま使ったので、これで船積みしたんですね。
@henshitsu-sha
@henshitsu-sha 3 ай бұрын
3気筒の仕組みはアホなんでさっぱり分かりませんでしたが、すごい機関車だったことは分かりました
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
変質者さん、ご視聴頂きありがとうございます。 私も円を描いたり、動画作りながら勉強したのですが、理論が良く理解できません。
@蚊取り線香atノンケ
@蚊取り線香atノンケ 3 ай бұрын
見直したぜ、C53
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。 C53の改良を諦め、C59でいいやぁ、となったところに、日本の蒸気機関車の進歩は止まってしまったような気がします。
@toriri-service
@toriri-service 3 ай бұрын
『C53』走り始めは 「ボッ ボッ ボッ ボッボッボッ」と ワルツのリズムだけど スピードが乗ってくると「ダダダ ダタダ ダタダ ダタダ」と和太鼓のような力強いリズムとなって 聞いている方の鼓動も高鳴るサウンドですね。 例えるなら 昔の360cc軽自動車の スバル・三菱・ダイハツの2サイクル2気筒エンジンと スズキの2サイクル3気筒エンジンのアイドリング音の違いと似ています。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
とりりさーびすさん、ご視聴頂きありがとうございます。 冒頭のフライングスコッツマンの音に比べると、復活C53の音はどうなんでしょうか。私はずれているように思いました。 2ストは大好きで、2気筒のパンチのある所が良いですね。 GT750やGT380の3気筒はあれはダメですね。
@toriri-service
@toriri-service 3 ай бұрын
@@Yukkuri-Lab さま そうですか。そうなるとバランスがキチンと取れていた機関の排気音はどんなだったのだろう🤔なんて想像も膨らみます。 しかし 高速側に振った 回転馬力型の機関の特性 走行安定性を上げる為の低重心化等 あの当時の技術水準で可能な限り 速く走る為の工夫が注がれているのがわかります。 それで尚且つ流線型の43号機は やはり回転馬力型エンジンで 低重心でクーペボディの『フロンテクーペ』(LC10W)的な車かも。 動画の通り3気筒機関をもっと完成させるべく研究を進めてくれたら C62も もっと凄いカマになったかもしれませんが 技術が追いつかず お守りが面倒な個体が短命なのは いつの時代も鉄道車両の常で残念です。 因みにスズキの2輪用2サイクル3気筒エンジンは 4輪用のLC10シリーズエンジンのテクノロジーが注がれています。 パンチでは確かに2気筒ですが 回転の滑らかさは こと4輪に関しては気持ちの良い加速感に繋がりました。 まぁ低回転域はスカスカで少々扱いにくくはありましたが。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
2ストの車はスバルの360㏄のトラックに乗ってました。バイクのトランポなんですが、東名で火花を盛大に吐いてびっくりしました。排気のカーボンが焼けたんですね。それが最後の2ストの車でしたが、二輪は最近まで乗ってました。
@hassiemozart
@hassiemozart 3 ай бұрын
改めて梅小路の蒸気の絵を見ると、見れるだけでも幸せなのだと思いました(^^)本物のC53はよそでは見れません(^^)
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
@hassiemozartさん、ご視聴頂きありがとうございます。 本当にそうですね。大事にしてもらいたいです。 たまには、扇形庫の外に出して華麗な姿を見せてもらいたいのですが。
@tukaenaigoogle
@tukaenaigoogle 3 ай бұрын
三気筒は浪漫がありますね。ただイギリスのファンの考察だと90km/h以上の速度になると中央シリンダーが自己破壊(直訳)し始めるとの指摘もあったので 故障したので運転打ち切りしても利用する側がいつものことかと納得する環境でないと難しいかも。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
tukaenaigoogleさん、ご視聴頂きありがとうございます。A4が最高速チェレンジして、その後中央シリンダーが壊れていたようです。 かなり多くの強制冷却が必要な構造なんでしょうね。
@michitomokobayashi2175
@michitomokobayashi2175 3 ай бұрын
標準軌ならいけたか?という思いがあったのか弾丸列車計画の機関車群は3シリンダーでしたねぇ。 HD53計画案がまさに「3シリンダーのC62」だったのかも。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
Michitomo Kobayashiさん、ご視聴頂きありがとうございます。 HD53は机上のものでしたが、C62の3シリンダー化は具体性があります。でもそれだと新製蒸機になるので、戦争に負けた日本では許されないですね。転がり軸受けを全採用することもできませんでした。
@homarejumo2134
@homarejumo2134 3 ай бұрын
蒸機レシプロエンジンは、内燃機関で言う2サイクルエンジンに近いので、360度=1サイクルだから3気筒にして1気筒当たり120度にすれば死角がなくバランスよく出力を出せたのですけどね。 にしても、中央シリンダーの排気弁が右側だから、そちらの排気が多く出たのでしょうね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
Homare Jumo213 (チーヤン)さん、ご視聴頂きありがとうございます。2ストで思い出しました。最初のスズキフロンテだったと思いますが、ごくまれにエンジンが逆回転することがあった。良く事故が起きなかったものだと感心しました。
@久保隆史-p7v
@久保隆史-p7v 3 ай бұрын
これ、分かりやすく説明されてますね。後の車やバイクのエンジンにも通じるところではないでしょうか。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
久保さん、ご視聴頂きありがとうございます。 私は分かっていただけるか不安です。弁の動きがイメージできないのでかなり難しいのです。内燃機エンジンでは六気筒は遠心力がバランスしますが、三気筒だとだめですよね。
@久保隆史-p7v
@久保隆史-p7v 3 ай бұрын
@@Yukkuri-Lab 逆に今の軽自動車なんか、上手く考えられてますよ。
@アルマティ-f8r
@アルマティ-f8r 3 ай бұрын
1987の国鉄最後の日に放映された生番組で、梅小路で煙を上げて汽笛を鳴らすC53が生中継されているのを見たことがある(KZbinに残ってる筈)、自走出来たのかは知らないけど。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
アルマティさん、ご視聴頂きありがとうございます。 梅小路にはC11の据付ボイラーが居て、機関区の暖房や温水の供給やブロアに使っていましたが、昭和62年には無かったはずです。 でも機関区ですから高圧蒸気を供給するボイラーはあったはずですから、そこから持ってきて汽笛は鳴らしたはずです。 煙突の煙はテレビ局ですから何とでもできるでしょうね。 夢の無い話で申し訳ありませんが、C53やD52、C51のボイラーには火は入っていないと思います。
@x-3289
@x-3289 3 ай бұрын
お手本のC52から変に弁装置周りを変えず、ボイラを変えたりするだけにとどめておけば、C53は非常によい機関車になったと思います。三気筒C62は、計画機としてC53の足回りに1850mmのボイラを載せたハドソンがありましたから、車両限界からしても不可能ではないと思います。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
X-32さん、C52はC51より牽引力が大きく、そのままでも良かったわけですが、どうしても1750㎜を採用したかったことと、C52はすごく高価だったんですね。 C62を三気筒にすることは新製蒸機になってしまうので、戦争に負けGHQの支配の下では計画すらできなかったのでしょう。
@mkep82da
@mkep82da 3 ай бұрын
詳しい解説ありがとうございます。 3シリンダー機は回転が滑らかになるメリットは良いですね。ただバイクなど2気筒エンジンなどはあえて不均等爆発にすることによって小排気量でもトルクを増して駆動力を上げて乗りやすくする場合もあるので用途次第なんでしょう。 軽自動車も3気筒から再び2気筒にする構想もあるようです…
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
Mr. Yattsunさん、ご視聴頂きありがとうございます。軽のエンジンが4気筒が3気筒全盛に、さらに2気筒に。気筒数が減るとコストがxx%減るらしいのですが。 250㏄4ストで四気筒が全盛だった頃が懐かしいです。今のカワサキのは高すぎてばかげてますけど。
@takana4381
@takana4381 Ай бұрын
@@Yukkuri-Labさん CBR250Rのレッドゾーン18000rpmの時代ですね。
@成田述史
@成田述史 3 ай бұрын
おお、これは百年前の鉄道省がグレズリー式3気筒に思わず飛びついてしまったのも納得の解説ですね。 魔理沙も魔法を使ってこんなプレゼンをしていたら、3気筒蒸機でボロ儲け間違いなしだったろうに・・・ もっとも、後が怖いどころでは済まなかったでしょうが(苦笑 『燕/つばめ』の東京~大阪の所要時間8時間を短縮するには、東海道全線電化でEF58+10系客車を待たなければならなかったのだから、C53が名機じゃないはずがないんですが、でも・・・。 今後も、忘れた頃のC53特集を楽しみにしております。ありがとうございました!
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。 理論は素晴らしいのですが、実際に工業製品として作れる技術が不足していたし、設計にもミスがあった機関車ですが、それらは改良できる筈なのに、C59に走って行ったのは、技術の進化を止めてしまったわけです。
@燕黒車両工房
@燕黒車両工房 3 ай бұрын
日本蒸気機関車好きの中でC53推しって少数派かな?
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
燕黒車両工房さん、ご視聴頂きありがとうございます。 C53好きな人って多いと思います。流線形もありますし、昔から保存機を見ている人も多いですから。でも三気筒の仕組みが分かりづらいの、この動画でより好きになってもらえればと思います。
@燕黒車両工房
@燕黒車両工房 3 ай бұрын
@@Yukkuri-Lab C53推しのワイ歓喜
@電光刑事-u4c
@電光刑事-u4c 3 ай бұрын
まあ、多気筒機というと、グレズリーの3気筒の他に4気筒や6気筒なんてのもありましたな これらの多気筒機が基本的に一度使った蒸機を再利用する複式機関であるのに対し、グレズリーは単式3気筒というのが特徴でした 3つのシリンダーに直接蒸機を送り込むことで高性能を発揮しましたが、その反面バルブピストンのタイミングを合わせるのが非常に困難というデメリットも抱えてしまいました また、発進時にクランクの位相によっては発進不可という金縛り状態となることもしばしばでした そのため、超特急つばめは東京から沼津までは信頼性の高いC51が牽引を担当し、沼津からはC53が牽引するリレー形式となりました
@春葛
@春葛 3 ай бұрын
特急つばめ(戦前〜戦中は漢字の燕 )は御殿場回りだった1930〜34年は全区間C51(名古屋で交換)が牽引。丹那トンネルが完成した1934年12月以降は、非電化だった沼津以西がC53(名古屋で交換)牽引でした。 御殿場回り時代、下り国府津→御殿場間と上り沼津→御殿場間でC53が後押しについた事がありました。(短期間でD50に交代)
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。グレズリー弁は本当によく考えたものだと昔から敬服していました。 これを保守も含め最適な形にしなかったのはとても残念なことです。 まぁ、最高時速95㎞だとC59に行っちゃうのは当然なのかもしれません。
@電光刑事-u4c
@電光刑事-u4c 3 ай бұрын
@@Yukkuri-Lab まあ、日本の場合ですと、とにかく軽量化のために肉抜き穴とかあけて強度不足に陥ったという、往年のミニ四駆少年みたいになっていましたが
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
あのテコの多くの穴は軽量化を目指したものなのでしょうが、剛性低下がどれほど弁の挙動に影響を及ぼしたのかは意見が分かれていますね。
@Kobacchi2nd
@Kobacchi2nd 3 ай бұрын
数学理論通り動作すればどの角度でも発進不可ということにはならないはずなのですが、弁装置に解説でも示している「ガタ」がある関係で数学理論どおりにはいかないということなのでしょうね。
@機関車ヒロ
@機関車ヒロ 3 ай бұрын
蒸気機関車でよく聞く「三気筒」ってどういう意味ですか? 最初の「フライング・スコッツマン」なんとなく「きかんしゃトーマス」のキャラクター(蒸気機関車)の名前ですね………。 私は、10月14日(月曜日・スポーツの日)阪急交通社トラピックスのツアーで津和野〜新山口までSLやまぐち号に乗りました。 やっと、SLやまぐち号の汽笛を撮影できました。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
機関車ヒロさん、ご視聴頂きありがとうございます。 車輪を回すシリンダーが普通は2本ですが、それが3本ある機関車です。 真ん中のは車輪の中央に連結してます。
@機関車ヒロ
@機関車ヒロ 3 ай бұрын
​@@Yukkuri-Lab 教えていただき、ありがとうございます。 三気筒っていう事は、二気筒よりも力が強いのですね~~~。
@塚越-p4z
@塚越-p4z 3 ай бұрын
c53事態自分としては流線形のイメージが強いですね🌠 もしカバーを着けた流線形のままで今現存して居たらどうなって居たかな?
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
塚越さん、ご視聴頂きありがとうございます。 昔の絵本では流線形の鉄道にみんな憧れました。梅小路のC53かC55にカバーを作って被せるのはそれほどコスト掛かるとも思えないですが。まぁ、やらないでしょうね。
@user-cv1wf2td7h
@user-cv1wf2td7h 3 ай бұрын
京都鉄道博物館に保存されているC53 45号機は一般公開されていて広く知られていますが、もう1台のC53保存機は何号機なんでしょうか。今もどこかでC62 3号機のように保管されているのでしょうかね🤔
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
ご視聴いただきありがとうございます。 57号機が鷹取工場の教習用で、腹をカットされて保存されていました。昭和39年まであったそうです。
@矢鳴芽吹
@矢鳴芽吹 3 ай бұрын
そもそも日本の在来線は狭軌な上インサイドシリンダーの技術も発達しなかったから内側にシリンダーがくるタイプの多気筒機関車はそもそも相性が悪いと思うんだよな…
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
矢鳴さん、ご視聴頂きありがとうございました。 結局C52の中ビクの焼き付き問題が多発したそうなので、狭軌の三気筒では、かなりオイルラインを増やし常時冷却するぐらいでないとダメだったのでしょう。
@user-ce8qx5hg1t
@user-ce8qx5hg1t 3 ай бұрын
興味深いです。ありがとうございました。もう少し技術力があれば3気筒機関車も増えていたかもしれませんね。C57クラスでも速くて強い機関車になっていたでしょうか。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
プさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。 興味を持たれていただき、嬉しいです。 C53の悪いところばかり言ってきましたが、今回は別の視点からC53の優れているところを示しました。
@あびょびょびょびょ
@あびょびょびょびょ 3 ай бұрын
8:32 このまま恒久的な動態保存をしようという話は無かったのでしょうか😅勿体無い😢
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
びゅーんさん、ご視聴ありがとうございました。梅小路に行く前は大阪の博物館で野ざらしが10年以上ですから、ボイラーはダメになっているでしょう。 図面があればグレズリー弁も作り直せるが、ほぼあり得ない話だねというのが、梅小路に行った時の周りの会話で、静態保存止む無しで納得してました。
@シロクニ-b4o
@シロクニ-b4o 3 ай бұрын
ソフトにハードが追いついていないのに人の手で無理やり走らせていたんでしょうね 特急牽引時には中央ビッグエンドの発熱を防ぐため左右のブレーキ引き棒の間に板を固定し潤滑油入りの一斗缶を持った人が乗り込んで数百Kmも走行中に給油を続けたという当時の研修陣の武勇伝を聞くとつくづくそう思います 怖かったでしょうね
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
シロクニさん、ご視聴頂きありがとうございます。 C53を批判的に出した過去動画では、その走行中の給油が必要だったことからなんです。しかしC51燕でも同様なことが行われていたので、要するにキャパに対して高い要求を課したのですね。
@大坂孝幸
@大坂孝幸 3 ай бұрын
C5343号機は、3シリンダー唯一の流線形蒸気機関車。 しかし、戦後すぐ廃車となって、現存しない。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
大坂さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。戦中は車輪周りのカバーも外されて可哀想なスタイルで走っていたそうですが、C53も同じだったのですかね?
@大坂孝幸
@大坂孝幸 3 ай бұрын
@@Yukkuri-Lab さん、戦後すぐの流線形蒸気機関車の姿無残な姿になってしまった。 C55形は、標準形に改造されて、北海道宗谷本線、旭川機関区に配置されて、旅客列車を牽引した。
@rt41915
@rt41915 Ай бұрын
C53で得られた知見を活かして弱点をある程度修正してC62級の出力あったら日本の蒸機の完成形といえたのだろうか
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Ай бұрын
ルートさん、ご視聴頂きありがとうございました。 それいいですねぇ。車両限界云々は別にしてとても夢がある機関車です。
@ダンガン-s5q
@ダンガン-s5q 3 ай бұрын
現実問題として、動態復元するには高額化するだろうし・・・当時の技術者・整備担当でご存命な方は少ないでしょうね。(限りなく皆無)いっそ復元するなら英国等から技術者を招致する手も無くは無いかと・・・。(C62の3倍以上お金かかりそうだが)
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
ダンガンさん、ご視聴頂きありがとうございます。C53の再復活はみんなの夢ですね。走らせるだけであれば、2気筒であれば可能かと思いますけど、ボイラーはもう使えないでしょうね。
@ダンガン-s5q
@ダンガン-s5q 3 ай бұрын
@@Yukkuri-Lab 一応一度動態復元してるので、梅小路のC51(教材だったのでボイラー切開)よりはましでしょうけどボイラー載せ替えまですれば後は動輪の厚さ次第?
@ダンガン-s5q
@ダンガン-s5q 3 ай бұрын
スチーム号に使うのもありですが、それだけの為に高額かけるのであれば・・・嵯峨野観光鉄道(JR西日本子会社)の路線を梅小路蒸気(上限C62)の規格に合わせ線路強化しトロッコ列車をSL化すれば良いと思う。(収益は動態復元にも活用)全部の静態保存機が復活させるの無理だし・・・。(D52とか正直使い道が)
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
確かにC51よりはましかもしれないですね。大阪で長年野ざらし展示されていたのが悔やまれるところです。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
C53は京都~姫路をかっ飛ばしてもらいたいですねぇ。
@デカミツ
@デカミツ 3 ай бұрын
やれば出来る子…でも当時の技術では使いこなせなかったのでしょう この技術が熟練され後継機に継承されたら…ドイツの01の様な高速旅客機が登場してたかもなんて思っています。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
デカミツさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。 戦中の技術であれば、さらに改良を重ねられたと思いますが、資源が無いですね。満鉄は三気筒はミカニだけでしたが、転がり軸受けを多く導入したことが性能アップにつながりました。
@坂田庄司-g6n
@坂田庄司-g6n 3 ай бұрын
もしかして、「弾丸列車」牽引機はこの発展型を想定していたのか?
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
坂田さん、ご視聴頂きありがとうございました。 HD53という計画機がありましたが、三気筒化への言及も無かったわけですが、圧倒的な牽引力であれば三気筒は間違いないでしょうね。
@Kobacchi2nd
@Kobacchi2nd 3 ай бұрын
グレズリー式は高度な整備技術を持つ英国向けであって、高度な整備技術を持たない日本向けにはそのことを前提とした弁装置にした方がよかったということのように思います。それでもなんとか「根性で」整備したというところでしょうか。いっそ数学力がないと理解できない3気筒よりもわかりやすい単式4気筒のほうがよかったような気もします。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
:タヌッチオさん、ご視聴頂きありがとうございます。 鉄道院は三気筒の理論は理解していたと思いますが、作り込みの技術や高度なベアリング素材やら鋳造技術やらが足りていないのでしょうね。単式4気筒はどうでしょう?車輛限界に収まるのかな?とも思いますしよりコストがかかると思います。C52はかなり高い機関車でそれ以上輸入不可能だったようです。
@神戸宝塚河原町
@神戸宝塚河原町 3 ай бұрын
昭和36年の2日間のみ復活のあと、京都梅小路蒸気機関車館(現・京都鉄道博物館)に入る前、大阪市港区に存在した交通科学館で保存展示されていた事を割愛して欲しくなかったですね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
はんちゃんきゅうちゃんさん、ご視聴頂きありがとうございます。 はい、交通科学館で昭和47年まで展示されていましたが、野ざらしだったので、もう動けない機関車になった要因の一つにもなりました。
@仁-f3t
@仁-f3t 3 ай бұрын
狭軌には3気筒は無理です、保守が難しくて
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
ご視聴頂きありがとうございました。 C53ははっきり言って欠陥機関車だと思ってます、でも良いところもあるので今回はそこをハイライトしました。
@春葛
@春葛 3 ай бұрын
@@仁-f3t インドネシアには狭軌4気筒のパシフィックがいました。オランダ統治期の1000形といいますが、先の戦争で日本が占領していた時に日本流の形式に改められ、こちらも「C53」を与えられまして、引退するまでそのまま通しました。確か保存機があります。 当然他のSLもそうです。
@56kumagoro
@56kumagoro 3 ай бұрын
狭軌の3気筒機は、1938年に導入されたマレーシアのO形があります。こちらは戦後に重油燃焼式に改造されたりしながら1970年代まで活躍したそうです。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
春葛さん、ご視聴頂きありがとうございました。インドネシアのC53を始め蒸機は欧州の機関車メーカーの植民地向けの機関車ですね。
@暴朝膺懲暴支膺懲
@暴朝膺懲暴支膺懲 3 ай бұрын
そもそもC52を輸入する際に機関車だけだったのが間違い。 フルならメカニカルストーカーも付いただろう。 そしてC53の設計に島が居た事が悲劇。 重量軽減でバカ穴開けたりして強度低下させたのは最悪。 ハドソンにして軸重を分散させて対応出来たのでは? 特に明治の頭で300回転で約100km もっと回転数上げる方向にしないと。 まあ戦争あったから部品交換出来ないのは致命的ですがね。 個人的にはメカニカルストーカー付きC52をハドソンにしたのをC53の方が良かったのでは と思う。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
暴 朝 膺 懲暴 支 膺 懲さん、ご視聴頂きありがとうございます。 C52は付いていませんが、同じALCOの満鉄ミカニはストーカ付いていました。C52は火室が広すぎ、給炭追い付かず日本で狭く改造されていたはずです。 C52は燕も牽引できていたので、1600㎜動輪でも日本では問題ないです。 しかしC52は非常に高価だったので、国産化を急ぐ必要があった事情ありました。
@高橋道夫-c4m
@高橋道夫-c4m 3 ай бұрын
3シリンダーは牽引力はよく カットオフも調整しやすいなど 運転面は良かったもの 今までの運転操作になれていた 機関士からは 操作しにくい メンテナンスも シリンダーの調整や 台車の厚みが足りないから 亀裂が入るなど そもそも当時の技術では 完璧にやるのは 不可能だったから あとから登場した C59.C62に取ってかわられ 全機廃車になってしまった悲劇
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。 その通りですね。グレズリー弁3気筒の進化の過程を諦めて、C59に行ったのは、趣味的には残念です。
@ワギ-j8w
@ワギ-j8w 3 ай бұрын
1:30 ☓役不足→○力不足 日本語が正しくないと説得力も無くなります
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
おっしゃる通り、ご指摘ありがとうございました。今後一層注意します。
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