【ゆっくり解説】朱蒙と高句麗の建国

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れーしch【歴史】

れーしch【歴史】

Күн бұрын

Пікірлер: 28
@白吉-j4d
@白吉-j4d 9 ай бұрын
日本でも子をなかなか授からない夫婦とか授かってもすぐに亡くなる夫婦とかにいったん捨て子して拾って育てるという風習がありますな あと、厄年の子か
@user-fuji01
@user-fuji01 10 ай бұрын
中国とコリアで、高句麗がどちらの国かの論争が終わってない
@winter413wind
@winter413wind 10 ай бұрын
終わりました。韓国の歴史へ。
@rossmary50650
@rossmary50650 2 ай бұрын
当然韓国です、ピリュが日本の建国者です
@shou-sho
@shou-sho 10 ай бұрын
『三国史記』読んでると、『古事記』や『日本書紀』とよく似た話がでてくるなあという感想ですね。 (もちろん元ネタがいっしょだからですが) まあこの手の神話というのは普通は徐々にできあがってゆく物で、最初から全部整っているわけではないですからね。 例えば朱蒙という名前も6世紀の『魏書』が初出で、『三国志』や広開土王碑にはでてこないです。
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f 8 ай бұрын
面白いな 続きキボンヌ。 神話的なものは苦手なんだけど れーしさんが扱うと普通に面白いし 距離感が正しい感覚がある
@minami_alinko
@minami_alinko 10 ай бұрын
2:48 「宰相のアランドル」 阿蘭弗(あらんふつ、ハングル表記だとアランプㇽ) 弗をドルと読むのはアメリカ通貨単位の$=米弗だけです。
@株式会社バウムクローネ
@株式会社バウムクローネ 5 ай бұрын
『続日本紀』にも桓武天皇の生母の高野新笠が朱蒙の子孫だとの記述が有ります。朝鮮の『三国史記』は高麗の時代に作られた史書ですから『日本書紀』も『続日本紀』も『三国史記』よりも古い時代に書かれた史書になります。 高句麗や百済の王家は滅んでおり今の朝鮮半島の人々とどれほど繋がってるかは分かりませんが、桓武天皇は多くの日本人の先祖に当たり、仮に朱蒙が居たとして日本人はその子孫という事になります。
@KARAMAZOV_3
@KARAMAZOV_3 10 ай бұрын
ここはいいですね、半島の歴史というだけでボッコボコに叩いているだけのコメ欄とかと違ってまともな感じがそれだけで好感持てます。
@Richlind-ws7yt
@Richlind-ws7yt 8 ай бұрын
22:24 オンジョ王やピリュはチュモンの実子ではなく、ウテ(ヘブル王の孫)という人とソソノとの間に出来た子で、ソソノがチュモンと再婚したときの連れ子って聞いたことがあるんだけど。
@奇囃子キバヤシの都市伝説チ
@奇囃子キバヤシの都市伝説チ 10 ай бұрын
うぽつです。😁 今度は、百済の建国の話を知りたいです。😁
@森岩光
@森岩光 10 ай бұрын
後漢書によれば、 仏教とキリスト教が後漢の都、洛陽に伝来したのは 光武帝~明帝(二代)の 紀元1世紀半ば。 と明記されています?
@K2K2Lucky
@K2K2Lucky 9 ай бұрын
いつもクォリティーの高い動画を投稿頂きありがとうございます。今回は提案なのですが、 チュモンを朱蒙と表記するのはもうやめにしませんか? チュモンとカタカナ単独での表記にするべきだと思うのです。 ほかの元漢字文化圏に対してはそうしてますよね。 ホーチミンを胡志明とは表記しないですよね? なんか細かいところつつくようで申し訳ないのですがご理解頂けると幸いです。
@langraybash388
@langraybash388 8 ай бұрын
むしろカタカナ主体の方があかんとちゃうかな。深くは考えない。理由は出典などが読める限り漢字が多いから。
@正明吉田-s3t
@正明吉田-s3t 10 ай бұрын
高句麗族と女真族(満州人)は同系統の民族だというのは聞いたことはある。
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f 8 ай бұрын
わたしの卵というパワーワード 柳花と卵。なんだこの前衛文学。 シュールレアリズム、ブルトンと魚!
@影森治-e1h
@影森治-e1h 10 ай бұрын
古代の建国物語や帝王の出自にファンタジー要素が入り込む事例は洋の東西を問わないけど、 そこにどのようなリアルが反映されてるのか読み解くのは難しい 12世紀に成立した三国史記には満州国家である高句麗を朝鮮史に組み込むためのフィルターが掛かってるから猶更
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f 8 ай бұрын
神話だとすぐ合体しますね。 やはり神話的な人物に生まれたかたな
@eclairlena4841
@eclairlena4841 10 ай бұрын
失礼します。ドラマの朱蒙を両親が観ているのを横目にチラチラ観ているのですが、何か出来すぎた展開だなぁ…と違和感があったのがわかった気がします。朱蒙の産まれ方からして、古代中国の周の始祖に似ていますし、追っ手から逃げるところも日本神話の因幡の白兎の話に似ていますし、いくら世界各地の神話や伝説には共通点があると言っても三国史記は12世紀に作られたものなのであくまで朱蒙による高句麗建国は半分以上が虚飾。残りが事実と捉えた方が良いのかなと思います…😮
@nekono_mimikon
@nekono_mimikon 10 ай бұрын
内容とは関係無いのですが、きめぇ丸が卵云々言うのは何か笑えます。
@塩島聖一
@塩島聖一 10 ай бұрын
この頃は、無闇に自分勝手な考え方を持っていないように見えるね。
@YO-high
@YO-high 10 ай бұрын
これ、扶余と高句麗(こま)は、「倭と日本」のような関係性に見えます。つまり同族または同種であるってこと。 なんとなく、倭国連合みたいな「扶余連合」みたいなのを想像いたします。 比較言語学の「濊倭同系論」を見る限り、「高句麗語」「濊語」「大陸倭語」は同系であり、同じ言葉だったってこと。 これは今ではほぼ確定らしい。 で、もし「大陸倭語:高句麗語」が話されていた場合、高句麗は「ツングース系」ではないんじゃないのかなぁ? 喜界カルデラの破局噴火での倭人の北上によって、朝鮮半島~遼東半島には「倭人」がいたように思えるんですよね。 まぁ、、、、高句麗の建国神話を見る限り、南方系の神話だと思うので、、倭人経由かなぁと。 面白かったです。
@rossmary50650
@rossmary50650 2 ай бұрын
宮内庁が「天皇陵」の学術的調査を認めない理由は何であろうか。その答えを具体的に言えば、「天皇家の祖先」が「朝鮮半島から渡って来た証拠が出て来る恐れ」があるからだという。日本の歴代天皇の中で最も活躍した天皇の一人「桓武天皇」の母 高野新笠(たかのにいがさ)は、百済の名王 「武寧王の後裔」であることは日本史の常識になっている。ちなみに、「桓武天皇」は朝鮮系天皇「天智天皇」のひ孫である。 歴代天皇の中で最も活躍したとされる天皇「天智天皇」「天武天皇」の母「斉明天皇」は、「朝鮮人豪族 吉備王朝」の出である。吉備王朝は、朝鮮式山城を根城に、大和王朝以前 倭国最大の勢力をもっていたという。吉備には、大和王朝以前としては、日本最大の古墳があるという。従って、「天智・天武は朝鮮系の天皇」であるということになる。「白村江の戦い」で、百済救援のために、斉明天皇の後を追って、天智が3万人に近い兵を送ったということは、「百済と倭国は姻戚関係にあったからだ」と金達寿 佐々克明 洪思俊らは述べている。 西暦663年、「白村江の戦い」で新羅にやぶれた百済から五万人が渡来したという。このことに関して、司馬遼太郎は「百済 国ごとの引っ越し」と語っている。「日本書紀」によれば、天智天皇は、当時の亡命者を、近江の蒲生郡あたりに3000人近く住ませ、無償で農地を与え、官食を三年間も与えたという。百済の高官66名が政務次官なみに登用され、「法務大臣(法官大輔)」「文部科学大臣(学頭職)」になった人もいる。西暦667年、「天智天皇は都を近江」に移している。「額田王の父 鏡王は 近江の蒲生郡に住んでいた」と言われている。 額田王が天智の妃なったことと、くしくも、額田王が朝鮮人であったことは、天智による近江遷都には朝鮮の匂いをただよわせるものがある。額田の義母 斉明天皇が朝鮮人であり、斉明天皇の子供(天智)が朝鮮系の天皇であり、その妻が朝鮮人であることは、「近江」と「朝鮮」の関係の深さを彷彿とさせる。百済人が倭国へ亡命したのは、亡命以前から、倭国と百済には縁戚関係が成り立っていたからである。日本国の誕生にもっとも力を発揮したのは、「白村江の戦いの敗北で渡来した百済人」で、彼らによって「日本という国号」がつくられた。 「大化の改新」は、藤原鎌足(百済の渡来人)を筆頭に、安倍内麻呂 金春秋 高向玄理などの渡来人によって行われた。また、「藤原不比等」は鎌足の子で「大宝律令制定」の中心メンバーであった。不比等は「本妻の娘を文武天皇」「後妻の娘を聖武天皇」の妃とさせ、藤原氏の基盤を築いた大人物とされている。アジア古代歴史学会の会長 上田正昭らの対談集によれば、「日本書紀」は「百済人を主軸に書かれ、天皇・朝廷のプロモーター藤原氏の都合がいいように整理されている」という。 「天皇家と藤原氏は、血縁的に見れば、また遺伝子的に見れば、区別がない」という。天皇と藤原氏の娘の子である天皇が、藤原氏の娘の子を次の天皇にしていくということを繰り返したので、天皇家固有の「血」などはなくなったのである。つまり、「天皇家と藤原家は一体」である。藤原氏は強大な政治力をもち、実質天皇とも言える実権をもっていた。梅原猛は「奈良の都の政治は不比等の独壇場であった。不比等の下に集められたのは、智謀豊かな、法律、歴史に詳しい朝鮮人であった。」と述べている。 「高句麗」や「百済」にも天孫降臨の神話がある。これは「天皇家朝鮮起源説」を裏づけるものであるという。天皇の礼服の紋章には円形の中に「八咫烏」の刺繍が施されているという。「八咫烏」は「高句麗」のシンボルである。従って、「天皇の始祖は高句麗」にあるという説がある。「八咫烏」は日本古来の文化ではなく、直接的には朝鮮から渡来した文化である。 ソウル市内の国立中央博物館で韓国の「檀君神話」 と「日本の建国神話」 を比較考察する学術会議が開催された。アジア史学会会長 上田正昭氏の論文が事前公開され、「天孫が空から降りる韓国と日本の神話には類似性が多い」との記述に注目が集まったという。日韓の神話を比較研究してきた上田氏は、日韓の天孫はいずれも山頂に降臨しており、共通点が多いと主張。百済の神の存在が、日本で継続的に命脈を受け継いできたと指摘している。日本の建国神話は、韓国の「檀君神話」の影響を大きく受けており、この事実は韓国だけでなく日本史学界でも認められているという。 京都産業大学文化学部国際学科の井上満郎教授は、韓国の檀君神話と伽耶の首露王は、日本神話に登場する天孫ニニギと同じような要素を持っている。「日本の天孫降臨神話が朝鮮半島系ということは疑う余地がない」と述べている。また、韓日天孫文化研究所所長のホン・ユンギ氏は、「日本の建国神話は、天孫が降臨する檀君神話を織り交ぜて作られたもの」であり、「三種の神器」も「三種の宝器」として「檀君神話」に登場すると述べている。日本の代表的な民族学者 東京都立大学の岡正雄教授も、1949年に、これを認める発表をしているという。 学者ならぬ凡人にでもわかることは、日本にも朝鮮にも、「仏教」以前からあった「神道」の存在である。「神道」は、朝鮮半島の古代文化を形成した北方民族 (騎馬民族) のシャーマニズムに由来すると言われている。北方民族のシャーマニズムは「天孫降臨神話」をもっており、「天孫降臨神話」が日本にも朝鮮にもあるということは、騎馬民族によって形成された朝鮮文化の流れが日本にもあるということになる。弥生時代から急増した朝鮮渡来人が、倭国へ「神道をもちこんだ」のはごく自然な流れでしょう。「天皇家が古代から現在に至るまで神道を一貫して信奉していることは、天皇家が朝鮮由来の姿を留めている現れ」である。 「天皇家のルーツが朝鮮半島」にあることを示すものの一つとして、志賀島の金印「漢倭奴国王」の時代から、志賀島周辺が朝鮮半島南部の国の支配下にあったのではないかというのがある。6~7世紀に新羅によって滅ぼされた百済から大量の渡来人が倭国に亡命してきたが、彼らが倭国への侵略者に転じなかったのも、すでに確立していた同胞国家である大和朝廷に迎え入れられたからであると言われている。百済からの渡来人にとって、倭国が本拠地になり、渡来人は新しい国づくりに邁進し始めたのである。 「蘇我氏(朝鮮渡来人)」は、六世紀後半には今の奈良県高市郡明日香近辺を勢力下においていた。飛鳥が政治の中心地であったことは、「蘇我氏が政治の実権を掌握」した時代以後、飛鳥に「集中的に天皇の宮がおかれるようになった」ことからもうかがわれる。朝鮮の渡来氏族がいかに大きな力で日本国を牛耳っていたかがわかる。「蘇我氏は皇室との姻戚関係を深めて政治的権力を強化」した。物部氏を滅ぼして国政の主導権を握った。「用明、推古などの蘇我系の天皇」を擁立した。渡来人によって「日本」という国号が作られ、「天智・天武・藤原氏などによる国家体制」がととのえられ、「大化の改新」「大宝律令」などによる新しい国造りが始められた。 実質天皇であった「蘇我氏」「藤原氏」が渡来人であったことは、彼らとの姻戚関係からしても、日本の天皇は朝鮮系の人であったことは明らかである。弥生時代以後、倭国の住民の90%以上が朝鮮渡来人であったことからしても、天皇の出自がどこにあるか自ずと知れるのである。大和朝廷の構成員は、トップスター「蘇我氏」「藤原氏」「秦氏」らがすべて渡来系氏族であるからして、職員は一人残らず渡来人であるとするのが自然であろう。その構成員の長たる天皇がいかなる存在にあったかは押して知るべしである。
@rossmary50650
@rossmary50650 2 ай бұрын
宋書に記された倭の五王(わのごおう)とは、5世紀に、南朝の東晋や宋に朝貢して「倭国王」と叙授された倭国の五人の王、すなわち讃、珍、済、興、武を指します。「倭の五王」の遣使(世修貢職)の記録が『古事記』、『日本書紀』に見られないことや、ヤマト王権の大王が、「倭の五王」のような讃、珍、済、興、武など一字の中国風の名を名乗ったという記録は存在しないため、「倭の五王」は近畿主体のヤマト王権の大王ではないとする説も江戸時代からありました。「讃」→履中天皇、「珍」→反正天皇、「済」→允恭天皇、「興」→安康天皇、「武」→雄略天皇・・・倭の五王の遣使は413年から477年までに少なくとも9回が確認されますが、このうち421年の倭王讃による遣使は東晋に対してですが、425年から477年までの倭王珍・倭王済・倭王興は、いずれも南宋に対するもので、479年倭王武の遣使は南斉対するものです。五王の朝貢年は中国史書からは明らかですが、記紀には(東晋・南宋・南斉の首都・建康(南京市の古称)への)朝獻記録がまったくありません。このため遣使年に在位していた天皇名を推定することで終わっています。具体的なきめてに欠けているのです。 井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』中央公論社〈中公文庫〉、1973年10月。ISBN 4-12-200041-6。 佐伯有清 編『雄略天皇とその時代』吉川弘文館、1988年2月。ISBN 978-4-642-02145-6。 安本美典『倭の五王の謎』廣済堂出版〈廣済堂文庫〉、1992年9月。ISBN 4-331-65153-3。 安本美典『大和朝廷の起源』勉誠出版、2005年7月。ISBN 978-4-585-05324-8。 直木孝次郎『直木孝次郎古代を語る6 古代国家の形成―雄略朝から継体・欽明朝へ』吉川弘文館、2009年3月。ISBN 978-4-642-07887-0。 森公章『倭の五王 5世紀の東アジアと倭王群像』山川出版社〈日本史リブレット 人 002〉、2010年4月。ISBN 978-4-634-54802-2。 上田正昭『私の日本古代史 上 天皇とは何ものか−縄文から倭の五王まで』新潮社〈新潮選書〉、2012年12月。ISBN 978-4-106-03720-7。 河内春人『倭の五王−王位継承と五世紀の東アジア』中央公論社〈中公新書〉、2018年1月。ISBN 978-4-121-02470-1。 瀧音能之『「日本書紀」と「宋書」で読み解く!謎の四世紀と倭の五王』青春出版社〈青春新書INTELLIGENCE〉、2018年8月。これらは今やみな骨董品 です。 私は梁書と三国史記を対比して、王名とその遣使年に一致があることを遂につきとめました。双方の資料に集中して分析してみました。 *[---]の中は日本書紀に出現する表記名。 宋書→梁書=百済の諱と王名=日本書紀の表記名 「賛」→須=(餘・須・第14代・近仇首王):[貴須王] 「珍」→余映=(餘映・第18代腆支王):[直支王] 「済」→餘慶=(餘慶・第21代・蓋鹵王):[加須利君] 「興」→牟都=(餘都・第22代・文周王):[汶洲王] 「武」→牟太=(牟大・第24代・東城王):[末多王] *第二章三部後小論に(「倭の五王の後裔」・稲荷山の鉄剣などに詳述) ・梁書では倭の五王の後の二代まで書かれている。これは何を意味するのだろうか。百済王系譜、その連続性と一致する。このことは倭の五王が百済王であることは如実に語っている。もはや否定できないといえよう。 「隆」→餘隆=(第25代・武寧王・(斯摩)(「嶋君しまぎみ・嶋郎」→億計天皇に比定、その状況、父を殺されたことや、また弟が先に天皇になった経緯が近似している。嶋郎は弘計天皇と同母、母は荑媛(はえひめ・書記、これは倭王武と倭王隆が同母であること。嶋郎が先に生まれていることを示します。)
@rossmary50650
@rossmary50650 2 ай бұрын
発表概要:  国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門(総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻教授兼任)の斎藤成也教授、東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、東京大学大学院理学系研究科・理学部の尾本惠市名誉教授を中心とする研究グループは、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得た。 これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られていたが、決定的なものではなかった。今回、研究グループは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)(注1)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を含む日本列島人のDNA分析を行った。 その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。さらに、他の30人類集団のデータとの比較より日本列島人の特異性が示された。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する。また、アイヌ人はさらに別の第三の系統(ニブヒなどのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があり、本土人との混血と第三の系統との混血が共存するために個体間の多様性がきわめて大きいこともわかった。 日本列島における人類集団の遺伝的多様性を明確にすることは、人類学的観点のみならず、ゲノム医学にとっても大きな意義がある。将来は、これら集団間の表現型の違いとゲノムの違いを結びつけることが期待される。
@rossmary50650
@rossmary50650 2 ай бұрын
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