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ぶっ飛んだ奇才・義経の知られざる戦術【一ノ谷の戦い】世界の戦術戦略を解説『源平合戦5』

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非株式会社いつかやる

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Күн бұрын

この戦いは義経の奇襲だけじゃない!
そこまでにいく課程と前提条件を知らなければ、一ノ谷の合戦はわからない!……ということで今回も張り切って紹介しますよ!
【鎌倉殿の13人】は終わったけど関係ないよ!
源平合戦シリーズ
第1回【石橋山の戦い】→ • 完敗から始まる源頼朝の革命戦争【石橋山の戦い...
第2回【富士川の戦い】→ • 武士のカリスマ!頼朝の大逆襲【富士川の戦い】...
第3回【倶利伽羅峠の戦い】→ • 敵を絶望させた天才の殲滅決戦!【倶利伽羅峠の...
第4回【宇治川の戦い】→ • 武士を解放する血塗られた革命【宇治川の戦い】...
第5回【一ノ谷の戦い】→今回
第6回【屋島の戦い】→ • 無謀?天才的?源義経のキテレツな奇襲【屋島の...
第7回【壇ノ浦の戦い】→ • 死闘!これまでと違う【新・壇ノ浦の戦い】世界...
再生リスト【世界の決戦シリーズ】→ • 不可能を覆す史上空前の決戦【カンナエの戦い】...
【参考資料】
上杉和彦【源平の争乱】
西股総生【鎌倉草創 東国武士たちの革命戦争】
川合康【源平合戦の虚像を剥ぐ】
野口実【源氏と坂東武者】
関幸彦【源平争乱】
別冊宝島【源平合戦3D立体地図】
学研【源義経】【平清盛】
【鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台】
海上知明【戦略で読み解く日本合戦史】
歴史群像 no165~170 no171
……などなど
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魔王魂様「裸足の勇者」
Dova syndrome・作曲者kk様「全てを創造する者」
#歴史 #世界の戦術戦略 #合戦 #軍事 #日本史

Пікірлер: 209
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
僕らの本が発売されました!買ってね! 近代から現代まで時空を超えてインタビュー!? 「日本と世界」が同時にわかる すごい歴史 amzn.asia/d/gOULRIl クリスマスにゴリゴリの戦史動画はいかがですか? 副社長は動画制作で直前までクリスマスって気が付かないくらいだったぜ~なんやクリスマスって~-y( ̄Д ̄)。oO○ さて一ノ谷といえば義経の逆落としだけど正直、真相はわからんw 義経が何かしら関わっているのは可能性は高いけど、やっぱり断崖絶壁を駆け下りたのはないかと。 そもそも世界にも猛訓練すれば急斜面で活動した民族や馬はいるし、記録もあるけど 戦史上では【絶壁からの奇襲】が近代以前には逸話はともかく確かな戦例が見られないからやっぱり現実的ではなさそう。 てか日本でも義経の奇襲を真似て同じ事をする奴がめっちゃ出てきてもおかしくないのはずだけど・・・そこも疑問。 どしどしチャンネル登録、コメント、評価よろです~
@user-zx9vl1uj4z
@user-zx9vl1uj4z Жыл бұрын
義経は楠木正成と似た性質の戦術が得意。対して、頼朝や尊氏は政治や戦略が得意。と言うわけか。
@2000me
@2000me Жыл бұрын
一の谷の戦いは基本的な部分はランチェスター戦略の一例と言える。ランチェスター戦略は数の優位性を利用して戦う戦略で、この戦いでは総大将主軍を囮として敵軍を引き付けて兵力分散をし義経率いる別動部隊が主力として側面攻撃で突き崩す。義経が兵力を少なくして小勢にしたのもランチェスター戦略の一つで、機動力で迂回し敵軍の意表を突いて相手方の後方や連絡線を脅かし相手方が突き崩れた処を総力を持って叩き崩すのが一の谷の戦いではないでしょうか。ジョミニの言う「我を決勝点に投入せよ」と言える場面です。これは、不思議なんですがジョミニの考えた戦術の相手方の後方連絡線に圧力を加えるやり方とランチェスター戦略の数の優位性を利用して相手方の後方や側面に圧力を加えて突き崩す戦法は同じく類似性が高く感じますが、私の勘違いでしょうか。
@URUZU9071
@URUZU9071 Жыл бұрын
錯覚…を利用したが有力的ですがね。 環境が整っているならばパニック状態と合わせると逆坂の現象に追い詰められているならば、かなりの有効的な一手なるでしょうがね。 一点から見えるだけなら馬などの視野の範囲が広く、焦点が水平であるなら下りる場合の速度は落ちにくいでしょうからね。 素人考えですがね。
@xeokey295
@xeokey295 Жыл бұрын
そもそも逸話の時点で騎手無しの馬3頭を走らせて1頭無事降りれたからイケる、という判断を下してる訳だから義経のヤバさが際立つ話ですよね 山の道の動きに関しては義経には山伏ネットワークがあったはずなので信頼性の高い情報が仕入れ易かったかも知れませんね
@user-vk3hp6us2g
@user-vk3hp6us2g Жыл бұрын
すみません自分が間違ってたら申し訳ないんですけど、地図で京都の西の方に書いてある、義経が通った方角の地名は亀山ではなくて亀岡では無いでしょうか?
@user-og9ip7rn7f
@user-og9ip7rn7f Жыл бұрын
この時平家軍は平知盛を指揮官に万全の備えを敷いていたことは紛れもない事実です、まず負けることのない戦いでした。それを一撃で破った義経の恐ろしさが光ります。
@user-rd7mt7cz9f
@user-rd7mt7cz9f Жыл бұрын
今回の解説を見ると範頼もめちゃくちゃ良い仕事してんなと思った。主力ではあるがあくまでも足止め、敵の意識を最大限に引き付ける陽動。バランス感覚難しい役回りだよな
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
まさに堅実な仕事人!範頼あってこその義経って感じですよね!
@heliodor555
@heliodor555 Жыл бұрын
ついていく武士達が士気落ちて押し返されたらだめで、逆に士気は高いが無謀な突撃しすぎて死傷者多数で戦線維持できなくなってもダメ。 人望と忍耐力・判断力が揃ってないと出来ない事ですよね。
@sawanaga3417
@sawanaga3417 Жыл бұрын
範頼大変だったねえ… 一ノ谷の戦いはどうしても義経が注目されがちですが、範頼側の動きも今回知れてよかったです。
@southfield-os7sk
@southfield-os7sk Жыл бұрын
一滴の雫って感覚は分かるけど、 「この瞬間、この場所を突けば敵陣が崩れる」って判断は、 天賦の才がなければ出来ないと思う。
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
まさに一滴の雫を成すにはその時、その場で状況を読む戦術眼、そして決断力が試されます。まさに才能と経験が発揮される場面って感じです
@doubles8866
@doubles8866 Жыл бұрын
いつもありがとうございます。関西在住にてこの近辺の地理には詳しいのですが、実際の防御ラインはJRで複数の駅にまたがるほど広大です。それぞれの防御ラインが緊密に連携をとれていたとは到底思えませんが、素人がみても各方面軍は軍事的には抜かれることはまずあり得ません。直接的な敗因は、義経の急襲に中枢(平家指導部)がビビッて戦線離脱したことだと思います。確かに彼らが突破した鵯越ルートからは、安徳天皇在所が徒歩5~10分圏内なので仕方ありません・・・。安徳天皇守備隊が本当にほぼゼロだったのでしょうね・・・。
@user-ov9sn7ek5t
@user-ov9sn7ek5t Жыл бұрын
興味深い内容でした 相手の決戦のバトルフィールドでここまで戦えたのも義経一人の手柄だけじゃなく 各部署個々人が奮闘した結果なんだなあ
@nopposan_8605
@nopposan_8605 Жыл бұрын
ドラマの『鎌倉殿の13人』では実際の戦闘の場面はかなりあっさりと描かれ、割愛までされてしまった戦いも多いので、こちらのチャンネルで数多く取り上げてくれることを祈っています。頑張ってください。
@ikedasingo5074
@ikedasingo5074 Жыл бұрын
どこまで読んでいてどこからがアドリブなのか? 1回見ただけじゃ義経の動きが全然わからないけど、裏で範頼がものごっつ頑張ってたのは分かりました。 「今この時ぞ!押せやぁ!」が気合入ってますね。
@user-ut4wf4nt7c
@user-ut4wf4nt7c Жыл бұрын
戦の機微を判断する事って 何かに祝福されてるとしか思えないです。
@user-ft1to6dr6o
@user-ft1to6dr6o Жыл бұрын
PS2義経英雄伝修羅ってゲームでこの時代大好きになった同士おらん⁇
@user-fd7ld3yn4m
@user-fd7ld3yn4m Жыл бұрын
やはり義経は優れた軍略家だった……… 今までの副社長の動画を見てきてその度に思うのは、国内外問わず優れた軍略家が繰り出す1手(神の1手と言うべきか)は見事だ、ということ
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
義経に関してはかなり他にも説があるのでそうなんです!って断言できないのが心苦しいですが、願わくば義経があと何戦かしてくれてたらと思うばかりですw
@miko-vb2hg
@miko-vb2hg Жыл бұрын
17:07 鵯越の逆落としは義経が行ったと広まっていますが、九条兼実「玉葉」においては、多田行綱が山を駆け降りて攻めた、という記述があり、義経はこの多田の兵に続いて攻めました。 多田行綱の本拠地は摂津多田(兵庫県川西市)で、行綱は多田源氏の長でもありました。 また義経が民家を焼いて勝つことを優先する姿勢には御家人(主に梶原景時など)から不興を買いました。 勝利という目的には針のように鋭い視点を持つが、逆に広い視野を持てない義経の転落要素はここで垣間見えます。
@user-nf3iv3ws8x
@user-nf3iv3ws8x Жыл бұрын
山の中を行軍しながら、ここで兵を分けようと判断できるのが、軍神の軍神たる由縁ですねぇ。
@user-sz8jr7iq4r
@user-sz8jr7iq4r Жыл бұрын
動画も見やすいし、説明も聞きやすい。本当に優秀な動画だと思います。
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
嬉しいお言葉!もう副社長はどや顔がとまりませんぞ~w顎グイー
@GT-yh1oo
@GT-yh1oo 11 ай бұрын
万全の構えを見している敵に対して戦が始まる前から戦局を読み先んじて地形や行軍ルートを調べ少数に分けることで味方が攻めるタイミングに合わせたりすることで、最高のタイミングで相手が予想しない最高の一手を意図して打っているのが恐ろしい。 そして村を焼いて照明弾代わりにしながら奇襲されたことを敵に知らしてパニックに陥らせるなんてことを平気でやってのける残忍さも発想の柔軟さと奇抜さが恐ろしい。
@user-vk9gm4tz6b
@user-vk9gm4tz6b Жыл бұрын
語りが面白い。 上手いですね。
@user-ej6xb5mh2z
@user-ej6xb5mh2z Жыл бұрын
信長の野望のような壮大なマップ。 大阪、尼崎一帯の川の作り込みが凄いです。
@user-ds7ig4cm2n
@user-ds7ig4cm2n Жыл бұрын
楽しみにしていました。配信ありがとうございます。やっぱり真打ち。さすがです。
@sms3135
@sms3135 Жыл бұрын
義経の活躍ももちろんですが、範頼も見事な戦いぶりでした! むしろ範頼率いる主力らが奮戦したからこそ義経の奇襲が絶大な効果をあげたと思いますね!
@pontaponta3217
@pontaponta3217 Жыл бұрын
義経の天才的戦術眼が冴えまくってますが地味に範頼もいい仕事してますよね~
@user-uw6fz1ey9z
@user-uw6fz1ey9z Жыл бұрын
本当に二人とも歴史が好きなんだなと感じました!
@sakuyan212
@sakuyan212 10 ай бұрын
奇策で平家を出し抜いた義経公 敵の注目を集めて粘り強く戦った範頼公 どちらもすごい どちらが欠けても上手く鎌倉軍は行かなかったと思う
@seattleslew2332
@seattleslew2332 Жыл бұрын
丁度今山中を迂回してて明朝攻撃を開始する手筈なので助かります
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
ご武運を!
@Q-Finch
@Q-Finch Жыл бұрын
範頼って文献では評価低いけど、義経というトリックスターと、893な坂東武者を使いこなす名将だと思います。
@katow_user
@katow_user Жыл бұрын
分水嶺を見極められる人材がいると展開がすごいなあ…
@user-oo3ii3du4d
@user-oo3ii3du4d Жыл бұрын
いつも楽しみにしてます!
@mantarouhagakure3911
@mantarouhagakure3911 Жыл бұрын
義経の逆落としもそうですが、畠山重忠が自分の馬を担ぎながら崖を下りていった話は流石に眉唾だと思う。 そんな怪力無双でイケメンな武士なんて本当にいるのぉ?
@user-zx9vl1uj4z
@user-zx9vl1uj4z Жыл бұрын
平敦盛が散ったことで有名な一の谷か。一の谷の戦いは伝説になるわけだな。
@rainbow-iz9ws
@rainbow-iz9ws Жыл бұрын
範頼の本気の力攻めが功をした感じでしょうね・・・まあ源氏軍が2.5万位で平家が西国からかき集めた兵で三万割れみたいな状況でしたから義経が奇襲かけるだけで戦局が一気に 変わる状況だったんですよね・・・そのタイミングで駆け下りた彼はやはり天才だったわけでしょうね
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
義経が本当にやってたら、やっぱ天才ですねw ただ【逆落とし】が義経じゃ無かったにせよ最終的には迂回攻撃を成功させたので彼の手腕による功績は大きいと自分は思っています。
@shiroshiro9167
@shiroshiro9167 Жыл бұрын
スマホも無線も無い時代に、分割した部隊が連携するって難しそうですよね。
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
相当、大変です。ただ分割する部隊が後世より多くないので攻撃日時などの単純な連携は図れるかと思います。それでもできない場合は多々ありますがw
@user-fm5xu3bq9j
@user-fm5xu3bq9j Жыл бұрын
いつも楽しく見させて頂いてます。 副社長の戦史の話が好きですがピロ助さんの過去の偉人とかも為になって好きです。今年もお世話になりました!来年も期待してお待ちしてます。
@user-ho9ht3co8f
@user-ho9ht3co8f Жыл бұрын
地図で俯瞰して見てるからまだ分かるけど、これだけの動きを、現地で殺し合いの最中に思いついて実行するのは恐ろしく神がかっている。
@user-qj7fz6yq7m
@user-qj7fz6yq7m Жыл бұрын
めちゃくちゃ地元やから光景が目に浮かぶ
@ichino4470
@ichino4470 Жыл бұрын
この時「三浦の方で我等は鳥一つたてても朝夕か様の所をこそはせありけ。三浦の方の馬場や」と言って三浦一族の佐原十郎が真っ先に駆け出したエピソードが好きです 確かに三浦半島って低いけど急な山が海岸線まで迫った地形してますものね
@user-gu1es3jh6o
@user-gu1es3jh6o Жыл бұрын
少数に分け、山中を駆け抜けたのは(スピード重視)初めて知った。義経は流石、戦いを知っている。有難う御座います。
@user-ahanahan
@user-ahanahan Жыл бұрын
お忙しい中、年内更新ありがとう御座います!
@user-jc3lr7ds9m
@user-jc3lr7ds9m Жыл бұрын
地元民ですが、現在の須磨の「一の谷町」と「鵯越」は結構はなれてるんですよね。一の谷町の後背山である「鉢伏山・鉄拐山」は断崖絶壁と言うにふさわしい急峻さですね。「馬で攻め降る」なら4,5Km北東の鵯越の山中(菊水山の西側・高取山との間)から南下する方が実現可能性はあるのかなぁと思います。そこから一の谷砦に攻め入ったと。素人考えですけどね。 ただ六甲山脈の西側半分の意外な場所(馬を降りて獣道な山道)を山越えして須磨あたりの平家の陣を急襲したのは間違いないかと思います。平家側から見れば主戦力は東側の生田川の平地部分で激突しますが、そこを守ればあとは北の有馬街道と西の西国街道の「裏口ぐらいの狭さの場所」をふさげば福原都は守れるわけで実際に防御兵力を配置してます。しかも大軍は不要でしょう。平家は馬が通行できる場所はすべて塞いだはずだったのにそれ以外からの騎馬兵力の侵入はまさに想定外だったとしか言えません。70騎そこらの兵力でもノーガードなら高い機動力で広い範囲をやられ放題になります。平家側としては柔らかいハラワタを食い破られるような感覚だったのではないでしょうか。
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
すばらしい見解感謝です!そっち方面の説も捨てがたかったので大変、参考になります。たしかに山手側を攻撃したのは摂津源氏だったので六甲山脈西側方面からの逆落としも全然考えられます。んで、おそらく平家側も驚く場所に強引に浸透したのではないかと。 ただ、70騎なのが少々気がかりです。また戦闘中に山地を迂回機動するには平家軍部隊から少々離れすぎてるので対応される恐れが高く、もしかしたらもっと平家軍に近くて致命的なポイントだったかもしれません。 基本的に迂回機動は戦闘中の場合、敵から離れれば離れるほど失敗する確率が高くなりますし。敵との距離が遠く、衝突してなかったら話は別ですが・・・ まぁ、明治陸軍は70騎じゃなくて300騎じゃね?って予測してるので兵力にも再考が必要です。
@user-jc3lr7ds9m
@user-jc3lr7ds9m Жыл бұрын
@@user-zk3xp9zq7f 返答ありがとうございます。素人考えではありますが、地元で山歩きなどもしておりまして土地勘や距離感からの考察です。 現代ですら、北側「有馬街道・天王谷」西側「西国街道・須磨ー塩屋間」は非常に隘路でして、日常の渋滞ポイントになっています。柵などの障害物を置けば騎馬突撃が出来なくなり歩兵&弓兵のみで十分防御できる地形ではないかと。平家側の指揮官として考えるなら北側、西側には伝令程度の騎馬しか残さず、生田川は勝負地なので一騎でも多くの騎馬兵を送り込みたかったと推察します。義経が山を越える前に生田川で勝っていれば、その後義経の少数の騎兵が侵入してきても容易に対処できたのではないかと思います。まさに時間との勝負、タイミングの勝利だったのでしょうね。何気に生田川での源範頼の頑張り(陽動)が勝敗を分けたのではないかと思います。
@sugumi8886
@sugumi8886 Жыл бұрын
この時代戦略予備の考えがあれば御所には各方面が危なくなった時用の予備軍がいて義経も返り討ちに遭っていたんだろうな
@tetetete0118
@tetetete0118 Жыл бұрын
クリスマスでもぶれない副社長とぴろ助君😊
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
本心を言うならクリスマスはぶれたい・・・
@FGHJNHK625JF75GUT
@FGHJNHK625JF75GUT Жыл бұрын
意外と行動範囲が広いですね。😮 義経が迂回したのは知っていましたが、てっきり神戸あたりの話だと思っていました。 平家の布陣も西は須磨から東は神戸までとかなり広いです。😮 神戸付近には行ったことはあるのですが、漫画などで出てくるような一ノ谷の地形が見当たらないので不思議に思っていました。てっきり東西1kmもないのだとばかり😅。
@user-zf9oh1ym1h
@user-zf9oh1ym1h Жыл бұрын
守りやすい地形で迎え討つという平家の戦術が、逆に思考を膠着させてしまっている気がします。分隊を主力にして京へ逆侵攻を狙ったり、義経を待ち受けず積極的に迎撃に出るなど、少し状況を自分達で構築する必要がある気がします。 逆にいえばその辺りを見切った源氏側は戦上手だとも言えますよね。
@user-yx7kq9go7e
@user-yx7kq9go7e Жыл бұрын
毎回毎回面白い動画ありがとうございます。
@user-ib7vb8tn5q
@user-ib7vb8tn5q Жыл бұрын
待ってました!
@user-nw4jz5ho7u
@user-nw4jz5ho7u Жыл бұрын
いつも解説動画楽しみにしてます!! 日露戦争の日本海海戦や、 厳島の戦いの解説をアップした いただけるととても嬉しいです👍
@user-mw2xp6ur7p
@user-mw2xp6ur7p Жыл бұрын
余計なお世話かもしれませんが、合戦歴史という方が日本海海戦や厳島の戦いを解説されてますよ。 面白いのでよければぜひ。
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
いずれやるのでお待ち下さいまし。ちなみに日本海海戦は今から制作時の困難さが想像できて震えているところでありますw
@sugumi8886
@sugumi8886 Жыл бұрын
@@user-zk3xp9zq7f 日本海海戦動画作るならどこから始めてどこで終わるんだろw
@cathead27
@cathead27 Жыл бұрын
待ってましたよ〜いつも楽しく拝見してます☺️
@user-iz6hq1wk9j
@user-iz6hq1wk9j Жыл бұрын
以前やっていた、アレクサンダーのような戦術眼!
@user-kd4ol7oe4g
@user-kd4ol7oe4g Жыл бұрын
副社長解説、ピロ助合いの手が一番好き。 木曽義仲はカリスマ性だけあり過ぎたイメージ。戦国時代なら大勢してただろう感じ強い
@tw-nz8ci
@tw-nz8ci Жыл бұрын
敦盛ぃぃ… 屋島の戦いも楽しみでしょうがないです。
@lezakymura
@lezakymura Жыл бұрын
そう言えばタッキーも、義経役を大河で演ってたよな。 そう思うと、なんか勝手ながらノスタルジーに浸ってしまったよ。
@user-wu3ke5rg2j
@user-wu3ke5rg2j Жыл бұрын
逸話だけど畠山重忠が崖を降りる際、馬を背負って降りたってエピソード結構好き!もしこれがウマ娘だったらどうだったんだろ?
@ch.8194
@ch.8194 Жыл бұрын
それまであった正々堂々って慣習をぶち壊して、好きなように攻めて暴れるってことをやった義経カッコイイっすね! 戦に卑怯もねーんだよって感じが痺れる!
@user-ri2sj7ob3t
@user-ri2sj7ob3t Жыл бұрын
中先代の乱も可能であればお願いします!
@user-mw2xp6ur7p
@user-mw2xp6ur7p Жыл бұрын
マジで義経は戦の申し子ですね。それ故にその戦が終われば無用の長物どころか邪魔な存在になる。 政治判断に優れた者が近くにいれば、あのような最期を迎えなくて良かったのかも。
@user-xs9nn8iu1c
@user-xs9nn8iu1c Жыл бұрын
平家物語等の義経の言動を見ると、物語とはいえ『イかれてる』としか思えなくて面白過ぎる
@user-gg6qx9jq5g
@user-gg6qx9jq5g 9 ай бұрын
義経が通説になってるけど、最近は多田行綱が奇襲した説が有力ですよね。 九条の日記の玉葉の情報だけど、多田は後白河側だから忖度した可能性も捨てきれないですが…、 ただ、地元民だし元平家だし奇襲ポイントを知っているだろうので逆落としは義経よりも行綱がしたと考えてもおかしくないのでは?って思う。
@user-yn8cz4iz7y
@user-yn8cz4iz7y Жыл бұрын
鎌倉殿の13人見てたから全部義経=菅田将暉、範頼=迫田孝也で変換されてしまう…
@stukauboot7484
@stukauboot7484 Жыл бұрын
実に素晴らしい
@bushimaru334
@bushimaru334 Жыл бұрын
次は義時かな?❤
@pepper1192
@pepper1192 Жыл бұрын
この頃から鎌倉軍は命など惜しくない考えの武士が多かったんだね。
@user-vm3lb4vv2q
@user-vm3lb4vv2q Жыл бұрын
ブンブン抜け駆けしてる武将は私の御先祖様です😂 どうゆう家系なのかは小さいころ聞かせてもらいましたが戦場ではどういう武将なのか気になっていましたありがとうございます!
@user-dw2vp4pi3m
@user-dw2vp4pi3m Жыл бұрын
副社長、すごいな。いつも、すげえまとめられている。オレのプレゼン手伝ってほしいなw
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
実は結構、撮り直してるんですよ(ボソッ
@user-il4oc6nm6w
@user-il4oc6nm6w Жыл бұрын
完全な天才肌の義経と理論派のリアリストの頼朝。 そりゃ割れるよな。
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
僕も印象だと全然タイプが違ぇなっと思ってますwそりゃ合わんわみたいなw
@Dradlo
@Dradlo Жыл бұрын
七十騎で山中を迂回して背後に進出して陣地に放火って、やってることが特殊部隊じゃねーか! 迂回阻止失敗、一ノ谷への加勢という危機から、持ちこたえれば勝てると希望が見えたところからの奇襲は心理的にもダメージでかそう…
@mk-2820
@mk-2820 Жыл бұрын
ありがとうございます!
@chiha2525.
@chiha2525. Жыл бұрын
上皇の休戦命令の話も入れてほしかった。 私は、生田と一の谷で戦闘が始まり、山側(北側)を守っていた部隊が生田などに回って手薄になったところに、義経の別動隊が来て撃破&突入、その後義経が内側から生田と一の谷方面の背後をついて大勝利。特に一の谷方面は背後を突かれて『どこから来たのか?崖を駆け下りてきたのでは?』と分からず、伝説が生まれたと考えてます。
@aokubidaikon5698
@aokubidaikon5698 Жыл бұрын
メリークリスマス! 歴史はすべてこの番組から勉強しています。年の瀬で忙しいことと思いますが、これからも頑張ってください。
@maejimasgamesplay8446
@maejimasgamesplay8446 Жыл бұрын
おつかれさまでしたー まってましたー^ー^ 日本史 戦い! ためになりましたー!
@rock69dynamite
@rock69dynamite Жыл бұрын
配信、感謝します。 すんません、しばらく政治系にいってて見逃してました。 さて、やっぱり素晴らしい講義ですし掛け合いのレベルも上がってますしすげえわ。 ところでマンデラエフェクト。 自分の世界線には「源範頼」って存在してませんでした。 こっちでは「草燃ゆる」でも登場していませんでした。 なんかどうも不安定ですね。
@SS-dc5xy
@SS-dc5xy Жыл бұрын
主役の兄弟ってふと意識からいなくなったり、物語でも影が薄かったりしますよね 豊臣秀長とかもよくそんな感じになる
@khh7266
@khh7266 Жыл бұрын
それってマンデラエフェクトなの? 知らないはただの知らないで、事実じゃない情報を何故か多数の人が知ってる状態がマンデラエフェクトかと思ってた。
@user-tw7qw3sj2s
@user-tw7qw3sj2s Жыл бұрын
鵯越の逆落としが実在したかどうかはともかく、やっぱ平家がこの状況であんな負け方をするのは、やっぱかなり大胆な奇襲しかなかろうなあ…。均衡状態を崩す、決定的かつほんの一滴の変化。 また面白いのが速度を優先しつつ、自分自身が指揮する攻撃は最後の最後なのよな。速度を上げて本軍の攻撃に間に合わせ、器がいっぱいになるような均衡する状況を作り、最後の一滴は自分自身…。これをアドリブならホントすげぇよ。速度を上げるために一ノ谷側と北側の2つの砦に向かわせるなら理解できるがさらに分けるのはわからん。
@fightingneat
@fightingneat Жыл бұрын
面白かった!
@takuya1st
@takuya1st Жыл бұрын
後世に盛られてるとは雖も、何らかの乾坤"一滴"があったのは間違いないよね。
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
それは自分も同意見です。戦史上でも強力に防御された地域を突破する場合、何かしら重要なファクターがあったりします。敵より兵力があったり技術的に大きく上回ってたらごり押しもありますが、同等かそれ以下ならやはり何かしらの工夫は必要かと。
@user-jm5uf8nz8r
@user-jm5uf8nz8r Жыл бұрын
迂回に取り憑かれるって言葉おもしろい
@user-mw6lo2hm8u
@user-mw6lo2hm8u Жыл бұрын
面白いし、聞きやすい!最高です!
@user-kh2hi5lx3u
@user-kh2hi5lx3u Жыл бұрын
毎度編集がカッコ良いし、分かりやすいし、時間を忘れれます!!! 義経成りたい義経成りたい義経成りたい義経成りたい義経成りたい義経成りたい義経成りたい義経成りたい義経成りたい義経成りたい義経成りたい義経成りたい浅漬け食べたい浅漬け食べたい浅漬け食べたい浅漬け食べたい義経成りたい義経成りたい義経浅漬け食べ成りたい
@anamaru
@anamaru Жыл бұрын
次回屋島きたー!地元楽しみ 因みに屋島にも城跡があるのですが何故か平家軍はそこを使わなかったもよう…
@sugumi8886
@sugumi8886 Жыл бұрын
大野城や水城と同時期に築かれた城なので律令制が崩壊した後数百年経って軍事利用に耐えられないほど荒廃していたとか?
@キジにゃー
@キジにゃー Жыл бұрын
源氏と言えば義経ですが、それが活躍できるのも堅実に本隊を指揮する人居てこそ…ということなのですね~。
@rowamagita6685
@rowamagita6685 Жыл бұрын
クリスマスはやっぱり戦史だよねー(乱心)
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
ですよね~(死んだ目
@hymn13
@hymn13 Жыл бұрын
畠山重忠の逸話があるから鵯越はあったと思うんだよなあ。 但し、騎乗でなく下馬して降りた。その中で、馬に気を遣った重忠の逸話のために語り継がれ、それを後付け説明のための作り話が義経の騎乗のまま降ったになったと思うんだよなあ。 註:重忠がこの場にいなかったと言うのも有力だから、そうなるとわたしのこの話は消えてなくなるけどw 平家もここからくると思っていなくて崩れたと思わない限り備えが万全すぎる、と思う。
@user-np3ev6xf2o
@user-np3ev6xf2o Жыл бұрын
鵯越の逆落としは無い。普通に地図見たら鵯越を通過しても一の谷には通じず、夢野や福原に繋がってることがわかる。義経は鵯越を通ってすらいない。しかも鵯越の坂を通って年貢を納めに行ってたって史料もあるから普通の坂だったんじゃねえかってのが今の見解。完全に平家物語での創作話。
@violentdaddy
@violentdaddy Жыл бұрын
義経は身内だとしても危険だな。 かわいそうだけど消されるの納得。
@Bamyuuda4993
@Bamyuuda4993 2 ай бұрын
範頼の事も語ってもらえて嬉しいです!
@user-nf6fd3sm3c
@user-nf6fd3sm3c Жыл бұрын
良く鵯通るけど、通る度に「義経狂っとんな…」と思う。
@junjun5127
@junjun5127 Жыл бұрын
最近の研究では逆落としは別の人がやって、義経は別の陣地に居たことが分かってきてるんだよな。
@yourizu6472
@yourizu6472 Жыл бұрын
動画有難うございます!素晴らしいクリスマスギフトですね!武士が起こった時期を考えると、中世はまだ戦術って発達してないんですね。動画で福原京が堅固な所だったと改めて分かりました(時代劇を見ても分かりませんでした)。範頼の善戦、荒ぶる暴走族の坂東武者、戦力を割きながら割きながら目的地に急ぐ義経(戦場での応用力が凄い)。『鵯越の逆落とし』が無くても、乗馬の技術が巧みな坂東武者は谷でも有利に動けたんでしょうね。
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
日本の中世もながいので時期によってレベルもかわりますが、室町後期~戦国になるとグンッとレベルアップしますね。 この頃は武士もまだまだ発展途上で、特に源平合戦規模の戦争をこの時の武士はやった事もなかったので、この頃の軍事活動は未知数なモノの連続でした。遠い地域での遠征活動や補給、万を超える軍の運用などがそれにあたります
@yourizu6472
@yourizu6472 Жыл бұрын
@@user-zk3xp9zq7f 様 回答有難うございます!古代ローマや、モンゴルの解説動画を見てるとやっぱり未熟かなと思いましたが、それでも元寇の解説回の前身の鎌倉御家人の闘いぶりが垣間見えますね!
@user-ty2kl6db7c
@user-ty2kl6db7c Жыл бұрын
まるで天上から戦場を見ていたかのような神がかり的な義経の采配。いや、上から全部見ていても難しいだろう。アドリブ微調整の達人だ。
@sanani5246
@sanani5246 Жыл бұрын
いつも楽しませてもらってます!ありがとうございます!  今年も副社長の熱い語りの解説期待してます!!
@user-iy3vg7mw8i
@user-iy3vg7mw8i Жыл бұрын
物語としては義経が逆落としを決行した方が面白いけど、『玉葉』や『愚管抄』の記述から推測すると別動隊を指揮したのは 摂津源氏の多田行綱と言われてますね。一ノ谷・鵯越どちらにも急な坂は無いですし。
@user-sk1ft9in6z
@user-sk1ft9in6z Жыл бұрын
世界の戦の中!日本の戦は楽しい🤗🤗🤗
@kanatakahashi1397
@kanatakahashi1397 Жыл бұрын
義経配下の兵は少数であり、総大将は名目でしかない。 騎馬兵による奇襲作戦しか手柄を立てる方法がなかった。奥州にいて馬術はお手の物だったはず。
@owata21
@owata21 Жыл бұрын
6:07 まじくそワロタ
@miteku
@miteku 11 ай бұрын
地元民ではあるけど、鵯越えの周りは今の地形だとそこまで激しい崖ではいルートを選んだと思うんですよね。 もちろん未整備の山道を騎乗して降るっていうのは難関ではあったでしょうが、義経の言う通り鹿が行けるのだから馬がいけないわけがない!というのもさもありなんとは思います
@anjai6223
@anjai6223 Жыл бұрын
面白い動画だわ。すんばらしいわ
@soreoi4074
@soreoi4074 Жыл бұрын
これより後の戦国時代とかだとあんまり迂回多用してるイメージがないのは迂回がメジャーになりすぎてがっちり対策されちゃようになったとかなのかな?
@esdesigns4634
@esdesigns4634 Жыл бұрын
疑問、違う人だったんじゃね?いい所ついてますね、リサーチさすがです。 実はここだけの話なんですが、その場にいたとされる名前がもう一つあるんですよ・・・ 奥州の守護神と言われたその名前は・・・ 「ムツ」 講談社から書籍化されているので間違いないです! 冗談はさておき 今回もリサーチがしっかりしていておもしろかったです^^
@user-fe2kn6hr8w
@user-fe2kn6hr8w Жыл бұрын
現代戦も取り扱ってもらいたい。
@tarishihiko
@tarishihiko Жыл бұрын
「ハンニバル、義経、ナポレオン」は、自分が勝手に世界3大将軍だと思っていますw ただどれも最後は哀れな最期でした。その義経をアップしてくれてありがとうございます!
@user-zk3xp9zq7f
@user-zk3xp9zq7f Жыл бұрын
う~ん僕とかなり話があいそうですな~
@shuichiuchida2008
@shuichiuchida2008 Жыл бұрын
個人的にはグスタフ・アドルフやフリードリヒ大王捨てがたい・・・
@tarishihiko
@tarishihiko Жыл бұрын
@@user-zk3xp9zq7f さん 3人ともいい個性ですw歴史とかまったく縁がなさそうな見た目なのに、この博学!裏切りの美学を感じますね。もし教師だったら子供たちは歴史が好きになったのにと思います。
@tarishihiko
@tarishihiko Жыл бұрын
@@shuichiuchida2008 さん そうですね。否定する材料もない。追加するならリチャードとサラディンも入れたい。こうやっていろいろ考察できるのが歴史ですかね。
@shuichiuchida2008
@shuichiuchida2008 Жыл бұрын
@@tarishihiko さん あー、リチャードとサラディンの二人も捨てがたいですね。本当、歴史は面白いですね。
@user-fr5ub8iw9w
@user-fr5ub8iw9w Жыл бұрын
7:12 一走り(ひとはしり・1184年) 担う(になう・2月7日)平家の 混乱よ 想定よりも 多い一手で 予想の斜め上を行く敵、マルチタスクを強いてくる敵、自分の思考と精神的余裕を限界突破させてくる敵ほどイヤな奴はいない。
@gobou_seijin____tahinetube
@gobou_seijin____tahinetube Жыл бұрын
ごりごりの地元!!!! 逆落としはおそらく離宮公園の横の坂を下りたんじゃね??って個人的には思ってます!!
@user-fi9cf5tf5w
@user-fi9cf5tf5w Жыл бұрын
鵯越の住民としては福原は坂降りてスグだけど、一の谷って遠いなーと思ってました 楠木正成がこの辺りで戦死するのも歴史って面白いですね
@jwenger88
@jwenger88 Жыл бұрын
自分が育った近所が、『副社長の解説地図』に出てきて仕合わせ
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