【西田幾多郎(後期)】日本思想解説【絶対無】【絶対矛盾的自己同一】

  Рет қаралды 24,275

哲学チャンネル

哲学チャンネル

Күн бұрын

Пікірлер: 26
@tacosdon9042
@tacosdon9042 4 жыл бұрын
キルケゴールの実存の3段階と一致するとはびっくりです。さらに見識が深まりました
@MiY373
@MiY373 3 жыл бұрын
旧西田幾多郎全集を読んでいましたが、難解すぎて行き詰まっていたので助かりました。 ありがとうございます。
@ri_1067
@ri_1067 4 жыл бұрын
後期ありがとうございます! まさかキルケゴールの哲学とこんな近い類似点があるとは目から鱗でした… 「没頭」ってキーワードがしっくりしますね。 「絶対無」って、確かに「神」としかもはや捉えきれない感じですね。デカルトの「自己原因(神)」と同じだと感じました。
@哲学チャンネル
@哲学チャンネル 4 жыл бұрын
西洋哲学をはじめ、様々な国の哲学・思想・宗教において最終的には『神的な何か』の考察にたどり着いています。 『神は細部に宿る』の言葉通り、ほとんどの思想は汎神論に帰結する印象です。 それは神であり、この世界の法則であり、物自体であり・・・と様々な解釈がなされますが、同時多発的に興った思想が結局はそこに執着すること自体に面白さを感じますね!
@neko7077
@neko7077 4 жыл бұрын
この西田哲学の動画を観た時、西洋思想と西田哲学の違いに発見があり、とても興味深かったです。 というのも、西洋思想では、何かを定義する時、Aを定義←それを証明するための証明B←それを証明するための証明C←証明D←E←F(以下無限)となることに折り合いをつけるための妥協点として、そして、これ以上は疑いようのないものであるものとして「公理」という概念を生み出しています。 しかし、西田哲学では、要素A←それを包含するB←さらにそれを包含する要素C←D←E(以下無限)というスパイラルに対して、それら全てを包含する要素の存在(絶対無)を定義しています。 ここに西洋思想と東洋思想の差異を感じた次第です、、
@哲学チャンネル
@哲学チャンネル 4 жыл бұрын
東洋思想は一言でいうと『ふわふわ』していて『はっきりしない』特徴があります。 この柔軟性に対しての好みは大きく分けれるところですが、個人的には好きです。
@鈴江宣子
@鈴江宣子 4 жыл бұрын
ありがとうございました。💝
@riceomu2135
@riceomu2135 2 жыл бұрын
言葉を駆使して関係的に物事を見ると西田の思想は理解できない気がします。彼の思想は彼の著作を読み、自分自身が哲学しないと辿り着けない境地です。物自体と意識だとか、私と自覚だとか、とにかく西田の著作を何度も繰り返し読んで浸かることが重要です。彼は私達が想像する以上に西洋哲学を原典のニュアンスで理解しています。辿り着くことは恐らく無理でしょう。
@賀玉珠彦
@賀玉珠彦 3 жыл бұрын
全知全能の神はむしろ絶対有なのかなと思います。もしかしたら絶対無と絶対有は同じものなのかなとも思います。無から何かが生まれてくるのはおかしいけれど有から新たな有が生まれてくるのは自然ですよね。とは言え無から有が生まれてくるというのもそれはそれでそういうものと捉えるなら自然な気もします。
@juny3310
@juny3310 Жыл бұрын
西田幾多郎の善の研究を何度か視聴させていただきました。非公開にてご質問させていただきたいのですが、方法を教えてください。
@哲学チャンネル
@哲学チャンネル Жыл бұрын
ありがとうございます!KZbinではその方法がありませんので、TwitterのDMをお使いいただけると助かります。
@匿名-m1c8x
@匿名-m1c8x 3 жыл бұрын
「述語」を「熟語」と誤記あり。肯定的コメントとしては、キルケゴール思想との比較を用いていたのはよかったですが、批判的コメントとしては、西田哲学に特徴的な「一般者」(特に「創造的一般者」)と「個物」との「限定」や「媒介」といった概念にまったくふれられていないのは残念です。
@滝樹照
@滝樹照 2 жыл бұрын
プログラムをかじってる身としては無限大の述語の話をオブジェクト指向のis-a関係と重ね合わせて観ずにはいられなかった(笑) たとえばc# だとすべてのクラスはobject型の派生クラスだからobject型が無限大の熟語になるよなぁ…なんて
@サイコロ-j8c
@サイコロ-j8c 3 жыл бұрын
西田幾多郎がキルケゴールから触発された可能性ないですか?
@リアン-h5n
@リアン-h5n Жыл бұрын
また日本思想解説してくれないかな……
@空蝉-i4q
@空蝉-i4q 4 жыл бұрын
『善の研究』は私が読んだ数少ない哲学書の一つ。当時もまた今説明を聞いてもよくわからないというか腑に落ちない。 それで『善の研究』は「禅問答」のようなものじゃないかと考えてみると合点がいくような気がしました。 「禅問答」はわけのわからない代名詞のように言われますが、意味があるから今も続いている重要なものでしょう。 まあ、私がやるのは「蒟蒻問答」ですけどね。
@哲学チャンネル
@哲学チャンネル 4 жыл бұрын
『禅問答』言い得て妙だと思います。 禅は不立文字だと言われます。つまり禅で悟ろうとすること、その方法については言語化できるようなものではなく、だからこそ言語以外で悟りに到達する試みがなされています。 それをどうにかして言葉で語ろうとしたのが哲学なのかもしれません。 西田哲学においても試みているのは禅の目指すべきものの言語化と捉えることができるため、それ自体が禅問答だという視点はとても素晴らしいと思います。
@aimusicn.korean5263
@aimusicn.korean5263 4 жыл бұрын
upお疲れ様です。 今『善の研究』を読んでいる者です。絶対無の説明にあった「存在するものを包み込むさらに大きな存在が必要になる」というのは、実在は矛盾と統一を孕んでいなければならないというところから来ているんでしょうか?
@哲学チャンネル
@哲学チャンネル 4 жыл бұрын
個人的には、絶対無には本来矛盾も統一もなく矛盾や統一といった区別はそのレイヤーの上にある認識の世界の概念であると言っているように読めます。 そういう意味では『さらに大きなもの』という表現は少し不適切であったようにも思います!
@aimusicn.korean5263
@aimusicn.korean5263 4 жыл бұрын
@@哲学チャンネル ご返信ありがとうございます。そうなんですね。理解の助けにさせていただきます。
@鈴江宣子
@鈴江宣子 4 жыл бұрын
@@哲学チャンネル 段階的に考えていけばわかりやすいですね。絶対無を見つけられる段階に来たと、喜んでよいのでは?
@ago-q8j
@ago-q8j Жыл бұрын
I…am…atomic(ネットリASMR)
@haruhitoyamamoto391
@haruhitoyamamoto391 3 жыл бұрын
衝撃を受けるほど凄いでも誰が幸せになったの?
@suho7116
@suho7116 Жыл бұрын
誰が、というよりも 絶対無=幸せ でしょうね。根源は無条件に幸せそのものですが、主客に分化した世界では、幸不幸の往復運動が起きちゃう。
Seja Gentil com os Pequenos Animais 😿
00:20
Los Wagners
Рет қаралды 71 МЛН
Elza love to eat chiken🍗⚡ #dog #pets
00:17
ElzaDog
Рет қаралды 13 МЛН
死を見つめる心 西田幾太郎と鈴木大拙
58:50
ラジオ「心の時代」
Рет қаралды 22 М.
2014年01月11日 西部邁ゼミナール 佐伯啓思 「無」の思想【1】
26:20
旧・表現者アーカイブ
Рет қаралды 12 М.