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90年代後半に開花した日本の格闘技ビジネスは、2000年代前半にピークを迎えた。
そして「格闘技バブル絶頂の日」としていまなお語られるのが、2003年12月31日、民放3局が格闘技を地上波生中継した、あの大晦日である。
TBSが「K-1」、フジテレビは「PRIDE男祭り」、そして日本テレビが「INOKI BOM-BA-YE」。この日、紅白歌合戦の裏で、3つの格闘技大会が熾烈な興行戦争を繰り広げていた。
試合内容や格闘技団体同士の戦いもさることながら、この大みそかの本質は、中継した放送局による「視聴率戦争」であった。この大みそかが終わった後、そのことを如実に表したある裁判が起こった。今回のテーマは「INOKI BOM-BA-YE訴訟」である。
この裁判では、「INOKI BOM-BA-YE」を仕切っていた川又誠矢代表の会社「ケイ・コンフィデンス」(以下ケイ社)が原告となり、中継した日テレを訴えた。
大晦日の3興行の中で内容的にも視聴率的にも惨敗を喫した日テレは、大会の運営に問題があったとして、ケイ社に対する支払金額を当初の予定、推定4億5000万円から2億円減額することを通達した。これを不当だとして川又が日テレを提訴したのである。だが勝ったのは被告の日テレだった。控訴審までいったこの裁判で、何が起きていたのだろうか。
#プロレス #猪木 #rizin