【ゆっくり解説】 晋王朝壊乱 八王の乱の勝者司馬越の死と晋(西晋)の滅亡 【晋 五胡十六国】

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鳥人間 中国史三昧

鳥人間 中国史三昧

Жыл бұрын

八王の乱を乗り越えた司馬越と宗室諸王の悲惨な末路と晋(西晋)王朝の滅亡について紹介します。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
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Пікірлер: 284
@kix4878
@kix4878 Жыл бұрын
司馬炎が国家建設を怠り、恵帝が統治者としての義務を果たさず、懐帝が判断ミスでトドメを刺す。正に滅ぶべくして滅んだ感がありますね。こんな中でも東晋を建国し何とか司馬氏の王朝を再興した元帝司馬睿。面白い事に東晋は弱体であった故に結構長期間存続出来たと言われている王朝なんですよね。
@user-mv7nc1ki4c
@user-mv7nc1ki4c Жыл бұрын
まあ、司馬一族は権力を簒奪することばかり考えて、国をどう発展させるかについては無頓着だったんだね。
@quercuscrispula3484
@quercuscrispula3484 Жыл бұрын
最初こそ漢を再興すると言っていた匈奴の劉氏も、数代で劉禅が儒教的君主の模範に思えるくらいロックな御仁ばかり出てくるんですよね。
@masahiroitakura6291
@masahiroitakura6291 Жыл бұрын
八王の乱から五胡十六国時代って、話を聞いている分には面白いですが生まれてきたくない時代ナンバーワンですね。
@user-gt6sz1gf5d
@user-gt6sz1gf5d Жыл бұрын
劉淵の漢に面白い話がある。 みんな三国志演義には続きがあったことは知ってるかな…? この所謂 (三國志後伝)といわれる物語は蜀漢滅亡後、張飛や趙雲・諸葛亮・関羽の子孫が匈奴の地へ亡命して劉備の孫という設定になっている劉淵と共に西晋に攻め込むという話だ。
@001lonestar7
@001lonestar7 Жыл бұрын
面白い、この時代の二次創作(失礼)? 現代の二次創作でここまで書ける人は少数だと思うけど、どうやって膨らますのか見てみたい。
@user-op8rq1jv1t
@user-op8rq1jv1t Жыл бұрын
あれ王弥が王平の子孫だったり、張賓が張飛の子孫だったり、無茶苦茶すぎて好き
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 13 күн бұрын
そういや日本の漫画でも司敬の「武田みけん星」という似たようなアプローチの作品があったっけ。
@user-sd3hm8lj5f
@user-sd3hm8lj5f Жыл бұрын
八王の乱が終結したと思ったらまたこれほどグタグダの権力闘争と兵乱が起きるとは晋王朝は短期間で一番滅んで当然😢 次回の五胡十六国時代の幕開けまでの前段階の解説でここまで引っ張るとは鳥人間さんの緻密な調査と探求心に敬服します😆
@user-zy8jf2th3c
@user-zy8jf2th3c Жыл бұрын
ブイやねん晋王朝・・・反晋タイガースのフラグが立ちました・・・
@user-kc6wn7yc9s
@user-kc6wn7yc9s Жыл бұрын
メイクミラクルはおきましたか?
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p Жыл бұрын
だれうま
@user-zg6rl7ie1m
@user-zg6rl7ie1m Жыл бұрын
3・3・4
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Жыл бұрын
そして334年にはあの石「虎」が即位と…
@joint1114
@joint1114 Жыл бұрын
@@user-zg6rl7ie1m なんでや!
@tnewt8108
@tnewt8108 Жыл бұрын
国の発展より自分の楽しみを優先させる人間が表舞台に出すぎて早急にそのツケを払わされた感じ。皇帝たちの最期は悲惨なものだし、中華に400年近に続く戦乱を生み出してしまうし西晋王朝とはいったい何だったのか、、、 諸々含めて悲しく虚しい気分になります
@user-lw5sd7lb4u
@user-lw5sd7lb4u Жыл бұрын
李卓吾「司馬氏の西晋という王朝は、器量劣悪にして性根の腐った馬鹿共が、百姓を巻き添えにして自滅した典型的事例だ! 更に異民族の跳梁跋扈を許し、殺戮と混乱を齎したその罪は、万死に値する。 だからこそ奴等は、全員揃って死ぬべきなのだ!」
@air5042
@air5042 Жыл бұрын
全くの想像なのですが、元々西普は建国当初から人心を掴んでいなかった事が大きな問題だったのではと思います。 曹魏は人心を失う程の失政をしていません。秦王朝以降失政がありそこで王朝が交代するという手順でしたが、 西普は理由もなく司馬一族による一方的な簒奪により建国された王朝です。 その王朝を維持させるには相当な覚悟と注意深く治世を行わなければならなかったにも関わらず、 司馬炎以降それを誰一人分かっていなかったのではと思いますね。
@user-bm8ci1vy5f
@user-bm8ci1vy5f Жыл бұрын
蜀征伐の報が呉にもたらされた際、張悌という人物が「曹一族とは違い、司馬氏はその政治手腕により民衆を慰撫し国内で高い支持を得ている」と評しているので、その当時は違っていたのかもしれないですね。時と世代を経てその辺りが疎かになったのかなと。
@user-ig6te3tt1l
@user-ig6te3tt1l Ай бұрын
​@@user-bm8ci1vy5f 曹氏は基本的に法家寄り 司馬氏は基本的に儒家寄りと思われます。 なので戦乱後の民の慰撫として、また激動の時代に翻弄された名家にとっては心地よかった時代があったのでしょうね。
@user-es4pt7gu1g
@user-es4pt7gu1g Жыл бұрын
投稿お疲れ様です。 やはり当代の英傑の石勒相手に役者が揃っていない感ありますね…
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Жыл бұрын
司馬炎「一族で軍事力を分け合えばええんや!」→八王の乱 ディオクレティアヌス「皇帝増やして軍事力を分け合えばええんや!」→ローマ内戦 うーんこの
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
まさに「船頭多くして舟山登る」だな。
@joint1114
@joint1114 Жыл бұрын
鎌倉幕府「皇位継承で揉めてる?双方の皇位継承者が交代で即位すれば解決!」→鎌倉幕府滅亡→建武の新政失敗→南北朝の動乱
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Жыл бұрын
@@joint1114 ロベスピエール「三権を集中させるでえ~」→恐怖政治 総裁政府「権力分散やで~」→腐敗 ナポ「権力集中やで~」→独裁
@kix4878
@kix4878 Жыл бұрын
朱元璋「皇帝独裁の体制を打ち立てればイケるかも」→神宗万暦帝「だが、断る!」
@daikon_yakusha
@daikon_yakusha Жыл бұрын
アウグストゥス、曹丕、徳川家康「馬鹿だねぇw」
@user-lm3pd4xc9s
@user-lm3pd4xc9s Жыл бұрын
死せる賈南風、生ける司馬氏を争わす。
@user-ke1px8to6g
@user-ke1px8to6g Жыл бұрын
五胡も楽しみにしております 石勒の動画も改めて見たいと思います
@user-wi3xd1yr1o
@user-wi3xd1yr1o Жыл бұрын
三国志にハマった後、勝者である晋の末路を知った時は本当にガッカリした。 今でも覚えてる。
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
KOEIのゲーム・三国志(7だったかな?)で初めて統一したとき、異民族襲来による短命王朝エンディングで目が点になった覚えがある……
@user-fn9ie5kj5l
@user-fn9ie5kj5l Жыл бұрын
司馬懿仲達の苦労が全て水の泡となった。虚しい。
@user-wn1id8ro7f
@user-wn1id8ro7f Жыл бұрын
北方中原が滅茶苦茶な時代、東晋の明帝(本動画にも名前だけ出てる東晋元帝・司馬睿の息子)は聡明だったが、魏の明帝同様短命であった。 その東晋明帝は、先祖の仲達の遼東での行いを聞いて、王朝の未来を悲観したと言われている。 おおざっぱに言うと「こんな大量殺戮やってる先祖では、その報いが子孫に降りかかるのも致し方無い。晋が永続できる訳が無い」と……
@greatnamegn9602
@greatnamegn9602 Жыл бұрын
結局この一連の事態がきっかけで三国時代の資料とか書が全部逸失した…。
@katudo2nn
@katudo2nn 11 ай бұрын
名前は八王の乱だけど西晋が滅びるまでずっと終わらない… 洛陽落とされて皇帝殺された後もまだやって完全に滅亡するんだから司馬一族ってのは本当に救いようがない
@srw64fan
@srw64fan Жыл бұрын
晋も一応「まだ簡単に滅ぶような戦力ではなかった」のに、この体たらく…。 司馬越も力技過ぎて悪手しか打ってないし、下手したら趙高よりも酷いのでは
@user-gv7qp3mn3k
@user-gv7qp3mn3k Жыл бұрын
八王の乱は、応仁の乱と並ぶ史上最悪の内乱と言えますね。争うだけ争った結果がこれ。悲しいし虚しいし、愚かである。後、余談だが、この八王の乱では「悼亡詩」の作者で詩人の潘岳も犠牲になってるんですよね。もしよろしければ、潘岳の話も動画化してくれたら嬉しいです。
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Жыл бұрын
応仁の乱も八王の乱も、おっぱじめた人たちは全員いなくなって、その下で戦ってた人たちは「俺たちなんのために戦ってたんだっけ…?」ってなってるところはもう…
@user-ig6te3tt1l
@user-ig6te3tt1l Ай бұрын
​@@ravilsan1987 昨日の敵が今日の味方になってたりね。
@user-sl8fs5fp1k
@user-sl8fs5fp1k Жыл бұрын
はい、ヤベぇ皇帝量産祭りに入りました(五胡十六国)
@ambivalentthoughts
@ambivalentthoughts Жыл бұрын
詳しく知らなかったので、大変勉強になりました! あの仲達の賢さが遺伝しなかったのだな
@user-vy6mz3bs3p
@user-vy6mz3bs3p Жыл бұрын
二代皇帝司馬衷はバカで有名ですし、司馬懿の息子の司馬倫、司馬炎の息子の司馬穎はどちらも八王なんですが両者とも文盲だったり。学力と無縁の孝廉、中正、任子なんかで官吏登用していた弊害ですね
@user-zy8jf2th3c
@user-zy8jf2th3c Жыл бұрын
何人かに、ズル賢さが遺伝したのがなんとも・・・司馬懿を超えていたかもしれない司馬乂がああなってしまったのもなんとも・・・
@user-bf5se3vj1n
@user-bf5se3vj1n Жыл бұрын
子供兄弟作りすぎて賢さが薄まったんじゃないですかねぇ?笑
@torotsuki
@torotsuki 5 ай бұрын
司馬懿は一人いれば優秀な人材だけど、何人もいれば政情を掻き乱して悪化させる存在なのかなぁと
@user-oi5dt9tt8d
@user-oi5dt9tt8d Жыл бұрын
唐滅亡後の五代十国時代など精々60年。それに引き換え西晋滅亡から隋による統一まで約300年も要したのだから、「八王の乱」と「永嘉の乱」の後遺症がいかに大きかったか窺い知れる。日本の戦国時代などこの300年に比べたら大したことがないと見なすのは浅はかだろうか。
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
でも、東周時代(春秋戦国)の500年に比べれば少ないよ。 簡単に比べる訳にはいかないかもだけど、年代が下るに従って統治・戦略の技術も向上して統一までのタイムスパンが短くなっていた可能性も?
@user-xj1ug3xk5h
@user-xj1ug3xk5h Жыл бұрын
いよいよ五胡十六国時代・魏晋南北朝時代が充実していきそうでテンションが上がる
@sutesute2790
@sutesute2790 Жыл бұрын
そして誰もいなくなった・・・
@5assimer972
@5assimer972 Жыл бұрын
やっぱりマイナー時代はいいな~、五胡十六国と五代十国掘り下げたい~
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w Жыл бұрын
きた、司馬なんとかさんの屍が生前以上に大活躍する時代だ
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w Жыл бұрын
司馬穎か、石勒回の司馬穎が司馬ギョウみたいな顔してるからごっちゃになる😢
@enchopicopico
@enchopicopico Жыл бұрын
薔薇戦争なぞ子供の遊びに見えるよなぁ
@RR-pm8ie
@RR-pm8ie Жыл бұрын
遺体が掘り起こされたんですか?
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w Жыл бұрын
@@RR-pm8ie まぁ簡単に言えば(詳しくは鳥人間さんの石勒動画を参照)、石勒と汲桑に棺が回収されて政治の道具として散々利用された挙げ句、汲桑の没落に伴って古井戸に捨てられるという…まぁ後に生前の臣下に回収され改葬されたから結果オーライ()
@RR-pm8ie
@RR-pm8ie Жыл бұрын
@@user-br5ln8wu5w めちゃくちゃ忠義のある臣下ですね
@user-ww3lc7bi6b
@user-ww3lc7bi6b Жыл бұрын
司馬氏の末路を見ていると蜀の劉禅が物凄く優良な皇帝に見えてきますな。
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
永嘉の乱で、劉禅の息子の多くも殺されましたが・・・
@user-hi8px1oy7v
@user-hi8px1oy7v Жыл бұрын
劉禅は晋の恵帝司馬衷に近い人物でしたが、有力な権力闘争相手はおらず、部下も諸葛亮・蔣琬・費禕と優秀な人が続きましたからね。まぁその人等が世を去って黄皓らが権力を持ち始めてからが良くなかったのは知っての通り。
@user-mb3ti9ls7g
@user-mb3ti9ls7g Жыл бұрын
劉禅は安楽公になった後にしょうもない後継問題起こすから蜀が後5年ぐらい持ってたらヤバい事になってたと思う 後、劉禅は司馬衷みたいに司馬乂や嵆紹の献身に心動かされるみたいな所が感じられない
@katudo2nn
@katudo2nn 11 ай бұрын
​@@user-mb3ti9ls7g 諸葛亮死んで良かったやん!とか抜かした廷臣はキレて処刑したりしてるからそうは思わない
@madmotor
@madmotor Жыл бұрын
王朝末期の皇帝に推挙されるほど悲惨なこともなかなかないなァ
@joint1114
@joint1114 Жыл бұрын
ルイ16世「せ や な」
@user-gv7qp3mn3k
@user-gv7qp3mn3k Жыл бұрын
崇禎帝「うん」
@user-bm8ci1vy5f
@user-bm8ci1vy5f Жыл бұрын
孫晧「まったくだ」
@yuten1992
@yuten1992 Жыл бұрын
@@joint1114 せやな
@yuten1992
@yuten1992 Жыл бұрын
@@user-gv7qp3mn3k せやな
@user-lw5sd7lb4u
@user-lw5sd7lb4u Жыл бұрын
王安石「温公殿、貴殿が資治通鑑を編年体で執筆したのは…まさか…」 司馬光「介甫殿…何を言われる、わっわ…私は別に自分の先祖がやらかした事を恥だと思ってはおらぬ! ただ、戦国時代から大宋建国前年に至る歴史の流れを、春秋に倣って書き記したものだ」 王安石「なるほど、そういう事でござるか。 温公殿に対し他意はござらぬ、ただ…」(少し動揺が有ったな) 司馬光「介甫殿…何でござろうか?」 王安石「詮無い事を申し上げた。 お許しあれ」(晋紀の編纂と監修で、何か有ったかと思ったが…まぁいいか) 司馬光「………」
@user-ig6te3tt1l
@user-ig6te3tt1l Ай бұрын
司馬光さんは司馬家の良識の司馬孚さんの末裔だから、勘弁してあげようよ。
@user-lm3pd4xc9s
@user-lm3pd4xc9s Жыл бұрын
憤死って血圧が上がって脳溢血か心筋梗塞かなぁ
@noriaki4927
@noriaki4927 Жыл бұрын
前漢も、劉邦死後、呂氏専横、呉楚七国乱で皇帝優位が失われたら同じ運命だった。 武帝が漢国土が疲弊しても匈奴征伐に執念した理由が理解できた。 皇帝専制でないと王朝が維持できない中国史の法則は今も続いている。
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
でも、皇帝に権力集中させたはさせたで…… 皇帝代替わり後に側近である宦官たちが権力を腐敗させちゃうのが中華長期王朝の宿命。
@noriaki4927
@noriaki4927 Жыл бұрын
@@coldexp7189 さん、『中国王朝のジレンマ』ですね。今の時代も同じ現象がおきてます。なので其のエネルギーを対外強行政策にそらして政権維持をしています。
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w Жыл бұрын
もうさ、司馬衷の治世でお飾り皇帝と輔政者の構図が確立しちゃった時点で詰みなんじゃ
@Michaelviii288
@Michaelviii288 Жыл бұрын
お飾り皇帝の輔政者が共に皇帝に即位して実権を握る代わりに輔政者皇帝が一代限りで帝位と実権を返還するマケドニア朝方式ならワンチャン…? まぁ絶対慣例破ってお飾り皇帝を害する奴が出てくるか、朕みたいに()
@user-bm8ci1vy5f
@user-bm8ci1vy5f Жыл бұрын
皇帝がワンマンで暴走しまくるのも不味いけどリーダーがリーダーしてないと良くて簒奪、悪くて国ごと空中分解ENDですからね 孔明や美周郎のような理想の補佐役はそう都合よく転がってませんし
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
@@user-bm8ci1vy5f 頂点はリーダーシップを出さなくても、補佐する者達のパワーバランスをうまく保てれば長続きする気もする……多分、独裁するよりも統治の難易度高いかもだけど。
@user-zg6rl7ie1m
@user-zg6rl7ie1m Жыл бұрын
もしも晋統一後も司馬炎が壊れなかったら…って今更ながら思う…😱😨😢😭
@kinoko2730
@kinoko2730 Жыл бұрын
五胡側の王朝が漢で劉氏ってのがなんとも皮肉やなァ
@fox37812
@fox37812 Жыл бұрын
神聖ローマ帝国とかぶるな
@user-gv7qp3mn3k
@user-gv7qp3mn3k Жыл бұрын
孔明「仲達よ、これがそなたが望んだ世か?」 司馬懿「...孔明よ...文句なら我が子孫に言うてくれ...」
@kix4878
@kix4878 Жыл бұрын
兎に角「機」を待つ忍耐力では諸葛亮以上だった司馬懿。彼から見れば国家安定の「機」を自らの道楽で逃した司馬炎は不肖どころではない孫でしょうね。
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
諸葛恢(諸葛誕の孫)は、永嘉の乱を逃れて東晋で重用されましたな。
@user-gv7qp3mn3k
@user-gv7qp3mn3k Жыл бұрын
@@intelljp 孔明の子孫が司馬懿の子孫が開いた東晋に重用されるなんて、皮肉というか、何というか...複雑だなぁ。
@t.c.8374
@t.c.8374 Жыл бұрын
姜維「あんさん達、幸運だったのかも?」 鍾会「そうかもなぁ」 鄧艾「なんだかなぁ」
@user-jx6kl1jh7t
@user-jx6kl1jh7t Жыл бұрын
羊祜「だから王衍なんてつまらんヤツは用いるなって言ってたんだよ」 山濤「いや、ワシもあいつはダメだと思ってたんだけどね」
@user-qg3gw6cp3g
@user-qg3gw6cp3g Жыл бұрын
やっぱり三國時代~晋~五胡十六国時代~魏晋南北朝の期間には生まれたくないなぁ 政情が不安定だしすぐに虐殺や屠城が起きるからイヤだわ この時代に生まれた人間はホントにツイてないと思う
@user-mh8bf7md5i
@user-mh8bf7md5i Жыл бұрын
この時代に産まれ堕ちた者は、前世でとてつもない大罪を犯したのだと思う。
@bingosaru
@bingosaru Жыл бұрын
いつもありがたく拝見しています。 さて…司馬越の“ぼっち“表現に…伝説の“クリぼっち回”を用いられるとは。 何がクリスマス…もとい皇帝じゃあ~い!チクショー!! …という心境が表せて良きです(汗
@ddrible9350
@ddrible9350 Жыл бұрын
匈奴やその他異民族の暴虐さ、彼らが野蛮というよりよっぽど漢民族への潜在的な怨みが募っていたのかなあと想像する
@user-ry9jz5zx9m
@user-ry9jz5zx9m Жыл бұрын
アラビア、イラン、ビザンチウムに対する彼らの攻撃を考えると、私は同様に残虐だと思います
@user-qo1re6hc3h
@user-qo1re6hc3h Жыл бұрын
乙です。このシリーズはほんと素晴らしい。何度も何度も観ています。 次は、世界最凶のシリアルキラー民族、モンゴルマンが中心になるのですね。 匈奴、鮮卑の恐ろしいとこ、待ってます。楽しみです。
@user-hi8px1oy7v
@user-hi8px1oy7v 9 ай бұрын
この時西晋が滅んだ永嘉の乱にて劉備の子孫の殆ども族滅された。 唯一劉備の曾孫の劉玄(劉永の血筋)が生き残って蜀に逃げ込み、成漢にて劉禅の跡を継いで安楽公に任じられたりしてる。
@user-nh4lr6er5e
@user-nh4lr6er5e Жыл бұрын
霊夢の擬音絶叫率の高さよ
@user-ps5gx2dc4f
@user-ps5gx2dc4f Жыл бұрын
いつの時代も身内の扱いは難しいですね。司馬一族は身内を信じ過ぎて、曹氏は疎んじすぎたその真ん中が一番良かったてことですね。
@bingosaru
@bingosaru Жыл бұрын
まぁ…徳川幕藩体制がソレ(御三家を除く松平家&譜代は要地の中小藩、外様はへき地の大藩)ですね。 まぁ…最後は親藩、譜代も雪崩れ打って新政府側に寝返る訳ですが。
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
@@bingosaru わざと外敵要素を残し、身内の結束を高めるやりかたですね。 まあ……、最も力を持つ外様がより上位の権威である天皇を担ぎ出したので、終焉したわけですが。
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Жыл бұрын
@@bingosaru そして幕末は全員参加型政治にしてしまったせいで親藩や外様に発言権与えてしっちゃかめっちゃかになったと
@kikumasa0823
@kikumasa0823 Жыл бұрын
こんばんは、今回の西晋滅亡回楽しく拝見させていただきました。 ただでさえ国内外がガタガタの上に司馬越と懐帝司馬熾が権力争いの結果が司馬越の憤死という最悪の事態になったのかなと。 懐帝も愍帝も耄碌し始めた劉聡に殺害されたのは少々不憫ですね。
@treasure9262
@treasure9262 Жыл бұрын
この時代の中華、絶対生まれたくない。
@user-xs3cb5rv9q
@user-xs3cb5rv9q Жыл бұрын
トウカイ(テイ)オー司馬越による晋王朝奇跡の復活はならなかったか...。 しかし、即位したのが司馬越を除いて復権を望む懐帝司馬熾ではなく恵帝司馬衷のようなお飾り皇帝ならまだ違った結末になったかもと妄想してしまいます。
@KM-ix1so
@KM-ix1so Жыл бұрын
わけのわからない五胡十六国時代がよくわかる動画は鳥人間ちゃんねるだけ!
@saw196
@saw196 Жыл бұрын
身内を大事にする政策をたてたら、ほとんど身内同士で争って最終的には身内がほぼ残らなかった誰得な混沌としたら乱になったでござる
@o-d9242
@o-d9242 Жыл бұрын
羊献容とかいう国家単位のNTR
@user-op8rq1jv1t
@user-op8rq1jv1t Жыл бұрын
劉曜にNTRられた時には司馬衷死んでたしセーフやろ!
@user-bm8ci1vy5f
@user-bm8ci1vy5f Жыл бұрын
内紛続きの状況下で皇后に選ばれて、その後も晋という国に散々振り回されてきたことを思うと、羊献容の元夫disは半ば本心だったのではないかと感じる
@qoamb410
@qoamb410 Жыл бұрын
「負けまじき軍に負け、亡ぶまじき家の亡ぶるを、人みな天命と言う。それがしに於いては天命とは思はず、みな仕様の悪しきが故と思うなり。」(武田信玄)なんて言葉がある様です。とは言え、愍帝 司馬鄴、気の毒ですね。先代からのやらかしのツケを払わされてしまうとは。お話し面白かったです。
@dicetz8378
@dicetz8378 Жыл бұрын
東晋は比較的平和でした
@user-lw5sd7lb4u
@user-lw5sd7lb4u Жыл бұрын
一人、諱と字が同一の皇帝がいます。 しかも重度の障害者で、意思疎通がまともに出来なかったとか。
@REKI-AKAHOSI
@REKI-AKAHOSI Жыл бұрын
5:19 右下で張繍転生しとるやんけ!
@ScandalEau
@ScandalEau Жыл бұрын
ぐっちゃぐちゃなのは間違いないんですが、三国志の人気が高いだけに 「どうしてこんな事に」っていう失望が大きいようにも思います 司馬一族は優秀な人間が多かったのが逆にこんな結果になったのかもしれないですね
@user-kr7nm3gh2l
@user-kr7nm3gh2l Жыл бұрын
Thanks!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
うおお!いつもご支援いただき!まことにありがとうございますッ!! 本当にもう大変力をいただいておりますッ!!
@hideshitaniyama8432
@hideshitaniyama8432 Жыл бұрын
三国演義の元ネタ本、三国志平話(成立は元代)では、「こうして漢の末裔の劉曜が漢を再興したのです」というトンデモ結末を迎えている。
@user-gv7qp3mn3k
@user-gv7qp3mn3k Жыл бұрын
司馬越は憤死ということになっているが、彼の死因は恐らく脳溢血か何かだと思う。
@user-lp9cf4gk2w
@user-lp9cf4gk2w Жыл бұрын
文字だけで調べるより解りやすかったです
@user-wb4gn6ys7x
@user-wb4gn6ys7x Жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
いつもご支援いただき、まこと感謝しております……! これ以上無き励みになっておりまする……!!
@maidminori
@maidminori Жыл бұрын
腹部メガ粒子砲もちの僧侶が突然出てきた
@user-qp5iv6vy4j
@user-qp5iv6vy4j Жыл бұрын
1:55 歴史の流れを説明するのに「死んだ」の一言で片付けるの何度見ても笑う
@user-kf9hy5fr9s
@user-kf9hy5fr9s Жыл бұрын
後漢から唐の誕生までの500年近くも内乱だったのか。 日本でいうと室町時代から現代までか。 中国人は逞しいわけだ
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Жыл бұрын
日本も律令制崩壊から江戸時代までの700年間は治安ガッタガタ、国なんか当てにしちゃダメ自己防衛な感じだったから…
@user-gp4uy4ng7l
@user-gp4uy4ng7l Жыл бұрын
司馬懿・司馬師・司馬昭「どうしてこうなった・・・」 司馬炎・司馬衷・賈南風「何でだろう〜♪何でだろう〜♪何でだ、何でだろう〜♪」
@MrDeha6450
@MrDeha6450 Жыл бұрын
ついに西晋の滅亡のときが!石勒は西晋滅亡時点では劉淵配下の将だったんですね。それにつけても呂布もかくやの大暴れをしていて、司馬氏の諸王以上に悪目立ちしている感あります。もっというと、この時点で「やべー皇帝」その1・劉聡が登場しているのにも注目です。このあと続々登場、やべー皇帝。
@t3233226
@t3233226 Жыл бұрын
しかし毎度賈南風の眼力がすごいなあw 司馬越クリボッチの図www
@user-np2qk4mu1p
@user-np2qk4mu1p Жыл бұрын
西晋が滅んだ…。 ま、えーか🤣 漢民族的には不幸なことかもしれないけど、五胡的にはわからないよね〜。 民衆の立場なら、どの民族でも平和を保ってくれるなら、という気分だっただろうし。 次回が楽しみですね!
@seattleslew2332
@seattleslew2332 Жыл бұрын
永嘉の乱とかけてるわけですね
@daikon_yakusha
@daikon_yakusha Жыл бұрын
それが、民衆の平和を保ってくれないから始末が悪い。
@seattleslew2332
@seattleslew2332 Жыл бұрын
後から見る分には一番面白い時代の始まり
@kix4878
@kix4878 Жыл бұрын
劉聡、石虎、李勢、符生「オレ達の出番だ!」
@user-bm8ci1vy5f
@user-bm8ci1vy5f Жыл бұрын
みんな違ってみんな悪人
@user-rn5oi7hy9p
@user-rn5oi7hy9p Жыл бұрын
軍師連盟見てたので辛いです。なんでこうなった‥
@user-kz7oq5hy7v
@user-kz7oq5hy7v Жыл бұрын
結局、八王の乱で得られたのは、異民族が華北地方へ進出させたことだ。 王族の権力争いによって、新たなる直面を受けられるのは、当時の東海王司馬越すら知らなかった事態だ。
@servantofJ
@servantofJ Жыл бұрын
遂に滅亡か…南下しなきゃ
@president-lovecraft
@president-lovecraft Жыл бұрын
王羲之が言うんじゃ仕方ねぇ……
@servantofJ
@servantofJ Жыл бұрын
@@president-lovecraft 父ちゃんが行方不明になる気がする(予知)
@NobuhitoMiyagawa
@NobuhitoMiyagawa Жыл бұрын
これからリアル北斗の拳の世界。
@nogkota
@nogkota Жыл бұрын
ケンシロウもラオウもいないけどな
@user-gv7qp3mn3k
@user-gv7qp3mn3k Жыл бұрын
@@nogkota 後、トキもレイもシュウもフドウもいない
@daikon_yakusha
@daikon_yakusha Жыл бұрын
当時の北斗神拳伝承者も大変だな。 護衛対象がコロコロ変わるしw
@user-mh8bf7md5i
@user-mh8bf7md5i Жыл бұрын
そしてサウザーやカイオウもいない。
@Dust_of_Mount_Taishan
@Dust_of_Mount_Taishan Жыл бұрын
でも結局この時代より以後も、地球規模での寒冷化で資源の奪い合いは必至の時代がこの先400年は続くので、仮に司馬一族が超絶有能だったとしても荒廃した華北の地は放棄せざるを得なかったような気がするんですよね…
@user-kr9zt1hz6m
@user-kr9zt1hz6m Жыл бұрын
まさかのトウカイテイオーのカメオ出演これは馬娘ならぬ司馬娘ということか
@naoki080808
@naoki080808 Жыл бұрын
現在発見されている最古の鎧(あぶみ)は西晋のもので、重騎兵が戦争の主役となった時代ですね。三国時代もその兆候がありますが、軍事的に見ても領域国家の経営が難しい時代だったと思います。 とはいえ司馬氏のグダグダは擁護できんですがw
@jr.pabana2698
@jr.pabana2698 Жыл бұрын
外部環境も異なるので、同列には比べられないが、 300年近い統治を果たした徳川幕府も、その創業期において、生粋の将軍である3代家光に、保科正之(異母弟)のように、私心なくガッチリ政権を統括してくれる藩屏が身内に居てくれたことも大きかったのかも。
@user-zi4tf8cu8w
@user-zi4tf8cu8w Жыл бұрын
東晋動画もお願いします!
@teito.tshirts
@teito.tshirts Жыл бұрын
この流れに乗っていずれどこかで陳慶之!くるかなくるかな🤩
@user-Robespierre
@user-Robespierre Жыл бұрын
ミキサーでかけたんじゃないかってレベルでぐちゃぐちゃだよ
@user-se3rc8fw8m
@user-se3rc8fw8m Жыл бұрын
晋朝はもう少し慎重にならなあかんわな
@tostom3701
@tostom3701 Жыл бұрын
八王の乱から晋朝終焉までのワチャワチャを覚えるのはなにをどうしてもキツいのです(五胡十六国の方がまだマシ) ここは歴史クオリティがやたらと高い少女マンガのジャンルで誰かやってくれんかのう(日本南北朝〜観応の擾乱をちゃんと理解できたのは足利直義がルルーシュみたいでかっこいいと僕の中で話題沸騰な市川ジュン先生の「鬼国幻想」のおかげでした)
@user-dk4nh6yr6y
@user-dk4nh6yr6y Жыл бұрын
外に強大な敵が現れているのに、まだ内ゲバやっていたのか…。石勒や漢(前趙)の軍勢がとんでもなく強い事を考えても、これでは勝てないわ…。やはり、司馬懿の子孫とは思えん…。血筋もほとんど絶えているし…。東晋でも似たように強力な外敵がいるのに、内ゲバ祭りを繰り返していくんですかね…?(そして、華北ではあたおか皇帝祭りが始まる。)
@Rune_emotion
@Rune_emotion Жыл бұрын
放伐極まる中国史で一番好きな時代かもしれない(´・ω・`) その後の石虎や冉閔の登場で更に混迷きわまる感じもよき
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Жыл бұрын
無理やり禅譲させるとかいうパワーワード
@user-ch6rg1bt3v
@user-ch6rg1bt3v Жыл бұрын
ここ大混乱期で解説も視聴も大変やな😆
@user-rk8fv4uy6s
@user-rk8fv4uy6s Жыл бұрын
司馬越が司馬しの言う事をきちんと聞いていれば西晋は滅び無かったな。司馬越は驕り高ぶったのがしくじり。
@user-op8rq1jv1t
@user-op8rq1jv1t Жыл бұрын
永嘉の乱当時の漢(前趙)側も劉淵、劉聡の元で団結していたわけではなくて、部下の石勒、王弥、劉曜が互いに対立していたから、付け入る隙はあったんだけどね... それ以上に晋の内部抗争がどうしようもなかったってのが悲しい 司馬越がもっと人心をつかむのに長けていたら違った未来があったかもしれない
@kataokat6427
@kataokat6427 Жыл бұрын
両晋演義があるみたいだが、中国語じゃ読めないな。 日本語訳で売ってたら読んでみたいな。
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん Жыл бұрын
「中国(の民衆)には奴隷でいられる時代と奴隷ですらいられなかった時代しかない」と云う言葉を思い出します。 身内の権勢争いでこうまで酷い事になるとは。 つくづく人間の欲は恐ろしいものです。 そして同時に必要でもある、厄介な本能です。
@user-wi6pu3lb9i
@user-wi6pu3lb9i Жыл бұрын
もったいないなー。司馬一族は優秀な人材が多いんだから協力して一人を盛り立てたら強固な帝国を築けるはずなのに。 いや、優秀な人材が多かったからこそ、俺が俺がになってしまったのかなぁ。 次回の五胡も楽しみだ。、
@ff-ff-ff-ff
@ff-ff-ff-ff Жыл бұрын
他のチャンネルでもコメントしたのですが、この時期の中華が一番イキイキとして、中国人が中国人らしく生き抜いた時代だと思うのです。
@mukutinausagi
@mukutinausagi Жыл бұрын
この五胡十六国時代よって従来の漢民族が華北で減り、 異民族の流入に伴い中国語の語調というか発音が変わった みたいなことが、何かの新書に書いてあったよう気がします
@mitism889
@mitism889 Жыл бұрын
入音(p,t,kで終わる音)が消滅したのはもっと後の時代でしょう。 唐詩には入音が声調に残ってた証拠がありますので。音末のmとnも未だ区別されていたようです。 音末のmnの区別がなくなり入音が消滅したのは、この時代には未だ登場してない女真族(満州族)の影響だと思います。そして新たな流音(r音)が加わった。このr音は英語のr音に近いですね。
@mukutinausagi
@mukutinausagi Жыл бұрын
@@mitism889 そうだったんですね。 うる覚えの記憶だったので、コメント頂きありがとうございます。 勉強になりました。
@user-ct8fk3cx8t
@user-ct8fk3cx8t Жыл бұрын
ここからあの中国史に残る偉大な聖人の苻堅が生まれたと思うと
@user-mh8bf7md5i
@user-mh8bf7md5i Жыл бұрын
だが奴は、ある意味中華史上屈指の狂人でもあった。
@taimur3917
@taimur3917 Жыл бұрын
五胡十六国時代初体験です
@user-oy6kc2uf8m
@user-oy6kc2uf8m Жыл бұрын
司馬越や懐帝を見ていると賈南風、司馬衷、司馬穎がマシに見えてくる。 賈南風は国を治められていた。司馬衷は傀儡に徹して余計な事はしなかった。 司馬穎は少なくとも司馬越よりは人望があった。 一番、勝っちゃいけない王が勝ち残ってしまった。その結果が破滅になったように思える。
@yutaa2725
@yutaa2725 Жыл бұрын
唐王朝成立の前の準備期間と考えればあの凄惨な分裂時代も無駄では無いと考えられるかな? でも唐王朝が終わったらまた分裂時代に突入したのを考えると人間は学ばず繰り返しているだけとも考えられる
@user-rm4nx6ss5s
@user-rm4nx6ss5s Жыл бұрын
鳥人さんも曹操が好きなんですね僕も三国志キングダムを見てから曹操を好きになりました。
@ntatanohu1214
@ntatanohu1214 Жыл бұрын
この王朝とそれを取り巻く人々は、歴史から何かを得られなかったのだろうか・・・。
@heiho_ita
@heiho_ita Жыл бұрын
弱肉強食の世界を徹底したのが魏晋南北朝時代なんだな🤔
@Legendary_mapo_tofu
@Legendary_mapo_tofu Жыл бұрын
新しい創造の為に破壊は必要だから(震え声
@shou-sho
@shou-sho Жыл бұрын
間違えやすいけど、劉淵も石勒も「中国」の中の人間なんですよね(二人とも并州出身)。後のモンゴル帝国みたいに外から攻めてきたみたいな誤解があるけど。 ちなみに中国だと、永嘉の乱は「漢民族vs異民族の内乱」か「異民族を主体とした被差別集団の反乱」のどちらかで熱い議論があるらしい。
@26ShinRa
@26ShinRa Жыл бұрын
14:52 もはや泣きっ面に蜂どころではない。どこまでも運が悪い。
@user-rm8jn2qd2c
@user-rm8jn2qd2c Жыл бұрын
石勒戦の勝敗が決してから司馬越討伐の密勅出せば良かったのに。
Clown takes blame for missing candy 🍬🤣 #shorts
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Yoeslan
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