【ゆっくり解説】織田信長に関する一考察(足利幕府再興後編)

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浸透襲撃

浸透襲撃

Күн бұрын

織田信長に関する一考察。
第11回は足利幕府再興後編。武田信玄の駿河侵攻から織田信長の南伊勢侵攻まで。
途中に「信長と鉄砲」の説明もあるでよ。
■前回(足利幕府再興前編)
• 【ゆっくり解説】織田信長に関する一考察(足利...
■配役表
-------------------------
織田信長  :霊夢
武田信玄  :神奈子
徳川家康  :橙
今川氏真  :屠自古
北条氏康  :幽香
浅井長政  :アリス
朝倉義景  :萃香
足利義昭  :天子
三好長逸 :サニーミルク
三好政康 :ルナチャイルド
岩成友通 :スターサファイア
木下秀吉 :魔理沙
滝川一益 :華扇
-------------------------
■参考文献
信長公記
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戦況図解 信長戦記 サンエイ新書 Kindle版
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Пікірлер: 128
@edoponu2173
@edoponu2173 Күн бұрын
参加すると解りますが、町内会が一番近いです。草刈りの時なんか、町内所有の草刈り機のほか各自が所有する草刈り機や鎌なんかをもって集まったり。役員に選ばれると、今度は市の会合に各町内の役員だけが集まり、議長(役員の長)を決め会議をし市のイベントを仕切ったりします。オジサンたちの風貌や集まって会議してる時の空気感は戦国時代と変わらないでしょう。それぞれが本業を持っていて片手間で集まって仕事しますが、その取り纏めに市の職員がいて資料を作ってくれたりサポートしてくれますが、その遠慮がちにご苦労様と接してくる様は、集まってくれた農民たちに接するときの足軽頭の実情でしょう。メチャメチャ面白いので一度お試しあれ
@hiron114
@hiron114 21 сағат бұрын
超分かる。 4年前町内会の会計してたけど、まあそんな感じ。
@muramasa9582
@muramasa9582 19 сағат бұрын
地方役場の仕事ってそんな感じですよねぇ。 だからそれを理解していないエリート官僚崩れとかが盛大にやらかすわけで(例:今の兵庫県とか)
@kirin4126
@kirin4126 16 сағат бұрын
@@muramasa9582  信者さんが多いが広島市のお隣もそうだと思いますよ
@クリス-t9w
@クリス-t9w Күн бұрын
鉄砲隊に関してうぷ主の説明にはある程度説得力あるなとは思うけどひとつ疑問点がある。 それは弾薬の供給についてのこと。 ボトムアップ方式での自発的な鉄砲隊の成立があったとして、個人が鉄砲を買って持っていくことまでは可能だったとしても継続的に十分な量の弾薬を個人または少数の村などの単位で用意できたのかは疑問が残る気がする 組織として鉄砲隊の運用を目指す、あるいはたまたま鉄砲を多く持っているという特性がある部隊を上手く用いるためにはトップがある程度組織立って兵站を管理する必要がある気がする そういう意味では多少なりともトップダウン型の軍の管理を行っていたんではないかなぁという個人の感想です
@user-sj6bo8ed3q
@user-sj6bo8ed3q 22 сағат бұрын
今みたいな大規模な本格的なものは無かったけど、信長の軍には多分そういう風潮があってその小さなシステムの差が他の大名との大きな戦力差になったと私も動画を見て思いました
@galsilt2726
@galsilt2726 18 сағат бұрын
兵站の支給に関しては運用の範囲として考えられるというか、少なくとも戦時においては信長側から弾薬出しててもおかしくはなさそうだなあって感じる。各家臣の軍団における武器種の編成がどうなってるのかをある程度事前に調査しておくとかはできるだろうし(してたら記録が残るからわかりそうだが)、そうでなくても「なんか最近鉄砲持って来る奴多いな」って感じたら勝つための準備としてそれくらいやってもいいよな
@ぱくまん-z1x
@ぱくまん-z1x 17 сағат бұрын
前の動画でもやってたけど、武田勝頼が弾の備蓄を強化とか銅弾とかを各領主に指示してなかったっけ。 なら、弾や火薬も各領主(村)持ちなんじゃないかな。
@2wsc1qaz72
@2wsc1qaz72 15 сағат бұрын
当時の弾は規格化されて無いため鉄砲ごとに弾が違いますので火薬はともかくたまは各自で持って行く必要があります
@トウフメンタル-q8v
@トウフメンタル-q8v 15 сағат бұрын
まず鉄砲だったり弾だったり流通しないと誰も買えないからそういう面で一枚噛んでそう
@たっちー-j4e
@たっちー-j4e Күн бұрын
数万人の専業兵士抱えるのは無理って言うけれど、戦局を変えるなら鉄砲兵500~1000人でも十分なんじゃない? 長篠の戦いでも鉄砲1000丁動員しただけで記録に残るレベルだし わざわざ何万人も用意しなくてもいい、半農半兵に少数の精鋭を混ぜるだけで効果は出る
@小高周一郎
@小高周一郎 21 сағат бұрын
長篠の戦の鳶ヶ巣山砦の奇襲に向かった酒井忠次に鉄砲500丁山砦の奇襲に向かった酒井忠次に鉄砲500丁を貸与していること、また脅威度の低い城から鉄砲のみを抽出して戦場に動員する例もみられるので、単一兵科の分離運用も不可能ではないことが分かる。 東国では軍役帳が残っていて、鑓〇人 弓△人 鉄砲◇人と指定された武装の者を動員していることから、いかに西国といえどボトムアップの軍制改革は現実味がない
@veryvery525
@veryvery525 Күн бұрын
鉄砲隊はサバイバルツールを準備した個人の集合体とか、謀反は取引先変更とか、現代の類例を挙げて解説してくれるのは助かる。
@ひめじさん
@ひめじさん Күн бұрын
どこで読んだか忘れたけど、小田原の役の時に北条方が支配地域の村に出してた兵隊動員に関する指示書が残ってるみたいですね 武装に関するところだと槍の長さについてまで細かく指示されてたそうです
@nekozame_history_fan
@nekozame_history_fan Күн бұрын
黒田基樹先生の本に詳しそうですね。
@もとあき-u3c
@もとあき-u3c Күн бұрын
鉄砲は手柄の証明が難しく、火薬の入手が困難で高いから訓練にも金がかかるし、特殊技術の機械で修理も困難。 刀や槍に比べてコストの高い武器なので、パートタイム兵の個人持ち武器にはリターンが少なすぎるかと。 信長が購入したものを信長の旗本下級武士部隊(母衣衆など)に与えたのでは? 長篠の頃で千丁(千人)程度であれば、無茶な数字でないかと思います。
@samsamwo36360
@samsamwo36360 Күн бұрын
現代の民兵が、強いからと言って戦闘機や戦車を持参して戦場に行くのが非現実的なように、 非常に高価な鉄砲を民間人が確保するのは非現実的では?と思います。 特に海外からの輸入に頼る弾薬を民間人が確保するのは難しいし、 戦争後、必要経費として弾薬代がもらえるわけでもないのに、経費自腹で民間人から自発的に火縄銃を使い始めるとは思えないのですが・・・。
@nao2591
@nao2591 15 сағат бұрын
略奪
@abbtk14
@abbtk14 Күн бұрын
高価な鉄砲と大量の弾薬を個人装備するなんて食うや食わずの貧農にできるはずもなく、それだけ織田領が豊かだったという事なんでしょうね。秀吉なんか米の買い占めや土嚢を作らせたりでその都度数十億円単位で散財しているし、鉄砲をまとめて買い与えるくらいわけもなさそうです…。
@helixlord9014
@helixlord9014 Күн бұрын
親会社織田ホールディングスは子会社の羽柴家、柴田家、佐久間家やらたくさんの実力ある子会社を有して支配下に置いてる。 でも羽柴家の中にいる人たちはあくまで羽柴家と雇用契約的なものを結んでるわけで、羽柴家の就業規則に則って禄をもらい出陣もするという立場にあるということ。 だから羽柴家の経営方針に則って織田家のためにたたかうし、万が一羽柴家の叛くとあってもそれに従い動くだけ。 そんな感じかね
@あなゆき-b4n
@あなゆき-b4n Күн бұрын
基本的には合ってるんだけど、与力大名って言って小さい子会社(織田家臣)が大きい子会社(織田家臣)の配下的な立場に付けられることもあった。 有名な例が柴田勝家に対する前田利家や佐々成政、あと明智光秀に対する池田恒興みたいな感じ。 こいつらは上位の家臣の統制下にあるけど、陪臣(家臣の家臣)では無いので池田恒興は山崎で、前田利家は賤ヶ岳など、重要な局面では裏切ったり(正確には裏切りでは無いけど)と独自に行動したりしてる。
@橋本遊
@橋本遊 Күн бұрын
兵農分離はそれなりにすすんでたというか、村の中に戦うことをメインにする人がいたみたいですね、詳しくは太田牛一の動画にて
@nekozame_history_fan
@nekozame_history_fan Күн бұрын
『太田うしいち』(日本中世史メイン)さんの動画も興味深いですね。『しかかく』(西国戦国史メイン)さん、『右京大夫政元【歴史解説】』(室町幕府メイン)さんも情報が深くて好きです。この3人は研究を追っていて、通説(世間に流布したシンプルな説)よりも複雑な中世社会の武士たちの様子を感じ取れて好きです。 『ゆっくり真実の戦国史』(戦国大名の手紙が多い)さんと『ゆっくり歴史ばんびぃ』(尊氏以前の足利氏)も面白いけれど、私の情報力不足のため動画の正確性を評価できません。無念。
@muramasa9582
@muramasa9582 19 сағат бұрын
というより、兵農分離って「武家の成立の仕方」そのものですからね。 あとはそれぞれの国(地域)で程度差があったくらいに思っておいた方がいいでしょう。
@あぼぼです
@あぼぼです 20 сағат бұрын
兵糧の解説動画はよく作られてますが、装備解説で補給とかまでは詳しいのは少ないですね。今回はそのあたりに踏み込んだと思います 江戸時代の軍制の場合侍身分だと本人が騎馬、槍が2~3人、弓と鉄砲が1人ずつなど江戸時代くらいで決められた 軍制があるように、徐々に自分の俸禄に応じて常備するようになる、戦国時代は過渡期で各村に戦時優先的に戦に出る人がいたりするので こういう類の人が「所得もあるので鉄砲を購入、または戦場で拾うその後使い方を覚える」などして徐々に鉄砲所持が増える 織田の場合は経済力があるのでその割合が多い可能性はある。堺なども抑えてるので火薬・鉛玉は大量に買える 出陣の際に戦闘数回分の矢玉は準備する決まりで、それ以降は大名が補給するという流れだったのだと思います
@KT-sg3vx
@KT-sg3vx Күн бұрын
up主的には雑賀衆とかはまさにこのボトムアップ式になるんですかね。 あと、母衣衆等とは別に信長直属の特殊な訓練を受けた私兵(鉄砲隊)を持っていたって線はないかなあ。
@shijisuzuki8377
@shijisuzuki8377 Күн бұрын
一般兵が鉄砲持ち込みはコスト的にちょっと考えにくい気がする。鉄砲本体以上に火薬の調達コストが厳しい。最低ラインの所領持ち(数十~百石クラス)が自分の部下に銃と弾薬を配布するのが限度じゃなかろうか。
@あなゆき-b4n
@あなゆき-b4n Күн бұрын
織田家は分からないけど、武田家は家臣団が合戦に動員する人数と武装を定めた軍役定書ってのがあってその中に「○十人動員、その内弓○張、鉄砲○挺、etc」とか決まってたので、織田家も大きくは変わらないかと思います
@kikurin8556
@kikurin8556 Күн бұрын
キマシタワ━━━━(゚∀゚)━━━━!! お身体に気をつけて毎秒投稿してください☺️
@bearqquartetto
@bearqquartetto Күн бұрын
うーん、それこそ鎌倉時代とかならわかるけど、戦国で「闇鍋編成」は無いんでは。 火縄銃は輸入品でコピーモデルでも入手困難な状況、って考えれば、今、我々が銃火器を個人で入手しろってのと同じくらい困難じゃないのかと。 むしろ領主が用意した鉄砲を「ほら、これだと怪我しにくいよ☆」て半農の農民に配ったって方が説得力は感じる 村の中の器用な者が整備や運用を学んだり教えたりしながら仕切ってた「おらが村の小隊」を領主がまとめて扱った部隊とかはありそう それこそ兵站を考えたら「銃弾、火薬、整備道具、補修部品」これらを常に補給し続けるってのを農民がやるのは無理じゃないかな。 当時の火縄銃がどれくらいの相場で、当時の農民がどれほど現金を手に出来ていたのか、も疑問。
@user-mongoru300
@user-mongoru300 17 сағат бұрын
個人だけで鉄砲の運用が十分できていたとは思えなくて、鉄砲の本体だけでなく鉛や硝石の調達も必要で、それらを個人でやり続けるのは非常に効率が悪い。少なくともある程度集中調達をしていてそれを貸与というか下賜というか与えていたようなことはあったのでは?しっかり人数分とかの調達ではなく、大名としてとにかくたくさん持っていて、特に側近を中心に鉄砲等の兵器を働きに応じて与えたりとか。別にすべて足軽とか万単位で運用ではなく、百~千単位で足軽や鉄砲の運用くらいなら俸禄でやっていけないことはないと思うんだけどな。それくらいなら戦争の際は大名本体かその補給部隊や後方部隊がそれらの弾薬管理はしていておかしくない。付城戦略で大規模工事し続けながら支配地域を増やしていく信長軍なのでそれくらいのことはやっていておかしくないし、それぐらいであれば別にいちいち文書に残ってなくてもよいし、日々のものだからチラシの裏的にメモしてきて使い終わったら処分してたらまず残らない。弾薬まで全て調達を個人に丸投げはさすがにあり得ない。少なくともある程度上層部でそれなりに集中管理しないと運用は厳しい。主の②だと、そうやって戦場に参加して弾薬補給していけばおこぼれとか余りで多少の弾薬は持ち帰れそうで、そういうの使って獣害駆除や狩りに使えるから農兵的にもウエルカムとか。想像だけど。
@user-fgmc
@user-fgmc Күн бұрын
軽くググったら鉄砲現在価値で60万するらしい。こんな高価なものを農民が買ってたか疑問に思う。
@TanehikoOsuga
@TanehikoOsuga 14 сағат бұрын
鉄砲は鉄砲足軽に会社(大名家)の備品として貸し与えられるものだったのでは。番筒といって、支給品の鉄砲には管理番号が振られていたし。
@gtn9984
@gtn9984 Күн бұрын
通しでじっくり動画を視聴してないですが、常備軍や鉄砲隊の解釈には同意します。 確かに、そうせざるを得なかった又は自然に結果的にそうなった、というのと 意図的に行った、は因果関係として違うと。 (信長の施策は、桶狭間を始め、そうせざるを得なかった、が多いと感じる) 只、長篠では、例えば筒井宛に何丁(射手込み?)用意しろとかノルマもあった みたいで、ノルマで無くても申告させて集計はしていたでしょう。 (集計すると計1200~1500丁だった筈とか、読んだことがある) 集計した結果に基づく集中運用は、ある程度していたのでは。 少なくとも陣位置、運用指針の指示はあったでしょうし。 それを鉄砲隊(の集中運用)と呼べるのかは別にして。
@うそねこ-e4f
@うそねこ-e4f 20 сағат бұрын
長篠で細川藤孝あたりが鉄砲を提供してくれたことに信長が礼状を出していたような
@ex52alfa
@ex52alfa 9 сағат бұрын
当時の雑兵の供給源ですが、当時は気候が冷涼かつ不安定で地震も多く、かつ戦乱による食糧難で村々からの逃亡者が後を絶たなかったそうです。なので、戦の都度募集をかければ簡単にまとまった人数が集まったそうです。ちなみに武田家には敵前逃亡を図る雑兵を薙刀で斬る「一手役人」がいました。 あと、どの大名も少数ながら常備兵は抱えていたようで、それらは「一騎駆けの武者」と呼ばれる人達で、膠着した戦線の突破や追撃戦での働きが期待されていたようです。
@w_blue
@w_blue Күн бұрын
お、兵農分離やるんですね 最近の説を学ぶと「歴史は個人の活躍で劇的に変化するなんてことはまずない」って覚えたな
@Hong-Long
@Hong-Long Күн бұрын
タレーランはだいぶ変えた気がする
@user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ
@user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ Күн бұрын
それで劇的に変えた人は歴史に名を残しますからね…
@KH-ui8hl
@KH-ui8hl Күн бұрын
第一次世界大戦と日中戦争の開戦のきっかけは個人の活躍(?)
@---nt5tf
@---nt5tf Күн бұрын
ラストのドリフターズの信長の名言は、ずっと心に残ってますわw
@matukawatositane
@matukawatositane Күн бұрын
本圀寺の変は三好勢力が依然として畿内で大きな影響力あるのが分かる 兵農分離とかいう虚構に切り込んでいくのは良いと思うなぁ
@st-ng4ih
@st-ng4ih Күн бұрын
長篠の鉄砲隊>長篠に出陣していない留守居領主の軍勢から鉄砲衆を差し出させて集めているから、それじゃないかと推察 武器装備>北条氏なんかは配下武将に槍衆◯人・弓衆◯人・鉄砲衆◯人なんて指示してる書状がのこってますね(おそらく配下武将負担)
@acq351700
@acq351700 21 сағат бұрын
専門軍=お金で雇われた、荒くれ者、農家の次男、親が専門兵、土方、あぶれ者が、基本なったのだと思います。前線で命知らずに戦うイメージです。目指せ一番槍。武器の支給と訓練は戦国時代後半頃はあったと思います。 農兵=農家の長男、後方から石を投げて攻撃又は兵站、戦場での土木工事、収穫時期になると帰宅したがる。嫁子供爺婆が田畑を管理。嫁を抱いて兵士を生産😅
@正昭岩下
@正昭岩下 Күн бұрын
石山本願寺を数年間包囲する事が出来たのはどういう事。
@ねおぞえ
@ねおぞえ Күн бұрын
大量に付城築いて包囲してたみたいですよ。軍勢で包囲していたと言うより軍勢が駐屯している砦で封鎖線を築いていたものかと。 あと石山本願寺を海上から封鎖するには絶好の位置である淡路島を拠点とする旧三好の水軍が織田の配下でしたから。
@rasihigu
@rasihigu Күн бұрын
中世ヨーロッパ貴族の割合は人口の2%、自衛隊(一親等)の割合は人口の1%、武士の割合は人口の7%。日本はすでに常備軍(武士)がかなりいる国。この状態で常備軍を新たに作るのは、負担が重すぎる。あとヨーロッパの鉄砲隊はどうしてたのか気になる
@user-pv5ju9yl3e
@user-pv5ju9yl3e 19 сағат бұрын
江戸時代には農村で鉄砲が鳥獣対策に使われていた訳だし戦国時代にもそうした傾向はあったわな
@reiayanami9637
@reiayanami9637 10 сағат бұрын
領主が補助するとしても、農民がめちゃくちゃ高価な鉄砲、射撃練習のための弾薬や火薬を自前で準備できるのか? 商人の次男、三男とかならあり得るかもしれないけど。
@I1I1I-yuyuko-konpaku
@I1I1I-yuyuko-konpaku Күн бұрын
ノブ「フフフ、残念だったな敵将め。お前が追いまわしてバカは、実はただの我々の総大将だ。ワハハハ」 オカマ「ちょっと何言ってるかわかんないわ、アンタ」
@たけさん-k3g
@たけさん-k3g 14 сағат бұрын
センゴクが一番参考になるかな お前らの規模だったら◯丁持っとけ的な感じで保有してて長篠のときだけ特殊な例外で一時的に集中させたと
@yhaachoi1837
@yhaachoi1837 Күн бұрын
34:08 たとえ「歴史シミュレーションゲーム」でも面倒なところですね
@雀-r4f
@雀-r4f Күн бұрын
今の「信長の野望」は、鉄砲用の施設を作りはするけれど プレイヤーが購入や生産はしないですね。 土地を任せた武将が自分で軍備を整えて命令に従って出兵する。
@あぼぼです
@あぼぼです 20 сағат бұрын
こういう考察の場合一時期よくあったのが「全然先進的ではない織田信長、所詮日本の英雄なんて世界から見たら平均以下の雑魚、日本はもうだめだー」 と下げようとネガティブ記事を書かれることがあった。※コロナ禍の時 軍勢から軍隊へ欧州でもある日突然天才が作り上げたわけではない、徐々に必要に応じて整備されて行った。それだけの事
@tarojikken4014
@tarojikken4014 Күн бұрын
つまり当時の鉄砲隊は上から鉄砲を支給されてたわけではなくて、古代ギリシアの「武器自弁の原則」同様に個人が購入してたってことか。 確かにこの方がしっくりくるわな。
@Cogitoergosum-h5g
@Cogitoergosum-h5g Күн бұрын
確かに次男坊三男坊を集めたとしても、彼らの分の食い扶持はどうする? という問題もありましょうが、織田家は有数の金持ちでしたからね。 少し遡りますが、イングランド軍のロングボウ部隊は農民出身者の部隊だったと言いますしね(常時から訓練していた様です)。 あれも訓練が必要です。 世界的気候の変化があったのでしょうね。 主様が仰有る様に大部分は " か き 集 め て き た " 戦力であり、恐らく私たちが思ったより " 日 和 見 " であったのかもしれませんね。 56し合っているのは武士。 農民は日和見。 意外と平和な世界かもしれませんね。 追記。 私は"逃げ若"の大ファンなんですが… 奥州から北畠顕家卿とともに京都や石津川まで付き添ってきた人々はどういう立場の人たちだったんでしょうね? ただの農民が約600kmを約半月という驚異的な強行軍に何故着いていったんでしょうね? 彼らは決して " 日 和 見 " の農民ではなかった筈です。
@ろっかくしょうてい
@ろっかくしょうてい Күн бұрын
カカチャンネルシステムはなんて偉大なんだ
@tease82
@tease82 Күн бұрын
常備軍が居ないとなると、山賊対策や災害時の土木作業対策はどうしていたのでしょう? ゲームで言えば軍は、本来なら内政していたいけど緊急事態対策用の"force"として保険で準備しておくものだと思います。 氾濫原ナガシマを抱える信長さんかその部下は、災害対策で常備軍を他大名より多めに抱えていたんじゃないかなぁと。素人の感想です。
@はむてぃー
@はむてぃー Күн бұрын
兵士側が工夫して鉄砲所持者多数→鉄砲隊完成!の発想は確かに1番妥当だと思うんですけど果たして当時の農民に鉄砲用意できるほど余裕あったんですかね…いくら織田家の政策で金銭や鉄砲が他家より多かったとしても鉄砲は高価で需要も高いはずなので一兵卒達が集められる物なのかが疑問です。
@matukawatositane
@matukawatositane Күн бұрын
農村から召集されるのが村内でも上位である軍役衆であるのがヒントになるんかね?
@タマナカとキュー
@タマナカとキュー Күн бұрын
裏を返せば、鉄砲と弾と火薬を持ってる農民が織田領そこかしこに居たってこと・・・!?
@ぱくまん-z1x
@ぱくまん-z1x Күн бұрын
織田領国の直轄率ってどれくらいだったんだろう。 織田家の直轄率って無茶苦茶高い印象があるんだけど勘違いなんだろうか。直轄地が多ければ結構無茶出来ると思うんだが。 基本大体は部下が管理してるけどあくまで貸し与えてるだけで所有は織田家。と思ってたんだけど昔の通説から印象から来た間違いなんだろうか。
@tetela_tela
@tetela_tela 14 сағат бұрын
ある程度の強制的な官僚や兵力の移動ができないと秀吉やら滝川やら明智やら殆ど背景勢力がない新参者が使えないので領地の変更とか誰を誰の下につけるとか家ごとのレベルでは他の戦国大名よりかなり強権が振るえたんじゃないかなぁと思っている織田家
@Hiraide10
@Hiraide10 9 сағат бұрын
兵士といっても農民。そんな簡単に鉄砲購入することができるの?という疑問。鉄砲って高価なのでは。 領主が鉄砲は用意して集めた兵士に支給(貸し与え)。貸した兵士が生きて帰ってくれば回収が自然。 鉄砲の扱い自体は農閑期に教練するとかしておいたのでは。そんなに難しいものでもなし、常時訓練も必要はないかと。 戦国時代も後期になれば、戦場の死体から回収したようなのが出回って自前の持ってる兵士もいたかもだけど。
@竹松和友
@竹松和友 Күн бұрын
神動画 鉄砲の弾をどのように調達、分配されてたのかの考察をぜひ 弾薬を補充するという概念が当時は新しかったはず
@しぐまる-l7n
@しぐまる-l7n 11 сағат бұрын
ああ…当時の行動は村単位だし、それなら複数の鉄砲も準備できそう。 で、軍役を「お前らの村から鉄砲持ってるやつ3人か、槍持ってるやつ5人だせ。」って感じに課したら鉄砲隊的なものも出来そう 常備軍ついても、各村に10人とかは戦う係みたいのがあったんじゃないかな。そのうち3人貸してって感じで集めたから常備軍を持ってるように見えた(てか事実上常備軍を持ってるような状況だった)って事では
@郎太-d1w
@郎太-d1w 8 сағат бұрын
俺は『広告を飛ばした』、『1秒の狂い』無くッ!『一瞬』でッ!!!
@てすと-y9e
@てすと-y9e 15 сағат бұрын
戦国時代の鉄砲は、現在のゴルフクラブみたいな感じですかね。 上司が部下を感化してゴルファーを増やして、数か月に一度の会社行事のゴルフコンペ(合戦?)に部下を引き連れて参加みたいな。(会社行事の人数集めって大変なので、幹事の人に感謝されるんですよね) あと、ゴルフ用品揃えるのも、練習するのも自費ってところも似てますね。
@KOBAYASHIMARU3
@KOBAYASHIMARU3 17 сағат бұрын
天下統一(システムソフト社のシミュレーションゲーム)で毎年投資しながら兵農分離をちまちま進めてたのが懐かしい
@マヒロの鉄道PVチャンネル
@マヒロの鉄道PVチャンネル Күн бұрын
信長さん、命令はできなくても煽るのはどうでしょう? 例えば、赤母衣衆が戦争の度に鉄砲を500丁とか持ってきて功を立てる→信長さんが褒めて恩賞ガッポリ、みたいな事を意図的にやる。 「誰それみたいに鉄砲を持ってきて活躍すれば、主君にウケるんじゃね?」ってなればしめたものですし。
@nintendoswitchlv1601
@nintendoswitchlv1601 Күн бұрын
小田原城落とせなかったから城攻め苦手って言われてる景虎くんw
@dam5158
@dam5158 Күн бұрын
鉄砲は農業における害獣退治にも便利だからね 熊や猪もパァン!されて仲間の頭が吹っ飛んだらそらビビッて近寄らなくなるし
@前座の人
@前座の人 Күн бұрын
すまねぇ 明日 身体を休めたら視聴しまっす😂
@riiii5597
@riiii5597 22 сағат бұрын
鉄砲調達の件、草野球で新しいグローブやバットを見せびらかすオジサンの図を想像すると、なんとなくわかりやすいwww
@希望匿名-s2t
@希望匿名-s2t 16 сағат бұрын
戦国時代は貫高に応じて軍役が定められ、その軍役は騎馬~騎 旗持~人 鑓~人 弓~張 鉄砲~丁と指定されている書状が残っています。
@Taka-fn8pg
@Taka-fn8pg 7 сағат бұрын
直臣や村長クラスが騎馬や鉄砲やってたとかじゃないですかね。 国の豊かさが忠誠心や装備に影響ある気もしますね
@Bチャー
@Bチャー Күн бұрын
刀狩りで「第1条 百姓が刀や脇差、弓、槍、鉄砲などの武器を持つことを固く禁じる。」 しかも江戸時代は百姓の方が武士より鉄砲を保有していた(鳥獣対策として)。 農村で鉄砲が大量に扱われた説 あると思います。
@ドリム-o5t
@ドリム-o5t 21 сағат бұрын
寸土拾い言われても、武田の位置からすると、寸土以外は大勢力と全面戦争になるからなぁ。
@matukawatositane
@matukawatositane 19 сағат бұрын
そも堺屋太一の贔屓があるでしょそれ
@H_Eneko
@H_Eneko Күн бұрын
……てっきり史料があるから専門部隊の編成もあったのかと思っていましたが、そもそもそれを前提とするだけの史料がないまま、おそらくは講談咄ソースで語られていた可能性があるわけでございますか。 ……怖いな、歴史学。
@ミミケイ
@ミミケイ 15 сағат бұрын
確かに、考えてみると兵農分離って無理がありすぎる。
@山瀬速報
@山瀬速報 9 сағат бұрын
部隊編成の話は、猟師を専門の部隊としてまとめると強かった理由ですよね。 専門部隊自体は編成できると思いますが、それは近衛兵とかの限られた貴族階級出身少数の部隊だけでしょうね。
@もふもふワンコ
@もふもふワンコ 4 сағат бұрын
当時の弾丸は球形でまた銃身にライフリングがなかったから真っ直ぐ飛ばず命中率は極めて低かったかと。 つまり相当至近距離じゃなきゃあたらないので使い物にならなかった。 どちらかと言えば発砲音で騎馬を驚かせゴルシ化した暴れ馬から落馬した武将を刀でムキュムキュした感が強い。
@まめ-z4z5u
@まめ-z4z5u Күн бұрын
変にロマンとか語らない、ここ、好きっす。
@muramasa9582
@muramasa9582 19 сағат бұрын
三好三人衆と斎藤龍興の動きが意味不明過ぎる…。 テロなんてそんなものと言えばそこまでですが、何がしたかったんだこいつら。成功しても「将軍殺しの罪」で周囲全てが敵になるだけなのに。 成功したら一発逆転に持っていける繋がりでもあったのですかね?
@matukawatositane
@matukawatositane 19 сағат бұрын
義昭降伏目的なら割と現実的だったのでは?
@user-kt6lh9nm1j
@user-kt6lh9nm1j 18 сағат бұрын
三人衆は永禄の変で既に将軍殺ししてるからあんまり気にしてなさそう この頃の信長って立ち位置的には義昭のケツモチでしかないから義昭がいなくなったらゲリラ戦してくる六角と在地勢力と仲良い三好とグダグダやって終わりそうだし意味はあるよ
@どらやき-z1w
@どらやき-z1w 9 сағат бұрын
本圀寺の変って紛らわしすぎでしょ 三好三人衆はともかく、なんで斎藤龍興が足利義昭を襲撃してるんだよw おかげで一瞬だけど美濃三人衆が足利義昭を襲撃しているのかと勘違いしちゃったじゃねぇか
@pikoyan
@pikoyan Күн бұрын
一般市民(農民)を徴用して兵士とするというのも現在ではほぼ否定されてる考えな様な 一般市民と武士の間に農業に従事しつつ農作物による税の代わりに武士に奉公する専門の階級があって、そこが兵士となっていたとするのが今の主流の考えなはず
@高杉謙介
@高杉謙介 Күн бұрын
当時の社会体制の例外中の例外は藤堂高虎なのかな まぁ有能だし、その評判は業界内では知れ渡ってたから引くて数多…ってのも現代と似てるね
@アクアクロス
@アクアクロス Күн бұрын
カカチャンネルリスペクト演出は笑った
@akanosoufu
@akanosoufu Күн бұрын
信長って富国強兵だったり必ず勝てる体制を整えてから戦ったりと孫氏の教えを忠実に実行してますが傾倒してたんですかね
@たけさん-k3g
@たけさん-k3g 14 сағат бұрын
トヨタ系列の下請けかホンダ系列の下請けか、みたいなもんかな 監査くらいはできるけど人事権とか経営までは口を出せない
@anzaisensei3611
@anzaisensei3611 14 сағат бұрын
そもそも、当時高級品の鉄砲を農家や町人が持てるのかが疑問 鉄砲は家臣お抱えの兵隊で、そこに集まった連中を割り振りしたんじゃないかね?
@tesseract3280
@tesseract3280 Күн бұрын
4:18 雪斎・義元亡き後もにらみを利かせていた寿桂尼が亡くなったから説
@qhqh123ch
@qhqh123ch 18 сағат бұрын
普段から訓練に明け暮れてのちの武士たちになる親衛隊と農民からの徴募兵は一緒くたに語れなさそう
@べーぐるべーぐる
@べーぐるべーぐる Күн бұрын
三方ヶ原のあと少し1年半くらい信玄の寿命があればワンチャンあった。ほんと運がない。
@nomonomo5539
@nomonomo5539 17 сағат бұрын
信玄は今川支援を旗印に徳川狙うのが一番ましに見えるのはその後の歴史を知っているからでしょうか。 長篠の戦いの前に、細川藤孝達から鉄砲だけ供出させたけどそれを管理してしっかり返却できてたのかな。 戦争時は鉄砲は持参でも、鉛玉や火薬は支給ですよね。その場合やはり堺を支配し、海外からのルートを持っている信長軍が圧倒的に有利ですね。
@たいえいじ
@たいえいじ Күн бұрын
パチュリー・ノーレッジが良いです
@ちょこみんとあいす-s8q
@ちょこみんとあいす-s8q Күн бұрын
我々は戦争したことがないのでどうしても信長の野望脳で見てしまいがちだけど 稲葉山城の門に秀吉の率いる1500人が攻撃をかけて残り800人になりながら門破壊みたいな事は無いんですよね 攻めにくいように細い道にしてやるし攻め上る味方と撤退する味方がすれ違う必要があるから 実際の攻撃は30人程度で登っていって攻撃、 数人負傷したら撤退、これを繰り返していく感じじゃないんですかね 弾丸が飛んできて人間が倒れていく状況を目の前にすると数人殺されただけで耐えきれるものじゃなくて。 そう考えるとそもそも大量の鉄砲を集めて一斉に射撃する必要性ってあったのかなと 現代のウクライナ戦線でも数千人の舞台のうち150人が負傷したから撤退とか書かれているのを見かけるし 戦国時代当時だってせいぜい鉄砲30兆程度集めて発砲してたんじゃないですかね 確かにこれくらいなら支配地の村落からかき集められる数だとま
@hiroyukikodaira9704
@hiroyukikodaira9704 18 сағат бұрын
シメはドリフターズですね
@名も無きあーす
@名も無きあーす 7 сағат бұрын
信長直轄の大規模専業兵士集団はありえない、までは確実としても全部民間任せとか怖すぎるし弾薬の供給問題もあるので 普及初期はボトムアップ方式だったとしても堺直轄化以後から対包囲網連戦期、全国統一が時間の問題となった頃ではそれぞれ違っているのではないかと 戦国大名が大規模化し部下も村単位から町、国単位へ大規模化在外地主化する過程で個々の部下の単位で通説に近い形へ変化していったと予想
@liangjishanggen8717
@liangjishanggen8717 Күн бұрын
兵站も含めた鉄砲の専門部隊を貸与してたってのはどう? 当たれば重武装の兵士でも即タヒの兵器を一般流通させたいかな? 敵に回したら割と厄介な兵器をそうほいほいと流通させるかね。 実際対本願寺戦では本願寺勢の鉄砲にかなり悩まされたわけで。 直接的な記録が無いのは専門部隊故の機密保持とか、他兵種に比べて絶対量が少なかったとか等々。 例えばVT信管はマリアナで大活躍して凄いってイメージだけど、対空砲弾の総量からするとごく少量らしいし。
@みりがーん2387
@みりがーん2387 17 сағат бұрын
豊臣秀吉が刀狩するわけだよなぁ
@takashis.6023
@takashis.6023 16 сағат бұрын
でも槍の長さ整った軍隊調えてたし、そこまで行き当たりばったりではないかと
@いお-r9k
@いお-r9k Күн бұрын
軍制は武田軍の方が進んでたとか聞いたことあるなー。
@hiron114
@hiron114 Күн бұрын
というか進んでなかったら、甲斐のようなハズレ土地が本拠という状態で、周辺勢力と戦うのは無理だと思う。
@フォード-i1w
@フォード-i1w Күн бұрын
「銭なり土地何石なり貰ってる奴は何名、槍何本、旗何本、馬〇頭連れてきて」みたいな具体的ノルマを課してるのは北条が有名で次点で武田 信長は家臣の所領高を把握してない節あり(尾張の具体的な検地はなんと信雄の時代になってから)で、給料に見合った調達基準を家臣に通達しないしノルマも功績も全部信長の機嫌次第。極端な成果主義・競争を煽る仕組みだから滅茶苦茶強いけど、松永や荒木みたいに謀反されるリスクをはらんでた 秀吉はそれの反省として「数量」を把握しようとした→太閤検地 奉行らに石高の算定・〇公〇民と規定・査定させる
@透明な豚
@透明な豚 16 сағат бұрын
なんかティラノサウルスみたいに俺の中の信長がどんどんナーフされていくー😅
@tarohsuzuki7978
@tarohsuzuki7978 16 сағат бұрын
何か、893の1次団体2次団体みたいやな戦国時代の軍勢は
@user-pk2yx5jv7j
@user-pk2yx5jv7j Күн бұрын
管理者が居なければ補給もまともに出来ないのでは? まともに補給出来ない環境で個人が火縄銃を装備するのは継戦能力を考えるとおかしい気がするんですが それにも関わらず記録として火縄銃の使用が残ってるのは不思議に感じますね。 もしかしてポルトガル商人が鉄砲を伝来させた史実も本当は無くて戦国時代には鉄砲も弓矢も使われず投擲武器は石ころだけだった可能性もあるんでしょうか?🤔
@ぽっぷ-v1k
@ぽっぷ-v1k 17 сағат бұрын
信長さまの一人称なんだったの?
@ドドリアシーフー
@ドドリアシーフー 21 сағат бұрын
ボトムアップによる鉄砲隊って雑賀衆か?
@taknar4020
@taknar4020 Күн бұрын
北九州wwww
@エンシェントマミー
@エンシェントマミー 8 сағат бұрын
武田の騎馬隊も当時の日本では不可能に近いと思う。 当時の馬は体格が小さい、去勢技術も無い、運用する為の土壌も悪い、土地が狭く大陸の様な栄養価の高い草が無いと 運用出来るだけの条件が最悪過ぎるのが日本の土地。
@もっちー-c4z
@もっちー-c4z Күн бұрын
「記録、証拠が無い」これが全て。記録も証拠も無いものを言っても推論でしか無いから変わって当然。鉄炮3段撃ちを信じるなら、いっそ信長軍は他家に先駆けてエイブラムス戦車を十分な数用意して戦争したぐらいやって欲しいわ
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