【ゆっくり歴史解説】英雄の血を引く亡国の二世皇帝「劉禅」とは?【三国志】

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試験に出る三国志

試験に出る三国志

Күн бұрын

サムネイル、そしてこのアイコンの人物は「劉禅」として絵師様に描いてもらいました。
というのも、蜀漢末期の小説を自分書いていまして、その表紙を書いてもらったんですよね。詳しくは「小説置き場」または「note」にてご確認くださいな(*'▽')
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サムネイルは「hidepp(@JohnnyHidepp)」さんに描いてもらいました!
どうもありがとうございます!
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「正史三国志(著:陳寿/ちくま学芸文庫)」
「三国志(著:横山光輝)」
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#試験に出る三国志 #三国志 一部画像:©コーエーテクモゲームス

Пікірлер: 280
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 4 жыл бұрын
えっと、勢いで「孫権も17歳で継いだ」って話が出ましたが、孫権は19歳でしたね。 申し訳ないでありますです。 まぁでも、同じくらいだし、たいして変わらないよね(ぇ
@saburiryu28go
@saburiryu28go 4 жыл бұрын
年齢は近くとも、人材層の暑さはいかんともし難かった。
@もりもり-f1e
@もりもり-f1e 4 жыл бұрын
17歳…「若き指導者」という言葉に「男の浪漫」を感じずにはいられませんな! ただ、間違いなく先代と比較した陰口を叩かれていたでしょうね。
@user-tv8gx7xt4i
@user-tv8gx7xt4i 4 жыл бұрын
学校の担任が小さなことも解決しないといけないといってたゾw
@REKI-AKAHOSI
@REKI-AKAHOSI 4 жыл бұрын
R18見れるか見れないかはデカイ
@轟天号貼ピコ
@轟天号貼ピコ 3 жыл бұрын
その人が歩んできた道程とその人を取り巻く環境と人材によっても変わると思ってます。年齢も関係するかもしれませんが。 人材不足の蜀の皇帝といっても、一応は劉禅は周りにも恵まれてはいましたし、本人も回りの力を借りながらも良くあの状況下で40年近くも持ちこたえたと思ってます。・・・と、いうか親父の世代までがいかにチート過ぎたということか・・・。
@user-mz5hq2or5v
@user-mz5hq2or5v 4 жыл бұрын
劉禅の最大の功績は劉備が夷陵で負けてそのまま亡くなった後変な色気を出さずに諸葛亮を信頼しきった事だと思う
@user-fx9zh8ec2d
@user-fx9zh8ec2d 3 жыл бұрын
他人に任せる事で、自分の評価を上げるとは。劉禅すごい!?
@KT-uh5bh
@KT-uh5bh 3 жыл бұрын
ある意味度量の大きさは親父を超えていると思います。任した相手が国を乗っ取ろうとするような人間じゃなかったのは運も良かったかと。
@enemon2340
@enemon2340 4 жыл бұрын
呉や晋の末路考えると上手くバランス取って安定した運営したと言うべきかもですね
@user-gd5op1rn6m
@user-gd5op1rn6m 4 жыл бұрын
しかし、こう見ると、魏と呉は亡国レベルの内紛が絶えなかったのに対して、蜀はそれが全く無縁だったんやな
@user-bm8ci1vy5f
@user-bm8ci1vy5f 3 жыл бұрын
諸葛亮のような優秀かつ忠実な臣下に恵まれた事と、良い意味で部下達に国家運営を丸投げする事ができたお陰ですね。 あとは後継絡みで、劉禅自身が初代皇帝である劉備の実子であり後嗣として申し分ない立場である事と、 彼の地位を脅かすような他の皇帝候補が既にいなかったのも内紛が起きなかった理由だと思います。 もし劉封が生きていたら、彼を担ぎ出す一派が現れて呉のような後継者問題や派閥争いが起きていたかもしれません。
@KT-xo7hx
@KT-xo7hx 4 жыл бұрын
余計な事をやる上司より、 全て任せてくれる上司の方がある意味優秀。
@user-fx9zh8ec2d
@user-fx9zh8ec2d 3 жыл бұрын
自分で仕事せず、全部振ってくる上司・・・。人変えて欲しかったな
@KT-uh5bh
@KT-uh5bh 3 жыл бұрын
人の上に立つには無能な働き者より無能な怠け者の方がいいですね
@kappanouen
@kappanouen 4 жыл бұрын
最後の司馬昭との会話のとっさの危機回避能力はお見事
@azasuhou
@azasuhou 4 жыл бұрын
そう思う。これが劉禅の生きながらえる 為の策としての言葉だったら、すごい。 更にその後、郤正の助言を利用し、 暗愚に見せかけたのだったら、尊敬 できるな。
@上杉謙信-o9m
@上杉謙信-o9m 4 жыл бұрын
曹操の元に身を寄せていた劉備の雷を怖がってみせる シーンを思い浮かべますね^^
@douzujonn9402
@douzujonn9402 4 жыл бұрын
それでも、いいえ劉禅は、駄目人間とレッテルを貼る人はいるでしょう。
@harukasuzuki3939
@harukasuzuki3939 4 жыл бұрын
無能だったら、それこそ呉のようにもっと混乱してますからね。 英雄とはいえないまでも、まともな人だったかと。
@ローラン-j4q
@ローラン-j4q 9 ай бұрын
仮に曹丕が蜀を滅ぼした時に雑魚振ってそう。
@katsumi-na1198
@katsumi-na1198 4 жыл бұрын
夷陵で負けてからよく国が保ったよ!孫皓みたいなのが暗愚って言うんや
@KT-uh5bh
@KT-uh5bh 3 жыл бұрын
彼はむしろ能力はあったんだろうけどな…暗愚というより暴虐という言葉が似合うかと
@user-sr8fy3bw2f
@user-sr8fy3bw2f 2 жыл бұрын
あれは暴君だとおもう
@wonder7397
@wonder7397 4 жыл бұрын
ある意味「神輿」として最高の存在だった人。 名君ではないが、良識も常識も持ち合わせており、無茶な命令も出してこない。 そんな彼は孔明にとって一番の理想の君主だった。 劉備には恩が有るが、国家の宰相として思う存分腕を振るわせてくれるのは劉禅の他に誰もいなかった。
@steamelegance1121
@steamelegance1121 4 жыл бұрын
そうだったのか 三国無双の知識しかない俺にはいろいろ考えが変わった動画だぜ
@darkeknigt147
@darkeknigt147 4 жыл бұрын
劉備と諸葛亮を水魚の交わりと言いますが、実際に劉備が心から信用していたのは、旗揚げ当初から付き従い、義兄弟の契りまで結んだ関羽と張飛、そして徐庶ぐらいだったんでしょうね。 劉備は貧民出身、諸葛亮は地方役人の子とは言えある程度裕福な家庭の出身ですから、元々反りは合わなかったんでしょうね。
@後藤悠
@後藤悠 4 жыл бұрын
後は入蜀から漢中まで参謀として付き従った法正か、徐州時代から付き従ってくれてた糜竺・孫乾ぐらいか。けれどその分魏延を筆頭に癖の強い人物が付き従ったってのもあるのだけれども。
@轟天号貼ピコ
@轟天号貼ピコ 3 жыл бұрын
@@steamelegance1121 三國無双の劉禅も、じっくりゆっくり考えてから行動する為に愚鈍呼ばわりされてましたが、彼なりに自分の器もちゃんと理解しており、同時に他人を観る眼も、それなりの打算もしたたかさも臣民への思いやりも持ち合わせたそれなりの傑物として描かれてましたよ。
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 2 жыл бұрын
立憲君主制が確立していた時代に生まれていれば名君と評されていたかもしれない。
@usano
@usano 4 жыл бұрын
羅憲……。蜀滅亡後に火事場泥棒の呉の侵攻を永安にて守ったり、司馬炎に陳寿を推挙して「三国志」の成立にも間接的にかかわったりと知名度の割には有能な人ですよね。
@Artemis77
@Artemis77 4 жыл бұрын
自ら進んで悪政を行うような人物とは思えないです。 これだけは確か。
@宏-i6q
@宏-i6q 10 ай бұрын
40年治めたのは優秀な臣下がいたから、劉禅が無能のあたおかは変わらない。
@octdan6648
@octdan6648 4 жыл бұрын
蜀と劉禅の置かれた状況を考えると実は有能なのでは…と最近思ってる。
@GoGoBeePa
@GoGoBeePa 4 жыл бұрын
蜀復興の旗頭にもなりうる立場で人質になってて阿呆を演じる以外の道なんてなかっただろうね
@轟天号貼ピコ
@轟天号貼ピコ 3 жыл бұрын
この動画でも言われてますが、同時に魏に降った将兵達を必要以上の障害から護る意味も有ると思ってます。 なんだかんだ言いつつも、言われつつも劉禅もちゃんと最期まで蜀を支えた英雄達の一人だと思ってます。
@user-tf7ol2wy8r
@user-tf7ol2wy8r 4 жыл бұрын
本当に劉禅が暗君だったなら呉のように内部分裂して蜀は自壊してなきゃおかしいわけで・・・
@athshikawamoto6832
@athshikawamoto6832 4 жыл бұрын
確かに
@キュウベエ-k8z
@キュウベエ-k8z 4 жыл бұрын
それな
@darkeknigt147
@darkeknigt147 4 жыл бұрын
それに、暗君であるなら諸葛亮が早々に見切っていたはずですし、家臣の内紛も酷くなって、もっと早々と滅びてたはず・・・ 日本で言う豊臣政権の様にね。 そう言う意味では、劉備以上の才能があったと思う。
@user-ig9kj2gy7s
@user-ig9kj2gy7s 4 жыл бұрын
人の良い性格だったみたいだね。 乱世の時代では彼では国を守り切る力量が無いという点では暗君と言ってもいい。 だがこれが平和の治世であれば良君だったと思う。
@revibe22
@revibe22 4 жыл бұрын
晩年の孫権以降の呉をみるとねえ。暗愚の代名詞とは思えない
@maniaxsj3946
@maniaxsj3946 4 жыл бұрын
劉禅はやはり書きにくい存在の感じがしますね。 でも、比較的客観的に纏められていると思うます。 up主さん、お疲れ様です。
@mto8637
@mto8637 4 жыл бұрын
蜀が恋しいかと聞かれいいえと答えたという話を聞いて、 劉備が曹操暗殺計画に加担していた時に、曹操に真の英雄とは誰かと聞かれた話を思い出しました。 咄嗟の判断力を考えると確かに劉備の息子であることを感じさせますね。 面白い動画ありがとうございました。
@rosan6179
@rosan6179 3 жыл бұрын
すべての面において父劉備に及ばなかったので暗君という評価を受けているだけ 天寿を全うして穏やかな生涯を終えた所が今川氏真と似ている
@DENSUKEMK2
@DENSUKEMK2 4 жыл бұрын
劉禅が評価が見直されてきているという話は聞いたことはありますが、その根拠をわかりやすく解説してくれたのがよかったです。
@yasumikoi
@yasumikoi 4 жыл бұрын
19:57劉禅の暗君エピソードですが、たしかにあの一言で旧蜀の臣下たちはそれなりの扱いを受けられますしね。
@user-gd5op1rn6m
@user-gd5op1rn6m 4 жыл бұрын
能ある鷹は殺される世界ですからね。
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 Ай бұрын
あの時点でのかつて蜀漢に仕えてくれた旧臣下たちへの精一杯の援護射撃だったのかな・・・・・
@antiJJ
@antiJJ 4 жыл бұрын
元々、漢蜀は情勢的に詰んでいたからな。 大国である魏と戦うには兵も食料も資金もいる。 小国の蜀でそれらを賄い続けるのは難しかっただろう。 むしろ40年以上も保ったのは奇跡に近い。
@くおんたまき
@くおんたまき 4 жыл бұрын
名君か?と聞かれると悩みますが、確かに個人として突出したことは行っていません。しかし、暗君といわれるほど暴政をしたわけでもなく部下をうまく使っていたと思います。諸葛亮亡きあと大きな反乱も起こされていません。 優秀な(目立つ)人材が周りに多かったのと、蜀が滅亡した際の君主だったので評価は厳しくなりがちでしょうが、40年ほど治めたのですから決して無能ではなかったと思います。
@正木茂雄
@正木茂雄 6 ай бұрын
呉のニ宮の変や、西晋の八王の乱から比べれば、蜀は遥かにましだった。
@YH-nu7wc
@YH-nu7wc 4 жыл бұрын
陳祗は三国志14だと、劉禅の友好武将になってましたね。
@竹澤政樹
@竹澤政樹 4 жыл бұрын
昔三国志のTVゲームで、「劉禅名君化計画」と称して、劉禅のシナリオをプレイした頃のことを思い出しました。
@ウエストヴィレッジ
@ウエストヴィレッジ 4 жыл бұрын
日本の明治維新の「そうせい候」の毛利敬親に近い感じ 主君がどうこうってのがほとんどなくて、家臣ばっかり活躍してるし
@tomonaga1740
@tomonaga1740 10 ай бұрын
本当に暗君ならもっと反乱が起きてると思う
@MM-ts7wy
@MM-ts7wy 3 жыл бұрын
劉禅は暗君の代名詞の扱いだけど、この内容だとそうでもない。天下を争うには非力だけど、蜀だけなら十分治められたのかも。印象が少し変わりました。
@toreno0086
@toreno0086 4 жыл бұрын
「蜀は恋しくないですか?」のエピソード、もはや真偽は闇の中であるが 劉備が曹操を油断させた「雷怯子 ( らいきょうし )」の逸話を父から聞かされた身で 咄嗟に編み出したとんちであったとしたらなかなかどうして結構な才覚かもしれない
@user-ur2zr7kf9c
@user-ur2zr7kf9c 4 жыл бұрын
魏の張コウの解説が見たいです。正史と演義で大分評価が違うと思うので
@senkan888
@senkan888 4 жыл бұрын
勝手に劉禅は北伐に積極的では無かったと思っていたがこの動画を見て考えを改めざるを得なくなった。やはり人生の大半を戦場で過ごした親父の軍人の血を引き継いでいたという事か。『ここは楽しい蜀に戻りたいとは思わない』の台詞は本心だと思う。圧倒的劣勢な戦争を続け疲弊した国を纏め続ける事は我々庶民には想像もできない程過酷だった筈だ。重責から解放され安息の日々を得られた事を劉禅は喜んでいたと思う
@上杉謙信-o9m
@上杉謙信-o9m 4 жыл бұрын
織田家の武将、滝川一益は後に関東の上野国と関東管領の地位にまで 登り詰めますが茶器を欲しがった。 茶器を与えられることはたしかに織田家重鎮として認められた事になりますが 本心はスズメの生き方、寝首をかかれる心配をせずに自由に生きて行けるそれを望んでいた言葉が 残っており名将であるほど日々の重圧は相当なモノだったんだろうなと思わされます。
@島悟-o3u
@島悟-o3u 4 жыл бұрын
張嶷の玉砕もかなり堪えたかもしれません。
@tama109ful
@tama109ful Жыл бұрын
なんか徳川秀忠に近い空気を感じる
@tststs2222
@tststs2222 2 жыл бұрын
蜀の国力をみると、よほど非凡で臣下にも恵まれていないかぎり、勝ち目のないつらい状況で、それでも何十年も耐え、全滅をさけ生涯をまっとうできたのは、結構な人物だったのだと思っております。
@Alfort.
@Alfort. 4 жыл бұрын
平地から大軍で攻められるうえ兵站も楽な荊州を失った時点で北伐は積んでましたね!そう考えると劉備の夷陵の戦いって本気で北伐するには必要だったし、戦略的意図があってに戦いだった気がします😔マケチャッタケド。。。結論から言うと関羽が全部悪い😭
@darkeknigt147
@darkeknigt147 4 жыл бұрын
関羽のせいだけではないけどね。 劉備だって、本来なら一番やっちゃいけない事をやってしまったし、その結果、国を大きく傾けてしまって、諸葛亮に負担をかけさせてしまったからね。 (本来は、その敵意を呉ではなく魏に向けるべきだったんですがね・・・)
@デンジャラスマジキチ雄
@デンジャラスマジキチ雄 4 жыл бұрын
結局のところ個人的には鳳統の死がでかいと思います 関羽…荊州には所謂軍師役が居なかったんですよね〜 北方さんも言ってたんですが、劉備と諸葛亮は関羽を信じ過ぎていたんですよね 関羽は飽くまで軍人なのにね… 鳳統が生きていれば軍師役が荊州に行く事ができ、色々変わったかもしんない(語彙力)
@jsetagaya1482
@jsetagaya1482 Жыл бұрын
自分的に劉禅というと今川氏真と被るんだよな
@user-rx1zo1iw6w
@user-rx1zo1iw6w 4 жыл бұрын
動画を見ていたら三國志がしたくなって三國志11をsteamで購入してしましました。 今は春節でセールしていたので。 劉禅は私も子供の頃から暗愚な皇帝とは思っていませんでした。 目立たないけれども、歴史の流れを把握できる悲しい皇帝だと思っていました。 劉備の息子で、趙雲に助けられ、諸葛亮を師事し、姜維を登用した非凡な人物でした。 そのような人物を暗愚と評する歴史とは、いったいなんなのでしょうね。
@ファインダー越しの艶やかな豆腐
@ファインダー越しの艶やかな豆腐 4 жыл бұрын
無双の「見通した上で無能を演じてる」感じが好き。演義ベースの無双の中じゃ史実寄りなんじゃないかしら
@user-1853
@user-1853 4 жыл бұрын
確かに無双の中ではかなり史実寄りに作られていると思います。
@エンリコサイモン
@エンリコサイモン 3 ай бұрын
多分、厳しい環境の中自分の出来ることをその場その場で一生懸命やった人だと思うのですが、どうでしょうか?(ざっくり視聴)
@user-th1lk9yv5m
@user-th1lk9yv5m 4 жыл бұрын
阿保は始皇帝が建造しようとした阿房宮(あぼうきゅう)から来ているともいいますね
@松尾健治-b2i
@松尾健治-b2i 4 жыл бұрын
阿房宮は(あほうきゅう)そこからアホと言う言葉が (違ってたらごめんなさい)
@ミスターD-v1r
@ミスターD-v1r 3 жыл бұрын
能力からしたら劉禅の行動が最適だったと思う。
@轟天号貼ピコ
@轟天号貼ピコ 3 жыл бұрын
才能に恵まれなかったぶん無駄な欲も出さず、暴君に堕ちる事なくちゃんとバランサーとして機能し、劉備を喪い滅亡寸前だった蜀を立て直した英雄達の一人だと思ってます。
@user-vu9xv6lh4h
@user-vu9xv6lh4h 2 жыл бұрын
暗君か名君か0か100かってのは結構極端な話しだと思う 極端な暴政はしてないけど本人から出た政策は後宮増やそうとか現状に即してない政策で40点位の人間って印象
@正木学-n8c
@正木学-n8c 4 жыл бұрын
司馬昭に弑逆された魏の皇帝曹髦に比べると幸運だったと思う。
@パグ13
@パグ13 4 жыл бұрын
劉禅は、孔明が憧れた管仲の主君、桓公タイプの人だと思います。 桓公はかつて自分の命を狙った管仲を許して信用し、名君としても有名ですが、管仲から注意をされていたにもかかわらず自分の子供を食材にした料理人を管仲の死後重用して、自分の死の遠因や、また死後も遺体が数十日放置されて虫に食べられたりなど、部下を信用して任せるのは美しいですが、部下に流されてしまうタイプ、だと思います。 鄧艾の決死すぎる作戦(ハンニバル並み!?)や「故郷が恋しくない」発言(いくらなんでも演技か、魏はいい国だというお世辞ぐらいの意味でしょう)がなければや劉備のように評価されたのではないでしょうか。
@パグ13
@パグ13 4 жыл бұрын
君主が、優秀であっても部下に国や軍を任せるというのは、君主のプライドや謀反の恐れという点 から一番難しい事だと思うので、桓公も劉禅も、皇帝になるまでの劉邦も立派だと思います。
@mrinharnbr2
@mrinharnbr2 3 жыл бұрын
なるほど、本当に暗君ならあの時代で40年も帝位で居続けることは難しいと思いました。蜀が恋しくないという発言は確かにご名答だと思います。
@user-cm8xh6zi2t
@user-cm8xh6zi2t 4 жыл бұрын
朧西群と言う地域に魏の軍事l拠点が作られると、蜀の都である成都を直接攻撃が出来るから、北伐は防衛上仕方なかったんですよ。蜀が滅びた時は長安から10万 陳倉から3万 朧西群から3万の兵が蜀に同時進行して、一気に滅ぼしています。
@shou-sho
@shou-sho 4 жыл бұрын
隴西は成都から直線で500km以上離れてますよ。(街亭の西200kmで敦煌の手前です)  姜維が隴西の近くにいたので鄧艾がオトリになり、諸葛緒が退路をふさぐ。総大将の鍾会が空っぽの漢中を通過して一気に四川盆地を狙うというのが蜀滅亡時の作戦です。 実際には、姜維は鄧艾と諸葛緒を振り切って四川盆地入口の剣閣まで逃げ切りましたけど。
@fnami1941
@fnami1941 3 жыл бұрын
ゲーテ「活動的な馬鹿より恐ろしいものはない」 劉禅「自分は馬鹿だから行動しない」 ある意味賢い
@maniaxsj3946
@maniaxsj3946 2 жыл бұрын
晋書にある263年の蜀で起きた地震も蜀滅亡に大影響を与えている可能性もあると思います。
@もりもり-f1e
@もりもり-f1e 4 жыл бұрын
劉禅の「解説」&「独自の考察」、非常に興味深い内容で楽しく視聴させていただきました。 暗君のイメージしかなかったですが(横山先生の影響が大きいですが…)こうして、細かい解説を聞くと国家運営におけるリーダーとしての素質は非常に高かったのでは?と考えさせられますね。 戦乱の時代では評価されにくい部分ははありますが、近代基準の政治家として考えれば「調整能力」に優れた指導者なのかもしれませんね。 動画のリクエストです。 三国志がテーマの「ゲーム」「漫画・小説」「アニメ」などの解説をしてみてはいかがでしょうか? 多くの日本人が三国志にハマるきっかけを作った作品を独自解説で見てみたいです! 後、今回の解説にも出てきた「鄧艾」も解説していただけたらうれしいです。 ※苦労人系偉人が大好きなので(汗)
@maniaxsj3946
@maniaxsj3946 4 жыл бұрын
もりもり 様 横山光輝先生も、吉川英治先生の考えに添いながらもキャラクターの絵の中で劉禅の苦悩を垣間見させている感じがします。 せめて、「ここも楽しい」発言のところで、吉川英治先生の『これが悟りの言葉だったら。腹から出た言葉だったから哀れだ』も横山光輝先生も書いてほしかった。 とはいえ、私見では元配下を守ろうとした説を取りたいです。
@user-wu9fz9mn3b
@user-wu9fz9mn3b 4 жыл бұрын
とても良かった
@reizoukoreizouko
@reizoukoreizouko 4 жыл бұрын
意外でしたね。暗愚のイメージが強かったので。 やった事実のみを見れば、むしろ優秀の部類。ただ、彼の前に劉備や諸葛亮がいたために霞んでしまう、くらいの感じやろか。
@KT-uh5bh
@KT-uh5bh 3 жыл бұрын
劉備が諸葛亮への遺言で「我が子に才がなければ君がとって変わってくれ」と言われた上で亡国の君主になればそれだけでマイナスイメージが増すのは仕方ないかと。
@user-cg7cw6se9w
@user-cg7cw6se9w 4 жыл бұрын
蜀が恋しいか→いいえ→暗君  は、短絡的な評価だと思いますね。むしろここで「いいえ」を選択できる劉禅は優秀だと思います。
@rscim2033
@rscim2033 4 жыл бұрын
会社が吸収されて、新しい会社で安泰させられている立場で、新しい会社連中との会食で「昔の会社は良かったですね~」と言えるだろうか?言えるまいね。
@やまっちぇ
@やまっちぇ 4 жыл бұрын
後漢の劉秀も兄が殺されたにも関わらず殺した相手に謝罪してましたからね。
@kelberous471
@kelberous471 4 жыл бұрын
この発言は蜀の家臣に気を使った発言だと思ってますね。劉禅の一族や臣下のうち50人が貴族になれたそうですから。張飛と趙雲、諸葛亮の子孫も貴族になれてます。関羽の一族はホウ徳の息子に根絶やしにされましたが。呉の孫皓の方が暴君で暗君ですよ。トンチで司馬炎を怒らせてましたから。
@かれーぱん-o5s
@かれーぱん-o5s 4 жыл бұрын
曹操相手に雷でビビったフリした親父さんと同じで、良い意味で狸もできる人だったんでしょうね
@やまお山田
@やまお山田 4 жыл бұрын
処世術には長けてると思う。
@miyata56001munenori
@miyata56001munenori 4 жыл бұрын
治世安定した三代か四代 なら歴史に残る名君なれたかも
@user-lt7uf5he6t
@user-lt7uf5he6t 4 жыл бұрын
治世が安定してる3代目や4代目に歴史に残る名君なんてないやろ。 維持するだけが歴史的名君はないやろ。
@miyata56001munenori
@miyata56001munenori 4 жыл бұрын
@@user-lt7uf5he6t さん 言葉が足りなかったですね 多分リュウゼン軍人ではなく文官向き 演義だと無能 その他歴史書だとあまり出て来ないけど、無能とは書かれてはいないですよね 一代目 創業者 土台と理想を作る 二代目 後継者 理想を現実合わせる 安定させる 三代 からその後 安定したからこそ見えてくる 一代目二代目の余分や無駄な部分を直したりする
@user-gx7cr2rh4b
@user-gx7cr2rh4b 3 жыл бұрын
後北条氏の氏政公と同じく亡国の君主だったせいでボロクソに言われちゃってるパターンよね。冷静に見てみるとやれる事は頑張ってやり切ってる。昨今劉禅再評価の流れが来てて嬉しい。
@my-eg8ge
@my-eg8ge 4 жыл бұрын
劉禅が洛陽に送還されたのは鍾会の乱の後ですからね。乱に巻き込まれて斃死しなかった事を宮城谷昌光氏の三國志では「劉禅の徳が尽きていなかった証しである」と書いていますが僕も賛成です。
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 4 жыл бұрын
宮城谷先生、北方先生、司馬先生はまさに自分の憧れです (。・ω・。)
@wonder7397
@wonder7397 4 жыл бұрын
司馬昭も蜀滅亡後すぐに病死しているので、おそらく劉禅は司馬昭に会っていないと思います。 おそらくこの宴席は司馬炎が皇帝となった後、祝賀の席に劉禅が呼ばれた時の出来事かと。
@gaina222
@gaina222 Ай бұрын
劉禅が継いだ時点で蜀詰んでるから責任負わせるの可哀想、魏とか権力争いで真っ先に国乗っ取られるし 関羽と劉備が割と戦犯
@梅原正洋
@梅原正洋 3 жыл бұрын
ある意味、人を上手く使うという意味では高祖・劉邦に近い素質があったんかもなぁ。カリスマ性と周りの人材の厚さは伴わなかったが。平和な時代なら名君だったかも
@user-kt5kv8oo4l
@user-kt5kv8oo4l 11 ай бұрын
劉禅は英邁では無いが暗君でも無い。 嫉妬して有能な部下を殺害したりはしていないし、無理な賦役を課したという逸話がないだけでまともな部類。 国力的には滅びるべくして滅びた、程度の差が元々あったからね。黄皓を重用したとて別に大筋は変わらんよね。
@かきくけこ-i1j
@かきくけこ-i1j 4 жыл бұрын
あれだけ国力が衰退した弱小の蜀の皇帝じゃあ誰がやっても滅ぶ運命だしな。 もしかして劉禅が皇帝じゃなかったらもっと早く滅んでたかもね
@user-td4wg3pj3e
@user-td4wg3pj3e 7 ай бұрын
本当に暗君なら五丈原の戦いで負けて諸葛亮が病没した時点で付き従う人居なくなると思うよ。
@松尾健治-b2i
@松尾健治-b2i 4 жыл бұрын
個人的には、劉禅は優秀だと思います。 1.40年皇帝の籍に置く事ができた事 2.蜀が無くなった後、司馬昭に「国が無くなって悲しくない?」「戦に破れて悔しくない?」と色々言われても怒らず我慢した事で、元蜀の将兵を守った事です。
@GUMi-mq8bz
@GUMi-mq8bz Жыл бұрын
あそこでバカ殿になってなければおそらく政変のどさくさでついでに死んでたでしょうね。
@user-xm2xy9su3q
@user-xm2xy9su3q Жыл бұрын
在位期間が長いだけで優秀? 2に関しては演義の話で劉禅信者の妄想でしかないんだが
@armcrome6151
@armcrome6151 4 жыл бұрын
ぶっちゃけ生まれる時代を間違えた人物。勢力として安定した王朝の2代目(日本で言う徳川秀忠など)として君臨できれば名君として名を残せただろう。
@後藤悠
@後藤悠 4 жыл бұрын
同時期に言えば、曹叡・曹芳・曹髦あたりの立ち位置で生まれていれば、魏は安定して司馬氏に実権を取られずに済んだかも知れないと思うと、ちょっとワクワクしたり。
@user-is9zj3oq4c
@user-is9zj3oq4c 4 жыл бұрын
劉禅がアホだったなら、袁術のごとく蕩尽した話や、孫権のごとく疑心暗鬼に陥って信用を失っていく話が次から次に史書に書き込まれていただろうけれど 劉禅をけなす話は蜀漢滅亡のころまで出てないですね。
@darkeknigt147
@darkeknigt147 4 жыл бұрын
劉禅が本当に暗君だったら、とっくに諸葛亮は見切ってるし、蜀は近い将来内紛で自滅すると読んで司馬懿なんかは警戒しなかったはず・・・ それを最後まで警戒したのは、単に姜維の才を恐れていただけではないはず 劉禅に、劉備以上の人柄や才能を感じていたからだと思う。 劉禅は、あえて暗君の「フリ」を演じていただけだと思う。
@mitsuboshipowers
@mitsuboshipowers 3 жыл бұрын
僕も劉禅擁護派でしたが、今回の視点には目から鱗が落ちました。 何より、この動画を見て北朝鮮の金正日を思い出してしまった。
@hai-tyuu_2012
@hai-tyuu_2012 4 жыл бұрын
英雄と呼ばれる程の人物じゃなかったかもしれないが、部下思いで国を維持していた名君ではあったんだろうな、とは思う・・・・
@user-td4wg3pj3e
@user-td4wg3pj3e 7 ай бұрын
多分劉禅の良い所が乱世と言う時代背景にマッチしなかった。感じかな 当時はのし上がって実績作った人物が名君扱いされる時代背景だっただろうし。 対外と戦する必要が無かった江戸時代中期頃だったら確実に名君でしょう。
@user-dk4hl3he3c
@user-dk4hl3he3c 4 жыл бұрын
父親である劉備の遺言をしっかり守って諸葛亮や蜀の重鎮たちの意見を取り入れ国を運営してたからこそ魏や呉みたいに内紛が勃発せずにいられたんだろうね。 魏に降って蜀滅亡の際も自分が下手に残ることで民を扇動しかねないと考えたからこそ蜀を出ていったんじゃないかなぁと今では思うけどね。あと劉禅は割と長生きだったんだよね
@user-sy2dq9tz3f
@user-sy2dq9tz3f 4 жыл бұрын
実際、蜀は魏や呉と違い、大きな内乱起こるぐらい国が乱れることはなかったのは劉禅が臣下をまとめていたからなんだよね。 劉禅は曹真に並ぶぐらいの「演義被害者」だと思う・・・・
@siro157
@siro157 4 жыл бұрын
劉禅は自分の持てる器量の中でやれることはやったんでしょうね。 分かりやすい良い動画だと思います。春秋戦国時代の超の考成王みたいな 暗愚なイメージはなくなりました。
@siro157
@siro157 4 жыл бұрын
劉禅は自分の持てる器量の中でやれることはやったんでしょうね。 分かりやすい良い動画だと思います。春秋戦国時代の超の考成王みたいな 暗愚なイメージはなくなりました。
@ut7679
@ut7679 3 жыл бұрын
劉禅は色々と言われるが 言われるほどの暗君ではないが名君でもないって感じです。 劉備没後の孔明体制と孔明没後の蒋琬体制時に彼らに任せることが出来たのは英断と思うし 荊州閥と益州閥のバランスをうまく取っていたと思う 周りの有能な臣下達が挙って早くに亡くなってしまったのが悔やまれる。
@dablet77777
@dablet77777 3 жыл бұрын
解説聞いたら、Steamでコーエーの三国志どれか買いたくなりました。しかし実際遊ぶと溜息が出るんだよなぁ・・・
@はれはれ-t5p
@はれはれ-t5p 4 жыл бұрын
糜竺の妹を母に持ち父は劉備 漫画等に描かれているようなボンクラになるように思えないんだがな 後世に伝わる姿と真実は異なり曹操、劉備もまた同じく
@HISASHI1981
@HISASHI1981 Жыл бұрын
三国無双シリーズの劉禅は飄々としつつも自分と蜀を取り巻く状況を冷静に捉える視点も持ち合わせたキャラとして描かれてますが、案外これって劉禅の実像に近いのでは?という個人的感想です🤔
@島悟-o3u
@島悟-o3u 4 жыл бұрын
姜維が他の人から辛口評価なのに対して劉禅は姜維に関して何も言わなかったことから北伐に関してはやや実行的だったんだろうとは思っていました。(蒋延や姜維に肩を持ちすぎれば北伐反対派から反乱が起きる可能性があったからか) 董允に妾を増員しようとして怒られた話(史実だったと思うが)もあってかあまり印象は良くなかったんですがなんだかんだ言って劉備の意志は継いでいたことがわかった良い動画でした。ありがとうございました。 劉禅の暗愚話は司馬昭あたりの策略だったかもしれません。そうすれば蜀を復権させようとする者の戦意を大幅に削げますし。(まだ引っ掛かる部分はありますが)
@ouiilest
@ouiilest 4 жыл бұрын
この動画見ると暗君とは言えない印象を持った。 北伐派と反対派との対立がずっとあった中で、決定的な政争を起こさせずに自らのポジションを保つのは君主として無能では出来ないはず。 まあそもそも外征反対は劉禅の正当性の立場上、認められない、それを認めると自分が蜀に君主として居ることが間違ってることになり、魏に投降しなければならなくなる。
@片耳オーディオr
@片耳オーディオr Жыл бұрын
正直劉禅は辛抱強く、程々有能だと思う。 諸葛亮が人を育てるのが下手。自分が生きている内に何度も親征させて経験を積ませるべき。内政に関してもある程度の領土を自分で運営させてみて経験を積ませるべき。なんの経験もさせず40歳を迎え暴君にならず、部下を反乱させず控えめにいる事の難しさ。昔の40歳なんていつ死んでもおかしくない。
@Bow-Hunter-777
@Bow-Hunter-777 4 жыл бұрын
霊夢の台詞「カリスマ性や非凡な優秀性は無かった」とありますが劉禅を擁護するなら彼はそれらを磨く機会が無かったと思われます 個人の「才能」というのは磨き続けなければ簡単に劣化します 本来才能を磨く期間である青年期に諸葛亮を始めとする重臣達にその機会を取り上げられたとも言えます その重臣達がいなくなった時点で劉禅はもはや中年の域 20年以上才能を磨く事が出来なければ如何に劉禅が優秀だったとしても暗君レベル迄劣化するのは当然の帰結と言えます
@TK-cy2hm
@TK-cy2hm 4 жыл бұрын
まあ胡亥よりははるかに有能ということで...
@user-tv8gx7xt4i
@user-tv8gx7xt4i 4 жыл бұрын
劉禅大好き 蜀大好き
@gohgoly
@gohgoly 3 жыл бұрын
魏における司馬氏のような権臣の台頭を許さない政治力は皇帝として並の手腕ではないですね!
@YH-nu7wc
@YH-nu7wc 4 жыл бұрын
某ゲームだと数値が1~100で表される中で、酷い数値になることが多いですが、実際はどのくらいの数値でしょうかね。 流石に統率3武力5知力4政治9なんてことはないと思いますが。 個人的には、統率20武力10知力60政治60(魅力は80)くらいはありそうです。
@daisukenakayama375
@daisukenakayama375 3 жыл бұрын
統率30 武力8 知力58 政治65 魅力80くらいでお願いします。
@だも-s7g
@だも-s7g 2 жыл бұрын
まぁあれは3594 三国志の語呂合わせで完全にネタでしょう
@渡邊-y1v
@渡邊-y1v 4 жыл бұрын
登録したよ😃 まじ三國志大好き ろしゅく最高😃⤴️⤴️
@kazmiiii
@kazmiiii Жыл бұрын
赤ちゃんのころ父親に地面に叩きつけられてるでしょ。 アホだとしてもDV親父のせい。
@user-np8ys8ye9z
@user-np8ys8ye9z 4 жыл бұрын
これ以上好きなジャンル増やすと脳みそキャパオーバー秒読みなるぅ~^
@どうあがいても絶望感
@どうあがいても絶望感 3 жыл бұрын
劉禅は名君だと思う。在位40年は三國の皇帝でも最長だし大きな内乱がなかった。 孫権は二宮事件起こしてるし 曹丕は身内を冷遇しすぎで司馬氏の専横を招き内乱のきっかけをつくった
@user-kc2dq5kh5t
@user-kc2dq5kh5t 4 жыл бұрын
暗君ではないけど名君でもない
@アルティアフリスト
@アルティアフリスト 4 жыл бұрын
呉と火種を残さず荊州を完全に領有してる事が天下三分の大前提だったのに建国の時点から失敗してるからなぁ
@wbiwki
@wbiwki 4 жыл бұрын
関羽一人に任せ過ぎた結果だな。呉とは諸葛亮が交渉するべきだった。
@nagoyashimin569
@nagoyashimin569 4 жыл бұрын
呉の防衛戦略上長江沿岸の大都市の確保は絶対条件だったから、誰がやっても結局対立することになったと思う。
@meethy2487
@meethy2487 3 жыл бұрын
蜀っていっつもいいところで重要人物がやらかしたり死んだりしてるイメージ
@99km15
@99km15 4 жыл бұрын
暗君では無かったと思いますが、せめて優秀な人材を集められていられれば…と思ってしまう人物です 他国のように熾烈な後継者争いなどは無かったのですから、人材さえ揃っていれば蜀はもう少し長く続いたように思います
@kuku4481
@kuku4481 4 жыл бұрын
あと蜀漢滅亡時益州南部に霍弋が統制した軍もいたのでそれを頼って南部で抵抗という選択肢もあったのかもしれません。
@mofumofupotekiti08
@mofumofupotekiti08 3 жыл бұрын
徳川慶喜みたいだな。
@くみた-z5m
@くみた-z5m 4 жыл бұрын
人物紹介が面白くて過去の動画をイッキ見しちゃいました! 当初は地声だったんですねw
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 4 жыл бұрын
最初の頃の想定は、今の「中田敦彦のKZbin大学」みたいなものだったので(笑) 先を越されてしまったので、今の形に行き着きました( ´∀`)
@yamadachou
@yamadachou 4 жыл бұрын
漢の復興=北伐は蜀の存在意義でもあり、蜀の求心力。だからこそ続けることに意味があったんだろう、と思います。他方で、魏との国力の差はどんどん開くばかり。その意味で、北伐派と反北伐派との対立は理解できるし、それをうまくバランスとって40年以上国を運営しえた劉禅は暗愚とは思えません。
@胡蝶しのばない
@胡蝶しのばない 4 жыл бұрын
マジでこのチャンネルはKZbinジャパンの三国志関連の動画シリーズで1番勉強になる。 マジで売れないフリーランスのライターなんかよりも三国志関連の著書を出版社に持ち込んでみては? 買いますよ。
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 4 жыл бұрын
ありがとうございます! そう言っていただけると、とても嬉しいです!! 現在、オリジナルで三国志小説の短編集を制作中です!! 今月中には情報を出せると思いますので、ぜひぜひお待ちいただければなと!! これからガンガンと活動していきますので、今後ともよろしくおねがいします!(笑)
@胡蝶しのばない
@胡蝶しのばない 4 жыл бұрын
試験に出る三国志 読ませていただきます。
@maniaxsj3946
@maniaxsj3946 4 жыл бұрын
劉禅の弟の劉永、劉理を通して、蜀の政治バランスを見ていただけたら面白いかな、と思いました。
@cesiria1973
@cesiria1973 4 жыл бұрын
「暗君」ではないかもしれないが「名君」ではない 異民族を有効活用できなかったのが北伐の敗因かな
@kuku4481
@kuku4481 4 жыл бұрын
費禕についてですが、北伐反対派ではなかったように思えます。確かに費禕政権では大規模な北伐はありませんでしたが、国内の体勢が費禕のコントロール下になるように下準備をしていたのではないでしょうか。 董允の死後尚書令を継いだ呂乂が没したのが費禕が一時成都に帰還した251年であり、費禕が取り立てた陳祗を尚書令としたのもその年です。翌252年には大将軍府の開府が許されますが翌年の正月に費禕は暗殺されています。 費禕暗殺の同年、陳祗・姜維中心の新体制になった直後にも拘らず姜維は万単位の北伐を行っているので、この北伐は費禕の存命時からの計画だったのではないかと思います。姜維主導の北伐で事前に成都に帰還しなかったのはこの時だけ(256年の北伐は255年の北伐と同一作戦と考えます)なのもそう思う一因です。
@user-zz4tq5rh2p
@user-zz4tq5rh2p 4 жыл бұрын
最前線、漢中で迎えた対魏戦 守将諸葛瞻が大量に兵を失い、諸将も勢いを見せず惨敗だった 成都に響く民のため息、どこからか聞こえる「今年は滅亡だな」の声 無言で帰り始める将兵達の中、昨年の大将軍姜維は独り宮殿で泣いていた。 北伐で手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できる戦友たち・・・ それを今の蜀で得ることは殆ど不可能と言ってよかった 「どうすりゃいいんだ・・・」姜維は悔し涙を流し続けた どれくらい経ったろうか、姜維ははっと目覚めた どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たい床の感覚が現実に引き戻した 「やれやれ、帰って戦略の練り直しをしなくちゃな」姜維は苦笑しながら呟いた 立ち上がって伸びをした時、姜維はふと気付いた 「あれ・・・?諸官がいる・・・?」 宮殿から飛び出した姜維が目にしたのは、大地の果てまで埋めつくさんばかりの将兵だった 千切れそうなほどに軍旗が靡き、地鳴りのように将兵の鬨の声が響いていた どういうことか分からずに呆然とする姜維の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた 「ハクヤク、軍議だ、早く行くぞ」声の方に振り返った姜維は目を疑った 「か・・・関羽殿?」  「なんだ伯約、居眠りでもしてたのか?」 「しょ・・・諸葛元丞相?」  「なんだ姜維、かってに孔明を引退させやがって」 「玄徳様・・・」  姜維は半分パニックになりながら面々を見渡した 劉備 関羽 張飛 諸葛亮 趙雲 黄忠 馬超 龐統 法正 暫時、唖然としていた姜維だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった 「勝てる・・・勝てるんだ!」 簡雍から剣を受け取り、戦線へ全力疾走する姜維、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった・・・ 翌日、宮廷で冷たくなっている姜維が発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 4 жыл бұрын
(姜維が仲間になったときは、諸葛亮と趙雲以外は死んでいて、丞相職は諸葛亮だけだったので、「元」とつける必要もなく……なんてマジレスは野暮かしらん?(笑))
@だも-s7g
@だも-s7g 2 жыл бұрын
思ってる以上に愛されていた君主だったのかもしれませんね
@岸辺緑
@岸辺緑 4 жыл бұрын
ゲームだと知力の高い武将の策は高確率で成功する一方、兵士や金穀のような資源には上限がある。 しかしリアルでは蜀に勝ち目はなさそう
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