国鉄時代の運転経路がちょっと変わった急行・特急列車をまとめてみた【ゆっくり解説】

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ゆっくり鉄道博物館

ゆっくり鉄道博物館

Күн бұрын

Пікірлер: 224
@bbaa7722
@bbaa7722 Жыл бұрын
白鳥はハロシハハハの6両を2セット繋いでたんだよな。
@espacekyoto
@espacekyoto Жыл бұрын
3:26 内房(UCHIBO)外房(SOTOBO)ヘッドマークのローマ字表記と字幕が間違っています。
@浩樹山本-x7f
@浩樹山本-x7f Жыл бұрын
上野駅ゆき「信越白鳥」は碓氷峠を越えていたことになりますね。
@k82kodera
@k82kodera Жыл бұрын
私は、10歳くらいのころ、「白鳥」に乗車したことがありますよ。すごく長い旅でした。懐かしいですね。
@カメイドイチロー
@カメイドイチロー Жыл бұрын
運転経路が変わった列車と言えば、かつて上野〜新潟間を、上越線を通らずに結ぶ「いいで」と言う気動車急行がありました。 「いいで」と言う列車名称は、沿線から望める飯豊(いいで)連峰が由来となっていました。 上野〜郡山間は、同じ急行の「ざおう」(上野〜山形間)に併結され、キハ58系12両編成で運転されました。 東北本線を北上し、郡山駅で「ざおう」5両編成の分割が行われ、「いいで」は東北本線から磐越西線に入り、会津若松駅で当駅折り返しの「いいで」3両編成が分割され、残りの4両編成だけが磐越西線、信越本線を経由して新潟駅へ向かいました。 急行「いいで」は、約7時間半かけて、上野と新潟を結んでいたそうです。
@user-nak7etahew
@user-nak7etahew Жыл бұрын
上越線全通前はオーソドックスだったルートですね。
@もりわききくお
@もりわききくお 7 ай бұрын
ヨンナナサンダイヤ改正前の急行しんじも1往復変わったのがありました。宇野から岡山を経由で伯備線で米子に抜け山陰本線を走行して益田から山口線に入り、小郡(現在の新山口)まで行く運用がありました。
@せたかみずき
@せたかみずき Жыл бұрын
現代だと最長距離昼行列車は「にちりんシーガイア」ですね。 全区間乗りとおしたことがあります。いわゆる宗太郎越えのところでは ろくにスピードが出せずにいましたね
@kojika-monogatari
@kojika-monogatari Жыл бұрын
「のべやま」の小淵沢~塩尻は,みどり湖経由ではなく,辰野経由だったと思われます。
@denjiko1372
@denjiko1372 Жыл бұрын
えちごトキめき鉄道観光急が能生駅を運転停車するのは、この能生騒動を元ネタにしているらしい
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
もし485系が残っていれば、譲り受けて仕立ててみたら…? ないか、ソレは…
@魔改造人間
@魔改造人間 Жыл бұрын
白鳥能生事件については、本社から客扱いしない旨の通知がなかったのは国鉄本社としてはそんな駅に客扱い停車するわけなかんべえよ、ってことでわざわざ通知する必要はないと考えたからだと言われています。
@坂田庄司-g6n
@坂田庄司-g6n Жыл бұрын
かつて名古屋から岐阜へ、そこから高山本線で富山、更に北陸本線で米原、東海道本線を岐阜を通り名古屋へというディーゼル急行列車があり、ルートの逆パターンもあり、それぞれ「こがね」「しろがね」という名称だった。個人的には高山本線を富山へ行き、北陸本線を糸魚川へ、大糸線を松本へ、篠ノ井、中央西線を名古屋へという列車もあって良かったのではと思った。
@君塚郁夫
@君塚郁夫 Жыл бұрын
循環キュウリとしては、 盛岡発盛岡行きの急行そとやまと急行ごよう、 札幌発札幌行きのいぶり もありましたかね。
@拉麺男-n4v
@拉麺男-n4v Жыл бұрын
懐かしい。大阪駅とJR難波駅・南海新今宮駅を結ぶなにわ筋線開業すると、久宝寺からおおさか東線、なにわ筋線、大和路線を経由する普通または快速運行されるかも。
@motoyukihirai777
@motoyukihirai777 Жыл бұрын
盛岡から釜石線と山田線を通って盛岡に戻る急行もありましたね。五葉とそとやまでしたっけ。
@アンリ-e8t
@アンリ-e8t Жыл бұрын
青森白鳥15時間の旅死ぬまでにトライしたかった〜!😊
@bbaa7722
@bbaa7722 Жыл бұрын
急行いぶりも循環列車だったな。札幌ー苫小牧ー登別温泉ー伊達紋別ー倶知安ー余市ー小樽ー札幌のルートで。 しかも札幌ー苫小牧はえりも、ちとせと併結の3階建て、苫小牧ー伊達紋別はちとせと2階建て、倶知安ー札幌はらいでんと2階建てで、単独で走ったのは胆振線内だけ。ちなみにいぶりはキハ22形1両だった。
@mkrsknkarkw
@mkrsknkarkw Жыл бұрын
なぎさ、みさきはDC時代かつ 大網スイッチバックだから出来た 165だと方転するし 電化時点で止めてるはず
@AS-wt8vq
@AS-wt8vq Жыл бұрын
昔々、白鳥を青森から大阪まで乗り通しました。指定席に座りましたが満席で食堂車には行けませんでした~。 車販は利用出来たが、そのうち車両も空くだろうと思ったんですが、結局増々混んできて大阪まで通路までも一杯だったので食堂車は行けず仕舞い。 昼行列車の食堂車は一度行ってみたかったんですが。
@hmm-ec7ed
@hmm-ec7ed Жыл бұрын
「白鳥」一度乗りたかったですね。昭和末期の鉄道雑誌の乗車リポートには途中駅でのお客様の入れ替わりが激しい旨記載がありました。高速道路が少なかった時代、重宝された特急だったのでしょうね。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
十津川ドラマにもなりましたし、宮脇俊三先生も乗車し、食堂車で食事も…
@第四軍道
@第四軍道 Жыл бұрын
高校時代の修学旅行で「白鳥」を大阪~青森まで全区間乗りましたが まともに楽しめたのは直江津あたりまでであとは先生も生徒も爆睡に次ぐ爆睡だった覚えがあります このあとJRの青函連絡船の深夜便では船室に全生徒を収容しきれず新聞紙を通路に敷いて寝ていました そして特急北斗で旭川まで出て網走までバス・・・30時間移動しっぱなしという男子校ならではの超ハードスケジュールでした さすがに帰路は飛行機移動でしたがこうした旅程も我々の代が最後で次の代からは往復とも飛行機になったようです
@user-fn3it1hiro
@user-fn3it1hiro 11 ай бұрын
懐かしく拝見しました。大学時代雪に憧れ、白鳥に4回乗りました。いずれも青函連絡船を利用して北海道へ。一番長かったのは釧路までおおぞらに乗り継いで行きました。若かったけどさすが釧路に着いた時は腰痛で動けなかった。懐かしい思い出です。あと金沢から急行しらゆきで青森へ。初めて急行と青函連絡船を乗り継ぎました。今では毎月飛行機で札幌へ仕事で往復してます。
@hateruma0906
@hateruma0906 Жыл бұрын
急行さんべは、分割した後別経路を通り、再度併結しましたね。
@nagisaharuno1298
@nagisaharuno1298 Жыл бұрын
山陰本線経由と美祢線経由でしたっけ?
@hateruma0906
@hateruma0906 Жыл бұрын
そうですね。山口線経由小郡止めもおまけでありましたね。
@信広-q4h
@信広-q4h Жыл бұрын
三瓶山由来のさんべが有名ですが、その前は八重垣神社由来のやえがきで運転しています。熊本~鳥取の長距離でした。 更にその前はやくもでこれを知った時はびっくりしました。三種の列車はDCだから分割併合が出来ました。 でも始祖は臨時客車準急、八雲で漢字表記しています。さすがに分割併合はしません(笑)
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
「さんべ」か「あきよし」か? 再婚か復縁? コレも十津川ドラマ化 。
@hiroshia5789
@hiroshia5789 Жыл бұрын
時代の流れだろうね。採算合わなければ廃止。
@春日井通浩
@春日井通浩 Жыл бұрын
北アルプスが、廃止されなかったら乗り換え無しで高山と中部国際空港の移動が出来たかも知れないのに・・・・
@no-sq7qd
@no-sq7qd Жыл бұрын
これだから、昔の列車は面白いんだなぁ❗
@rona1806
@rona1806 Жыл бұрын
北アルプス、当初は「準急たかやま」でスタート+空調完備の車両から「デラックス準急」と讃えられた
@AOUINO
@AOUINO Жыл бұрын
現代でも、こういう循環列車や多層建て列車は走ってほしいなぁ
@MizueNao
@MizueNao Жыл бұрын
関空・紀州路快速おすすめ 多層も循環もするぞ!
@rittoboymamomamo_1
@rittoboymamomamo_1 Жыл бұрын
つ[サンライズ瀬戸・出雲]と
@まるかつ鉄道
@まるかつ鉄道 Жыл бұрын
JRがグループ各社で運行を縛るようになってるから、現代ではなかなか難しいですね。
@hiroshia5789
@hiroshia5789 Жыл бұрын
東北の新幹線は一応、多層建てだと思うがちょっと違うね。
@wa33785
@wa33785 Жыл бұрын
急行大社、金沢&名古屋発敦賀連結、小浜線‐舞鶴線‐宮津線(現丹後鉄道)‐山陰本線‐大社線⛩
@岡村充康-h9z
@岡村充康-h9z Жыл бұрын
特急白鳥は創設時キハ82系で大阪~青森、上野間の併結列車だったが1965年10月に上野行き信越白鳥を独立させ特急はくたか(初代)となりました。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
82系が横軽を通ったとは…⁉
@岡村充康-h9z
@岡村充康-h9z Жыл бұрын
@@雅夫大場 直江津から信越本線に入って上野目指していたので横軽も通っていました。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
@@岡村充康-h9z さま。 まあ、ソレだけでも充分に驚きに値しますが、コレってキハ57みたいに「仕様」?それとも、この形式全車両「標準」でしょうか?
@岡村充康-h9z
@岡村充康-h9z Жыл бұрын
@@雅夫大場 横軽協調運転用ではなく標準仕様ですね。なので横軽通過時はEF63の力だけを頼りに越えていました。
@hiko2hiko
@hiko2hiko Жыл бұрын
小淵沢で向きが変わると同時に列車番号変わる のべやま・すわ
@青木大地-d5d
@青木大地-d5d Жыл бұрын
かつて存在していた特急タンゴエクスプローラー・タンゴディスカバリー・キハ181あさしお・キハ58系急行丹後。綾部で舞鶴線・西舞鶴では北近畿タンゴ鉄道.現在の京都タンゴ鉄道へ進行方向が変わって城崎行もありましたね。
@ぽんこ-f8u
@ぽんこ-f8u Жыл бұрын
急行丹後は列車によって経路が変わるのでほんとややこしかった。
@goliate1966
@goliate1966 Жыл бұрын
宮津線経由城崎行きは3回もスイッチバックしましたね~
@hiroakiishii3986
@hiroakiishii3986 Жыл бұрын
しかも行き先も結構カオス
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
特急「あさしお」も、そんなのが…
@第四軍道
@第四軍道 Жыл бұрын
急行丹後、特急あさしお、いずれも峰山や網野から京都まで複数回乗ったけれども 距離的に僅かな舞鶴線区間で進行方向が逆になるところに目を瞑れば特にどうとはおもわなかった
@魔改造人間
@魔改造人間 Жыл бұрын
しかも大阪方面の急行丹波なんてのもあって…
@田名部真-x3c
@田名部真-x3c Жыл бұрын
北アルプス・・・飛騨古川が地元なので、名古屋行く時はまあまあ使いました。 ただ、席が取れないので、やむ得ず当時走ってた急行「のりくら」で移動してたのは懐かしい話ですね。
@うさぎいぬ-r4b
@うさぎいぬ-r4b Жыл бұрын
「ひだ」は新幹線乗継割引の対象であるのに対し、「北アルプス」は新幹線乗継割引の対象外でした。名鉄の新名古屋(名鉄名古屋)は乗換駅とは見なしていなかった事も理由でした。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
廃止になった原因のひとつ? あとは高速バス化?
@ネオファリア
@ネオファリア Жыл бұрын
後はキハ85投入による高速化も
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
@@ネオファリア さま。 鵜沼駅構内の連絡線も失われたらしいですな。
@kantoheiya
@kantoheiya Жыл бұрын
青森白鳥はその先青函連絡船経由で旭川まで特急接続があったんよね
@太田拓也-z9y
@太田拓也-z9y Жыл бұрын
普通列車ですと1940年頃に池田発上野行きという珍列車がありました。特急白鳥と同じルートですが、客車を福知山線の川西池田で仕立てたのか大阪まで回送せずに客扱いしていたようです。 戦後は南風崎発東京行きという引き揚げ列車が何本かありました。早岐・博多・大阪経由のありきたりなルートですがなんと1本だけ東京を通り過ぎて上野着でした。かつては回送線だった上野東京ラインの初の客扱い事例と思われます。
@maru-jun
@maru-jun Жыл бұрын
昔、新神戸~新大阪は新幹線、新大阪~青森は特急白鳥、青森~札幌は夜行急行はまなすに乗って北海道へ行ったことがある。 乗り継ぎ割引で白鳥の特急料金とはまなすの急行料金が半額になり、ずいぶんお得に北海道へ行けたと記憶する。 超ロングランの白鳥と夜行急行はまなすの組み合わせは当時の自分にとってロマンだった。
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
ちくまに乗り大阪まで出て、白鳥に乗り はまなすで北海道に渡り、小樽からフェリーで新潟まで帰る 3泊4日の白鳥ツアー きっぷ自体は、春日山までとそれ以降と言うなかなかの長距離きっぷになった
@もりわききくお
@もりわききくお 7 ай бұрын
試したことはないですが、ゴウマルサンダイヤ改正までは特急白鳥は米原経由だっので、京都−米原間を新幹線にすると新幹線特定特急券になり白鳥の特急券は、乗継割引で、半額となり京都から白鳥に乗るよりも安くて速かった。なお青函連絡船と函館からの特急も勿論特急券は半額になります。この方法は、寝台特急日本海にも使えた。
@山田花子-d2r3l
@山田花子-d2r3l Жыл бұрын
循環列車なら最近臨時で走ってるよね ななつ星とか
@もりわききくお
@もりわききくお Жыл бұрын
循環急行といえば定期ではしろがねとこがねがあった。名古屋発名古屋行きで東海道本線・高山本線・北陸本線・東海道本線という列車で、時計周りをこがね、その逆をしろがねだった。けど、ヨンナナサン白紙ダイヤ改正で、名古屋と北陸本線経由の富山までは、特急しらさぎにカクされ、583系が初めて北陸本線を走った。この当時583系は、九州の南福岡電車区所属でしらさぎのためわざわざ耐寒耐雪構造をしてしていないグループと分けていました。また臨時の循環急行では、東海道本線・中央西線・北陸本線・東海道本線と周る、大阪初大阪行きの急行アルベンが12系客車で運転されていた。この列車は北陸本線部分が昼行で、中央西線部分が夜行だった。たしか夜行の大阪発は松本までは全車指定席だったように思います。
@信広-q4h
@信広-q4h Жыл бұрын
同感します。 僕は実乗した急行ひまわり、大分発~小倉~博多~熊本~大分更にまだまだと別府行きが懐かしい。 長崎~佐世保~唐津~博多行き急行平戸も遠回り多目的で忘れがたい。 秋田~大館~盛岡~宮古のよねしろはなぜゆえ、宮古まで行くのか不思議。 宮古に着いたら折り返し運用でなく陸中4号で仙台行き。明くる日に陸中~よねしろでようやく秋田に帰る。
@7toms786
@7toms786 Жыл бұрын
多分、別の動画🎦に有ると思いますが〜『急行いぶり』も分割併合する循環急行が有ったと思いマス
@菅優二
@菅優二 Жыл бұрын
急行列車に揺られて12時間30分なんて仮眠を取るにはよかったかもしれませんね。 それから山手線みたいな急行列車もあったなんて国鉄だったこそ出来ることですね。
@ソーメン節
@ソーメン節 Жыл бұрын
かもめ、みどり、ハウステンボスの3層建て特急というのもありましたな。 今だとかいじ、富士回遊というのもありますし。 踊り子も同一名で下田、修善寺は紛らわしいので修善寺行きはあまぎに改称した方がいいね。
@信広-q4h
@信広-q4h Жыл бұрын
佐世保・長崎~鳥栖~久留米~大分~別府行きの西九州は佐世保編成にグリーン車🍀・指定🈯を連結した稀な列車でした。長崎編成は肥前山口までグリーン車・指定車付き出島を併結したからかな? 肥前山口~鳥栖は3階建てになり案内放送する車掌さんはこの複雑さを理解しなければならないから間違えたら大変だっただろう。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
ソレな。 あと、「循環」てな観点なら急行「ひまわり」ってのもあったらしいですぜ。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
「富士回遊/かいじ」は‘70年代は同じコースの急行列車で165系列車。 名は「かわぐち/かいじ」。 沈黙の艦隊⁉漫画家ぢゃねぇーっ!
@おじさんモタスポ
@おじさんモタスポ Жыл бұрын
房総半島を電車で一周するの楽しそうだな バイクでよく一周するけど、電車で綺麗な景色を見てみたい
@DD54-901
@DD54-901 Жыл бұрын
完全に一周するわけではないのですが、木更津から安房鴨川を経由して上総一ノ宮までの 各駅停車が運転されているのでいかがでしょうか? 逆方向の電車もありますよ。
@おじさんモタスポ
@おじさんモタスポ Жыл бұрын
@@DD54-901 楽しそうですね🤤 バイクに乗ってると、運転中はあんまり景色は楽しめないのでゆっくり電車で景色を楽しむと言うのも良いかも知れません たまには何も考えずボーッと過ごしたいです
@山形祐介-e5l
@山形祐介-e5l Жыл бұрын
@@DD54-901 ただ、この車両は2両編成なので、接続駅付近ではかなり混雑します。(接続駅より千葉駅側は15両編成)
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
♪ぬ~す~ん~だば~い~く~では~し~りだ~す~!😜
@haru-chandayo
@haru-chandayo Жыл бұрын
祖父が勤めていた土木工事会社のひとが特急白鳥にトンネルでひかれて亡くなったと聞いた事があります。 上野行きと青森行きのどちらかが遅れてそれぞれで走っていて、連絡を忘れてそれぞれで走っている事を知らなかったのが原因。 祖父は列車スレスレでなんとか軽症で済んだとの事(列車には当たってなく列車風で飛ばされて軽症)
@thunderbird1691
@thunderbird1691 Жыл бұрын
こがね、しろがねも当然取り上げると思った。
@まるかつ鉄道
@まるかつ鉄道 Жыл бұрын
名鉄オリジナル車使用の、「北アルプス」が激アツ過ぎますわ。この車両、普段は高山本線までで完結でしたが、多客時には富山地方鉄道の立山まで乗り入れた上に、当時富山地方鉄道にあった、「アルペン特急」の運用にもあたってましたね。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
今ぢゃJRと地鉄は線路分断されているらしいから物理的には…
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
@@雅夫大場 だから何?😜
@yuuzankouhi
@yuuzankouhi Жыл бұрын
胆振線経由の札幌発札幌行や併設しまくっていた北海道の列車をもっと知りたい。
@山田花子-d2r3l
@山田花子-d2r3l Жыл бұрын
なぎさ みさき って女の子の名前みたい
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
みどり、日向(ひなた、と読む)つばめ(漫画家でいたな、鴨川先生)、ひばり(美空さんしか知らね)、雷鳥(平塚さん)、とコジつけながらナンボでも?
@kiha110oykot
@kiha110oykot Жыл бұрын
女性の名前のような愛称ならば、他にも「あずさ」「しなの」「さくら」等が思い浮かびますね。😁
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
大島監督😁
@kiha110oykot
@kiha110oykot Жыл бұрын
追加で思い付いたのは「あやめ」「やくも」「いなほ」「こまち」辺りかな。 急行ならば「ちどり」か。 「日向」はそのまま読めば男の子🧒の名前にも使えますね(笑) 男の子の名前だと「つばさ」「かいじ」「かむい」「大和」「那智」辺りかな。 「大雪」や「天竜」だと格闘家🥋っぽくなっちゃうなwww 私鉄の場合でも、女の子ならば「きぬ」、男の子ならば「むさし」「こうや」がありますね。
@ダニエル滝之輔
@ダニエル滝之輔 Жыл бұрын
伊予 とか 安芸 とか
@あほたん-y2p
@あほたん-y2p Жыл бұрын
循環すると、頭と尻がひっくり返る気がするけど、問題はないのかな? 循環ではないけど、おかしな直通と言うと、小田急の御殿場行きとか、武蔵野線経由で東武線に直通してるのとかも有りませんでしたっけ? 個人的には上野発湯田中行きってのがかつてホントにあったのか?ってのが気になる。
@hiromichifukino4186
@hiromichifukino4186 Жыл бұрын
私は中学生の時、上野から湯田中まで急行・信州に乗車して、林間学校に行きましたぁ~♪
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
ワシが中学生の時分、菅平の林間学校への移動で軽井沢まで乗車したのは急行「信州」だったが(サハシ連結。'75年秋当時に営業していたかは不詳)屋代まで「志賀」を併結。
@あほたん-y2p
@あほたん-y2p Жыл бұрын
@@hiromichifukino4186 さん 本当に実在したんですね。 自分は須坂市と言うところに住んでますが、既に河東線が廃線になってから住み始めたので、なんか信じられなくてですね。 林間って事は、夏場ですかねぇ。 冬場だったら、スキー教室か湯治になりそう。
@あほたん-y2p
@あほたん-y2p Жыл бұрын
@@雅夫大場 さん 菅平で林間学校だったんですね。 夏は涼しくてイイ所ですよね。 最近は、ラグビーばっかりみたいですが……
@yuhki8678
@yuhki8678 Жыл бұрын
米子を出てから一旦長門市駅で分離して、別々の経路を走ってから下関で再び併結する「さんべ」も取り上げてほしかったなぁ
@S-Y-dk3gr
@S-Y-dk3gr Жыл бұрын
あ〜ぁ 『急行さんべ』ありましたねぇ😌
@necoyasiki942
@necoyasiki942 Жыл бұрын
昭和末期、土曜日か日曜日のお昼頃、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の鉄道版みたいなクイズバラエティー番組が放送されてました。番組名不明。    数両の車両を番組サイドが借り切って、行き先不明のまま応募してきた多数の視聴者を乗車させて走行。クイズの問題を出題しながら、不正解者を途中駅で下車させるスタイル。途中で分離させた車両が別ルートを走ったり。秘密にされていた終着駅に辿り着いた解答者が今週のチャンピオンという展開でした。 途中の司会者というか盛り上げ役や問題出題役として、関根勉さんがウサギの着ぐるみを着て登場。当時の芸名は「ラビット関根」。でも、当人としては黒歴史的扱い? これもなかなかのおかしな迷列車でした。
@kiyoshimiura3767
@kiyoshimiura3767 Жыл бұрын
ちなみに「クイズ列車出発進行」というタイトルでした。
@necoyasiki942
@necoyasiki942 Жыл бұрын
@@kiyoshimiura3767 おおっ!ありがとうございます!
@第四軍道
@第四軍道 Жыл бұрын
「クイズ列車出発進行」、関西では日曜の正午から1時間の放送でした たしか第1回目が1979年後半で大井川鉄道(金谷~千頭)だった記憶があります あまり長続きしなかったような・・・
@dodemoyokunai
@dodemoyokunai Жыл бұрын
循環列車はたいてい途中駅で進行方向が変わり、もとの向きに成るように運転されている。 房総半島の循環列車も大網駅でスイッチバックしていたが、駅の移転で解消されたため、一周した列車はまた反対回りで一周し向きを戻さなければならなかった。 循環列車はかなり面倒なことがある。 これが最近運転されない理由だろう。
@太田拓也-z9y
@太田拓也-z9y Жыл бұрын
そういえば西村京太郎の小説で183系特急がトレインジャックされて房総半島を1周して東京に戻ってくる話があるのですが、十津川警部らが「地下線入ったらATCで強制的にとまるやろ」と思っていたら編成逆向きだとATCに引っかからないことが判明してパニックになりました。この仕様本当なのかと疑問に思っています。
@kantoheiya
@kantoheiya Жыл бұрын
@@太田拓也-z9y 逆に「なぜ循環列車がなくなったのか?」を調べたらATCの仕様だったってところから着想したと、当該小説の掲載書の解説にあった覚えがあります。
@user-nak7etahew
@user-nak7etahew Жыл бұрын
車両の「1-3位側と2-4位側」(海側と山側 公式側と非公式側)って、入れ替わるとそんなに面倒なのですかね。 西鹿児島駅なんか、昔から、逆向きの列車がひっきりなしに入線していましたけれど。
@昇益田
@昇益田 Жыл бұрын
盛岡発釜石経由盛岡行とか,札幌発喜茂別経由札幌行というのもありましたね。 いずれも一部区間だけ乗りました。
@hiroshia5789
@hiroshia5789 Жыл бұрын
盛岡〜盛岡はそとやまと五葉でした。新幹線開通の時に廃止されたと思います。
@陽子命
@陽子命 Жыл бұрын
名鉄が北アルプスなら南海にもきのくにが走っていましたね。こちらの車両は非冷房で紀勢本線が電化された時に廃止になりましたけど
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
噂では583系を譲り受けて「きのくに」を置き換えようとしたらしいが、車両限界の問題で頓挫したとか…? マジか?
@巻幡哲也-t4w
@巻幡哲也-t4w Жыл бұрын
今は循環列車といえば大和路快速と関空紀州路快速かなぁ
@信広-q4h
@信広-q4h Жыл бұрын
上野~郡山~会津若松~新潟のいいでは遠回り多目的なのに出ないと思った。やっぱり。
@hiromichifukino4186
@hiromichifukino4186 Жыл бұрын
かつて新潟発名古屋行の急行・赤倉も、遠回り列車でしたねッ♪ しかも、全線電化区間なのにディーゼルカーが走行する、といった風変わりな運用形態!
@信広-q4h
@信広-q4h Жыл бұрын
@@hiromichifukino4186 鉄道ジャーナル誌で「架線下のディーゼル急行」の名前で、特集記事を組みました。 乗り換えなしで名古屋~新潟は壮大ですね。赤倉と言っても長野県の山の山頂かな?と思った。勘違い、新潟県の温泉だった。 当時は新設列車に是非ともおらが村さの名物を付けてくれの風潮だから温泉組合などの命名活動と国鉄の思惑が合致したと推察しました。 島根県八重垣神社や秋田県千秋公園・岩手県外山公園・熊本城別名銀杏城・山形県紅花・北海道エルムは楡の木、はまなすの花。 知らぬ列車名の意味知れると嬉しかった。 イメージ的には水戸~郡山への水郡線のスカイラインは現地に行き納得しました。智恵子抄の私の空そのものを見た。 岡山県宇野行きは鷲羽、小さな山ながら堂々と名のった。 旧国名の勉強にもなりました。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
特急「くろしお」も、循環とは言えないが名古屋乗り入れという、スケール大のが一往復存在しました。 先程「スカイライン」と云う自動車の名前みたいのが引き合いにでましたが、紀勢本線には「ブルースカイ」とか名の列車があったらしいが、何がその名の元なのか…?
@信広-q4h
@信広-q4h Жыл бұрын
@@雅夫大場 ブルースカイ号。 かつて存在したのかまったく知りませんでした。 カタカナ表記はフェニックス・エルム・カムイは馴染み深く、地元密着型ネーミングで印象に残っています。 ブルースカイはあおぞら。 紀勢本線にぴったり似合う名前と思います。新しく知ると新鮮な気分です。 ただし、近鉄の修学旅行用のあおぞら号と被り混同されかねない。ゆえに近鉄に気を遣い定着しなかったと勝ってに憶測しました。
@kiha110oykot
@kiha110oykot Жыл бұрын
@@信広-q4h さん 列車愛称の由来を知ろうとすると地理の勉強になる事が往々にしてありますね。 個人的に記憶にあるのは芸備線・木次線を経由していた陰陽連絡急行「ちどり」。 これは松江城の別名「千鳥城」が由来でした。 あと、特急ですが急行「えびの」と同じく肥薩線経由で博多と宮崎を結んでいた「おおよど」。 こちらは宮崎市内へと流れる大淀川が由来でした。
@masamasa40859
@masamasa40859 Жыл бұрын
18:30~ 面白すぎる。今だからこそ笑い話に出来る。
@osaka_niwatori
@osaka_niwatori Жыл бұрын
前の動画にもあったでw
@ryutes4495
@ryutes4495 Жыл бұрын
ちょっと話は逸れるけど、富山地方鉄道に681系とかキハ8500が乗り入れていたのは今では信じられない
@ryousukeasakura
@ryousukeasakura Жыл бұрын
キハ8500は富山地鉄に乗り入れてましたっけ?
@直通特急阪神大阪梅田
@直通特急阪神大阪梅田 Жыл бұрын
8500は入ってなかった JR西日本681と元西武レッドアローの行き違いも見かけました
@kiha110oykot
@kiha110oykot Жыл бұрын
国鉄時代ならば475系が急行「立山」で、キハ58系が「うなづき」「むろどう」で乗り入れていました。
@mako-gm7me
@mako-gm7me Жыл бұрын
確か房総半島の循環列車は安全装置の関係で直通運転が出来なかったって話しを聞いた事があります。
@justice1376
@justice1376 Жыл бұрын
急行「なぎさ」「みさき」は、1周すると編成の向きが逆転してしまうため、必ず2周する運用が組まれていました(なぎさ1号→なぎさ3号、なぎさ2号→なぎさ4号、みさき1号→みさき3号、みさき2号→みさき4号)。 ちなみに1973年の夏ダイヤには、循環運転をしない臨時急行「なぎさ」「みさき」が運転されましたが、一部を除いて1972年の夏ダイヤに運行された快速「青い海」「白い砂」のダイヤを流用したものになっており、車両も急行用の165系ではなく、快速用の113系が使われていました。
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
向きが変わると言うと 赤倉と弥彦が同時に走ってた頃 車両の運用で赤倉編成が弥彦に当てられると、もう一度弥彦に入れないと向きを戻せないので、たまに昼運用の普通の向きが変わっていたり
@jah843092
@jah843092 Жыл бұрын
今乗れる列車だと、JR九州の「36プラス3」が九州島を一周する巡回列車ですね。
@hamanakohamaneko7028
@hamanakohamaneko7028 Жыл бұрын
地元民「Yay! Limited express will stop at our town!」 白鳥「Nō」
@waieple4478
@waieple4478 Жыл бұрын
仕事等で犬山橋(この時点で年齢がばれそう)を社用車で渡っているときに、 パノラマカー以外に国鉄(カラー)の列車とも一緒に並走していたなぁ…
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
あー、木曽川に架かった区間ですな。路面電車が一般的電車が走行。今ぢゃ、江ノ電の江ノ島〜腰越くらい? 年齢バレ?何を恥じる事ありますか⁉ワシなんかガキンチョの頃に奈良へ行った時なんぞ近鉄奈良は地上ターミナルで、ソコを発車したら路上を通っておりましたゾ! そんなワシ、そんな場所をビスタやアーバン、ひのとり、はてはしまかぜなんかがゴトゴト通ってる場面を「妄想」する… ちなみに2000年代に名鉄で新鵜沼から犬山までパノラマ急行で先頭に「かぶりつき」した時は「分離」されたあとぢゃった…
@新快速-i3l
@新快速-i3l Жыл бұрын
昔、京都発あさしおの1往復が綾部から西舞鶴、天橋立(今の京丹後鉄道)経由で3回スイッチバックして豊岡に向かう変わった特急が走ってましてた。
@user-cv1wf2td7h
@user-cv1wf2td7h Жыл бұрын
春・夏休み時期やゴールデンウィークなどの連休時期を中心に大阪発大阪行きの臨時夜行急行「アルペン」という列車が走っていました。ルートは大阪出発した後に北陸本線に入り直江津から信越本線と中央西線経由で名古屋に着き、東海道本線に入って大阪に到着…だったと思いますが。 客車は12系が使用され一晩かけて循環していました。
@鵺屋敷の管理人鵺太郎
@鵺屋敷の管理人鵺太郎 Жыл бұрын
名鉄の8000型、8500型気動車はBSフジの「鉄道伝説」でも取り上げられてました。 8000型は朝夕の通勤指定席特急とか昼間の指定席特急、犬山うかい号と言う観光列車とか、間合運用で名鉄線内を走っていた。 富山地鉄も立山〜宇奈月間をアルペン特急で間合運転していました。 今、下呂温泉は自家用車か格安の高速バス利用が主軸になってます。 然し、白鳥の能生駅停車事件は未だに語られる。
@nmr9696
@nmr9696 Жыл бұрын
分割してふたたび併合する、「さんべ」が出てくると思ってわくわくしたけど、でてこなかった・・・
@otake6850
@otake6850 Жыл бұрын
高校の修学旅行で奈良・京都へ行きましたが、往路は上越新幹線、復路は特急『白鳥』でした。
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
白鳥は県内移動ではよく使った様な? 修学旅行は、雷鳥だったかな? かつては直江津村上が特急券一枚で行けたから
@ちっちゃいちゃん-g6s
@ちっちゃいちゃん-g6s Жыл бұрын
キハ8500は乗ったことあるなぁ、懐かしいなぁ。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
今ぢゃ東南アジアで第三の歩み。
@seijirofto.de2a838
@seijirofto.de2a838 Жыл бұрын
ツアー列車で復活させようとすると、客単価も高くなるんだろうなぁ。 『スーパー桃太郎電鉄』あたりで擬似体験してみることにする。
@Boke新人おっさん
@Boke新人おっさん Жыл бұрын
名寄本線が残っている時代は懐かしい。 復活運転とかやってほしいな。
@hiromichifukino4186
@hiromichifukino4186 Жыл бұрын
特急北アルプスの使用車両の「名鉄・キハ 8000 系」ですが、急行型車両に似ているとコメントしていましたが、私的には「国鉄・キハ 80 系」とかなり似ていた記憶が … !?
@もりわききくお
@もりわききくお 7 ай бұрын
もともと名鉄キハ8000系はデラックス準急としてスタートし、急行格上げになり、昭和51年10月ダイヤ改正で特急格上げとなり前面にヒゲが描かれた。ただし中身は変わっていないので台車がコイルばねだったり車体幅が国鉄よりも狭かったりしています。
@reikoorikasa
@reikoorikasa Жыл бұрын
その北条じゃないw
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
うに?😜
@ichikino8590
@ichikino8590 Жыл бұрын
房総半島の循環列車は「今でこそ」よね。アクアライン開業による影響で瀕死の内房線南部含めて、房総半島のテコ入れに観光列車を走らせていない方が奇妙。(JR九州なら水戸岡鋭治デザインの専用観光列車をとっくに走らせてるだろうw) 観光施策なしに内房線南部の廃線の話など無責任。一周5時間半程度なら、10:30新宿発で、20:30新宿着の10時間の行程で4時間半も余裕があるから。昼食と夕食を車内で提供し、途中、駅から近場なら二箇所、多少時間を要する場所でも一箇所はしっかりと、下車しての観光が組める。
@gaku7213
@gaku7213 Жыл бұрын
房総半島の循環列車が一度途切れたのは、1969年に房総西線の千倉までが電化されて、「うち房」だけ電車化されたからですね。1972年に房総東線まで電化され復活しましたが、このタイミングで大網駅のスイッチバックが解消され、一周すると編成が逆になってしまい、それが原因で循環運転は3年で終了したのだと思います。なおこの間、普通列車の中にも内房・外房直通運転するものがあったため、幕張電車区の165系と113系は、編成番号を表す札のデザインを変えて、編成がどちら向きか判別できるようになっていました。また、定期の急行「みさき」「なぎさ」は勝浦・館山間は普通列車として運転されましたが、夏の外房線の臨時急行(下り「みさき」上り「なぎさ」)安房鴨川まで急行(ただし当該区間は全駅停車)という、臨時が定期より格上という逆転現象が起きていました。
@goliate1966
@goliate1966 Жыл бұрын
急行「大社」も面白かったなぁ~
@魔改造人間
@魔改造人間 Жыл бұрын
名古屋発と福井発を敦賀でくっつける、みたいな感じでしたね。しかも福井発の車両は天橋立までしか行かないというおまけ付き。
@巻幡哲也-t4w
@巻幡哲也-t4w Жыл бұрын
名鉄キハ8500系特急北アルプスの車内でもワイドビューチャイムが流れてましたね。
@秀-k5n
@秀-k5n Жыл бұрын
快速青い海と白い砂は?
@稲岡敬二
@稲岡敬二 Жыл бұрын
大阪駅でキハ80系特急[なは,日向]併結列車を見た記憶がある。小倉で分割or併結。
@necoyasiki942
@necoyasiki942 Жыл бұрын
急行「胆振(いぶり)」……NHK札幌放送局によりレポーターの乗車記録映像が放送される。札幌駅の切符売場で「札幌から札幌まで」という、頭オカシイ注文をするシーンからスタート。 まずは千歳線を南下。沼ノ端駅で併結した夕張行き「急行ゆうばり」を分離。同じく苫小牧駅で様似行き「急行ひだか」を分離。室蘭本線を南下、東室蘭駅で室蘭行き「急行むろらん」を分離。洞爺駅で胆振線に乗り入れ。洞爺駅で長万部方面にさらに分離だったかも?倶知安駅で目名発「急行ニセコ」を結合。函館本線を北上して小沢駅で岩内発「急行らいでん」と結合。余市、小樽を経由して札幌で終着とする全区間気動車急行列車。逆回り編成もある。全区間乗車するのは鉄道マニアしかいないはず。なんでこんな編成が必要だったのだろうか? 分離と結合については記憶頼みで書き込んだので、どなたか修正をお願いします。
@モハ110
@モハ110 Жыл бұрын
いつも楽しく拝見しております。余計なこととは存じますが、正確な日本を使うという意味で、偉そうに申し上げますが、解説の中で、爪痕を残した、という表現が使われていますが、その本来の意味は、事件や災害が被害や影響を残すことをいうので、悪い意味で使われる語です。足跡を残した、などという表現が適当のように思われます。ご検討のほど、よろしくお願いいたします。
@kato31142
@kato31142 Жыл бұрын
いつも車で移動してるけど、たまには電車で長旅もいいな。
@藤原鎌足の子孫
@藤原鎌足の子孫 Жыл бұрын
やはり 急行つくばね でしょうね。 貨物線を通るなんて。
@hc-ir2dr
@hc-ir2dr Жыл бұрын
その貨物線を通るため小山に停車できず、隣の間々田に停車していました。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
​@@hc-ir2drさま。 「ときわ」との共通運用でしたからね。 もし残存してたら特急格上げだが、連絡線が無くなりゃ…
@Kuroki-t2m
@Kuroki-t2m Жыл бұрын
どれも観光列車で復活させたら面白そう。 運行スパンは季節ごとか短くても月一くらいかな。 魅力ある路線ばかりだったから、今現在実現不能な路線は仕方ないけど、コロナの規制がない今やったら面白そう。 勿論、顧客満足度と会社利益との需要と供給にはなりますが。
@dm1cy5dj9e
@dm1cy5dj9e Жыл бұрын
キハ8500系北アルプスに乗った事有るな 北アルプス好き過ぎて一昨年に那珂川清流鉄道保存会まで見に行ったり マイクロエースで鉄道模型が再販されたので購入しました キハ85系も再販されるので購入して連結したい
@太-f6q
@太-f6q Жыл бұрын
名古屋近郊でまさに名鉄犬山線沿いに住んでいるし、親が富山にいるから、もう一度、北アルプスが復活して欲しいわ☝️ そしたら、富山までは1本で行けるのに…。
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
ワシ個人としても希望したいが、「連絡線」が廃線になったらしい…
@hiroakiishii3986
@hiroakiishii3986 Жыл бұрын
キハ80時代の白鳥は結構カオスだよね
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
考えてみたら、あのコースで首都圏と関西を移動、なんて「鉄ヲタ」ぐらいか? 現実にはいたのか、利用客は?
@user-nak7etahew
@user-nak7etahew Жыл бұрын
@@雅夫大場 「白鳥」(上野~大阪)や「まつかぜ」(博多~大阪)や「しんじ」(博多~宇野)みたいな経路の列車は、 全区間を通し乗車する需要などを考えているわけがないです。 「上野~富山」「長野~金沢」「直江津~京都」や 「博多~米子」「浜田~鳥取」「出雲今市~豊岡」や 「小倉~松江」「正明市~米子」「江津~岡山」など 各区間の需要に応えようとすると、系統を分断する地点に困るのです。 かと言って、何本もの区間列車を少しずつ区間重複させて走らせると、すごく経費がかかったり供給過剰になる場合もあります。 だから、一本の列車にまとめて通し運転しているだけです。
@ダニエル滝之輔
@ダニエル滝之輔 Жыл бұрын
@@雅夫大場 北陸新幹線で新大阪まで行けるようになったら乗りとおしてみたい
@寸劇の巨人-i4g
@寸劇の巨人-i4g Жыл бұрын
かつては筑豊本線経由の寝台特急がありましたねえ。(博多経由ではなくて直方経由)
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
十津川刑事シリーズのドラマにもなりましたぜ。 事件解決のカギは佐賀を通る2本の「あかつき3号」。 コレ以上はネタバレになるので、コメントはここまで!
@okhan
@okhan Жыл бұрын
なぎさ、みさきは館山ー安房鴨川間は普通列車なんだよね もしこの区間を跨いで乗ったら急行料金はどう計算してたんでしょうね
@harunyanome
@harunyanome Жыл бұрын
準急利根 新宿から八王子回り八高線経由で越後湯沢、軽井沢方面
@和司玉田-i1s
@和司玉田-i1s Жыл бұрын
「さざなみ」は内房線・「わかしお」は外房線経由で運行されていましたねえ。
@homarejumo2134
@homarejumo2134 Жыл бұрын
「ないぼう」は正しくてもしっくりこない
@ゲラーデアオス
@ゲラーデアオス Жыл бұрын
故障が多く「瀕死の白鳥」と言われたんですよね(^_^) あと、名古屋と大阪・湊町(JR難波)を紀勢線経由で結んだディーゼル特急くろしお。金沢、名古屋を出て敦賀で併結、小浜線、宮津線経由、大社(島根県、廃止駅)を結んだ急行大社も2階建て運用で面白いかと。
@user-nak7etahew
@user-nak7etahew Жыл бұрын
1961.10改正で登場したその車両は、初期トラブルが酷く、 同じ形式の車両を使用した特別急行は、他でも故障が多発していましたね。 当時の新聞の見出しは 「はつかり がっかり 事故ばっかり」
@comac8195
@comac8195 Жыл бұрын
白鳥もいいけど、それよりも途中まで普通列車の蛸島蛸島輪島発 急行能登路20号と名古屋から珠洲に行くのりくら9号に乗ってみたい
@友之森田
@友之森田 Жыл бұрын
房総半島を暴走する、ぐるっと回ってワンな、循環列車が走ってたのね。
@g.a9528
@g.a9528 Жыл бұрын
手相が両手マスカケだ!  5000人に1人!
@Bucephalas
@Bucephalas Жыл бұрын
今もある珍しい特急列車と言えば、特急ふじさん。JR御殿場線と小田急小田原線を往来する特急列車は、 JR東海とJR東日本の対立関係から、今でも運行しているJR私鉄乗り入れ特急となっている。 しかし、なぜ御殿場発着となってしまったのか?小田急が沼津乗り入れを嫌がるから?
@太田拓也-z9y
@太田拓也-z9y Жыл бұрын
新宿から御殿場は小田急バスがあるので本音廃止したいのですが、御殿場線沿線では唯一の東京直通列車なので地元の要望でギリギリ残していると思われ。
@MR-ek7km
@MR-ek7km Жыл бұрын
こうゆうの臨時か週1でも良いから寝台特急でやって欲しい。
@yusuke7108
@yusuke7108 Жыл бұрын
「2つの列車を乗り継ぐ場合は急行券が2枚必要になるが、1つの列車だと急行券は通しで発行できるから」 っていうのも変わった経路の列車を運行するようにしていた一因だと思う。 (近鉄特急みたいに乗り継いでも特急料金を通しで計算するようにすればそんなことしなくて済むのだが)
@みっち-m5d
@みっち-m5d Жыл бұрын
全国の(急行)「なぎさ」さん「みさき」さんに 「岬めぐり」の替え歌「房総めぐり」を唄って もらいたかったw m(_ _)m
@AotoSusumu
@AotoSusumu Жыл бұрын
ヘッドマークにローマ字で「うちぼう」とあるのに、「ないぼう」と読むのはおかしいだろう。
@ryousukeasakura
@ryousukeasakura Жыл бұрын
4:00辺りで『ないぼう・がいぼう』から変わるエピソードが流れてますよ
@kiha110oykot
@kiha110oykot Жыл бұрын
「内房」「外房」は誤読防止の為か、一時期は「うち房」「そと房」とひらがな混じりの愛称で運行していた時期もありました。
@尻駒別まりも
@尻駒別まりも Жыл бұрын
北陸新幹線が大阪まで全通したら、ぜひ「白鳥」を復活させてほしいです
@太田拓也-z9y
@太田拓也-z9y Жыл бұрын
まあ「80年ぶりの直通列車」と一部で話題になるでしょうな
@雅夫大場
@雅夫大場 Жыл бұрын
​@@太田拓也-z9yさま。 上野「白鳥」の事ッスか? 国鉄時代に独立の上、金沢↔上野に短縮して「はくたか」→「白山」でしたっけ? 我が「愚者の妄想」ですが、やはり食堂車が欲しいッスね。ま、現実は無理でしょうな…
@カメイドイチロー
@カメイドイチロー Жыл бұрын
@@雅夫大場 「はくたか」と「白山」は、上野〜金沢間を結ぶ特急列車でしたが、誕生の経緯は異なります。 「はくたか」は、「信越白鳥」が運行区間を金沢〜長野〜上野に短縮されて誕生し、後に金沢〜長岡〜上野と上越線経由に変更されました。 一方、「白山」は、急行→特急と格上げをしてきた出世列車です。運行区間は、運行開始から変わらず、金沢〜長野〜上野と信越本線経由でした。
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