今日も夜な夜な子どもを寝かしつけた後の時間で楽しく視聴しています。 音声学的には無声音・有声音の違いなのに、日本語では清音・濁音と呼ぶところに「濁音減価」の感覚がすでに表現されてると思った。対応する無声音のない有声音なら、有声音なのに音が濁っているとは言わない。 前回のトピックですが、母音の「ウ」が大きいものを指さない言語もあるように思った。ヒンディー語の会話表現では、名詞の特に固有名詞の語尾を「u」に変えることで、日本語の「-ちゃん」、スペイン語の-ito,ita、ドイツ語の-chenのように、可愛らしいものを表す指小辞的に使う。また、「ウ」の母音の名詞にイメージは、小さいもの、ギュッとなっているものが多い感覚がする。 考えて見るとそれは日本語の「ウ」は非円唇で唇の開きが大きめなのに対し、ヒンディー語の「ウ」はしっかり円唇ですぼんでいると言う要素が大きく影響しているからなのだろうと想像した。ちなみに赤ちゃんに対して使う言葉にもよく使う。 m, n, y, r がやわらかいイメージがあるのは、赤ちゃんでも発音しやすい音だからのような気がする。清音が発音できるようになるまでにはかなり発達の時間が必要だから、清音からは洗練された大人な印象(増価)を受けて、逆に濁音からは稚拙な印象(減価)を受けるのかな。