素人のひとことが専門家を唸らせるーやみつきになる読書会【哲学と書籍1】#30

  Рет қаралды 10,795

ゆる哲学ラジオ

ゆる哲学ラジオ

Күн бұрын

Пікірлер: 14
@yurutetsugaku
@yurutetsugaku Жыл бұрын
【話に出てきた本】 ◯回想1925-2010 amzn.to/44KN5H5 ◯動きすぎてはいけない : ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 amzn.to/3DivquI 【サポーターコミュニティができました!】 ⁠⁠⁠yurugakuto.com/tetsu 【公式Twitter】 ゆる哲学ラジオのTwitterアカウントがあるので、是非フォローしてください! ⇨ ⁠twitter.com/yuru_philosophy 【おたよりフォーム】 皆様からの楽しいおたよりをお待ちしています! ⇨ ⁠forms.gle/n72HW8ZAaAZu5TM96 【お仕事依頼はこちら!】 ⁠info@pedantic.jp⁠ ※ゆる哲学ラジオは株式会社pedanticが制作しています。
@sopraneeno
@sopraneeno Жыл бұрын
初期の哲学の発展っていわゆる「サロン」みたいな「対話から始まる」というイメージがあるので、ゆる学徒カフェは哲学の原点回帰感がある。 ファシリテーションが難しいけど、「ここは今から倫理です」のようなグループディベートみたいなのが良い感じですかね。
@halbonueda
@halbonueda 3 ай бұрын
監修者とか入れてパネルディスカッションとかも面白そうです
@zudah228
@zudah228 8 ай бұрын
よしのぶさんの「反論交えつつ賛同」する相槌好き
@nomeanvisuals6677
@nomeanvisuals6677 Жыл бұрын
43才アーティストをやっています。自分的にはプロセスの中に価値があると思っていて、自力でその考えに辿り着くその過程で経た論理の筋道の付け方の蓄積が0→1を産むヒラメキの元になっているような気がしています。
@mozu.kujira
@mozu.kujira Жыл бұрын
施川ユウキ先生の「オンノジ」で、主人公が足湯に浸かった時に「疲れを吹っ飛ばす」と足湯の「foot bath」をかけたダジャレを思い付いたものの、検索してみたら何人も思い付いて投稿していた。というエピソードがありました。 自分もたまに思い付いたネタをXに呟こうとして、一旦その前に検索してみたらたくさん呟きがあった、という経験があります。 似た悲哀を感じました。
@user-nozken-gt.
@user-nozken-gt. Жыл бұрын
いや、ほんとに面白いですね。 観させてくださって、ありがとうございます。
@白梅みさと
@白梅みさと Жыл бұрын
コメント読んでも惨めになります。でも楽しい。ゆる哲学ラジオは何回聞いても楽しい。
@kakka0402
@kakka0402 Жыл бұрын
技術書とか方法論とかも同じで経験を積むと読み方が変わりますよね。 特にプログラミングだったり組織論とかマネジメントとかプロセスなんてのは経験があるか無いかで全くピンとこないものです。もしかすると、この辺を広い意味で哲学的なのかもしれないかな、と思いました。
@たかはしあや-z5q
@たかはしあや-z5q Ай бұрын
惨めになるのになぜ「読書」をやめないのか?と私(あや)は思った。 そこで出てきたのが次のものである。 人は知らない、わからないという状態がきらいである。 ゆえに、それを解決したい。少なくとも納得できるものがほしい。 そのため、先人達が書いた本を読むが、自分のレベルが明確になってしまい、惨めになったりするため、ある種こわい。 なのに、それでも読むのは、どうしてもその問題を解決したいという欲と、 もっと高い山も自分なら登れるはずだと思っていることと、 素晴らしい偉人たちも自分と同じような疑問を持ったり、壁にぶち当たり悩んだんだ!という事実が勇気となり、 さらに進みたくなり、もっと知りたい!もっと知りたい!なるのかもしれない。と私(あや)は、思いました。
@白梅みさと
@白梅みさと Жыл бұрын
コメント書いても惨めになるw。自分とか存在とか科学とか世界史とか考えるからかな。ゆる哲学ラジオは何回も聞きたいです。コメント読むと「なるほど」とか「言いたかったのそれ」がある。ありがとうです。
@doctorz7988
@doctorz7988 5 ай бұрын
哲学素人の意見です. 先人たちが考察したことを後世の人間が繰り返す必要がない,というのは自然科学においても同じです.なので「巨人の肩に立て」と言われるわけです. 自然科学と哲学の違いは,誰の眼らかも明らかな形で実証可能かつ反証可能であるかどうかではないでしょうか? どこかの回で「自然科学が導く法則は過去の観察結果を表したものに過ぎない」と言われていましたが,それは少し不正確だと思います.新法則が発見されると,従来の法則とは差異の出る何かしらの予測をし,観察結果が新法則の予測と合致することでその法則が実証され,初めて信頼するに足るものとなります.(相対性理論も1919年の皆既日食で確認されました) また,この時にニュートンの運動方程式が否定されたように,相対性理論もいつか反証される可能性を秘めています.端的に言えば,自然科学では我々が「正しい」としている現在の最新理論は「少なくとも今のところ最も信用できる」というものに過ぎません. こうした実証可能性と反証可能性を持つからこそ,自然科学では矛盾する2つの法則が並立することはあり得ず,基本的には過去に否定された法則の学習には重きを置かれないのだと思います.(ニュートンの運動方程式は日常的な条件においてはほとんど完全に成り立ち,かつ計算が簡便なため今でも使われますが) 一方で,哲学では実証も反証も可能なものは必ずしも多くはないのではないでしょうか?だから同一人物の思想が途中で変わっても,「前期の思想は誤っていた」というのではなく(本人はそう考えているのでしょうが),どちらもそれぞれ「一つの考え方」であり,学習者はどちらも学ぶ必要があるのではないでしょうか?ひいては,哲学においては「最新の最も信用に足る理論」というものがなく,自然科学以上に歴史の学習が重要なのではないでしょうか?
@continued09
@continued09 Жыл бұрын
天才の二番煎じ問題も過去の哲学者達が色々考えていて、肯定的なものだと例えばショーペンハウアーの『思索』『読書について』という補遺では珍しく"天才の二番煎じ"を肯定する考え方が書かれているんですよね。 生の哲学者のはしりであったショーペンハウアーらしい考えで文量も短いので、肯定的な意見も参考にしてみたい方はお勧めです。
@shikamai
@shikamai Жыл бұрын
読書会って自主ゼミみたいなものかな?一人でやりたい性分の私はちょっと苦手かも。 相手の考え方を聞くのは好きだけど、お互いの考えをぶつけ合うのは目的とゴールがはっきりしてる場合にだけがんばるかな。納期まで間に合わせるためとか予算内にするためとか、答えとしてゴールがはっきりしてないと疲れる。妥協点の設定が難しそう。哲学の話し合いってコワい。 でもトキヒロさんの家事についての目的とゴール設定は見事だったから、読書会もまとまってるんでしょうね。知的なお遊びうらやましいです。
自由席は本当に「自由」なのか? #43
33:50
ゆる哲学ラジオ
Рет қаралды 16 М.
World’s strongest WOMAN vs regular GIRLS
00:56
A4
Рет қаралды 44 МЛН
Человек паук уже не тот
00:32
Miracle
Рет қаралды 4,3 МЛН
Players vs Pitch 🤯
00:26
LE FOOT EN VIDÉO
Рет қаралды 128 МЛН
「無神論者」スピノザとの対面。往復書簡の抹消疑惑。 #38
41:14
【悲報】イノベーションは加速していなかった。1880年代が黄金期。#123
35:46
ゆるコンピュータ科学ラジオ
Рет қаралды 79 М.
一番高い哲学書を当てるクイズ!!!#94
37:25
ゆる哲学ラジオ
Рет қаралды 13 М.
World’s strongest WOMAN vs regular GIRLS
00:56
A4
Рет қаралды 44 МЛН