【戦闘機解説】四式戦闘機 疾風 2000馬力エンジンを搭載する大東亜決戦機として期待が寄せられ、戦争後期の日本陸軍の主力戦闘機として活躍。アメリカ軍からは、日本で最良の戦闘機と評価されています。

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ウェポン堂軍事解説

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6 ай бұрын

太平洋戦争時、日本陸軍で運用された、四式戦闘機、疾風。
日本陸軍初の、2000馬力級エンジンを搭載する戦闘機として開発され、劣勢の戦局を挽回しうる、大東亜決戦機として大きな期待が寄せられました。
太平洋戦争後期の日本陸軍の主力戦闘機として、多数が生産・配備され、中国やビルマから、太平洋及び日本本土防空戦など、あらゆる戦線で運用されています。
しかし、整備体制の不備や、エンジンやプロペラの不調による稼働率の低下に悩まされ、戦局を覆すほどの活躍をするまでには至りませんでした。
それでも、よく整備されコンディションが整った場合、疾風は当時の連合軍の一線級の戦闘機に匹敵する性能を発揮し、対戦したアメリカ軍からは日本で最良の戦闘機と評価されています。
技術的な未熟さに加え、日に日に戦局が悪化し、資源がますます乏しくなる大戦末期の状況の中配備された疾風ですが、当時の劣悪な状況の中、日本軍には残念ながら、疾風の性能を最大限に引き出すことが叶いませんでした。
とはいえ、疾風は、世界水準に達したといえる、数少ない日本軍戦闘機であり、高いポテンシャルを秘めた優れた戦闘機であったことに疑いの余地はありません。
そんな本機のスペックや、誕生から終戦に至るまでを時系列に沿って解説した動画です。ぜひ最後までご覧ください。
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Пікірлер: 284
@user-ly3ph3ip5h
@user-ly3ph3ip5h 6 ай бұрын
折角アメリカ人個人所有の疾風を好意で飛行可能な状態で返還されたのに、部品の盗難で二度と飛べなくなり、返還した持ち主も日本に返した事を後悔したって話には心底申し訳なく、そして盗んだ者に対しては同じ日本人として情けなくなる‪💧‬
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 6 ай бұрын
最初は、富士重工で保管されていて。軽整備や、エンジン始動や、定期的に旧陸軍整備関係者がボランティアで来て点検をしたりと。動体保存されていたのですが。諸般の事情から、富士重工から放出されて。京都の嵐山で、雑な保管状態となり。部品の盗難も発生😢、管理体制はよろしくありませんでした。最近の知覧では、念願の屋内保管になりましたが、嵐山での展示やその後の移動で。損傷したとも言われていましたが。最近、専門家チームが調査した結果では。部品の一部欠品はあるものの、状態は良く。各動翼も動き、油圧式の蝶型フラップも稼働状態である事が確認されています。再飛行は難しかい様子ですが、機体の切断、不要な分解もなく。想像以上に良好な状態であったと報告されています。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
@@ZERO21-A6M 私は、見た事が無いですが。嵐山に買い取られてからは、セキュリティが雑だったようでね。メンテナンスも殆ど無し状態だった様子ですね。飛行機雑誌でも、扱いの悪さはよく言ってましたからね。知覧に引き取って貰って良かったですよ。
@JerryMouse5
@JerryMouse5 5 ай бұрын
この話はいつ聴いても心が痛みます。 アメリカにいた方が、この疾風は幸せだったんじゃないだろうか?と思うと返還してくれた人に申し訳ない気持ちでいっぱいなります。
@tatsumifuruya7285
@tatsumifuruya7285 5 ай бұрын
今は知覧にあって飛ばす気になれば飛べるみたいですよ。ただ、世界的に一点もののため補修部品が手に入らないので事故等で損失することを避けて敢えて飛ばさないとのこと。嵐山にあった時は酷かったみたいですね。
@user-zx3py4ww2j
@user-zx3py4ww2j 5 ай бұрын
何はともあれ、かつての敵国(わが国日本)の戦闘機を復元して空に蘇らせてくれた。アメリカ合衆国の飛行機好きの方,その器の大きさに対して。あつぱれの言葉を差し上げます😂🇺🇸🇯🇵それにしてもわが国日本は何故スピツトファイヤーやグラマンヘルキヤツトを飛ばさ無いのか
@yousan01
@yousan01 Ай бұрын
シルエットが全日本戦闘機中最高に美しい機体だと思う
@user-uq7ox1gr4f
@user-uq7ox1gr4f 6 ай бұрын
あの状況下で隼→鍾馗→疾風と正常進化させてさらに三千機以上も製造したことはすごい事だと思います。集大成として性能他各種バランスの良さが機体形状に表れていると思います。
@yosiharumase856
@yosiharumase856 6 ай бұрын
😢😅
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 5 ай бұрын
中島には、優れた設計師が いたし軍部の口出しなかった様だから、丈夫な頑丈で被弾に強いアメリカ軍機の様な物作れたと思う。
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 5 ай бұрын
海軍を担当した三菱の堀越二郎技師は、零戦など作りたい戦闘機が出来なかったと思う。パイロットを守らない貧弱な機体となった。軍令部の源田実に一喝され海軍のパイロットは技量があるから軽く空で小回りの効くので充分、太平洋を行き帰りする燃費の良いエンジンにして馬力が不足、しかし源田実はパイロットは優秀と譲らなかった。技師の話しも聞く器がなかった。最後は特攻隊に使用する何とも悲しいものだ。
@user-fw9qr5ru5o
@user-fw9qr5ru5o 4 ай бұрын
戦後は平気で航空自衛隊の幕僚に為って東京オリンピックでブルーインパルス達に無茶をさせて奇跡的に成功したけれど、失敗して事故でも起こしたら大惨事だったよね。
@guugoosuka6909
@guugoosuka6909 3 ай бұрын
@@user-fw9qr5ru5o 空幕長時代のあだ名はイエローゲーリングw その後は参院議員になって平成まで存命だったような。
@user-zx3py4ww2j
@user-zx3py4ww2j 5 ай бұрын
私が中学生時代修学旅行で京都の嵐山美術館にて。この4式戦疾風を見ました。感動しましたね🇯🇵🎌
@user-ng5yl5se9x
@user-ng5yl5se9x 6 ай бұрын
実機が飛行するということで ’73年に入間基地の航空ショーに行きました。迫力あるエンジン音でひらりと飛ぶ姿が忘れられません。 それから30年ぐらい過ぎて鹿児島・知覧の特攻平和会館で再会できたときは感動で震えてしまいました。 この美しいシルエットが平和な空に舞う姿をいつまでも仰ぎ見ていたいです。
@user-fw9qr5ru5o
@user-fw9qr5ru5o 4 ай бұрын
空冷にしては本当に綺麗な飛行機ですね。悲しいのは保険で作ったF6Fにもやや劣ってた事ですね。向こうでは凡作と言われて戦後はあっと言う間にスクラップにされたF6Fにね。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 3 ай бұрын
@@user-fw9qr5ru5o 疾風がF6Fと対峙し始めた時期は、1944年10月(アメリカ空母機動部隊の奇襲)で、マトモな空戦にもならなかった。本格的なF6Fとの空戦はレイテ島を巡る攻防の中でした。疾風は最初は、米陸軍のP38と互角以上な空戦を展開していて米陸軍を狼狽させる程でしたが。台湾空襲作戦が終わり、アメリカ空母機動部隊が本格的にレイテ空襲に参加する頃には。連日の米陸軍への攻撃で疲弊した日本陸軍航空部隊は、圧倒されていきます。疾風部隊も期待された性能が発揮できず、日本陸軍航空部隊の司令官の中では落胆される程でしたが。アメリカ軍の戦闘機パイロットからは、一定の評価を得ています。しかしながら、中国方面で活躍した当時の面影は薄れていたのも事実。おそらく、レイテでの激戦で。気難しい『誉』の性能維持が困難になっていて。疾風の性能が全般的に低下していたのでしょう😢。
@hiba-sw1bl
@hiba-sw1bl 2 ай бұрын
@@user-fw9qr5ru5o F6Fに劣ってたというのは聞いたことのない話ですがどの辺でしょう。 稼働率を含めてのことでしょうか?
@user-wu5ju9ee2n
@user-wu5ju9ee2n 6 ай бұрын
疾風を支える国力が当時の日本にはなかった為に本来の能力を発揮出来なかった機体という認識です。
@user-wf8yg2qv3c
@user-wf8yg2qv3c 6 ай бұрын
90年代、京都の嵐山美術館で疾風を見たとき、カッコ良さに感動しました。🙂
@user-vc7sk5cy5u
@user-vc7sk5cy5u 6 ай бұрын
性能もさることながら 何よりスマートでカッコイイよね 素晴らしい武器はやはり美しい
@ajk9087
@ajk9087 4 ай бұрын
疾風は本当にスマートな機体だと思う。中島飛行機の流れを受け継ぐスバルには頑張ってほしい。
@shinichi9821
@shinichi9821 6 ай бұрын
熟練工まで徴収してしまう日本は、総力戦という言葉の意味を理解していなかったのではないか。 アメリカでも女性が生産ラインを担っている例は合ったが、あちらには優れた工作機械が潤沢にあった。 ここでも「総力」の差が出ている。
@yutas8710
@yutas8710 6 ай бұрын
実は徴兵後に出向と言う形で製造ラインに戻されたらしいで。
@user-uq7ox1gr4f
@user-uq7ox1gr4f 6 ай бұрын
当時アメリカの切削工具材質がすでに日本より一世代先を行っていたと学生時代授業で聞いた時愕然とし、日本が短期決戦を目論んでいた意味が少し分かった気がしました。
@user-ei4dz5tq5n
@user-ei4dz5tq5n 6 ай бұрын
日露は革命が起きたからギリ勝てたけど総力戦なら負けてたろうし、アメリカに厭戦気分がもっと出るような工作を日本がしてたらねぇ。
@user-rk2ml6eq6o
@user-rk2ml6eq6o 6 ай бұрын
戦争の後半、日本軍機を悩ませたマジックヒューズ(VT信管)は繊細な女性の力なくしては作り得なかった、と言われていますからね。あちらでも、日本と同じく国家総動員体制で軍需部品の生産を行っていたのですが、我が国と違っって受け入れ態勢、動員者への教育体制がしっかりとしていたんでしょうね。それに比べてわが国では、折角、動員した工業学校の生徒はちゃんとした使い方をすれば、初級技術者として十分な生産戦力になり得たのに、彼らには食料増産のために畑仕事をさせ、工場現場には同じく徴用された女学生に旋盤やボール盤を操作させ製品を作らせる愚を行い、部品の品質を著しく低下させたんですよね。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
@@yutas8710 おそらく、その方は、余程にスキルが高い方だったのでは?。方々手を回して、軍属のまま現職に戻したのでは?。実際に、優秀な現場工員が徴収されて。一般の歩兵や、輸送部隊に配属されたりした事例は多かったのです。あるエピソードで、あるパイロットが所要で車で移動中に、泥だらけで作業する一人の兵士をみて『アレ?なんでアイツがこんな場所に🤔』と、車を停めて、確認。その兵士は、川崎の飛燕用のラジエーターの制作をしていた優秀な工員だったので。そのパイロットは飛燕部隊の所属だったので。『優秀な工員をこんな召集をしやがって😠』と、直ぐに、飛行場に戻り、司令官に直談判して。その兵士を引き抜く様に交渉。その司令官が、話しをつけて、飛燕部隊の整備兵にしたなんてエピソードがある。
@Ruri_Novel
@Ruri_Novel 6 ай бұрын
来年も応援してます
@tacky01ch
@tacky01ch 6 ай бұрын
疾風の最大の功績は「間に合った」事だと思う。
@user-es1de5th8x
@user-es1de5th8x 5 ай бұрын
厳密に言うと負けたのだから間に合ってない。
@user-vc4tw2pe4b
@user-vc4tw2pe4b 5 ай бұрын
今日は穏やかですう😢
@user-sp9ne7fd3q
@user-sp9ne7fd3q 6 ай бұрын
疾風と言うと稼働率の低さが言われるけど、末期では他の日本軍機も似た様なものだった。 零戦ですら稼働率50%を切る事もあった。短期間で約3.500機も生産できた生産性の高さも特筆できる。 だからこそレイテ島で一時期とは言え、アメリカ軍機と互角以上に戦えた。 これが生産機数400~500機であったらまともな戦果すら挙げられなかっただろう。 速度や武装等、疾風より優れた戦闘機はあるが、武装、運動性、航続距離等ここまでバランス良くまとめた機体は少ない。 戦闘機の中島の集大成と呼べる戦闘機であったと思う。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 6 ай бұрын
欠点ばかりを拾って。欠陥機扱いにする方々が多いですし、不調の疾風に搭乗さしたパイロットの方々の証言も加算されて。評価が別れる戦闘機ですが。整備体制や、燃料状況が良い環境では、カタログスペック程度は発揮していますからね。五式戦闘機を引き合いに出す方々も多いですが、燃料の質の悪化、部品材質の悪化から、シビアな誉が馬力低下を起こした時期に、マアマア稼働率の良い金星を搭載した五式戦闘機が疾風を模擬空戦で圧倒したもんですから。益々、疾風の評価を下げています。ですが、陸軍の本命は、疾風なんですよ最後まで。誉の改良は続けられていましたし、全力生産は実質的に疾風だけでしたから。五式戦闘機は、エンジン無しで放置された機体の救済でしか無かったのが現実。何故なら、五式戦闘機は、どんなに好調でも570~580㎞/hしか速度が出ない戦闘機です。疾風は、完調なら620~640㎞/h以上が出せる戦闘機ですからね。どちらを優先生産するかは、わかりきった事ですね。
@user-sx6iw3ef5i
@user-sx6iw3ef5i 5 ай бұрын
機体数と完成度が比例しない事が悔しくてなりませんよね。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
@@user-sx6iw3ef5i さん。確かに、残念無念ですね。とにかく、アメリカ軍の第一線戦闘機と互角な性能を有するのは疾風だけですからね。『決戦機』として、増産を遮二無二した結果。時間が経つほどに、品質が低下してしまう始末。しかも、末期は、事実上の特攻機でしたからね。アメリカ海軍機動部隊の対空弾幕を高速で突破する事が出来る機体として、次々と出撃して行きました😰。終戦後にアメリカ軍が撮影した、工場で半完成状態の疾風の写真がありますが。最早、特攻専用だったのか、主翼の20ミリすら搭載されていない機体もありました(20ミリ砲身の穴すら無い)。高速戦闘機疾風は、最後は、高速特攻機疾風だったのでしょうね😭
@user-sx6iw3ef5i
@user-sx6iw3ef5i 5 ай бұрын
@@user-sd8pb3bq2k さん。世界の傑作機Noを何冊か持っていますが、最終的にF8Fが前線に出てしまったら、日本にはもはや対抗すうる機体が存在しないだろう事に、認めたくは無いですが、そこは事実として受け止めなければなりませんよね。 余談、1番好きな機体はki61-ⅱ改ですが笑
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
@@user-sx6iw3ef5i F8Fの以前に、P51B,C,D,全てに、苦戦しています😰。しかしながら、疾風の最初の実戦部隊である。第22戦隊は、中支方面で、P51BやP47と互角以上の空戦を展開。第22戦隊の報告でも、余裕が伺えます。初期型の疾風は、誉の馬力は出せてはいませんでしたが。支援体制も良く、整備員も優秀だったので。かなり好調であった様子です。空戦も、おそらくは疾風の一番性能が発揮できる6000m付近ないし以下の高度だったと想像できます。6000m付近だと、P51もP47も、650㎞/h前後になるので。完調の疾風ならば同高度で620~640㎞。hを発揮していますし、米軍戦闘機より軽量な、疾風は、加速も上昇性能も優位だった可能性があります。空戦においては、トップスピード以上に、加速性能が重要になりますから。直径が小さく軽いプロペラの疾風は、初期加速が優秀だったと思われます。誉が、粗製乱造になり、馬力発揮が難しくなった1944年後半からは、疾風の全般性能は低下していた可能性が高いのが、戦記等で伺えますが。陸軍審査部や有名な飛行47戦隊での、好調な疾風は、相応な飛行性能を維持(初期程ではないですが😥)、整備体制が良好な部隊では、610㎞/h程度は維持していた様子です。ここからは、想像遊び😊。陸軍審査部で、疾風乙型の試作機が非公式ながら、660㎞/hを発揮した事が伝えられています。おそらくは、6000~6500m付近での660㎞/hだったとすると、P51D、P47Hと互角。F6Fより50㎞/h以上高速でF4Uより少し速い速度になります。F8F-1も、6000~6500m付近だと660㎞/h程度だった筈なので。疾風の誉21型が、キチンと馬力を出せていればF8Fとも互角だったとは想いますよ😊。余談、飛燕Ⅱ型の水滴キャノピー型😊カッコ良いですよね😊。カッコだけなら、P51より速そうに見えますね。
@waiha-tomotaro5528
@waiha-tomotaro5528 2 ай бұрын
陸軍は海軍と違って、まだ現実が見えてた印象があるね。防弾や補給などにそれが表れてる。
@takana4381
@takana4381 Ай бұрын
レーダー開発も陸軍の方が上層部の理解度が高かったからね。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p Ай бұрын
陸軍は完全に負けたわけではないからね。
@Rin81555
@Rin81555 5 ай бұрын
中島の戦闘機は二式戦の頭でっかちでくびれてるより四式戦の真っ直ぐな胴体のデザインのほうが好きですね
@guston008
@guston008 3 ай бұрын
疾風のシルエットは単発プロペラ戦闘機の完成形。零戦の堀越さんが天才設計者としてよく紹介されますが中島の設計陣のほうがむしろスゴいと私は思っちゃいます。もちろん零戦も大好きですが(^^)/。
@user-si7ii4bj8p
@user-si7ii4bj8p 6 ай бұрын
ストライカーズ1945ではお世話になりました。
@user-ec9xf2tp6q
@user-ec9xf2tp6q 4 ай бұрын
女子挺身隊は十分すぎる頑張りをしたが、高度な工作技術を必要とする工業生産の熟練工まで徴兵したのは愚策と言われても仕方がない。
@user-vv8vw2db7n
@user-vv8vw2db7n 6 ай бұрын
稼働率が隼並みだともっと活躍出来たんだろうな。
@縁切おじさん
@縁切おじさん 6 ай бұрын
誉エンジンの設計主任だった中川良一さんは、特にノッキングに関しては忸怩たる思いがあったでしょうね。
@user-yk7pt7xx2h
@user-yk7pt7xx2h 4 ай бұрын
戦後電気自動車に傾倒したのはその経験かも
@user-eh6zv5yd8w
@user-eh6zv5yd8w 16 күн бұрын
戦時中、父が疾風の整備士でした。隊長機を担当した様です。
@user-bx9jp9qw1s
@user-bx9jp9qw1s 2 ай бұрын
例にもれずS20年5月頃から、この疾風も沖縄や本土近海で特攻機として数多く使われたんだよな。
@user-sj8jo7lx3z
@user-sj8jo7lx3z 6 ай бұрын
高性能でも動かねんじゃベテランは隼使い続けたり5式戦が喜ばれる訳だ。
@user-is2uy7tc7x
@user-is2uy7tc7x 6 ай бұрын
疾風の速度の優位性を活かして急降下攻撃による一撃離脱戦法なら勝算ありと思う🇯🇵🇯🇵🇯🇵👍👍👍
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 6 ай бұрын
一撃離脱に向いていた機体とは言えなかった様子です。戦後に、小山技士や試作初期に関わったテストパイロットの方々との対話記事の中で。突っ込んで行くと(降下中)、機体が浮き上がる傾向が強く。急降下で逃げる敵機の追撃を断念する事が度々あったと語っています。小山技士の回答は、過速に陥らない様に設計(引き起こし不能にならない様に)したと語っています。最終速度は、鍾馗に次ぐ800㎞/hでしたが。鍾馗の850㎞/hよりも、抑えた制限になっていますから。鍾馗の経験から、急降下時にムリな飛行ができない設定にして安全性を優先した飛行特性にした可能性があります。
@user-is2uy7tc7x
@user-is2uy7tc7x 6 ай бұрын
@@user-sd8pb3bq2k やはり零戦と同じように突っ込むと機体が浮いてしまうのですね、これは低翼機の特徴で日本機ならではの泣きどころでしょう 串団子のような中翼機の特性を活かしたグラマンF4Fワイルドキャットなどのように急降下攻撃は難しいのかも知れませんね、 そう言った意味で海軍の紫電(紫電改ではなく)なら中翼の特性を活かせて、多少旋回性能は劣っても速度と高度の優位性で一航過攻撃が可能だったかも知れません 😃😃😃
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 6 ай бұрын
@@user-is2uy7tc7x 日本の戦闘機で、一撃離脱に向いている戦闘機は、鍾馗と飛燕でしょうね。実際の空戦でも、鍾馗、飛燕は、急降下性能を生かした戦闘をしていましたからね。飛燕がベースの五式戦は、空冷化で機体特性がかなり変わった様子で『突っ込みが効かなくなった』と言われてます。五式と疾風の操縦経験のあるパイロットの話しでは、速度と突っ込みは疾風だが、加速、上昇性能、旋回性能は五式戦と語っていたりもするので。疾風も日本の戦闘機の中では、急降下性能は良い方ではあったのでしょう。急降下を多用しない印象の海軍戦闘機ですが、意外にも。零戦パイロットたちは、制限速度を無視した急降下を普通にしていた様子です。平気で700㎞/hを超える急降下は普通にしていた様子。343空で、紫電改の胴体が急降下&急機動後に胴体が捻れる事故が数回発生。原因は、紫電改の急降下制限速度790㎞/hを超えて、尚且つ急機動を行った事により。機体の一部が音速を超えて過負荷になったことが原因で。川西側から飛行速度を厳守を言われてしまうのですが。パイロットは怪訝な🤔顔をして零戦は、制限速度を超過しても壊れなかったのに?🤔と終始納得しない話しがある事から。米軍と空戦を続けているうちに、日本海軍パイロットは操縦様式が米軍風になっていたかもしれません。でも、零戦での急降下は大変だった様で、とにかく操縦悍を抑えつけておかなくては、浮き上がろうとする😤。と、パイロットの証言も残ってますね。全般的に、浮き上がる特性の日本戦闘機でしたので。急降下特攻は至難の技でした。彼らは、必死に浮き上がる機体を、全身全霊で抑えつけ特攻した訳です😭。その機体特性故に、一部の将校からは、戦闘機での特攻はムリがある‼️と上申した話しもありますが。『臆病者‼️死ぬのが怖いのだろう‼️精神力が足りん‼️』と、作戦だけ立てて実戦に出ない作戦参謀に罵倒される話しもあります😠脱線しました😅失礼。
@neiton-dl4dd
@neiton-dl4dd 5 ай бұрын
@@user-sd8pb3bq2k 鍾馗は迎撃戦闘機なんで翼面荷重を高く設定して主翼面積が小さい。主翼面積が小さいということは高速飛行時の空気抵抗が小さいことを意味するから急降下性能が優れるのは自明の理。
@user-yk7pt7xx2h
@user-yk7pt7xx2h 4 ай бұрын
@@user-sd8pb3bq2kさん 一撃離脱しようにも米軍機より遅いので逃げられる可能性大 むしろ鍾馗以上の急降下制限速度のある飛燕や五式戦の方が一撃離脱向き
@ichiromatsuo4233
@ichiromatsuo4233 4 ай бұрын
余り知られていないが、前年末から昭和20(1945)年1月の南京上空戦はベテランの米フライング・タイガースのP51と疾風装備の第25戦隊、第85戦隊と戦った漢口を含む南京上空戦ではB29、90機、P51、B24、B25、60機と交戦し戦果を挙げている。😃2:59のK-43隼Ⅱの搭乗者は、第25戦隊第3中隊長、本橋啓作大尉の乗機。😃
@user-xd9jr6du3v
@user-xd9jr6du3v 5 ай бұрын
隼、鍾馗、飛燕、疾風と順当に新型機を 更新してきた日本陸軍の方が戦闘機に関しては日本海軍より体制が整っていた様に感じます。 日本海軍でも疾風を採用してれば...なんて考えた事もあります😊
@sushi-love
@sushi-love 5 ай бұрын
性能は大差ないが、生産性やメンテナンス性を考えると紫電改より遥かに優れている。エンジンは同じなのでトラブルだらけだが。。
@sushi-love
@sushi-love 5 ай бұрын
@@whitepandajp 疾風が戦地デビューの際には既に母艦なんて無くなっているか無価値となっているから海軍も陸軍機統一で良かったと思うわ。
@sushi-love
@sushi-love 5 ай бұрын
​@@whitepandajpもちろん開発計画は結局3年とかかかってしまうのはわかるにせよ、中期から末期は開発や生産計画の統廃合も大掛かりにあったことだし、紫電ひいては紫電改は完成がみえているもしくは完成していても生産は疾風に統一で良かったかもなと思った。後世の我々には色々な機種のほうが楽しいけどね。
@user-yk7pt7xx2h
@user-yk7pt7xx2h 4 ай бұрын
@@sushi-loveさん 実は海軍も紫電の低性能と烈風の低性能&グダグダぶりにキレて疾風を試験したが、同時期に紫電改が開発され 紫電改に比べて優れたところ無し で不採用になっている。
@sushi-love
@sushi-love 4 ай бұрын
​@@user-yk7pt7xx2h疾風は生産性良いし紫電改より速い。紫電改でも疾風でも似たようなもんなんだから疾風統一で良かった。若干の運動性の差なんてどうでも良い。同じ発動機なんだし結局似た性能に落ち着く。
@user-lq8mv9kc8b
@user-lq8mv9kc8b 6 ай бұрын
過剰評価し過ぎな気もするけどロマンよな
@user-ep3jz7uv8v
@user-ep3jz7uv8v 5 ай бұрын
この絵は…懐かしい!
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke 2 ай бұрын
日本も独自設計の軍用機を作って欲しいな。
@user-oq1sk1mm4f
@user-oq1sk1mm4f 6 ай бұрын
しっかりした兵站下で高い稼働率を維持出来るので、疾風は優秀なハードである。
@user-yk7pt7xx2h
@user-yk7pt7xx2h 5 ай бұрын
その兵站がまるでダメ
@kothe142
@kothe142 6 ай бұрын
ミッドウェーなぞやらずに内地帰還時の熟練パイロットを教官にして少しでも多くの熟練者を養成しておけば、海軍が資源地帯防衛と船団護衛に専念し陸軍が迎撃態勢を取るなど協力体制ができていれば...日本が原爆を完成させてソ連なぞ頼らず講和持ち込める体制が整うまで時間稼ぎできていればとか無限に考えてしまう
@sushi-love
@sushi-love 5 ай бұрын
競れてもいない戦力差なので何しても無理よ。終戦時期が半年延ばせるのが限界だろう。
@guugoosuka6909
@guugoosuka6909 3 ай бұрын
元々の戦略らしきものがドイツ頼みw ドイツが敗勢に転じた時点で勝機は無くなった。
@sushi-love
@sushi-love 3 ай бұрын
@@guugoosuka6909 ドイツも勝ち目ゼロ。米とソ連が飛び抜けている時点でどうしようもない。純粋にドイツ対ソ連でもドイツには厳しそう。
@guugoosuka6909
@guugoosuka6909 3 ай бұрын
@@sushi-love 当時の日本の軍部にはそうは見えなかったのですよ、あるいはそう見たくなかったのかもしれませんがw アメリカが抜けてるのは確かですが、欧州列強は横並びという認識はあったと思います。
@sushi-love
@sushi-love 3 ай бұрын
@@guugoosuka6909 結局仲間作れない余り物同盟だからなぁ。でもイタリアが2流や3流の認識は派遣武官たちが持っていたのは間違いない。ドイツを一流と信じ込まされたのが良くなかった。結局米以外の一流はソだったね。英は外交力技術力はともかく単独戦力としては日本とそこまで変わらないでしょ。
@nagoya6toto
@nagoya6toto 3 ай бұрын
プロペラ出力軸用の転がり軸受(ベアリング)の製造工場が爆撃で損壊し、機体の完成が遅れていました 苦肉の策で砲金(メタル軸受け)を代用に使いましたが、わずかの摩耗でも軸振動を起こし実用には 耐えられませんでした。疾風の事を脅威に感じた米軍はベアリング工場の事を知っていて狙って爆撃したと思います。
@hanbaobaotianjin
@hanbaobaotianjin 6 ай бұрын
開戦直前の企画院の国力見積は量が主で、質に重きを置いていない。 例えば鉄鉱石と製鉄量は見積もれるものの、合金や冶金技術、加えてそれを製品にする旋盤など加工技術と加工機器類の性能など、数値として現れない工業力にまで至っておらず、偏に政治指導者と軍高官の不勉強であると考えている。 然し乍ら連合国の過給機付液冷エンジンに対して、空冷機でここまでの戦闘機を作り上げた事は賞賛に値すると思う。
@zekebengbeng125
@zekebengbeng125 6 ай бұрын
動画1分53秒の写真は 鍾馗 ではなく 隼 ですね。
@user-xb4dx8xz1v
@user-xb4dx8xz1v 5 ай бұрын
歴戦者の回想録では良かったのは隼、五式戦。故障する機は嫌だったと供述。
@nobuteru3878
@nobuteru3878 5 ай бұрын
個人的には陸軍機が好きですね
@user-zx3py4ww2j
@user-zx3py4ww2j 5 ай бұрын
私も陸軍戦闘機隼や疾風が好きです
@user-vk8di5nf2y
@user-vk8di5nf2y 5 ай бұрын
私の亡き父がスバル自動車に勤務していた為に年末になると会社から中島飛行機の名機たちが描かれたカレンダーを持って来ました。 疾風は大好きな戦闘機のひとつです。 いつもながら流れる写真と語り口調に涙を流しながら拝聴させて頂いております。 時代背景は違えども、、、資源や資材も不足した中で最大限の知恵を振り絞り、幼い子達も一致団結して国難に立ち向かう生き様こそが日本民族の強さだと思います。 また戦時中は命を奪い合う戦闘機の開発をしていた中島飛行機がSUBARUに代わり、アイサイトという技術を導入してから交通事故が大幅に減少したという話を聞き、中島飛行機の魂は、時代を超えて平和日本を確実に築きあげているのだな…と強く感じました🥹
@user-fw9qr5ru5o
@user-fw9qr5ru5o 4 ай бұрын
交換部品が確り有れば性能は十分出てたんだよね。1800馬力の制限でも軽い日本機だったら十分な性能だったし。問題は負け戦に為ってて日本機パイロットや整備兵が悲観的に見る様に為ってて余計に悪く物事を見る様に為ってたので風評被害が酷いんだよね。実際は整備が確り出来てたらそんなに悪い戦闘機では無かったよ。
@user-zt5vf9sb4i
@user-zt5vf9sb4i 6 ай бұрын
鍾馗には爆撃機用のエンジンを採用した事により太い機体設計になったと言われている。
@ttmr.815
@ttmr.815 6 ай бұрын
すみません💦 1:47の鍾馗の説明の画像が一式戦隼です
@user-nk9nf4qh2c
@user-nk9nf4qh2c 6 ай бұрын
知覧で実物を見ました(*^^*)
@bubbl1041
@bubbl1041 2 ай бұрын
4mペラだとどの程度最高速が上がるのか興味があるな
@noriokd9628
@noriokd9628 2 ай бұрын
チューンド疾風 欲しかった
@user-un5nn7kl3h
@user-un5nn7kl3h 6 ай бұрын
紫電改や烈風を待たずに海軍も中島に疾風を融通して貰うべきでした。 末期から生産したのに零戦、隼に次ぐ日本歴代三位の生産量。 もし海軍でも稼働させればレイテ海戦の歴史も変わったと思います。 川西の紫電も数が揃わず稼働も不安定。特に二段脚引き込み機能での事故多発でパイロットを着陸で死なせてます。 疾風なら・・と思わずに居られないです。
@sei-un
@sei-un 6 ай бұрын
融通というかお試しで提供はしてたみたいよ?倉庫で埃被ってたらしいけど 飛龍は融通どころか部隊ごと貸し出したりしてる 終戦工作と潜水艦以外は割と陸軍から歩み寄ってるっぽい
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
疾風の隠れた欠点に、脚の折損があります。これは、脚の強度不足では無くて。着陸特性の問題でした。疾風は、着陸時に、中々、尾部が下がらない特性の為。パイロットが疾風に不馴れだと。ムリやりな着陸動作(オーバーランを恐れて、急激に方向転換)をして。脚部に過負荷を掛けて、折損😫着陸事故が結構あったそうです。戦後に、疾風で着陸事故を起こしたパイロットや現場を見ていた方々が。『疾風は、脚が弱い飛行機だった』と、発言したのが、誉の不具合と相まって。疾風の欠点、欠陥とされてしまってますが。設計した小山技士は『設計初期から強度は十分確保していたし、脚の強度は、生産途中で更に強化している』と発言していて。脚の強度不足は完全否定しています。残念なのは、着陸特性の改善が実施された形跡が無い事。単純な解決方法は、尾輪の脚柱の延長何でしょうが。疾風は、空力優先で完全引き込み式なので、改造の手間からか。最後まで、改修されていません。
@user-un5nn7kl3h
@user-un5nn7kl3h 5 ай бұрын
@@user-sd8pb3bq2k さん、飛燕も初期は着陸時の事故で尾輪タイヤが外れる事が多発し、一時は尾橇にして対応。 後に固定式に変更してます。 疾風も高速戦闘機なので着陸速度は相当出てたと思います。 陸軍機は海軍と違い、二点着陸(前輪を先に付け尾輪は後)でしたので、その辺りも欠点となったのかも知れません。 海軍機は練習機から三点着地を基礎で習います。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
@@user-un5nn7kl3h 海軍パイロットは、空母着艦が基本ですからね。飛燕と言えば、尾輪を固定化したのは生産の簡略化をしたからですね。土井技士は、多少の性能向上よりも。生産性と頑丈な事に重点を置く設計思想でした。なので、飛燕は(土井技士の設計する機体全般)重過ぎるのです。1型も2型も、もう少し軽量に設計していればナァと、戦後生まれの自分は想ってしまいます。着陸特性と言えば、土井技士設計の『キ102』も、翼面荷重が大きく着速が高めで。尾車輪を着けようとして迎角を上げて失速する事案が多発して。尾輪脚柱を延長、固定化して対処してます。中島の小山技士や、三菱の堀越技士なら絶対やりたくない方法での解決策😅。土井技士は、多少の性能低下よりも早く実用化を優先する。臨機応変な方でした。ドイツ人のフォークト技士から、設計のイロハを学んだ方ですから。ドイツ流な対処方法なのかも知れませんね。
@user-td3hm2ur8t
@user-td3hm2ur8t 3 ай бұрын
加藤戦闘隊の隊長である、加藤隊長はこの機体に乗っていました、配備も決まっていました、楽しみにしていましたが、戦死していましたこの機体が配備してくれたならなあと思います。
@jx6004
@jx6004 2 ай бұрын
それはあり得ません。加藤隊長が亡くなったのは昭和17年5月22日。疾風の試作第1号機の完成が昭和18年3月です。17年5月の時点では隼2型の試作機すらできていません。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p Ай бұрын
鍾馗かな?
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 6 ай бұрын
20ミリの搭載は、キ60の頃から計画されていますが。当時の陸軍に、航空機搭載用の20ミリが無く。計画が頓挫しています。予定ではエリコン社の20ミリを導入する計画でしたが、エリコン社の20ミリは既に海軍が採用しておりましたが。陸軍、海軍の確執からなのか、採用されていません😢。疾風は、確かに高性能ではありましが。初期の頃の高性能は、粗製乱造と燃料の質の低下。また、誉のシビアな構造からくる整備の難しさから、飛行47戦隊の様な、整備体制の無い部隊では。稼働率が20%以下になっていました。疾風の評価が、陸軍パイロットの中で二分するのは、整備体制の比較的に良好な部隊での疾風に搭乗したパイロットからは好評でしたが。不慣れな整備体制の部隊で、不調の疾風に搭乗したパイロットがいた事によります。動画で、アメリカ軍で、ハイオク燃料で高性能と語ってますが。最近、詳しく調べた方がいて。日本陸軍と同じ、92オクタン価でテストされていた事実が判明しています。しかも、687㎞/hは、推算値です。アメリカに持ち帰った『誉』はどうやら、完調ではなかったらしく。全力全開運転は実施していません。しかしながら、既に、日本陸軍のテスト段階で。631㎞/h、640㎞/h(いずれも集合排気式)で発揮しており。単排気式に改修後は、さらに速度が向上する予定と見積りされています。しかも、上記の速度性能は、誉11型1800馬力での性能です。実際に、誉は、本命の21型でも出力制限をされており。実質的には、誉11型1800馬力に抑えて運用(実際は約1900馬力クラスでした😅)されておりましたが、予定馬力が出ない疾風でも、整備良好であれば実戦部隊でも620~640㎞/h程度は発揮していた様子が、実戦報告から伺えます。ですが、南方のパレンバンの製油工場からの石油調達が困難となった終盤では、オクタン価の低下が発生して様子で。高い整備能力を持つ、飛行47戦隊の刈谷大尉も、燃料の質の低下に悩まされています😢。それでも、陸軍、海軍の戦闘機部隊には92オクタン価の燃料が優先的に供給される努力はされていて。特に、誉装備の機体を有する飛行部隊には92オクタン価燃料が供給され続けた記録が残っていますが。残念ながら、レイテ決戦敗北後は、燃料の質の維持(量も)担保不可能になってしまっており。疾風の飛行性能低下原因の一つになっています。1945年頃の疾風は、初期の性能は出ず。自慢の速度も良好な部隊で610㎞/h程度、最悪な部隊では580㎞/h程度となっており。上昇性能も5000mまで6分半~7分が、10分以上に低下する等。散々な状態でした😢。
@mady_game_channel
@mady_game_channel 6 ай бұрын
四式戦のプロペラ径が小さいのは、陸軍搭乗員が大口径プロペラを回した時に起こる巨大な遠心力が機体の運動性能を邪魔する事を嫌った為とも言われています。 また、小口径プロペラは回転が上がるのが早く、低中速時のダッシュ力が搭乗員から好まれた様です。低高度・低速からの加速勝負で一式戦がP-51を引き離した話は有名ですよね。 ハ45はいわゆる高回転高出力型のエンジンで、高回転時に発生する異常な熱量が元々あった設計ミスを更に深刻化させる原因となっていた様で、ハ45を常識的な回転数で回した場合1400馬力程度だったそうです。また、軍から来た工場管理者が部品の製造方法を勝手に変更して粗悪品を乱発させるという馬鹿げた事もあったそうです。 量産の件は、中島は第一次大戦やその他の戦争を経験していない新興企業だったので、戦時急増体制や品質維持体制を構築した経験が無く、検査治具や品質管理体制を過去の経験から可能な限り用意して素人が造る事を前提とした体制を築いていた三菱との差が明確にあった様です。
@sei-un
@sei-un 6 ай бұрын
日本のエンジンは欧米各国に比べて馬力では同格でもトルクが細いという特徴があったので(そしてショートストローク気味なので直径が小さい) 疾風のプロペラは悪くない選択だったそうです 雷電や鍾馗の様に爆撃機用エンジンだったら話は変わるかもですが…
@arokuo301
@arokuo301 5 ай бұрын
零戦の2/3は中島製で、エンジンもほぼすべて中島が制作しているが。 むしろ三菱の歩留まりの方が問題だったといわれている。
@sei-un
@sei-un 5 ай бұрын
@@arokuo301 むしろ体制的には中島のほうが戦時体制移行はスムーズだったとは聞いたな 工場の設計とか外注体制なんかは当時の欧米を参考にしてるので三菱みたいに道路が無いので組み立て→ばらして牛さんで運搬とかなかったらしいし 作り難くてしょうがないので中島で治具を作成して それを聞いた三菱が自社にも導入したけど 職人が「俺がやったほうが正確だ」っつって埃を被ってた って話を聞いた覚えがある
@nj-xl9lx
@nj-xl9lx 6 ай бұрын
優秀なパイロット、整備士がミッドウェイ以降に亡くなる中でこの機体が最後の灯になったんだろうなっと思えることは日本人の誇りだと思いますよ
@user-kd1ze2fd1j
@user-kd1ze2fd1j 6 ай бұрын
陸軍機です
@nj-xl9lx
@nj-xl9lx 6 ай бұрын
@@user-kd1ze2fd1j 大日本帝国全体のことですw
@hiroyan0718
@hiroyan0718 6 ай бұрын
資源枯渇で金属の材質やガソリンのオクタン価が下がってたのは確かですが、工員が女性だったのはアメリカも一緒。 女性初心者向け工員教育用動画とかまで作っていたアメリカの、基礎的な人間に対する考え方が差になったんじゃないですかねぇ?
@user-ct2mm5zf2z
@user-ct2mm5zf2z 6 ай бұрын
女性の気質の違いもあると思う。 アメリカは兎に角、口は激しいけどその分は働くし体格も違う。
@kazumasaotu6016
@kazumasaotu6016 6 ай бұрын
「基礎的な人間に対する考え方」という事では、T型フォードが、1908年から約20年間、徹底的な大量生産指向で生産され、 戦略的にモデルチェンジをしませんでした。 移民国家アメリカなので、ろくに学校に行っていないとか、練度が低い人でもこなせるように工夫はあったと思いますね。 熟練工でないと安定品質の良い製品が作れないとなると、現代でもそうですが、教える方も体で体得しているので、 上手く教えられません。
@user-ei4dz5tq5n
@user-ei4dz5tq5n 6 ай бұрын
同感です、日本は元々ハードではなくソフトで対応せよという文化です。例えば風呂敷はスイカ、お酒、四角の物、丸いもの使い手の技量で美しく柔軟に対応する、一方アメリカは人間に細かな対応は無理の前提で道具や運用を考えるのです。こういっちゃなんだけど、非常時はフールプルーフ前提にことを進めるのが効率がとても良いんですよね。
@user-yk7pt7xx2h
@user-yk7pt7xx2h 5 ай бұрын
@@kazumasaotu6016さん その熟練工も米独のレベルから見たら不良クズレベル。 働かないですぐサボる 喧嘩と博打だけ熟練して製品はクソレベル ろくに後輩を教えない 実際疾風も純真無垢な女学生が作ったものの方が平均して出来は良かったそうでした。 そうなるのは材料以前に日本の工員はドイツと違い待遇が全く良くなかっ上に地位も低かったから。 実際アメリカやドイツはちゃんとマニュアル作って初年兵や素人でも動かせる様にしてましたからね。 こういうところも日本はダメダメ。 更に当時から体育会系偏重が酷く研究者や文化会系を大事にしなかった結果、文化会系の学徒動員兵に零戦真の弱点である 右方向への水平旋回だと極度に旋回性能が悪くなる(これを知っていた日本軍の操縦者は敵に襲撃されたらまずは左旋回で逃げた)を見抜かれ(サッチ少佐は学生の意見を零戦の実機で証明しただけ。但し学生のそういう意見を「青白い書生風情が偉そうにいうな」で却下しなかったのは偉い)、ガダルカナルで日本軍が大損害受ける原因にもなってます。 疾風もこの弱点が馬力が大きい分酷くなってます。それでも右に当て舵しないと真っ直ぐ飛べない紫電改や五式戦よりはマシでしたが。
@user-yk7pt7xx2h
@user-yk7pt7xx2h 4 ай бұрын
@@user-ei4dz5tq5nさん 後OEMの考え方の有無。 まあ隼と零戦は例外的にOEMが行われてますが この考え方最大の失敗例が紫電改。 本来三菱にも転換生産させる予定でしたが、 中島にボロエンジン摑まされたせいだ と堀越が烈風開発を強行、自社のハー43エンジンをくっつけてましたね。 実際川西側も三菱に配慮してハー43が完成したらこちらへの換装を提案、試作までしていますからね。
@akibanokitune
@akibanokitune 6 ай бұрын
いくら高性能な新型機作っても手練れのパイロットを粗末にしてきたから今更なんだよね
@cooper7003
@cooper7003 6 ай бұрын
わたしは疾風が一番好きですね。  真っ直ぐに伸びた前縁、丸っこい垂直尾翼、ホマレをつつむ巨大なカウリング すばらしいデザイン。 アメリカと同じ航空燃料があれば紫電改とともに無双できたはず
@neiton-dl4dd
@neiton-dl4dd 5 ай бұрын
戦争は総合力なんで燃料だけでは強くならない。潤滑油も点火プラグもプラグケーブルも無線機他、何もかもアメリカには勝てなかった。 唯一資源のいらない設計だけが優れていた…
@cooper7003
@cooper7003 5 ай бұрын
日本占領後、米軍で押収した疾風の試験飛行をした非常に高い戦闘力を叩き出しています 厳しい条件のもと優秀な戦闘機を設計した設計陣をリスペクトします しかし無双とは言いすぎでした
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
@@cooper7003 さん。残念ながら、米軍の飛行テストデータは推算です😢。四機の疾風を持ち帰り、誉をオーバーホールまでして。全力飛行を試みましたが。残念ながら、誉の不調は治らず。不完全な飛行テストに終わった様子です。ただ『日本最高の戦闘機』の称号は不動です。おそらく、高性能の片鱗くらいはアメリカのテストでも見せたのでしょう。でも、安心して下さい。既に、日本陸軍での飛行テストで公式数値の624㎞/hを超える速度を発揮しています😉。631㎞/h、640㎞/hを初期試作型(推力式集合排気管で)で叩き出しています(しかも、1800馬力の誉11型で)。その他に、条件不明ながら、木村技術少佐のメモに、655㎞/h。と残されており。さらに、陸軍飛行審査部にて、660㎞/hを出したとの証言があります。因みに、中島が設計段階で試算した性能数値は660㎞/hですから。戦時中の厳しい環境で、目標数値を達成していた事になります。また、比較的に整備体制と誉の品質が良かった初期の疾風は、飛行第22戦隊の戦闘報告を読む限りでは、P51B,CやP47との空戦(おそらく5000~6000m付近の疾風に有利な条件)において。かなり優位な空戦を展開しています。6000m付近だとP51は640~660㎞/h程度、P47は620~640㎞/h程度でしたから、完調な疾風ならば630~640㎞/hを出していたので。互角以上の空戦を展開しています。支援体制がしっかりしていれば疾風は優秀ではあったのです。
@sushi-love
@sushi-love 5 ай бұрын
​@@user-sd8pb3bq2kま、疾風は欧米機と互角に闘える、程度のもんだな。レシプロ機の性能はニアリーイコール発動機出力なんだから。防弾が薄く機体の安全係数が少ない分、軽くて若干上の馬力の機体と互角に戦えるかな、程度。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
@@sushi-love さん。完調なら互角と言ったところですね。初期の第22戦隊は、中国方面では相応に互角な空戦を展開してますからね。残念ながら、台湾防空以降に性能面で陰りが見え初めています。レイテ決戦の初期までは、米陸軍航空隊と互角以上の空戦を見せ。一時的に、レイテの制空権を掌握して見せたりしますが。アメリカ海軍機動部隊が、本格的に空戦に参加し始めると。F6Fに翻弄され始め、一気に戦力を失います。アメリカ海軍戦闘機パイロットの腕が上がっていたのも事実ですが、疾風の誉の虚弱性から、レイテ決戦初期の頃の性能を発揮不能になっていたのが戦記でも伺えます。何せ、カタログ性能でF6Fより優速な筈なのに、多くの疾風乗りが『F6Fの方が幾分速度が高く、上昇性能も旋回性能もF6Fの方が上😥』と、落胆しています。誉はデリケートで、一回全力出動すると、二回目の出撃可能機が半分以下になる事がザラでした。酷使された誉では、カタログ以下の性能しか出せていなかったと想像できます。そんな状態の疾風でしたが、対峙したアメリカ海軍パイロットは、一定の評価を与えています。『高速で、なかなか火を吹かない』『加速と上昇性能が良い』等々。日本陸軍パイロットが感じていた焦燥感とは逆に、優秀な戦闘機とアメリカ海軍パイロットは見ていました。(鍾馗と誤認していたらしいですが😅)。
@notareji-ni
@notareji-ni 3 ай бұрын
上昇力は鍾馗、隼に遠く及ばず、急降下速度では飛燕、鍾馗に及ばない。鍾馗を2000馬力エンジンに換装し、武装を20mmにした改良型の試作機が有望とされたのに不採用になって代わりに疾風が採用された。鍾馗は量産型でも日米戦闘機の中で最高の上昇力とトップクラスの急降下速度を持っていたから、改良型が採用されなかったのが悔やまれる。
@rikugun1skisentoukihayabusa
@rikugun1skisentoukihayabusa 6 ай бұрын
こういった動画を見る度に思うんだが………。 陸海軍も7.7㎜や20㎜を止めて全部『12.7㎜(マ弾装備)』の機銃に統一したら良かったんじゃ無いかな?
@user-rl2gf1wm5q
@user-rl2gf1wm5q 6 ай бұрын
ホントにそう思う。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 4 ай бұрын
マ弾の欠点は、空気圧縮を応用した空気信管でした。通常の信管で製作するよりも、遥かに簡単に製作できて。暴発の心配も無い事から。日本陸軍の航空機用機関砲弾に採用されましたが。一見、信頼性も高く構造も簡単で有効な打撃力もあるそうですが。弾頭の圧縮と同時に炸裂する事が多く、射弾の入射角度によっては。機体表面で炸裂してしまい、有効打にならないケースが発生しています。米軍の報告でも、隼からの攻撃なのに『20ミリで撃たれた‼️』と言う報告が多数上がっていますが。撃墜に到らず生還する機体も多かった様子です。要するに、貫徹する前に炸裂するのが弱点なんです
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 4 ай бұрын
@@whitepandajp さん。相変わらず詳しいですな😊。以前読んだサイトが消滅したのか資料が示せない🤔。そのサイトでは、空気信管は早爆の傾向が強いと書いてましたね。別な資料では、ホ5に関しては。弾頭の肉厚の調整で、爆発時期を調整可能になるらしく。初期の空気信管の様な早爆は解決された。としていますね。この空気信管、日本陸軍の渡辺少佐?だったかな?が機械式信管の暴発の対策研究で信管内部の空気の断熱圧縮が関連している事を発見して。思い付いたアイデアとも言われていますね。実用化は1943年以降。確か、日本海軍でも無撃針信管として珍しく、陸軍の技術を採用しています。私も、色々調べた時期があったのですが。早期爆発で機体表面での爆発が多いと言った評価が多かったですね。因みに、イギリス空軍も経緯は不明ですが。イスパノ20ミリの弾丸を独自に改修して、空気信管にしたらしいのですが。早爆しやすかったので、機械式信管に戻したと解説されていますね。マ弾(空気信管)は資料が少ないです🤔。内部炸薬にしても7gとしている資料もあります。謎が多いです。
@user-rl2gf1wm5q
@user-rl2gf1wm5q 6 ай бұрын
四式戦は稼働率が相当に低かった。それではスペックが高くとも無意味ですね。日本陸軍の主力はやはり一式戦なんだろう。
@flashnewlight1075
@flashnewlight1075 3 ай бұрын
ドイツ軍機の影響も受けてますね。
@guugoosuka6909
@guugoosuka6909 6 ай бұрын
完調ならバランス良く優等生。米軍レベルの支援体制なら大戦最優秀機w 現実は少数分散運用かつ支援体制も劣悪で期待された活躍ができなかった悲劇の機体。
@user-lm9bs2pz4y
@user-lm9bs2pz4y 6 ай бұрын
戦時中最後の日本ニュース第254號は、ナレーションがない「征空部隊」というタイトルで、明野の四式戰及び厚木の雷電が、各々の歌と共に出ます。 kzbin.info/www/bejne/a32Tg2Ombrygfq8si=pzNDZcJYidsie8Yc
@KeyYou893
@KeyYou893 6 ай бұрын
日本最良の戦闘機は五式戦闘機だと思う
@yutas8710
@yutas8710 6 ай бұрын
数が少なくて話になりません。
@yoshitsuguoda5046
@yoshitsuguoda5046 6 ай бұрын
390機
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
五式戦闘機を過大評価してはいけない。あくまでも、首無し飛燕の救済であり応急処置。考えてもみて下さい。1945年に580㎞/hの戦闘機なんて、話しになりません。誉の品質低下から、疾風の性能が低下した時期に、たまたま五式戦闘機が疾風よりマシな性能だっただけなんですよ。しかも、稼働率もさほど良くもありませんでした。最良の部隊でも60%程度です。実際に、黒江少佐はP51Cで、五式戦部隊を訪問、模擬空戦を実施。旋回戦闘ならP51にも勝てる‼️と、興奮するパイロットに。P51は、本気を出していない(貴重な一機なのでエンジン出力を70%に控えていた)そんな戦い方をしたら、お前ら死ぬぞ‼️と警告したそうです。五式戦闘機の性能とはその程度、カタログ語りは控えたいのですが。実質的に、零戦52型や隼3型より少し上程度の性能です。量産する価値はないのです。1645年の終戦間際に、全てのエンジンの稼働率が低下していました。栄ですら50%台でした、誉も20%に落ちていました(陸軍47戦隊や海軍343空以外)。その中で金星系列は60%の稼働率を出していましたから。希望が持てる唯一のエンジンになっていたのは事実ですが。この時期の1500馬力エンジンは時代遅れです😣
@neiton-dl4dd
@neiton-dl4dd 5 ай бұрын
むしろ中島飛行機が金星エンジン搭載前提で新型迎撃戦闘機作ったら面白いのができたと思う。 鍾馗でも605km/h出せたから600km/h超の最高速度、鍾馗の上昇力、疾風の重武装、鍾馗疾風のすわりの良い機体、疾風の量産対応設計。五式戦闘機よりも優れた戦闘機になったと思うけどな。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
@@neiton-dl4dd 金星専用設計ではありませんが。すでに、戦時中に満州飛行機で。金星換装型の疾風は試作されていますよ。キ116と言います。若干の速度低下(600㎞/h程度?)軽量化(300㎏減少)により、運動性能と上昇性能の向上があったとされていますが。全力テスト前に敗戦になり、終了しています。
@nekomimiz5559
@nekomimiz5559 6 ай бұрын
終戦時18だった親父は軍事工場で誉を作っていたと、聞いている。 工作精度がガタガタで絶対回らないエンジンを作っていたと、聞いている。 終戦時ひまし油が余っていて天ぷらを揚げて、ピーピードンドン!
@nekomimiz5559
@nekomimiz5559 5 ай бұрын
@@whitepandajp 1980年代後半まで市販レーサーTZやモトクロッサーは鉱物油でも動くが勝つ為の ひと絞りが違うから、ひまし油ベースのカストロールR30/40を使っていた。 バイク屋の連れがモトクロスしていたから、カストロールの香りは知っている。 1988年頃市販された化学合成油カストロールA747が出てR30/40と違って半日では腐らず一週間OKで 駆逐された。R30/40は20世紀末に生産終了になった。
@runami1415
@runami1415 6 ай бұрын
こちらから聞く前に経験者から口にしてました、「五式戦、あれはよかった」。四式戦でないところがやはり現場の声だったことは事実。 何が最良だったのかな? 想像と妄想の産物のなのかな?
@ehehe123456
@ehehe123456 6 ай бұрын
当時の日本の工業力の未熟さが疾風の欠陥となっていったのですね。
@carroarmatom15
@carroarmatom15 6 ай бұрын
知覧特攻平和会館ある疾風を飛べるようにしてほしい 部品が若干盗まれてるけど元々飛行可能な状態で日本に譲渡されたはずだったような
@user-em7lw6yw2b
@user-em7lw6yw2b 3 ай бұрын
陸軍は地に足ついた機体の要求ができてるんだよね。まあ陸上だから墜落したら地上部隊に助けて貰えばいいやって考えもあったからなんだろうが、その点海軍は墜落即死を意味するからまず弾が当たるわけにはいかなかった。
@sowhat8763
@sowhat8763 3 ай бұрын
兎にも角にも、当時の工業水準が追いついてない機体、 疾風に限らず、全般に亘ってエンジン不調、排気タービンに 至っては、耐熱材料開発が及ばず断念、 加えて海軍以下のオクタン価燃料に甘んじていた、 どちらにしても100オクタン価以上の航空燃料を作れなかった、 エンジンに限らず、レーダー、空中電話、機関砲・給弾システム プロペラ制御、、等々、問題を解決できなかった 膨大な消耗戦には勝ち目のなかった日本、 余談 私が勤務していた某大手メーカーの専務は帝国陸軍パイロット、 フィリピン、帝都防空に従事、 口癖のように語ってました、ビス一本ビス穴に合わない事に 嘆いていたそうな、 ※品質管理、公差の概念が不足、統計管理の現場投入が無かった。 敗戦後、生還出来た日本人は工業品の品質全般と各種エンジン開発に 邁進する、やがて信頼される日本製品への礎を築く。
@user-zt5vf9sb4i
@user-zt5vf9sb4i 6 ай бұрын
ガソリンのオクタン価が高ければ稼働率は高かっただろうと聴いた事がある。
@sei-un
@sei-un 6 ай бұрын
整備の問題もあったみたい 〇〇時間でオーバーホールとか〇〇時間でオイル交換とか…マニュアル記載の事をしてないのが当たり前だったそうだし 当然、マニュアル通りに整備してる部隊は稼働率がそれなりに高かった とはいえ、オイルの頼みの綱が戦前輸入のアメリカ製自動車用オイルだったらしいからなぁ(一応戦争末期に同等クラスのが試作出来たレベル…)
@sei-un
@sei-un 5 ай бұрын
@@whitepandajp 一定時間での整備とかを導入してたのが一部の部隊程度だったとからしいですしねぇ パイロットとも情報を共有するシステムで自然と所属したパイロットは整備の知識を得ることになったそうな 当時そういうことをしてたのは国鉄と一部航空部隊、一部戦車部隊程度だったそう
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 4 ай бұрын
@@sei-un 飛行第47戦隊ですね。成増を拠点にしていた飛行戦隊でした。整備のトップの刈谷大尉が考案した時間整備方法と、整備班の編成(軽整備班と重整備班)を適切に行い。機体の稼働率を上げていました。更に、パイロットに対しても頻繁なミーティングを実施して取り扱い教育の実施を行い。ムリな操縦による故障、破損の防止に注力していました。また、各パイロットに飛行中の戦闘機の状態を機付長に帰還後に報告を義務化して。地上では解らない飛行中の不具合の改善に務めていました。パイロットに不具合の報告を正確に出させる為に、パイロットに対する取り扱い教育が必要だった訳です。当時のパイロットには、飛行機は飛ばせても『機械音痴』が多く。機体の不具合、不調を整備員に伝えられないケースが多かった様子です。酷いケースだと、不調原因を言わず、整備員を『殴る』パイロットもけっこういました🤪。疾風は、決戦機として増産されて次々と飛行戦隊に配備されていきましたが。隼しか扱った経験しかない部隊では誉の整備に手を焼き、只でさえ粗製乱造ギミになっていた誉の稼働率低下に拍車を掛けていました。1944年後半から疾風が配備された部隊では稼働率が良くて40%、最低の部隊では20%以下に低迷。陸軍上層部も、決戦機疾風の稼働率低下と性能低下(稼働できても580㎞/h程度しか出ない😱)は大問題となっていました。1944年12月頃から、鍾馗→疾風に改編した47戦隊は、高い稼働率と一定の性能発揮を実現していたので。疾風部隊の整備員教育の任務も命じられ。刈谷大尉の元には日本陸軍航空部隊の整備員が疾風の整備方法を学んでいきましたが、それによって稼働率が上がったのかは不明です。刈谷大尉の証言では、疾風の誉の整備方法を隼の栄と同様な方法で整備していたのが、不調多発の原因と見ていました。そんな、整備優秀な47戦隊でも。燃料の質の悪化や潤滑油の質の悪化で、疾風の稼働率こそ維持していたものの。飛行性能の低下は避けられず。最大速度は610㎞/h程度が限界になっていた様です😢。
@tubemimimi
@tubemimimi 4 ай бұрын
エンジンが当時の日本の技術ではまともに回せない物だったのが、機体が2000馬力級で最大の性能が出る設計だから量産誉のよくて1800出てるかどうかの馬力ではかなり性能落ちてたと思うよ 素材も油も無い無いづくしの当時では点火プラグもオイルも燃料もまともなの使えないから尚更性能低下するし、まともに稼働率出せてた部隊が一握りだったのもそりゃ無理もないかと
@flyerhook7896
@flyerhook7896 5 ай бұрын
隼3型最強伝説って有ります。今でも検索したら出てくるかな。当時のパイロットの経験談です。
@user-qm5xv4ie6s
@user-qm5xv4ie6s 5 ай бұрын
高高度性能に優れていたとか。
@sei-un
@sei-un 5 ай бұрын
???「私なら隼3型を選びます。負けない」 でしたっけ 好みとしては鍾馗も好きだったそうですが
@flyerhook7896
@flyerhook7896 5 ай бұрын
@@sei-un そう。それです。非常に為になりるお話しでした。 浅薄なカタログデータで語るミリオタに教えてあげたい内容でしよねw 二式単戦も褒めてましたね。
@user-xb4dx8xz1v
@user-xb4dx8xz1v 5 ай бұрын
隼3型は水メタノールを使うと2型とは別機と思う程の高性能を発揮したそう。隼が良かったと云う歴戦者は多いです。
@sei-un
@sei-un 5 ай бұрын
@@flyerhook7896 機体それぞれに合った飛ばし方、戦い方がある みたいな事も仰ってましたね~ 似たような事は海軍の赤松さんも仰ってたそうです 「なんで雷電で戦えるんだ」→「ベテランなら機体の特性に合わせろや」 って言い方は乱暴だったそうですがw
@user-ob7bl8je6m
@user-ob7bl8je6m 3 ай бұрын
中島キ84「疾風」 三菱「雷電」 高性能戦闘機であるがゆえ、真価を発揮できなかった不運の戦闘機。 だから、アメリカ🇺🇸がテストすればおそろしいほどの性能を発揮したのだろう。
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 5 ай бұрын
始めから、零戦などにも二千馬力級のエンジン付けるべきだった防弾も充実し パイロットも守られたと思う
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
海軍空技省が初期段階で構想していたのは。零戦サイズの機体に『誉』搭載の構想でした。三菱に正式試作を指示する段階で、『零戦並みの旋回性能』を要求された事と、空母での運用の都合から。翼面荷重を130㎏に設定される等々の問題が発生。翼面荷重を抑える為、主翼面積増大、主翼にあわせて胴体も肥大。『誉』では性能が発揮不能な機体が完成しました。さらに言うなれば、堀越技士が最初から『誉』で完成させる気が更々なかった事。96艦戦開発当時から、海軍指定の中島製エンジンの不具合に悩まされ、中島側の不具合対応の悪さに辟易していた堀越技士は、零戦では自社の『瑞星か金星』にする予定でしたが。試作途中で海軍側から『栄』を指定されてしまい、又しても悔しい思いをしています。零戦や隼の活躍で『傑作エンジン栄』と言われていますが。栄も初期から最終型まで不具合が続いていた様子で。堀越技士は、2号零戦(32,22型)開発中に『栄が中島の公表値の馬力が出ていない😠』と立腹😠。再三、中島に対応を求めますが。不十分でったようで。堀越技士は『これが自社エンジンなら、不具合を直ぐ改善できるのに』と不平不満を隠しませんでした🤔。おそらく、堀越技士は、確信犯的な設計をしたのだと個人的に想像しています。海軍の要求を逆手に採って、自社の2200馬力エンジン『ハ43』を搭載出来る様に機体を大きく設計したのでしょう。いずれにしても烈風は失敗作。何故なら、事実上1900馬力程度しか出ない『誉21型』を搭載した、機体の小さい『紫電改』が普通に、海軍が烈風に求めた性能をクリア。優れたファウラーフラップ(空戦フラップ兼用)のお陰で着陸速度も比較的に低く。艦上戦闘機に改修された機体が普通に空母に着艦、離陸できてしまい。烈風は不要になってしまいましたからね。最初の空技省のプランに近い『烈風』だったらば、意外と良い艦上戦闘機が出来ていたかもしれません。余談、実は『零戦』は、海軍側で仕様を策定する会議段階で。将来的には最大速度700㎞/hも視野に入れる(但し、エンジンは新型)としていて。2000馬力の『零戦』の構想は、既に1937年からオボロ気ながら存在していたと言えます。
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 5 ай бұрын
@@user-sd8pb3bq2k 海軍が、陸軍の隼の評判で、エンジンを栄に定められて残念。 設計は設計屋にする物で軍部の口出しで堀越二郎は、もの言えなくなって、零戦が出来た時悲しい顔してますね。何人の海軍パイロットがアメリカ軍のどんどん繰り出して来る戦闘機の餌食となって戦死したでしょう。最後は特攻兵器になって悲しい限りです
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
@@user-lx5rz2ml5u さん。零戦の『栄』採用に隼は無関係です。前コメに書いた、海軍の仕様決定会議の中で。既に、零戦のエンジン候補に上がっていました。只し、その段階で『栄』はまだ試作実験段階でした。何故、実用になってもいないエンジンが候補になっていたのか?。その辺りの経緯は不明瞭ですが。中島飛行機の創業者、中島知久平は、元海軍軍人であり。軍部、政界に強い繋がりを持っていましたから。中島のエンジンを強く斡旋できる力があったのかもしれません。零戦に関して言えば、機体サイズからして。堀越技士は最初から自社製の『金星』への換装は折り込み済だったと想像しています。ですが、海軍側から『栄』指定をされた結果、不本意ながら『栄』の搭載になっていきます。そう言った、不本意な海軍のやり方に不満が蓄積したのか?。大戦中に、馬力の高い『金星』への換装を海軍側から打診されたのに。堀越技士は、多忙を理由に断っています(戦時中に自ら断っておきながら、戦後は一転して。『金星』換装を指示しなかった海軍が悪いと海軍を批判していますが😥)。零戦をアクタン島で捕獲したアメリカ軍は、零戦を細部まで調査して。『更なる大馬力エンジンへの換装の余裕を持つ』発展性がある機体と判定していて。おそらくは『金星』クラスの1300~1500馬力エンジンへ換装して、更に性能向上する可能性を感じていたのでしょう。サイパン島の戦闘で、アメリカ海兵隊は、日本海軍が残していた。最新の零戦52型を確保するために、飛行場の零戦を含む航空機の破壊を目指す。日本軍部隊から。必死で零戦を守り抜きました。それは、おそらく、新型の零戦がアメリカ軍の予測道理であるか?確認したかったからでしょう。馬力向上した性能向上型なのか?、それとも1000馬力のママなのか?。結論は、零戦は、馬力向上はしておらず。僅かな性能向上に留まっていました。アメリカ軍の評価も低く『従来の零戦対策で充分に対応可能』であり、新型のF6FとF4Uならば。時速400㎞/h以下でのドックファイトさえ注意すれば問題なく勝てると判定していました。せめて『金星』零戦を堀越技士が、へそを曲げずに開発してくれていたら?。1943年中盤にはもう少し性能が向上した零戦が誕生していて。少しは、パイロットが死なずにすんだかもしれません。(堀越技士が忙しかったのは事実ではあります)
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 5 ай бұрын
@@user-sd8pb3bq2k いろいろ詳しく細かく説明ありがとうございます。 エンジンも三菱は三菱で、中島は中島で開発したんでしょうね。 日本もパイロットが侍のように、1人で戦かわず3人のチームの一撃離脱考えたら、戦闘機も21型から強力なもの出来たでしょうね いずれ、日本はアメリカとの戦争で負けて良かったと思う。まだ戦力あって戦かってたらソ連が北海道や東北を占領しに来たでしょうね 日本解体されました。
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 5 ай бұрын
@@user-sd8pb3bq2k 本当に当時の日本の戦闘機の、状況に付いて詳しく、有難い限りにです。私は中学生の頃プラモデルから 日本軍にも、こんな戦闘機や潜水艦や、大和のような船も作った国なんだと思い、零戦などに付いて考えるように、なったに過ぎない子供でした。しかしながらテレビなどで日本がアメリカに敗戦した理由など報道されている内にアメリカと言う国は戦う相手を、良く調べ上げ戦争する国なんだと考えさられました。だから日本家屋は木造が大半で焼夷弾を開発されてジュウタン爆撃されましたし、あらゆる石油タンクや工場や鉄道も標的にして着実に戦う国力のある国と考えさせられました。 山本長官は真珠湾攻撃して空母もいると思い立てた作戦で停戦講和に持ち込む考えだったけど長期戦になってしまいアメリカが有利になる事知っている山本は避けたかった戦争でした。戦闘機の話しに戻りますが、 日本はヨーロッパやアメリカが開発した横型エンジンは、中々馬力の出るものを開発出来なかったですが星型エンジンの開発には、すばらしいものがあると思います。
@kentaronarisawa7608
@kentaronarisawa7608 2 ай бұрын
ゼロ戦が出来た時点で開発すべきであったな、又ゼロ戦の双発化も堀越は考えるべきであったろう、
@user-pm5vv5cr8c
@user-pm5vv5cr8c 6 ай бұрын
途中の写真、どう見ても鍾馗だと思うんですけど。
@user-qm5xv4ie6s
@user-qm5xv4ie6s 5 ай бұрын
眼鏡式照準器、アンテナ支柱位置、風防形状、カウリング先端の絞り込み形状等、いずれも鐘馗の特徴ですね。
@gumigumi7178
@gumigumi7178 5 ай бұрын
で、疾風の防弾性はどうだったの? ちゃんとしてないから、乗るパイロットが居なくなっちまった。
@user-hw2bp4ue7s
@user-hw2bp4ue7s 4 ай бұрын
防弾ガラス、防漏タンクに加え、米軍機と比べても厚い装甲をもっております。
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 5 ай бұрын
兵器を作る工員を戦地に兵隊にしてている日本軍は,失敗優秀な技師がいて良い戦闘機が出来るし、小学生にタガネ持たせ作る事も駄目な事をしている
@nekonohige2
@nekonohige2 4 ай бұрын
熟練工まで駆り出すとは! もうこの時点で終わっている。またどれだけ性能が良くても数的に劣勢であれば、負けるのは確実。
@kiyoshijinno3894
@kiyoshijinno3894 5 ай бұрын
日本の高度な先端技術を用いればゼロ戦と共に現役復帰も可能ではないか。 持久戦においては1機100億円もする戦闘機を戦場で使うにはもったいない。 ウクライナ戦争ではウクライナ軍は安価なドローン、一方のロシアは旧式の戦車を持ち出して居ます。
@user-ge3dx5om4h
@user-ge3dx5om4h 6 ай бұрын
コンパクトで大馬力発揮する発動機には、やはりオクタン価の高い燃料の使用が前提条件だったそうです。しかし、陸海軍の航空機は92位のオクタン価だったようです。残念至極。
@user-jz1lr5uz1i
@user-jz1lr5uz1i 6 ай бұрын
92オクタンは今のレギュラー・ガソリンですね。
@2001banekuro
@2001banekuro 4 ай бұрын
あまり触れられないが、四式線の主脚構造は、心配になるぐらい貧相な設計。 結局脚を出来るだけ軽くしろという変な要求が、アチコチで制限を起こしてしまい、特にプロペラ径の不足という、致命的なチョンボをやらかす要因となった。 Fw190の評価が高い理由の一つはあの頑強な足回りにもあるので、どうもそこが学習出来ていなかったようだ。 まぁサンダーボルトも主脚のトラブル多発で、戦後ただちにクビにされたように、空を飛ぶときには邪魔に思える降着装置が、実は結構重要な要素なのだ。
@user-hz4cb6qx8z
@user-hz4cb6qx8z 6 ай бұрын
四式戦の稼働率の低さには、いろいろと問題はありますが、動画でも言及されている潤滑油の問題も大きかったと思います。当時の日本の国情を考慮すると、四式戦は飛行機としては日本最良だったと思いますが、兵器としては疑問が残ります。しかし仮に兵器を国情にあわせて最適化しても、兵站を維持できないような作戦を立て兵士を餓死させて、さらに徴兵して生産力を落としていく軍隊では、焼け石に水だったでしょう。
@sushi-love
@sushi-love 5 ай бұрын
まぁ、米国が強すぎた。ロシア、イギリス相手ならこんな無惨な結果じゃないよ。米国一国で全世界を相手していても勝つと思うよ。
@user-hz4cb6qx8z
@user-hz4cb6qx8z 5 ай бұрын
諸説ありますが、昭和16年、日本の軍事費はGNPの20%をはるかに超えていたそうです。2023年のロシアですらGDPの3.9%。日中戦争で疲弊した日本は、すでに総力戦を戦えるような状態ではなかったのかもしれません。@@sushi-love
@sushi-love
@sushi-love 5 ай бұрын
@@user-hz4cb6qx8z ホントギリギリで生きてたからね。投資した満州渡したら経済崩壊間違いなし。戦争などできる国では無かった。ロシア相手も極東軍相手だからなんとかなっただけだしね。それも米英に助けてもらって何とか何とか判定勝ち程度。貧乏過ぎた
@abe014014
@abe014014 5 ай бұрын
戦局悪化で熟練工まで徴兵ってのが、どうしても理解出来ない。そんなに日本の軍部はバカだったのかと、どう考えても愚かな判断だったと思う。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p Ай бұрын
文系だからその辺が駄目だよな。官僚主義ってのもあるかもしれないけど。政治が介入すべきだった。
@user-yh7ib5oi9t
@user-yh7ib5oi9t 6 ай бұрын
プロペラの直径を大きくし過ぎると1番外側が音速超えて効率落ちるから。
@user-ic9sh6fg5z
@user-ic9sh6fg5z 5 ай бұрын
疾風って洗練された傑作機だと思うけど、故に繊細で当時の日本の工業力や燃料では、その最大能力を発揮するのは難しかったんだと 反面?紫電改は武骨なイメージっていうかベースとなる紫電から急拵えで改造した機体でありながら、あの性能は驚き 陸軍機だと五式戦がこれに当たるのかな? 飛燕の心臓たる液冷発動機が当時の工業力ではやはり難しく、首無しの機体に空冷発動機をつけて機体として纏め上げた
@user-sc5iq9yf5k
@user-sc5iq9yf5k 5 ай бұрын
実は紫電と強風はほぼ作り直しレベルで違ったりする
@user-ic5xl7nd8e
@user-ic5xl7nd8e 6 ай бұрын
誉エンジンは技術的に日本には無理があった。
@user-vk9jc1yt5y
@user-vk9jc1yt5y 6 ай бұрын
四式戦と五式戦、紫電21型が開戦前に揃ってればなぁ・・・
@user-hw2bp4ue7s
@user-hw2bp4ue7s 4 ай бұрын
あまりにも敵さんがかわいそう😂
@user-ik9hx2ic1o
@user-ik9hx2ic1o 6 ай бұрын
某アニメのせりふの”飛ばねぇ豚は、ただの豚だ。”じゃないけど飛ばない戦闘機は、飛行機ではない。 基礎工業力と国力が劣っている点はどうにもならないが、職業軍人という官僚組織が兵器のポテンシャルを維持することへの関心の低さが日本軍の飛行機運用に表れています。 現状に合った設計と整備体制・生産体制があればカタログ性能は劣るが、より有益な兵器となっただろう。
@gumigumi7178
@gumigumi7178 5 ай бұрын
結局、戦争の準備がきちんと出来ていなかった。これが敗戦の原因ですね。
@user-wb3qi2ew6l
@user-wb3qi2ew6l 5 ай бұрын
14:10 ペンを抛って労働に奉仕する彼等彼女らの、血を吐くような苦労を蔑ろにするつもりはないのだが、彼等彼女等の手には余りすぎた😢
@marieiru
@marieiru 6 ай бұрын
燃料の質が><他所は揮発性が良い燃料だから馬力は楽に出せた。
@kansai8507
@kansai8507 6 ай бұрын
ガソリンの「オクタン価が高い」という事は「着火性がより悪い」という事ですよ? (着火性が悪い=意図しない燃焼を起こさない=燃焼をより精密にコントロールできる=圧縮比を高く取れる=高出力を狙える)
@jimmy-qu7tj
@jimmy-qu7tj 6 ай бұрын
戦後、アメリカ軍は誉エンジンを掛け値なしに「遅すぎた良いエンジン」と褒めたんだよね。 多分、あれアメリカ軍なら運用できた気がする。おそらくは燃料だけの問題じゃない。 優れた整備士だって整備物資(これも油)だってないような状態で精密エンジンを故障なしで運用しろという方が無理。そういう部分を日本は怠ったんだと思う。 例えば飛行機の通信機だってアメリカの方が性能がずっと良かった。なぜなら真空管に良質のものがなかったから。向こうはVT信管用のメタルサブミニチュア管すらあった。
@sei-un
@sei-un 6 ай бұрын
そういや元鉄道関係者がいた整備部隊とかでは稼働率が良かったらしい (国鉄の整備スタイルを参考にしたそうな)
@user-nj2ti5nz4m
@user-nj2ti5nz4m 6 ай бұрын
確かにアメリカは日本最良の戦闘機と評価したけど、前線では様相が違っていた 疾風は2000馬力級のエンジンを積んだ優秀な戦闘機ではあっても、所詮同時期の英米の新鋭機には及ばない よって英米のパイロットの評価では、総合的な性能では従来の日本機をはるかに上回りながらも、特筆すべき速度も運動性も無かったため、与しやすい戦闘機というものだった では、彼等が恐れたのはなんだったのかというと、ベテランが搭乗した零戦、隼で、英米機の追従を許さない絶対的な水平旋回能力を生かせるそれらを敵にした場合、誘いに乗って格闘戦に入れば勝ち目は無く、逆に一撃離脱に徹しても狙いがつけづらく撃墜は至難の業と言うものだった 結局のところ、疾風は日本最良ではあっても世界レベルには及ばないという、当時の技術限界を示しただけに留まると言うのが、冷静な評価だと思う とは言え、技量が低いパイロットも疾風の防弾や加速性能で助かったことも否定できない事実で、その意味では決して卑下するものでもないのも確か
@user-gx3rd4qd6z
@user-gx3rd4qd6z 6 ай бұрын
日本の陸軍機で最良ってまー当たり前だよね! 大戦末期に出て一番の出力の高いエンジンだからな 紫電改との格闘戦だったらどうなんだろな
@BBS335
@BBS335 3 ай бұрын
当時の方々の話を聞いた時、疾風の評価は余り良くなかったです・・・、 皆さん重い、避けたくても曲がらない、壊れる、ただ+ブーストだけでぐんぐん上る、しかし排気ガスが操縦席に入って来て意識が保てなくなる・・・、 離着陸が難しい鍾馗、スピードが出ない隼、五式は隼と同じ感覚でスピードも出で攻撃力も有り、疾風より乗り易かった、と云ってました・・・。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p Ай бұрын
格闘戦の機体じゃないってことに気がついていなかったのかもしれませんね。格闘もそこそこできる機体で、隼のそれを期待してもね。
@koh631
@koh631 4 ай бұрын
FW190を輸入できていれば(>_
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 4 ай бұрын
さん。1機だけ輸入してます。A5型。審査部でも大好評でした😊。ですが、Fw190の輸入は困難ですから、ライセンス生産しか手段はありませんが。Fw190の生産方式は、ドイツだからできた工法なので。日本ではムリです。仮に機体がコピーできても、BMW801Dのコピーも不可能ですね😭。機械式自動エンジン制御装置の『コマンドゲレート』は、日本の当時の工業加工技術では生産不可能です😭。
@user-hw2bp4ue7s
@user-hw2bp4ue7s 4 ай бұрын
Fw190は優れた飛行機であり、設計上参考になる部分は多いと思います。しかし、航続距離が短く、米軍機に対して速度でも機動力でも勝てない機体ですので諸性能のバランスに優れた疾風より良いところは少ないのではないでしょうか。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 4 ай бұрын
@@user-hw2bp4ue7s Fw190A5は、陸軍審査部の名だたるベテランパイロットから絶賛されました。特に、初期上昇性能と加速性能は疾風を凌駕しており、鹵獲したP51Bすらも凌駕していました。また、機動性に関して言えば、日本陸軍パイロットは名言してはいませんが。旋回性能は劣悪な部類と断定しながらも、三舵の効きが良好で、総合的には軽業的な日本戦闘機と互角と判定しています。実際に、ヨーロッパ戦線でも、FW190は、新型米軍戦闘機P51B~DやP47B~Dに対して速度、高々高度性能、急降下速度で劣勢となってはいましたが。高度5000m以下では高い初期加速性能と優れた横転性能で米軍新型戦闘機を振り切って互角の空戦を展開しています。特に、初期加速性能は戦闘機の空戦ではアドバンテージであり。隼も、低高度での空戦では、P47やP38を振り切る加速性能を発揮して『オスカーは速い‼️』と米陸軍パイロットが舌を巻く程でした。あるソ連のYaK9のエースパイロット曰く『空戦において、カタログで最大速度が如何に優れていても、何の意味もない。空戦に必要なのは、優れた加速性能なのだ‼️高度3000m以内のYaKは世界中のどんな戦闘機よりも速い‼️』と断言するほどです。日本陸軍の隼もビルマ戦線では最後までイギリス空軍の最新鋭スピットファイアとも互角の空戦を展開していた事が軍事研究家の永年の調査と書籍で確認できます。FW190A5に対しての日本陸軍航空審査部のパイロットの結論は『優秀な戦闘機』でした。しかしながら、同じく審査部に所属してP51Bの実質的な専属パイロットになっていた『黒江少佐』は、FW190にも搭乗して全般性能は疾風以上と評価しながらも。P51Bの方が、全ての領域で高性能と判定。FW190はおろか、疾風でも対抗困難としています😫。P51は機動性能はさほど優秀ではありませんでしたが。一度最大速度付近まで達して、その速度領域で空戦を続ける限りは、どんな戦闘機も敵わない。が『黒江少佐』の結論でした。戦闘機の空戦は、自機の最良の空戦性能領域に如何に引き込むかが肝要といったところですね。ですが、FW190A型は日本戦闘機以上に6000m以上での飛行性能低下が酷く😰。日本陸海軍が迎撃に苦慮したB29には対抗不能ですから、総合的な性能では、仰るとうりで疾風の方が上ですね(誉が完調ならね😅)
@user-me6nu3tm1o
@user-me6nu3tm1o 5 ай бұрын
燃料がないんだから意味ないよな😂
@user-vg7uw1if1n
@user-vg7uw1if1n Ай бұрын
熟練工員を徴兵とか本当に日本軍ってアホですよね。さらに貴重なパイロットや疾風を特攻されるとか。今の日本も変わってないのかも。
@TakahiroIwata-vw6qm
@TakahiroIwata-vw6qm 16 күн бұрын
目先の事しか考えていない。
@sysop.google
@sysop.google 6 ай бұрын
むしろ隼とか好きかな。 やるなら紫電改ぐらいガチガチに極めないとダメだったんだろうな?ʅ(‾◡◝)ʃ
@watarut
@watarut 5 ай бұрын
「バカ!逃げろ!アイツはオスカーじゃない!フランクだ!ナカジマの新型だ!」 「オスカーなら未だしも、フランクとまともに撃ち合って、勝てる訳がない!」だったかなぁ🤔
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 5 ай бұрын
それは、戦場まんが。松本先生の創作です。
@user-fb3bx7xq9s
@user-fb3bx7xq9s 6 ай бұрын
未だに良く分からないのだが、何で『陸軍』に戦闘機部隊が有るのやら😅 『陸軍』は夢見過ぎたのか?😮
@user-ly3ph3ip5h
@user-ly3ph3ip5h 6 ай бұрын
第二次世界大戦の頃の日本には、空軍に相当する軍カテゴリーは無く、陸軍と海軍の二本柱 なので当時の軍用機はそのどちらか所属になります 敵だったアメリカ軍もそこは同じで、疾風のライバルと言えるP51マスタングもあちらさんの陸軍機ですお
@sei-un
@sei-un 5 ай бұрын
当時に空軍って分けてたのはドイツ位で逆にそのせいで連携とれなかったんだが… 計画で終わったけどグラーフツェッペリン(空母)は所属を空軍にするか海軍にするかで揉めに揉めたんやぞ 正直当時だと陸軍は陸軍で海軍は海軍で持ってるのが普通。当時はメリットよりもデメリットのほうがでかかった 日本の場合は一応そういう動きはあったけど細かいとこでいちいち借りるのは手間になるし空軍は陸海に対応した機材と乗員用意しなきゃならんし 命令系統も混乱するのである程度それぞれ自前で用意してるんだから下手に変えない方が良いだろって意見が大勢になった オチとしては憲法に陸海軍って書いてるから憲法変えなきゃならんのでこのままでって形になった いまでこそアメリカは空軍があるけど陸軍の航空部隊の枝分かれで現在でも海軍と海兵隊でそれぞれ航空部隊持ってる
@SckMyDikk
@SckMyDikk 5 ай бұрын
機体設計がいくら優秀でも数を揃えなければ意味がないし、数を揃えたところで飛ばす燃料も搭乗員もいないというね
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