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児玉さんと対談「安楽死が合法の国で起こっていること」
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28歳のオランダ人女性、精神的健康問題は改善しないと医師が告げ安楽死を選択【安楽死が合法の国】
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精神科医がこころの病気を解説するCh
Күн бұрын
Пікірлер: 409
@masudatherapy
9 ай бұрын
参考文献;安楽死が合法の国で起こっていること amzn.to/3PTSPJo ソースの記事はこちら www.thefp.com/p/im-28-and-im-... news.abplive.com/news/world/z... news.abplive.com/news/world/z... dutchreview.com/news/28-year-... www.breezyscroll.com/world/zo... ussanews.com/2024/04/01/im-28... ゾラヤ・テル・ベークさん(28歳)は、うつ病、自閉症、境界性人格障害を抱え、治療が効果を示さないため、オランダの法律に基づいて安楽死を選択しました。オランダでは、患者の苦痛が耐えがたく、改善の見込みがない場合に限り、他の治療方法が尽くされた後に安楽死が許可されます
@vh8hg
9 ай бұрын
50歳過ぎて病名がはっきりした時、これまでなぜこんな酷く苦しい人生だったのか、腑に落ちました。哲学も学んだこと、知識を得ることで変わりました。病気事態はなおったわけではありませんが、この世界でわたしはわたしなりの旅人でいればいいか、とおもいます。益田ドクターがおっしゃっているように 年齡が増すと段々症状が落ち着きます。そんな風になりました。これからも知識を得ることをやめずに生きていきたいです。
@phenomenon_open
9 ай бұрын
失礼します。四十代後半にADHDの診断を受けました。 それまで、自分が自分をコントロールできないことや、受け答えがいつもチグハグなことや、身体と精神がズレているような感覚に、散々悩まされてきました。 数えきれないほど「消えたい」と思いましたが、背負った存在のことを考えると、実行はできませんでした。 ADHDで生まれたことで、唯一良かったことは、思考力と探索力を培ったことでしょうか。 常に「何故なんだろう」と考えていたので、脳機能に留まらず、疑問に思ったことを多方面から調べ、自分なりに考えてきたことは、自分にとって、大切な財産です。 今では、もがき苦しんだ日々は必要だったと思うことができますが、そこに到達するまでは、長い年月がかかりました。 あなたが仰るように、私も、人生は魂の旅だと思っています。 いつも、どこかに至るための「過渡期」なんですね。 そして、私も学ぶことがとても楽しいです。 「あ、そういうことか」と気づくときの楽しさ。 脳が喜んでいることを感じますよね。
@tis6248
9 ай бұрын
アラフィフです。確かに「疾患」そのものは落ち着いたかもしれません。ただしこれまでの疾患によって出来た100万円の借金(リボで終わらない)、ブラックな信用情報、沢山の短期職歴と空白期間(現在は最低時給バイト)、年金未納期間、失った人間関係、セルフネグレクトで崩れた健康・容姿・歯、若さ、失効した車の免許、その他ここに書けない悪い経歴…は戻る事はありません。今はこれらによって死にたい気持ちが強くなってます。精神疾患症状と死を求める気持ちは別物なのだと実感しているところです。正直貧困で安楽死ができるらしきカナダが羨ましいです。
@kaisoukonbu
9 ай бұрын
私はうつ病による体調不良や体力の無さが明らかに病気になる前とは違うので、先生と市役所にもし働けなくなったらどうしたらいいか相談に行ったら、生活保護受給可能と言われました。負債についても一応聞いてみたら生活保護受給中は請求されないそうです。生活保護受給中に手続きをして元金だけの返済にしたりも出来ます。 私も今後どうなるか分からないので、働けない&借金を抱えている方が多いように感じたので対策を先に確認しました。 もししんどいなら、一度生活保護を受けてリボを元金返済のみに手続きして、一旦生活を整えるのはどうでしょうか? 病気が無ければ借金もしなかったでしょうし、仕事も出来ていたでしょうから、一旦頑張るのをやめて国の制度に甘えて整理した方が楽になりませんかね、、、?
@miynakuno4903
9 ай бұрын
@@kaisoukonbu生活保護費で借金返済は禁じられています。
@kaisoukonbu
9 ай бұрын
@@miynakuno4903 生活保護受給中は請求来ないって書いてるじゃん。 債務者の返済が禁じられてるんじゃなくて、金融側が債務者が生活保護受給中は請求出来ないんですよ。
@miumiu8122
9 ай бұрын
@@kaisoukonbu 生活保護受給者は生活する為の最低限の生活費を出していただけます。 借金がある場合は、役所の方が弁護士さんを紹介してくて自己破産手続きを一緒に手伝って頂けます。 弁護士さんへの謝礼も要りません。
@rain.over.
9 ай бұрын
@@kaisoukonbu私は鬱病23歳だけど生活保護受けさせてもらってます。ケースワーカーさん、医者、共に恵まれました、
@ayakod7346
9 ай бұрын
BPD、発病から20年以上経ちますが安楽死は認められてほしい。 なぜ何も悪い事をしていないのに、いつまでもこんな思いをしなければならないのか。 1、2年闘病して一般の人と同じようになれるなら別だけど、何十年も治らないなら安楽死にして欲しいです。 生きたい人はもちろんどんな病気や障害があっても生きたらいいと思います。 ただ、生きることを辞めたいという人の気持ちも早く認められて欲しい。
@カンガルー三重県産
9 ай бұрын
40代低年収独身男性です。 自分は精神帝には安定していますが、身体の問題(単純な体力がなく8時間働けない、アトピーやアレルギーの疾患で日々生活を成り立たせるのが難しい)があり、私の人生はずっと薄い絶望と死のカーテンが包まれている実感があります。 これから50代にむけて生活をするだけでしんどくなってくる、ある種、自死を選ぶ自分を常に否定しつつ受け入れているような状況です。 精神科医の立場から、おっしゃられることはわかります。 私は生きやすい世の中であってほしい、同時に死にやさしい世の中にもなって欲しいです。
@AroeAgv
9 ай бұрын
昔から自決の原因は健康問題が多いですし、治せない病気である程度の歳なら死期が迫ってなくても使わせて欲しいですね
@corotor
8 ай бұрын
>死にやさしい世の中になってほしい そこですよね。 死が必ずしも悪いことではなく、可能な限りの手段を尽くしても改善不可能な苦しみから開放してくれる最後の救い、と捉えてくれるようになって欲しい。
@河野友里-x1t
9 ай бұрын
38歳・双極性障害・PTSD・摂食障害・解離性障害持ちでもう10年以上闘病しています。勿論、発症当時よりは幾分か良くなっているとはいえ、未だに働くことすら出来ません(国家資格持ちなのですがそれすら生かせません)。親が亡くなったあとの経済的不安はすごくあります。何より、長い年月の治らない闘病に疲れきっているので、ここまで頑張ったのだからもう終わらせて欲しいなという気持ちはすごくあります。若い頃の安楽死はよっぽどでない限り賛成出来ませんが、ある程度生きて治療効果もないとなると安楽死を取り入れてもいいのではとふと思いました。いつもためになる動画をありがとうございます。
@美貴-u1v
9 ай бұрын
うつ病53歳です。今は落ち着きましたが、休職で貯金もなくなり借金の為、働いています。もう十分生きたので、安楽死出来るなら望みます。もう疲れました
@家猫-s1e
9 ай бұрын
私も40代後半〜50代後半位迄鬱が酷かった(波はあるが)その後も続いていたが主人を看取り後 27:32 、婚家を離れ一人と一匹暮らしを始めて気が付いたら治っていました。今思うと更年期鬱だったのでは無いかと思う(皆んなの話を聞くと他の科だと年齢的に婦人科を紹介されるが心療内科はされない様です)なので更年期が治まると共にに治った様です。なので一度婦人科に行くてもありますよ
@サムグレコ-m3z
9 ай бұрын
心の病気も辛いし、十分な支援を受けられずに、経済的にずっと困窮しながら生き続けないといけなくなるなら、やっぱり安楽死で良いやとも思えるな。
@turtle4234
9 ай бұрын
皆さんのコメントを読んでいると「死にたい」というより「生きたくない」のではと思いました。
@EX_DELTA
9 ай бұрын
〇〇したい。より、〇〇したくないで動いてる人多いよな。 親とかが過干渉だとそうなりやすい気がする。 まぁ、、俺もなんだけど
@phenomenon_open
9 ай бұрын
私は「消えたい」と思っていました。 元々いない存在のように消えることはできないのかと、よく思っていました。
@AroeAgv
9 ай бұрын
自分も何も視界に入れたくないし呼吸もしたくない、といった感じです
@corotor
8 ай бұрын
存在した痕跡も人々からの記憶からも完全に消えたいです。それなら誰にも迷惑をかけずに済むので。
@ごとうあずき
5 ай бұрын
薬も合わず良くなることがなく何十年も薬を服用しただけ。この先も良くなることがない。ふらつきが起きてる間続きパートもやめ脚が脱力したようになるから歩きにくくなる。筋無力症ではないかパーキンソンではないか心臓か?色々検査してないというけど普通に歩けない。舌も乾燥して渋柿みたいでつばものみこみにくい。何かある。その思いも消えない。車の運転もできない。1人で買い物も行けない。こんな何も楽しめない人間。パニックも広場恐怖もありもうがんじがらめ。生きたら娘達に悪影響。自殺も悪影響。安楽死は駄目だろうか?生きてても何もできないんだよ。こんな歳53にもなってこんなことが2年も続き疲れてしまった。カナダは、精神疾患でも安楽死大丈夫と書いていた。私には服用できる薬があまりない。薬で一度死に目に合い薬恐怖もあり生きてても駄目じゃないかな。
@ぽぽたん-o6i
9 ай бұрын
私はある程度年を取ってだんだん落ち着いていきました。 担当してくださった先生がこんな自分の話を聴いてくださったこと、アドバイスをいただけたことが大きいと思います。 今も服薬治療をして通院もさせていただいていますが、1日安全に過ごせる日が増えたことが本当に嬉しいです。 色々諦めてほしくないです。 人のせいにしてはいけないと思いますが、私はもし担当の先生が諦めていたら、見放してしまっていたら、今の私はないと思います。
@jgptjo
9 ай бұрын
精神疾患を持つ誰もが生活保障を無理なく(何度も不許可になったりする事無く)受けれるような制度にするか、又は安楽死を認めて欲しい。どっちも駄目って・・当事者からすると、生きてるだけでジワジワ拷問にかけられてるような気持ちなんです。
@侘助山葵
9 ай бұрын
ADHD・ASDの私は母の介護の中(約10年)でうつ状態にありました。何度も死のことを考える中で、思うところがありお酒を辞め状態は多少良くなりましたが、母の死後1年半ぐらいは家から出れなくなりうつ状態が悪くなったり少し良くなったりを繰り返していました。その間も医師の治療と買うんセンリングは継続していました。母の死後2年を迎えようとしている今はデイケアからB型支援に通い、精神状態の安定を楽しむなっています。 ダイエットしたりランニングをしたり出来るようになって、少し幸せを感じられます。 あの時死んでいたら感じることがなかった事だと思います。
@tommyu3984
9 ай бұрын
50代の双極症患者です。私は将来的な不安、経済的不安、精神的苦痛、社会的苦痛を感じていて65歳でスイスでの安楽死を希望しています。主治医にも数年前から相談して意見を聞いています。人生100年時代、自分の命の幕引きを自分の意思で行える世の中になる必要性はあるのでは?と思っています。
@A-rin52
9 ай бұрын
31歳です。いつも周りが普通にわかること出来ることがスムーズに出来ず、頑張りたい気持ちは大きいのに指示があまり理解できず失敗ばかりして怒られ、職場コロコロ変わってます。親には皆そんなもんと言われますが、うまく言えないけどそうじゃないというか、その言葉が1番惨めになるというか心にきます。ここ数年は体の不調もあって内科を受診するも特に改善せず、精神科も予約取れずにズルズル放置してしまっています。これでも20代前半に比べるとかなり自分のことを客観視できるようになっていて、少しずつ自分なりに対策というか、向かないことがなんとなくわかるようになりました。それでも将来を思うと人生詰んでいると思ってしまい、死にたいというより、逃げたくて、安楽死の選択肢があるなら選んでしまう瞬間があるだろうなと思ってしまいました。 吐き出すように自分語りしてしまいました。すみません
@ルナ唯
9 ай бұрын
オランダは福祉国家なので、経済的不安はないのでは?と思いました。私が安楽死の勉強をしたのは30年弱前ですが、当時はかなり話題になって、TVのドキュメンタリー等でもよく取り上げられていました。その頃危惧されていたのが、認知症の方の安楽死問題でした。今回のは違いますが、ああ、やはり精神的なものは問題になるのだな、と思いました。 私は、うつ病の他に治らない身体の病気を複数抱えており、現在は何とかなっていますが、これ以上悪くなった時、安楽死が出来たら、どんなに楽だろう…と思います。その考え方にウツが関係していないか、と言われたら、全く関係ない、とは言えないかも知れません。それだけ、ウツがもう何年も良くならず、いつになったら良くなるのかも判らない、先の見えないトンネルの真っ只中にもう何年もいるのですから。先日も気分の落ち込みが物凄く酷くなり、数日間泣いて泣いて過ごしました。私にとっては、安楽死は1つの希望です。オランダに住みたい、と強く思っていた時期もあります。日本では無理なので、いつも、どうしたら楽に死ねるか、考えてしまいます。
@ルナ唯
9 ай бұрын
@@Kyoromylove 私が言っているのは、日本ではなく、オランダが福祉国家なので、経済的不安はないのではないですか?という話です。私はうつ病なので、Kyoromyloveさんの辛さは判らないかも知れませんが、40年大学病院に通って、何度も開腹手術を行って、1年半に1度全身麻酔で内視鏡手術を受け続けて(60個以上ポリープを処理する)、半年に1度違う内視鏡手術を受け続け、これまでに2箇所にガンが出来て、これまでもこれからも悪くなる事はあっても良くなる事はない身体を持つ者の気持ちは判りませんよね。更に他にも100万人に5〜6人しかならない病気のわずか5%しかならない病気を抱えながら(治療法もない)生きなければならない私の事判りますか?これだけの病気(他にも話していない病気があります)を抱えていても、補助は何も受けられません。手帳も何も貰えません。それでも、身体と心のメンテナンスを受けながら生きるしかないので生きています。私の人生設計では、10年前には死んでいるはずでした。なので、何故まだ生きているのか…こんなに辛い人生を何故生きなければならないのか、といつも思っています。
@Kyoromylove
9 ай бұрын
@@ルナ唯 すみません 間違えてなぜか返信のかたちてコメント残してしまったようです 益田先生の動画を見て、ただ思ったことを書き連ねました あなたさまのコメント、読んだとは思うのですが、あまり覚えていないのです ほんとにすみません
@つむ-z1t
9 ай бұрын
私は鬱病になって15年以上経ちます。個人的な意見ですが…若い頃の方が色んな人と自分を比較して苦しかった気がします。発達障害はありませんでしたが、4つの検査項目の一つがとても低く生きづらさの理由がようやくわかりました。 おばさんになってようやくふっきれたと言うか自分軸が持てました。人がどう言おうとしんどいものはしんどい、嫌なものは嫌だと思えるようになり今は昔より気楽に生きています。歳を取って人を羨むより好きな事をして生きよう!と吹っ切れた気がします。おばさんてずうずうしいなぁと若い頃は思っていましたが、そのずうずうしさが今私の生きる鎧盾になっています。とても軽いです。 若くして安楽死を選んでしまった女性の話は悲しく思いました。その女性も私のように歳を取り、おばさんになったら色んな事が吹っ切れてどうでも良くなり、好きな事ができていたんじゃ…と思うと同じ病気を持つ人間としてなんとも言えない悲しさを感じました。 若い頃って若い女性ながらのつらさがあるしつらいのはわかります。ですが安楽死を選ぶほどなのかな?お医者さんからあなたはもう生きてても仕方ないと宣言をされた方が傷つくかな…。でも私はその女性じゃないので何も言う事ができません😢
@華-k2k
9 ай бұрын
まるで私みたい!😅
@くまち-k2e
9 ай бұрын
わかります😊本当におっしゃる通りだと思いました。当事者で無いので辛さは解りませんが、28歳は早いと思う。もう少し生きてみたら、今とは違う何かが開けるかも知れないと思う😊
@user-nc2hp5ui5x
9 ай бұрын
「どんな治療も効果を示さない」という判断(診断?)がそもそも本当に正しかったのか?という疑問は否めないですよね。 こっちは日本だからオランダの精神医療の基準やよく使われる薬の事情もよくわからないし… ただとりあえず日本基準で日本人として想像してみるとして 「どの薬もセラピーもカウンセリングしっかり試して続けてるのに全然改善しない日々が続く。そもそも経済的に通院がものすごくキツイ」 とかだったとしたらそりゃあ辛いだろうなと。 私は幸いにも薬が効いたタイプ、かつ経済的にも問題なく通院できるので そんな比較的恵まれてる自分とは全く違う事情の人の選択には口出しできないなと思っちゃいます。
@aa-cg4mj
9 ай бұрын
吹っ切れるまで生き地獄はキツすぎません? なんでそこまでして生きていけって言えるんですか?
@もふもふ-w6l
3 ай бұрын
世の中にはおばさんとかいう言葉自体を侮辱だと思う人もいるし年取るのが苦痛な人だっているわけだから軽々しく言うべき言葉ではない
@ひなびとみやこびと
9 ай бұрын
苦しい時に、昔はこういう動画がなかったので放送大学の臨床心理の番組をラジオで聴いてました。 本を読んだり番組を聴いたりするだけでかなり回復するという話も良く聞きます。
@seiji9710
9 ай бұрын
確かに歳をとるごとに不安は感じにくくなっている。いい意味で鈍感というか情報処理の仕方が上手くなってるというか。20代の頃に比べると30代の今の方が、遥かに論理的思考になってるし。
@あお-f2k
4 ай бұрын
自分は逆で若い頃は何にも考えずに生きてたけど、年取って将来の事を考えると不安で仕方ないです。努力してこなかった自分が悪いんでしょうけどね。
@neko2232
9 ай бұрын
鬱がかなり酷かった20代の頃、 健康診断の結果をとりに行って、対応してくれた医師に鬱であることを話したら 「心は強くなるんだよ」 って言われた。 確かその人は精神科医だったと思う。 その頃は全く信じてなかった。 なんでそんな事言えるんだろう…?って思った。 私の心が強くなるわけ無いやん、って思ってた。 その後地道に治療して30代過ぎた頃、急に落ち着いてきてゆっくりだが回復していった。 フラッシュバックも起こさず、不安感も減っていった。 凄く心が楽になっていった。 心が強くなるって、こういう意味だったのか?って今なら思う。 そしてあの先生は、治療して症状が軽くなっていった患者さんを沢山知ってるんやろなと思う。 諦めてほしくない医師の気持ちも今ならよく分かる。
@いりえなお-i4r
9 ай бұрын
いっぱい知ってるだろうから、それを先生たちや福祉や医療の人は伝えてほしいよな
@てすとおおの
9 ай бұрын
精神疾患の治療はとても長い期間がかかるし、患者自体が認識して様々な要因や過ごし方などを学ぶことで治療結果も変わるでしょうし、何よりも家族の理解を得られにくいところが、内科や外科の疾患と違うところですよね…しかもそれが長期に渡るとなれば、一時的にせよ消滅願望みたいなものが出ても仕方ないかと思います。以前はできていたことが出来ないという絶望感はありますし… オランダの制度をよく知らないのでなんとも言えませんけど、ガイドラインや患者に対するヒヤリングなどがきちんと整備、法制化されないうちに適用疾患が無尽蔵に増えることはないようにしてほしいと思います。 精神疾患の患者は本当に苦しいと感じています。最初は病気の本体を知るために見始めた益田先生のチャンネルですが、学ぶことが大きく感じます。年齢を重ねるとたしかに鈍感力はつきますが反面社会的に責任を果たしてきたとも思うと(子育てなど…)いなくなっても大丈夫なんじゃないか?と感じる時も正直ありますね
@user-ds3cg4hi4v
9 ай бұрын
1年前の自分と今の自分と比べたとき、考え方が大きく変わったと感じています。発達障害のクローズ就労でパートで働き始め、周期でやってくるメルトダウン時に、上手に休む術を見つけ、ほぼフルタイムで働けるようになりました。同じように悩んでいる友達とも沢山対話し、決裂した子も何人かいますが、彼らを客観的に見ることで、自分の悪い面とも向き合うことが出来ました。 その中で思ったのは、擬態は悪いことではないこと、擬態の中で得られる関係があること、合わない環境を避けること、親に頼ること、自分が出来ることだけまずはやること、少しだけチャレンジすること、謙虚になること、です。 他人からのアドバイスを全てすぐに受け止めることは出来ないけど、自分の中に残しておいて、後から少しずつ利用する、で良いと思います。 変化や疲れにとても弱い生き物だから、無理しないで、コツコツ探し続けていれば、いずれ何とかなる部分もあると思います。 とっってもしんどいけど、希望は捨てないで欲しい。。と自分に対して言いたいです。
@Shack-kusagumi.
9 ай бұрын
こんばんは。本日もお疲れ様です 【宿題】 ①日本で合法化され、主治医にすすめられたら? →現在の私の主治医との信頼関係なら受け入れてしまうかもしれません。 状態は落ち着いているとはいえ、根本的な消滅願望?というか「私は存在してはいけない」という考えは変わりないので… 今すぐどうこうしたい訳ではありませんが。 文章上ではこう言ってますが、「それでも生きたい」という生存本能が発揮されて結局は「他に何か方法は?」とたずねるんだろうな…。 ②同じような経験者として →20代の引きこもり時代は〇ぬ事しか方法は無いと考えていましたので、当時の主治医から提案されれば飛びついていましたね。 家族の同意は得られなければ生かされる事になり、母への八つ当たりは当時より酷くなってたかも… 立ち直ったきっかけというか、貧困家庭だったので「無理やりにでも仕事せざるを得ない」状況かつ、引きこもりから2年ほど経った頃から奔放な異性交遊しだしたので「遊ぶには金がいる。しゃーないから働くか。」と今思えばADHDの衝動性が良くも悪くも発揮したので社会復帰した感じです。 まあ、転職繰り返しまくったので履歴書に職歴が書ききれない程になりましたが… ちなみに、今現在は年齢とこんなポンコツな私を嫁にむかえてくださった奇特な方(夫)が居てくださるお陰で「生きていいなら生きとくか」って感じです。 完璧に立ち直っているわけではないし、つい先週辺りまでは消えたくて仕方なかったし、こうして宿題をコメントした後にまた気持ちが変わるかもしれない…常に脳内は白黒がせめぎ合っている状態には変わりありません。 説得力皆無で申し訳ございません。
@Nekonamako
9 ай бұрын
精神の苦痛ってなんで軽視されるんだろう?
@honeysuckle11
9 ай бұрын
宿題とはずれるのですが、結婚していたときにはカサンドラ症候群だったのではないかと思うわたしから、きょうの動画で益田先生がされた発達障害の説明がとても腑に落ちたのでコメントさせていただきます。 前夫とは20数年間の結婚生活の間、一度も対話らしい対話ができませんでした。 話し合いは何十回もしたのですが、わたしが話す、前夫が返す、わたしが返す、前夫がキレる、という感じでした。 親族を含め第三者の理解はまったく得られませんでした。 こどもが理解できる年頃になって思いきって離婚しましたが、その後もわたしはなぜ結婚前に気がつかなかったのだろうとか、逆に、こどもたちのためになぜがんばりきれなかったのだろうかとか、安定した立場や環境、財産を投げ打ってしまってばかだったんじゃないだろうか、と最近までずっと考えつづけていました。 益田先生の動画を見たり、他にも自分で求めていろいろ調べたりするうちに、ようやく、結婚していたあいだ、自分はほんとうによくやった、誰に理解されなくても自分でそれを認めてやろう、と思えるようになりました。 気がつけば、前夫とは対話だけではなく、なにか話しているうちにいっしょに笑ったという思い出もほぼありませんでした。 こどもたちやともだちとは笑わずに会話をすることなどあり得ないわたしなのに。 前夫のおそらくは発達障害と鬱状態にすっかり取り込まれた年月だったと思います。 といって、彼を責めているわけではなく、そういうことだったんだな、という理解です。 いま悩んでいるカサンドラ症候群の方々には、ご自分の利益を守りながら精神的な重荷は下ろせるように、益田先生のような信頼できる専門家の力を借りていただきたいと思います。
@kh-hg4wm
9 ай бұрын
オランダ人になれたらなあ…。いいなあ。
@tomkodamayamabiko
9 ай бұрын
私の場合、「死にたい」は死にたいのではなくて「ラクになりたい」でした。ラクになる方法は死ぬこと以外に数多くあります。「死にたい」という言葉で思い詰めているときには、それらの選択肢がまったく見えていません。凡庸に聞こえますが、時間が解決する側面も大きいと思います。取り上げたこの女性についても、たとえば脳の発達を根拠に「35歳以上でないと安楽死は認められない」というような規制があったりすると、その頃までには症状が落ち着いて決心が変わることがあるかもしれないと思いました。
@野山美咲
9 ай бұрын
同感です、あの時死を選ばなくて良かったと思います、あの時の自分は人間が小さかったな 過ぎてみると思います。 聖書の言葉が私を止めました、「神はあなたに人間として成長をしてほしくて試練を与える、だから 神が与えた試練は 乗り越えられないものはない」 頑張ろうと思った、3年乗り越えるのにかかったけど 神様からご褒美を頂いた 強くなった、強くなったことで当時の自分を振り返ると 随分小さくて弱かったね 恥ずかしいと思う。
@EX_DELTA
9 ай бұрын
楽になる方法は、人間関係を減らすことだと気づいた時すごく楽になった
@chocolate8805
9 ай бұрын
生きるのに必要なのは希望です。 益田先生の話されたことや、ここにコメントされる方々の良くなってきたという体験談こそが、私にとっては今を生きる希望になっています。 過渡期の人間には今日一日、一週間、この一時間が病気との戦いですね。
@osanposan8025
9 ай бұрын
20代後半は、とても苦しかったです。 妊娠可能な年代特有の焦燥感や苦しさもあったのかな。。などと考えることもありました。 時を経て、あの頃に命を諦めなくて良かったと、心底 思います。
@なすび-e1r
9 ай бұрын
先生いつも大切なことをテーマにあげていただきありがとうございます。 私は母親でありながら、日々仕事に忙殺され、社会に適応しにくかった子どもの苦しみが全くわかっていませんでした。 子どもが社会からリタイアした時はずいぶん悩みましたが、世間体を押しつけ、当たり前の努力を強いていたのだと深く反省しました。 〜すべきから、ありのまま生きてくれているだけで幸せだと言い、関わり方を変えただけで子どもは少しずつ変わっていきました。 周囲の無理解や正義の押しつけに苦しみ、つらい日々を送っていた子どもでしたが、今では専門家のサポートで自分の障害を受け入れ、森の外で、自分なりの方法で社会に適応しようとしています。 身近な家族、特に親の理解や関わり方一つで、本人の苦しみは和らぎ、安心感をもたらします。 今はどの国も子どもの成長を支える家族に余裕がなく、本当に大切な無条件の愛情を注げません。社会の空気が子どもたちの成長にとても大きな影響を与えているような気がしています。 世界中の子どもたちが安心して未來を描くことができるよう、大人社会が自分たちに責任があること自覚し、保身に終始せず変わっていかなければ、子どもたちはますます希望を失うでしょう。 益田先生の発信を頼もしく感じます。 私にできることでつながり、お役に立てたらと思います。
@3児の母うえむー
9 ай бұрын
年々発達障害の症状が酷くなってきているので…消えたい気持ちになります😢私は安楽死が合法化されたら安楽死選びたいけど死への恐怖、子供の心配で凄い葛藤すると思います。結局弱虫人間なんだと思います…。そして周りの人は家族が大変で本人大変では無いと思われてる事も多いので…。この当事者の苦しみも周りは理解もして貰えないので💦
@Chiaki-y3j
9 ай бұрын
まさに現在こちらの女性と同じような病態で休職し療養しておりますが、不安に押し潰されそうだったので勇気づけられました。取り上げていただきありがとうございます。
@kinyokinyo406
9 ай бұрын
希望のない自分からすると、ゾラヤさんが羨ましい。
@c_ko
9 ай бұрын
私は19歳の時に発症した不眠症から始まり、もともとあったトラウマのフラッシュバック、摂食障害、抑うつ状態で大学を2年休学の後、大学中退した30代独身女性です。 益田先生の仰っていた、脳は30才まで成長するという言葉に納得しました。 というのも、私にとって20代は酷く厳しい常態でしたし、正直、消えてしまいと思って行動に移したけれど未遂に終わったこともありました。 ただ、なんとかあと半年、あと1年…もしくは単に奇跡的な偶然で乗り越えてきた感じです。 実際に28才ごろって特に辛かった記憶があります。周囲は結婚したりキャリアアップしたりしているのに、自分は収入もない、ただ通院して後は家で過ごすだけ。…生きてる意味なに?とか考えたり。 安楽死について調べたこともあります。 転機は30才なる頃に転院したことだと思います。前の病院では良くも悪くも”普通”になる事を強要されている気がしていましたし、一度も社会に出たこともうないのに復職サービスを勧められたりで未来の想像が全くできず、治療の限界を感じたので市役所の方に相談して転院しました。 現在は寛解は難しいと診断されていて福祉のお世話になって生きています。 30代過ぎるとある意味諦めがついたというか、福祉のお世話になって生きてても良いんだと思えるようになってきました。 今でも酷く辛い気持ちになる時はありますが、やはり、あと今日1日生きてみる、1週間、1ヶ月…と少しずつ伸ばして今を生きています。 今の目標は、来年、好きなのバンドのライブを見に行く。です。
@3QuasiHuman
9 ай бұрын
12歳で適応障害/鬱と診断されましたが家庭の事情で治療受けられず学校にもロクに行けず、でした。自立して働き始めて鬱病と診断をもらい金銭面で10年放置しましたが、やはり違和感があったので30代になった今セカンドオピニオンで睡眠障害、鬱、強迫性障害、不安神経症、ASD強度の合併症診断をもらいました。 今まで"屋根があって水が飲めれば御の字"くらいで生きていたせいか、主観的に見て喜怒哀楽や人生の上下が激しい人(おそらく一般的な範囲)の世間話ですら永遠の様に感じて途中から話が入って来ません。その状態で30年生きてきて自分の中で「数分前まで〇〇って言ってたのにすぐ気が変わる人だなあ」と大体の人に感じていましたが、所謂定型発達の方は割と意見や感情がコロコロ変わるものだと担当医に教わってから"そういう人達"という前提で接する事にしたので多少楽になりました。 ただ自分がそれを学んでもマイノリティであることに変わりはないので、どこか諦めるポイントを増やしていくというのが大事かなと最近はよく考えます。
@yaman4954
9 ай бұрын
同じ病を抱えていても受け取り方や人生は様々。時間の経過と共に成長し乗り越えれる事ばかりではないので、年齢関係なく本当に辛い時の最後の救いとして安楽死はあった方が、結果として生きること自体に心のゆとりが持てるのではないかと思う。
@ringostar5535
9 ай бұрын
28歳って色んな事に諦めがつかない絶妙な年齢だと思います。私もその頃が一番辛かったです。あの頃は本当に永遠に感じたし、良くなるなどとは到底思えず未遂も失敗して安楽死が合法化されてほしいとずっと思っていました。あの時に制度があれば間違いなく使って私の命は無くなってたと思います。しかし30中盤になり、生きづらさはあれどなんだかんだ普通に生活できています。 諦めがつきやすくなったというか、自分に期待しすぎない方法を少しずつ理解できてきてる感覚です。 扁桃体と前頭葉の働きについて身をもって納得できます。 そういう事例をたくさん知っておられる益田先生だからこそ、この件を取り上げてくださるのが伝わってきました。情報に流され安易に「これしかない」と盲目になる人が減るといいなと思います。
@simple.1829
9 ай бұрын
これは賛成。その女性が想像を絶する苦痛を感じていて、もし安楽死で無になれるならすごく良いことだよね!
@ms-bi7bh
9 ай бұрын
我慢信仰のある日本では許可されないでしょうね…100年後はわからないけれど。
@normajean9728
9 ай бұрын
今年、還暦を迎えました。 長らくの躁鬱病、最近分かったASDに不安障害まで抱えてしまっています。 できることなら生を終えたいです。家族のために堪えています。
@やんやん-d4n3m
4 ай бұрын
いいなぁ羨ましい。 私もこの女の人と同じような症状で毎日地獄のような苦しみの中、普通の人のように振る舞って苦しみながら生きてるから羨ましい。 安楽死を認めてもらえるだけ恵まれている人だなぁ。 明日生活できなくなると支えている家族が困るから仕事休めないし、自分の精神の病院に行く時間もお金の余裕もない。 ペットを飼う余裕もないし、世話をする時間もない。 家族に弱音を吐けない。 死にたくても毎日生きるしかないから、精神の方で自分の死の準備をできる人って恵まれていて羨ましいなぁって思う。 苦しくても必死で生きてる人にもフォーカスを当てて欲しいし、そういう人も世の中に沢山いるって知って欲しい。
@mdma8033
9 ай бұрын
そもそも日本人の自死に対する考えは肯定されていたはず。 切腹や即身仏はその典型であろう。 自死に否定的になったのは西洋化、キリスト教の影響だと思う。 日本人は信仰してもいない宗教の考えに縛られている、なんとも滑稽である。
@tuhvc-ud3lj
9 ай бұрын
そうですわな
@佐藤紫央-d7j
9 ай бұрын
!!?確かに…めちゃめちゃ腑に落ちる視点ですありがとう
@ジムジャングル-r3p
9 ай бұрын
確かに、切腹文化日本。キリスト教なんか1%だから、日本の文化には影響ないよ。そりゃ〜自殺ダメと聖書にはあるが。
@福島貴光
4 ай бұрын
仰る通りです! 納税する平民にたくさん自死されると、一部の富裕層にとって都合が悪いから自死をすると地獄へ行くと刷り込まれていると思っています。
@ka-uk8yc
9 ай бұрын
ひょっとして、日本で安楽死が解禁されない理由って高齢化が進み過ぎてる&氷河期の存在のせいなのかな 解禁されると利用者&幇助する人が多く出過ぎて社会的混乱が予想されるとか
@ka-uk8yc
9 ай бұрын
日本人は世界で一番不安遺伝子が強い民族ってのをどっかで見たけど、もし本当ならそれを踏まえた上で諸々の政策を講じるべきだと思う
@machiko9963
9 ай бұрын
ちょうど気になっていたニュースでした。日本のサイトで探してもあんまり出てこなかったので、詳細をあきらめてました。ありがとうございます。
@ykm5211
9 ай бұрын
当事者の方に諦めてほしくないから…というお気持ちで増田先生がこの問題を取り上げてくれたのはわかりますが…結局これだけ深く苦しんでる方がいますし、私も何十年と当事者として闘病してきた1人です。 とても悲しい問題です。 結局、問題解決策、治療方法があるのか?ないのか? 主治医の腕によるのか? 入院するしかないのか?その入院先に自分と相性のいい医者がいるとも限らない状況も考えると途方に暮れる、もしくは時に絶望しかないと思うことも正直ありますし… そんな中でこの変わらない現実世界と戦い続け、疲弊して…の繰り返し。 誰が死ぬな、頑張って生きて!と言っていいのでしょうか? 誰が安楽死を許せるのでしょうか? こちらが聞きたいくらい混乱します。 宿題の患者が本音で合法化したら死にたいと言えるのか?というお題はどう捉えたら良いのでしょうか? わかりません。 精神疾患になったら死ぬか生きるか? 考えなさいと言われているようにも思えます。そもそもそんな究極はあってはならないとせめても先生には言って欲しかったです。すいません…きつくなりました。😢
@sanmikazuki4358
9 ай бұрын
10年以上闘病して希望もなくしました。 その時何度諦めようとしたことか。 今はボチボチやりたかったことをできていますし、夢だった海外にも行けています。 海外に行くと日本で苦しかったことを全く気にせずやっている人たちがいて、 楽になっていく自分、自分を許していける自分を感じられました。 しななくてよかったとなりました。
@saoricyan0912
9 ай бұрын
死について本人を尊重しても良いと思う。 日本にも安楽死制度を取り入れてもいい。
@おやっさん-y9s
9 ай бұрын
私もBPDです。20代、生きていたくなかった。入院もした。30代から40代は、精神科デイケアに通った。B型作業所に通った。40代後半、奈落の底。病院のスタッフに相談して、必死で就労移行支援を受けた。衝動性は出たり、憤怒したり問題行動もあったが、病院スタッフが支えてくれた。会社で働くようになった。泣きながら仕事した。でも、病院スタッフは支えてくれた。主治医も支えてくれた。今でも、会社で泣いてしまう。だけど、支えてもらえたし、働けない精神障がい者も多くいる。仕方ないから、働いている。将来なんてわかんない。今を生きるしかない。BPDはツラい。今、50代。50代からの人生を生きている。いつも、病院スタッフが応援してくれている。私は一人ぼっちではない。多くの人に見守られ、私は生きている。泣いちゃダメですか?きっと、病院スタッフは今後も応援してくれる。たとえ、会社を辞めても、私は見捨てられない。だって、こんなに頑張ったのは、人生で初めてだから。時を待つのも必要だと思います。安楽死は最終最後じゃダメですか?
@ieon715
9 ай бұрын
素敵です…😢✨ 心に響く文章を残してくださり、ありがとうございます
@peacelove2795
9 ай бұрын
双極性障害です。専業主婦59歳、発症はもしかしたら10歳ぐらい。 うつ病で入院したのが就職まもない頃。その後躁状態で何回か入院しましたが双極性障害と知ったのは40代後半使わなかった診断書を見たときです。医師は何人か変わっています。著名な医師や大病院の先生等。誰もも双極性障害だと知らしてくれなかった。炭酸リチウムも中途でやめたり。 双極性障害の告知はタブーなのでしょうか? もし、知っていたら結婚もしなかったし、子供も持たなかった。 10年ほど前に近所の精神科医から双極性障害II型といわれ、自立支援も受けています。それからは炭酸リチウムを飲んでいます。途中から中途覚醒の為にネルボンと顎関節症の為にセパゾンを服用。 1年前に父が他界した時に躁状態に。鍼灸で楽になりました。 このように長く患っていてなにがきっかけで発症するか?経験からすると何か頑張らなくてはいけない時に躁状態になります。普段はなるべくストレスがかからないようにしています。 でも、安楽死が合法化されたら、それを選びたい。 自死よりも子供や姉妹がいやな思いをしないと思うから。
@mozu-5
9 ай бұрын
逆に30過ぎると伸び代がなくなって絶望しかない。最悪、安楽死があると思えばそれが希望になるのかも。
@月村寒月
9 ай бұрын
人間の幸福というものは自ら選択・決断することとも思います。それさえできれば、どんな苦しいことも率先して行動するでしょう。理屈・理論が明確にわかっていて、そこに進むことが最良なのだと決断できるのはとても幸せなことと思います。 社会というのはそれができない状況とは思います。更でも現代社会では厳しい状況になると思います。マルチタスク・素早い行動と思考・人間関係・因習などなど、あらゆることが選択・決断をしづらくさせて、幸福から遠ざかっていると思います。 そのような状況を訥々と医師に語り、安楽死という永遠の選択、あるいは最初の選択を獲得することができたのなら、それは幸福なことと思います。 認知が拡張されないのは社会のほうではないでしょうか。社会のほうが発達障害なのではないでしょうか。多様性の受容が予想されてるだろうに何故そこへ準備しないのか。 社会に飲まれる私にとって安楽死を否定するほどの余裕はありません。個人の自由とかではない。安楽死は社会の要請のように思う。
@ミユキ-o8r6b
9 ай бұрын
まさに、自分と同じ病名です。この辛さ、海外では分かって貰えるレベルだったのだと実感💧 死ぬほど辛いまま、何十年も生きながらえてしまった。 振り返り、生きながらえて良かったとは、思わない。 若い頃の私が現代にいたら、同じ選択をしていただろう。
@間違ってたら教えて下さい
9 ай бұрын
死にたくない人の権利と生きたくない人の権利は、対立するものではなく、両立される事象では無いのか?色々な在り方、価値観を認めて欲しい。
@間違ってたら教えて下さい
9 ай бұрын
美化するしないの問題じゃないかも知れないけど、安楽死を美化してはいけないと言う意見が出てくるなら、生きることだけを美化してはいけないと言う意見も当然有って良い気がする。 生きると言う選択をしないと言う姿勢、精神性が、多数派の価値観にとって心地良くないだけの問題の気もする。
@羊-b6e
9 ай бұрын
なぜそんなに、死という自己実現が許せないのでしょう。
@千州子川口
9 ай бұрын
現実として、そこに想像を遙かに越えた、絶苦が存在しているからでしょう。
@千州子川口
9 ай бұрын
そもそも、死って許すとか許さないの事ではないのだし…
@sk_202
8 ай бұрын
オランダは日本人も受け入れてくれるんでしょうか? アラフォー、ASD・ADHDです。 若い頃と比べ、イジメや虐待といった外部からの辛い事象は減りました。 ですが、トラウマや生きにくさ、人間関係構築の困難さ、仕事へのストレスは全く変わっていません。 もし導入されたら、安心して今の主治医に相談したいと思いますが、情報番組では10年前と同じ疑問を専門家に投げかけている今の日本に安楽死の導入は夢のまた夢です。 「いつでも死ねる」と言う安楽死は、生きる勇気も与えてくれると感じます。
@yukari1110
9 ай бұрын
このニュース、取り上げてくださってありがとうございます。 私も、精神疾患がひどかった二十代にこのニュースを見ていたら、自分も同じようにしたい、同じようにすべきだ、と思っていたと思います。 「救急の一時間は、内科の一日、精神科の一ヶ月」初めて聞きました、良い例えですね。私は苦しかったとき、一日一日が本当に長くて、苦しみから解放されたくて安楽死のことも調べていました。絶対に良くならない、人生が終わるまでずっと苦しいままだと強く思っていました。私の場合は、うつ、強迫性障害、複雑性PTSDで、10年ほど苦しくて、3年ほどかけて回復しました。(もちろん、まっすぐ上り坂で良くなったわけではなく) やはり私たちは知らないことが多いと思います。脳が30歳まで変化することとか、臨床(投薬やカウンセリングなどを通して症状は改善すること)の成果など、それらを知らないために余計な不安とストレスを抱えてる人も多いと思いますし、私はそうでした。 そして「頭良さそうな人」が言ってる情報に傷ついてしまうんです。 意味のある動画、本当にありがとうございました。
@vb800
9 ай бұрын
あとうちの先生、コンサータとか出してくれないんですよ。だからコンサータで生きやすくなったって話聞くたびに悔しくて泣いてます。そういう事情もあるって知って欲しいな。
@user-flflvn
9 ай бұрын
安楽死が合法化された国の住人だったら、私はもうとっくにこの世にいないだろうな。凄く苦しい時期に不謹慎ですが、病気や事故で亡くなる人が羨ましいと本気で思っていました。泣きながら話している私に主治医は「そんなこと言ってるの今だけですよ」と冷静なご意見いただきました。
@haryedkane0728
9 ай бұрын
相当いい歳になりましたが、苦しさはずっと重いです。私のケースではカウンセリングを断られています。薬で調整しても頭も身体も動きません。ただ4んでいない状態がこのまま続くのは無理です。お金も無い、家族も友人もいない。やはり精神病者にも安樂4は妥当と思います。
@user-pi5tj1mo2h
9 ай бұрын
母親が50年以上通院してるけど、人生の殆どが自宅と病院の往復だけで、何の楽しみもなくて、生きる意味あるのかな?と思う。 本人も生きてて楽しくないと言ってた。
@hereiamchami
9 ай бұрын
10年前に境界性人格障害という診断をいただき、通院・カウンセリング・グループカウンセリングに通うことはもちろん、自分自身でもたくさん本を読んだりして、7年目にはほぼ完全に「寛解」しました。途中、つらくなる場面も何度もありましたが、今は境界性人格障害の症状で辛い、と思うことは全くありません。自己肯定感も上がりました。今、辛さの真っただ中にいるかたは、とりあえず、あきらめず投げ出さず「いったん置いておく」ようなつもりで、何も考えず、しんどさと距離をおいていただけたらいいな、と思います。
@小西道子-p5s
9 ай бұрын
あなたの努力と、人の意見を受け入れる気持ちが素晴らしいと思います。
@user_ZXiZfQ9Hbaiw
8 ай бұрын
「生きている」んじゃなくて「死んでない」だけの状態なんだよね
@ryan-arts-favorite
9 ай бұрын
逆をいえば、独りで観ずに できるだけ多くの人(善良な・・)が観れば 懸念も抑えられるかもしれないけど、ただ やはり内容による。運営さん信用します
@gomi_512
9 ай бұрын
頑張ればいいことある!じゃなくて具体的な年齢を言ってくれるのがわかりやすくて賢い先生。視野が広がる感覚はあるから、報われたらいいな…
@aa-cg4mj
9 ай бұрын
オランダうらやましい
@pocchama1321
9 ай бұрын
鬱って原因があって落ち込むというより、勝手に落ち込んだところに思考がぐるぐるし始める病気なのだなと実感している。自責はだいぶ減ったけど半自動的に来る落ち込みや不安は辛いね。 鬱以外の疾患も含めみんな闘病してるだけ偉いよ。
@run-i9l
9 ай бұрын
「救急の1時間=内科の1日=精神科の1か月」とは、本当に名言ですね😊消化器疾患の持病で入退院を繰り返している私は、常に「救急の1時間〜内科の1日」の感覚・ペースで生きているけれど、精神疾患を持つ身近な2人は常に「精神科の1か月」の感覚・ペースなので、そのズレが相容れなくて苦しい時があります。 人工呼吸器とエクモを装置して奇跡的に生還した経験のある自分からすると、精神疾患を持つ2人は、自ら苦しくなるような考え方・選択をしないで、死を選ぶぐらいならば、より楽だと思う生き方を選べば良いのに!と思ってしまいます。
@Sakura-jv9jc
8 ай бұрын
確かに苦しい。 孤独。やらかしてきたことへの恥と悔恨の苦さ。 ずっと死にたいと思ってきて、とどめのように最近、本当にすべてを失くしました。 でも年の功か、これもいいかなと思えるようになってます。 失うものこれ以上何もないやと思ったら、開き直れた感があります。 底つきっていうものでしょうか。 同じ状況でも味わいが変わってくるというか… もう少し生きてみようと思います。
@user-pi5tj1mo2h
9 ай бұрын
人生をやり直したいとか、病気を治したいとか、思わないんだよ。 ただただ、今の人生を終わりにしたい。 生きていれば良いことがあると言われても、もう要らないんだよ。
@間違ってたら教えて下さい
9 ай бұрын
シンプルにそれ。
@まったりh9e
2 ай бұрын
今が苦しい。どうか安楽死を認めてほしい。親に子供(私)の事できつい思いをさせたくない。どうかお願いします。
@Mio-San_
9 ай бұрын
精神的健康問題は改善しないと医師が告げる→安楽死を選択(患者) → → →治す気ゼロ (医師が)
@いりえなお-i4r
9 ай бұрын
社会も悪いよな、病気の人を見下してる感じがね
@makikomaayann
9 ай бұрын
益田Dr.が この動画を作ってくださったこと 尊敬としか言いようがありません。 尊い命が消えないよう真剣に考えられてこの動画になったのですから、 宿題は私は信用できません。不安になり、寂しくなり、悲しくなり…自分を追い詰めます。 安楽死 辛すぎる話題です。 益田ドクター、本当にありがとうございます。
@AroeAgv
9 ай бұрын
そこまで生きたがってない人からすれば安楽死あった方が格段にやりやすいです。生きたい人そこまでじゃない人が互いに折り合いをつけるのは本当に難しく、だからこそ黙って死ぬ人が絶えないんでしょうね
@yuanlijiang
9 ай бұрын
先生なんだかんだ毎日投稿
@mil3502
9 ай бұрын
発達障害と鬱の症状が年々悪化していて、治療してても家族や治療者という健常者側から、体調を安定させられなければ、理不尽に一切反撃せずにこにこ愛想を振りまいて耐えられるようにならなければ社会にはいらないし社会に入れなければ(特に若い人は)価値がないという圧をひしひしと感じます。若いからまだ決断するのは早いとかそういう問題じゃないと思います。 正直安楽死が許されるなら適用されたいし、消えられるものなら消えて存在してなかったことになりたいし、迷惑しかかけられないなら自分の身勝手な考え優先で家族を持つとか考えられないです。 自分の人生に希望が持てないし社会からも既にいらないゴミ扱いなのに生きなきゃいけないのは理不尽じゃないんですか?無理に生かすのも社会的損失ではないのですか?
@bishi.4637
9 ай бұрын
最近、絶対赦さない面子の基本が決まり、一生関わらない事で自分を守ろうと思います。 でも、今の生活・精神状態を悪化させない為に、どうしても切れない部分があります。 日々、関わっていく中で、笑う事もあるけど過去に傷つけられたトラウマで、自傷に走りそうになり、とても不安定になります。きっぱり関係をきらない自分を責めたり、こうなったのは相手のせいだと怒り狂ったり。BPD・鬱も診断は降りてないけど、何故どんな所が違うのか?この苦しみの原因は、何なのか?全く分からないのも、治療ができてないが故だと思うと、それもまたどうして通院しているのかがわからなくなる。実際働けないし、毎日消えたいと思う。
@user-vt2qz7fc2
9 ай бұрын
確かに生きることは尊いことだと思います。でも誰かに生きることを強要するのは違うと思っています。逆も然り、誰かに安楽死「死ぬことだけが救済」というようなを提案をすることも違うと思います。 治療も本来は生きることを前提としていると思うので、勝手かもしれませんが、お医者さんには患者さんが生きることを前提に存在していてほしいな…けど、死にたい・消えたい気持ちは否定されたくはないです!笑 私の場合は、年々症状が重くなってきて、年齢的に体力も落ちてきて、生きるのめっちゃ不安です。 死という終わりがいつくるのか分からない苦痛もあるので、自分で終わりを決められる安心のために、安楽死制度があったら嬉しいです。 でもなんやかんや私は安楽死は選ばないと思います。終わりを自分で選べる希望が欲しいです。
@カワセキ-x2o
6 ай бұрын
発達障がいとかうつ病とか診断こそされてないけど子どもの頃から生きづらさを抱えながらどうにかこうにか生きてきた。 なんかこういう事例で安楽死が認められたと聞くと自分には生きる価値がない、生きてる以上治らない、死ぬしかないと突きつけられてるように感じて胸が苦しい
@アオケイ
9 ай бұрын
安楽死を提案できる人に相談してもし安楽死を勧められたら、もう無理なんだって生きる希望なくなりますね。動画でも言ってましたけど、そんなことはないはず…なのにそう思えないのが現状です。
@中鉢悦子-j4d
9 ай бұрын
鬱病、自閉症スペクトラム障害(発達障害、ADHD)子供の頃は発達障害、強迫性障害、パニック障害、不安障害、潔癖症、適応障害(当時は発達障害も他の障害も概念無し)安楽死の実例を聞いて考えさせられました。 オランダでも安楽死の範囲広がっていってるんですね…心療内科の先生と月1受診してずっと鬱病の薬を飲んでますがまだ症状に波があります。去年発達障害(自閉症スペクトラム障害、ADHD)と診断された時過去のトラウマの原因が判り腑に落ちました。ずっと家族からの虐待や学校での虐め、先生や職場の上司、先輩からの叱責で自己肯定感は最低になり逃げる様に結婚して遠くに逃げ、子供も授かりましたが子供が20歳の時発達障害と診断され障害認定を受け就労支援を受けて働いています。自分が発達障害と診断された時子供の症状と私の子供時代が同じなので障害に気づかず辛い思いをさせたと知りショックを受け、自己嫌悪に陥りました。子供も女性恐怖症になってて恋愛も結婚も希望持てません…鬱が酷い時は本当に安楽死望んでしまい認知症や体が動かなくなる前に自分の人生の終焉を決めたいと考えてしまいます。私が子供に迷惑かける事だけは絶対させたくなくて終活をしっかりして苦しまずに安楽死出来たら1番幸せだと思ってしまうのを止められません。以前から延命治療はしないでと伝えてるし、葬式もお墓も無しで散骨してと言う事も話しています。 呼んでほしい人もいないし家族とは絶縁してるし主人とも離婚してるし、子供の支援してくれてる人に頼る様にも伝えています。後は迷惑かけない様に死ねたら本望です。自分の事が判らなくなって介護で苦労させたら絶対後悔する!そう考えて安楽死希望しているのですが…子供の事考えろとか悲しませるなとか責められ続けまた鬱が酷くなります…やっぱり我儘ですか?今回安楽死選べた人を羨ましいと思うのも洗脳されてるのか脳のエラーなのか本心なのか混乱してますが…誰も苦しめたくないし自分で無くなってまで生きていたくないです。
@Ryohamu
9 ай бұрын
インドのニュース動画ですが、同じ内容をニュースでも取り上げています。こちらのコメント欄も翻訳して見ていただけると、参考になるかもしれません。 m.kzbin.info/www/bejne/fHSbq32lqq2EacU
@ハラペコミサイル
9 ай бұрын
うつ症状を患った経験があります。落ち着いてはいますが希死念慮がなくなることはありません。物心ついてからずっとです。いま通院などしていません。病気とは違い私のような人間もいる。だから合法化してほしい。そうしたら通院します。
@騎士アーロン1919
9 ай бұрын
社会が高度になっていき多様性や様々な考えや制度の複雑化などがされていくとなると 生きていくのも中々大変になっていくと思いますね、安楽死って行き過ぎたコスパ主義や 有能な人・無能な人、合理性などから来る生きづらさにも関係しているような気がします。 これらに上手い落としどころや折り合いをつけないと、こういう問題は解決するのが 難しいと感じます。
@シノ-o3e
9 ай бұрын
カウンセリング高いから、AIのカウンセリング受けてみたい。 今は働いていても、生活できるくらいの給料じゃなくて辛いです。 職場環境を良くしたくて、精神保健福祉士の勉強をし始めてから、「自分が生きる事を投げ出してはいけない」 と言う思いが今の生きる糧になっています。
@noricootto
9 ай бұрын
益田先生の解説はわかりやすくてとても勉強になります。数年前わたしは限りなくうつ病だったんじゃないかと思います。いまも苦しくなるときがあってそのたびに益田先生の動画や心理学を学び直しています。安楽死を含めて精神科の先生の身近に解説してくれる機会がもっとあるといいです
@ゆき加奈子
9 ай бұрын
いつもありがとうございます 20代の頃にトラウマと仕事のし過ぎで頭が爆発してしまい、30代に入ってから落ち着いてきて、アラフォーから身体が病み出した頃に精神が落ち着いて来ました。 今では希死念慮はありません むしろ生きていたいです そう思えたのは、大事に思っている友人との出会いです。
@user-bv1zf6rv1d
9 ай бұрын
発達障害とうつ病と診断されています。私は今の状況でも希死念慮について主治医にはっきり話せませんでした。自分が死にたくないとわかっているからだと思います。安楽死が合法化されている環境だとよりいっそう言えません。誰が聞いてるかわからないと思ってしまいます。 10代20代のころは情緒がめちゃくちゃでわからないこともわからずできない自分に厳しく生きていました。そしてとても刹那的で良いと思ったものに盲目的でした。そのころと比べると物の見方や自分を大切にすること、時間をかけて物事に取り組むことの面白さなどがわかってきた今の自分のほうが好きです。まだ治癒の途中で課題も山積みですが心からそう思います。
@ゆってぃー-z2v
9 ай бұрын
正しい知識と前向きな言葉 応援 人の支え 大きな励みになりました。
@ナオミ-m9o
9 ай бұрын
(私も含め)こういった患者達は相手の気持ちや心まで自動的に読んでしまう体質なんだと思うんです。だから疲れやすいし傷付く。以前診察してくれていた医師と私の相性はとても良かったんですね。でも、その先生自身がものすごく疲労なさってるのが、声質に現れはじめ、外見にそれが現れるともう隠せないですよね。 そうなると優しい患者さん達はその医師を気遣うようになる。言いたいことも言えなくなる。疲れてる医師を見てるとこちらも疲れるので転院したんです。 相性だけの問題ではなく、お医者さまの心身に余裕があってこそなのかなと思いました。
@はひはほ
9 ай бұрын
鬱、体の障害者ですが、病気をしてから7年が過ぎました。 精神科の先生から安楽死を進められていたら、ショックが大きくて自死してたと思います。 障害者になったショックで過度な食欲不振になりゲソゲソ体になり、虚弱体質になりました。 病院通いも沢山になり、家では大泣きしながら、今すぐ死にたいんだ、と叫んだりするくらいの情緒不安定が続きました。 痛みもあり死なない病気です。 今も生きてるのは家族や色々な科の先生が不自由な病気の事も調べてるみたいで経過を知ってるので 私は多分優しい先生に恵まれたんだと思いますね。余りに辛い時は違う科の先生にも、少しだけ状態を話したりしても、話しを聞いてくれます。 ここ最近になって初めて、あくびをして驚きました。それだけ心身が緊張状態だったと思います。 今の所はグラグラしながらも少し落ち着いてます。 日本にはいのちの電話がありますよね。 繋がりにくいのは人出不足でボランティアさんなんですよね。 オランダには無いんですかね。 あとは、精神科の先生との相性はあると思います。 今回の安楽死は安易な感じもしています。同じような病気の人も安楽死を簡単に考えてしまいそうで怖いです。
@rhthement
9 ай бұрын
矛盾してるかもしてないけど、安楽死制度が認められて身近にあれば 「ま、ダメでも安楽死制度があるし」という一踏ん張りというか保険的な希望というお守り的なある意味心の支えとしても作用する気がしました。 今は、社会復帰しなければまずいのに無理矢理社会復帰してまた壊れたら今度こそ完全に自制が効かなくなる恐怖があります。
@maskedliver6637
9 ай бұрын
生きたいと思っているわけではないし、責任転嫁のようで申し訳ないけれど医師が治る見込みがないと諦めるのであれば安楽死も構わないと思う。 僕が精神科に掛かったきっかけも線路内に飛び込もうとしてやばいかもと気づけたからであって、自殺念慮が強かったわけで死んだほうが楽ならまして専門家の口から告げられるなら死ねると思ってしまう。
@もふもふ-w6l
3 ай бұрын
治る治らないではないんだよね 頑張って治したくもないくらい辛い人だっているわけよ 若い頃しか経験できない幸せもあるわけで、年取ってからの老年時代を長生きしたくもないわけ
@Natsu30Natsu30
2 ай бұрын
めちゃくちゃ同意します
@腐谷狂気
9 ай бұрын
僕もASD,人格障害、協調運動障害です。 車の運転、肉体労働誰にでもできそうな事ができません。 一昨年デイケアを追い出されてから 病状が改善の見込みはほぼありません。パートナーも当然いません。 日本でも安楽死合法を検討してもらいたいです。
@tomoe18
9 ай бұрын
私はもと旦那の暴力でかなり前頭葉が萎縮していると、自分の脳画像を診て思います。脳も母よりも全体に萎縮しているくらいです。しかし40から知識を必死で学んできた事で脳の働きはネットワークが良好になった気がします。すると自分がコントロール出来、話を聞く力がつき、自分を反省でき、そこから自分軸ができ初めて自分の意見を言えるようになった気がします。これは発達障害のたどる過程に似ていると思いました。自分もマルチタスクは苦手ですし、数学は苦手。正義感が強い 🟰好き嫌いがある、また相手の気持ちがよめなかった。ただこれはやはり親の影響はあると感じています。これが分かるには、多く学ぶ自分の努力が必要でした。と考えると、発達障害と言われる人には、この経験を積む事で、死に至るまでにならないのではないかと考えました。考え方の傾向が変わるからで、それにはやはり時間は必要で、本人に気づかせる高度なカウンセリング技術が必要であるように思いました。なぜなら学ぶことは時間がかかりすぎる、又自分1人ではかなり難しいと考えるからです。
@katchan-t
3 ай бұрын
うつでできるんですね。 そんな仕組みがあれば気が楽になります。 無理しなくても良い、必死に身銭を稼がなくても良いんだ!と。 仕事でお客さんからのパワハラには疲れているので。 他人に迷惑をかけずにできる制度は助かります。 日本にも必要とする人がたくさんいると思います。
@happynyankomiyuu
9 ай бұрын
10代20代は苦しかった。30代でややましになり、40代になると落ち着いてきました。個人差があるとは思いますが歳を重ねると若い頃よりはましです。 オランダは医療が進んでいるが福祉とか環境とか社会資源の活用がしにくい国なのだろうか? ニュースの女性の苦しい気持ちもわからないでもないが本当になす術がなかったのか、ないのか?コミュニケーションが上手くいって 29:42 なかったのか?色々???です。 海外は色んな告知をはっきりと伝えるけれど、それは彼女にやれることはやったetc.はそれを言った医師の所の話で他の医療機関では治療方法があったかもしれない。 安楽死の診断をする医者が2名というには少な過ぎると思う。 医者が希望を捨てたら大変な世の中になるように思う。
@けいとろ-b8f
9 ай бұрын
嫉妬を「自分が不幸になってもいいから相手を攻撃したい欲望」と説明されて納得しました。それでいうと自殺も、何かに、誰かに、仕返しをしたいのかも、と思いました。
@ryan-arts-favorite
9 ай бұрын
体力ちいさめな人だと、 疲労とかも要因の1つになるよ。 私も遺伝で体力ちいさめだし、発達障害は無いのですが 発達の人も遺伝子異常🧬だったら ◯にたい人は最早、運の問題となるかもしれない。 じぶんは法律相談やっていますが、法外の案件は法で裁けばいいのですが、民事裁判だと拗れやすいので 不眠・疲労まで拗らせて まじ消えればラクじゃんという 思いが浮かぶ日もあります。疲れた😣💦⤵️ってなりやすい。ただ運がよかったのは、 恋愛だけとか仕事だけとか偏りがなく まんべんなく悪い人といい人に出会っているから持ちこたえていると思っています。それいいねって感じられる他人が現れるからね。 発達があまり重い人は、判断力そのものが小さいので もうその死生観の認識からして 定形の人間とずれてたりしますね・・。正論が敵になっちゃうから危うい。
@alicegawanomiya
5 ай бұрын
タヒぬ事をゆるされたら脳汁がドバドバ出て幸せになりそう。
@Cartman595
9 ай бұрын
生きろとは言われますが、15年間躁鬱を繰り返し、全てを失いました。昨年は摂食障害もひどくなり身体もボロボロです。更に30年〜は酷すぎませんか。そういう意味で(尊厳死)に助けてほしいです。
@せっとしい
9 ай бұрын
「経済的負担を理由に安楽死を選ぶ」この言葉に眉を顰めました。 精神病はどんな病にせよ確かに治療費が掛かります。外国の事なので福祉制度の事などは調べておらず分からないのですが、まだ寛解する可能性がある人に対して安楽死の許可が下りることが痛ましいなと感じました。 私は機能不全家族からうつ病を患っている当事者ですが、病状が酷い時は死にたい消えたいと常に思っている様な状態です。たった1分が永遠に感じるような生き地獄です。社会に向かって立派に生きていると胸を張れる生活状況かと問われればそれは疑問です。 それでもこんな私にどうにか良くなって欲しい、助けになりたいと動いて下さった精神科の先生、訪問看護師さん、保健師さん。その他ネットのつながりでも、荷物を配達してくれる人でも、私に何かを届けてくれた人達にいつか胸を張って幸せに生きているよと伝えられる様な人生が送れるよう希望を持って生きていけたらと思うのです。 安楽死というものを「世界に認められた苦しくない自殺」という括りにしてしまうのは私としてはモヤモヤしてしまいます。長文失礼いたしました。
@島田徹夫
9 ай бұрын
難病の人に安楽死か生き続けるかの選択権は必要だ。周囲を個人の選択に一切関与させない。安楽死を法制化して安心して生きていける社会にしてほしい。選択権はあることでストレスを軽減させ、癌などの難病との共存で自然死が増えているのが、安楽死法制化の国に増えているという。その意味からすると安楽死の選択権は一つの治療でもある。苦しくなったら安楽死を選択すればいい、と思うだけで気持ちが楽になる。その結果、自然死につながる。
@七篠与一
9 ай бұрын
人の心を満たすのは他者からの承認です、娯楽はスパイスみたいなものでそれだけで心は満たされません。 社会に貢献する良い承認、迷惑をかける悪い承認、そのどちらも出来ない人の心は飢えています。 精神的健康問題は改善しないとは、この先も承認欲求は満たされないだろう、という意味だと考えました。
@みちみちこ-v5e
7 ай бұрын
こんにちは。 たった今、安楽死をテーマにした番組を観終えました。 スイスと日本での安楽死についてです。 1人目の方は、スイスの方でした。 80代後半の方。その方は視力をほぼ失っていたり、他にも疾患を抱えておられました。その一方で端から見れば、おしゃれにも気を使い、庭の花に触れたり、安楽死とは結び付かない姿でした。 とても印象的だったのが、最後椅子に座り、ご主人やお子さん、お孫さんと手を繋ぎ最後を迎える瞬間まで穏やかでスッキリとした表情をされていたことです。 他にもALS嘱託殺人や日本人でスイスでの安楽死を望む方について取り上げられていました。 それぞれ抱える病気も想いも人生も全く違うので、わたしがどうこう言えるようなことではないですが……… わたしも予期しなかった体の痛みや気持ちの落ち込みの経験者の一人として考えました。 日本人の方で末期の疾患を抱えておられた方は、 わずかでしたが未練が感じられました。 延命治療を打ち切られ、様々な症状に向き合う日々。その方の葛藤、苦悩も紹介されていました。(紹介できたのは、きっとほんの一部ですよね。)未練がゼロのほうがあり得ない………のですかね。 最後、命を終えるための点滴の栓は本人が開けます。その様子を見て、この方もしかしたら止めるかもしれない…と一瞬感じました。結果、その方はそのままスイスで最後を迎えられました。 一人目に紹介されていたスイス人の方の『ありがとう💐』だけに溢れていた姿を見て、この方はこの選択肢を選ぶことが出来て本当に満たされているんだな、と、ホッとしました。 今日の番組を観た、今の時点では、安楽死という選択肢もあっていいのではないかと感じています。 ただし、そこに至るには命の素晴らしさを考え、その価値を理解した上で個人の選択の自由があるべきではないか、と思いました。 余談ですが………体が物凄く調子が悪いのに、気分は晴れやかな時がありました。いつもは痛みなどに引っ張られて気分も落ち込むのに。 安楽死を選ばれる方は痛みや末期の疾患の方でしたので、わたしの痛みは大したことないのかもしれませんが………痛みと気分の落ち込みは分離できるんだ、と思いました。 少しでも“仕方なく………”と感じるのであれば、一旦安楽死という選択肢を外す方が良いと感じました。 安楽死が選択肢にあることで、それだけで安心して病状が回復することもありますよね。 物凄く考えました。 良い機会になりました。 ありがとうございました🙏 長々とすみませんでした(*-ω人)
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