昭和40年代頃の当時、出ては消え、出ては消えていったガスタービン動車の計画がありましたね。 確かに、100㎏ちょい程のエンジンで、1000psクラス以上の出力、には魅力があったのでしょうね。同程度の出力のディーゼル機関だと、当時は、少なくとも5tくらいは必要になったことでしょう。 車両に、バイク一台分くらいのものを載せればよかったわけですし、その他の複雑な機器類も、あまり必要ではなかったわけです。 欧州のフランスでは、この頃からのターボトレインの試みが開始され、日本で言うと昭和40年代の終わりのころから、液体変速機式のRTG(Rame à Turbine à Gaz = Gas Turbine Train = ガスタービン列車 )の営業運転が始まったことにも、大いに影響されていたんだと思います。 結局、日本では、ガスタービン動車の実現はしませんでしたね。 特殊な方式よりも、電化のさらなる推進と、軌道強化等によって、この地方路線の高速化の問題に対処することになっていったようです。 JR化後のキハ85,2000系気動車等の登場は、利用客が鉄道利用から逃げてゆくことに対する必死の抵抗の産物です。