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【迷列車で行こう】#95 JR型特急電車を使った夜行急行!?伝統の中央西線夜行・ちくま号の変遷を追う

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コッペパン

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Күн бұрын

#迷列車で行こう #国鉄 #中央本線 #特急しなの #383系 #夜行列車
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• 【迷列車で行こう】#1 悲運の廃止…ムーンラ...
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5Saigen Jiro - 投稿者自身による著作物, CC0, commons.wikime...
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7spaceaero2 - 本人撮影 直江津駅, CC 表示 3.0, commons.wikime...
8Project Kei - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, commons.wikime...
9グーグルマップより引用
10Spaceaero2 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, commons.wikime...
11永尾信幸 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, commons.wikime...
12鉄道ファン No.371 1992年3月号 付録より。元は国鉄1960年発行パンフレット。, 日本国著作権消滅/米国フェアユース, ja.wikipedia.o...
13浦辺研究所より引用
14永尾信幸 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, commons.wikime...
15VVVF - picasaweb.goog..., CC 表示-継承 3.0, commons.wikime...
16Mister0124 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, commons.wikime...
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Пікірлер: 78
@user-ht8vl7ld2y
@user-ht8vl7ld2y 2 ай бұрын
急行ちくま、懐かしいですね~。高校の修学旅行の、帰りが京都からのちくま号でした。四人がけの、ボックス席で寝て帰った思い出があります。
@Bhamas101
@Bhamas101 11 ай бұрын
急行ちくま号(大阪しなの)懐かしいな。 東海道線では振り子使えなかったんだよね。
@user-rk2nb9jr4y
@user-rk2nb9jr4y 4 ай бұрын
まだ12系客車のころスキー行くのに使いました。 当時シュプール号(14系昼行)もあったのですが、何故かこちらに。 停車中におトイレ利用してよく考えると赤っ恥wという記憶が、、、
@t.murakami4471
@t.murakami4471 11 ай бұрын
1997年の秋に383系に変更されたばかりの「ちくま」で長野→大阪を利用しましたが、全く眠れなかったことを思い出します。その時ばかりは、14系寝台に乗りたかったと思いました。 また末期の臨時運転時は、383系から381系のパノラマG車仕様に変更されていましたね。
@mako-gm7me
@mako-gm7me 11 ай бұрын
ちくまの383系化は客車の置き換えもそうだけど、大阪しなのの送り込みを兼ねて車両運用の効率化って面が大きかったんじゃないかと。
@Central313
@Central313 11 ай бұрын
383系ほんと大好き
@user-mz8dk8yt1w
@user-mz8dk8yt1w 11 ай бұрын
末期は、長野~松本・米原~大阪の最終・始発列車の役割をしていました…。動画の通り、下りは登山やスキーなど長野オリンピックあたりまでは需要がありました。JR西日本も北陸線経由で長野行きを設定していました。
@user-jo6vd3cn6rdondon
@user-jo6vd3cn6rdondon 7 ай бұрын
何十年前に乗ったかな~⁉️🙄 381系の空調が、とにかくカビ臭くて長野駅から名古屋駅まで寝れなかった事を覚えてる❗🤮🤮🤮
@user-wd2dl2yp4m
@user-wd2dl2yp4m 11 ай бұрын
晩年のちくまを、大阪駅からの最終列車風で、名古屋駅まで何度か、お世話になりました。
@user-vq6vq8lo3i
@user-vq6vq8lo3i 11 ай бұрын
私、ちくまに乗ったのが晩年だったので、383系だったわ。 寝台じゃなかったので全然寝れへんかったわ。w
@JR-zennihon
@JR-zennihon 7 ай бұрын
臨時化されたあと381系になりましたね。
@maochanhappy
@maochanhappy 8 ай бұрын
ちくまに乗った時は冬だったのでスキー客が多かったのを思い出します。 大阪を夜発、長野早朝着というのが時間的に便利だったのだと思います。
@user-lh1en7bc1d
@user-lh1en7bc1d 11 ай бұрын
客車時代は14系寝台12系座席(リクライニング改造)はJR西日本宮原から、 機関車はEF65JR東日本田端(出雲牽引の間合い)が大阪名古屋間とJR貨物所属EF64が名古屋長野間、 運転士は各会社が担当、車掌は全区間JR東日本長野が担当する4社共同運行と珍しい列車でした。 383系置き換え後は車掌は塩尻までJR東海に変更され、JR東海主体になったようです。
@user-fe6ox5qv3j
@user-fe6ox5qv3j 11 ай бұрын
12系ボックス席、14系寝台、383系と長野経由で東京へ行くのに3度利用 松本着時の「まつもと~、まつもと~」で目が覚めてしまう
@kiha110oykot
@kiha110oykot 11 ай бұрын
松本では新宿発の「アルプス」が反対側のホームに停車して相互に接続していました。
@h_hiro_1982
@h_hiro_1982 10 ай бұрын
何度か383系ちくま乗りました。座席の真上がパンタグラフだったらしく、つねにスパークしたときの漏れた光が窓から入ってきたので まともに寝られなかった思い出があります。寝れなかったデメリットよりも長時間乗車できたメリットの方が上回っていたので結果的に 楽しかった旅でした。 宮原での停泊が無いようにしていたダイヤだったらしく今思うとすごい効率的な運用だったなと思いますね。
@user-lp2sn7vx5j
@user-lp2sn7vx5j 11 ай бұрын
1970年代の後半には,スキーシーズンの週末になるとたくさんの臨時のちくまが走ってました。 背もたれがボコボコで後の席の人がもたれかかるとこっちに出っ張ってくるような車両も使われてました。 だいたいいつも,米原を過ぎる頃には寝ていて,塩尻で進行方向が反転して目が覚めるというパターンでした。
@wannykeiryuyoku7115
@wannykeiryuyoku7115 11 ай бұрын
383系のちくまは、大阪〜名古屋間を乗りました。大垣までなら料金が安くなるのでグリーン車に乗ってみましたが、確か毛布がサービスで付いていたかと。寝台車の代わりだったのかもしれませんね。 昼行のちくまは、臨時でくろよんとの併結列車を利用しました。往時の東海道線急行を彷彿とさせる長編成で、167系にはスピードメーターも装備されていました。
@yukis.3767
@yukis.3767 5 ай бұрын
冒頭に紹介されている「準急きそ」 1960年頃までの運用では増結2両(ハ1両、スハニ1両)が塩尻で切り離され、塩尻からは中央東線上り列車に併結されて新宿まで(ハは上諏訪まで)乗り入れていたそうです。
@user-vo5cd1tf3i
@user-vo5cd1tf3i 11 ай бұрын
ちくまは定期時代の383系と臨時格下げになってからの381系に乗りました。 急行だったので料金が安く、仕事が終わってから大阪から長野に行けるので便利だったのですけどね。
@user-vv4hs3qh3n
@user-vv4hs3qh3n 11 ай бұрын
夜行急行ちくまは14系寝台車+12系座席車の混成時代に寝台利用して大阪~長野間往復したことがあります。その後383系に置き換えられると利用しにくい列車になってしまいました。同様に急行だいせんも客車時代はちくまと同じ編成からキハ65系のエーデル車両に置き換えられました。
@kiha110oykot
@kiha110oykot 11 ай бұрын
同じく14系寝台車+12系座席車混成の時代に多く利用していました。 14系がオリジナルの3段寝台から2段寝台の14系15型に、12系もボックスシートのオリジナル車から簡リクの3000番代に変更されたりといった変遷がありましたね。 国鉄時代の20系+12系の混成編成の時代も20系側の緩急車がパノラミック窓のナハネフ22と切妻貫通形のナハネフ23の2パターンがありました。 長野駅停車中の状態で1982(昭和57)年5月12日を境に寝台車の連結位置が反対側に変わったというのも挙げられます。 (塩尻駅でのスイッチバック解消の為) 国鉄最晩年〜JR化後の客車時代は、「だいせん」と同じくJR西日本・宮原持ちだった為か、同時期に12系のイラスト入りテールマーク採用、3段寝台の2段化や座席車の簡リク化などの共通性が高かったですね。
@user-vv4hs3qh3n
@user-vv4hs3qh3n 10 ай бұрын
@@kiha110oykot そうですね。昭和50年代に入ると老朽化した20系が急行に転用され12系座席車と併結可能な20系1000番台と2000番台が出回ってましたね。
@kiha110oykot
@kiha110oykot 10 ай бұрын
@@user-vv4hs3qh3n さん 12系との連結に対応させた20系の1000・2000番代はドア扱いの共通化の為に出入口の折戸も自動化されていた様ですね。 (オリジナルの20系は手動開閉で走行中は鎖錠する方式) 「ちくま」の他には、山陰〜九州間の「さんべ」の夜行便や九州の「かいもん」「日南」に充当されていた記憶があります。
@user-ii3xb1lc1l
@user-ii3xb1lc1l 3 ай бұрын
12系客車から383系になって座席車は快適にはなった。 寝台車は長野到着が早過ぎてメリットが感じられなかった。 しかし世は小泉・竹中による『改革』で脱法バスが溢れ構造的な不景気もありバスに客を奪われた上に、 若年層はそもそも生活苦で山へレジャーで出かける余裕が無くなり需要が漸減していった。
@sinov6185
@sinov6185 11 ай бұрын
中学の修学旅行で長野-大阪間のキハ58系ちくまに乗車しました。 修学旅行の最終日で疲れていたせいか、直角の4人掛けボックスシートだったにもかかわらず、長野駅から乗車して翌朝7時頃に大阪駅に到着する直前までずっと寝ていた記憶しかありません。
@SGPlo
@SGPlo 11 ай бұрын
12系座席+14系寝台の頃のちくまなら乗ったなあ 長野から大阪に出張の時に朝から打ち合わせの場合、これに乗るか夜行バスか前日入りのほぼ3択だった(一応直江津経由きたぐにもあるにはあるが) 費用を考えると前日入りと寝台での値段ほとんど変わらない
@user-oe3rm5fi3p
@user-oe3rm5fi3p 11 ай бұрын
大阪から長野まで乗り通したことがあります。登山客が多かったです。
@inojyou1
@inojyou1 11 ай бұрын
昭和50年頃の土曜日、昼に学校が終わってから瀬戸から高蔵寺ー定光寺間まで自転車で中央線の列車を観に行きました. 当時は1時間に数本の列車しか来ませんでしたが、EF64に引かれた12系ちくまが来たときは子供ながら感激しました. いつか乗ろうと思っていたのですが、数年後には165系になってしまいました. 先日、模型で再現してました.
@XYZXYZ-ch7xe
@XYZXYZ-ch7xe 11 ай бұрын
子供の頃スキー旅行に、14系+12系のちくま指定席に乗りましたが、登山客などで混雑していて自由席の通路に新聞を拡げて座ってる人もいました。 ボックスシートで眠れず、且つ暖房が効き過ぎて、たまに折り戸からの隙間風が吹くデッキまで歩いたなぁ… 翌年は3段寝台に乗れたのが嬉しかった😊 たしか、5時半頃に長野に着いたと思うが善光寺を模した長野駅駅前の屋台でおいしい信州蕎麦をいただいたのが良い思い出です。 383系ちくまもオリンピック観戦に行くのに乗りましたよ。座席車は格段に居住性が良くなっていましたが、客車の方が味わい深かった。
@individualeleven868
@individualeleven868 11 ай бұрын
社会人になっての初ボーナスで ちくまに乗って飯田線に乗りに行ったな
@patapata2259
@patapata2259 11 ай бұрын
生まれて初めて乗った夜行列車が12系ちくまで、大阪~塩尻間利用。塩尻には5時前に到着、6時頃出発するアルプスに乗り換えて東京方面に行きました。 晩年の383系も、早朝に上高地方面に行くために、大阪~松本間で利用しました。 いずれも懐かしい思い出です。
@demio2614
@demio2614 6 ай бұрын
昔、朝の5時前にジャスコの配送の帰りに名古屋の矢田川堤防道路走ってると急行ちくまによく遭遇しましたよ。まだ機関車が牽引で寝台車も後方3両ついてました。乗りたかったなあ。
@user-mg4oo7mx3f
@user-mg4oo7mx3f 11 ай бұрын
急行ちくまといえば気動車急行が長く、その後定期が客車に代わった。20系に12系での運転だった。また季節列車の1往復は宮原電車区の167系での運転だった。また、ちくまとは違うんだが循環急行の臨時で急行アルベンという列車もあった。この列車は東海道本線・中央西線・北陸本線・東海道本線とまわる列車で逆方向をまわる列車もあった上下とも中央西線部分が夜行運転だった。。
@user-yj3xv3nl4g
@user-yj3xv3nl4g 11 ай бұрын
彩雲は不定期準急のときに乗った。D51牽引・旧客・D51後補機付きでした。  急行ちくまはEF64牽引旧客時代の夜行長野行と165系電車の昼行大阪行きに乗った。  ちくま最後の年?2005年には381系の夜行と昼行のちくまを撮っていた。 383系ちくまの存在は忘れていました。
@user-su3fu1eu3j
@user-su3fu1eu3j 9 ай бұрын
確か、約30年近く前に夜間急行ちくまを長野から大阪へ乗った覚えがあります。その時、長野駅は北陸(長野行)新幹線の建設をしてました。
@YAMANOBE0811
@YAMANOBE0811 11 ай бұрын
急行ちくま、2回くらい乗ったような。さすがに客車の頃には乗っていませんが。 東海道が豪雨で新幹線・在来線ともに運休になった時もこの列車の自由席を利用しました。🚃
@user-hg3bv8yx9y
@user-hg3bv8yx9y 11 ай бұрын
夜行と言えば博多、下関あさかぜ&瀬戸(共通運用的意味合いで)
@user-md6tw5hb6d
@user-md6tw5hb6d 11 ай бұрын
20系+12系置換え前の夜行「ちくま」は昼間は北陸・七尾・能登線直通急行「越後・ゆのくに」との共通運用だったな(コチラは大体年一度のペースで乗ってたな)。
@user-df3fg3jj1u
@user-df3fg3jj1u 11 ай бұрын
松本駅は乗り越し時の発行券が、硬券の「出場券」が最後の方まで残っていた様な?
@bakutaWRC2002
@bakutaWRC2002 11 ай бұрын
国鉄分割民営化直後、大阪から東京に戻る際に乗車したのを思い出します。その時は14系客車だったように記憶してます。
@user-bq1oq3ix6t
@user-bq1oq3ix6t 11 ай бұрын
確か「ちくま」という名前は筑摩県が由来になっていましたねえ。
@user-ih6ye7qw1u
@user-ih6ye7qw1u 10 ай бұрын
筑摩県 1871年〜76年にかけて存在した県。 現在の長野県中信地方・南信地方、岐阜県飛騨地方と中津川市の一部にあたる。 県庁は、筑摩郡松本の松本城(現・長野県松本市丸の内)に設置され、飯田城(現・長野県飯田市)と高山陣屋(現・岐阜県高山市八軒町)に支庁が設置された。 (筑摩県の沿革) 1871(明治4)年11月20日の第一次府県統合により、信濃国(現・長野県)伊那県、高島県(旧・諏訪高島藩)、高遠県、飯田県、松本県及び飛騨国(現・岐阜県)高山県、旧尾張藩領の一部が統合されて、筑摩県が発足。 1876(明治9)年6月19日の深夜に、松本城内の筑摩県庁で火災が発生し、県庁舎が消失した。 1876年8月21日の第二次府県統合により、信濃国は長野県に、飛騨国は岐阜県にそれぞれ合併され、同日をもって筑摩県が廃止された。
@Apos_trophe
@Apos_trophe 10 ай бұрын
これ、ずっと千曲だと思ってたから、wikiみて仰天した。
@user-es3ff2kq5k
@user-es3ff2kq5k 10 ай бұрын
寝台車のちくまに1度だけ乗った 朝の5時20分すぎに長野に到着だったかな
@osakakawachi
@osakakawachi 11 ай бұрын
383系時代に長野→大阪で使いました。 塩尻発車後が凄くゆっくり走って、下り勾配を利用してほとんど力行無しでの走行でした(笑)
@user-br8qb8un8t
@user-br8qb8un8t 11 ай бұрын
自分が知っている ちくま は機関車64 0番台が牽く12系客車と20系寝台車だった。千曲川橋梁で撮った写真が現在自宅のパソコンのHDDに入っている。
@marimone
@marimone 10 ай бұрын
12系客車(自由席)時代に、長野→木曽福島→長野の乗車で信州ワイド周遊券での宿がわりに利用したな。
@fu2297
@fu2297 11 ай бұрын
夜行急行電車383系ちくま号に乗った事があります。 それ以前は夜行急行電車165系きそ号も乗った事があります。 ちくま、きそ二本立ての時代のちくま号は名古屋駅通過扱いだったので、この時代は乗っていません。 急行と言えば、赤倉号とかくろよん号が記憶にあります。
@nozomirailstar
@nozomirailstar 11 ай бұрын
これ乗りましたよ。 隣の乗客がいないのを良いことに2席占領して横になって寝ましたっけ。新潟県旅行して信越本線南下して。長野駅でめっちゃ時間空いたんでゲーセン行ってゲーセンパチンコの『ホー助くんDX』連チャンさせて。
@KkNagano143
@KkNagano143 10 ай бұрын
俺が生まれた翌年に廃止になったとは…地元なので悔やまれますby篠ノ井線沿線民
@shinanotikuma
@shinanotikuma 11 ай бұрын
383ちくま 毎週末乗ったなぁ懐かしい 結構な乗車率だった事もあった隣席も埋まったり。 高速バスに負けたのかなぁ
@user-lh2mp6zm1g
@user-lh2mp6zm1g 11 ай бұрын
ちくま懐かしい!長野五輪の帰りに使ったわー
@user-sl7zf5xu8h
@user-sl7zf5xu8h 11 ай бұрын
特急列車で走った夜行急行は個人的には「アルプス」が一番に出てきます。
@user-xo2xf6eh6g
@user-xo2xf6eh6g 11 ай бұрын
昭和40年代頃の急行ちくまは、夏や冬には臨時で戸狩や田口(現在の妙高高原)や関山や直江津まで乗り入れをしていましたね。又1969年~1970年と1970年~1971年には、大阪~長野でちくま銀嶺が運転されました。(1969年~1970年までは、大阪発着に加えて湊町発着もありました。又この列車は元々1966年の冬から運転を開始したしなの銀嶺を改称した列車であり、1967年の冬から志賀銀嶺に改称し同時に湊町発着の日も追加され、1969年の冬からちくま銀嶺を名乗るようになりました。)
@okhan
@okhan 11 ай бұрын
ちくまは気動車、客車、電車一通り乗ったね 信州にスキー行くのに便利だったからね JR化後はシュプール号が北陸本線経由になったのが ちくまが廃れた原因だね
@user-mg4oo7mx3f
@user-mg4oo7mx3f 11 ай бұрын
165系ではなくて厳密には167系元修学旅行用電車です。ディーゼル急行時代のヨンナナサン白紙ダイヤ改正からしばらくは長野行きが、全車指定席で運行されていた。これは、急行だいせんもおなじでだいせんは准寝台列車だった。ちくま号の下り夜行は全列車全車指定席であり、このときに運行されていた急行アルベンも同様だった。ただしアルベンも含めて松本からは、一部は自由席になった。
@user-pb3zn3vi7v
@user-pb3zn3vi7v 11 ай бұрын
懐かしいです自分の時代ちくま号 といえば電気機械車の急行でした
@user-yf6ek4qk5l
@user-yf6ek4qk5l 11 ай бұрын
夜行急行[ちくま]はキハ58系,12系客車を利用したけれど,今では大阪駅で[ちくま]の呼称が消滅してしまった😣
@user-rd9cu2wm3m
@user-rd9cu2wm3m 11 ай бұрын
「ちくま」の383系化の推移ですが、先に1996年12月改正で383系量産車が登場して「しなの」定期便が383系に統一、追って97年10月改正で「ちくま」が383系化されます。 ちなみに臨時化後には381系が充当される事もありましたが、現在では「しなの」の大阪便も廃止されており、「ちくま」の廃止は時間の問題だったように思います。 一応客車時代末期には、12系のグレードアップ化・寝台車を14系14型(原形3段寝台)から15型(新製2段寝台)としていますが、寝台車側はブルトレ縮小による車両転配から実現したものでした。 「シュプール」を含む鉄道夜行需要そのものが激減してしまい、こうした列車が過去の象徴になってしまうのは、致し方ないとはいえ寂しい気もします。
@user-zf7qz9uw8d
@user-zf7qz9uw8d 11 ай бұрын
私が幼少のころは、14系客車の記憶がありますよ。自由席・指定席・B寝台車の混結だったはず。 やがて昼間の急行「赤倉」と共通運用化するため、165系化され、その印象が強い世代です。 ちなみに、私の世代は夜行急行1往復のイメージですが、夏季には臨時急行として「ちくま・くろよん」(併結・長野発+白馬発)が昼間に走りましたよ。名古屋を出ると稲沢貨物線を通って、貴重な前面展望動画が撮影できました。ただ、稲沢駅の脇で10分ほど運転停車したので、その間に快速・普通・特急「しらさぎ」の3本に抜かれた記憶があります。 最晩年の383系時代は、夜行急行のイメージが薄れたほか、利用する機会にも恵まれなかったので、こうして画像でしかイメージできないなぁ。
@user-ek7um8zz1m
@user-ek7um8zz1m 11 ай бұрын
夜行急行の御三家は銀河・新星・天の川
@user-ii3xb1lc1l
@user-ii3xb1lc1l 11 ай бұрын
客車時代の寝台車利用は20系だけですが狭くてあまり良い思い出が無い。 客車座席車は夏山登山時に何度か利用したけど良い思い出が無い。 12系客車で床下から発電用エンジンが咆哮を上げ、クーラーが発する騒音とユニット窓が列車すれ違いに発する衝撃にロックが無く倒しても戻る簡易リクライニングシート…眠れない。 座席車としては383系時代が至高。 普通車は静粛性が上がりシートピッチは広くなりフットレストも付いた。 グリーン車は同じ4列シートでありがたみが無い。 山シーズンに限らず頻繁に利用した。
@user-ni8jp6bh2c
@user-ni8jp6bh2c 11 ай бұрын
急行ちくまを383系に置き換えてまで存続させたのは、大阪発着のしなのとの運用共通化があるでしょう。客車時代終焉期に木曽福島返しで急行ちくまを利用したが、客車編成最後の下りちくまの先頭に名古屋から立ったのは、当時まだ残存していたユーロライナー塗装のEF6436。そいつが宮原への車両返却回送を含めて名古屋~長野を担当…実際は確認していないが、東海道線内で往復とも先頭に立ったのは、田端に所属していた初代スーパーエクスプレスレインボー塗装のEF651019だったとか。
@user-cb4vx4yh1c
@user-cb4vx4yh1c 11 ай бұрын
私も383の急行ちくまを使ったことがありますが、車両は最新鋭の特急車であるが、敢えて急行のままにするのは、良心的な配慮。
@norakura0492
@norakura0492 11 ай бұрын
夜行列車と言えば、北斗星に20系銀河、そして165系大垣夜行(笑)
@YAMANOBE0811
@YAMANOBE0811 11 ай бұрын
私も何度も乗りましたよ。
@user-yr4jz1jd2r
@user-yr4jz1jd2r 10 ай бұрын
そして新大阪〜新宮の165系夜行快速
@dodemoyokunai
@dodemoyokunai 11 ай бұрын
電車で運転されていた「ちくま」は、165系ではなくて、宮原所属の波動用167系での運転だったと思う。
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 11 ай бұрын
165系と167系のミックスだったような気がします...
@dodemoyokunai
@dodemoyokunai 11 ай бұрын
@@exp.m.k.2300 さん 子供の頃の記憶でドアの幅が狭く違和感を感じたというのがあったので、もしかしたらクハが165でモハユニットが167という編成だったのでしょうか。
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 11 ай бұрын
@@dodemoyokunai さん そうです。幼い時に修学旅行電車に乗りたいと思ったものですが修学旅行の年齢になった時点で修学旅行電車は過去のモノだったので臨時急行「ちくま・くろよん」で167系に巡り逢えたのは感動モノでした。 なお、この類の動画がわりとあがっています。一度検索いただけばと思います...
@hiko2hiko
@hiko2hiko 11 ай бұрын
酔っ払い運転で捕まった急行「ちくま」
@kenkenluvhito
@kenkenluvhito 11 ай бұрын
登山ブームだから中央線の夜行は需要あると思うんだけど。昔みたいな雑魚寝でなく全車指定席の夜行特急にしてしっかり料金取って採算性もあげていけば。
@y--sizuki
@y--sizuki 10 ай бұрын
これ、 京都〜米原間で、振り子装置停止して数度ハン訓すれば、西でも走れるので、 383系引退前に、東海ツアーZ 、日本旅行、びゅう で合同企画として、リバイバル夜行ちくま号として団体リバイバル運転して欲しいです。 本当にマジで実現してほしい!!🙏
@qc5j22
@qc5j22 11 ай бұрын
ちくまとだいせん 姉妹列車だがどちらも有名でない😭
@user-st7ob8ic6u
@user-st7ob8ic6u 11 ай бұрын
ドリームつばめ・にちりんもJR型の電車特急やないかな?
@basunounsan
@basunounsan 11 ай бұрын
客車時代の急行ちくまは【多国籍な列車】でもありましたね!使用客車は『JR西日本・宮原客車区』の12系+14系、牽引した機関車は長野~名古屋間が『JR貨物・稲沢機関区』のEF64で名古屋~大阪間が『JR東日本・田端運転所』のEF65、乗務していた車掌は『JR東日本・長野車掌区』とJR東海は塩尻~名古屋~米原の区間で機関車を操縦する運転士のみ関わっていました。
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