窓ひらくー一つの生活改善記録 東京シネマ1958年製作

  Рет қаралды 1,711,917

NPO法人科学映像館

NPO法人科学映像館

Күн бұрын

Пікірлер: 1 300
@SuperZunai
@SuperZunai 2 ай бұрын
古民家買ったんすよ 修繕すると、過去の増改築の痕跡と一緒に、その家で生活していた人々の息遣いが聞こえてくるような体験をします。 きっとこの映像の中にあった人々のような暮らしの営みがあったんだろうなぁ
@kazeda-matasaborou
@kazeda-matasaborou 10 ай бұрын
子供も礼儀正しいし『ご苦労さん』と言うねぎらいの言葉も素敵。 質素だけど丁寧な暮らし。
@とむとむ-u3f
@とむとむ-u3f 4 жыл бұрын
「明るくっていいですね」 「なんですか、これくらい、わけないですよ」 こういう昭和の台詞がたまらない
@田中遥人-m6s
@田中遥人-m6s 3 жыл бұрын
昔、日本語の教科書に A「あら奥さん、とても   いい着物ですね。」 B「こんなのはボロで   ございます。」 というクダリがあった のを思い出しました。(笑)
@直三-z3h
@直三-z3h Жыл бұрын
いかにも昭和時代のちょっとした自分自慢ですね。家を改築した時などくらいしか、言えないセリフです。 私も昭和世代なので、こんなおっかちゃんの細やかな誇らしさを聞いた覚えがありました。
@わたにゃんi8k
@わたにゃんi8k 2 жыл бұрын
これってなんか定期的に見たくなりますよね。
@glmugi
@glmugi Жыл бұрын
わかる
@oayumi3000
@oayumi3000 2 жыл бұрын
足踏みはあっても駆け足はできないのが貯金である……名言!
@ohgt4
@ohgt4 4 жыл бұрын
ここには映っていないけど当時の女性には、素手による 洗濯という重労働がプラスされます。 身なりにかなってられない主婦を美しく変えていったのは 化粧品でもスマホでもなく、白物家電だったんですよね。
@pu1234wa
@pu1234wa 4 жыл бұрын
銀行の支店も郵便局なども十分に地方にない時代に、貯金のシステムを自助努力で信用でクラブで運営していたことに感動しました。自宅で貯金することはやはり困難上、金融機関も利用できない時代だったと思います。こういう努力の上に私がいることを忘れないようにしたいと思います。
@panofsky2007
@panofsky2007 4 жыл бұрын
3:39「すべては一歩一歩。すべては1つが出来て、次である。」 なんでも全部一度に欲しくなるけど、少しずつで我慢して買いそろえたり整えていくような忍耐強さも人間には必要なのかなと思いました。何不自由ないこと、なんでも買い揃えられてしまうのが当然になっている子供たちにも見せて、みんなで考えたいと思いました。
@saitasakura9300
@saitasakura9300 5 жыл бұрын
私の亡くなった母とオーバーラップして、心の中で母にありがとうといいながら観させて頂きました。心温まる貴重な映像をありがとうございました。
@花兎-h2c
@花兎-h2c 2 жыл бұрын
私の母の田舎(安曇野)の農家の家も私が子供の頃の記憶では、土間の三和土に竈門に井戸に掘りごたつ、囲炉裏、屋根裏に蚕部屋、煉炭室、五右衛門風呂、茅葺き屋根、むしだらけの離れのトイレ、太い梁に大広間…懐かしい。 お盆には従兄弟大勢で帰省して畑を手伝い、西瓜を池で冷やして貰って縁側で食べた。 午後には襖を外してみんなでかやを張って蝉時雨の中のお昼寝。夜はウシガエルの大合唱と満天の星、蛍の光の中で寝る。 でも今思えば長男の叔父さんのお嫁さんだったおばさんは、一人で接待にテンテコ舞していたと思う。姑と同居し、田畑に子育てに親戚の接待、本当に苦労してたと思う。みんなにご飯作って他の嫁も手伝ってたけど、いつも土間にいた記憶で、なのに自分のご飯は床が居間より一段下がった小部屋で一人でかき込んでいた。農家の嫁は代々そこで食べたらしい。 やはり台所や風呂は真っ暗。 もうおじもおばも亡くなり、両親も呆け、色々思い出すと胸が苦しくなる。
@nekotarou-qs3mc
@nekotarou-qs3mc 6 жыл бұрын
60年前の山梨の田舎ですね。台所がきれいになってタマヨさん天にも昇るほどうれしかっただろうな。
@gsl8467
@gsl8467 4 жыл бұрын
昔こういう形状の鉄の箱が回ってきたのを思い出します。昭和38年頃だったとおもいます。 投入口に名前が書いてありそこにお金を入れて隣に回しました。 子供だった自分は、みんながお金を入れた 箱を何処に持っていくのか気になっていました。 ある日箱を追いかけていき、行き場所つきとめました。 そこは、青木信用金庫だったのです。 懐かしい事を思い出させてくれてありがとうございます。
@jojo233
@jojo233 5 жыл бұрын
わずか60年前と言っていいのか、60年も大昔の事と言えばいいのか、現代では考えられないような苦労をして生き抜いた先人達の改善の努力の積み重ねの上に今があるんだなと考えさせられた。自分はこんなに楽に暮らせてしまって良いのだろうか?とさえ思ってしまうほどの苦労。あと映像が凄く綺麗なのに驚いた
@昨日の残り物
@昨日の残り物 2 жыл бұрын
60年後の人々から見たら我々の暮らしも苦労に満ちたものでしょうから、胸を張って楽をすればいいと思います。 先人達もそれを望んでいるはず。
@Bori-K
@Bori-K 5 жыл бұрын
歴史上の人物だけが世界を作ったのでなく、こういう圧倒的多数の普通の人たちが、世界を作ってきたんだよな。
@渡邉悦子-u3z
@渡邉悦子-u3z 4 жыл бұрын
bk めて
@オゲヒョン
@オゲヒョン 4 жыл бұрын
おて
@kristencake5358
@kristencake5358 4 жыл бұрын
こて
@rhianajeanhutalla
@rhianajeanhutalla 4 жыл бұрын
こんなのに便乗するわけ.... いて
@taro-sa
@taro-sa 4 жыл бұрын
はて?🤔
@nobujak
@nobujak 5 жыл бұрын
こういう映像を観るたび、自分の命は自分だけのものじゃないんだなって思いませんか。自分は数10年前に生まれただけかもしれないけど、それを可能にしてくれたのは、そこまで何世代も命を繋いでくれてきた人たちのおかげなんだなって。KZbinと投稿主に感謝。
@さくらんぼ-c2v
@さくらんぼ-c2v 4 жыл бұрын
この映画見てではないけれど、 そう思いますよ。 実は何百年、何千年もの間 ずっと命は繋がってて 戦争や飢饉、病気などで途中で途切れてしまった命もあるのに、 それでも私が生きているというのは、実はとてもありがたいことなのかなーなどと考えてしまいますね。何百年、何千年と繋がってる命、凄いですよね、大切ですよね だから、子どもたくさん 作って未来に繋いでいってほしいです
@半径0メートル
@半径0メートル 4 жыл бұрын
本当に崇拝すべきは神でも仏でもなく先祖ですね。 訳わからんビジネス新興宗教なんか消えてくれ
@raspatat2845
@raspatat2845 4 жыл бұрын
いい事おっしゃいますなぁ。
@kouhaku-tuukawa-channel
@kouhaku-tuukawa-channel 4 жыл бұрын
本当に同感します 先祖の日々の積み重ねの上にいるのだなと
@jack015
@jack015 Жыл бұрын
私は110歳です。1950年から1980まで、ずっと日本に住みました。だから、あの時をよく覚えます。'50年から'80年まで、日本は本当に良かった。1990年から、変わった。
@pew332
@pew332 9 жыл бұрын
当時のお母さんたちの涙ぐましい努力は、涙なくして見られませんでした。こうした記録は後世まで伝えたいですね。久米川さん、ありがとうございます。
@すだみ84
@すだみ84 7 жыл бұрын
自分の貯金があちこちの家を回るって、相当な平和的信頼関係がないとできないですよね。
@中山ガバ
@中山ガバ 6 жыл бұрын
他国なら持ち逃げされて終わりですね。 自販機を外に設置出来ないのもそういう理由ですし。
@埼玉-f9w
@埼玉-f9w 5 жыл бұрын
たのもし制度は田舎はまだありますよ、沖縄とかじゃ当たり前らしいけど
@witchwatch6116
@witchwatch6116 4 жыл бұрын
講だっけ
@考える道産子
@考える道産子 4 жыл бұрын
「お互いさまで支え合う」精神ですよね。
@ちゃんちゃん2
@ちゃんちゃん2 4 жыл бұрын
この辺じゃ無尽ちゅうもんもあるらよ。おんなじ
@寸聞朶羅
@寸聞朶羅 5 жыл бұрын
61年前のものとは思えない鮮やかなカラー映像。当時の農村地帯の生活の様子と当地の主婦たちによる、生活改善のための懸命な努力。その一つとしての、とある一家庭のリフォーム光景がよく伝わる内容でした。後世に残す映像資料としての価値は極めて高いと思います。
@杉森光
@杉森光 Жыл бұрын
ここでいきなりスマホ持ってる人出てきてほしいなぁ😂
@takasaki001
@takasaki001 3 жыл бұрын
「足踏みは出来ても、駆け足は出来ないのが貯金です」 すごい良い言葉だなあ
@maquiiida3802
@maquiiida3802 5 жыл бұрын
なぜかオススメに出てきた。 でも最後まで観てしまった!
@加藤久夫-u9d
@加藤久夫-u9d 5 жыл бұрын
友人に薦められて…☺️
@コンタクトレンジブロック対応アカウン
@コンタクトレンジブロック対応アカウン 5 жыл бұрын
ワイも、しかも仕事中w
@おつまみ-t2i
@おつまみ-t2i 4 жыл бұрын
私は西成KZbinを観ていたら突如オススメに
@みんみん-e8j
@みんみん-e8j 6 жыл бұрын
本当に明るい台所はやる気がでるよね。
@極-r8p
@極-r8p Жыл бұрын
コレ5、6年前に見たけど偶然上がって来てまた見いってしまった。光が差し込むのがどれ程嬉しかっただろうか。たまよさん達 の、いや日本人の頑張りがここにはある。
@半径0メートル
@半径0メートル 4 жыл бұрын
この明治大正とさほど変わりないこの田舎の生活。 とても今からは想像できない光景だが、この人が一生懸命貯金している中にある10円硬貨は1953年から世に出ているもので今もなお使われていると言う事実、、、 恐るべし10円玉
@yukis_2030
@yukis_2030 3 жыл бұрын
昔の10円って、子供のお小遣い程度なのかな。 今だったら、10円でなんてうまい棒しか買えないからな。 【追記】ヤバい誤字ってましたw。簡単に直せる世の中になったのぉ
@takataka5161
@takataka5161 3 жыл бұрын
もはやうまい棒も買えない…
@中山ガバ
@中山ガバ 3 жыл бұрын
手元にあるギザ十の見方が変わって来ますね。
@おっきいおっさん-f8m
@おっきいおっさん-f8m 3 жыл бұрын
その着眼点すき(。・ω・)ノ゙
@らら-x7o
@らら-x7o 4 ай бұрын
私も長い時の流れの中にいる 日本人で良かったと思いました🥲
@tsutomusaijyou4435
@tsutomusaijyou4435 3 жыл бұрын
うちの母ちゃんも、たまよさんのように黒くやけてた 一日朝から晩まで畑仕事だったから、晩御飯の支度はそれは大変だったでしょう 生活を良くしたい想いが込められていて、その時の母ちゃんの気持ちが解るような映像でした ありがとうございます
@civo6781
@civo6781 4 жыл бұрын
「この手でどうにか明るい台所を手に入れなければ」そう思うと、思わず力が入ってくる。ってこれなんですよね。自分で何とかしなければっていう精神。 そして、大切な貯金を子どもが運び、他人を信じて預けられる社会。 (これは現代社会では、犯罪に繋がる可能性大だから 真似は出来ませんね。) 忘れてた大切なことをあれこれ思い出させてくれる動画でした。 「誰かがやってくれる」とか「誰かのせい」とか、何ごとも他力本願になっていては、 夢は夢のまま、何も変えられないってことですよね。
@sui1379
@sui1379 5 жыл бұрын
山梨がルーツの私。 ひいおばあちゃんや おばあちゃんの世代は、こんな気持ちで日々を過ごしていたんだなと思うと 胸が熱くなります。 台所が明るくなる、 かまどと流しが近くなる、 こんなことがとてつもなく嬉しい。 そのために毎日一生懸命働いて 貯金をして、 人との関わりを持って。 素晴らしい映像を残して下さってありがとうございます。 見ることができてとてもうれしいです。
@魔位蹴類マイケル
@魔位蹴類マイケル 5 жыл бұрын
祖母が毎日毎日、嫁に来たばかりの時は本当に親戚集まって暮らしていたから辛かった。何でも長男の嫁に仕事が回ってきて苦労した。 って言っていた理由が分かったわ、
@三津咲小桃
@三津咲小桃 5 жыл бұрын
当時の辛い生活があったからこそ 現代の人が一人暮らしでも楽に過ごせる様になったのですよね。 炊事一つにしてもお湯が自由に使えなかった。 そもそもお湯が出なかった。 洗濯は全て手洗い。田舎では当時は未だ水路で。 掃除も広い幾つもある部屋を丁寧に埃を落とし、 拭き掃除。勝手に床を掃除してくれるロボットもいない。 暗い時間から家事を始めても一日仕事。 現代は機械にやらせておけば他の時間に身体が使える。 当時の主婦の想いに感謝ですね。
@3312-w4q
@3312-w4q 5 жыл бұрын
田舎は助け合いと言うけど、結局ヒエラルキーの低い奴にしわ寄せが行くだけなんだよな。
@姓名-t6b
@姓名-t6b 4 жыл бұрын
女性の人権はやっぱりこういう足元から回復すべきなんだと思う。 キーキーと醜く「政治」活動しているフェミニストは、果たして彼女たちの負担を減らし幸福を増やすことに本当に貢献しているといえるのだろうか? もう人生後半のおっさんだけど、19世紀的な古臭い女性解放主義者の自分としては、新卒の時に東芝か日立あたりに就職して、女性がより負担が感じずに家事が楽しめるような家電を開発してもよかったのかなと思う。
@SO.T
@SO.T 5 жыл бұрын
この時代の人々の努力があったからこそ、今の豊かな暮らしがあるんですよね。本当に勉強になりました!洗い物が面倒だとかご飯炊くのが面倒だなんて言えなくなっちゃったなぁ。。
@Koyo0623
@Koyo0623 4 жыл бұрын
兎神蒼 一人暮らしが簡単に出来る時代ですからね この時代に一人暮らしとかまず無理 都会に出て寮や集団生活でなんとかできるレベルでしょうね
@tama7752
@tama7752 3 жыл бұрын
いろんなことに感謝したくなるね
@ptgj224
@ptgj224 3 жыл бұрын
今の人の方が圧倒的には忙しいからいいんですよ
@poypoyh4413
@poypoyh4413 3 жыл бұрын
過去・現在への感謝の気持ちを持ちながらも、未来に向けた「面倒だ」「もっと良くしたい」という気持ちが技術発展のキッカケになるのかもしれませんね。
@Mr68486848
@Mr68486848 3 жыл бұрын
食洗器入れて生活改善しなきゃ……!(使命感)
@照真純てるまじゅん
@照真純てるまじゅん 4 жыл бұрын
ただ窓がついただけ それだけで赤飯炊いて挨拶回りするほどの喜びを感じてた時代 本当に美しい時代
@kaori6168
@kaori6168 3 жыл бұрын
昔は窓どころか我が子(娘)が初潮を迎えるだけで、近所に赤飯配って回ったんですよ。
@はたはた-g9b
@はたはた-g9b 3 жыл бұрын
@@kaori6168 へぇ!? そうなんだ 知らなかった
@kaori6168
@kaori6168 3 жыл бұрын
@@はたはた-g9b さん うちは勿論しなかったですが、お隣は同級生のお祖母さんが配ってましたね。 35になりますが、
@rosech.666
@rosech.666 3 жыл бұрын
何が美しいのかよくわからん
@toxu1028
@toxu1028 3 жыл бұрын
@@rosech.666 趣深いって話でしょ 余裕持って生きよ?
@futureohno8830
@futureohno8830 4 жыл бұрын
もっと評価されるべき動画だ
@N_Pooh7
@N_Pooh7 3 жыл бұрын
15:12 「降りる方がすんでからお乗り下さい」 いつから心がけられるようになったのか分からないけれど、今でもそれが常識として受け継がれ続けてるのなぜか感銘を受ける
@BorisHu-makoto
@BorisHu-makoto Жыл бұрын
👍素晴らしい日本の人々。こころから学びたいんです。
@中山ガバ
@中山ガバ 3 жыл бұрын
今私の目の前にある貯金箱にギザ10が入っていますが、もしかしたらこの人達が必死に貯めた物が巡り巡って今自分の手元にあるかもしれない、と考えると、何だかロマンを感じます。
@Fuquawi
@Fuquawi 5 жыл бұрын
知られざる名作を見つけた気分だ。 編集のリズムと作法に往年の映画人の気風を感じる。 演出した八木仁平の名前は覚えておこうと思った。
@apno.3950
@apno.3950 5 жыл бұрын
たった55年前のこと。 なのに大昔のように感じる。 都会と田舎ではこうも違ったんだな。 今でもそうだけど、女性にとって台所は大切な場所。 この時代だからこそ余計に、台所の改善が出来て、心から嬉しかっただろうな。
@nekodama3055
@nekodama3055 5 жыл бұрын
1958年制作だから61年前では?
@さーしゃ-q8u
@さーしゃ-q8u 5 жыл бұрын
apricot 03 女性にとって?今の時代そうじゃないだろ
@和田朋子-q7u
@和田朋子-q7u 4 жыл бұрын
台所は北側で足元は土間の家もありました。冬場は箸が凍ってるので、朝ご飯の炊いてる釜の縁に並べるんよ
@medipors1546
@medipors1546 4 жыл бұрын
壁が壊された瞬間、タマヨさんの顔に光が差し込む演出がいい笑
@nobinobiii
@nobinobiii 7 жыл бұрын
昔の女性(男性も)は大変だっただあ~。 陰気くさい家屋の壁をぶち抜いて窓をつける~~~明るくする。いいねえ。象徴的だ。 アップロードありがとうございました。
@sakuraaspara1
@sakuraaspara1 4 жыл бұрын
今も地方に行けば目につく生活改善センター。「生活改善」とは何ぞやと思い、文献では読んでいましたが、映像は初めて見ました。貴重な映像に感謝。
@sigmario4056
@sigmario4056 3 жыл бұрын
たまよさん良かったね こんな風景が日本にもあったんだなあ 恵まれ過ぎている今、折に触れて立ち止まって思い出したいものです
@まかぽん-t7t
@まかぽん-t7t 4 жыл бұрын
山梨では今でも無尽や貯金会と言う形で、コツコツ貯める文化が残っています。 もっとも貯めたお金は旅行に変わりましたが...
@長﨑光幸
@長﨑光幸 5 жыл бұрын
そういえば、お袋、羽釜に残った米粒をお茶で、こそいで食べてたな。懐かしくも有り良き時代。 反省しきり!
@yokoblue3208
@yokoblue3208 6 жыл бұрын
思わず見入ってしまい、気が付けば最後まで見てしまいました。
@22sbdtbftby79
@22sbdtbftby79 3 жыл бұрын
子供が集金箱持って歩く平和さよ。 あと、タマヨさん宅の改築前の暗い台所でもわかるくらい綺麗に扱われているお釜。昔の人は本当にマメだ。
@変態糞老人
@変態糞老人 Жыл бұрын
昔の日本は今よりは治安悪いだろうけど、 それでも世界的に見れば圧倒的に平和だったんだろうな
@hirosaito8187
@hirosaito8187 4 жыл бұрын
なんかうっとりして見させていただきました。直火で炊くご飯おいしそう。味気ない新建材やアルミサッシなどではない本物の土壁、木の窓枠など今ではまた見直されてきています。本物の豊かさとは何か考えさせられます。日本人女性ってお化粧なしでとても綺麗だったんですね!
@としお-l8n
@としお-l8n 2 жыл бұрын
なんかね、古い壁が崩れた時涙出たわ。 昭和末生まれだけど、古びたばあちゃん家の台所も、当時としては夢の様なものだったんだな...と思って。
@どんくま-k4k
@どんくま-k4k 8 жыл бұрын
私の両親の田舎が、東八代郡八代町 (今の笛吹市)にあるんですが、茅葺き屋根で土間があり釜戸も有るんですよ。 家の中に入った途端、何とも言えない良い匂いがして、郷愁を誘うんです。 釜戸で薪で炊いたご飯は最高です。
@ASUKA225
@ASUKA225 4 жыл бұрын
釜戸に薪 いいですね。私もご飯を食べてみたいです( ˊᵕˋ )
@marutojun0818
@marutojun0818 4 жыл бұрын
凄いときめいた 現在もあるということですか 羨ましい
@monoporisecompany
@monoporisecompany 3 жыл бұрын
映像はもちろんですが 音色豊かで郷愁を感じる 音楽も素晴らしいです。
@kenhakuturu663
@kenhakuturu663 4 жыл бұрын
礼儀作法が良く、これ食い入るように観てしまった。 日本か、これ。すごいです。夢いっぱいあって、 貧しいのが問題ではなくて、何というかわからないけど。。 現代は別の意味で貧しい。
@m.8571yama
@m.8571yama 4 жыл бұрын
戦前の日本の田舎を見た外国人が書いてました。物や金は豊かではなくても、親切で礼儀正しく規律あり、笑顔で優しく心豊かな日本人はアジアで一番だと。
@nondescriptnyc
@nondescriptnyc 4 жыл бұрын
私は外国人としていいますと、日本は戦後米国からの政治的干渉はあったとはいえ、非白人文化や非石油圏として唯一植民地化やODAなどを通した海外からの援助に頼らずに自力でグイグイと伸びました。それがここに見られるような美徳や大きな夢に繋がったのではないでしょうか。他国の援助で発展した国々では「援助してもらって当たり前」という感情が蔓延してしまい、感謝どころか国民は逆に援助してくれた国々に不満や恨みつらみだらけになるように感じますし、節度や謙虚さの重視などといった国民性も、海外からの援助で成り上がった国々の人たちには分かりにくい概念でしょうね。それが失われない事を願うばかりです。
@tama7752
@tama7752 3 жыл бұрын
感謝して汗かいて生きてればまた豊かになるさ
@山田ゆう-k1k
@山田ゆう-k1k 5 жыл бұрын
なんか分からんけどお母さんと御先祖様ありがとう
@hsbdifbdhdhdjfn6651
@hsbdifbdhdhdjfn6651 5 жыл бұрын
地元県民の私にとっては嬉しく、懐かしい貴重な動画です。 昔はお米を粗末にすると目が潰れてしまうと云って育ったものです。
@tenten1320
@tenten1320 4 жыл бұрын
私も小さい頃にお米を一粒残すと目が潰れると習って育ちました。 未だに米粒一粒残した事はありません。
@wurry77
@wurry77 3 жыл бұрын
地方病の心配もあっただろうしな。
@kinupi
@kinupi 4 жыл бұрын
「男たちに負けない。自分たちにできることを考え自ら改善する」 という普通の主婦の方々の心意気が素晴らしいと思いました。 単に男性に対して敵対心をむき出しにするのではなく、主婦という 立場から生活をどのように改善するか、主婦同士で様々な知恵を 出している様子をこの映像で見て昔の人々の尊さを感じました。 貴重な映像を有難うございます。
@qetuo2013
@qetuo2013 4 жыл бұрын
動画の後にお勧め自動再生で流れたので最初は何気なく見ていましたが、 見ている内に亡くなった祖母が語っていた事と映像とが重なる所が多々あり、 言葉で表現出来ない様な感動で胸がいっぱいになりました。
@りさゆ-h7d
@りさゆ-h7d 2 жыл бұрын
土壁が壊されて窓が開く場面がとても感動的でした。この地区は女の人達が逞しいですね。
@norealhero1951
@norealhero1951 4 жыл бұрын
同じ頃祖母も似たような活動してたらしい。貯金じゃなくて募金だけど、家々を回り5円10円を集めて帳簿をつけてたとか。コーヒー飲んだつもりで、ブラウスを買ったつもりで、と皆協力してくれたらしい。募金した先は当時明日の試合の為の遠征費すら事欠き、チーム解散寸前だった広島カープ。戦争で何もかも失った祖母達広島市民の唯一の希望の花。絶対に私らが守ると必死だったとか。
@Kカッキー
@Kカッキー 4 жыл бұрын
あわわわ。。。 半年も前のコメント読んで涙出ちゃっいました。ジーンと胸に来ました。
@norealhero1951
@norealhero1951 4 жыл бұрын
@@Kカッキー ありがとうございます…。 祖母によると、一番困窮していた頃は広島駅にいる遠征出発前の選手へ直に汽車賃や切符、お弁当を届けたりしていたそうです。時にはいち早く募金を届ける為にパトカーが先導したり、駅長さんがこっそり各地の鉄道員宿舎を無料で借りれる様に便宜を図ったり…。 この動画の活動もそうですが、人と人の繋がりが薄れてしまった現在ではあり得ない事ですね…。
@unisyada5551
@unisyada5551 8 ай бұрын
カープは市民球団と呼ばれてますね😊
@kiciguy
@kiciguy 3 ай бұрын
@@norealhero1951どれだけお金無かったのよその頃の広島カープ、、もっとお祖母様のお話聞いてみたいですね
@W楓
@W楓 2 жыл бұрын
専業主婦の家事が、現代より明らかに重労働で大変そうなに、現代人よりずっと謙虚で我慢強い女性の姿に、同性として尊敬します!!
@ham2tokyo
@ham2tokyo Жыл бұрын
今の専業主婦は声ばかりデカくて尊敬できない。やっぱり見下しちゃう
@fdrrotamat5885
@fdrrotamat5885 2 жыл бұрын
たまたま本日(2022/08)この動画を発見しました。 母の実家が増穂町青柳だったので赤子の私はこの電車(山梨交通電車線)に里帰りで何回か乗っています。記憶にはないですが。 薪を炊く五右衛門風呂。壁面の鉄が熱いのでこわごわ入った少年の頃。朝の歯磨きは庭の井戸でした。竈も薪だったかもしれません。その後プロパンになっていました。 私の生まれたころ(1957年生まれ)の映像。櫛形山の麓は母の故郷です。興味深く拝見しました。
@4l329l
@4l329l 2 жыл бұрын
身延線じゃないしなーと思いつつ見ていましたが在りし日の山梨交通ですか
@fdrrotamat5885
@fdrrotamat5885 2 жыл бұрын
@@4l329l 下り、上りで2度ほど出てくる駅は長沢新町駅ですね。15:12でトンネルくぐる上は利根川(天井川)。いまの廃軌道では車道は川の上を通っています。
@信也米山
@信也米山 Жыл бұрын
偶然見かけた短編。冒頭の映像から立ち上がる65年前の故郷の空気感。懐かしい甲州弁の会話。よくぞ記録を保存しておいてくれたと感謝。板ガラス協会の製作というのに納得。素晴らしい音楽。よく練られたナレーション原稿。甲州弁の生きた資料と言うべき主婦たちの会話は、おそらく、演出の意図に依るものだろう。今はなき山梨交通線の電車(ボロ電)の入線映像。お宝映画でした。
@marikonaohiko0110
@marikonaohiko0110 4 жыл бұрын
足踏みはあっても駆け足が出来ないのが貯金である がなんか響きました、、、
@toshikofuruya7855
@toshikofuruya7855 4 жыл бұрын
なんという素晴らしいドキュメンタリーでしよう。!!!!!このような、人々によって今の豊かな日本が築かれたということにありがたさを持って生きなければバチが当たりますよね。
@shokobell593
@shokobell593 4 жыл бұрын
日本の母ちゃんの愛と忍耐😭彼女達が陰の力持ち💪🏻誇りに思う🙏🏻
@スヌーピー歌舞伎
@スヌーピー歌舞伎 3 жыл бұрын
たまよさん、よかった。素晴らしい努力と周囲の援助。 現代は繋がりや援助をうざったがる時代で困っている人間は取りこぼされている。 この時代の共助の精神の高さに学ぶことは多い。人道的でもあり、合理性がある。
@さちゅにゃ
@さちゅにゃ 2 жыл бұрын
この頃の5円や10円玉が今でも流通し普通に使われているんだからすごいね。
@user-qq4rw8qo9p
@user-qq4rw8qo9p 8 жыл бұрын
けなげで懸命な姿に涙が出てきます
@MrEjidorie
@MrEjidorie 10 жыл бұрын
出た~。100円札と穴の空いてない50円玉。懐かしい。そして何よりも嬉しい事にもう58年も前なのに何と鮮明なカラー映像。まさに古き良き時代の日本。物質的には今よりずっと貧しく生活もいろいろと不便だったであろう事は映像でうかがい知る事ができる。でも全然不幸に見えない。それどころかもっと豊かな未来を築こうと皆が一所懸命に頑張っている。人の幸不幸はその時の物質的豊かさだけじゃないんだ。大切な事はより豊かで幸せな未来を信じれる事。因みに私は昭和31年(1956年)生まれ。この映画が製作された頃私はまだ2歳の小さな子供でした。それだけに当時の私の両親の苦労が偲ばれて何とも言えない気持ちがします。
@karatuki-kurumi
@karatuki-kurumi Жыл бұрын
農家の人の暮らしを知りたかったので、この動画に出会えて良かったです。 とにかく消費する現代では、諦めずにコツコツやっても追いつかない気がして滅入っていましたが、 毎日の貯金は駆け足したくてもできない、ひたすらコツコツやっていく、たまよさんたちに元気をもらいました。
@kikipee100
@kikipee100 2 жыл бұрын
あって当たり前って何だかなと考えさせられました。地道にコツコツって夢があるんですね。 今ではこのような精神って無くなってきてしまってるような気がします。
@user-qf5om7bs5r
@user-qf5om7bs5r 3 жыл бұрын
農作、手仕事、家事、何でもこなす、百の仕事も出来る、よって百姓 決して蔑称ではない
@深海-m9g
@深海-m9g Жыл бұрын
この時代のナレーション聞きやすくて好き(ガ行の発音とか) 人々がみんなお互いに我慢し、協力し合う、強くて優しい時代の映像
@gyokarui7497
@gyokarui7497 3 жыл бұрын
感銘を受けました。釘付けになって最後は本当に輝かしく見えました。窓を付けたら室内が寒くなったろうなと思いつつ、 でも心が洗われました。
@Mino-tu1db
@Mino-tu1db 5 жыл бұрын
みんな協力して生きてるなぁ。 生きてるって感じする。
@user-iu8ft4hh8m
@user-iu8ft4hh8m 5 жыл бұрын
家事めんどくさいと思うこと多いけどこれ見たら何も言えねえ いくら再現映画とはいえなにか突き刺さるものがあるわ
@KAZUYOSHI32
@KAZUYOSHI32 5 жыл бұрын
楽になればなるほど 色々面倒くさい(笑)
@Koyo0623
@Koyo0623 5 жыл бұрын
今はコンビニでもスーパーでも即席食品や惣菜お弁当が買えちゃうけど、この頃って家事炊事ちゃんとしないと生きていけなかったからねー。 洗濯も数時間かけてやるものだったし、今じゃ粗末だって言われるような食事もやっぱり数時間かかる。 そして畑仕事もあるってなるなら、もう何も出来ないよね…。
@Seaza_Sr1
@Seaza_Sr1 5 жыл бұрын
家事は女の義務だから、少しでも機械や思いやりで楽をさせて貰わないとね。
@user-dwjn9muvxi0
@user-dwjn9muvxi0 4 жыл бұрын
@@Seaza_Sr1 家事は女の義務ではないよ お前がやったっていいんだよ
@Seaza_Sr1
@Seaza_Sr1 4 жыл бұрын
@@user-dwjn9muvxi0 大昔から世界中でそれが役立たずの女のせめてもの役割として分担として決まってんだよ、バカ。
@兎赤-k4y
@兎赤-k4y 4 жыл бұрын
この時代を生き抜いた方たちには脱帽だよな。 今じゃ数時間のライフライン止まっただけでも文句の嵐だもんな。 これが人間としての生き方だと思うな。
@papipopikotori730
@papipopikotori730 5 жыл бұрын
そうだよね。毎日台所に立つ主婦にとって暗い台所だと気も滅入るよ。
@木村ゆーが
@木村ゆーが 5 жыл бұрын
昨日レジしてて少し動画にも写ってた1958年の五円玉を見かけたんだけどこの時代から流通していたと思うと改めてすごいと思う。ましてや、この時代は筆五だし日本國表記。みなさんも探してみてはいかがでしょうか
@渡辺真也-e4h
@渡辺真也-e4h 4 жыл бұрын
こういう家のご子息で、農家の暮らしは嫌だと勉強を頑張って大学に行って都会で金を稼いで自分はこんな貧しい暮らしから脱却していった人たちが今の日本を作っていったのだなということがよく分かる動画でした。
@わたくし生まれも育ちも
@わたくし生まれも育ちも 5 жыл бұрын
昔の女性って男よりも働いているんじゃないかってくらい働いていたんでしょうね。 本当に尊敬に値します。 女性の生活の向上が文化水準を底上げして、只今の生活水準に繋がる。女性の笑顔が世の中を明るくする。 男は女性の笑顔に応える為に、がむしゃらに出稼ぎで働く。 辛い労働が報われる何て素敵な時代だろう。
@GYYYO
@GYYYO 5 жыл бұрын
自分の母親もたまよさんと同じ年ぐらいだけど、都会に住んでいたのでたまよさんみたいな労働はしていなかった。いわゆる専業主婦で、色々それなりの苦労もあっただろうけど、農家の嫁さんよりはずっとましな生活していたと思う。
@mikistokes4427
@mikistokes4427 Жыл бұрын
皆清らかな心で村の婦人が助け合っている素晴らしい動画。❤ありがとうございます
@齋藤法男-e8n
@齋藤法男-e8n 3 жыл бұрын
懐かしい映像有難う御座います。  昔を思い出します。
@稚児さん
@稚児さん 5 жыл бұрын
60年代~70年代の家は窓が大きくて、時々雨戸の無い家もあります。防犯を考慮した現在では考えられないのですが、この映像を見て納得します。さらに前の代の家は窓が無くて薄暗かったからですね。
@RO-ii2mb
@RO-ii2mb Жыл бұрын
映像で当時の人々の生活を知れる事が素晴らしい。(しかもカラー)言葉遣いや挨拶の仕方も興味深い。 窓ひらく、なんとも力強い題名! この6年後にオリンピックが開催されるとは驚きです。新幹線が作られて、団地が作られて。台所は明るく使い勝手の良いものに進化していくのですね。
@kei-go5452
@kei-go5452 4 жыл бұрын
本当に昭和の時代は『人の温かさ』を感じます。 皆で助け合って支えあって・・・という風に映像から伝わります。 信頼関係が出来ているからこそ、貯金箱を普通の民家に持って行けたり管理を任せる事ができたんでしょうね。 今は中々近所付き合いもなく、人の交流も少なくなってきているので、 こういう時代の映像をみると今の時代から見れば生活で不自由なこと多そうでも、人々の温かい交流が良くみえます。
@hiroko2718
@hiroko2718 3 жыл бұрын
親戚宅の台所は冒頭3分頃に出てきた風景のまんまでした😳 古くて誰も使わないので最近、全棟取り壊されてしまいましたが、このように使われていたんだと思い馳せると胸いっぱいになりました…。
@umetohsaka1
@umetohsaka1 5 жыл бұрын
いまとは比べ物にならないほど不便で貧しい世代。 けれど活力や明日への希望は、先人たちのほうが強かった ように映ります。
@6nem3ktumi
@6nem3ktumi 5 жыл бұрын
差別の塊だけどねこのころは
@日本はサッカーの国
@日本はサッカーの国 4 жыл бұрын
ゲームやゲーセンないのはきちーな オンラインでゴミカスの雑魚を煽りプレー出来ない
@Koyo0623
@Koyo0623 4 жыл бұрын
アリエン・ロッベン そういうことしてたら生きていけない時代だったからねー 今は豊かになったと思うよ あなたみたいにゲームでマウント取ることが生きがいでも生きてられるんだもん
@ロングボウ武藤
@ロングボウ武藤 4 жыл бұрын
@@Koyo0623  今はいい時代やな
@oldanimeTV
@oldanimeTV 4 жыл бұрын
あっきー イイジダイヤー
@tjoy220
@tjoy220 3 жыл бұрын
なぜか、泣けてきました。 日本人の本質の一部を見た気がしました。ありがとうございました。
@加藤さゆり-p9x
@加藤さゆり-p9x 5 жыл бұрын
貴重な映像を見せていただきありがとうございました。 地域の人々の繋がりが強い。 粘り強い努力。 今の日本が忘れた物。
@直三-z3h
@直三-z3h Жыл бұрын
今の日本ばかりでなく世界中で同じようなことが、起きているね。特に第三世界で。
@変態糞老人
@変態糞老人 Жыл бұрын
人と関わることをほぼ強要されてる感じが嫌かな個人的には
@kyu43411kyu
@kyu43411kyu 6 жыл бұрын
これは山梨の田舎ということだが。わずか60年前はこんなもんなんだよ。文明の進むスピードは凄いとおもうよ。でもこの暮らしをしていれば公害は明らかに少ないであろうし、物の大切さや感謝する気持ち現在よりはあったのだろう。
@bikkururi
@bikkururi 4 жыл бұрын
茨城県の母親の実家は昭和50年代までこんな感じだったよ。 土間の釜戸がLPガスになった程度で風呂は薪で沸かしてた。 昭和62年頃大幅にリフォームしてやっと現代的になった。
@橋谷富美子
@橋谷富美子 3 жыл бұрын
貴重な映像ありがとうございます。私も小さな時お風呂は薪で焚き付けて、私の仕事でした。不便な事は沢山ありましたが。母は質素な中から沢山愛情をかけてくれて感謝しかありません 良い時代に生まれて幸せでした
@junzoyamaguchi8242
@junzoyamaguchi8242 4 жыл бұрын
ここに登場する主婦の皆さん、ちょうど私の母の年代で、背中におんぶされていた赤ん坊が私くらい。 冬になると今みたいに蛇口から温水がでるわけじゃなし。母は冷たい水で野菜を洗ったり皿を洗ったりしてたな。 土で汚れた物などは、裏の井戸水で洗ってた。暖房と言えば豆炭の掘りごたつ。炭を入れた火鉢。 懐かしい昭和だね。
@メーテルメーテル
@メーテルメーテル 3 жыл бұрын
内容の充実、感動致しました。ありがとうございます。
@猫岸夏目
@猫岸夏目 Жыл бұрын
協力し合って豊かになる。良いなあ。
@mirinyan298
@mirinyan298 2 жыл бұрын
見てる私まで幸せな気持ちになった。 窓を取り付けて、新しい竈を設置している職人さんたちが妖精に見えた。
@WS199911
@WS199911 5 жыл бұрын
非常に感動的でありました。 タマヨさんと御家族が今もお元気だといいなあ!
@user-dl7hv3oy6x
@user-dl7hv3oy6x 3 жыл бұрын
死んでるだろ
@0460-i4i
@0460-i4i 3 жыл бұрын
野良着だし、日焼けしてるし化粧していなから、すごいおばさんに見えるけど、たぶん35歳くらいなんじゃなかろうか。だったら100歳前でまだご健在の可能性はありますよね。息子さん娘さんはどちらかは間違いなく、、、、この映像見たら感激するだろうな。 想像だけど、甲府市内のマンション住まいだったりすると、子供のころとの生活の違いが大きすぎて、、、、
@meeko_the_cat
@meeko_the_cat 5 жыл бұрын
趣味でぬか漬け始めた時、 「昔は土間や台所が風通しが良く気温も低く、光も当たらない為保存には適していた」って聞いて やっぱ現代だと冷蔵庫だよなーってくらいにしか思わなかったんですよ そこで毎日炊事する為にお母さんが生活していることに考えが至らなかったのがもう情けないやら恥ずかしいやら ごめんなさいありがとうってなりました
@直三-z3h
@直三-z3h Жыл бұрын
このビデオと同じ歳ですが、かつて味噌、醤油等は自家製が多く、私の家にも背丈以上の味噌樽がいくつかありました。後、冷蔵庫のない時代なので、日当たりの悪い西、北側に暗い倉庫や台所があったのです。お年寄りの話より映像がは、もの凄く説得力がありますね。
@taiidana
@taiidana 8 жыл бұрын
素晴らしいです。現富士川町民(旧増穂町)ですが、この映画の中の東小林は、現在の大字最勝寺の中にある場所ですね。 今の光景も、背後の山の形は同じだし、基本的に田んぼも同じですが、その中にある程度住宅が増えています。 そして、山梨交通電車線と思われる電車も写っていますが、それが走っている動画ってもの凄い貴重だと思います。 当時の町民のリアルな生活が見れて良いです。
@kaz4091
@kaz4091 3 жыл бұрын
清貧とはよく言ったもので、心が洗われるようであります。 貧しさを忘れた人の増えた現代だからこそ、積み重ねられてきた苦労と、先人の助け合う心を忘れたくないものです。
@user-camaroger0726
@user-camaroger0726 5 жыл бұрын
わー‼️ 増穂町ってこんな感じだったんですね。 貴重な映像です。 想像もできませんでした。 ありがとうございました。
@nailcoco7131
@nailcoco7131 3 жыл бұрын
昔の共同意識、素晴らしいです。現代の希薄になった意識、昔の日本人らしいです。映像も音声もしっかり残っていて愕きました。
@kmunsr2716
@kmunsr2716 4 жыл бұрын
私はこの年代に生まれましたが、若い人たちのコメントが素直で嬉しい。 イザベラ・バードによると、日本人は貧しくとも心は豊かだったんですよ。
@トヨトヨトトンガ
@トヨトヨトトンガ 5 жыл бұрын
貧しいけど何かが豊かな気がします。
@lamia2779
@lamia2779 5 жыл бұрын
僕も同感なのです
@whiteriot
@whiteriot 5 жыл бұрын
心が豊かなんだよ まーそれでも今の生活のほうがいいけどね
@Koyo0623
@Koyo0623 5 жыл бұрын
今の生活と比べるのはさすがにナンセンスだと思うけど、たしかに先々の目標があって気持ちは明るかったのかなーって感じるね。
@youmr3126
@youmr3126 5 жыл бұрын
関東圏だがこの家は裕福だ。自分の場合ちゃんとした風呂場が出来たのは1966年頃、鉄釜で薪で焚き。飯もそれまで土間の釜炊き、炊飯器は小4頃導入冷蔵庫は中1頃だった。家は兼業農家で現金収入が有ったが、他専業農家は養蚕で家はでかいが生活は質素。映像の家は相当な旧家で元庄屋さんクラスだろうな。60年代後半オリンピック以降から高度成長時代で急激な車社会到来。だが企業排水、ばい煙撒き散らしプラゴミ収拾したが河川脇に捨て放題。しかし今は幼児虐待死など当時はは殆聞かなかったと思う。皆そこそこ貧乏だった が昔の主婦は 働き者だった。今は情報有りすぎて不幸だな。
@3312-w4q
@3312-w4q 5 жыл бұрын
自分は今の方がはるかに豊かだし、こんな時代はまっぴらごめんだが… 心の豊かさ云々って、それ今自分は心が貧しいですって言ってるようなものでは。
@holyyomizll6462
@holyyomizll6462 4 жыл бұрын
窓ひとつ、こんなに感動的なことだったのか
@みんみん-e8j
@みんみん-e8j 6 жыл бұрын
ガラス協会の宣伝。でも暮らしをよくしたい女の人の気持ちに涙が出ます。
@姓名-t6b
@姓名-t6b 4 жыл бұрын
おぞましい今の電通cmに比べたら教育用に使えるレベルでしょ
粟野村 東京シネマ1954年制作
19:50
NPO法人科学映像館
Рет қаралды 360 М.
Everyday life in bygone days in Tokyo, 1966 昭和東京
17:01
MichaelRogge
Рет қаралды 14 МЛН
My scorpion was taken away from me 😢
00:55
TyphoonFast 5
Рет қаралды 2,7 МЛН
黑天使只对C罗有感觉#short #angel #clown
00:39
Super Beauty team
Рет қаралды 36 МЛН
黑天使被操控了#short #angel #clown
00:40
Super Beauty team
Рет қаралды 61 МЛН
戦前・戦中の冬の生活   冬の庶民の1日ルーティン
24:47
春日陽のレトロ近現代史
Рет қаралды 459 М.
京の町家
30:24
ATS YMNK
Рет қаралды 53 М.
Cooking Dinner in 1830 IS HARD |No Talking Real Historic Recipes|
17:40
Early American
Рет қаралды 1,7 МЛН
荷役はかわる 通運のパレット作業(1958)|物流アーカイブズ|日本通運
49:11
NIPPON EXPRESSホールディングス 公式チャンネル
Рет қаралды 3,1 МЛН
Invitation to the housing complex (1960) [High quality, official complete version]
17:42
日経映像チャンネル
Рет қаралды 2,1 МЛН
Родник. Короткометражка, Грузия-фильм (1974)
18:26
Советские фильмы, спектакли и телепередачи
Рет қаралды 365 М.
生活と寸法 東京シネマ1962年製作
23:07
NPO法人科学映像館
Рет қаралды 204 М.
Japan in 1961. Changed life of a Kyoto family 昭和京都
13:21
MichaelRogge
Рет қаралды 810 М.