【ゆっくり古代史】邪馬台国と阿蘇伝説 阿蘇の神社と古墳に行ってみた。

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Пікірлер: 169
@A稜生
@A稜生 4 жыл бұрын
説がイチイチ斬新で、ついファンに成りましたよ!!
@MY-gq6lj
@MY-gq6lj 4 жыл бұрын
私は古代日本に興味はあるものの詳しくはありません。 それでも、限られた書物のみに依らず、こうして現地に残された伝承や社の信仰を繋げて組み立てていく様は敬服を覚えますし十分な説得力を持っていると感じます。やはり民俗学や考古学はフィールドワークを抜きにしては語れないのだなと思い知った次第です。これからも動画を楽しみにしています。
@yuko8574
@yuko8574 3 жыл бұрын
阿蘇の麓、菊池市にはクナコク(ククチヒコ)伝説があります。古墳めぐりをしていたら、その場所に菊池一族が城を建てた跡がありました。高台の見晴らしの良い場所は、時代が違っても重要性が高いのでしょう。古墳と城は重なってる所が多いと思います。
@koumokutenn
@koumokutenn 4 жыл бұрын
阿蘇が出ましたので、関連でaso4での阿蘇溶結凝灰岩についてちょっと述べますと高千穂峡もそれの塊ですし、有力者の古墳を作るに当たって、わざわざ馬門石(通称阿蘇ピンク石)という阿蘇凝結溶解岩を石棺にして関西まで持って行ってます。地元ではその阿蘇凝結溶解岩の柱状節理が露になっている場所を「神のあばら」とか言って神聖視しています。
@山童茶花-l1g
@山童茶花-l1g Ай бұрын
神のあばら…初めて知りました。 馬門石の大歳神社や切石場は何度も訪れていたのですが、凝灰岩で柱状節理というと… 何ヶ所か候補地が思い浮かびますが、具体的には何処の事を指すのでしょうか? 教えて戴けると助かります。
@tortoisecompany
@tortoisecompany 4 жыл бұрын
山口敏太郎です。このチャンネル面白い
@mousou
@mousou 4 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 まさかの有名な方からのコメントをいただき恐縮しておりますm(_ _)m
@リリアン天運
@リリアン天運 4 жыл бұрын
山口さんは徳島出身だおw
@cpu_memory_disk_nw_gpu
@cpu_memory_disk_nw_gpu 4 жыл бұрын
最後のおまけだけど、城でも価値はありますよ。 古代の古墳の上に場所が城が立てたケースもあります。 つまり、ピラミッドつくった。⇒のちにそこの上に城をたてたということで。
@yyyy-zd1ch
@yyyy-zd1ch 4 жыл бұрын
私の家系は、阿蘇家の家臣として、代々外輪山の外側にある阿蘇神社の末社を守って来たようです。鎌倉時代以降の話しは比較的詳細に聞いたことがありますが、古代の話しは、ざっくりとしたものです。それは阿蘇一族は、南より黒潮にのり今の日向灘の海岸に上陸し、噴煙をあげる阿蘇の峰を目指し高千穂を経由して阿蘇の地に至り山を鎮めるため祀ったというような話です。また諏訪に関しては、その後一族の一部が日本海を進み、日本海側より上陸、諏訪に入り諏訪大社を祀ったというようなものです。あまり参考にならない話しで申し訳ありません。高千穂から高森に至る山間には、小さな神社や祠、石碑が散見できて興味深いところです。
@ハルトマンエーリッヒ
@ハルトマンエーリッヒ 3 жыл бұрын
私の家系も阿蘇氏の分家の様です。家紋も違い鷹の羽を二重角で囲んでいる分家の特徴があります。宿老として阿蘇家を助けて来ました。源平時代ぐらいの阿蘇惟理から出ています。南北朝では南朝側に着いた阿蘇氏につき兼良親王の墓がある龍鳳山の麓を長年守護して来ました。 電通の創始者光永星郎の一族です。電通が中野学校と共に大きくなったのはそんな因縁があった為なのか?と思います。
@山童茶花-l1g
@山童茶花-l1g Ай бұрын
天草に移住した者です。 天草には総鎮守として諏訪神社があります。 移住して天草には阿蘇十五社宮と諏訪神社の数が多い事を不思議に思っていました。 阿蘇十五社宮は分かるのですが、諏訪神社に関しては鎌倉時代に天草氏が祀っていたまでは遡れるのですが、そもそも何故諏訪を信仰の対象として選択したのかも謎です。 ですが阿蘇一族と建御名方に繋がりがあると分かり、少しは謎を紐解く手掛かりになりそうです。 九州には諏訪を冠した地名が数多くあるので、九州平定で討たれた土蜘蛛側の気持ちが汲まれているのでは?と勘繰ってもいます。
@タスケ-n4c
@タスケ-n4c 3 жыл бұрын
説得力がハンパないですね、妄想というより推理ですー素晴らしい。伊都国が佐賀あたりにあったという説には同意です。
@kenn8438
@kenn8438 3 жыл бұрын
自分は魏志倭人伝を原文から読み解いてきたら邪馬台国は阿蘇あたりではないかと推論し、この動画にたどり着きました。やはり九州で山といったら阿蘇山ですね。
@mansyouwa3994
@mansyouwa3994 4 жыл бұрын
現場主義・・・すばらしい
@ノラミケ
@ノラミケ 4 жыл бұрын
今回も興味深く拝見しました。有難うございます。 特に長子相続でない点に興味が湧きました。 確か、モンゴル族も末子相続ですよね。早く成長した子から独立していくっていう。 長子相続は農耕民族の風習ということも聞いた記憶があります。 もしモンゴル族系の風習が濃く残っていたとすれば、征服先の妻や娘を娶る風習もあるのかなと妄想してしまいました。
@cryptmind
@cryptmind 3 жыл бұрын
阿蘇神社とその門前町は、膨大な湧き水が湧いていて、店ごとに湧き水が溢れているような清々しいところです。 👍蒲池姫と聞くと、松田聖子の本名・蒲池法子を思い出します。
@h11ikuchi
@h11ikuchi 4 жыл бұрын
家も熊本の古い一族らしいですが、昔は当主が次郎を名乗ると言う風習があったらしいですよ? 古代の風習・習俗などを調べると繋がる事もあるかもですね。
@wan6347
@wan6347 Жыл бұрын
阿蘇の米塚が卑弥呼のお墓だったら、面白いね。
@aaaaa-gk1uf
@aaaaa-gk1uf 3 жыл бұрын
阿蘇といえば『たるたんの滝』という所に行ったことがあります。不動明王像があったり雰囲気が凄かった思い出。
@ふるも-i3q
@ふるも-i3q 2 жыл бұрын
阿蘇の鯰が逃げた先は嘉島(かしま)という町があり、熊本でも有数の湧水地です そして嘉島は構造帯の上にあり浮島神社の御神体は兜石という水に沈んだ石です、面白いですよね ちなみに健磐龍命の妻、阿蘇津姫の神輿が洪水で流されてしまった時、神輿の中の御神体を守るように鯰が張り付いていた、という逸話のある神社もあります そして興味深いのは阿蘇神社の十二神のうち八柱の神が草部吉見(日子八井命・國龍神)系であり、この草部吉見神も干珠満珠の逸話がある神ということです 九州神話の中でも阿蘇神社の独特さは面白いですよね
@naminori_jhonnio
@naminori_jhonnio 4 жыл бұрын
九州には古い歴史があちこちに残っていることは確かだと思います。頑張って!! ナマズ=地震はあちこちに話が残ってますね。鹿島神宮、香取神宮にもナマズを抑え込んでいる要石があったと記憶しております。なんでナマズなんだろ?
@honyararahonyarara
@honyararahonyarara 4 жыл бұрын
鯰は地震を予知できると言われているので、逆に地震を起こしていると考えられたそうですよ。
@ノラミケ
@ノラミケ 4 жыл бұрын
ナマズ=地震ということでは熊本と諏訪は中央構造線、フォッサマグナの上に位置するので地震が多い地域ですね。千葉県沖も地震が多いですよね。 原始的な自然崇拝として地震=諏訪の神様と考えられていたかもと思います。 九州南部は何故❔って思えるほど諏訪神社がありますよ。九州北部の川沿いには貴船神社が多いです。 ちなみに、火山(桜島)は鹿児島神宮・神社三社で結界のように囲まれています。霧島は六社で囲まれています。こちらは天孫族ですね。
@鶴正和
@鶴正和 3 жыл бұрын
幣立神社に鯰伝説があると考察されている方がいました。ひょっとしたらレイライン上は地震(鯰)と関係があるのかな?と睨んでいます
@名無しの権兵衛-t5s
@名無しの権兵衛-t5s 4 жыл бұрын
ナマズ伝説が絡むと、香取・鹿島・諏訪との関係が気になりますね。 中世の城跡ですが中世の城は古墳とかを利用してるケースもありますし、日本のピラミッドは石積み、レンガ積み、版築では無く山を加工して作っていたと聞きます。 場所は東国より離れて当時は蝦夷の人達が住む秋田の黒又山(ピラミッド説有り)の近くにはストーンサークルとかありますので近くにストーンサークルとかがあれば古代宗教施設だったのかもしれません。
@ノラミケ
@ノラミケ 4 жыл бұрын
福岡県久留米市の高良大社には神籠石(こうごいし)という山の周囲を囲む不思議な石があります。 太古の城郭といった感じかな。
@おくとパス-s3s
@おくとパス-s3s 4 жыл бұрын
参道に対して本殿、拝殿が正面にない配置は古い時代の配置だと昔、鹿島神宮のガイドさんに聞いたことがあります。 鹿島神宮、香取神宮、鹿児島神宮などが同じ配置になっています。 なぜ正面を避けるのかもその時に教えていただいたのですが、残念ながら忘れてしましました。 (確か神様を正面に見てはいけない、あるいは正面に配置してはいけないだったかどうか?)。 一方、古い格式ながら正面に拝殿・本殿がある神社の中には新たに正面に参道を作っていたりしますので、判断に困るときがあります。
@shulenjp
@shulenjp 4 жыл бұрын
コメ欄にまさかの敏太郎先生降臨という奇跡が起きているのですが。。しれっと委奴國広域範囲説が出てきたのでニヤリ。まだ手玉がありそうですね。金印が志賀島で出た理由も期待しています。主様が熊本北部邪馬台国補強に、謎の姫蒲智姫命を持ってくるということは北上して高良玉垂までいくのでしょう。私がその辺りの文献が手に入らないので期待しています。今回の動画で主様が二朝説でかつ、邪馬台国東遷論支持でないことがわかりました。今回も勉強になりました。ありがとうございました。
@akko-fh8kz
@akko-fh8kz 4 жыл бұрын
うわぁーーー!!楽しくなってきましたね!!私もこの動画説気になります!インスピレーションでどんどん繋がって行く感じなので何とも言えませんが、、、 阿蘇と国東の繋がりも気になります!この辺に謎がたくさん詰められてる気がします!楽しみ♪(*´∀`*)
@ドラゴンツッチー
@ドラゴンツッチー 4 жыл бұрын
中央から遠方に封じられた人が地元の反発を受けて反乱を起こされないように、たとえ中央の方針と違っていたとしても、可能な限り地元の風習に合わせた形で統治するという形が行われていたのだと思います。(ただし、中央の政策方針や風習に徐々に合わせて、地元民が自然となじむようにはする。)まあ、当時の九州は大和政権によって平定されたといっても民心はまだ安定していないし、反乱の火種となりそうなものもたくさんあったので、そういう形での政策を取らざるをえなかったのだと思います。 周王朝の太公望も斉(当時は敵対異民族や殷の残党のせいでかなり荒れていたらしい)に封じられた際、そうしたみたいですし。
@orenowonder
@orenowonder 4 жыл бұрын
ささ
@YO-high
@YO-high 4 жыл бұрын
動画お疲れ様です。 ナマズはなぁ、暴れて地震が起きる伝承があるくらいだから、日本の災害の象徴みたいなもんだし、それを抑えるという意味では治水とかの意味合いもあるのかもしれん。 古い文献での整合性を求める場合、年代あわせがかなり難しい。書いてあることと、意図的に書かなかったこと、また都合よく書かれていることの区別がつかんからね。卑弥呼のいた時代に神社があり亡くなった卑弥呼を祀っていたとか、あり得るかなぁ。 でも、妄想大歓迎ですよ。興味深いです。
@直巳-b1o
@直巳-b1o 3 жыл бұрын
地元の話だったので興味深く拝見させてもらいました!個人的に国造神社の方が雰囲気が好きです 雨宮媛命の話は知らなかったので勉強になります 御倉古墳は小さい頃はよくあの中で遊んでたけどそんな重要なものだなんて思ってなかったな、もっとよく見とけばよかった! ちなみに阿蘇氏は今も阿蘇神社の宮司さんだったと思います、自分の同級生にそこの子供がいましたね
@なぎなぎ-d8z
@なぎなぎ-d8z 4 жыл бұрын
古代九州でナマズの話をするから東鯷人の話をするのかと思ったら健磐龍命とは。 古代の話なんで登場人物の行動を年表にしたりできないあたり難解パズルみたいですね。 阿蘇神話も蒲智比咩も全然知らなかったので大変面白かったです。 卑弥呼が関係あるかどうかは知識がなさすぎてさっぱり><
@Kappa-Lub
@Kappa-Lub 3 жыл бұрын
かまちひめ 蒲池 氏は筑後肥前にかけての大身→ ZARD 坂井泉水=蒲池幸子 松田聖子=蒲池法子  阿蘇氏は蒲池氏一族郎党 つながるかも
@mousou
@mousou 3 жыл бұрын
私のご先祖は昔、蒲地氏に仕えたみたいで、そこから何かわかるかと思ったのですが、蒲地姫と蒲地氏は直接の関係はないと言われてるみたいです😭
@Kappa-Lub
@Kappa-Lub 3 жыл бұрын
@@mousou ちなみに余談ですが母方は草野氏で蒲池氏 龍造寺氏と共にに筑後~阿蘇地方の豪族 父方ほ家紋は折敷に三文字の河野越智氏郎党?篠原氏で大山祇とかニギハヤヒに連なるといわれてて そういう観点からすると歴史は面白いです
@中原章裕
@中原章裕 4 жыл бұрын
カルデラ湖の伝承、大変に興味深いですね…。地質調査の結果に拠ると、熊本から更に南の大隅半島沖にある鬼界カルデラが約7300年前に大規模噴火を起こした結果、火砕流等で当時の九州に居住していた縄文人は全滅したらしいとのことですが、どうやってそれ以前のカルデラ湖のことを伝承してきたのか……謎が尽きません…。
@koumokutenn
@koumokutenn 4 жыл бұрын
鬼界カルデラ噴火で九州の縄文人が暫くいなくなる前、阿蘇では現在でも行われている野焼きをやっていたらしい… 地層を調べると誰かが定期的に野焼きをした痕跡があるそうだ
@こーさ-w2t
@こーさ-w2t 3 жыл бұрын
地図使うのいい。最近ないぞ、
@ショウ-t2b
@ショウ-t2b 4 жыл бұрын
毎回楽しく視聴してます登録者です。 何回かコメントもさせていただきました。 最近ちょっとup頻度少なく遅くないですか? channel主さん、また旅にでも出かけてらっしゃるのなら宜しいんですが、ご病気でも?と心配です😓 新しいのupされるの楽しみにしてるんですよ~🎵
@wako6124
@wako6124 2 жыл бұрын
これはどうでしょうって方の第9章が間違いないんじゃないかなと思ってます。参考にして下さい。
@Eds-x8p
@Eds-x8p Жыл бұрын
阿蘇が邪馬台国ですな。 阿蘇神社の御祭神の系図見たら、 卑弥呼も卑弥弓呼もいました。 比咩御子神=卑弥呼  彦御子神=卑弥弓呼
@内田-z7z
@内田-z7z 4 жыл бұрын
私は大賛成です。とてもロマンがあります。興止日女神社の大宮司を務めた高木氏の本当の姓は日下部であったという説があります。この日下部は草壁吉見神とも関係しているとも言われています。高木氏と同時期の熊本の豪族の菊池氏も本当の姓は日下部であるという説があります。ともに日足紋を家紋としています。これは妄想ですが、高木氏は先祖の高木神から命名し、菊池氏は先祖の狗古智卑狗から命名したという話もあります。あと面白いのが、日下部氏は高良大社の玉垂命の末裔ともされていますが、高良大社の秘伝書には、玉垂命の妻は神功皇后であったとなっております。この系図を遡ると神武天皇が入っています。 おまけ 私自身は高木氏の分家にあたり、うp主さんの説には大賛成です。蛇足ですが、吉野ヶ里遺跡のある神埼の景行天皇による改名前の地名をここ5年くらい探していましたが、うp主さんの考えから、伊都ではないかという線で調べ直そうと思っています。
@toshirouhorino
@toshirouhorino Жыл бұрын
16:45 おや、ここでは伊都国を吉野ヶ里辺りとしているんだね。 唐津から500里と言えば佐賀市大和町川上付近になる。ここはカワカミのタケル伝説の地であり、ヨドヒメ神社もあるのだが、
@麻花すわん
@麻花すわん 3 жыл бұрын
最後のピラミッドは北塚、灰塚ですかね? 丘に囲まれた平地があったと思いますがそこが火口跡です。 早い話しが登られたピラミッド型の丘は火山の名残りです。 ちなみに女性の被葬者の人骨が見つかった宇土市の向野田古墳の見学もオススメします。 by熊本県人
@tsuji180ify
@tsuji180ify 3 жыл бұрын
とても面白いです。できたら電子音声ではなく、声の聞こえやすい感じでさらに内容をわかりやすく地図やルートなどを示してこの説を発表して欲しいな。
@mousou
@mousou 3 жыл бұрын
ベシャリ苦手なんです
@tofdchannel3695
@tofdchannel3695 4 жыл бұрын
複数動画を拝見して、私なりにどう枠組みを組み立ててるのか気になったので質問させて頂きます。 1問目 投馬国はどこに考えているか? 2問目 女王の勢力の境界はどこからどこまでか? 3問目 奴国の位置はどこと考えますか? 4問目 伊都国が糸島で無いなら、有名な平原遺跡をどう考えるか? 5問目 不弥国はどこと考えるか? 6問目 末盧国はどこと考えるか? 以上この説の地理的全体像を伺いたいと存じます。
@mousou
@mousou 3 жыл бұрын
ご質問ありがとうございます。 当チャンネルの動画をご覧ください。
@浅倉慎太郎-t6o
@浅倉慎太郎-t6o 4 жыл бұрын
初めまして動画拝見致しました。ピラミッドではなかったのは残念ですが城跡という事から読み取れる事は其処は古くから戦略的に重要な場所であったという事でしょう。
@ハルトマンエーリッヒ
@ハルトマンエーリッヒ 4 жыл бұрын
大観峰の北に「押し戸岩」と言うドルメンがある、シューメル文字て「バール」「ナーガ」と彫られているそうだ。 インドネシアの高名なシャーマンによると「神武天皇の墓は阿蘇にある」そうだ。
@oniwakamarukumano8328
@oniwakamarukumano8328 4 жыл бұрын
もしかして高天原って阿蘇山の事かも知れませんね。 以前この動画で周の王子が倭族の王になってって話があったようなきがします。 大陸の春秋戦国時代に国を攻め滅ばされて逃げた集団が阿蘇山のカルデラに住んでいたとしても不思議には思えないよな。 阿蘇のカルデラって湖もあるので、水稲栽培にも困らなかったやろうし、隠れて力をつけ直すには良い場所かも知れないですね。
@mousou
@mousou 3 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます🙇‍♂️ 阿蘇の隣の高千穂の近く、諸塚村には、呉王伝説も残ってますので、もしかすると有り得るかもですね☺️
@supika-virgo
@supika-virgo 4 жыл бұрын
阿蘇のカルデラの話、神様の時代の話だから、恐ろしく古い時代の話の可能性は🈶だと思います。霊能者は神様の話を聞くことが出来るので、古い話を聞く事もあったでしょう。
@shamrock7100
@shamrock7100 4 жыл бұрын
県道44号から見えた宇佐市山袋、木内、中地区の境界の山がピラミッドそっくりでした
@shamrock7100
@shamrock7100 4 жыл бұрын
南半分は採石所って感じです。
@kskn2812
@kskn2812 3 жыл бұрын
與止日女神社の分社の淀姫神社は、そのほとんどが佐賀と長崎にしかありません。 與止日女神社が一の宮になったのは1260年、それ以前の一の宮は加部島の田島神社で八幡系、江戸期に肥前一の宮の地位を争った千栗八幡宮も八幡系。 與止日女が一之宮になった経緯も千栗八幡と争ってたような・・・ 時代が変わると、弥生時代には九州北西部を中心に甕棺墓が集積していたり、 九州の東と西でいろいろと違う気がします。
@たつまな
@たつまな 4 жыл бұрын
お城って過去の重要な場所を埋めて作った♪って事も有ったらしいですよ。
@田中健一-s1c
@田中健一-s1c 4 жыл бұрын
おお、延岡が出てきた(^^)////  延岡には墳丘長140mの前方後円墳がある、菅原神社古墳!なんと古墳にまんま神社がのっかてるんだな。後円部に社殿が、前方部に山道がある。
@ssmm9359
@ssmm9359 4 жыл бұрын
毎回うpたのしく視聴させて頂いております🤗今回の現地調査 現地妄想! うp主さんお疲れ様です🤗 お陰で家に居ながらに 楽しく歴史探訪している気分になれました。卑弥呼、かまちひめ、よどひめ とよひめ。ワクワクします。あと由布院にはうなぎひめもいますよね。海と山、つながってるんですね❣️ 次回も楽しみにしております^_^
@ssmm9359
@ssmm9359 4 жыл бұрын
おまけの二辺塚城 気になります! 福岡市東区蒲田の近くの名子と言うところの山で森江山という山がありますが、造り方(もはや、人工物、、、笑) 真横から見ると二等辺三角形にみえるのですが、角度を変えて見ると、それはそれは綺麗な三角錐にみえるのですよ。ピラミッドを作る為にそうなったのではと勝手に思ってしまってるんですよね、、、。
@ssmm9359
@ssmm9359 4 жыл бұрын
うp主さん、最近、動画アップされていないですね💦気になっています。 アップ楽しみにお待ちしておりますので宜しくおねがいします。
@まなまな-q5v
@まなまな-q5v 4 жыл бұрын
たけみなかたと諏訪大社と鯰とフォッサマグナの関係もありますよね! ごーつーで私は明日から出雲! いっぱい妄想してきます!
@nasubichannel
@nasubichannel 3 жыл бұрын
没した年代と古墳の年代。この時差に数百年の開きがあっても何ら不思議ではない気がする。 むしろ、タイムリーに両年代が一致する方が稀ではなかったのだろうか。 人物評価が遅れたり、一旦、墳墓に祀られた後に丘墓に移されるなど、かなりの時差があっても不思議ではないかもしれない。
@齋藤たかこ-u8i
@齋藤たかこ-u8i 4 жыл бұрын
隋の煬帝に書を送った、アマタリシヒコの国に阿蘇山ありと書いてある中国の歴史書があるとか。またまた古田武彦ですが。
@mousou
@mousou 3 жыл бұрын
いつもご視聴ありがとうございます😊 そうなんですよね。 阿蘇の山が描かれていて、 対馬→福岡→瀬戸内(or日本海)ルートの大和の話にしては、不自然な気がしてます。
@tadasinakamura
@tadasinakamura 3 жыл бұрын
二辺塚城跡の「塚」ってどういう意味ですか?よく古墳の上とかに城つくるケースを見ることがあるのですが、そういうたぐいの物なんですかね?
@田中健一-s1c
@田中健一-s1c 4 жыл бұрын
阿蘇の赤牛、絶品です! 馬刺しも旨し (^^)/
@ミッドナイトシンヤ
@ミッドナイトシンヤ 3 жыл бұрын
🤤💕
@HarunaShimakaze
@HarunaShimakaze 4 жыл бұрын
最後の。方墳を山城の土台として流用している可能性は無いの?
@mousou
@mousou 3 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます🙇‍♂️ その可能性もあるかもですよね☺️ 資料が無さすぎて素人にはこれ以上は探求は難しいです😭
@koumokutenn
@koumokutenn 3 жыл бұрын
コレ、旧火口ですよ。その丘陵を中世の砦に利用したものです。 阿蘇のカルデラの中には、それっぽい地形たくさんあります。
@tetsu.68
@tetsu.68 4 жыл бұрын
九州上陸した事ないので阿蘇とか宮崎いつか行ってみたい
@ノラミケ
@ノラミケ 4 жыл бұрын
ぜひとも!! 色々、不思議なことが多いですよ。
@UzubeWashinya
@UzubeWashinya 4 жыл бұрын
末子相続。八井耳尊の六男? 武磐竜彦尊ですね? 初代南九州鎮守使ですね?  「高千穂の旗揚げ」って、やつですかね? 武御名方の出雲系と日向系の争いの 伝承かも?
@mikihisadao
@mikihisadao 4 жыл бұрын
今回も渋いところ訪問されて、地域の伝承なども含めての考察楽しかったです。 地域は、褐鉄鉱の産地で古代の製鉄に使われた可能性があります。 お城跡は、がっかりでしたね。でも、何かが存在した場所を中世になってリサイクルした可能性もありますし。。 神社の近くに、遺跡が多いのも。古代史あるある^^
@かるいし-l4p
@かるいし-l4p 4 жыл бұрын
阿蘇の語源。 朝(あさ)、浅い、薄いの言葉はすべて同源と思われます。“浅”は色の薄さを表す言葉で昔よく使われていました。浅葱色などの色の名前に良く残っています。浅は水深の浅さだけでなく色の薄さも現していました。太陽が昇る前の様は薄暗い。これは色合いが薄いや先ほどの色の“浅”に通じます。太陽が昇りきると一気に色が映えこれが鮮(あざ)やかになります。痣(あざ)は肌にできた色の濃淡であり、色合いのコントラストを表し鮮やかと同源であることがわかります。 平地に住んでいた人々が山を見ると太陽が昇ってきて朝を迎えます。朝を迎えるまでの一連の色合いの変化や様を表す言葉がアサに近い音でたくさん残っています。太陽が昇ってくるその大きな山を阿蘇(あそ)と読んでも何もおかしくないのではないかと私は思います。 熊本地域と久留米当たりがもともと同じ文化圏なら言葉も同じであり、邪馬台国が大和へ遷都しているならこのとき言葉も奈良へ持ち込まれていて現在に至っても使われているというのは矛盾しません。阿蘇の語源をはじめに思いついたときはどうしても阿蘇の西の地域に住んでいた人々の言葉がなぜ現在まで息づくのか説明できませんでしたが、動画主のような考え方を見て十分ありえるなと思えるようになりました。 ちなみにこの朝関連の言葉の語源もしくはそれに近い言葉ですが青(awo/ao)ではないとかも思います。記紀にわずかですが青曇という言葉が出てきます。その言葉の意味は定かではありません。万葉集だと困った時の必殺技なんでも枕詞化していますがそんなものはどうでもいいですが。この青がもし曇りのようなはっきりしない色や暗い色合いを指していた場合、それは太陽が昇りきる前の情景そのものです。そして“ついま(対馬)”としか読めないのに“つしま”と読む、また春雨や秋雨に見られるようなharuameではなくharusameといった古代日本語で連続母音を許さなかった厳格な母音言語時代に連続母音時はS音を挟む習慣があったことがうかがえます。このような原日本語社会とそうではない言語社会が共存していたかもしれない。青の最古形音がawoだったとしてaoに変化したときそれを許さない母音言語社会ではおなじみS音の挿入でそのままasoになります。これが朝や阿蘇、浅いなどの語源になっていったのではないかと。また色のはっきりしない・薄い様はそのまま淡いにも通じ、awoからawaが派生したと考えられます。存在が儚い虚ろな泡も同源かもしれない。 浅いと朝の関連性について、浅いは低いとも意味が通じ、太陽の位置が低い様が朝であり、また海の地平線なら太陽が浸水している夜明け直前の様は“浅い”の水深の浅い位置にいる概念に通じます。 古代日本の色はまず白、黒、赤、青の4つがあったとされています。すべて“い”を付けて形容詞化できます。これら4つ以外は色の単語そのものから先述の変化はできません。真っ白、真っ黒、真っ赤、真っ青のように“真っ○”が可能なのもこれら4つだけです。ここでも青はS音の挿入が行われています。 次に現れた色の言葉は、茶、黄とされています。茶色い、黄色いのように色を付けた状態で形容詞化できます。また、まっ黄色という言い方もあります。“まっ黄っ黄”という言い方もあります。まっちゃっちゃはあまりメジャーではないか。他だとまっかっかがあります。“まっ○っ○”は赤系統色だけのようです。 青という色が古代において今のようなブルーだけを指していた可能性は低いです。日常的に見る色の全てをこれら4つで現していました。現代日本人は灰色系統の色を見ると何となく青系統の色合いに置換した概念を持ちがちだと思います。これも古代からある概念が無意識に作用しているのかもしれない。 これが私が考える阿蘇の語源です。基本的な部分ではいくつも定説を取り込んでいますが、こんな説を唱えているのはたぶん私以外にいないでしょうね。動画の本題とは違いますがご容赦。
@たのしくせいかつしよう
@たのしくせいかつしよう 4 жыл бұрын
楽しみにしておりました、この期待感はテレビの・・まさにNHKスペシャルですね(笑) 卑弥呼の阿蘇説・・・いいですね、僕は・・歴史は・・予測をいつも・・大きく 超えていると思います、定説をくつがえす・・・それが古代ロマンですね また、次回、楽しみにしてます。
@モード商
@モード商 3 жыл бұрын
創作での卑弥呼と天照大神の姿かたちが被りがち
@pomubou
@pomubou 4 жыл бұрын
関東の方では鹿島神社などが有名ですが、九州は特に鯰信仰が多いですねー佐賀にもよく祀られているような?動画にちらっと出てきた延岡では今でもお食い初めで赤ちゃんに鯰を食べさせますね。今回も面白い動画をありがとうございます。丁度五ヶ瀬川の鮎を食べに行く計画を立てていたのでリアルタイムな地名が出てきてうれしかったです。 うp主さん、前回の動画でイベント出来たら面白そうとおっしゃってましたが、阿蘇へ日帰りできる距離の方なら高千穂オフどうですか?笑
@ginjitakumi4569
@ginjitakumi4569 4 жыл бұрын
謎のピラミッドと言われて想像したのが、大観峰から降りて来る時に見るピラミッド型の建物。現存しているかわかりませんが、何かの団体・会社のものでした。
@陽介黒田-u1w
@陽介黒田-u1w 4 жыл бұрын
たぶん、それはネズミ講の団体が建設した建物だと思います。天下一家の会だったかな? 確か大観峰を阿蘇カルデラ側に降りてくる辺りにありました。長いこと使われてなかったみたいだし、地元からすれば不名誉な建物だし、今もまだあるのかな?
@麻花すわん
@麻花すわん 3 жыл бұрын
もうありませんよ。 by熊本県人
@hiroshim9441
@hiroshim9441 4 жыл бұрын
面白い。 採用! 先日、熊本から五ヶ瀬経由で高千穂神社、高千穂峡、天岩戸神社、天安河原、七本杉などを観光してきました。 始めて行きましたがとても良いところでした。 あのあたりは神話がたくさんあって面白いですね。
@mikihisadao
@mikihisadao 4 жыл бұрын
まさに、このルートで経由するのが山都町なんですよね。
@toshirouhorino
@toshirouhorino 11 ай бұрын
>>阿蘇が邪馬台国ですな。 なかなかのご賢察!  吉野ヶ里不味国から1400里、阿蘇は邪馬台国の聖地で、女王卑弥呼の所都もその辺り。
@アカバケン-n9c
@アカバケン-n9c 3 жыл бұрын
福岡県の神社はけっこうクルマでまわりましたが、熊本は未踏の地ですww 阿蘇っていうとラドンとか渡り鳥しか分かって無いので、いつか行きたい。
@homeforest6
@homeforest6 3 жыл бұрын
阿蘇は陸行30日と合わないので邪馬台国ではないと思いますが良い所ですね
@たまてばこ-y8t
@たまてばこ-y8t 4 жыл бұрын
2:17 古代日本では末子相続は珍しくなかったんじゃないの?
@布田淳ぬのたあつし
@布田淳ぬのたあつし Жыл бұрын
神社になまずが祀られているで思い出しました。熊本県の人は鯰は井戸の神様で絶対に食べないと聞きました。関東の方はどうなんですかね?大体、鯰を食べさせる店も余り無いと思いますけど。
@mousou
@mousou Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます😀 鯰を食すのは岡山とか岐阜とかは割とたべるみたいですね。あと関東の方も鯰食べるみたいですが、いつからかはわからないですw
@村上正彦-f8s
@村上正彦-f8s 2 жыл бұрын
ここ20年前にかきかえられた、
@香鹿-u4g
@香鹿-u4g 4 жыл бұрын
ナマズに乗って逃げたっていう時のあの絵、鹿島大明神(武御雷)の方だと思うんですが・・・。
@shinzaemongolf6753
@shinzaemongolf6753 3 жыл бұрын
結局さぁ、魏志や古事記などから読み解けないから、神社の伝承を頼りに考察するしかないんだよなあ。
@アゲモノ天国
@アゲモノ天国 3 жыл бұрын
中世の城跡との事ですが、城ってピラミッドみたいな所があったから造ったんでしょうし、地下に何があるか分かんないですよ。
@mousou
@mousou 3 жыл бұрын
確かに何かの跡地に城を築くことありますからね(^^)
@dd-rp9ez
@dd-rp9ez Жыл бұрын
中国人「あんたらはどこから来たの?」 阿蘇人「山んある国からタイ」 中国人「山ん国?」 阿蘇人「そぎゃんタイ、山タイ」 中国人「アッそうOKヤマタイね(カキカキ)」
@mousou
@mousou Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます😊 それで決定でw
@さーちゃん-h1d
@さーちゃん-h1d Жыл бұрын
一番、リアリティーがあるかも😂
@vclxx7867
@vclxx7867 3 жыл бұрын
阿蘇の蹴裂神話は普通に史実が口伝で伝わっただけじゃないか? カルデラ内の水が完全に引いたのは約4万年前 立野火口瀬は度重なる崩落で徐々に形成されたものらしいから、水は一気に抜けたわけではないと思う 今の所日本最古の遺跡が3万8千年前だから、遺跡が見つかっていないだけで初期の日本人達は実際に湖が消えていく様子を見ていたのかもしれない そしてそれにより人間にとって都合の良い広大な土地が手に入ったことで神話化され、権力者の祖先の功績としたんじゃなかろうか 現在の地形からは山が二重になっていたことは分からないのに二度蹴ったという伝説が残っていたり二重峠の地名が残ってたりするしな
@たぬ-w8k
@たぬ-w8k 5 ай бұрын
砂取遺跡とか10万年前くらいの遺跡は日本にけっこうありますよ。
@モード商
@モード商 3 жыл бұрын
最初の方のBGMなんか変?
@トミヤマ-c6r
@トミヤマ-c6r 4 жыл бұрын
阿蘇神社で重要な話が抜けていますね。創建が孝霊9年という部分です。 畿内説では卑弥呼候補として重要な人物である、百襲姫の父親にあたる天皇です。 また孝霊天皇は富士山や琵琶湖の形成神話や出雲地方の朝鮮半島からの 土地取得話にも名前が出てきますからね。 つまり西日本一帯の倭国の範囲には名前の出てくる唯一の天皇と言えますよ。 更に追記いたしますと、孝霊天皇名前は倭国大乱の時期、霊帝に合わせた諱を付けている可能性も指摘しておきます。
@トミヤマ-c6r
@トミヤマ-c6r 4 жыл бұрын
また常々思っている事ですが、倭人伝には火山や温泉の記述がありませんからね。 海人の住む七万戸の大国という記述にも合致しないのも致命的です。 熊本はともかく阿蘇方面を邪馬台国とする説は根本的に矛盾がありますよ。
@いも-c6x
@いも-c6x 3 жыл бұрын
阿蘇が邪馬台国なら卑弥呼は火巫女かも・・・
@モード商
@モード商 3 жыл бұрын
ええやん
@qq559yed
@qq559yed 4 жыл бұрын
古墳を城に改装したりすることも有る様ですから・・・、お城が作られる前は何だったんでしょうね(笑)???
@angelagabriel5874
@angelagabriel5874 2 жыл бұрын
途中の「妄想」までは「アリ」かも・・・「?」>東の海の「倭族」の「東の海」をどこからにしましょうか?
@夜桜ナル-u2z
@夜桜ナル-u2z 4 жыл бұрын
鯰は地震や災害の象徴だと思う。 鯰を抑えた神様って共通項で同一人物(神)や関係性の深い人物(神)と同定してしまうのは早合点だと思うなぁ。 ともあれ、今回も面白かったです。これからも頑張って下さい\(^o^)/
@nulla1237
@nulla1237 4 жыл бұрын
阿蘇のカルデラって大昔の公共事業だったんじゃない? 詰まったものは何かわからんけど、カルデラ湖を水源地としている人たちが妨害したんじゃないかな? それで事情を説明(影響が出ないようにするなど)したり神社で祭るものを変えたりしたんじゃないかって思った
@ノラミケ
@ノラミケ 4 жыл бұрын
奈良盆地もかつては湖で、昔々誰それが水を抜いたっていう話があったと思います。
@ひなたさくら-u5i
@ひなたさくら-u5i 4 жыл бұрын
古代日本は長子でなく、末子相続で進んでますね・・・単に生きてる確率が高いからかもですが。それと、八咫烏、鯰、兎、和邇と全部隠語じゃないかなと思いますね。ここでいう鯰はこの地方の有力豪族で話し合いに言ったら、殺されかけて命からがら逃げて立野で力が抜けた。草部吉見神に助けてもらい討伐、平定。そして娘を娶り、畏敬の念を込めて阿蘇神社に草部吉見神を奉じたっていう可能性も。7万年前だと、日本の旧石器時代には入るので口伝で伝わってた可能性もなくはないですがね、伝承としてあったものを古事記、日本書紀編纂時に入れ込んだのかもしれないですね。 建御名方命系(のちの諏訪氏)は諏訪から一歩も出るなとなっているため直系の子孫の可能性は低いかな。違う出雲族や配下だったっていう可能性はありますがね。蒲池氏といえば、松田聖子も出自は蒲池氏ですね。
@AZUKI406
@AZUKI406 4 жыл бұрын
検索したら東鯷人て出てきましたが関係あり?それはともかく、大神惟基が人吉に青井阿蘇神社を勧請したのは卑弥弓呼が卑弥呼の弟であり、そのことが当時まで何らかの伝承として残っていたのでしょうか。逆に考えるとやはり卑弥呼は阿蘇にいたということ⁉
@wan6347
@wan6347 Жыл бұрын
阿蘇の外輪山の南に「山都町」があります。 「やまと」なのです。  そしてここには1万5千年前から存在していると言われている幣立神社があるのです。 この場所はゼロ磁場地帯です。 この神社は宇宙の創造神を祀っています。  驚くことに五色の肌の人を祀る神事も行われています。 赤・白・黄色・黒・青です。 山都町から東に向かうと高千穂になります。 天皇家のご先祖様に何か関係がありそうです。
@たぬ-w8k
@たぬ-w8k 5 ай бұрын
山都町という名称になったのは、平成に入ってからで、それまでは全く違う町名でした。 幣立神社はそもそも阿蘇神社の末社です。 境内に阿蘇家の家紋の入った灯籠があります。
@たぬ-w8k
@たぬ-w8k 5 ай бұрын
幣立神社が1万5000年前というのは眉唾なのでご注意を。
@山童茶花-l1g
@山童茶花-l1g Ай бұрын
竹内文書から採った5色人種ですからね…
@recordam
@recordam 2 жыл бұрын
九州の蒲智.....松田聖子じゃんw  てか歴史好きなら蒲池鑑盛か
@おちゃも-y6r
@おちゃも-y6r 3 жыл бұрын
蒲 かま がま 蝦蟇 蝦エビ 蟇カエル 蝦 仮面を被るの意味に虫 仮面を被る😊
@黎明-れいめい
@黎明-れいめい 4 жыл бұрын
鯰が去ったくねくねとした跡が現在の黒川と言われます。現在でも阿蘇の宮司は鯰を食べないとされます。健磐龍命の阿蘇開拓を表したのが肥後神楽です。
@OlegBatov
@OlegBatov Жыл бұрын
まだあきらめたらダメ! 古墳の上に城建てたら石垣作らなくていいからコスパ最高じゃんって思う罰当たりな領主、絶対いるからぁ!
@yunyuki3789
@yunyuki3789 4 жыл бұрын
キタ━(゚∀゚)━!
@exkatsumax-8503
@exkatsumax-8503 3 жыл бұрын
私の地元の近くに(熊本県和水町)に 太刀緒(たちおの)神社と言う、とても古い神社があるのですが、たしか阿蘇神社と関係が有った様な無かった様な……(笑)
@takosu4512
@takosu4512 4 жыл бұрын
卑弥呼とゔでしょうね?私も怒られるのを覚悟で書けば、卑弥呼は二代続いて台与へ世襲したのでは?という可能性を探っているので、それもまたありでしよう。段階的な宗教的な変革、信仰の対象の変化があったのでは?と想像していて、太陽信仰から火山信仰への変革かどこかでおきたのでは?とよく妄想しているのですが。
@世利智英
@世利智英 4 жыл бұрын
卑弥呼が祀っていたのは日の神、火の神で阿蘇の近くにいないとお参り出来ない。邪馬台国九州ならそう。畿内説なら富士山の近くじゃないか?
@普遍-e7j
@普遍-e7j 3 жыл бұрын
次男と言えば天武天皇
@sirokuma3492
@sirokuma3492 3 жыл бұрын
まさか、私の姓が出てくるとはビックリです( ̄▽ ̄;)…笑 是非、詳しく知りたいですね。 ある書籍によると、自分の守護神は非常に阿蘇に関係深い神だそうです…自宅からも1時間程度で阿蘇には行けます、、まぁこれは、偶然でしょうが…。 例の城跡、違和感といい、佇まいといい、ピラミッドに見えますねぇ。
@Amichans
@Amichans 3 жыл бұрын
ナマズかわいい@_@w
@萬屋-d8t
@萬屋-d8t 4 жыл бұрын
「古代九州の兵子の首をとれると聞いて異世界から助太刀にきた」 by妖怪首置いてけ
@ノラミケ
@ノラミケ 4 жыл бұрын
セキバンキさん?
@gobou_seijin____tahinetube
@gobou_seijin____tahinetube 3 жыл бұрын
ギリシャ神話と似てるなー他国の神々を一族に加えて吸収していく感じ(^^)b
@gc8zacc3
@gc8zacc3 4 жыл бұрын
九州で遭難者が出る数少ない場所・・・邪馬台国畿内説だと阿蘇を一般名詞だ、みたいな暴論。 浅間山とかも阿蘇だって。まあわからんでもないですけど、阿蘇は阿蘇でしょうね。 蒲池は鎌倉以降戦国時代にかけての蒲池氏が割と有名ですけど、改めてチェックしたら古代に源流が・・・ ちなみに松田聖子も蒲池性なのも割と有名ですね。卑弥呼の説は・・・一説としてしまっておくと。
@mousou
@mousou 4 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 古代で危険な場所=祈祷と考えました^_^ 蒲池姫は調べれば調べるほど魅力的な女性ですよ^_^
@トミヤマ-c6r
@トミヤマ-c6r 4 жыл бұрын
私もアソはアサマやウス、皆元々は同じでこれは火山の意味からだと思いますね。 富士山だって不二や福知山(!)と記述されたりする場合もあったり。 三輪山だって普通に考えたら本来は美倭山だと思いますね。 何より三輪山の背後には丹山なんですから。
@安部竜二
@安部竜二 3 жыл бұрын
宇佐にはピラミッド型の山有りますよ?
@megadoitu1
@megadoitu1 4 жыл бұрын
地元の伝説ですが初めて聞く話が多いです。 話は変わりますが蒲池姫の話が出てくると、蒲池法子さんをご存知ですか? 柳川藩の蒲池といえば光源氏にルーツを持つ一族で、今では松田聖子本名「蒲池法子」さんが有名です。(笑)
@mousou
@mousou 4 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 はい。存じてますよ^_^ 私の先祖は家臣でしたw
@megadoitu1
@megadoitu1 4 жыл бұрын
@@mousou 極論ですが松田聖子さんには、デビュー当時から👼天使伝説があります 卑弥呼が守護神かも?(笑)
@bunkeinishijima2482
@bunkeinishijima2482 3 жыл бұрын
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