【ゆっくり解説】 曾侯乙墓 歴史を塗り替えた世紀の大発見 【春秋戦国】

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鳥人間 中国史三昧

鳥人間 中国史三昧

Жыл бұрын

戦国諸侯「曾侯乙」の墓から見つかった世紀の大発見の数々、そしてこの時代、この地域には文献上存在しなかった「曾」の国の謎について紹介します。
10:53 図の二十八宿の星の配置は正確なものではなく、左右反転したものになってしまっています。申し訳ありませんでした。
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Пікірлер: 278
@user-fb5nj9mm6x
@user-fb5nj9mm6x Жыл бұрын
隋の話のくだり、すごく納得出来て素で声が出ました。 これは良い中国史ロマン成分…
@user-mw5rh4qg6s
@user-mw5rh4qg6s Жыл бұрын
出土品と出会うことで古代中国の人々と会話できるって博物館の学芸員さんが語ってたなぁ
@qoamb410
@qoamb410 Жыл бұрын
「子曰く、故きを温ねて新しきを知る、以って師と為るべし。子曰、温故而知新、可以為師矣。」(孔子)なんて言葉を彷彿させますね。曾侯乙墓は「ロストテクノロジー」と言っても過言ではないですね。また、鑑定を行った考古学者、研究者の方々の努力や見識の高さにも感動します。お話し面白かったです。
@user-cv3pg3bj9r
@user-cv3pg3bj9r Жыл бұрын
ほんとこの時代の鳥さんの動画は面白いな。風習や器物の解説などわくわくする。
@t-3454
@t-3454 Жыл бұрын
中国史考古学シリーズ本当好き。
@user-nb4vy2xt5r
@user-nb4vy2xt5r Жыл бұрын
これは凄い!音階はインドが西洋の12音階より複雑なことで知られているが中国も負けず劣らず凄かったのね!さすが礼記で音楽を納めるべき教養と強調するだけのことはある。殷とかの青銅器は故宮(台湾)で見たが、現代でも復元不可能と言われるほどの精巧さで本当素晴らしかった。あと、兵馬俑のやつ見に行ったが本当良かった、新年の眼福だったぜ!
@user-tt4ww2np8g
@user-tt4ww2np8g Жыл бұрын
10:17←去年、兵馬俑展見に行きましたよー。2号銅車馬も凄かったけど、個人的に面白かったのは「画像石」。龍と虎が彫られているもので、迫力が本当にすごかった。
@catan_ryoma5119
@catan_ryoma5119 Жыл бұрын
自分も行きました!自分は跪座俑が面白かったですね。動物の埋葬のために俑を作るあたり、秦人の動物好きが伝わってきました。
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w Жыл бұрын
つまり、紀元前の時点で既に西洋のクラシック音楽と同等クラスかそれ以上の音域や音階、音律を駆使していた訳だから、そりゃあこの時代の斉の音楽を聴いて丘くんが肉の味を忘れるほどのめり込む訳だよなぁ
@YY-lw7fu
@YY-lw7fu Жыл бұрын
限定動画、洛陽などの都市の歴史や今回の墓の発掘回、、面白かったです!! 次回も楽しみにしてます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ご支援いただき、感謝感激恐悦至極ゥ!!です!! 活入れてもらってまた動画作りを頑張ります!!
@user-wi6pu3lb9i
@user-wi6pu3lb9i Жыл бұрын
おもしろい!。いつになっても新発見はワクワクする。これまでの研究が、新発見がバチっと繋がると感動を覚える。二つの国号を持ってるっていうのも面白い。もしかして日本をJAPANというように外交的に言語で使い分けていたとか。どれ埋蔵物も非常に関心深い。
@user-lw5sd7lb4u
@user-lw5sd7lb4u Жыл бұрын
曾(随)に逃れた楚王は、昭王(熊珍)で昭王を匿ったのが曾侯乙 この曾侯は姫姓つまり周王室の縁戚という事なので小国と雖も侮りがたい国であったと思われます。
@user-mg4fu5wq2o
@user-mg4fu5wq2o Жыл бұрын
4:51 親方!お墓の中か楽毅が出てきました!僕も極冷欲しいなぁ。 これからも新しい考古学的な発見が見つかると良いですね~。
@user-op8rq1jv1t
@user-op8rq1jv1t Жыл бұрын
この曾侯乙墓の存在は中国の武漢にある博物館に訪れた時に知ったわ 色々な出土品が飾ってあったけど、何より感動したのは既に知っていた随という国が曾とイコールであるという文章を見つけた時だったな マジで鳥肌たった
@angletrumple
@angletrumple Жыл бұрын
とてもロマンに溢れ興味深かったです。ありがとうございます!
@Extension_Cord894
@Extension_Cord894 Жыл бұрын
これはすごい。この頃の人達に西洋音楽的な知識や概念を教えたらもしかしたらモノに出来るかもしれない
@user-ct8bw8so4v
@user-ct8bw8so4v Жыл бұрын
今回のような春秋戦国時代の名もあまり知られていない小国の話めっちゃ好きです。 資料が少なく解説が難しいかもしれませんが、今後もよろしくお願いします🙇‍♂️
@londoninjapan2557
@londoninjapan2557 Жыл бұрын
ありがとうございます! 東京での展覧会行ってみようと思います!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ご支援まことに……まことにありがとうございます……! 開催は2月5日までですので、ご注意ください!!兵馬俑などの俑だけでなく、青銅器も最高です!!!
@pakpaan
@pakpaan Жыл бұрын
30年くらい前に湖北省博物館で編鐘はじめこの遺物を見たけど、あらためて解説を聞くとすごい発見だったのだと思った。
@negiseiroman
@negiseiroman Жыл бұрын
春秋末戦国初期の南方楚の一地方でさえ、こんなにも文化程度の高い地域だったんですね。文化の力、感じました!
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
漢代の馬王堆遺跡など、そのすごさから最初は長沙国のような小国の王ではこんな墓は無理だ 漢王朝の王族の墓ではないかとの説もあったが 漢の地方王権の長沙国の宰相の妻の墓に過ぎなかった。 当時の支配者たちが墓にどれほど資産をつぎ込んでいたかわかりますよ
@wakamedesuga
@wakamedesuga Жыл бұрын
遺跡系はやっぱりロマンに溢れていますね!学者さんたちが文献や他の例から色々予測を立てていてそれがさらなる発見で裏付けがとれるとか、凄すぎてゾクゾクします!今回も面白い動画をありがとうございました!サッサと消える霊夢がカワイイ😊
@user-xr3fx7ho5f
@user-xr3fx7ho5f Жыл бұрын
いつも興味深い内容をありがとうございます。
@kdmdouble
@kdmdouble Жыл бұрын
この当時から天文学も優れており、東西南北も正確にとれるんですよね。なので『三国志』における邪馬台国の位置は方角を間違えるはずが無いと思います。 方相氏は個人的に秋田のなまはげを思い出させますねぇ。本来は厄祓いまたは無病息災や五穀豊穣のご利益のある神様だったそうですし。
@user-xb9ko3oo5j
@user-xb9ko3oo5j Жыл бұрын
めっさ面白かったです!限定動画公開していただき感謝!
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Жыл бұрын
動画UPありがとう&お疲れ様です。自分はライトな中国史しか知らないので、今回の内容周りの知識は初めてでしたが、興味深く楽しませて頂きました。 これからも、マニアックな面白い古代中国史の紹介を、無理なさらない程度に宜しくお願いします!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ご支援……有り難きことこの上ありませんッ!! マニアックな内容ですが楽しんでいただけたようで、まこと本望でございます……!!ぜひ今後の限定動画もご期待ください!!
@kojisuzuki01
@kojisuzuki01 Жыл бұрын
親父がこういう古代中華のロマンあふれる文物が好きで、ガキのころにこの曾侯乙墓の出土品が日本に来るというので上野の国立博物館に観に連れられた覚えがあります。確かにこの編鐘や尊盤ありました。/日本で県名と令制国名使い分けるみたいな感じ、中国でもナンバープレートで上海の車が「滬」ナンバーみたいな感じで、古代も一見違う国名使ってたんでしょうかねえ。
@ddrible9350
@ddrible9350 Жыл бұрын
小さい国でもこれだけすごい墓作ってるんだな
@user-ly6wt9xm1c
@user-ly6wt9xm1c Жыл бұрын
特に青銅器レベルが凄いです。 ほぼ同年代だと越王勾践剣があるので、鋳造レベルの凄まじさが理解できます。
@see5899
@see5899 Жыл бұрын
ちなみにこの頃日本はドングリ食べてましたw
@user-ly6wt9xm1c
@user-ly6wt9xm1c Жыл бұрын
@@see5899 さん 基本的には狩猟、漁撈、採集生活ですね。 面白いのは縄文時代にフグ食べて一家全滅した遺跡があるそうです。
@TSUNENI-UTAGAU
@TSUNENI-UTAGAU Жыл бұрын
​@@see5899 大陸の民族は退化していってる😂 何で⁉️
@TSUNENI-UTAGAU
@TSUNENI-UTAGAU Жыл бұрын
​@@user-ly6wt9xm1c 植林、稲作してましたよ😅 戦後から日本の歴史教科書は中華思想に小中華思想を混ぜたものになってますよ😅 日本の歴史は支配層にとって都合が悪いみたいです😅
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p Жыл бұрын
真面目にあの楽器には度肝を抜かれますた。どんな複雑な楽曲が演奏されてたか考えると目眩いがする。バッハのパイプオルガン並みの音階。2千年後の楽器やんか。 凄すぎて色々考えさせられるな。 ピアノが必要になるまで音楽が発展したのは18世紀では?
@salmonL0VE
@salmonL0VE Жыл бұрын
古代中国のロマン…めちゃくちゃいい
@user-bm8ci1vy5f
@user-bm8ci1vy5f Жыл бұрын
この棺に書かれた絵のゆるキャラ感すこ。アクリルキーホルダーほしい
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Жыл бұрын
古代の墓はタイムカプセル。水ももしかしたら盗掘防止用のセキュリティだったのかもしれない。
@user-kq4zp3fx1k
@user-kq4zp3fx1k Жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ウウウ……まこと有り難きご支援……!! メンバーにも加入していただいた上このようなご厚意、感謝に堪えませぬ!!
@kaneg0n
@kaneg0n Жыл бұрын
平安時代の節分の記述等に出てくる方相氏って古代中華由来だったんですね!いつも勉強になります。
@user-wb3qi2ew6l
@user-wb3qi2ew6l Жыл бұрын
曾(隨)は結構早い時期から楚に従って(従わされて)いたと思ったが、調べてみてもよく分からなかった
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん Жыл бұрын
「へんしょう」が日本に渡り、「銅鐸」となったのだなぁと、改めて思いました。 やはり日本は古代…もとい、太古より周辺と人も物の行き来も繋がっていたのですね.
@kuromatukun
@kuromatukun Жыл бұрын
考古学大発見シリーズ希望します。🎉
@user-jk6dn2ov2c
@user-jk6dn2ov2c Жыл бұрын
よくこの時代の字が読めたな。秦が統一する前の漢字は六国文字とかいって別々だったと聞いたが周が分裂して間もない頃はあまり差はなかったのだろうか。残っていることもすごいな。青銅器は偉大だ。
@ihopeiwishibelieve2929
@ihopeiwishibelieve2929 Жыл бұрын
これほどのロマン解説をありがとう
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
南宮适は、漫画・アニメには登場しませんけど、ゲーム版で新キャラとして登場しましたね。
@user-yf1sn6bm8f
@user-yf1sn6bm8f Жыл бұрын
4:50 楽器を楽毅と間違えるあたり鳥人間さんっぽい
@MrDeha6450
@MrDeha6450 Жыл бұрын
戦国時代初期(もちろん、太田道灌無関係の方)の曾こと随の国の君主・乙の墓、とのことですが、なんだかんだですごいものがずらり!青銅器の細やかな作りにも圧倒させられました。個人的には棺に描かれていた謎のモンスターの絵が「方相氏ではなかろうか」とする説に「あっ!」と思い当たる節があったので、日本の方相氏の萌えキャラ「ついなちゃん」を参照すると....「四ツ目の仮面」と「戈の意匠を取り入れたデザインの三叉槍」そして「魑魅魍魎を祓う役割」など、思いのほか共通点が多く見られたのにびっくり!方相氏説、もしかしたら当たっているかも?そして節分の行事のルーツも、戦国時代の中国にあった可能性が見えてまいりました。思わぬ日中のつながりを見ることができました!
@fukurou01
@fukurou01 Жыл бұрын
いやーめっちゃ面白かったわ。これだから歴史はやめられん!
@nubo520
@nubo520 Жыл бұрын
これ確か日本でも展示が国立博物館であったはず。偶然訪れた時見学した記憶があるなあ。あの楽器の複製の演奏もやっていたはず。
@user-gi8tr5cs2h
@user-gi8tr5cs2h Жыл бұрын
墳墓の話し、大好きです。
@user-ee8db2cv6c
@user-ee8db2cv6c Жыл бұрын
春秋戦国時代の副葬品は、当時の風習を理解するのに最適な発掘品ですね。
@user-ki2pp6jr7g
@user-ki2pp6jr7g Жыл бұрын
それな!副葬品とか思考の片隅にも入ってなかった
@kusunokimasashige
@kusunokimasashige Жыл бұрын
十二律というと壱越、断金、平調、勝絶、下無、双調、 鳧鐘、黄鐘、鸞鏡、盤渉、神仙、上無ですね。 今でも尺八なんかでは用いられてて覚えるのが大変な代物ですが、昔はもっと多かったんですなw
@yaizudamashii
@yaizudamashii Жыл бұрын
意味がわからないのに驚いてくれるノリのいい霊夢ちゃんですね!
@user-ct8fk3cx8t
@user-ct8fk3cx8t Жыл бұрын
乾燥して石材文化のメソポタミア、エジプトと比べて 木材文化で湿気が多い古代中国は遺跡が残りにくいからねえ…
@Kotchan66
@Kotchan66 Жыл бұрын
日本も同じです。
@user-oi5dt9tt8d
@user-oi5dt9tt8d Жыл бұрын
この動画を拝見し、古今東西、高貴な身分の者の墓は盗掘のリスクと背中合わせということを改めて知らされる。
@user-ni3td5pd2s
@user-ni3td5pd2s Жыл бұрын
素晴らしい動画をありがとうございました。凄すぎる大発見でした! ところで、リクエストということですが、石敬瑭をお願いします。中国では燕雲十六州を割譲し評判が悪いとのことですが、沖縄の石敢當と関係があると聞き、どういうことかなと思いましたので。
@hgmssq7512
@hgmssq7512 Жыл бұрын
方相氏は周代の官名で、黄金四目の仮面をかぶり、悪疫を追い払う役割だった。この文化は日本にも 陰陽道として入って来ていて、節分の豆撒きの際には方相氏が疫鬼を追い払う儀式が行われていますね
@Kotchan66
@Kotchan66 Жыл бұрын
追儺の儀式ですね。古文の教科書で徒然草のところの挿絵にも出てました。
@MrJinsuke
@MrJinsuke Жыл бұрын
凄すぎて呆然と見るほかない。 始皇帝陵の一部文物は見た事があるけどこれは別の意味で桁が違います。 「やべえ」と言っていい方向に凄い。
@user-pm9vc5po7u
@user-pm9vc5po7u Жыл бұрын
古代中国の浪漫成分補充できました!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ご支援いただき、まことにありがとうございます!! また楽しい古代史動画を提供いたしますのでご期待ください~!
@user-im1ef3wj2p
@user-im1ef3wj2p Жыл бұрын
めっちゃ面白かったわ こんな遺跡発掘されてたの知らなかった…
@user-cj8kl6dd4q
@user-cj8kl6dd4q Жыл бұрын
古代中国の文明レベルの高さは毎回驚かされる。
@TSUNENI-UTAGAU
@TSUNENI-UTAGAU Жыл бұрын
なぜ退化していってのだ めっちゃ不思議なんやが😅
@user-cj8kl6dd4q
@user-cj8kl6dd4q Жыл бұрын
@@TSUNENI-UTAGAU 共産主義が歴史と伝統を進歩的ではないと全部切り捨ててしまったから。
@uponacat
@uponacat Жыл бұрын
14:02 あのー、金邢道(キンケドゥ)って書くとなんか三国志演義の斬られ役みたいですよね
@user-fn9ie5kj5l
@user-fn9ie5kj5l Жыл бұрын
やっぱり殉葬ってあったんだねぇ(T_T)あと編鐘って中国時代劇でよく出てくるけどすごく綺麗な音がしますねえ。
@akanarumd.k.k8976
@akanarumd.k.k8976 Жыл бұрын
度量衡や貨幣制、年号(元号)を制定する権利は権力者が持つ訳で、その意味で国名を変えるのも何かの意志があってのことでしょう(近年でもセイロン→スリランカとかグルジア→ジョージアとかの例があり)。それにしても歴史は奥深いですね。
@user-sc4xv1gz1e
@user-sc4xv1gz1e Жыл бұрын
2000年以上前に5オクターブの楽器や冷蔵庫があるとは… 恐るべし中華文明。
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
二十八宿の星座に対応して選ばれたといわれる「雲台二十八将」に、聖闘士星矢の黄金聖闘士みを感じる。
@user-fn5nm5jq3l
@user-fn5nm5jq3l Жыл бұрын
二十八宿という部分は、ふしぎ遊戯みたいやけど。
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
楚との関係の整理 前977年頃 周昭王の南征(楚征伐)時の先鋒 前690年 楚武王を戦死させる。 前672年 楚で堵敖が即位した後、弟の熊惲を匿い、成王として即位させる。 前506年 楚が呉により占領された時、楚昭王を匿う。 前475~433年 曾侯乙の時代。楚恵王から多くの贈り物があったことが記録されてます。 戦国時代中期頃に楚に併合。事後、「随」表記が主流になり、曾侯の子孫は随(隋)氏を名乗ったようです。
@user-hb8wd3qz2n
@user-hb8wd3qz2n Жыл бұрын
>前475~433年 曾侯乙の時代。楚恵王から多くの贈り物があったことが記録されてます。 ということは、曾侯乙墓の豪華な出土品は、全てが曾で製造されたわけではなく 楚からの贈り物も含まれていた可能性があるのでしょうか?
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
@@user-hb8wd3qz2n 編鐘が8セット65個見つかってますが、1個余分ですね。この一つが楚恵王から送られた「楚王熊章鎛鐘」です。高さ92.5cm、重さ134.8kgで、形状も他のものと異なってます。この鐘に刻まれた銘文から、楚恵王56年(前433年)に曾侯乙死去時に送られたものだと確定してます。
@user-kq2hj6wq3y
@user-kq2hj6wq3y Жыл бұрын
曾侯乙の墓はあの秦のジェノサイダー白起や焚書坑儒の始皇帝・李斯そして戦国最凶のジェノサイダー項羽の破壊からよく逃れたな?
@user-kq2hj6wq3y
@user-kq2hj6wq3y Жыл бұрын
曾が楚に併合された戦国時代中期頃から楚は巴蜀を取った秦の圧迫を受ける様になる。そして曾(随)は白起が楚の都郢を陥落させた際に秦に占領され、随氏の一族(曾侯乙の子孫達)は白起に皆殺しにされてしまったのかも?当然秦の支配下に組み込まれた曾(随)は郡県制に組み込まれるのでどこかの郡に入っていたはず。因みに三国志の時代には襄陽郡だったはず。
@user-hb8wd3qz2n
@user-hb8wd3qz2n Жыл бұрын
@@intelljp さん 詳しい解説をしていただき、ありがとうございます。 それにしてもよくご存じですね。感服いたします。
@user-vy4pw3vf6j
@user-vy4pw3vf6j Жыл бұрын
この遺跡の本を古書店の閉店セールで見つけたが2万だったので手が出せなく後悔している思い出しかないなー。
@user-is1rv9tk4j
@user-is1rv9tk4j Жыл бұрын
高い。買えない
@nyoro-bong
@nyoro-bong Жыл бұрын
最初の一分だけど既にあやしさ全開でオモロい!
@user-hv7jd3bx1b
@user-hv7jd3bx1b Жыл бұрын
遺跡発掘と言えば馬王堆漢墓もすごいですよね前漢時代の地方官が着てた服の刺繡が凄い 前漢時代にそんな凄い服着てたのか時代劇の衣装の方がおとなしいぐらいの豪華さ
@cartoon19950711
@cartoon19950711 Жыл бұрын
馬山一號楚墓 、2014年夏家台258號墓(未公開)。 這倆座墓出土了春秋戰國時代的衣裝服飾,比馬王堆還早
@KAZWACKY
@KAZWACKY Жыл бұрын
まさか方相氏が極東の島で生きながらえているとは、乙さんも想像出来なかったろうな。 あぁ鬼やらい鬼やらい。
@pmanotoko
@pmanotoko Жыл бұрын
こんな大発見なのに不勉強なものでまったく知りませんでした、ありがとうございます! 名前がちょっとだけ出てきたマイナーな人物というわけでは全然ないのですが、清王朝創立の時期にそのうち動画にすると言っていたドルゴンを、実はずっと待っています……w
@type61type74
@type61type74 Жыл бұрын
18:20 「方相氏」、日本でも節分の追儺式で四つ目の面をつけて登場しますよね
@user-gh5pi9ov7b
@user-gh5pi9ov7b Жыл бұрын
興味深いテーマでとても面白かったです(^^♪
@user-fu9xg5zg9w
@user-fu9xg5zg9w Жыл бұрын
こういうチャンネルは普段テレビで目にしない内容でありがたい。 特に中国は、最近三星堆遺跡で遺品が数十万点にも上る、歴史を変える大発見にもかかわらず、西側の国ではエジプトの何ともない発見以下にしかマスコミに取り上げられない。 本来世界に発信されるべき偉大な発見を発信し続けてください。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
エジプト文明は西欧文明にも通ずる文明だから、欧米のメディアが注目するのは当然でしょう。 三星堆遺跡に関しては中国もあまり騒がないからな。 中国にしてみれば、漢字を使わない異民族の遺跡だからな
@user-fu9xg5zg9w
@user-fu9xg5zg9w Жыл бұрын
@@user-ke1xz7lw3m 中国は特番組んでますよ。当然ながら。黄河、長江文明と同程度、もしくは以上の四川省の文明が証明されたんだから、世界史レベルでの大発見でしょうし。 西欧がエジプトを報道するのはそうでしょうが、日本がそれに同調する必要はないでしょうし。考古学的な視点から平等にみるべきでしょうね。
@fuzukimaru2
@fuzukimaru2 Жыл бұрын
別名というと商と殷もそうを想起させます。殷周時代に既に別名の慣習はあったのかもしれませんね。
@user-kt8df6gz1j
@user-kt8df6gz1j Жыл бұрын
別名、とはちょっと違うかもですが、楚も荊と呼ばれてたりしますね(始皇帝の父の諱(子楚)を避けたとされる)。
@user-kt8df6gz1j
@user-kt8df6gz1j Жыл бұрын
あと、随というと、士会(范武子)が随会とも呼ばれていますが、曾(随)とは別に随という邑があったということでしょうか。
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
@@user-kt8df6gz1j 晋から随と范の2村を与えられたことにちなむのですが、士会の時代、曾国はまだ滅んでないので別の場所だと思います。
@user-kq2hj6wq3y
@user-kq2hj6wq3y Жыл бұрын
@@user-kt8df6gz1j だからかつての楚の国が荊州と呼ばれる様になった。実際には揚州も含むが。
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Жыл бұрын
晋も唐だったりするし
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 Жыл бұрын
機会がありましたら馬王堆漢墓の話も聞いてみたいです。
@umakara55
@umakara55 Жыл бұрын
ちなみに編鐘も編磐も、浜松市楽器博物館に実物があるので見てくるといい 本来、「雅楽」というものはこの編鐘を中心としたアンサンブルで、宗廟の前で演奏する礼楽だった。中国も朝鮮もそう しかし日本には入ってこなかったんだよな。フル編成の編鐘が重すぎて船に積めなかったのか、日本では製造できなかったのか... ただ動画中にもあるような「仮面を付けた破邪の踊り」という側面は日本の雅楽にもしっかりと受け継がれているよね
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
@user-Gifu_no_Zoukinya_san Жыл бұрын
すごいですね。 西洋がのちの時代に発達させた音楽の音階も、インド発祥だと思われていた星座の図も、戦国初期にすでに中国に存在していたんですね。 水没していて盗掘や空気による劣化を免れたことも、歴史研究者からすればラッキー。 孔子が言うところの礼楽の楽は、権力と財力がないとできないものだったんでしょう。 あの鐘みたいな楽器、走り回って演奏するのって大変だったでしょう。
@user-ly6wt9xm1c
@user-ly6wt9xm1c Жыл бұрын
おそらくあれだけの数と楽器の高さから考えると、5名から10名で演奏していたと考えます。 鐘の打ち方にさらに強弱が加わっていると考えると、上下の段差を設けていないと困難ではないかと思われるので。
@bwjbb475
@bwjbb475 Жыл бұрын
こんばんは。ザ・ファンクス好きやったなあ。ジュニアはチョット髪あれだけどそこがまたい!wゆでたまご先生は弟さんが好きだったようだけども。 大変貴重だよねえ。こういう物はお金に変えようがない。律名。確かに仰るように一般的に十二律でしたっけ。何かと十二に絡む物が多くて有名ですよね。十二支とか。 でもここで見つかった物は二十六。ものすごい発見ですよねえ。相当音楽好きだったのかなあ??考古学的にも美術的にも人類の宝やな。ありがとうございました。
@user-ur4yn3xv2v
@user-ur4yn3xv2v Жыл бұрын
水没していたのが盗掘されずに幸いでしたね。 エジプトでは砂没していた遺跡が盗掘されなかったようですので 盗掘対策は不定形の物に沈めるのが良いのかもしれません。
@noakaon
@noakaon Жыл бұрын
めっちゃカッコ良きです❤
@user-mb6ue8mg7h
@user-mb6ue8mg7h Жыл бұрын
方相氏って文字は違えど同じ読み方をする妖怪が日本にも居ますね。 目が幾つもあったり戦闘的な出で立ちで現れて、その人の余命を告げて消えるっていう物の怪です。
@journeywm1929
@journeywm1929 Жыл бұрын
この度も大変興味深く見ました‼️ リクエストなのですが、さまざまな話にチョイチョイ出てくる科挙について、詳しく知りたいです! 動画内で度々出てきますので、断片的には理解したつもりでおりますが、どんな問題が出たのか、どのくらい難しいものなのか、等も知りたくなりました。 一考していただけますと嬉しいです❗️
@user-ly6wt9xm1c
@user-ly6wt9xm1c Жыл бұрын
曾侯乙墓に関してよく理解できた。 編鐘の大きさを見ると、数名で鳴らす楽器であることは確かであろう。 また、磬も叩くことで鐘よりも高音を出したと推測できる。様々な大きさに加工されていることからも、かなりの音域はあったのではないだろうか。 また、太鼓、琴、笙などが残っていたということは、かなり雅楽に近い音楽だったのではないだろうか。そして、大きな楽団での演奏だったと考えられる。 また、棺と外郭には漆工が施されていることから、長江以南の文化も相当影響しているのだろう。 正直、木製品がこれだけ残っていたのは水没していたからこそではないか。 実際、土で埋もれていたら、粘土質でなければ残っていない。 また、曾=随が証明されたことで、史書に記載された時には随の国名しか残っていなかったことになる。時代が下るにつれ、随と号する経緯が記録から逸失したと考える。 中国20世紀の大発見には数えられるという、投稿者の意見には同意する。
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p Жыл бұрын
面白かた。ロマンだなあ。 中国は古をこそ誇るべき。 現代中国があるべきところまで来たらまた凄い中華文明ブームが来そうですな。
@user-tg8tl1ny4k
@user-tg8tl1ny4k Жыл бұрын
If you ask me to read the Japanese instruction manual, I can't understand it, but if you ask me to watch the Japanese talk about Chinese history, I can basically understand it.😄😂
@user-ro1hq7zt6i
@user-ro1hq7zt6i Жыл бұрын
後漢時代の曹操の墓が見つかったのがあったと思いますが、その後他にも何か見つかったりしたのかの動画が作れればお願いします。
@Harusawaxxx
@Harusawaxxx Жыл бұрын
日本や中国では三分損益法という音階を作るための方法があるけど、編鐘を見るとそれがこの時代にはかなり知られていたとわかりますね また、当時の方法ではオクターブを高くしたり低くしたりすると音階の誤差が大きくなり不協和音が生まれやすくなるので、こうした広い音域の音楽は西洋だとこの時代ではあまり発達しませんでした。それに対してアジアではピアノに迫るほどの広い音域を使って演奏していたことはとても興味深いですね。
@user-qn5wu1sc9d
@user-qn5wu1sc9d Жыл бұрын
和氏の璧のその後を紹介できますか? ネット検索だと春秋時代の後、その後の時代にどうなったかの記述がなくて、気になってます。
@polishmocha
@polishmocha Жыл бұрын
デザインがオシャレすぎる!
@u-lala-good-go
@u-lala-good-go Жыл бұрын
編鐘 →『南』説◎ 洛陽の真南ですし。 本当に愉しいです!ありがうございました。
@servantofJ
@servantofJ Жыл бұрын
もはや中国はどこ掘り返しても遺跡でできそう
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 Жыл бұрын
ローマなどまさにそんな状態だそうです。 あれだけの大都会なのに地下鉄が二路線しかないのはそのせい。
@max-lp8gn
@max-lp8gn Жыл бұрын
中国改めてすごいなあ 人類史の生命の伊吹を精巧な装飾から感じた
@DaDa724s
@DaDa724s Жыл бұрын
雲台二十八将紹介動画が観たい
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
中華版「聖闘士星矢」が作れそうだな
@megmee6135
@megmee6135 Жыл бұрын
方相氏が日本では現役なので親近感
@user-kr7nm3gh2l
@user-kr7nm3gh2l Жыл бұрын
Thanks!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
いつもご支援いただき、感謝!感激!です!! 元気をいただいたので、これから作業頑張ります~!
@engawanoneko2435
@engawanoneko2435 Жыл бұрын
むしろ水没してた事で保存状態が維持できてたと考えられる奇跡
@user-qw9hs7gc8c
@user-qw9hs7gc8c Жыл бұрын
一箇所、「楽器」が「楽毅」になってて、あぁ中国史やってる人の予測変換はそうなるわなってなった。
@user-kq2hj6wq3y
@user-kq2hj6wq3y Жыл бұрын
楽器と楽毅。まかり間違っても白起は❌‼️
@user-fc6tr4lr6y
@user-fc6tr4lr6y Жыл бұрын
先日…五胡十六國時代のシリーズをされていましたが…あの頃に建立された……特に西方の麥積山石窟の紹介…若しくは他の石窟寺院……竜門や雲崗とセットでお願いしたいです(^_^ゞ宜しくお願いします(^人^)
@user-yk6em4xq6q
@user-yk6em4xq6q Жыл бұрын
オーパーツ感がスゴイですね。
@user-lr1pm3sx1m
@user-lr1pm3sx1m Жыл бұрын
水に浸かったり乾いたりしたらすぐ腐ってしまうけど浸かりっぱなしなら保存状態が良好な状態で保たれるってブラタモでタモさんが言ってたな。
@user-tf2dx2rs1o
@user-tf2dx2rs1o Жыл бұрын
楽器がここまで綺麗な状態で出てくるとは…しかしどんな演奏だったのでしょうね。
@bingosaru
@bingosaru Жыл бұрын
私もモノは初めて見ましたが…第一印象は「ガムラン」でした。 結構大規模なガムランもあるから…当たらずとも遠からじ?!
@roseqingjiao4626
@roseqingjiao4626 9 ай бұрын
本物を使って演奏した音楽がしっかりと残っていますよ。 kzbin.info/www/bejne/aX_Ni4pumK-rh9ksi=qnfKPXXe3ED7Ojmx
@pomelove9502
@pomelove9502 Жыл бұрын
金眼四ツ目で討鬼伝を思い出しました。 それにしても中国は、発掘したらまだまだ凄い遺跡や墓が出てきそうですね。 生きてる内に始皇帝陵だけでも公開されないかなあ
@seattleslew2332
@seattleslew2332 Жыл бұрын
生きてるって何だろ生きてるってなあに痛い痛いよお兄ちゃ~ん! 紀元前にそんな精巧な楽器や冷蔵庫が! ロマンですねぇ! とても楽しい時間でした
@user-mh8bf7md5i
@user-mh8bf7md5i Жыл бұрын
真っ先に「笑う犬」が思い浮かぶ。
@user-im6dw2gq3x
@user-im6dw2gq3x Жыл бұрын
即、登録しました。
@maruhourou1480
@maruhourou1480 Жыл бұрын
こういった副葬品が本来は長い歴史の中でおびただしいほど作られて各時代の各地の墳墓に収められていったんですよね。 ほとんどは盗掘されたにしても、その後人の手を渡って残っていく訳でもなくことごとく消えてしまうのは何でなんでしょうかね・・・。
@motokiamaya4223
@motokiamaya4223 Жыл бұрын
後世に金属資材として溶かされてしまい 《銭や武具》 になって消費されてしまった可能性が
@user-ez9rj7of5b
@user-ez9rj7of5b Жыл бұрын
日本でも太平洋戦争で仏像、銅像、鐘等鋳潰して兵器に使われたし、 欧州各国は植民地から略奪した金、銀の装飾品を鋳潰してインゴットにしたあと硬貨や別のアクセサリーにしていました。
УГАДАЙ ГДЕ ПРАВИЛЬНЫЙ ЦВЕТ?😱
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