【ゆっくり解説】 弩 戦国の世が生んだ恐るべき兵器 【春秋戦国 漢 唐 宋】

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鳥人間 中国史三昧

鳥人間 中国史三昧

7 ай бұрын

とんでもない貫徹力を誇る中国の古代兵器「弩」の歴史について語ります。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
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Пікірлер: 291
@genkou0918
@genkou0918 7 ай бұрын
生産配備に施設やコストがかかり、配備しても思ったより不発暴発が多くその味方の被害も少なくなく、メンテやバックアップも必要で、 数万規模の軍隊を常時動員するレベルの大国じゃないと割に合わないという兵站面で解説していた人いたな。 日本で頻繁に数万動員し始める戦国時代まで行くと上位互換の火縄銃が伝来し、結局弩は時代の狭間に。 地形がとか運用はとかミリタリ的な解説は多いから目から鱗だった。
@user-bt1oz8jt3r
@user-bt1oz8jt3r 7 ай бұрын
律令制が機能してた頃は日本も中国の軍制に習って弩装備してたらしいけど律令制が崩れて国軍も無くなって大規模戦も無くなったことで維持するコストも理由もも消えたから 武士は朝廷の国軍でもない私兵だし鎌倉室町までは騎馬武者による戦闘、戦国時代になって中国みたいに歩兵同士の大規模陸戦の時代になる頃には忘れられてるしちょうど鉄砲が入ってきた
@user-sp1jv4fq2j
@user-sp1jv4fq2j Ай бұрын
日本の戦闘で弩が必要なほど大規模な騎馬隊を相手にすることは無かったし、城郭都市が無いので街を防衛するために弩が使いにくい。山城が多かった時代は弩の運用に向いていない。常備軍が必要で訓練に多大なコストがかかる弩をどうしても持っておかなければならない理由が無い。継続的な異民族との戦闘も無い。と、地形も政情も弩の運用に向かなかったから廃れたんだと思う。
@user-ik9xn3dy6w
@user-ik9xn3dy6w 7 ай бұрын
弩の弱点のひとつは衝撃で弩本体にガタが来やすい(時には分解しちゃう)点で、使用者がわりと身体欠損しちゃうんでなかなか熟練者が育たなかったそうな
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 7 ай бұрын
平城の戦いでは、特にそうでしたね(弩兵の指が凍傷でやられた)。
@User-Toui
@User-Toui 7 ай бұрын
弩は直線、弓は放物線みたいなイメージがあります。 日本で流行んなかったのは平地の多い大陸と比べて、山林が多く連発性能に欠ける弩は扱い難かったんじゃないかと。 百年戦争のときにフランス弩兵がイギリスの弓兵に大敗を喫していたような……。
@user-vs3uc3po2v
@user-vs3uc3po2v 6 ай бұрын
実際そうですし、後弓矢に適した木々が豊富なのも要因の一つです
@user-ig6te3tt1l
@user-ig6te3tt1l 20 күн бұрын
戦う相手の兵科が騎馬や戦車兵じゃないから、あまり効果がなかったよね。 想定される敵の兵科の違いも、日本で廃れた理由かも。
@ako3074
@ako3074 7 ай бұрын
三国志だと弩の一大生産拠点だった冀州の重要性について語られることがあるけどこれらは田豫の伝を見てるともっぱら対異民族戦線で活躍してるのがよくわかる 逆に騎兵を中心とした魏軍に対抗するために弩を諸葛亮が運用したのは自然だったんだなと感じる
@user-fh4wh7gx7s
@user-fh4wh7gx7s 7 ай бұрын
日本ではあんまり流行らなかったよな、この武器
@tottoko2680
@tottoko2680 7 ай бұрын
仕組みが複雑だから昔の日本では技術力足りなかった 作れそうな時代まで下ったら鉄砲が入って来たのでもう弩は必要無くなったし 後巨大なタイプのは山多い日本だと持ち運ぶのに大変、同じような理由で大砲も日本では流行らなかったし
@user-nc4je3th5w
@user-nc4je3th5w 7 ай бұрын
武士が主力の時代はみんな連射性の高い弓を引けるし 合戦規模が拡大した戦国時代にはもう鉄砲が入ってきてるしでタイミングが悪かったのもあるんじゃない?
@user-ch6rg1bt3v
@user-ch6rg1bt3v 7 ай бұрын
真っ直ぐ飛ばすしな、弓は上に向けて撃つ事で飛距離が出る、近距離戦にしては装填と威力が足りないので、平地と数の多い大陸国家の武器に思う
@user-kn1fx6bg6i
@user-kn1fx6bg6i 7 ай бұрын
日本で普及しなかった理由は技術ではなく 社会構造の違い、武士は武芸を生業とした武装集団であり軍隊ではない。 ここに尽きるでしょう。 日本刀を例に見ると、長さ形状は実際はまちまちです。同年代でもかなり差がある。戦国時代に軍制が整うにつれ長さに対する制限意識が強く芽生える。 日本刀が成立するのは平安時代後期、院政が行われるようになり反藤原摂関家勢力の上皇親派の知行領主が生まれ、割と広域な経済圏を活用して生産物が生まれる 実例としては古備前備中刀 古伯耆刀(砂鉄採取・製鉄・炭・作刀・研ぎ仕上げ・献上を同地域で行う必要がある・・農作物納税免除のため) 槍は日本ではもっぱら南北朝時代以降からの武器、一部槍においては同一地域での製作物なら、規格があったと確認できる。例えば北近江(現長浜の)下坂の槍(地震で壊滅) 信長の勢力圏に入り織田軍の軍装品として、穂先を持って行けばどこでも使える、穂先が欠損しても直ぐに調達できる。 弩は絶対的に、矢と規格が合わなければならない兵器であり技術力よりも、生産技術者を確保し、自軍の直轄部隊に配備すると言う事になるが そういう事を大規模にし始めたのは、日本では織田信長が初めてではないが、中央集権的な体制と軍事力を整え、一般兵に鉄砲を持たせると言う事を積極的に進めたのは信長の時代 古代の日本では、例えば防人とか武器持参だし 鎌倉武士とか室町武士とか、矢と言うか矢じりをもってして「これはMyやじり、俺様の手柄」という時代 誰が放ったか判らんような矢を放つのを嫌ったし、彼らは武士であり、朝廷に仕える軍人ではなかった。
@user-dn3uo4bb6m
@user-dn3uo4bb6m 7 ай бұрын
@@tottoko2680律令体制の軍団で運用し中央が管理してたから広まらなかっただけだよ。稼働部が多いし定期メンテしないと使えないからその後の中央の統制喪失と軍制が健児に移り変わる中で合わなくてなり使われなくなっただけだよ。
@user-qo8bp1hh9v
@user-qo8bp1hh9v 7 ай бұрын
ドレッドノート級の当て字が弩級になるのも頷ける威力
@kdmdouble
@kdmdouble 7 ай бұрын
中世ごろまでの銃が登場するまでの世界では遠射武器としてしばしば弩≒クロスボウが使われているのに対し、ユーラシア大陸の端と端に当てはまる島国である日本とイギリスでは長弓が発展していったという不思議です。もっとも、両国とも弩(クロスボウ)は使われていたみたいですが。
@Fanatia
@Fanatia 7 ай бұрын
よくわかんないけど、結局戦場となる場所の地形や、一戦闘の動員人数・所要時間、戦場へ移動していく道の地形とか関係ありそうです。 日本は平地が少なく山がちっていうけど、低地を見下ろして布陣するのにちょうどいい丘もあんまりないし…ただ丘であればいいわけではなく、やたら木が鬱蒼と生えてる丘でもダメだし、見下ろす低地も隘路程度じゃ、援軍を削ぐとか陽動作戦の出鼻をくじくとかはできても主戦場にはなりえない(敵の頭数を減らすという意味では効率が悪い)気がします。 イギリスも場所によるけど、あんまり見通しのいい平地も、逆に平地を見下ろす山もなさそう…私が知りうる古戦場はだいたい、双方平地でぶつかり合ったか、逆に双方山で乱戦状態だったかって感じの場所で、軍が移動していく経路は大体狭隘か逆にものすごい見通しが良すぎる平原を突っ切るか、みたいな…。 取り廻しの悪い大型の弩(複数名で使用するタイプ)は、日本やイギリスの地形だと出番少なそう。 あと、日本って室町後期~末になるくらいまで、農民を戦場に兵士として徴発することは稀だから、戦闘集団はいろいろ訓練していたはずです。平時から訓練できるなら、誰でも技術なくても殺傷できる武器の発達はしなさそう。 武道が趣味の友人がいうには、「戦闘ド素人の農民を挑発して『敵倒せ』ってなったら、何を持たせたら一番簡単か考えてみなよ。日本の場合、そういう素人には『槍』を持たせた。弩もいいけど、一人につき1つの弩を用意するってなると、弩の構造上結構手間と思わない?量産能力や配布能力・経費考えたら槍でいいと思うわ。先が使えなくても柄でどつき回せるし、行軍する時ぜったい山通るから柄が杖にもなるけど、弩は戦闘開始するまではただのお荷物だし、消耗品である矢がないとまったく使えないからな~」だそうです。
@user-pp3jj9om8k
@user-pp3jj9om8k 7 ай бұрын
日本は弓を習っている武士が長らく戦争の中心にいたことも関係していると思います 本来非戦闘員の農民を徴発して戦士にすることは戦国時代から増えたのでその時は火縄銃が入ってきていますし
@kdmdouble
@kdmdouble 7 ай бұрын
@@Fanatia だいたい戦場となるのは平地か、地政学で言うところのチョークポイント(中国史なら函谷関、樊城、襄陽など、日本なら関ヶ原など)ですしね。日本やイギリスなど見通しのいい平地が少ない地域(あるいは平地がほぼ圃場となっている地域)だと、基本チョークポイントでの戦闘を考慮して取り回しのいい武装が好まれるかも分かりません。 槍については取り回しもしやすくコストも安いですしね。銃剣の概念が出てくるまでよく使われましたし。
@kdmdouble
@kdmdouble 7 ай бұрын
@@user-pp3jj9om8k 武士は弓馬の道と呼ばれるように戦闘の専門家という意味では戦士のようなものでしょうが、農民の場合は戦闘集団の一員に過ぎないでしょうから兵士といったかたちでしょうね。 ですが、訓練をあまり受けずとも殺傷力のある銃のような武装が出てきたから、武士のような戦士階級も特権階級化してきたのかとも想像しています。
@user-vs3uc3po2v
@user-vs3uc3po2v 6 ай бұрын
武士とかの文化の話ではなく、日本ような狭く直ぐに斜面がある土地では弩より長弓の方が向いてました。また、長弓は習得は難しいけれど習得すれば自走砲のように角度付けて飛ばせば飛距離が伸びますし、そうして飛ばした矢は上から降ってくる形になるので相手側の防御を崩すのにはぴったりだったわけです。イギリスもフランスとの100年戦争でフランスのクロスボウ部隊に打ち勝ってますし
@user-ux4jh7ic9z
@user-ux4jh7ic9z 7 ай бұрын
弩以前の春秋の戦争は、軍隊同士が真正面から正々堂々ぶつかって、明らかに勝負アリだなと思ったらすぐ退いて講和会議みたいなある意味牧歌的な戦争だったかもしれませんが、遠距離で会敵した瞬間に大勢の人を殺してしまえる弩の運用によって戦争自体が殺伐化した可能性はあるかもしれませんね。
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
@user-Gifu_no_Zoukinya_san 7 ай бұрын
たしか秦のときにも書きましたが、映画「始皇帝暗殺」で秦の弩兵が矢の雨を降らせるシーンがありましたね。 地面に寝転んだ姿勢から足をかけて背筋で弩を引いて放つという日本の戦争描写では見られない場面だったので印象に残っています。 戦車を扱える、馬に乗れる、戟を振り回せる、etc. そういう職業軍人としての訓練を積んだ兵ではなく、一般から動員された兵でも効果的に扱える武器が、秦の天下統一を支えたんでしょう。 漫画「蒼天航路」では(発明家キャラの)李典が固定式の大型の弩を効果的に使ってましたね。 うろ覚えの知識ですが、ヨーロッパではあまりに強力すぎる武器として、キリスト教徒同士の戦いではボウガンを使うことを規制しようという動きもあったそうです。
@user-sd3hm8lj5f
@user-sd3hm8lj5f 7 ай бұрын
蒼天航路の李典の李典弩は凄くデカい代物でしたね😊 あれぐらいのサイズだと城塞攻略用に使えるな。
@user-vs3uc3po2v
@user-vs3uc3po2v 6 ай бұрын
ちなみに戦車があったのは、まだ鐙(あぶみ)がなかったからです。鐙が伝えられてからは一気に衰退していきました
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d 7 ай бұрын
兵頭二十八氏の著作に、弩は日本では材料の供給に難があり、高温多湿な風土は長期保管ができないので廃れた。とありました。 「天高く馬肥ゆる秋」 この季節に弩の試験とは、この兵器、明白に対遊牧民用に特化していることを物語ってますね。 上古日本にも城市を作る必然性があれば、弩の大規模運用もあったかと。
@user-sd3hm8lj5f
@user-sd3hm8lj5f 7 ай бұрын
弩は誰にでも使用可能な有用性から多く揃えればそれだけ戦力になる。弓矢は扱えても上手い下手があり修練次第では名人級の遣い手になれた。弩は構造上技量の差が出にくいし威力抜群なので長らく重宝されたのですな。
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 7 ай бұрын
ただし、指がやられたらお終いですがね。
@user-nb4vy2xt5r
@user-nb4vy2xt5r 7 ай бұрын
古来より東アジアでは刀の日本、弓の朝鮮、槍の中国と言われており朝鮮の弓の歴史もとりあげると面白いね(確か「世界ふしぎ発見」で朝鮮の弓を取り上げていた記憶がある)
@user-cz1ev1vl5m
@user-cz1ev1vl5m 6 ай бұрын
​@@user-nb4vy2xt5rそれって嘘だぞ。 そもそも日本の主力兵器は弓、長巻、槍で、中国の主力兵器は弩と槍。 朝鮮の弓ってのは『遊び、鳥狩り用』で実戦では使い物にならない弱弓。
@user-vs3uc3po2v
@user-vs3uc3po2v 6 ай бұрын
でも日本と同じ様に長弓が発達したイギリスの弓矢部隊は畏るべしで、フランスとの戦争で相手のクロスボウ部隊を殲滅して戦いの勝利に何度も貢献してます。まあ、上から矢が降ってきますからね
@user-zj1qv1yc2u
@user-zj1qv1yc2u 7 ай бұрын
数をそろえばそろえるほど効力を発揮する。銃が登場するまでは最重要兵器だったと言えますな。 日本では平民を徴用して戦闘をするというのが、戦国時代まであまりなかったので、火縄銃と同時にクロスボウが入ったので 奈良時代に一時使われただけで終わってしまいましたが
@user-xu1dv7jo1s
@user-xu1dv7jo1s 7 ай бұрын
弩には照準もすでについてたんかぁ!高機能すぎて目ん玉飛び出ましたわぁ!!
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 7 ай бұрын
ただし命中率は…
@user-hf7uq9fr2t
@user-hf7uq9fr2t 7 ай бұрын
突然の弩リトライ構文助かる
@MUSAMUSA-yb3hv
@MUSAMUSA-yb3hv 7 ай бұрын
>弩霊夢 心が強え饅頭なのか…!?
@user-vc6ps5tg1d
@user-vc6ps5tg1d 7 ай бұрын
弩の利点はいろいろありますが、やはり弓より短期間で扱いが身に付き、誰でも一定以上の威力と命中精度が出せる点でしょうか。 それゆえ鉄砲が登場すると弓より先に戦場から駆逐されてしまったわけですが……(弓は連射の優位性でしばらく残る)
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 7 ай бұрын
しかし弩がいかに強力でも、やはり騎馬遊牧民には苦戦するんですよね(下手な弩より騎馬遊牧民の矢の方が正確かつ強力、さらにみな弓矢を扱えるためはじめから鍛錬してある)
@user-vs3uc3po2v
@user-vs3uc3po2v 6 ай бұрын
日本でも鎌倉時代の武士のメインは弓矢でしたよ。馬からの射撃はかなりの威力になりましたし
@ninja.nintendo
@ninja.nintendo 7 ай бұрын
22:20ただの霊夢じゃねえぞ
@user-nb4vy2xt5r
@user-nb4vy2xt5r 7 ай бұрын
諸葛亮というと俺には肉まんの始祖のイメージが強すぎるのだが、饅頭の歴史というのもやって欲しいね。なお超ド級のドは弩ではなくイギリスの戦艦ドレッドノートの方なので悪しからず
@user-vs3uc3po2v
@user-vs3uc3po2v 6 ай бұрын
弩が日本で定着しなかったのは、狭く斜面などでこぼこな土地ばかりな場所では真っ直ぐしか飛ばない弩は適していませんでした。一方、習得は難しいけど馴れれば打ち出す角度によって飛距離を伸ばせる長弓は最も適していました。また長弓などの材料となる木材が豊富なのも定着するのに一役買いました。日本と同じくクロスボウでなく長弓のような弓矢が発達したイギリスは、フランスとの戦いで相手のクロスボウ部隊を殲滅するなど、猛威を振るっていました
@pomelove9502
@pomelove9502 7 ай бұрын
霊夢は弩の精霊になったのだ…
@user-xx9oe9fe8g
@user-xx9oe9fe8g 7 ай бұрын
中華文明の帝国が弩を使ってたのは、あまり練度の高くない兵隊が使用する武器として歩兵にも騎兵にも有効だった、特に騎馬民族の軍隊相手でも数少ない有用な武器であったということがありますが 同時に高価でメンテが面倒で壊れやすく矢を揃えるすら手間がかかる代物でもあり、軍団が動くときなど万単位の弩を稼働状態でいさせるために職人集団がすごい規模で同行していたそうで、彼らのテントの数と金属加工のモクモクとした煙を見た騎馬民族の使者が「これは移動する町だ」と驚嘆したそうです
@user-xx9oe9fe8g
@user-xx9oe9fe8g 7 ай бұрын
西洋でも似たようなもので都市や砦の防衛戦なら内部の工房を使用できるため都市住人を気軽に戦力に数えることができましたが(おかげで中世末~近世ドイツの自由都市などには同盟結んだ勢力からの援軍が入るのも想定して城壁等の防御設備で戦わせられる推定人数が町の人口より多い過剰防衛設備都市が結構な割合である) 中世に野戦でまとまった数の弩兵を「部隊」として運用しようとすると、それ自体に工廠と技術者を抱えたジェノヴァ傭兵等の集団を数百下手すると千の単位で雇う以外無く、そんなことができるのは王やそれに準じるような大貴族だけだったという話もあります
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 7 ай бұрын
明治初期に続発した士族の反乱、政府軍はかなり苦戦しました。それもそのはず、反乱側の士族は元武士(銃はおろか刀も使える)、それに対し政府軍は農民など素人同然(小学校の体操などは明治以降軍人にするための訓練であり、これの名残り)だったためです。やはり鬼に金棒なところはありますかね(強い兵が強い武器を持てば、当然さらに強い)
@qoamb410
@qoamb410 7 ай бұрын
NHKさんの回し者ではありませんが、蒙古襲来の際に使われた、モンゴル軍の半弓と、鎌倉武士達が使った和弓の違いを番組でやっていましたね。武器は恐ろしいものですが、その国の文化を背景にしている点で興味深いですね。宋代まで、弩を武器として洗練させていった中華の歴史を知れて、面白かったです。
@user-cu5tq9hd7w
@user-cu5tq9hd7w 7 ай бұрын
何年か前に中国南方に住む少数民族が弩を使って木の上の小鳥を射ている映像を見たことがあります。21世紀になっても弩を製造する技術やメンテナンスする技術が残っていたことに驚きました。
@---nt5tf
@---nt5tf 7 ай бұрын
刃牙でクローン宮本武蔵が拳銃使って見て、「確かに使いやすいが、道にはなりえんな、、」って、言ってましたが、確かにロマンはないですよね。
@elderidgechebahtah8100
@elderidgechebahtah8100 7 ай бұрын
听说弩箭也是击败匈奴的重要利器,主要是汉军掌握当时先进的炼钢与机关技术。抗击匈奴三大利器:铁甲、弩箭、环首刀
@CHAOS-qs5py
@CHAOS-qs5py 6 ай бұрын
ボウガンの元祖。機能やデザイン的には現代のとほとんど変わらん。
@shiro-motion
@shiro-motion 7 ай бұрын
西洋では殺傷能力が高すぎて教会のクロスボウ禁止令とかも度々出されましたしね(全然守られなかったけど…) それくらい銃の登場以前だと恐るべき兵器だったってことですね
@daioh_gtonburi9204
@daioh_gtonburi9204 7 ай бұрын
ドレイムよ、永遠なれ………!
@sunandsun
@sunandsun 7 ай бұрын
スコープの名前が望山なのおしゃれ
@tuwabuki08
@tuwabuki08 7 ай бұрын
日本で流行らなかったのは気候の面も関係するのでしょうか? 膠や動物の腱を利用した複合弓は遊牧民やアラブ世界で使われましたが、こちらも多湿な日本では使われなかったと聞いています(日本では竹を貼り合わせた合成弓─和弓に行き着きました
@MrDeha6450
@MrDeha6450 7 ай бұрын
これだけ中国で大活躍した弩ですが、日本では律令時代に少し使われていた(今でもぐぐると小野春風(妹子の子孫で参議篁のいとこ。鎮守府将軍として北方を守っていた)の肖像画が弩を構えた姿で描かれたものが出てきます)程度で、源平時代にはほとんど失われていたのとは対照的ですね。ただ、清盛の一族がこれを使いこなせていたら、日本史はその流れが違っていたかもしれない、というのは感じさせてくれますね。もっとも小規模な地方豪族だった武士・鎌倉御家人には構造が複雑すぎて多数の弩を作るのもメンテをするのも無理だった、というのは納得です。それにつけても宋代の弩は知られざる強さを誇っていたことは初めて知りました。
@Kekkonshiyo_Ichika
@Kekkonshiyo_Ichika 7 ай бұрын
ただ、平清盛ら軍事貴族の家業って武芸だから武芸とかけ離れた弩を果たして扱ったのだろうか?という問題はあります。 技術面以前に、中世社会の上流階級は平氏や源氏だけでなく、藤原氏ら同様に家業=職が強いという傾向があるので…弩を武芸の一つとして扱う奇天烈な軍事貴族でも現れない限り難しいと思います。 最も、あまり技術力を必要としない点で動画にもあるような弩の名手が現れない状況を考えると弓や槍のような武器を武道芸術(武芸)として家業にできるのか?という疑問があります。 なぜ、軍事貴族の家業が弩の存亡に必要かって?だって、軍事貴族の武芸という家業は鎌倉時代を経て軍事貴族(惣領家)の郎党たる地頭達に武家文化として継承されたから。それが、鎌倉時代の武士文化を代表とする犬追物や流鏑馬という武芸。 これが、鎌倉時代を経て武家と言えば弓や槍、刀だよねってなった事を鑑みると、弩が日本の軍事文化?として根付けなかった時点で後世まで残るのは難しかったかもしれません。
@user-cz3fz5fp4r
@user-cz3fz5fp4r 7 ай бұрын
南方の少数民族の待ち伏せ武器が始まりのようです 戦前の日本の調査者によると小動物や大型の魚を待ち伏せて撃つ 主要部をツノや骨を削っての製造が大変で1月以上かかる 以前宋代の機構を見せてもらったことがありますが 規格化された精密な青銅鋳造品でした。
@ezorisu-kami
@ezorisu-kami 7 ай бұрын
最終的に、人の巧みよりも技術が強かった感があって、ロマンの真逆ではありますが、真実もまた面白いと思いました
@user-sp1jv4fq2j
@user-sp1jv4fq2j Ай бұрын
@ezorisu-kami やっぱ巧みで遊牧民には勝てんし…
@user-kk5dz7bu3y
@user-kk5dz7bu3y 7 ай бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history 7 ай бұрын
いつもご支援いただき、有り難き幸せ……! 大変励みになっております……!!
@kirisa1580
@kirisa1580 7 ай бұрын
弩のような運用者の腕にあまり依存しない武器は設計理念から現代兵器に通じるものがあって、ヒーロー物語には不向きだが個人的にはすごくロマンを感じる
@TSUDATOSIYKI
@TSUDATOSIYKI 7 ай бұрын
横山光輝三國志に出てきた連弩とかどうやって剣閣に運んだんだって位、でかかったな。
@user-et6vx6gz4b
@user-et6vx6gz4b 5 ай бұрын
漢の弩兵を材官という。官吏ではなく士卒なのに官という名称は不思議だ。 弩の素材の木材が、おそらく官営の山林から供給されたからなのだろうか? 前王朝の秦では確か冬季に木材の伐採を禁じていた(棺を作るときは例外として許された)。 代王朝にとって木材の管理は重要だったのかも知れない。
@tomo3118
@tomo3118 7 ай бұрын
古代中国において投石器(スリング)の立ち位置はどうだったんだろう?
@jsetagaya1482
@jsetagaya1482 7 ай бұрын
イングランドのロングボウもだけど強力な弓系の武器は機動力もないし突撃に対して滅法弱い。砦に篭って使う分には良いのだろうけど野戦だと使いにくいんだろうな。
@Han77-sf2ud
@Han77-sf2ud 7 ай бұрын
弩を用いた英雄とまではいえないが、楚漢戦争時に齢15で材官蹶張として漢の劉邦に仕え、後に文帝の時代に丞相に昇った申屠嘉は弩にまつわる有名人かなとも。
@user-ke1px8to6g
@user-ke1px8to6g 7 ай бұрын
人類が産んだ初めての殺人兵器ですね 西洋でもボーガンやクロスボウ等が発明されてますし 弓剣斧槍は狩り等で用途が有りますが連弩は兵器以外用いる要素が無いですし
@user-ic3rt6hp6s
@user-ic3rt6hp6s 7 ай бұрын
「横山光輝版三国志」では据付型の大型弩で一度に二十本の矢を打ち出す事が出来て矢には毒が塗ってあった。 と書いてありましたね…
@user-ky5vh5rz5e
@user-ky5vh5rz5e 7 ай бұрын
オチがぶっ飛んでて草
@UOTSURI
@UOTSURI 7 ай бұрын
連弩は市街戦でサブマシンガンを乱射するような使い方をしたんじゃないかと想像します。
@ochaocha3333
@ochaocha3333 7 ай бұрын
最後、唐突なドリトライで草 これは鳥トライ人間の提供待ったなし(今まであったっけ?)
@user-bo5hc7hd2k
@user-bo5hc7hd2k 7 ай бұрын
次回も楽しみにしています。 ねぇ・・・
@user-fx2qb9gb5z
@user-fx2qb9gb5z 7 ай бұрын
大変興味深く拝見しました 時代によって違うのでしょうが弩の弦の素材はどのようなものを使っていたんでしょうか?
@Jodtink
@Jodtink 7 ай бұрын
中国史ゆっくり解説はれーしさん、浸透襲撃さん、鳥人間さんの三人がシェアを独占していて後発だと参入は難しそうですね。
@user-wn1id8ro7f
@user-wn1id8ro7f 7 ай бұрын
まさに三國時代そのものやな。
@user-fs1lk2ls2b
@user-fs1lk2ls2b 7 ай бұрын
弩は広い大陸なら使えていたけど日本みたいにあまり広くない列島では使いにくいんじゃないのかな。 弓みたいに放物線を描く方が目測を誤りやすいのもあるのかも…。
@user-gt6sz1gf5d
@user-gt6sz1gf5d 7 ай бұрын
なーんかドイツ軍のパリ砲やドーラ砲みたいにデカくしすぎて衰退した感じもある… 当時では機械仕掛けの殺傷兵器はコレぐらいしか無かったから多様化されたんだろうけど、鉄砲や火砲という傑出した技術が登場したらすぐ衰退するのは世の常だな… ただ、弓の名手はいるけど弩の名手はいないと霊夢は嘆いていたけど、これは戦争をシステム化して国家による効率的な戦争行動を行えるようになったという国家の進化をみているようで歴史好きとしては面白い。
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 7 ай бұрын
中国王朝のような定住民(でない王朝もあるが)なら当然弓矢に長けるのは最低でも兵、後は王族に限られますが、これが匈奴など騎馬遊牧民なら子供さえ弓矢に加え馬に手慣れているため、変な話人口が一万いたら戦の時そのまま一万の兵になるんですよね(定住民なら当然兵一万にならざるを得ない)
@TY-pf8bd
@TY-pf8bd 7 ай бұрын
西洋では似た武器としてクロスボウが進化・発展していきましたが、弩との技術的な関係性はあったんでしょうかね。 技術の流出を防いでいた時代には伝わらないでしょうけど、宋代以降だと関係性があるのかなと。 その西洋でもクロスボウの名手というのは聞かないですし、そういうところが洋の東西を問わないのだなと思いました。
@tuwabuki08
@tuwabuki08 7 ай бұрын
ローマ帝国の頃には弩が使われているので同時発生的に使われていったものだと思われます どの時代も考えることは同じだったみたいですね ただし、ローマ帝国では全軍に配備するのではなく攻城戦で使われるのがメインでどちらかといえば弓─更に言えば弓扱いが得意な部族を徴用するのが一般的でした
@heiho_ita
@heiho_ita 7 ай бұрын
信長が火縄銃でゲームチェンジャーしたようなもんか
@user-dk4nh6yr6y
@user-dk4nh6yr6y 7 ай бұрын
弩の名手がいなかったのは、弩がそもそもド素人でも簡単に使えて、敵を倒せる事を目的として作られたからでしょうね…。 比較的広い平地が戦場になりがちな中国では弩はその性能を存分に活かせたんでしょうが、山が多く、起伏の激しい地形が多い日本では使いづらいでしょうね…。火器が発展してきても弩が使われていたのも、火器と比べれば低コストで十分な威力を期待できるからだと思います。(鉄砲などの火器が普及した後の日本だと遠距離攻撃は鉄砲のような火器と弓矢を交互に放つ感じだったらしい。まあ、一般兵である足軽の戦い方は基本的に長槍で叩く(意外と高威力だったらしい。)だったけど。)
@user-iq9on1ts1j
@user-iq9on1ts1j 7 ай бұрын
ドレッドノート号が出来る前に「超弩級」の武器が
@user-ds7ig4cm2n
@user-ds7ig4cm2n 7 ай бұрын
なるほどー。横山光輝三国志と三国志threekingdomの連弩の違いの根拠がわかりました。
@Dust_of_Mount_Taishan
@Dust_of_Mount_Taishan 7 ай бұрын
弩弓というこの素晴らしい武器がつい数年前までAmazonで買えたんだよなぁ…… 研究用に一つ買っておいてもよかったかなあ。撃つ場所ないけど
@yutakikuchi7633
@yutakikuchi7633 7 ай бұрын
火縄銃を想起させますね 恐ろしい殺傷能力、兵士の能力の平準化、連射の難しさ、おまけに射程距離に至るまで
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 7 ай бұрын
さらに、日本の火縄銃がオリジナルの鉄砲より優れていたとか。
@user-bz8ty1bi9b
@user-bz8ty1bi9b 7 ай бұрын
銃の発展と似てるね。訓練時間がそんなにかからないところとか
@user-tb2fb3tr3b
@user-tb2fb3tr3b 7 ай бұрын
連射弩、ゲームでよく見かけますがまさか実在したとは思いませんでした。 それにしても弩は中華にとってゲームチェンジャーだったとは知りませんでした。 伝説に始皇帝が化け物退治に弩を使った話があった様な。 解説お疲れさまです。
@user-rw5po1py8r
@user-rw5po1py8r 6 ай бұрын
次回まで弩が残ってるの面白すぎる
@nekono_mimikon
@nekono_mimikon 7 ай бұрын
損益連弩とかいう元戎で知られる謎の兵器。 一体何が損益なのか不明ですが、魏氏春秋によれば18cm程度の鉄釘のような物体を10本飛ばすらしいので、フレシェット弾のように10本釘入りの筒を飛ばし、発射後に空気抵抗で筒が分解して中の10本が拡がって飛んでいく感じではないでしょうかね。
@user-kr7nm3gh2l
@user-kr7nm3gh2l 7 ай бұрын
Thanks!
@c-history
@c-history 7 ай бұрын
いつもご支援いただき、まこと感謝の念に堪えませぬ! ありがたや……ありがたや……!!
@user-ep6gr3ns2z
@user-ep6gr3ns2z 7 ай бұрын
昔読んだ漫画「東周英雄伝」で管仲が小白暗殺する時に弩使っていた。
@user-ew9gx4ci8z
@user-ew9gx4ci8z 6 ай бұрын
確か、劉裕も北伐の際に使用してましたね。
@toru999takk3
@toru999takk3 7 ай бұрын
最後に爆誕した弩霊夢はなんかフロムの死にゲーに出てきそうなデザイン😅
@shou-sho
@shou-sho 7 ай бұрын
水滸伝でも弩をメインウェポンにした豪傑はいないんですよね。 豹子頭林冲なんかは実際は扱えるだろうけど。 新宿の…ではなく浪子燕青が射抜かれたくらい?
@NobuhitoMiyagawa
@NobuhitoMiyagawa 7 ай бұрын
戚継光が対倭寇用武器として開発した「狼筅」が好き。
@2001banekuro
@2001banekuro 7 ай бұрын
「日本ではあまり弩弓みたいな武器が見受けられ無いんだけど、それも中国が機密兵器扱いしてたから?」 「それもあったかもしれないが、島国地形複雑な日本では、あまり弓矢に射程距離が必要になる戦場が乏しかったということもあったろう。独自の発展を遂げた和弓は射程距離100m、速射も容易という性能があったからな」 「でもそれが出来るって人は相当訓練を積んだ、ごく限られた武将だけだよね」 「日本じゃ、一般民衆も動員した総力戦みたいなものは、戦国時代まであまり起きなかったし、その頃には火縄銃が登場していた」 「あ、そういうことか。欧米ではローマ時代から弩弓のような物は開発されていたしね。でも取り扱いが厄介な火縄銃より弩弓の方が利点が多そうだけど」 「そこは兵站上の利便性だな。鉛の弾丸と発射火薬だけ持てば済むから、一人で数十発の弾薬を所持するなんて楽だったろうが、幾ら和弓が優れていても、十本以上の矢を携帯するのは大変だぞ。ある意味中国は弩弓に対する依存の強さが、銃器の開発を阻害してしまったのかもしれない」
@user-mx5qx5oj9c
@user-mx5qx5oj9c 7 ай бұрын
その後現在まで続く銃火器の引き金装置の起源だと思うとものすごい発明だよ。
@Legendary_mapo_tofu
@Legendary_mapo_tofu 7 ай бұрын
3:31この部分を薄く作るのに高度な技術が必要で、当時の日本ではパクれなかったとかなんとか 輸入に頼るしかない高級品で維持コストも高く、武士は弓が弾けるのが当たり前なので、日本では普及しなかったとかなんとか
@user-tx5ge2nw7t
@user-tx5ge2nw7t 7 ай бұрын
弩といえばジョセフ・ジョースターが思い浮かんでしまう 弩ってボーガンと同じになるんだよな!
@user-nb4vy2xt5r
@user-nb4vy2xt5r 7 ай бұрын
ワムウ!
@nekono_mimikon
@nekono_mimikon 7 ай бұрын
ジョセフが使ったのは石弓(stone bow)ですね。 狩猟用の道具としてもマニアックな部類で、昔は焼いた粘土玉を飛ばして鳥を撃ったそうです。
@user-rw5po1py8r
@user-rw5po1py8r 4 ай бұрын
熟練していなくても発射はできて火力になる、訓練期間も弓より遥かに短い、単発の火力こそ低いが射程と威力は絶大 膨大な人的資源を有する中国ほど弩の運用に向いてる国もなかなかなさそうだ...
@user-qp5iv6vy4j
@user-qp5iv6vy4j 7 ай бұрын
当時からこんなに技術が発達していた事に感心すると共に、人類は如何に効率良く人の命を奪う事に注力してきたのかを再認識して少し悲しくなった そんな危ないモノ人に向けちゃダメでしょ!
@user-bo2ci1bf3f
@user-bo2ci1bf3f 7 ай бұрын
よし、その意気で全米ライフル協会に殴り込むんだ
@user-sp1jv4fq2j
@user-sp1jv4fq2j Ай бұрын
@user-qp5iv6vy4j 効率良く人の命奪って行くのは遊牧兵なんだよなぁ…
@user-gp4uy4ng7l
@user-gp4uy4ng7l 7 ай бұрын
確かに、日本では普及しなかったですね。 おそらくは、日本の土地は山林が多かったので、弩を活かせるものではなかったと考えます。
@nakaiti3780
@nakaiti3780 2 ай бұрын
弩 いっ一撃でザク(重装騎兵)を 日本では、騎馬武者による馬上からの長弓の張力50kgというイギリス軍が使ったロングボウ兵の威力を馬上から放つすごい練度、現代の和弓選手、馬上でもなく張力わずか20kg 幼いころからの練度の違い、ロングボウ兵も左右の腕の形が変わるほどの練度だったらしいがこれだと装填に時間のかかる弩は必要ないね
@rohikimyao6832
@rohikimyao6832 4 ай бұрын
弩は矢をセットするのに力がいるので脚でやってたというのがWWⅡ英軍の携帯対戦車兵器のPIATそのものだな。バネでグレネードを飛ばす仕組みだがそれが強力なため。反動が強く射手が身体を傷めやすいのも弩と同じ。
@user-qw4xc7gt8m
@user-qw4xc7gt8m 7 ай бұрын
欧州のクロスボウ、アジアの弩と、発生はどっちが先だったんですかね。
@harigane4773
@harigane4773 7 ай бұрын
16:22 鉤鎌槍!
@t3233226
@t3233226 7 ай бұрын
弩、弩、弩リフの大爆笑~♪ そういや現代のクロスボウでも連弩みたいな機構で連射可能にしたものがありますね
@tomsug8317
@tomsug8317 7 ай бұрын
哀れ「奴隷」の憂き目を見る霊夢であった・・・。
@user-dr8sy8sk7q
@user-dr8sy8sk7q 7 ай бұрын
時代が下れば技術的にも日本でも生産可能だったとは思うのですが普及しなかった理由はなんでしょうかね 携行性とか地形とかそのあたりでしょうかねえ
@user-id8es8hi5o
@user-id8es8hi5o 7 ай бұрын
奈良時代には日本でも用いられていたようですが、律令の解体に伴う地方分権化によって規格化された部品を作る工場と生産能力が失われたために廃れたという説があります また鎌倉時代に入ると戦闘の小規模化と騎馬弓射が中核となったため、鉄砲の導入まで類似した兵器が復活しなかったのでしょう 弩という兵器そのものが大規模運用と平地での防衛戦に適しているので、あらゆる要素が日本での運用に向かなかったと推定されます
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 7 ай бұрын
普通に弓矢がはじめから強力で弩は不要だったからではないですかね。
@user-id8es8hi5o
@user-id8es8hi5o 7 ай бұрын
​@@FREEDOM-vv3wu 日本の和弓であれ大陸の複合弓やロングボウであれ、人力で引かれる弓の引張力は70kg前後が上限であり、弩においてはそれが下限、上限では500kgに達するものすら存在します しかし弩という兵器の性質として「技量を必要としない」「馬上での運用に不向き」「装填に時間がかかる」という要素があるため、戦国時代まで大規模動員が少なかった日本においては不適格だったという見方が一般的ですね まあ結局のところ選ばれた戦士であれば弓の方がずっと頼もしい武装であったわけです
@nekono_mimikon
@nekono_mimikon 7 ай бұрын
@@FREEDOM-vv3wu あと武士登場以前から主力が弓騎兵なので、馬上で扱えない弩が廃れるのは必然でしょうね。
@Gobledeegook_JP
@Gobledeegook_JP 7 ай бұрын
​@@FREEDOM-vv3wu弓矢がはじめから強力で弩は不要だとすると、中世ヨーロッパでロングボウ(強弓)が席巻し、クロスボウ(弩)が採用されないこととなります。 弓の訓練に投資が必要で速成できないのですが、弩の場合簡単に当てれらるようになるのではなかろうかと。 (私のような弓道歴7年のおっさんで和弓30Kgが限界で命中率はボロボロですが、クロスボウですと60kgとかで100発90中ぐらいになります)
@user-fx2qb9gb5z
@user-fx2qb9gb5z 6 ай бұрын
古代中国の武器といえば、戟と「か」(変換できない…)ですよね これらの武器の解説もお願いしたいです
@user-wn1id8ro7f
@user-wn1id8ro7f 7 ай бұрын
昔の弩は集団運用を前提とする『面』制圧兵器という性質が強かったのでしょう。 騎馬の機動力に対抗するとなると、ある一点に対する統制射撃しかなかったとも言えますし。(射程がわかってればなおさら) 騎兵の弓は個を殺す。弩兵の弩は多を殺す。現代にも通じる戦術理論の原形の一端が垣間見えますな。
@user-ig6te3tt1l
@user-ig6te3tt1l 10 күн бұрын
多数の騎馬突撃に対しては曲射の弓よりも直射の弩のほうが効力が高いようですので、制式採用された多数の弩を持った歩兵が防御陣地から射撃すると、騎兵には為す術が無かったと聞きます。 確か演義ですが、趙雲一身是肝なりの時は、空堀に潜ませていた弩兵の一斉直射で突撃を撃退していた記憶が。
@user-wj9ef4zg3t
@user-wj9ef4zg3t 7 ай бұрын
すごく興味深いお話で楽しかったけど良い意味で最後、全部持っていかれた。゚(゚^∀^゚)゚。
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d 7 ай бұрын
孔明と饅頭は、切っても切れない縁で結ばれている。
@naoki080808
@naoki080808 6 күн бұрын
中華の弩の発展は、車両の普及と不可分ではないかと思います。 大量の矢を運べ、騎兵に対するバリゲートとなる車両は、弩のデメリットを緩和する最良の道具なので。 李衛公問対でも車両の重要性を説かれていますし、諸葛亮も弩と並んで車両の開発で有名ですしね。 中華車両史解説、見たいなぁ(チラチラ
@bwjbb475
@bwjbb475 7 ай бұрын
こんばんは。バッドリー・ドローン・ボーイときましたか。今までの傾向として鳥人間さんが好きそうではあるな。もうすぐデビュー30周年ですっけ? 今日は弩の特集ですか。すんごいニッチな所を攻めますねえ。そういうところが好きですけどw思えば洋の東西問わず大量に使われてるのは偶然なのだろうか?? まあ西洋とかはロングボウの集団戦なんかを経てすぐに銃の時代になりましたが。連弩とかはロマンをくすぐられたなあ。どんなもんやったんやろなあ。 チャージに時間がかかる?波動砲か?メガ・バズーカ・ランチャーか?wもう超弩級霊夢まで目指そうや!ww
@esp934
@esp934 7 ай бұрын
中世ヨーロッパだとキリスト教同士だと使用禁止だったはず、異教徒との戦いでしか使用が出来なかった。
@user-rk4kf6sl4e
@user-rk4kf6sl4e 7 ай бұрын
ヨーロッパではクロスボウよりロングボウのが強かったらしいけど、中国のは性能良かったのかな?
@user-id1zn9vc1v
@user-id1zn9vc1v 7 ай бұрын
戦争での使用に関しては、フランスのクロスボウ部隊がイギリスのロングボウ部隊に速射性合戦に持ち込まれて負けたのが全てを物語っているんじゃないでしょうかね
@user-rb5mf6wq5t
@user-rb5mf6wq5t 7 ай бұрын
だが百年戦争に勝ったのはフランス側という 個々人の技量錬成に時間がかかる長弓と比べて誰でも簡単に使える弩は戦争が続くほど有利
@onukiyuta3822
@onukiyuta3822 4 ай бұрын
もしもクロスボウを宇宙とくに月面とかで使ったら・・・。
@renngekisouhei8303
@renngekisouhei8303 7 ай бұрын
まってた
@user-ti5sz8tn4j
@user-ti5sz8tn4j 7 ай бұрын
縄付き矢と言えば、土佐で使われた捕鯨船のモリを思い出す。
@user-hj8fg3qh1u
@user-hj8fg3qh1u 7 ай бұрын
日本も本土決戦兵器としてついこの間まで配備しかかってたんだよなぁ…
@49ers22
@49ers22 7 ай бұрын
弩、かっこいいなぁ、弩
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w 7 ай бұрын
火炎放射器っつって思いっきりスキュリツェス年代記に描かれたギリシア火出てくるの草 まぁ軍事機密なのは弩と同じかぁ
@1.4-billion-th
@1.4-billion-th 7 ай бұрын
中華版ヴィルヘルム・テルは現れなかったかー
@user-sz4wj6rb3n
@user-sz4wj6rb3n 7 ай бұрын
有効射程150mって南蛮渡来の種子島に匹敵する距離だからね。 しかも種子島は当たらない。 あたったら一撃必殺だけど。
@user-fuji01
@user-fuji01 6 ай бұрын
同じ頃のローマだと大型の連射式の弩を馬車に乗せて走らせてた。 どちらが先に作ったかは証拠が不明だが、技術力の差は明らか。
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Аришнев
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